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荒城の夜半に龍が啼く
情報屋-2
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諍いの仲裁が済んでも、店主はすぐにカウンター台には戻らなかった。店内にある7つのテーブルを順に回り、空いた皿やグラスを集めて回る。先ほど酒の給仕を行っていた女性店員は、今はその姿が見えない。カウンター近くにある厨房の出入り口からは調理音が聞こえてくるから、恐らくつまみ作りの真っ最中なのだ。店主が給仕から戻るまで、情報収集は一時中断。レイバックはカウンター台に置かれたカクテルグラスに左手を触れる。お勧めを、と頼んで提供された菫色の酒だ。清楚な見た目に違い、グラスの水面からは濃いアルコールが香る。かなり強い酒だ。菫色の水面を一舐めするレイバックの横では、ゼータが盛大に咳き込んでいた。その右手には中身が半分程まで減ったカクテルグラス。殺人的な火酒です。咳き込みの間に、ゼータの口からは散々な評価が漏れる。レイバックは一舐めしただけの自身のグラスを、さも同然とゼータの前に差し出した。
「俺の分も頼む。飲酒飛行は危険極まりない」
「そう思うなら初めから頼まないでくださいよ…」
ゼータはそう愚痴を零しながらも、1杯目となる菫色の酒を一気に飲み干した。次いでレイバックの分のグラスに手を伸ばす。後に1時間の空の旅が控えていることを考えれば、ゼータとて過度の飲酒は避けたいところ。しかし情報だけを買って給仕された酒を残しては、店主も良い気はしないであろう。途中何度か咳き込みながらもゼータが2人分の酒を腹に収めれば、その直後カウンター台には店主が戻ってくる。両手手指にいくつもの空のグラスを挟み込んだ店主は、カウンター台に載せられた2つの空のグラスを見て驚きの声を上げた。
「ねぇちゃん、俺の出した酒を飲んだのか。まさか2人分?」
「隣の彼はあまり酒が得意じゃないんです。美味しかったです、ご馳走様」
指先にグラスを挟み込んだまま、店主はゼータの顔をまじまじと見つめる。それから空となった2つのカクテルグラスを見下ろし、次の瞬間には大気を震わす豪快な笑い声をあげた。一体何事だと、店内の客人がカウンター台へと視線を送る。
「こりゃ非礼を詫びにゃならんな。済まなかった。アンタらに出した酒は、本当はお勧めでも無い。短時間で酔いを回すためだけの安酒だ」
「…安酒?」
なぜお勧めの酒を頼んだはずが、安物の火酒を提供されたのだ。レイバックとゼータは揃って首を傾げる。笑いの発作が治まらぬまま、店主はカウンター台背面の酒棚から小さなグラスを取り出した。それは吟醸酒を飲むための猪口よりもさらに小さい、ガラス製のショットグラスだ。容量で言えばカクテルグラスの1/3もない。
「あの酒は、普段はこっちのグラスで給仕する。店の常連が手遊びの罰ゲームなんぞによく利用しているな。だが俺はとある理由から、旅人と思しき人物がお勧めの酒を注文した時にもあの酒を給仕する。小さなショットグラスではなく、カクテルグラスでな」
「差し支えなければ、理由を教えていただいても宜しいか?」
「良いとも。初めてリーニャを訪れた旅人が、情報を買いに来るというのは多々ある出来事だ。だが旅人という奴らは総じて礼儀がなっていない。呑み屋に入ったのだからと反射的に酒を頼む。しかし望んだ情報を得れば満足し頼んだ酒は残す。丹精込めて作った酒を残されては、俺も気分が悪いだろう?だから旅人にお勧めの酒を頼まれた時には、この火酒を出すことにしているんだ。嫌がらせでな」
「嫌がらせ…」
上機嫌に鼻歌など歌いながら、店主はレイバックとゼータに背を向けた。天井まで届く酒棚から数本の瓶を下ろし、カウンター台の上に次々と並べる。加えて未使用のカクテルグラスと、保冷庫から取り出した角切りの果実。それらの材料から鮮やかな手付きで作り出されるは、やはり芸術品を思わせる見事な酒だ。澄んだ円柱状のグラスの中身は、水面が空色、水底は青葉色。2色の液体はグラスの中腹辺りで混じり合い、美しいグラデーションを描く。水面には涼やかな球体の氷の他に、彩鮮やかな果実の角切りが浮かぶ。苺に林檎にキウイに桜桃。グラスから漂うは消毒液を思わせるアルコールではなく、食欲そそる爽やかな果実の香りだ。その魅惑的な一杯が、ゼータの目の前に滑り込む。
「これが本当のお勧めだ。兄ちゃんには果実水を入れよう。待っていてくれ」
そう告げると、店主は2つ目となる空のカクテルグラスをカウンター台にのせる。磨き上げられたグラスが橙色の液体で満たされる間に、ゼータは先に差し出されたカクテルグラスに唇を付けた。口内に広がるは爽やかなミントの風味。そこに数種類の果実の甘みが混じり合う。ただ酔いを回すためだけの安酒とは、味も香りも雲泥の差だ。
「とても美味しいです」
ゼータが笑えば、店主も腹を揺らして豪快に笑う。
「そうだろう。一日に20杯は出る人気の酒だ。さてアンタら、他に何か聞いておきたいことはあるか?金貨一枚を前金として頂いているし、今の俺は気分が良い。大概の質問には追加料金なしで答えるぜ」
店主の言葉に、レイバックはふむと考え込む。この場はバルトリア王国に係る貴重な情報収集の機会だ。一度黒の城に入城してしまえば、即位式と2か国対談を終えるまで出ることは叶わない。例え黒の城滞在中何かしらの情報収集を行おうとしたとしても、それをする相手は各国の国王と黒の城滞在者の他にいない。得られる情報には相当の偏りがあるだろう。
真実に近い情報を望むのであれば、今この場で店主の言を得るが吉。レイバックは隣に立つゼータの表情を一瞥し、それから上機嫌の店主に言葉を向ける。
「新王がサキュバスであるとの噂を聞いた。貴方はこの噂をどう考える」
「悪いがそりゃ完全なガセ情報だ。サキュバスは王にはなれない」
「なぜだ。サキュバスは狡猾的であり、多種族に厭われるからか」
―サキュバスは王には成り得ない
メリオンの言葉がレイバックの脳裏を巡る。不愉快を露わにしたつもりはない。しかしレイバックの眼差しに籠る怒りを、店主は敏感に感じ取ったようだ。
「兄ちゃん。アンタ、サキュバスの知り合いでもいるのかい?」
店主の問いにレイバックは答えない。場の空気が険悪となっては不味いと慌てて口を開く者は、右手に空色のグラスを持ち上げたままのゼータだ。
「ドラキス王国にはサキュバスがいないんです。私達からすると、特定の種族が蔑まれるという感覚が理解できないんですよ」
「そういえばドラキス王国のレイバック国王殿は、稀代の博愛主義者であったか。異端の種族を恐れずとも民の心が平和であるというのは、俺達にすれば俄かには信じがたい話だ。兄ちゃん、気を悪くするなよ。サキュバスが狡猾的であり、異端と蔑まれるのはバルトリア王国における常識だ。奴らは善悪の基準が俺達とは違うのさ」
レイバックは緋色の瞳を細め、剃刀に似た店主の眼をじっと見つめる。
「…どういう意味だ」
「兄ちゃん、アンタ魔法は得意かい」
「いや、殆ど使えない」
「酒豪のねぇちゃんは?」
そう店主に問い掛けられたときのゼータはと言えば、グラスに残る果実を口内に流し込んだ直後であった。アルコールの浸み込んだ苺と桜桃をもぐもぐと咀嚼し、ゼータはようやっと口を開く。魔法について語ることはゼータの十八番。魔法が得意かと問われれば、返す答えはどこか自慢げだ。
「得意ですよ。大概の生活魔法は苦労なく使えます」
「そうかい。ではもし旅の道中で盗賊に襲われたらどうする」
「どうするって…逃げるか倒すかのどちらかです。幸い攻撃魔法も多少は会得していますし」
「そうだろうとも。身を守るために己の持てる技を使うことは、至極同然だ。では仮にアンタがろくな攻撃魔法を使えず、持てる技が人を惑わす術だけだとしたらどうする。盗賊や暴漢に襲われたとき、その技を駆使して生き延びようとは思わないかい?」
「それは…」
もちろんそうします、とは言えずにゼータは黙り込む。
「つまりはそういう事さ。サキュバスの本質は悪ではない。彼らは己の生命を守るために、ただ持てる技を行使しているだけなのさ。だがその技が多種族から厭われる。人の下僕に下ることを良しとする者などいない。だからサキュバスは嫌われる。持てる技が特異であるがゆえに多種族から厭われ、時には差別の対象となる。さらにサキュバスは惑わしの術の他にもう一つ、特異の技を持つ。正式な呼び名は知らんが、多種族から魔力を奪う技だ。聞くところによればサキュバスは多種族の雄と身体を繋げることにより、その有する魔力を奪い取るのだという。この技がまた悪い。サキュバスは惑わしの術により多種族の雄を支配下におき、魔力を奪うことで力を蓄える。集落中の雄を魔法の支配下におき、強大な力を蓄えていたサキュバスの話も言い伝えられているぜ。そうした姿が多種族にとっては狡猾的と映る。本来であれば身を守るための技がサキュバスを社会から孤立させ、だからこそサキュバスは技を使わねば生きてはいけない。悪循環だな。恐ろしくもあるが、同時に酷く哀れな種族だ」
店主が憐れみ交じりに言葉を終えたとき、レイバックは店の壁に掛かる時計を見上げた。矢印型の短針は正午を少し回ったところ。リーニャの街への滞在時間は1時間程を予定していたが、行程前半部の遅れを考慮すれば、あまり長居をすることはできない。黒の城へは事前に到着予定時刻を伝えてある。城への到着時刻が大幅に遅れ込めば、フィビアスを含む黒の城の関係者にも迷惑が掛かるのだ。レイバックは名残惜し気に、空となったカクテルグラスを店主の腹元に差し出す。
「貴重な情報に感謝する。もう少し貴方と話をしたいところではあるが、先を急ぐ旅でな。これで失礼させてもらう。酒の代金はいくら支払えば良い?」
「酒は俺の奢りだ。アンタら中々気に入った。リーニャを訪れる機会があれば、ぜひまたうちに立ち寄ってくれ。特にそっちのねぇちゃん、アンタ程の酒豪はリーニャの街でも類を見ない。万が一リーニャに移住することがあれば一言声を掛けてくれ。良い働き口を紹介してやろう」
意外な場所でまさかの高評価だ。ありがとうございます、とゼータは笑顔で礼を述べる。足元の旅行かばんを持ち上げ、レイバックとゼータはカウンター台に背を向ける。そうして賑やかな店内を数歩出口に向けて歩み、ふとした瞬間にレイバックは歩みを止める。振り返る先には、両腕に数本の酒瓶を抱え込んだ店主がいる。
「最後に一つ聞きたい。惑わしの術の発動条件を知っているか?」
腕の中の酒瓶をカウンター台の上に下ろしながら、店主は答える。
「残念ながら知らない。サキュバスは魔法の発動条件を決して他種族には漏らさない」
その答えは予想していたものだ。望んだ情報を得られずともレイバックの表情に落胆の色はなく、手短な謝意を述べた後、再度カウンター台に背を向けた。
去り行く2人の旅人の背を、良い客人に出会えたと上機嫌の店主は見送った。
その日の夕刻のことである。リーニャの街でとある噂が囁かれる。それは街の西方に位置する、三日月湖の湖畔におけるドラゴンの目撃情報だ。隣国ドラキス王国の国王と同じ姿をしたその緋色のドラゴンは、奇妙なことにも背に人を乗せ、湖畔に降り立ちまた飛び去って行ったのだという。この噂を耳にした件の店主は激しく狼狽える。本日の正午頃、店を訪れた2人組。ドラゴン王国の使節を名乗る2人組の一方は、彼の国の国王と同じ燃えるような緋色の髪を有していた。ともすればあの人物が、稀代の名君と名高いレイバック国王その人であったのか。それとも彼らの名乗る通り、黒の城に贈物を届ける一介の官吏であったのか。店主は情報網を駆使し必死に情報を集めるも、結局真実は謎のまま。
「俺の分も頼む。飲酒飛行は危険極まりない」
「そう思うなら初めから頼まないでくださいよ…」
ゼータはそう愚痴を零しながらも、1杯目となる菫色の酒を一気に飲み干した。次いでレイバックの分のグラスに手を伸ばす。後に1時間の空の旅が控えていることを考えれば、ゼータとて過度の飲酒は避けたいところ。しかし情報だけを買って給仕された酒を残しては、店主も良い気はしないであろう。途中何度か咳き込みながらもゼータが2人分の酒を腹に収めれば、その直後カウンター台には店主が戻ってくる。両手手指にいくつもの空のグラスを挟み込んだ店主は、カウンター台に載せられた2つの空のグラスを見て驚きの声を上げた。
「ねぇちゃん、俺の出した酒を飲んだのか。まさか2人分?」
「隣の彼はあまり酒が得意じゃないんです。美味しかったです、ご馳走様」
指先にグラスを挟み込んだまま、店主はゼータの顔をまじまじと見つめる。それから空となった2つのカクテルグラスを見下ろし、次の瞬間には大気を震わす豪快な笑い声をあげた。一体何事だと、店内の客人がカウンター台へと視線を送る。
「こりゃ非礼を詫びにゃならんな。済まなかった。アンタらに出した酒は、本当はお勧めでも無い。短時間で酔いを回すためだけの安酒だ」
「…安酒?」
なぜお勧めの酒を頼んだはずが、安物の火酒を提供されたのだ。レイバックとゼータは揃って首を傾げる。笑いの発作が治まらぬまま、店主はカウンター台背面の酒棚から小さなグラスを取り出した。それは吟醸酒を飲むための猪口よりもさらに小さい、ガラス製のショットグラスだ。容量で言えばカクテルグラスの1/3もない。
「あの酒は、普段はこっちのグラスで給仕する。店の常連が手遊びの罰ゲームなんぞによく利用しているな。だが俺はとある理由から、旅人と思しき人物がお勧めの酒を注文した時にもあの酒を給仕する。小さなショットグラスではなく、カクテルグラスでな」
「差し支えなければ、理由を教えていただいても宜しいか?」
「良いとも。初めてリーニャを訪れた旅人が、情報を買いに来るというのは多々ある出来事だ。だが旅人という奴らは総じて礼儀がなっていない。呑み屋に入ったのだからと反射的に酒を頼む。しかし望んだ情報を得れば満足し頼んだ酒は残す。丹精込めて作った酒を残されては、俺も気分が悪いだろう?だから旅人にお勧めの酒を頼まれた時には、この火酒を出すことにしているんだ。嫌がらせでな」
「嫌がらせ…」
上機嫌に鼻歌など歌いながら、店主はレイバックとゼータに背を向けた。天井まで届く酒棚から数本の瓶を下ろし、カウンター台の上に次々と並べる。加えて未使用のカクテルグラスと、保冷庫から取り出した角切りの果実。それらの材料から鮮やかな手付きで作り出されるは、やはり芸術品を思わせる見事な酒だ。澄んだ円柱状のグラスの中身は、水面が空色、水底は青葉色。2色の液体はグラスの中腹辺りで混じり合い、美しいグラデーションを描く。水面には涼やかな球体の氷の他に、彩鮮やかな果実の角切りが浮かぶ。苺に林檎にキウイに桜桃。グラスから漂うは消毒液を思わせるアルコールではなく、食欲そそる爽やかな果実の香りだ。その魅惑的な一杯が、ゼータの目の前に滑り込む。
「これが本当のお勧めだ。兄ちゃんには果実水を入れよう。待っていてくれ」
そう告げると、店主は2つ目となる空のカクテルグラスをカウンター台にのせる。磨き上げられたグラスが橙色の液体で満たされる間に、ゼータは先に差し出されたカクテルグラスに唇を付けた。口内に広がるは爽やかなミントの風味。そこに数種類の果実の甘みが混じり合う。ただ酔いを回すためだけの安酒とは、味も香りも雲泥の差だ。
「とても美味しいです」
ゼータが笑えば、店主も腹を揺らして豪快に笑う。
「そうだろう。一日に20杯は出る人気の酒だ。さてアンタら、他に何か聞いておきたいことはあるか?金貨一枚を前金として頂いているし、今の俺は気分が良い。大概の質問には追加料金なしで答えるぜ」
店主の言葉に、レイバックはふむと考え込む。この場はバルトリア王国に係る貴重な情報収集の機会だ。一度黒の城に入城してしまえば、即位式と2か国対談を終えるまで出ることは叶わない。例え黒の城滞在中何かしらの情報収集を行おうとしたとしても、それをする相手は各国の国王と黒の城滞在者の他にいない。得られる情報には相当の偏りがあるだろう。
真実に近い情報を望むのであれば、今この場で店主の言を得るが吉。レイバックは隣に立つゼータの表情を一瞥し、それから上機嫌の店主に言葉を向ける。
「新王がサキュバスであるとの噂を聞いた。貴方はこの噂をどう考える」
「悪いがそりゃ完全なガセ情報だ。サキュバスは王にはなれない」
「なぜだ。サキュバスは狡猾的であり、多種族に厭われるからか」
―サキュバスは王には成り得ない
メリオンの言葉がレイバックの脳裏を巡る。不愉快を露わにしたつもりはない。しかしレイバックの眼差しに籠る怒りを、店主は敏感に感じ取ったようだ。
「兄ちゃん。アンタ、サキュバスの知り合いでもいるのかい?」
店主の問いにレイバックは答えない。場の空気が険悪となっては不味いと慌てて口を開く者は、右手に空色のグラスを持ち上げたままのゼータだ。
「ドラキス王国にはサキュバスがいないんです。私達からすると、特定の種族が蔑まれるという感覚が理解できないんですよ」
「そういえばドラキス王国のレイバック国王殿は、稀代の博愛主義者であったか。異端の種族を恐れずとも民の心が平和であるというのは、俺達にすれば俄かには信じがたい話だ。兄ちゃん、気を悪くするなよ。サキュバスが狡猾的であり、異端と蔑まれるのはバルトリア王国における常識だ。奴らは善悪の基準が俺達とは違うのさ」
レイバックは緋色の瞳を細め、剃刀に似た店主の眼をじっと見つめる。
「…どういう意味だ」
「兄ちゃん、アンタ魔法は得意かい」
「いや、殆ど使えない」
「酒豪のねぇちゃんは?」
そう店主に問い掛けられたときのゼータはと言えば、グラスに残る果実を口内に流し込んだ直後であった。アルコールの浸み込んだ苺と桜桃をもぐもぐと咀嚼し、ゼータはようやっと口を開く。魔法について語ることはゼータの十八番。魔法が得意かと問われれば、返す答えはどこか自慢げだ。
「得意ですよ。大概の生活魔法は苦労なく使えます」
「そうかい。ではもし旅の道中で盗賊に襲われたらどうする」
「どうするって…逃げるか倒すかのどちらかです。幸い攻撃魔法も多少は会得していますし」
「そうだろうとも。身を守るために己の持てる技を使うことは、至極同然だ。では仮にアンタがろくな攻撃魔法を使えず、持てる技が人を惑わす術だけだとしたらどうする。盗賊や暴漢に襲われたとき、その技を駆使して生き延びようとは思わないかい?」
「それは…」
もちろんそうします、とは言えずにゼータは黙り込む。
「つまりはそういう事さ。サキュバスの本質は悪ではない。彼らは己の生命を守るために、ただ持てる技を行使しているだけなのさ。だがその技が多種族から厭われる。人の下僕に下ることを良しとする者などいない。だからサキュバスは嫌われる。持てる技が特異であるがゆえに多種族から厭われ、時には差別の対象となる。さらにサキュバスは惑わしの術の他にもう一つ、特異の技を持つ。正式な呼び名は知らんが、多種族から魔力を奪う技だ。聞くところによればサキュバスは多種族の雄と身体を繋げることにより、その有する魔力を奪い取るのだという。この技がまた悪い。サキュバスは惑わしの術により多種族の雄を支配下におき、魔力を奪うことで力を蓄える。集落中の雄を魔法の支配下におき、強大な力を蓄えていたサキュバスの話も言い伝えられているぜ。そうした姿が多種族にとっては狡猾的と映る。本来であれば身を守るための技がサキュバスを社会から孤立させ、だからこそサキュバスは技を使わねば生きてはいけない。悪循環だな。恐ろしくもあるが、同時に酷く哀れな種族だ」
店主が憐れみ交じりに言葉を終えたとき、レイバックは店の壁に掛かる時計を見上げた。矢印型の短針は正午を少し回ったところ。リーニャの街への滞在時間は1時間程を予定していたが、行程前半部の遅れを考慮すれば、あまり長居をすることはできない。黒の城へは事前に到着予定時刻を伝えてある。城への到着時刻が大幅に遅れ込めば、フィビアスを含む黒の城の関係者にも迷惑が掛かるのだ。レイバックは名残惜し気に、空となったカクテルグラスを店主の腹元に差し出す。
「貴重な情報に感謝する。もう少し貴方と話をしたいところではあるが、先を急ぐ旅でな。これで失礼させてもらう。酒の代金はいくら支払えば良い?」
「酒は俺の奢りだ。アンタら中々気に入った。リーニャを訪れる機会があれば、ぜひまたうちに立ち寄ってくれ。特にそっちのねぇちゃん、アンタ程の酒豪はリーニャの街でも類を見ない。万が一リーニャに移住することがあれば一言声を掛けてくれ。良い働き口を紹介してやろう」
意外な場所でまさかの高評価だ。ありがとうございます、とゼータは笑顔で礼を述べる。足元の旅行かばんを持ち上げ、レイバックとゼータはカウンター台に背を向ける。そうして賑やかな店内を数歩出口に向けて歩み、ふとした瞬間にレイバックは歩みを止める。振り返る先には、両腕に数本の酒瓶を抱え込んだ店主がいる。
「最後に一つ聞きたい。惑わしの術の発動条件を知っているか?」
腕の中の酒瓶をカウンター台の上に下ろしながら、店主は答える。
「残念ながら知らない。サキュバスは魔法の発動条件を決して他種族には漏らさない」
その答えは予想していたものだ。望んだ情報を得られずともレイバックの表情に落胆の色はなく、手短な謝意を述べた後、再度カウンター台に背を向けた。
去り行く2人の旅人の背を、良い客人に出会えたと上機嫌の店主は見送った。
その日の夕刻のことである。リーニャの街でとある噂が囁かれる。それは街の西方に位置する、三日月湖の湖畔におけるドラゴンの目撃情報だ。隣国ドラキス王国の国王と同じ姿をしたその緋色のドラゴンは、奇妙なことにも背に人を乗せ、湖畔に降り立ちまた飛び去って行ったのだという。この噂を耳にした件の店主は激しく狼狽える。本日の正午頃、店を訪れた2人組。ドラゴン王国の使節を名乗る2人組の一方は、彼の国の国王と同じ燃えるような緋色の髪を有していた。ともすればあの人物が、稀代の名君と名高いレイバック国王その人であったのか。それとも彼らの名乗る通り、黒の城に贈物を届ける一介の官吏であったのか。店主は情報網を駆使し必死に情報を集めるも、結局真実は謎のまま。
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