【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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荒城の夜半に龍が啼く

飴と鞭

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 メリオン講師によるダンスの個別練習、ないし補講が取り行われたのは、初回の練習日の4日後のことであった。練習場所は初回と同じ賓客の場、集合時刻も同様の頃である。遅刻をして張り倒されては大変と集合時刻の15分前に賓客の間へと立ち入ったゼータは、拙い動きで前回の復習作業を行う。難関であるサビ部分こそ踊れないが、サビに至るまでの2分程度の動きはすでに会得済みなのだ。
 集合時刻を目前にして、賓客の間の扉が勢いよく開け放たれた。壁や床を震わせる大音にゼータが身を竦ませれば、次いでかつかつと床を打つ足音。恐る恐る足音のする方を見やれば、魔王もといメリオンが上着の裾を翻しゼータの元へと歩いてくる。「ご機嫌いかが」などと問わずともわかる。本日のメリオンは相当不機嫌だ。

 狼狽えるゼータの視界の端を、金色の物体が掠める。魔王の接近に恐れ慄きながらも金色の正体を探れば、それは開け放たれた扉をそっと閉じるクリスだ。「乱暴なんだから、もう」唇を尖らせるクリスは重厚な扉をきっちりと閉め、それからゼータの元へと小走りに駆けてくる。

「クリスも一緒なんですね」

 横並びの師弟を目の前に、ゼータはほっと胸を撫で下ろした。不機嫌全開のメリオン講師の個別講義となれば、恐らくは数度頬を打たれることは避けられない。しかし防波堤クリスがこの場にいれば、状況はかなり良くなるはずだ。ことある事にメリオンの不興を買うゼータとは対照的に、クリスはメリオンの扱いをよく心得ているのである。表情を緩ませるゼータの耳に、魔王改めメリオンの冷声が届く。

「クリスがいれば俺に頬を打たれることはないと慢心しているわけではあるまいな?クリスの役割は練習の補助兼救助要請係。俺が激昂しお前に馬乗りになった暁には、即座にザトを呼びに行けと言い含めてある。ザトが俺を宥めにやって来るまでの数分間、数十発の被弾は避けられんぞ」

 最早殴る気満々といった様子である。己の未来を想像しかたかたと身を震わせるゼータの横で、クリスが囁く。「ザトさんの執務室までは往復1分半、昨日予行練習をしたんだ」

「まずは前回の復習から。まさか4日のうちに全て忘れましたなどとは言わせんぞ」
「だ、大丈夫です。毎晩10度は練習していました」
「結構。では各々配置に着け」

 有無を言わせぬ号令の後に、メリオンは大理石の床にどっしりと座り込んだ。右脇に抱え込んでいた絹包みを床へと下ろし、4本の指先で蝶々結びを解けば、中から現れるは水晶玉を思わせる畜音具。昼下がりの陽光を浴びて、薄桃色の靄がゆらゆらと揺れる。
 緊張の面持ちで直立するゼータの目の前には、予想外にもクリスが立った。見慣れた官吏服に上着を羽織っただけという軽装のクリスは、彼にしては珍しく物々しい表情を浮かべている。王妃がたこ殴りにされる様を見るのは辛いと、補助役なりに気を遣っているのだ。差し出された手のひらに自らの手のひらを重ねながら、ゼータは小声でクリスに尋ねる。

「…つかぬ事をお伺いしますけれど、クリスは国舞の男性パートを習得済みなんですよね」
「とりあえずメリオンさんのお眼鏡に適う程度にはね」
「お手数をお掛けして本当にすみません。ただでさえクリスは、人間族長の仕事を覚えるので忙しいのに…」
「気にしないで。ゼータには申し訳ないけど、覚えるのにあまり時間は掛からなかったからさ」

 クリスがそう言って表情を緩めたところで、少し離れたところからは怒号が飛ぶ。鬼講師メリオンの言うことは、「喋っている暇があったらさっさと姿勢を正せ、愚図野郎共」だそうだ。
 極度の緊張の中、バルトリア王国訪問に係る2度目のダンス練習会がつつがなく開始された。練習序盤は、前回習得した国舞前半部の総復習。基本的にはすでに覚えた動きを繰り返すだけなのだから、メリオン講師が必要以上に声を荒げることはない。「腕の振りをもっと大きく」「仏頂面を引っ提げろ」度々指示が飛ぶことはあれど、ゼータの技能を以てして対応不可能な難題はない。
 慣れた動きを6度繰り返したところで、ぱんと手を打つ音が賓客の間の高天井に反射する。同時に絶え間なく流れていた音楽は止み、代わりに幾らか機嫌が回復した様子のメリオンの声が聞こえる。

「上々。前回の復習はここまでだ。サビ部分の練習に移るぞ」

 前回の練習で習得が叶わなかった魔のサビ部分。練習を開始するにあたり、まずは「とりあえず覚えている部分だけでも踊ってみよ」とのメリオンの指示である。部屋の中には先刻までと同様国舞の前半部が流れ、ゼータとクリスは本日7度目となる慣れた動きを繰り返す。そして2分間に及ぶダンスの後に、国舞はサビ部分に突入。たどたどしい動きでダンスを継続しようとするクリスに対し、ゼータはぴたりと手足の動きを止める。覚えている部分だけでも踊ってみよ、とメリオンは言った。しかし脳味噌の回路が寸断寸前であった前回の練習において、覚えていることなど何一つないのだ。石のように硬直するゼータの腰を抱えたまま、クリスも同様に動きを止める。淡々と奏でられる音楽の元、2人の男女が石像のように佇む。そうして何もできないまま、3分間の国舞は終曲を迎える。
 不穏に静まり返った部屋の中に、衣擦れの音が響く。クリスに腰を抱かれたまま、ゼータがついと視線を動かせば、その場所には魔王のごとく仁王立ちするメリオンがいる。魔王は組んでいた腕をゆっくりと下ろし、緩慢な動作でゼータの元へと歩み寄る。さよなら頬骨、ゼータは目を閉じ己の頭蓋骨に別れを告げる。

しかし意外なことにも、ゼータに歩み寄ったメリオンが拳を振り上げることはなかった。代わりに降り注ぐは至極冷静な声音だ。

「こうなる事は予想の範疇だ。クリス、ダンスの相手を代われ」
「はい」
「畜音具の上部を右から左に一撫ですれば、15秒程度巻き戻る。軽く叩けば再生・停止だ。繊細な道具だから、あまり強く叩きすぎるなよ」
「わかりました」

 クリスは頷いて、抱き込んでいたゼータを解放した。離れてゆく指先は微かに震え、王子を思わせる顔面は蒼白。ゼータの頬骨が陥没する恐怖に怯えていた者は、ゼータ本人だけではなかったようだ。
 床に座り込んだクリスに代わり、ゼータの真正面にはメリオンが立つ。見上げる瞳の位置は、先ほどまで見上げていたクリスの物より少しばかり低い。メリオンの方が僅かに短身、その時初めて気が付くも、今のゼータに人様の身長を気に掛ける余裕はない。

「あの…参考までにお伺いしたいのですが、この先はどのような練習方法を?」

 震え声でそう尋ねれば、メリオンは無表情に答える。

「案ずるな。まさか踊りを間違える度に頬を打ったりはしない。しかし多少の痛みを伴う練習方法であることに違いはない」
「痛みを伴うとは…その…具体的にどのような…」
「練習を開始すればすぐにわかる。まずはサビの序盤。右右左左のステップの後、右回りに一回転。左足を差し出し同時に右手を天高く掲げよ」

 呪文のような教えと共に、恐怖の第2幕は幕開けした。サビの直前から流される音楽に乗り、メリオンとゼータは踊り出す。右右左左のステップの後、右回りに一回転。呪文の教えを反芻し、ゼータは必死に手足を動かす。しかし前回の練習で習得できなかったダンスを、日を改めたからといって簡単に会得できるはずもない。ゼータのダンスが順調であったのは、僅か3秒足らずのことであった。本来左足を差し出すべきところで、誤って差し出した右足。拙い動きで差し出したその足は、勢いよく振り被られたメリオンの右足により毬のように蹴り上げられた。突如右足を襲った激痛に、ゼータは悲鳴を上げて倒れ込む。クリスの右手は咄嗟に音楽を止め、静寂の中にゼータの呻き声だけが木霊する。

「嘘…信じられないくらい痛い。これ、骨折れていません?」
「この程度の蹴りで折れて堪るか。人様の同情を買う暇があればとっとと立て」
「いや同情を買うとかじゃなくて本当に痛い」
「脳味噌で覚えられないのなら身体に教え込むしか方法はあるまい。繰り返す。右右左左のステップの後、右回りに一回転。左足を差し出し同時に右手を天高く掲げよ。まずはこの動きを20回繰り返す」

 正に悪魔の所業、悪魔の声明。「多少の痛みを伴う練習方法である」とはこのことだったのだ。いや、多少ではない。「甚だしい」痛みを伴う練習方法である。右足を抱え蠢き回るゼータなど歯牙にも掛けず、メリオンの声はクリスへと向かう。

「クリス、聞こえていたな?まずは20回だ。こいつが泣こうが喚こうが、俺の指示なく曲を止めるなよ。感情を殺し補助係に徹せよ」
「…わかりました」

 それから先は正に地獄の特訓である。メリオンの取った対ゼータ向けの練習方法は、名付けるとすれば「激痛の無限ダンス」言い方を変えれば「生存本能にダンスを植え付ける方法」だ。この練習方法を取るにあたり、メリオンはまず30秒のサビ部分を6つのパートに区切った。そしてゼータが第1パートを完全に習得すれば第2パートに、第2パートを習得すれば第3パートに進むという方法を採用したのである。語る言葉だけを聞けばそれは決して異常な方法というわけではない。曲を細かなパートに区切るというのはダンスの練習においてごくごく一般的な方法であるし、現にメリオンはレイバック相手の教示にもこの方法を採用している。しかしこの度の練習において異常とされるは、一つのパートにつき繰り返されるダンスの回数だ。比較的動きの単調な第1パートで20回、その次の第2パートで30回、第1パートと第2パートの通しでさらに20回。それを第5パートまで繰り返すのだから、全てのパートを合計すれば総回数は200を軽く超える。その練習の過激さと言えば、クリスの口から「畜音具を撫ですぎて手相と指紋が消えて無くなりそうです」との泣き言が零れるほどだ。

 さらにもう一つ。メリオンの採用した練習方法の狂人的とも言うべき個所は、被受講者ゼータがダンスを間違えたときの対処方法だ。鬼講師メリオンは例えゼータがダンスを間違えたとしても曲を止めず、強引にその場で修正するという方法を選んだ。ゼータが間違った腕を差し出せばその腕を手刀により叩き落し、ステップを踏めずにいれば両脚を交互に蹴り上げ強引にステップを踏ませるという何とも暴力的な指導方法である。しかしこの指導方法がゼータに対しては非常に効果的であった。痛みに対する恐怖から過去類を見ない集中力を発揮したゼータは、練習開始より2時間が経つ頃には魔のサビ部分をほぼ完全に習得することができたのである。容赦のない手刀と蹴りを数十発と食らい、ゼータの全身が痣だらけになったことは言うまでもなし。

「10分休憩。茶を貰ってくるから、適当に身体を休めておけ」

 唐突にそう言い放つと、メリオンは爽快な歩みで賓客の間を退出した。重厚な扉が音を立てて閉まったとき、ゼータはへなへなとその場に座り込む。ガラス細工に触れるかのような手付きで触るは、この2時間半の間に痣だらけとなった己の右足だ。

「酷い。脚が痣だらけです」
「毬みたいに蹴られていたもんね。練習が終わったらすぐに冷やさないと、痛みで数日歩けなくなるよ」

 ゼータの傍らにしゃがみ込んだクリスが、青痣だらけの両足を労しげに眺め下ろす。ステップを踏み間違える度に蹴り上げられたゼータの両足は、今や肌色の面積よりも青紫色の面積の方が広いほどだ。適切な処置を施したとしても、数日間痛みに悩まされることは避けられまい。

「ごめんね。補助係が僕じゃなくてザトさんだったなら、もう少し上手くメリオンさんを宥められたんだろうけど。日頃仕事を教わっている立場上、面と向かって文句は言いにくいんだよ」
「いえいえ、クリスは悪くありません。こうまでされないとダンスを覚えられない私が悪いんです。途中、メリオンに罵倒されながらもお手洗いに抜けてくれたじゃないですか。あれは私のためですよね?その気遣いだけで十分ですよ」
「そう?そう言ってもらえると有難いけれど…」

 それはサビ部分の練習が第4パートに突入した直後の出来事であった。段々と青白くなってゆくゼータの顔面を見かねたクリスが、腹痛を言い訳に単身部屋を飛び出したのである。鬼講師と名高いメリオンであっても、人様の便意に文句をつけることなどできやしない。補助係不在によりそれまで無休であった練習会は一時中断となり、気絶寸前のゼータは細やかな休息を手にしたのだ。しかしその休息も、便意を主張する者がクリスであったからこそ得られた物。もし腹痛を訴える者がゼータであったならば「部屋の隅で垂れ流せ」と一蹴されて終いである。

 茶を貰ってくると宣言したメリオンが賓客の間へと舞い戻ってきたのは、休憩時刻終了を目前にした頃のことであった。麦茶入りの保冷ビンを2本小脇に抱えたメリオンは、やはりかつかつと靴音を響かせながらクリスとゼータの元へと歩いてくる。そして床に座り込む2人の膝元へ、満杯の保冷瓶を放り投げた。

「1分後に練習を再開する。時間までに各々定位置に着くように」

 淡々と告げられる言葉を聞き、ゼータは慌てて保冷瓶の蓋を開けた。丸みを帯びた保冷瓶の縁に唇をつけ、冷たい麦茶を体内へと流し込めば、淀んだ思考が蘇る。よし、とゼータは自らの頬を叩く。今日中に国舞を習得せねば、偽りの便意を訴えてまで練習を補佐してくれるクリスに申し訳がたたぬ。一見すれば無茶苦茶な練習方法を採用したメリオンも、貴重な時間を割いてくれていることに変わりはないのだ。ゼータは意気込み、痛みに萎える足腰を立てる。2本の保冷瓶を小脇に抱えたクリスも、速やかに定位置へと戻って行く。

「では通し作業に移る。3分間の国舞を、動きを止めることなく踊り切れば一先ず及第点だ。終わりも間近と気を緩めずに、ふんどしを締め直して掛かれ」

 メリオンの宣言の後、クリスの手が畜音具に触れる。薄桃色の水晶玉は独特のリズムを刻み始める。比較的穏やかな雰囲気の中で再開されたダンス練習、しかし悲しいかな、穏やかな時は10秒と持たない。練習序盤でほぼ完璧に仕上げたはずの冒頭部のダンス。自信満々と差し出したゼータの右腕は、無防備なメリオンの顎を見事に打ったのだ。一瞬よろめくメリオンを間近に見て、ゼータの全身から血の気が引いてゆく。しまった、右腕を振り上げる動作は左回転の後であった。

「…褌を締め直せと言った矢先にいい度胸だ」

 地底から湧き上がる声と共に、メリオンの口端には鮮血が滲み出る。忌々しげに歪む薄い唇、口内に覗く4本の犬歯、滴る鮮血。今のゼータとって何よりも恐ろしい光景だ。

「す、すみません。やる気は十分なんですけれど、何分集中力が限界で…」

 もごもごと言い訳を連ねながら、ゼータは両足をしっかりと踏みしめる。魔王の顎に不遜の一撃を入れたのだ。数発の殴打を返されることは避けられまい。来るべき衝撃に備え上下の歯列を噛み締めるゼータであるが、意外なことにもいつまで経ってもメリオンは拳を振り上げない。それどころか、場に響くは菩薩を思わせる穏やかな声音だ。

「ここに至るまで凡そ2時間。不得手者なりによくぞ頑張った。お前の言葉通り、確かに集中力も切れる頃であろう。ここらで一つ、褒美の提案をしてやろうではないか」
「え、ご褒美?」
「次の1曲。5回以内のミスで最後まで踊りきれば、俺のコレクションを1本くれてやる」
「メリオンのコレクション…って、まさかお酒の?」
「いかにも」

 メリオンのコレクション、それはドラキス王国内に住まう吸血族から貰い受けたという貴重な酒だ。隣国バルトリア王国で買い求めた酒瓶も多く、中には悪魔族や吸血族の蔵元が醸造したという貴重な酒も含まれている。以前メリオンから悪魔族の酒を貰い受けたゼータは、飲み会の時を待つことなく一人その酒を飲み干してしまった。人生で初めて飲む悪魔族の酒は、悪魔族のゼータにとって麻薬に等しい代物であったのだ。5回以内のミスで踊りきれば、またあの甘美な一時を味わえるやもしれぬ。予想外の提案に、ゼータの顔には生気が宿る。
 途端にやる気を取り戻したゼータと、紳士の名に相応しい優雅な笑みを称えたメリオン。2人の表情を交互に眺め、怪訝と眉を顰める者はクリスだ。

「…メリオンさん。念のため聞きたいんですけれど、6回以上のミスをしたときは?」
「2時間の奮励に変わりはない。コレクションはやらんが、首筋に口付けくらいはくれてやる」

 ぎゃ、とゼータの口からは悲痛な叫びが漏れた。紳士の笑みは途端に悪魔の笑みへと代わり、赤い舌先が口角に滲む鮮血を舐める。勢い余って噛み付いたとしても文句は言うな、メリオンの表情はそう伝えている。
 そしてダンスは開始された。補助係クリスが固唾を飲んで見守る中、メリオンとゼータは跳ねるように踊る。目の前に大好物の酒瓶をぶら下げられたゼータは、ここに来て今日一番の集中力を発揮した。最初のダンスこそ5度のミスをしたものの、その次は4度、さらにその次は2度と順調にミスの回数を減らすことに成功したのだ。合計で3本の酒瓶を手にする権利を得たゼータは、荒い呼吸を繰り返しながらも誇らしげな表情である。メリオンの提案した「飴と鞭大作戦」は、ゼータの嗜好を理解した完璧な内容であったのだ。「救いようのないど下手」から「少し目立つくらいの下手」へと昇格したゼータのダンスを目の当たりにし、講師メリオンも満足げな表情だ。よし、と高らかな声が響く。

「次が正真正銘最後の一度。クリス、ダンスの相手役を代われ」
「はい」

 泣いても笑っても次のダンスが最後の一度。ここに来て、メリオンは審判役に徹するようである。恐らくは審査基準が厳しくなるであろうと、ゼータは緊張の面持ちだ。差し出される手を取るクリスも、ダンスの足を引っ張ってはならないと生唾を飲む。しかしここでゼータの集中を遮るものは己の思考ではなく、クリスの挙動でもなく、さらりと告げられるメリオンの言葉である。

「最後は一度のミスも許さんぞ」
「…え?」
「たった一度でもミスをすれば、2時間の居残りを科す。居残り場所は俺の寝室。そのふらふらと頼りない足腰を、入念に鍛え直してやろう」

 最後の最後でまさかの手痛い鞭。ゼータの顔面は途端に蒼白となる。

「あ、悪魔…!」
「最高の誉め言葉だ。悪魔の贄となりたくなければ、最大限気力を奮い立たせて臨め」

 待ったの言葉は聞き入れられることなく、無慈悲な音楽は開始される―

 3分後。貞操を人質に取られ極限状態でダンスに臨んだゼータは、一度のミスもなく国舞を踊り終えた。鬼講師メリオンでさえも「見事」と頷く、文句の付け所のないダンスであった。無事貞操を守り抜いたゼータはと言えば、曲が終わると同時にふらふらと床に倒れ込み、それきり動かなくなった。2時間半に及ぶ過激な練習に加え、失敗の許されぬ極限ダンス。ゼータの気力は綺麗さっぱり尽き果てたのだ。
 大理石の床にへばりつくゼータを眺めながら、クリスは考える。メリオンが専属の教育係となれば、ゼータは王妃に相応しい品格を身に着けることができるのであろう、と。

 ただし王妃の貞操については一切の保証が叶わない。
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