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荒城の夜半に龍が啼く
会談を望む声
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その文が届いたのは、バルトリア王国訪問を3日後に控えた日の正午頃のことであった。
王宮の3階に位置する王の執務室。部屋の中央に置かれた応接用のソファには、部屋の主であるレイバックが鎮座している。対となるソファの片隅には国家のナンバー2であるザトの姿が、そして2人の間に置かれたガラス造りのテーブルには開封済みの黒封筒がのせられていた。
部屋の扉が開く。駆け込むように部屋に入る者は、バルトリア王国遠征において重要な知識人となるメリオンである。メリオンは扉の前で息を整えた後に、レイバックの元へと歩み寄る。
「参上が遅れ申し訳ありません。所用で執務室を空けておりました」
「構わん。突然呼び出したのは俺の方だ」
「バルトリア王国からまた文が届いたと伺いました」
「そうだ。文が届くことに問題はないんだが、内容が少々気になってな」
レイバックの指先は机上の封筒を掴み上げた。差し出された封筒を受け取ったメリオンは、無言のまま封筒の内部から1枚の便箋を取り出す。飾り気のない真っ白な便箋に視線を走らせるたびに、メリオンの表情には疑念が滲んでゆく。
「2か国対談の提案?なぜ今頃になって?」
「やはりそう感じるだろう。対談自体は嬉しい提案である…が、出発日は3日後に迫っている。なぜこんなぎりぎりになって提案をしてきたものか」
メリオンの灰色の瞳は、何度も何度も紙面を滑る。そこに書かれている一文はこうだ。
―即位式の翌日午後、2か国対談を開催されたし。ドラキス王国国王レイバック、バルトリア王国新女王フィビアス、他者を交えぬ密談により2国の緊密な友好関係構築を望む
離接する大国同士という間柄を考えれば、対談の提案自体は奇妙ではない。新参の王フィビアスが、千余年大国を治めるレイバックに、教えを求めることは山のようにあるだろう。そうであると理解はできても、提案のタイミングがいささか奇妙である。なぜ、今になって?呟くメリオンに、レイバックが語り掛ける。
「ゼータの要望もあり、黒の城への滞在は最小限に抑えている。式典の前々日に黒の城に入り、式典が終わった翌日には黒の城を発つ手筈でいたんだ。他の国王方も同様の日程で黒の城に滞在することは、事前の文のやり取りで確認済みだ。つまり対談の提案を受け入れれば、俺達だけ帰国日がずれてしまうんだ。他の国王方が帰路に着く中、俺とゼータだけが黒の城に残される。呪いなどという物が存在しないのだとしても、あまり良い気はしなくてな」
「…何か目的があるのでしょう。フィビアス女王はただ闇雲に対談を望んでいるのではない。他国の国王方には聞かせられぬ2か国対談の目的がある」
「恐らくはそうなのであろうな。バルトリア王国を治めるとなれば前途は多難であろうし、できる限りの協力はしてやりたいと思う。しかし如何せん、提案の時期が奇妙でな…」
不安げなレイバックの言葉に、ザトが続く。
「フィビアス女王は外交というものを何も解っていない。国王同士の対談となれば、護衛兼議事録作成係として数名の官吏を供につけることが普通でしょう。我々は王と王妃の二人旅ということで旅路の準備を進めておりましたから、今からでは護衛の数を増やすことは叶いません。そのことは先方とて承知の上のはずです。これではまるで―」
言い掛けて、ザトは口を噤む。これではまるで、我々が護衛を付けられぬことを承知の上で2か国対談の提案をしたようだ。旅路の変更をさせぬために、提案の時期をぎりぎりまで引き延ばして。
王。ガラステーブルの脇に立ち竦んだまま、メリオンは言う。
「獣人族長が、黒の城への文の運搬を請け負ったのでしょう。城内の状況に関し気に掛かることは申しておりませんでしたか。例えば軍部の動きが活発である、例えば家臣が新女王に陶酔している様子がある。どんな些細なことでも構いません」
「獣人族長に対しては、帰国後に綿密な聞き取りを行っている。黒の城城内の様子は俺も気に掛かるところであるからな。しかし城全体が忙しない様子であった、商人の出入りが盛んであったという以上の報告は受けていない」
「ではフィビアス女王の人となりは。文の献上に際し、顔を合わせる機会はありませんでしたか」
「最初の文を届けた際に、一言二言言葉を交わす機会があったとは言っていた。藍色の髪の美しい女性であるとの報告は受けているが、人となりを問われるとな…」
レイバックは唇に指先を当て、考え込む。獣人族長ガルーラは今日に至るまで3度、単身黒の城へと赴いている。最初の一度は即位式参列を伝える文を携えて、2度目は黒の城への滞在日程を調整するために、そして3度目は即位式参列に伴う衣装貸し出しを乞うために。巨大な白虎へと姿を変えたガルーラは、疾風のごとく数十里の道程を駆けたのだ。ガルーラが多忙なフィビアス新女王と対面を果たしたのは、レイバックとゼータの即位式典参列を伝えた最初の訪問時だけ。一体彼の王の人となりは如何ようであるかと、レイバックは必死でガルーラの報告を思い起こす。
「俺とゼータの即位式参列を大層喜んでいる様子であったとか…話し方は丁寧であったとか…あとは、そうだ。フィビアス女王は悪魔族に属する者であるらしいな。それもゼータと揃いのサキュバスだ」
サキュバス、そう伝えるレイバックの声は喜びに弾む。しかし返すメリオンの声音は緊張感を孕む。
「…サキュバス?それは真でございますか?」
「女王本人がサキュバスを名乗ったと聞いている。まず間違いのない情報だ。…が、フィビアス女王がサキュバスであることに何か問題があるか?」
レイバックの問い掛けに、メリオンは俯き考え込む。尖った犬歯が唇を嚙み、灰色の両眼は言葉を探すように宙を彷徨う。無言の時は数十秒と続き、やがてメリオンはレイバックの対面となる席に腰を下ろした。隣には不安げな面持ちのザトがいる。薄い唇が開かれるとき、辺りは得も言われぬ緊張感に満ちている。
「王。これから私が語るはバルトリア王国における一般的な認識でございます。決して私個人の意見、偏見ではございません。その事実を承知の上で少々耳をお貸しいただきたい」
「…承知した」
レイバックはぴんと背筋を伸ばし、ザトまでもが表情を引き締める。
「まずは結論から。2か国対談については断りの返事をお入れください。返事の文が間に合わなければ、式典参列時に直接辞退を告げられても良い。何にせよ、フィビアス女王と2人きりで顔を合わせることはお避け下さい」
「そう判断するに至った理由は?」
「どうぞ冷静にお聞きくださいませ。サキュバスという種族は、バルトリア王国では多種族から厭われます。狡猾的、卑俗と称され時には差別の対象と成り得る種族なのです。サキュバスが王座に就くなどということは通常であればあり得ない。王座を狙い黒の城へ侵入した時点で、即座に首を刎ねられて終いでしょう」
「あり得ない?しかし現実にフィビアス女王は王座に就いている。即位式を催すのだと文まで寄越しているんだ。まさか反抗的な家臣を全て討ち、たった一人で国政の場を支配しているわけではあるまい」
「討ち取ったのではありません。魔法により服従下に置いているのです。惑わしの術と呼ばれる、サキュバス特異の技です。特定の手順を踏むことにより多種族を支配下に置き、己の意のままに操る。この特異の技を持つがゆえにサキュバスは多種族に厭われ、恐れられているのです」
惑わしの術、それはメリオンがクリスに語らなかったサキュバスの技。隣国バルトリア王国で、サキュバスという種族が厭われる最大の理由だ。長く統治者が不在であったバルトリア王国で、法は人々の生活を守らない。平穏な生活を守る物は己の拳であり、剣であり、そして魔法だ。必然的に弱者は淘汰され、強者は敬われ、そして異端の者は排除される。それは平和に暮らすドラキス王国の民が、千年のうちに忘れてしまった人としての本能。人の心を惑わし僕のごとく操らんとするサキュバスは、異端として排除される種族の筆頭例なのだ。
惑わしの術、レイバックは繰り返す。
「なるほど、サキュバス特異の技か。だがしかし魔法による使役は必ずしも悪か?精霊族や幻獣族の中には、特定の魔獣を使役し操る者がいる」
「サキュバスが支配するものは魔獣ではありません。彼らは同族である魔族を―」
「理解している。しかし今回の例を考えてみよ。黒の城は内部に多数の官吏を抱えながらも、彼らは1200年もの間まともな国政を行っていなかった。フィビアス女王が彼らを支配し国政の場を取り戻したとなれば、それは悪しき行いか?バルトリア王国の国土を正常化するために、持てる技を使った。ただそれだけのことであろう」
「尤もなお言葉でございます。しかし私の憂慮は黒の城の者がフィビアス女王に支配されていることではありません。フィビアス女王が、ドラキス王国の守り神簒奪を目論むこと。2か国対談の場を利用し、レイバック王に惑わしの術を掛けようとする可能性でございます」
「それは、流石に」
「ない、と言い切れましょうか。そもそも対談の提案時期が妙なのです。ザト殿の言う通り、国王同士の対談の場には護衛の官吏を付けることが常。複数の国王方が参加する大規模会談ならばまだしも、2国の国王が一対一で密談を行うなど通常では有り得ません。それも初対面の国王同士が。この対談の裏には必ずや、悪しき目的が隠されています」
必死の説得にあたるメリオンの横では、ザトがその通りだとばかりに頷いている。家臣2人結託にも関わらず、しかしレイバックは頑なに主張を譲らない。
「式典の準備に忙殺され、対談の開催にまで頭が回らなかった可能性もある。もしこれがロシャ王国次期国王アムレット皇太子からの提案であったのなら、俺はそう解釈しただろう」
「アムレット皇太子の人となりはわかっております。悪意を疑う必要はない。しかし今相手にする者は純朴な人間の皇太子ではありません。狡猾なサキュバスの女王なのです。私の本心を申せば、対談だけではなく即位式参列すらも辞退していただきたい。フィビアス女王が家臣の多数を支配しているのならば、今の黒の城は悪意で成る場所。我が国の守り神を送り出すにはいささか危険すぎます」
狡猾なサキュバス、メリオンの唇がそう発した瞬間に、レイバックの表情は不愉快と歪む。場の険悪さを感じ取ったザトが会話を制止せんと口を開くが、メリオンが滑らかな語りを止めることはない。
「フィビアス女王の統治は長くは続かないでしょう。サキュバスの惑わしの術は行使対象者が限られる制約魔法です。現在のフィビアス女王は城の有力者数名に魔法を行使し、身の安全を確保している状態との予想が出来ます。混乱が治まりきらぬ今こそ実権支配が可能ですが、時が経てばサキュバスの統治に疑問を抱く者は必ずや現れます。ただでさえ彼の国には、好戦的な悪魔族や吸血族の民が多いのです。一度芽吹いた反意の目は、激浪のごとくフィビアス女王の足元を崩し得る」
「サキュバスの女王はいずれ民に討たれるか」
「討たれます。サキュバスは王には成り得ない」
メリオンの主張は高らかと響く。きんと耳障りな反響音を残し、静寂が場を支配する。時刻は午後2時を回ったところ。部屋の東方に位置する大窓は曇天模様の空を映し、窓の外にはどこか遠く子供たちの声が聞こえる。広大な敷地面積を有するポトス城、中央部に位置する王宮の近くには、30名程度の孤児を収容する孤児院が建てられている。孤児院収容者の大半は、王宮軍の関係者だ。近隣諸国の内でも取り分け平穏とされるドラキス王国国土であるが、数年に一度は大規模な魔獣討伐遠征がある。相対する魔獣の種別によっては多数の死傷者が出ることもあり、死亡した兵士が子を養っていた場合には、孤児となった子の生活は国家が保証することが法により定められているのだ。即ち今窓の外に響く笑い声は、親を亡くした子供達のもの。しかし子供達の声に悲しみの色はなく、仲間と過ごす日々を心より楽しんでいる。厚雲に覆われた空に太陽の姿はなくとも、子供達のかける園庭には太陽よりも眩しい笑顔が溢れているはずなのだ。
脳裏に広がるのどかな光景は、ばん、と大きな音に搔き消された。静寂を切り裂く殴打音に、ザトとメリオンは揃って身を竦ませる。レイバックはと言えば小刻みに揺れるガラステーブルを見やり、痺れの残る己の手のひらを見やり、それから徐に席を立った。
「高説に感謝する。サキュバスは狡猾的で卑俗との見解は、よくよく胸の内に刻み込んでおこう」
「王、2か国対談につきましては」
「女王直々の申し出だ。辞退の選択肢はない。対談中は惑わしの術とやらの餌食にならぬよう、最大限注意を払うことにするさ」
不快感を露わにそう吐き捨てると、レイバックは議論の場に背を向けた。大股で部屋の扉へと歩み寄り、華奢な取っ手を壊れんばかりの勢いで引き開ける。緋髪は扉の向こう側へと消え、部屋を揺るがす2度目の大音。
再び静寂に包まれた部屋で、メリオンとザトは呆然と佇む。扉に近い場所では、壁に掛けられた絵画が振り子のようにゆらゆらと揺れている。絵画を揺らすほどの勢いで扉が閉められたのだ。それはレイバックの怒りを物語っている。
「…メリオン。失言が過ぎるぞ」
弱弱しく告げる者はザト。力なく立ち上がり壁際へと歩み寄ると、指先で揺れる絵画に触れる。向日葵畑を描いた絵画は揺れることを止め、ただ音もなく壁面に佇むのみ。どうしたものかと白髪を掻き、振り返る先にはメリオンがいる。ソファの一席に座り込んだままのメリオンは、口をへの字に折り曲げレイバックに負けず劣らずの仏頂面だ。
「失言だと?俺は真実を語っただけだ」
「真実かもしれんが王の心情を考えろ。愛する妃を狡猾的などと卑下されて、頭に血が上らんはずがないだろうが」
「では何と言えば良かった。サキュバスという種族はバルトリア王国ではあまり人気者ではない、とでも言えば良かったか?曖昧な言葉で誤魔化しては事の重大さは伝わらんぞ」
「事の重大さを伝えても、王に臍を曲げられては元も子もない。黒の城が悪意で成る場所だというのなら、滞在にあたり心得ていただくことは山のようにあるだろう。どうするつもりだ?あの調子では、お前の助言は当面聞き入れられんぞ。出発日は3日後に迫っているというのに」
ザトの声は不安に満ち満ちている。手持ちの文を丁寧に折り畳みながら、メリオンはふんと鼻を鳴らす。
「王への助言が叶わぬのなら、同行者を当たるまでだ」
王宮の3階に位置する王の執務室。部屋の中央に置かれた応接用のソファには、部屋の主であるレイバックが鎮座している。対となるソファの片隅には国家のナンバー2であるザトの姿が、そして2人の間に置かれたガラス造りのテーブルには開封済みの黒封筒がのせられていた。
部屋の扉が開く。駆け込むように部屋に入る者は、バルトリア王国遠征において重要な知識人となるメリオンである。メリオンは扉の前で息を整えた後に、レイバックの元へと歩み寄る。
「参上が遅れ申し訳ありません。所用で執務室を空けておりました」
「構わん。突然呼び出したのは俺の方だ」
「バルトリア王国からまた文が届いたと伺いました」
「そうだ。文が届くことに問題はないんだが、内容が少々気になってな」
レイバックの指先は机上の封筒を掴み上げた。差し出された封筒を受け取ったメリオンは、無言のまま封筒の内部から1枚の便箋を取り出す。飾り気のない真っ白な便箋に視線を走らせるたびに、メリオンの表情には疑念が滲んでゆく。
「2か国対談の提案?なぜ今頃になって?」
「やはりそう感じるだろう。対談自体は嬉しい提案である…が、出発日は3日後に迫っている。なぜこんなぎりぎりになって提案をしてきたものか」
メリオンの灰色の瞳は、何度も何度も紙面を滑る。そこに書かれている一文はこうだ。
―即位式の翌日午後、2か国対談を開催されたし。ドラキス王国国王レイバック、バルトリア王国新女王フィビアス、他者を交えぬ密談により2国の緊密な友好関係構築を望む
離接する大国同士という間柄を考えれば、対談の提案自体は奇妙ではない。新参の王フィビアスが、千余年大国を治めるレイバックに、教えを求めることは山のようにあるだろう。そうであると理解はできても、提案のタイミングがいささか奇妙である。なぜ、今になって?呟くメリオンに、レイバックが語り掛ける。
「ゼータの要望もあり、黒の城への滞在は最小限に抑えている。式典の前々日に黒の城に入り、式典が終わった翌日には黒の城を発つ手筈でいたんだ。他の国王方も同様の日程で黒の城に滞在することは、事前の文のやり取りで確認済みだ。つまり対談の提案を受け入れれば、俺達だけ帰国日がずれてしまうんだ。他の国王方が帰路に着く中、俺とゼータだけが黒の城に残される。呪いなどという物が存在しないのだとしても、あまり良い気はしなくてな」
「…何か目的があるのでしょう。フィビアス女王はただ闇雲に対談を望んでいるのではない。他国の国王方には聞かせられぬ2か国対談の目的がある」
「恐らくはそうなのであろうな。バルトリア王国を治めるとなれば前途は多難であろうし、できる限りの協力はしてやりたいと思う。しかし如何せん、提案の時期が奇妙でな…」
不安げなレイバックの言葉に、ザトが続く。
「フィビアス女王は外交というものを何も解っていない。国王同士の対談となれば、護衛兼議事録作成係として数名の官吏を供につけることが普通でしょう。我々は王と王妃の二人旅ということで旅路の準備を進めておりましたから、今からでは護衛の数を増やすことは叶いません。そのことは先方とて承知の上のはずです。これではまるで―」
言い掛けて、ザトは口を噤む。これではまるで、我々が護衛を付けられぬことを承知の上で2か国対談の提案をしたようだ。旅路の変更をさせぬために、提案の時期をぎりぎりまで引き延ばして。
王。ガラステーブルの脇に立ち竦んだまま、メリオンは言う。
「獣人族長が、黒の城への文の運搬を請け負ったのでしょう。城内の状況に関し気に掛かることは申しておりませんでしたか。例えば軍部の動きが活発である、例えば家臣が新女王に陶酔している様子がある。どんな些細なことでも構いません」
「獣人族長に対しては、帰国後に綿密な聞き取りを行っている。黒の城城内の様子は俺も気に掛かるところであるからな。しかし城全体が忙しない様子であった、商人の出入りが盛んであったという以上の報告は受けていない」
「ではフィビアス女王の人となりは。文の献上に際し、顔を合わせる機会はありませんでしたか」
「最初の文を届けた際に、一言二言言葉を交わす機会があったとは言っていた。藍色の髪の美しい女性であるとの報告は受けているが、人となりを問われるとな…」
レイバックは唇に指先を当て、考え込む。獣人族長ガルーラは今日に至るまで3度、単身黒の城へと赴いている。最初の一度は即位式参列を伝える文を携えて、2度目は黒の城への滞在日程を調整するために、そして3度目は即位式参列に伴う衣装貸し出しを乞うために。巨大な白虎へと姿を変えたガルーラは、疾風のごとく数十里の道程を駆けたのだ。ガルーラが多忙なフィビアス新女王と対面を果たしたのは、レイバックとゼータの即位式典参列を伝えた最初の訪問時だけ。一体彼の王の人となりは如何ようであるかと、レイバックは必死でガルーラの報告を思い起こす。
「俺とゼータの即位式参列を大層喜んでいる様子であったとか…話し方は丁寧であったとか…あとは、そうだ。フィビアス女王は悪魔族に属する者であるらしいな。それもゼータと揃いのサキュバスだ」
サキュバス、そう伝えるレイバックの声は喜びに弾む。しかし返すメリオンの声音は緊張感を孕む。
「…サキュバス?それは真でございますか?」
「女王本人がサキュバスを名乗ったと聞いている。まず間違いのない情報だ。…が、フィビアス女王がサキュバスであることに何か問題があるか?」
レイバックの問い掛けに、メリオンは俯き考え込む。尖った犬歯が唇を嚙み、灰色の両眼は言葉を探すように宙を彷徨う。無言の時は数十秒と続き、やがてメリオンはレイバックの対面となる席に腰を下ろした。隣には不安げな面持ちのザトがいる。薄い唇が開かれるとき、辺りは得も言われぬ緊張感に満ちている。
「王。これから私が語るはバルトリア王国における一般的な認識でございます。決して私個人の意見、偏見ではございません。その事実を承知の上で少々耳をお貸しいただきたい」
「…承知した」
レイバックはぴんと背筋を伸ばし、ザトまでもが表情を引き締める。
「まずは結論から。2か国対談については断りの返事をお入れください。返事の文が間に合わなければ、式典参列時に直接辞退を告げられても良い。何にせよ、フィビアス女王と2人きりで顔を合わせることはお避け下さい」
「そう判断するに至った理由は?」
「どうぞ冷静にお聞きくださいませ。サキュバスという種族は、バルトリア王国では多種族から厭われます。狡猾的、卑俗と称され時には差別の対象と成り得る種族なのです。サキュバスが王座に就くなどということは通常であればあり得ない。王座を狙い黒の城へ侵入した時点で、即座に首を刎ねられて終いでしょう」
「あり得ない?しかし現実にフィビアス女王は王座に就いている。即位式を催すのだと文まで寄越しているんだ。まさか反抗的な家臣を全て討ち、たった一人で国政の場を支配しているわけではあるまい」
「討ち取ったのではありません。魔法により服従下に置いているのです。惑わしの術と呼ばれる、サキュバス特異の技です。特定の手順を踏むことにより多種族を支配下に置き、己の意のままに操る。この特異の技を持つがゆえにサキュバスは多種族に厭われ、恐れられているのです」
惑わしの術、それはメリオンがクリスに語らなかったサキュバスの技。隣国バルトリア王国で、サキュバスという種族が厭われる最大の理由だ。長く統治者が不在であったバルトリア王国で、法は人々の生活を守らない。平穏な生活を守る物は己の拳であり、剣であり、そして魔法だ。必然的に弱者は淘汰され、強者は敬われ、そして異端の者は排除される。それは平和に暮らすドラキス王国の民が、千年のうちに忘れてしまった人としての本能。人の心を惑わし僕のごとく操らんとするサキュバスは、異端として排除される種族の筆頭例なのだ。
惑わしの術、レイバックは繰り返す。
「なるほど、サキュバス特異の技か。だがしかし魔法による使役は必ずしも悪か?精霊族や幻獣族の中には、特定の魔獣を使役し操る者がいる」
「サキュバスが支配するものは魔獣ではありません。彼らは同族である魔族を―」
「理解している。しかし今回の例を考えてみよ。黒の城は内部に多数の官吏を抱えながらも、彼らは1200年もの間まともな国政を行っていなかった。フィビアス女王が彼らを支配し国政の場を取り戻したとなれば、それは悪しき行いか?バルトリア王国の国土を正常化するために、持てる技を使った。ただそれだけのことであろう」
「尤もなお言葉でございます。しかし私の憂慮は黒の城の者がフィビアス女王に支配されていることではありません。フィビアス女王が、ドラキス王国の守り神簒奪を目論むこと。2か国対談の場を利用し、レイバック王に惑わしの術を掛けようとする可能性でございます」
「それは、流石に」
「ない、と言い切れましょうか。そもそも対談の提案時期が妙なのです。ザト殿の言う通り、国王同士の対談の場には護衛の官吏を付けることが常。複数の国王方が参加する大規模会談ならばまだしも、2国の国王が一対一で密談を行うなど通常では有り得ません。それも初対面の国王同士が。この対談の裏には必ずや、悪しき目的が隠されています」
必死の説得にあたるメリオンの横では、ザトがその通りだとばかりに頷いている。家臣2人結託にも関わらず、しかしレイバックは頑なに主張を譲らない。
「式典の準備に忙殺され、対談の開催にまで頭が回らなかった可能性もある。もしこれがロシャ王国次期国王アムレット皇太子からの提案であったのなら、俺はそう解釈しただろう」
「アムレット皇太子の人となりはわかっております。悪意を疑う必要はない。しかし今相手にする者は純朴な人間の皇太子ではありません。狡猾なサキュバスの女王なのです。私の本心を申せば、対談だけではなく即位式参列すらも辞退していただきたい。フィビアス女王が家臣の多数を支配しているのならば、今の黒の城は悪意で成る場所。我が国の守り神を送り出すにはいささか危険すぎます」
狡猾なサキュバス、メリオンの唇がそう発した瞬間に、レイバックの表情は不愉快と歪む。場の険悪さを感じ取ったザトが会話を制止せんと口を開くが、メリオンが滑らかな語りを止めることはない。
「フィビアス女王の統治は長くは続かないでしょう。サキュバスの惑わしの術は行使対象者が限られる制約魔法です。現在のフィビアス女王は城の有力者数名に魔法を行使し、身の安全を確保している状態との予想が出来ます。混乱が治まりきらぬ今こそ実権支配が可能ですが、時が経てばサキュバスの統治に疑問を抱く者は必ずや現れます。ただでさえ彼の国には、好戦的な悪魔族や吸血族の民が多いのです。一度芽吹いた反意の目は、激浪のごとくフィビアス女王の足元を崩し得る」
「サキュバスの女王はいずれ民に討たれるか」
「討たれます。サキュバスは王には成り得ない」
メリオンの主張は高らかと響く。きんと耳障りな反響音を残し、静寂が場を支配する。時刻は午後2時を回ったところ。部屋の東方に位置する大窓は曇天模様の空を映し、窓の外にはどこか遠く子供たちの声が聞こえる。広大な敷地面積を有するポトス城、中央部に位置する王宮の近くには、30名程度の孤児を収容する孤児院が建てられている。孤児院収容者の大半は、王宮軍の関係者だ。近隣諸国の内でも取り分け平穏とされるドラキス王国国土であるが、数年に一度は大規模な魔獣討伐遠征がある。相対する魔獣の種別によっては多数の死傷者が出ることもあり、死亡した兵士が子を養っていた場合には、孤児となった子の生活は国家が保証することが法により定められているのだ。即ち今窓の外に響く笑い声は、親を亡くした子供達のもの。しかし子供達の声に悲しみの色はなく、仲間と過ごす日々を心より楽しんでいる。厚雲に覆われた空に太陽の姿はなくとも、子供達のかける園庭には太陽よりも眩しい笑顔が溢れているはずなのだ。
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「高説に感謝する。サキュバスは狡猾的で卑俗との見解は、よくよく胸の内に刻み込んでおこう」
「王、2か国対談につきましては」
「女王直々の申し出だ。辞退の選択肢はない。対談中は惑わしの術とやらの餌食にならぬよう、最大限注意を払うことにするさ」
不快感を露わにそう吐き捨てると、レイバックは議論の場に背を向けた。大股で部屋の扉へと歩み寄り、華奢な取っ手を壊れんばかりの勢いで引き開ける。緋髪は扉の向こう側へと消え、部屋を揺るがす2度目の大音。
再び静寂に包まれた部屋で、メリオンとザトは呆然と佇む。扉に近い場所では、壁に掛けられた絵画が振り子のようにゆらゆらと揺れている。絵画を揺らすほどの勢いで扉が閉められたのだ。それはレイバックの怒りを物語っている。
「…メリオン。失言が過ぎるぞ」
弱弱しく告げる者はザト。力なく立ち上がり壁際へと歩み寄ると、指先で揺れる絵画に触れる。向日葵畑を描いた絵画は揺れることを止め、ただ音もなく壁面に佇むのみ。どうしたものかと白髪を掻き、振り返る先にはメリオンがいる。ソファの一席に座り込んだままのメリオンは、口をへの字に折り曲げレイバックに負けず劣らずの仏頂面だ。
「失言だと?俺は真実を語っただけだ」
「真実かもしれんが王の心情を考えろ。愛する妃を狡猾的などと卑下されて、頭に血が上らんはずがないだろうが」
「では何と言えば良かった。サキュバスという種族はバルトリア王国ではあまり人気者ではない、とでも言えば良かったか?曖昧な言葉で誤魔化しては事の重大さは伝わらんぞ」
「事の重大さを伝えても、王に臍を曲げられては元も子もない。黒の城が悪意で成る場所だというのなら、滞在にあたり心得ていただくことは山のようにあるだろう。どうするつもりだ?あの調子では、お前の助言は当面聞き入れられんぞ。出発日は3日後に迫っているというのに」
ザトの声は不安に満ち満ちている。手持ちの文を丁寧に折り畳みながら、メリオンはふんと鼻を鳴らす。
「王への助言が叶わぬのなら、同行者を当たるまでだ」
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エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
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僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)
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今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
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主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
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【完】三度目の死に戻りで、アーネスト・ストレリッツは生き残りを図る
112
BL
ダジュール王国の第一王子アーネストは既に二度、処刑されては、その三日前に戻るというのを繰り返している。三度目の今回こそ、処刑を免れたいと、見張りの兵士に声をかけると、その兵士も同じように三度目の人生を歩んでいた。
★本編で出てこない世界観
男同士でも結婚でき、子供を産めます。その為、血統が重視されています。
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