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荒城の夜半に龍が啼く
ダンスの時間
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レイバックとゼータは連れ立って王宮内を歩いていた。今日はバルトリア王国訪問に際し、初回となるダンスの練習日。練習開始時刻を目前にした2人は、揃って練習場所である賓客の間を目指しているところである。
今日のゼータの服装は、先の精霊族祭で着用した膝丈のミニドレスだ。色は緋色。激しい練習の邪魔にならないようにと髪は頭長に結い上げ、靴は踊りやすさ重視の平靴。宝飾品の類も身に着けていない。対するレイバックは藍色の燕尾服に茶色の革靴を合わせている。平日の白昼に奇妙にめかし込む王と王妃の姿を、すれ違う侍女官吏は不思議そうな眼差しで見つめている。
レイバックが王宮1階に位置する賓客の間の扉を開ければ、本日の講師であるメリオンはすでに到着していた。王と王妃の結婚披露宴、人間族長任命の儀等に使用された賓客の間には、今メリオンの他に人の姿はない。優美な装飾の施された賓客の間の中央に、一人立つメリオンの姿は幻想的の一言である。
「メリオン、その道具は何だ?」
メリオンの背後に歩み寄り、レイバックは問うた。賓客の間の中央に仁王立ちするメリオンの前には、会議用の長机が置かれている。長机の上に置かれている物は3人分の麦茶と片手でつまめる焼き菓子、それから用途のわからない不可思議な道具だ。その道具は、木製の台座の上に手のひら大の水晶玉がのっている。ポトスの街の歓楽街で時折見掛ける、占い師を名乗る人物が所持する物体によく似ている。しかし今はダンスの時間。まさかメリオンが、不得手者ゼータに有用なダンスの練習方法を占うというわけではあるまい。
水晶玉の上部をゆるゆると撫でながら、メリオンはレイバックの質問に答える。
「これは蓄音具と呼ばれる道具です。その名の通り、人の会話や音楽を記録するための道具でございます」
「会話や音楽を記録する?一体どういうことだ」
二言目となるレイバックの問いに、メリオンは言葉を返さなかった。代わりに水晶玉の上部を何度か撫で、ふとした瞬間にその動きを止める。少し間をおいて、3人の周囲には軽やかな音楽が流れだす。ドラキス王国内で耳にする音楽とは少し毛色が違う、独特のリズムの音楽だ。
「この曲がバルトリア王国の国舞でございます。何分古い道具ですから、音質が悪いのはご容赦を」
「ははぁ…記録とはそういう意味合いか。便利な道具だな。畜音できる音源に制限はあるのか」
「人の耳に聞こえる大きさの音であれば、音源の制限はありません。しかし一つの畜音具につき畜音可能時間は15分程度ですから、長々とした人の会話の記録には不向きです」
「バルトリア王国では一般的な道具なのか」
「現在のバルトリア王国で頻用される道具ではありません。畜音具の製造は時を遡ること1500年。音楽と舞踊を愛したブルタス前国王が、国土内各集落に畜音具を配布したのです。畜音具には漏れなく国舞が畜音されており、国舞流布の契機となりました。1500年経った今ではまともに機能する畜音具は希少ですが、大きな都市の個物店などでは度々現物を見掛けます」
「その畜音具は、メリオンがバルトリア王国から持ち込んだ物か?」
「いえ、吸血族の同胞に購入を依頼しました。畜音具を探す手間暇に、実際の購入費用。運送費などを含め3か月分の給料が吹き飛びましたよ」
語るメリオンの声は穏やかだ。透明な水晶玉の表面に、懐古の表情が反射する。手のひら大の水晶玉をよくよく覗き込めば、玉の内部には薄桃色の雲煙が揺らめいている。玉が音を奏でる度に雲煙は揺れ、まるで焚火から立ち昇る火煙のようだ。
メリオンの右手のひらが、水晶玉の上部を軽く叩いた。軽やかと流れていた音楽が止まる。
「では早速、練習を始めましょうか。まずはダンスの基礎となる立姿勢から」
メリオンの宣言で、3人の長きに渡る戦いが幕を開けた。
ダンスの練習を開始して小一時間、進捗状況はまずまずと言える。ここに至るまでのメリオン講師の教示内容はと言えば、第一にゼータ向けのダンスの基礎講義。第二にレイバックに対する国舞男性パートの伝授である。ダンス下手のゼータと言えども、基本的な立姿勢や前後左右の簡単な移動程度で難儀することはない。子供でも踊れるという国舞の踊りを会得することに、ダンスに慣れたレイバックが難儀することもない。出だしは上々だ。
茶と菓子を共に小休憩を挟み、次は関門となるゼータへの女性パートの伝授だ。ここでも予想に反し出だしは順調。国舞の前半は緩やかな動作が多く、破滅的にダンスが苦手な者であっても、時間をかければ覚えることは難しくはない。
順調であったダンスの練習に暗雲が立ち込め始めたのは、国舞がサビに突入したとき。曲のテンポは速くなり、身体の動きは多少複雑になる。時間にすれば僅か30秒程のサビ部分を、ゼータは全くといって良いほど覚えることができない。右に回れと言えば左に回る。2歩横に歩けと言えば3歩横に歩く。激しく混乱したゼータは、終いには右手と左手すらわからなくなる始末である。
「ゼータ様は一度休憩なさってください。王、少々作戦会議を」
メリオンがそう提案したのは、練習開始より2時間半を経過した頃のことである。虚ろな表情のゼータはふらふらと床に倒れ込み、レイバックとメリオンは額を突き合わせ議論を重ねる。
「3分間の曲を一気に叩き込むというのは厳しいんじゃないか?本日の練習はここまでにして、サビ以降は次回の課題というわけにはいかんか」
「しかしダンスには流れというものがあります。下手に時間を空けると返って混乱致しますよ。不得手者なら尚更です」
「尤もな意見だが、ゼータの脳味噌はもう限界だ。見てくれ、あの生後間もないヒヨコのような表情を。あまり無理強いしては、果ては人の言葉まで忘れてしまう」
レイバックの指さす先では、ゼータが円らな瞳をぱちぱちと瞬かせている。慣れない知識を多量に詰め込まれたために、脳味噌の回路が寸断されかけているのだ。ぽっかり開いた唇は閉じることを知らず、一歩間違えばぴよぴよと鳴き出しそうな有様である。
数分間にわたり議論を続けたメリオンとレイバックは、名付けて「目で見て覚える大作戦」を決行した。元よりゼータは身体を動かす類のことが得意ではない。踊る間にあれこれ口を挟むよりも、一つの勉学としてダンスを覚えさせようという思惑である。この作戦の結構に際しては、男性パートを踊るレイバックの他に、ゼータが覚えるべき女性パートを踊る人物が必要となる。この場でその重役を担うは当然のごとくメリオンだ。それ即ちレイバックとメリオンが手と手取り合いダンスを踊るということ。さらに言い換えれば、鍛え上げられた体躯のレイバックが王宮内屈指の男前であるメリオンの腰を抱くということだ。王宮の一部侍女が見れば「眼福です」と土下座を始めそうな光景が、ゼータの目の前で繰り広げられることとなったのである。
3度眼福ダンスをまじまじと見つめたゼータは、メリオンの指示で再びレイバックの前に立った。しかし結果は惨敗。その後も考えうる限りの手段を試したものの、ゼータが国舞のサビ部分を踊れるようになることは終ぞなかった。
***
時は夕刻、大きな窓に囲まれた賓客の間には橙色の陽明かりが射し込んでいる。幻想的な風景の中に座り込むは3人の人物。足が痛いのだと靴を脱ぎ捨てたゼータに、放心状態で両脚を投げ出すレイバック。それから腕を組み深く項垂れるメリオンだ。子供でも踊れるはずのダンスで、数時間にも及ぶ足止め。各々の表情には絶望が伺える。
「メリオン、ゼータが国舞を踊れないというのは…不味いよな?」
「不味いです。即位式典に参列すると予想される国家は、ドラキス王国を除けば小国ばかり。大国の王と王妃のダンスは否が応にも人々の注目を集めます。皆が凝視する中で伝統的舞踊である国舞を踊れぬとなれば、ドラキス王国はバルトリア王国との友好関係を蔑ろにしているとの誤解を与えかねません」
「笑えない冗談だ。王妃のダンス下手が原因で他国との友好関係に亀裂が入るなどと、恥ずかしくて歴史書に載せられんぞ」
賓客の間に沈黙が落ちる。沈黙時間が数分に及んだ頃に、再び口を開く者はレイバックである。言葉を向ける先は、目の下に濃い隈を携えたゼータだ。
「ゼータ、参考までに聞きたい。破滅的なダンス下手は何に由来するのだと思う」
「何に由来…ですか」
「なぜたった30秒程度のサビ部分を覚えられないのか、と問い直しても良い。ゼータは、物覚えは良い方じゃないか。人との会話内容は俺よりも余程覚えているし、書物の内容であれば発刊年月日まで細かく記憶している。なぜダンスだけが覚えられない?」
靴擦れのできた踵を指先で撫で、ゼータは遠慮がちに話し出す。
「人の動きを真似るのが苦手なんです。剣技や体術が苦手なのも、多分同じ理由だと思うんですよ。例えば掌打の技をお目に掛かったとするじゃないですか。頭では理解しているつもりになるんですけれど、どう頑張っても動きを真似ることができないんですよ。腰の捻りはどうだったとか、足先はどちらに向いていたとか、いろいろ考えて結局ぐちゃぐちゃになっちゃうんです」
「素直にメリオンの動きを真似ることはできない?」
「起立、礼、着席。程度の単純な動きなら、何も考えずに真似ることはできると思いますけれど…」
1500年もの歴史を誇る伝統的な舞踊が、まさか三拍子の動きで済まされるはずもない。そうか、と呟くレイバックの横では、メリオンが小刻みに身体を揺らしている。レイバックの前では紳士の姿を貫くメリオンであるが、今ばかりは苛立ちを隠せない様子だ。これ以上不毛な会話が続こうものなら、150年被り続けた化けの皮が剥がれ落ちることであろう。
「王。次回の練習はいつに致しましょう」
唐突な問い掛けに、レイバックはびくりと肩を揺らした。一国の王でも、日頃温厚な男の怒りは恐ろしい。それが己の妃の所為であるなら尚更だ。肩を窄めメリオンの表情を覗き見る様は、さながら母の機嫌を伺う幼子のようだ。
「…近々と言いたいところではあるが、今週は予定が詰まっている。来週の半ば頃なら、半日程度は空けられると思うが…」
「では今日より1週間後を2度目の練習日と致しましょう。ゼータ様に関しては、私の方で個別練習の機会を設けます。ゼータ様、宜しいですね?」
強い語調で念を押されてしまえば、ゼータには頷く以外の選択肢があるはずもない。「まさかの補講」がっくりと項垂れるゼータの脇では、レイバックが不安の表情である。
「メリオン…その、大丈夫か?一昨日の講義と言い今日のダンスと言い、バルトリア王国の件に相当時間を割いているだろう。通常公務に支障は出ていないか?」
「心配には及びません。バルトリア王国との友好関係が構築され、王宮内に彼の国の知者が増えれば、将来的に私の負担は軽減します。今は未来への投資の時でございますよ」
「そうか?なら良いが…」
「しかし私も仏ではありません。個別練習に際し多少口調が荒々しくなること、練習の進捗状況によっては手荒な手段を取らざるを得ないこと、どうかこの場で了承くださいませ」
「致し方なし。大概のことには目を瞑ろう」
無慈悲な譲渡契約が着々と締結されてゆく。ゼータは売りに出された子牛のごとく、がたがたと身を震わせるのだ。
今日のゼータの服装は、先の精霊族祭で着用した膝丈のミニドレスだ。色は緋色。激しい練習の邪魔にならないようにと髪は頭長に結い上げ、靴は踊りやすさ重視の平靴。宝飾品の類も身に着けていない。対するレイバックは藍色の燕尾服に茶色の革靴を合わせている。平日の白昼に奇妙にめかし込む王と王妃の姿を、すれ違う侍女官吏は不思議そうな眼差しで見つめている。
レイバックが王宮1階に位置する賓客の間の扉を開ければ、本日の講師であるメリオンはすでに到着していた。王と王妃の結婚披露宴、人間族長任命の儀等に使用された賓客の間には、今メリオンの他に人の姿はない。優美な装飾の施された賓客の間の中央に、一人立つメリオンの姿は幻想的の一言である。
「メリオン、その道具は何だ?」
メリオンの背後に歩み寄り、レイバックは問うた。賓客の間の中央に仁王立ちするメリオンの前には、会議用の長机が置かれている。長机の上に置かれている物は3人分の麦茶と片手でつまめる焼き菓子、それから用途のわからない不可思議な道具だ。その道具は、木製の台座の上に手のひら大の水晶玉がのっている。ポトスの街の歓楽街で時折見掛ける、占い師を名乗る人物が所持する物体によく似ている。しかし今はダンスの時間。まさかメリオンが、不得手者ゼータに有用なダンスの練習方法を占うというわけではあるまい。
水晶玉の上部をゆるゆると撫でながら、メリオンはレイバックの質問に答える。
「これは蓄音具と呼ばれる道具です。その名の通り、人の会話や音楽を記録するための道具でございます」
「会話や音楽を記録する?一体どういうことだ」
二言目となるレイバックの問いに、メリオンは言葉を返さなかった。代わりに水晶玉の上部を何度か撫で、ふとした瞬間にその動きを止める。少し間をおいて、3人の周囲には軽やかな音楽が流れだす。ドラキス王国内で耳にする音楽とは少し毛色が違う、独特のリズムの音楽だ。
「この曲がバルトリア王国の国舞でございます。何分古い道具ですから、音質が悪いのはご容赦を」
「ははぁ…記録とはそういう意味合いか。便利な道具だな。畜音できる音源に制限はあるのか」
「人の耳に聞こえる大きさの音であれば、音源の制限はありません。しかし一つの畜音具につき畜音可能時間は15分程度ですから、長々とした人の会話の記録には不向きです」
「バルトリア王国では一般的な道具なのか」
「現在のバルトリア王国で頻用される道具ではありません。畜音具の製造は時を遡ること1500年。音楽と舞踊を愛したブルタス前国王が、国土内各集落に畜音具を配布したのです。畜音具には漏れなく国舞が畜音されており、国舞流布の契機となりました。1500年経った今ではまともに機能する畜音具は希少ですが、大きな都市の個物店などでは度々現物を見掛けます」
「その畜音具は、メリオンがバルトリア王国から持ち込んだ物か?」
「いえ、吸血族の同胞に購入を依頼しました。畜音具を探す手間暇に、実際の購入費用。運送費などを含め3か月分の給料が吹き飛びましたよ」
語るメリオンの声は穏やかだ。透明な水晶玉の表面に、懐古の表情が反射する。手のひら大の水晶玉をよくよく覗き込めば、玉の内部には薄桃色の雲煙が揺らめいている。玉が音を奏でる度に雲煙は揺れ、まるで焚火から立ち昇る火煙のようだ。
メリオンの右手のひらが、水晶玉の上部を軽く叩いた。軽やかと流れていた音楽が止まる。
「では早速、練習を始めましょうか。まずはダンスの基礎となる立姿勢から」
メリオンの宣言で、3人の長きに渡る戦いが幕を開けた。
ダンスの練習を開始して小一時間、進捗状況はまずまずと言える。ここに至るまでのメリオン講師の教示内容はと言えば、第一にゼータ向けのダンスの基礎講義。第二にレイバックに対する国舞男性パートの伝授である。ダンス下手のゼータと言えども、基本的な立姿勢や前後左右の簡単な移動程度で難儀することはない。子供でも踊れるという国舞の踊りを会得することに、ダンスに慣れたレイバックが難儀することもない。出だしは上々だ。
茶と菓子を共に小休憩を挟み、次は関門となるゼータへの女性パートの伝授だ。ここでも予想に反し出だしは順調。国舞の前半は緩やかな動作が多く、破滅的にダンスが苦手な者であっても、時間をかければ覚えることは難しくはない。
順調であったダンスの練習に暗雲が立ち込め始めたのは、国舞がサビに突入したとき。曲のテンポは速くなり、身体の動きは多少複雑になる。時間にすれば僅か30秒程のサビ部分を、ゼータは全くといって良いほど覚えることができない。右に回れと言えば左に回る。2歩横に歩けと言えば3歩横に歩く。激しく混乱したゼータは、終いには右手と左手すらわからなくなる始末である。
「ゼータ様は一度休憩なさってください。王、少々作戦会議を」
メリオンがそう提案したのは、練習開始より2時間半を経過した頃のことである。虚ろな表情のゼータはふらふらと床に倒れ込み、レイバックとメリオンは額を突き合わせ議論を重ねる。
「3分間の曲を一気に叩き込むというのは厳しいんじゃないか?本日の練習はここまでにして、サビ以降は次回の課題というわけにはいかんか」
「しかしダンスには流れというものがあります。下手に時間を空けると返って混乱致しますよ。不得手者なら尚更です」
「尤もな意見だが、ゼータの脳味噌はもう限界だ。見てくれ、あの生後間もないヒヨコのような表情を。あまり無理強いしては、果ては人の言葉まで忘れてしまう」
レイバックの指さす先では、ゼータが円らな瞳をぱちぱちと瞬かせている。慣れない知識を多量に詰め込まれたために、脳味噌の回路が寸断されかけているのだ。ぽっかり開いた唇は閉じることを知らず、一歩間違えばぴよぴよと鳴き出しそうな有様である。
数分間にわたり議論を続けたメリオンとレイバックは、名付けて「目で見て覚える大作戦」を決行した。元よりゼータは身体を動かす類のことが得意ではない。踊る間にあれこれ口を挟むよりも、一つの勉学としてダンスを覚えさせようという思惑である。この作戦の結構に際しては、男性パートを踊るレイバックの他に、ゼータが覚えるべき女性パートを踊る人物が必要となる。この場でその重役を担うは当然のごとくメリオンだ。それ即ちレイバックとメリオンが手と手取り合いダンスを踊るということ。さらに言い換えれば、鍛え上げられた体躯のレイバックが王宮内屈指の男前であるメリオンの腰を抱くということだ。王宮の一部侍女が見れば「眼福です」と土下座を始めそうな光景が、ゼータの目の前で繰り広げられることとなったのである。
3度眼福ダンスをまじまじと見つめたゼータは、メリオンの指示で再びレイバックの前に立った。しかし結果は惨敗。その後も考えうる限りの手段を試したものの、ゼータが国舞のサビ部分を踊れるようになることは終ぞなかった。
***
時は夕刻、大きな窓に囲まれた賓客の間には橙色の陽明かりが射し込んでいる。幻想的な風景の中に座り込むは3人の人物。足が痛いのだと靴を脱ぎ捨てたゼータに、放心状態で両脚を投げ出すレイバック。それから腕を組み深く項垂れるメリオンだ。子供でも踊れるはずのダンスで、数時間にも及ぶ足止め。各々の表情には絶望が伺える。
「メリオン、ゼータが国舞を踊れないというのは…不味いよな?」
「不味いです。即位式典に参列すると予想される国家は、ドラキス王国を除けば小国ばかり。大国の王と王妃のダンスは否が応にも人々の注目を集めます。皆が凝視する中で伝統的舞踊である国舞を踊れぬとなれば、ドラキス王国はバルトリア王国との友好関係を蔑ろにしているとの誤解を与えかねません」
「笑えない冗談だ。王妃のダンス下手が原因で他国との友好関係に亀裂が入るなどと、恥ずかしくて歴史書に載せられんぞ」
賓客の間に沈黙が落ちる。沈黙時間が数分に及んだ頃に、再び口を開く者はレイバックである。言葉を向ける先は、目の下に濃い隈を携えたゼータだ。
「ゼータ、参考までに聞きたい。破滅的なダンス下手は何に由来するのだと思う」
「何に由来…ですか」
「なぜたった30秒程度のサビ部分を覚えられないのか、と問い直しても良い。ゼータは、物覚えは良い方じゃないか。人との会話内容は俺よりも余程覚えているし、書物の内容であれば発刊年月日まで細かく記憶している。なぜダンスだけが覚えられない?」
靴擦れのできた踵を指先で撫で、ゼータは遠慮がちに話し出す。
「人の動きを真似るのが苦手なんです。剣技や体術が苦手なのも、多分同じ理由だと思うんですよ。例えば掌打の技をお目に掛かったとするじゃないですか。頭では理解しているつもりになるんですけれど、どう頑張っても動きを真似ることができないんですよ。腰の捻りはどうだったとか、足先はどちらに向いていたとか、いろいろ考えて結局ぐちゃぐちゃになっちゃうんです」
「素直にメリオンの動きを真似ることはできない?」
「起立、礼、着席。程度の単純な動きなら、何も考えずに真似ることはできると思いますけれど…」
1500年もの歴史を誇る伝統的な舞踊が、まさか三拍子の動きで済まされるはずもない。そうか、と呟くレイバックの横では、メリオンが小刻みに身体を揺らしている。レイバックの前では紳士の姿を貫くメリオンであるが、今ばかりは苛立ちを隠せない様子だ。これ以上不毛な会話が続こうものなら、150年被り続けた化けの皮が剥がれ落ちることであろう。
「王。次回の練習はいつに致しましょう」
唐突な問い掛けに、レイバックはびくりと肩を揺らした。一国の王でも、日頃温厚な男の怒りは恐ろしい。それが己の妃の所為であるなら尚更だ。肩を窄めメリオンの表情を覗き見る様は、さながら母の機嫌を伺う幼子のようだ。
「…近々と言いたいところではあるが、今週は予定が詰まっている。来週の半ば頃なら、半日程度は空けられると思うが…」
「では今日より1週間後を2度目の練習日と致しましょう。ゼータ様に関しては、私の方で個別練習の機会を設けます。ゼータ様、宜しいですね?」
強い語調で念を押されてしまえば、ゼータには頷く以外の選択肢があるはずもない。「まさかの補講」がっくりと項垂れるゼータの脇では、レイバックが不安の表情である。
「メリオン…その、大丈夫か?一昨日の講義と言い今日のダンスと言い、バルトリア王国の件に相当時間を割いているだろう。通常公務に支障は出ていないか?」
「心配には及びません。バルトリア王国との友好関係が構築され、王宮内に彼の国の知者が増えれば、将来的に私の負担は軽減します。今は未来への投資の時でございますよ」
「そうか?なら良いが…」
「しかし私も仏ではありません。個別練習に際し多少口調が荒々しくなること、練習の進捗状況によっては手荒な手段を取らざるを得ないこと、どうかこの場で了承くださいませ」
「致し方なし。大概のことには目を瞑ろう」
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