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荒城の夜半に龍が啼く
最後の晩餐-2
しおりを挟むレイバックの手を引き駆け足で客室まで戻ったゼータは、ようやく一息を付いた。突然のゼータの強行に困惑するレイバックをベッドの脇に押しやり、物置き棚にのせた旅行カバンに手を掛ける。まだ使うからとカバンの横に並べたままであった櫛や化粧品、明日の着替えをせっせとカバンに詰め込んでいく。
「レイ、荷物を準備してください。城を発ちます」
「…今からか?」
「今からです。幸い雨は降っていませんし、多少の風は堪えましょう。1時間あればリーニャに辿り着く事が出来ますから、今夜はそこで宿を取りましょう」
旅路の休憩地点として立ち寄った湖畔の町リーニャ。ドラキス王国からの旅人も立ち寄る町だと言っていたから、最低限の宿泊施設は用意されているはずだ。喧噪としたリーニャの街並みを思い出しながら、ゼータは暇つぶし用として持参した1冊の本をカバンの隅に押し入れた。今から城を発つ、レイバックが呟く声が耳に届く。
「屋上…は鍵が閉まっていますよね。正門付近は離陸に十分な広さとは言えないですけれど、この際仕方がないか…」
全ての荷物を詰め終えたカバンを、ゼータは両手で抱え上げる。ふとベッドの上を見やれば、そこには未だ口を開けたままのレイバックのカバンがあった。カバンの周りには衣類や水筒が散らばっている。荷物の準備をしろと言ったのに。ゼータはレイバックを叱咤すべく口を開く。
「レイ、荷物を―」
続く言葉がゼータの口から出ることはかった。大きく見開かれた緋色の瞳が、じっとゼータを見つめていたから。レイバックの顔面は蝋人形のように固まり、見開かれた瞳は瞬き一つしない。
ゼータは荷物を抱えたまま、へなへなとその場にへたり込んだ。駄目だ、出られない。レイバックとゼータは、今夜黒の城を出ることができない。フィビアスがそう命じているのだ。フィビアスは穏便に国を治めるために、神獣の力を欲している。逃亡を許すはずもなく、魔法の力を以てレイバックをこの城の縛り付けようとしている。
-妃に何と言われても、黒の城から出ることは許さない。神獣の力は永久に私のもの
フィビアスの囁く声が、耳に届くようである。
「レイ」
縋るようなゼータの声色に、レイバックの瞳は数度瞬きを繰り返した。緋色に瞳に光が戻る。そして床にへたり込むゼータをしばし眺め、困惑の色を浮かべた。
「…ゼータ、どうした。さっきから変だぞ」
そう告げるレイバックは、自身の身に起こる異常など微塵も感じていない。
これが魔法による使役。行動の全てをがんじがらめに縛られるわけではない。普段は自分の意思での選択が可能ながらも、特定の状況下においてのみ魔法の効果が発動する。だから周囲の者は、その者が魔法にかけられていることに気が付かない。レイバックとゼータが、マギが魔法の支配下にあるのだと気が付かなかったように。ゼータが食事を終えるまで、レイバックの以上に気が付かなかったように。とても厄介で、質の悪い魔法だ。
へたり込んだまま一向に立ち上がろうとしないゼータに向けて、助けの手が差し伸べられる。手の主は緋色の眼を瞬かせながら、心底ゼータの身を案じていた。しかしゼータにはその手が恐ろしかった。何が命令の発動条件となるかわからない。ゼータの言動や行動が命令の一端に触れれば、レイバックはゼータの首筋に手を掛けるやもしれぬ。ドラゴンに比べ遥かに脆弱な命を狩り取るべく、カバンに隠した短剣を振りかざすやも。
ぱん、と乾いた音がした。ゼータの手のひらが、差し出されたレイバックの手を弾き飛ばした音。
「触らないでください」
ゼータは震える声で言う。レイバックは弾き飛ばされた自身の手のひらを見、そしてゼータの顔を直視した。
「ゼータ」
再び手は伸ばされる。ゼータは短い悲鳴を上げ、腕の中のカバンをレイバックの足元に放り投げた。延ばされた手から逃げるように後退る。恐ろしい。出会って初めて、この男が恐ろしい。
「近寄らないでください」
「ゼータ、話を」
「私に触らないで!」
ゼータが叫び、部屋の中に沈黙が落ちたその時であった。静寂を切り裂くように、低い鐘の音が鳴り響いた。黒の城に滞在中初めて耳にする音色だ。即位式典の会場となった儀式棟の上部には鐘楼が備えられていた。あの鐘が打ち鳴らされる音だろうか。
美しい鐘の音にしばし恐怖を忘れたゼータの目の前で、レイバックが動いた。伸ばしかけていた手を身体の横に下ろし、扉の方へと歩いて行く。
「レイ、どこへ?」
ゼータの問いにレイバックは答えない。無言のまま、部屋の扉を引き明けようとする。今、無闇に部屋の外に出るのはまずい。ゼータは焦り、足を縺れさせながらレイバックの元に駆け寄る。今まさに扉を出ようとするレイバックの肩に手をかける。
不意にレイバックの両眼がゼータを見た。見開かれた緋色の両眼は瞬き一つせず、口元は人形のようにきっかりと引き結ばれている。
レイ。縋るように呟いたゼータの頬を、強固な拳がしたたかに打った。絨毯へと沈むゼータの視界の端に古びた壁時計が映る。遠のく意識の中で見た時計の針は、21時丁度を指していた。
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