【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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荒城の夜半に龍が啼く

最後の晩餐-1

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 窓の外がすっかり暗くなった頃に、レイバックとゼータはサロンで慎ましやかな晩餐会を催していた。夕食は簡単に済ませたかったところであるが、明朝の帰還に備え荷物の片付けや休憩地点の確認をしている間に、殊の外時間が経ってしまったのだ。今朝方までは多くの人で賑わいを見せていたサロンの内部は、今は寂しいほどに静まり返っている。静寂の中に響く2人の分の食器音と、2人分の声色。

「明日雨が降らないと良いですね。今夜は随分と雲が多いから」
「雨で済めばまだ良いが。風が強いと飛行は困難だな」
「飛べそうになかったらどうしますか?出発時間を遅らせる?」
「うーん…。夕刻までには帰り着くとザトに言ってあるからな。あまり遅くなると要らぬ心配を掛けてしまう」

 レイバックは悩ましげに窓の外を見やった。サロンの窓に映るものは闇夜。厚い雲に覆われた夜空には月も星も臨むことはできず、吸い込まれそうなほどの漆黒が広がっている。夕方まではそよ風しか吹いていなかったはずなのに、今は窓枠を揺らすほどの強風が吹き始めていた。かたかたと風が窓を叩く音が、サロンの中に絶えず響いている。

「明日の事は起きてから考えるしかないですか…。何だか最後の最後まで不安だらけの旅ですね。折角無事対談を終えたというのに」
「ん、ああ。そうだな」
「詳しい話も聞いていないですけれど、フィビアス女王とはどんな事を話したんですか?」
「対談内容については帰ってから話す。ドラキス王国にとって不利益となる要望は受け入れていない」
「そうですか…。過度な接触もなかったんですよね?」
「魔法の発動を疑うような接触はなかった」

 そう、と呟いて、ゼータは花柄の皿から肉の欠片を拾い上げた。藍色の卓布の敷かれた丸テーブルの上には、2人分の晩餐が載せられている。食べ放題形式ばかりであった黒の城滞在中の食事、最後の晩餐にして初めてとなる侍女の給仕があるフルコースの料理だ。前菜とスープはすでに食べ終え、今2人の前にはそれぞれパンと肉料理の皿が並べられている。食事の共は冷たい茶だ。豪華な晩餐とは言え、明日の旅路に憂いを抱えたままでは酒を嗜む気分にはなれなかったのだ。
 自分の分の肉料理を食べ終えたレイバックが、ゼータの皿から一切れの肉を掠め取る。陰鬱な気分のゼータにとっては腹に余るほどの肉料理だが、肉食獣には物足りなかったようだ。どうせ次に出てくるサラダは自分が貰い受けることになるのだからと、ゼータは半分ほど残した肉料理の皿をレイバックの方に押しやった。

「ゼータは石にされていたんだろう。貴重な魔法に掛けられた気分はどうだ?意識はあったのか?」

 ゼータの分の肉を嬉々として口に運びながら、レイバックは聞いた。ゼータは食べ残していた柔らかなパンを千切りながら、数時間前の記憶を呼び戻す。

「…意識はなかったですね。気が付いたらベッドの上でした」
「悪魔の眼とはどんな眼だ。色は?」
「覚えていないです。一目見て意識を失ったんだと思いますよ。でも、そうか。不慮の事故とはいえとても貴重な機会だったんですよね。ドラキス王国にメデューサはいないはずです。魔法に掛けられる事がわかっていればなぁ…。もう少し意識して見たんですけれど」

 パンを手に項垂れるゼータを見て、レイバックは和やかな笑い声を立てた。彼の王妃の魔法好きは健在である。

 ゼータがささやかな憂いを抱きながらも豪華な晩餐を楽しんでいるのは、対談後のレイバックの様子から一先ずフィビアスに対する疑いを解いたからだ。レイバックがフィビアスと2人きりの対談を終えてからすでに3時間超が経っている。その間ゼータは絶え間なくレイバックと会話を続けているが、魔法に掛けられていると疑いを抱くような言動や行動はただの一つもない。
 フィビアスがレイバックに対談を申し出たのは、隣国の王との友好関係構築のため。マギがゼータを石にしたのは不運な事故。マギが刀を手にしていた事にはいささか疑問が残るが、動けないゼータの護衛に当たるために武器を持っていただけなのかもしれない。何よりもレイバック自身が、フィビアスとの過度な接触はなかったと明言をしているのだ。心配は杞憂であった。急がずとも朝を待てば予定通りの帰路に付く事ができる。

 そう自らを納得させるゼータの脳裏に、一片の不安がこびり付く。ダンスパーティーで出会った白髪の男、あの男の口付けは本当にただの嫌がらせだったのか。絶妙なタイミングで掛けられたマギの魔法は本当に不運な事故なのか。悪魔の眼を持つメデューサの双子がレイバックとゼータの傍仕えとされた事自体が、綿密に練られた計画の一環なのではないか。

 ゼータの思考を遮るように、窓を叩く大きな音がした。強風が窓を叩いている。突然響いた轟音に、レイバックとゼータは食事をする手の動きを止め、かたかたと揺れる窓ガラスを見つめた。

「小国の国王方は無事国に帰り着いたでしょうか」
「どうだろうな。神国ジュリまで休憩を挟んで半日ほどの距離だと言っていたから、そろそろ着いている頃かもしれんな」
「道中で魔獣に襲われて、式典への参列を諦めた国王がいたと言っていましたよね。悪天に見舞われず、怪我もなく帰り着いていると良いですけれど」
「そうだな…。大勢での旅路が安全とは限らない」

 半日前に別れた友の顔が頭をよぎる。次に会えるのはいつになるだろうか。アメシスはバルトリア王国の東部に道を拓くと言っていたが、他の国王らの指示を得るにも相応の時間は掛かるだろう。国壁の建設が終わり、バルトリア王国からの難民問題が解決しているという条件付きの計画なのだから猶更だ。文を貰えばすぐに飛んで行く、とのレイバックの言葉を信じ笑顔で別れた友。次の対顔は数年後か、下手をすれば数十年後か。千切ったパンを口に放り入れ、ゼータは溜息交じりに肩を落とした。

 それからしばらくは、小国地帯に関する話題で2人きりの場は盛り上がりを見せた。ゼータはアメシストダイナ、ラガーニャを除く国王とは込み入った話をする機会はなかったのだが、レイバックは食事や衣装合わせの時間を通して各国の情報を入手していた。11の小国は円滑な交易のために同盟を結んでおり、それぞれの国が違った役割を担っているという。例えば獣人族国家オズトと竜族国家リンロンは小国地帯の武力担当だ。同盟国の中で内乱が巻き起こった場合や、魔獣の群れの襲来があった場合には、オズトとリンロンの戦士が共闘して対処に当たる。2か国を武力担当としているのは、一国に武力が集中する事を防ぐためだ。巨人族国家ゴズも高い戦闘能力を有する民は多いが、農地の開墾や建物の建築と言った場面で力を必要とされる場面が多い。他にも農作物の生産が盛んな国家、洋裁の技術に長けた国家、茶葉やコーヒーの生産が盛んな国家など、それぞれの国家が固有の役割を担っている。神国ジュリは11国の総括であると共に、治癒魔法の施術を望める巨大診療所が国家の中心部に門扉を開いているという。

 バルトリア王国東部に道が拓けば、ドラキス王国の民の生活は大きく変わる。現在ドラキス王国内に入ってくる他国からの交易品と言えば、ロシャ王国から輸入される食品と被服、工芸品程度の物だ。もし数十年の先に小国地帯との交易が可能になり、11国からの交易品が入って来れば、ポトスの街の市場は随分と賑やかになる。安全な道が拓けば魔族の民の旅行先にもなるし、移住先としての選択肢にもなる。バルトリア王国が国壁に覆われ閉ざされた国になるのだとしても、道が拓き小国地帯との交易が可能になるのならば、さしたる不便はないとレイバックは言う。

「結局アメシス殿も、国壁の建設には前向きという事ですよね。フィビアス女王の施策には随分と批判的でしたけれど」

 食後の甘味をつつきながらゼータは言った。食事中に飲んでいた冷茶は下げられ、甘味の皿の横には温かな紅茶が湯気を立てている。レイバックはと言えば小さな甘味を当に平らげ、皿に残る菓子屑をフォークで一点に寄せ集めていた。

「他の国王らが乗り気だからな。同盟を結んでいる以上、足並みを揃えぬ訳にはいかないと言っていた。神国ジュリは同盟国の中では最も強い発言権を持つが、それゆえに意見を押し込めねばならぬ事もある。たった一国の意志で、他の同盟国の決定を覆しかねないからな」
「でも今回の国壁に関しては、どの国も心底乗り気と言うわけではないですよね。難民問題を解決するために仕方なくというだけで」
「そうだな。フィビアスのやり方は気に食わんが、自国の民のためにやむを得ず統治を認める、と言った所で足並みが揃っている」
「…仕方のない事だとはわかっていますけれど、やはりバルトリア王国の民が気の毒です。折角念願の王が立ったというのに。何とかならないんでしょうか」

 菓子屑をフォークの先にのせたレイバックは、ゼータに向けてちらと視線を送る。良い手があれば言って見ろ。緋色の瞳はそう促している。

「例えば…小国地帯の国王とレイの連名で国壁建設反対の要望書を提出するとか。国壁を建設せずとも、バルトリア王国が豊かになれば難民問題は解決しますよね。長い時間は掛かりますけれど」
「そうだな。フィビアスが正しく国を治めるならばそれも可能だろう。しかし彼女の話を聞く限り、バルトリア王国に明るい未来は望めない。だから国王らは確実な手段を選んだ。フィビアスがいかなる悪政を敷いたとしても、国壁があれば小国地帯が不利益を被る事はない」
「自国の民のために、バルトリア王国の民を犠牲にするという事ですか?」
「そうだ」

 菓子屑を綺麗に平らげた皿にフォークを置き、レイバックは紅茶のカップを手に取る。白煙の立ち昇る紅茶は、喉に流し込むにはまだ少しばかり熱そうだ。ふぅ、とレイバックは紅茶の水面に息を吹きかける。

「可笑しなことではない。国王は自らの民を第一に考え、国家の指揮を執らねばならん。余力があれば他国に目を向けることもあるがな。しかし今小国地帯に国王に、バルトリア王国の民を顧みる余裕はない。それほどに難民問題が切迫した状況なんだろう」
「レイは、フィビアス女王に何と言ったんですか?」
「ん?」
「対談の中で国壁建設への協力を求められたんじゃないですか。何と答えたんですか」
「対談内容については帰ってから話す。ドラキス王国にとって不利益となる要望は受け入れていない」

 レイバックの言葉に違和感を覚え、ゼータは口を噤んだ。なぜ流れるような会話の中で、突然質問の答えを後回しにするのだ。加えてレイバックは同様の言葉を先ほども口にしなかっただろうか。一字一句違わぬ言葉を。

「レイ。あの…対談ではどんな事を話したんですか?」
「対談内容については帰ってから話す。ドラキス王国に取って不利益となる要望は受け入れていない」
「…対談中に魔法の発動を疑うような接触は?」
「魔法の発動を疑うような接触はなかった」
「抱擁をされたり、口付けを求められたりはしなかった?」
「魔法の発動を疑うような接触はなかった」

 ぞわり。全身に鳥肌が立ち、ゼータは勢いよく席を立った。弾かれた椅子が柔らかな絨毯の上に倒れる。テーブルの上のカップが揺れ、琥珀色の液体が卓布の上に零れ落ちる。突然立ち上がったゼータの顔と、テーブルに零れた紅茶の水滴を、レイバックは交互に見つめた。

「…どうした」
「どうしたって。レイ、おかしいじゃないですか」
「おかしい?何か変な事を言ったか?」

 レイバックは不可解な面持ちで、ゼータの顔を見つめる。同じ言葉を人形のように繰り返したにも関わらず、自身の発言を異常と感じていないのだ。やはり罠だったのだ、ゼータはその時初めて確信を持つ。マギがゼータを石にしたことは、やはり巧妙に仕組まれた罠だったのだ。2人きりの対談の最中に、フィビアスはレイバックに惑わしの術をかけた。そしてゼータがその事実に気が付かないようにと、レイバックを相手にこう命じたのだ。
―魔法の発動や身体の接触について問われれば「魔法の発動を疑うような接触はなかった」と答えなさい。対談内容について問われれば「対談内容については帰ってから話す。ドラキス王国に取って不利益となる要望は受け入れていない」と―

「レイ、客室に戻りましょう」
「甘味が食べかけだが良いのか?」
「良いから…戻りましょう。お願いです」

 自身の発言を異常とは感じずとも、声を震わせ懇願するゼータの異常は感じ取ったようだ。レイバックは黙って頷き、まだ熱の残る紅茶を一口口に含み席を立った。
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