145 / 318
荒城の夜半に龍が啼く
講義の時間-1
しおりを挟む
種族長会議から二夜明けた日の午後。昼食もそこそこにレイバックの執務室を訪れたゼータは、ソファに座り温かな茶を啜っていた。部屋の最奥では、執務椅子に座るレイバックが書き物の真っ最中。かりかりと紙にペンを走らせる音が2人きりの室内に響く。
執務室に訪問者がやって来たのは、ゼータが2杯目の熱茶を飲み干したときであった。2度のノックの後に扉は開き、見知った2人の男が入室する。本日の招集者であるメリオンに、それからメリオンの背に張り付く者はクリスだ。右手を上げ訪問者を出迎えたレイバックは、予想外の人物の同伴に意外そうな声を上げる。
「ああ、クリスも一緒か」
「バルトリア王国に関する教示の場でございます。無知のクリスも参加させるべきと判断致しました」
「尤もな判断だ。掛けてくれ」
レイバックに促され、メリオンとクリスは応接用のソファへと歩み寄った。背の低いガラス板のテーブルを挟み、品の良い茶革のソファが2つ。扉をくぐり向かって右側のソファにはすでにゼータが腰掛けているから、2人が腰を下ろす先は人のいないもう一つのソファだ。横並びの師弟を眺め見て、ゼータの脳裏に浮かぶは数日前の光景である。王様ゲームの終盤にて目撃した、艶めかしい頬への口付け。手痛いしっぺ返しを食らったことにさえ目を瞑れば、あれは良い見世物であった。
回想に浸るゼータの耳に、クリスの澄んだ声が届く。
「僕、王様の執務室に立ち入るのは初めての経験だよ。緊張しちゃう」
「思っていたよりも普通でしょう?レイは、調度品の類にはまるで興味がありませんからね。傷や汚れが目立ち始めたら、侍女が適当に買い替えるんだそうですよ」
「そうなんだ。ゼータはよくレイさんの執務室に来るの?」
「週2でお邪魔していますねぇ。王妃には執務室がないんですよ。決裁資料を眺める場所はもっぱらここです」
「4階にはいくつか空き部屋があったよね。執務室を作ってもらえば良いのに」
「本職は研究員ですからね。執務室を作ってもらったところで、毎日不在の掛札が留守番ですよ」
「それもそうだね」
くすくすと笑い合うゼータとクリスの元に、書き物を一区切りにしたレイバックがやって来た。レイバックがソファの一席に腰を下ろしたと当時に部屋の扉が開き、右手に盆を持つ次女が入室する。「どうぞ」の声掛けと共に、ガラステーブルの上に次々と並べられるは淹れ立てのコーヒーだ。添えられる茶菓子は、一口大に切り分けられた抹茶の焼き菓子。「ヘンゼル菓子店の新作だ」クリスがそっと呟く。
侍女が執務室から退出した後、今度はメリオンが皆の前に配り物をする。端正な文字が書き連ねられるそれは、この度の講義に係る基礎資料だ。糸綴じの書類の一枚目にはバルトリア王国の国土地図。2枚目には地理や歴史の概要、3枚目にはバルトリア王国周辺に位置する小国の情報と、手書きの資料は合計で10枚にも及ぶ。図表や挿絵を除く単純な文字量だけでも、相当なものである。各々配布資料に眺め入る中、メリオンは凛と声を張る。
「それでは王と王妃の即位式典参列に際し、バルトリア王国に関する基礎的事項についてお話致しましょう。すでに承知の内容も多いかと存じますが、どうぞご容赦を。まず初めに国土の概略でございます。バルトリア王国はドラキス王国の南方に位置する魔族国家で、人間の民はおりません。国土の広さはドラキス王国と同程度ですが、平野の多いドラキス王国に対し、起伏の多い土地柄となっております。特に国土の東方には山脈が軒連ね、集落間の移動も容易ではありません。人口もドラキス王国とほぼ同程度と言われておりますが、こちらに関してはあくまで推測の域ですね。魔獣や盗賊に打ち滅ぼされた小集落も多数ありますから、ブルタス前国王の治世より人口は激減しているとの予想もあります」
静かな語りを聞きながら、ゼータは配布資料の一枚目をじっと見下ろした。五角形に近いバルトリア王国の国土地図には、青色のペンで主要河川が、緑色のペンで山脈が書き入れられている。国土の東方には山脈が多いというメリオンの説明に相違なく、地図の右側にはこれでもかというほどに緑色のペンが入れられている。そして地図の至るところに書き込まれた赤丸と、丸の内部に書かれた都市集落名。山脈の裾野に位置する集落も2,3はあるが、そのほとんどが比較的平坦の土地の多い国土の北方と西方に固まっている。
「国内の主要都市と致しましては、国土の中央に位置する黒の城城下、北方に位置する湖畔の街リーニャ、西方の海岸線に位置する水の都オウザン、南方に位置する多種族都市バキラ。このあたりが有名所でしょうか。ドラキス王国内に住まう吸血族も、これらの都市からの移住者が大半を占めます。この他にも数千から一万程度の人口を有する中規模都市が9つ、人口数十から数百程度の小集落が無数と存在します。先述の通り、小集落に関してはすでに廃村となっている場所も多いとは存じます。国土の気候は、北方地域は比較的温暖。西部の海岸線沿いや東部の山陰部は、昼夜の気温差が激しくなります。太陽があるうちは暖かくとも夜になれば一気に冷え込みますから、貧困集落では村人が凍死することもあります。水害や日照りが頻発する土地柄ではありませんが、気候に恵まれたドラキス王国の民にとれば厳しい土地と印象を受けるやもしれません」
メリオンの指先が資料の一枚目を捲れば、皆つられるように自身の手元の資料を捲る。大きな地図が描かれた一枚目と異なり、資料の二枚目は細かな文字で埋め尽くされている。国家の歴史、主要農作物、種族構成。いずれもドラキス国内に保管されている文献からは得られぬ情報ばかりだ。
「続いて歴史についてお話致しましょう。バルトリア王国の建国は時を遡ること1700年。建国者は初代国王であるブルタス。多数の魔族集落が乱立する広大な土地を、武力を以て統一されました。ブルタス前国王の治世は苛政の一言であり、厳格な刑罰を以てして民を戒めました。ブルタス前国王の治世では、盗賊行為や殺人行為の類は理由によらず死罪に値したのです。法の下に死罪を言い渡される民は、最も多い時期で年間数千人にも及んだとされています。処刑者の2割は冤罪であったとの噂も流布されておりますね。このように暴王と呼ばれ民に恐れられたブルタス前国王でありますが、その治世は500年にも及びます。ご崩御がおよそ1200年前、以降バルトリア王国の王座は空位のままとなっております」
それから先しばらくの間は、メリオン講師による一方的な講義の場であった。バルトリア王国各地方で生産される主な農作物、農業形態や漁業形態、一般的な建築方法、挨拶や食事の作法、バルトリア王国南方に位置する小国地帯の基礎知識まで、講義の時間はおよそ1時間にも及ぶ。メリオン手製の講義資料も順調に先へと進み、10枚綴りの資料は残り2項を残すばかりだ。
時計の針が14時を指したところで、メリオンは講義を一区切りにした。白磁器のティーカップに手を伸ばし、華奢なカップの持ち手に右手の指先を触れる。ぴんと背筋を伸ばしたメリオンが、真っ白なカップからコーヒーを口に運ぶ様は優美の一言だ。コーヒーで喉を湿らせるメリオンの横では、クリスが配付資料を見下ろし真面目な表情である。
「ドラキス王国は、今年で建国1028年でしたよね。レイさんは、ブルタス前国王とは治世が被っていないんですね」
クリスの問い掛けに、レイバックがああ、と相槌を返す。その左手にはメリオンと同じブラックコーヒー。
「俺はブルタス前国王と面識がないんだ。生前に一度でも顔を合わせる機会があれば、荒国の時代に多少なりとも力添えができただろうに」
「黒の城に足を運んだ経験もないですか?」
「ない。黒の城との接点と言えば、バルトリア王国建国に際し即位の報せを届けた時だけだ。それもあちら方からの返事らしい返事はなかったはずだ。悪路を越えてわざわざ文を届けたのにと、官吏が不満を零していた記憶がある」
記憶を辿るレイバックの横では、ゼータはコーヒーにミルクを流し込んでいるところである。白磁器のミルクカップから流し入れられるたっぷりのミルクが、コーヒーの水面に美しい螺旋模様を描く。
「文と言えば、黒の城からの文がいかにして王宮に届けられたのかを耳にしたか?」
レイバックがそう問うたのは、ゼータがコーヒーカップの縁に唇を付けたときのことである。横並びの師弟は揃って首を傾げ、ゼータはコーヒーカップを手にしたままふるふると首を振る。
「いえ、聞いていません。黒の城の官吏が届けてくれたんじゃないんですか?」
「それが違うんだ。あれは種族長会議前日の夜半のことであった。小型の飛行獣が、王宮の正門付近に着座しているとの報せが入ってな。念のため様子を見に行ったんだ。見れば確かに烏に似た飛行獣が、正門近くの地べたに蹲っている。暴れる様子もないから王宮に引き返そうとしたところ、衛兵の一人が飛行獣の右脚に括り付けられた文に気が付いてだな」
「まさか、飛行獣が黒の城からの文を運んで来たんですか?」
「その通り。文を外した後、飛行獣は何事もなかったかのように飛び去っていった。まるで夢のような話だろう」
「魔獣が文を運ぶだなんて、俄かには信じ難い話ですねぇ。御伽話のようです。バルトリア王国では、飛行獣が文を運ぶことは一般的なんですか?」
瞳輝かせるゼータが問いを向ける先は、バルトリア王国の知者メリオンだ。現在ドラキス王国で採用されている文の運搬方法はもっぱら馬車か騎獣によるもの。例え道の整備されたドラキス王国内部での文の運搬であっても、雨が降れば配達は遅れるし、山奥に位置する小集落宛の文となれば配達に数日を要する。魔獣の襲撃による文の紛失も避けられない。国家間の文の移動となれば尚更だ。現に即位式参列を伝える黒の城宛の文は、現在獣人族長が命を賭して配達の真っ最中。圧倒的な武力を誇る十二種族長の力を以てしても、バルトリア王国へと続く獣道を無傷で走り抜けられる保証はない。
しかし今回の事例のように、飛行獣に文の運搬が可能となれば状況は一変する。悪路や魔獣の出没状況を気に掛ける必要はなく、急ぎの文であれば数時間での配達が可能。危険の多い現在の配達制度に比べれば、正に夢のような話なのだ。期待に瞳煌めかせるゼータとレイバックを前に、メリオンは大袈裟に肩を竦めて見せる。
「とんでもない。魔獣が文を運ぶなどという珍事は、私も初めて耳に致しました。恐らく黒の城在住者に、たまたま飛行獣を慣らせる者が存在したのでしょう」
「羨望すら覚える特技だ。バルトリア王国との国交が開始された暁には、ぜひとも恩恵に与りたいものである。…失敬、雑談が過ぎたな。どうぞ講義を続けてくれ」
レイバックがそう促せば、メリオンは白磁器のコーヒーカップを受け皿に戻す。その手で講義資料を開くものかと思いきや、残り2項を残した資料は膝元の載せたまま開かれない。メリオンの行動が意味する物は、これから話される内容は資料には載せていない極秘事項だということ。ゼータもクリスも、レイバックまでもが自然と背筋を伸ばす。
執務室に訪問者がやって来たのは、ゼータが2杯目の熱茶を飲み干したときであった。2度のノックの後に扉は開き、見知った2人の男が入室する。本日の招集者であるメリオンに、それからメリオンの背に張り付く者はクリスだ。右手を上げ訪問者を出迎えたレイバックは、予想外の人物の同伴に意外そうな声を上げる。
「ああ、クリスも一緒か」
「バルトリア王国に関する教示の場でございます。無知のクリスも参加させるべきと判断致しました」
「尤もな判断だ。掛けてくれ」
レイバックに促され、メリオンとクリスは応接用のソファへと歩み寄った。背の低いガラス板のテーブルを挟み、品の良い茶革のソファが2つ。扉をくぐり向かって右側のソファにはすでにゼータが腰掛けているから、2人が腰を下ろす先は人のいないもう一つのソファだ。横並びの師弟を眺め見て、ゼータの脳裏に浮かぶは数日前の光景である。王様ゲームの終盤にて目撃した、艶めかしい頬への口付け。手痛いしっぺ返しを食らったことにさえ目を瞑れば、あれは良い見世物であった。
回想に浸るゼータの耳に、クリスの澄んだ声が届く。
「僕、王様の執務室に立ち入るのは初めての経験だよ。緊張しちゃう」
「思っていたよりも普通でしょう?レイは、調度品の類にはまるで興味がありませんからね。傷や汚れが目立ち始めたら、侍女が適当に買い替えるんだそうですよ」
「そうなんだ。ゼータはよくレイさんの執務室に来るの?」
「週2でお邪魔していますねぇ。王妃には執務室がないんですよ。決裁資料を眺める場所はもっぱらここです」
「4階にはいくつか空き部屋があったよね。執務室を作ってもらえば良いのに」
「本職は研究員ですからね。執務室を作ってもらったところで、毎日不在の掛札が留守番ですよ」
「それもそうだね」
くすくすと笑い合うゼータとクリスの元に、書き物を一区切りにしたレイバックがやって来た。レイバックがソファの一席に腰を下ろしたと当時に部屋の扉が開き、右手に盆を持つ次女が入室する。「どうぞ」の声掛けと共に、ガラステーブルの上に次々と並べられるは淹れ立てのコーヒーだ。添えられる茶菓子は、一口大に切り分けられた抹茶の焼き菓子。「ヘンゼル菓子店の新作だ」クリスがそっと呟く。
侍女が執務室から退出した後、今度はメリオンが皆の前に配り物をする。端正な文字が書き連ねられるそれは、この度の講義に係る基礎資料だ。糸綴じの書類の一枚目にはバルトリア王国の国土地図。2枚目には地理や歴史の概要、3枚目にはバルトリア王国周辺に位置する小国の情報と、手書きの資料は合計で10枚にも及ぶ。図表や挿絵を除く単純な文字量だけでも、相当なものである。各々配布資料に眺め入る中、メリオンは凛と声を張る。
「それでは王と王妃の即位式典参列に際し、バルトリア王国に関する基礎的事項についてお話致しましょう。すでに承知の内容も多いかと存じますが、どうぞご容赦を。まず初めに国土の概略でございます。バルトリア王国はドラキス王国の南方に位置する魔族国家で、人間の民はおりません。国土の広さはドラキス王国と同程度ですが、平野の多いドラキス王国に対し、起伏の多い土地柄となっております。特に国土の東方には山脈が軒連ね、集落間の移動も容易ではありません。人口もドラキス王国とほぼ同程度と言われておりますが、こちらに関してはあくまで推測の域ですね。魔獣や盗賊に打ち滅ぼされた小集落も多数ありますから、ブルタス前国王の治世より人口は激減しているとの予想もあります」
静かな語りを聞きながら、ゼータは配布資料の一枚目をじっと見下ろした。五角形に近いバルトリア王国の国土地図には、青色のペンで主要河川が、緑色のペンで山脈が書き入れられている。国土の東方には山脈が多いというメリオンの説明に相違なく、地図の右側にはこれでもかというほどに緑色のペンが入れられている。そして地図の至るところに書き込まれた赤丸と、丸の内部に書かれた都市集落名。山脈の裾野に位置する集落も2,3はあるが、そのほとんどが比較的平坦の土地の多い国土の北方と西方に固まっている。
「国内の主要都市と致しましては、国土の中央に位置する黒の城城下、北方に位置する湖畔の街リーニャ、西方の海岸線に位置する水の都オウザン、南方に位置する多種族都市バキラ。このあたりが有名所でしょうか。ドラキス王国内に住まう吸血族も、これらの都市からの移住者が大半を占めます。この他にも数千から一万程度の人口を有する中規模都市が9つ、人口数十から数百程度の小集落が無数と存在します。先述の通り、小集落に関してはすでに廃村となっている場所も多いとは存じます。国土の気候は、北方地域は比較的温暖。西部の海岸線沿いや東部の山陰部は、昼夜の気温差が激しくなります。太陽があるうちは暖かくとも夜になれば一気に冷え込みますから、貧困集落では村人が凍死することもあります。水害や日照りが頻発する土地柄ではありませんが、気候に恵まれたドラキス王国の民にとれば厳しい土地と印象を受けるやもしれません」
メリオンの指先が資料の一枚目を捲れば、皆つられるように自身の手元の資料を捲る。大きな地図が描かれた一枚目と異なり、資料の二枚目は細かな文字で埋め尽くされている。国家の歴史、主要農作物、種族構成。いずれもドラキス国内に保管されている文献からは得られぬ情報ばかりだ。
「続いて歴史についてお話致しましょう。バルトリア王国の建国は時を遡ること1700年。建国者は初代国王であるブルタス。多数の魔族集落が乱立する広大な土地を、武力を以て統一されました。ブルタス前国王の治世は苛政の一言であり、厳格な刑罰を以てして民を戒めました。ブルタス前国王の治世では、盗賊行為や殺人行為の類は理由によらず死罪に値したのです。法の下に死罪を言い渡される民は、最も多い時期で年間数千人にも及んだとされています。処刑者の2割は冤罪であったとの噂も流布されておりますね。このように暴王と呼ばれ民に恐れられたブルタス前国王でありますが、その治世は500年にも及びます。ご崩御がおよそ1200年前、以降バルトリア王国の王座は空位のままとなっております」
それから先しばらくの間は、メリオン講師による一方的な講義の場であった。バルトリア王国各地方で生産される主な農作物、農業形態や漁業形態、一般的な建築方法、挨拶や食事の作法、バルトリア王国南方に位置する小国地帯の基礎知識まで、講義の時間はおよそ1時間にも及ぶ。メリオン手製の講義資料も順調に先へと進み、10枚綴りの資料は残り2項を残すばかりだ。
時計の針が14時を指したところで、メリオンは講義を一区切りにした。白磁器のティーカップに手を伸ばし、華奢なカップの持ち手に右手の指先を触れる。ぴんと背筋を伸ばしたメリオンが、真っ白なカップからコーヒーを口に運ぶ様は優美の一言だ。コーヒーで喉を湿らせるメリオンの横では、クリスが配付資料を見下ろし真面目な表情である。
「ドラキス王国は、今年で建国1028年でしたよね。レイさんは、ブルタス前国王とは治世が被っていないんですね」
クリスの問い掛けに、レイバックがああ、と相槌を返す。その左手にはメリオンと同じブラックコーヒー。
「俺はブルタス前国王と面識がないんだ。生前に一度でも顔を合わせる機会があれば、荒国の時代に多少なりとも力添えができただろうに」
「黒の城に足を運んだ経験もないですか?」
「ない。黒の城との接点と言えば、バルトリア王国建国に際し即位の報せを届けた時だけだ。それもあちら方からの返事らしい返事はなかったはずだ。悪路を越えてわざわざ文を届けたのにと、官吏が不満を零していた記憶がある」
記憶を辿るレイバックの横では、ゼータはコーヒーにミルクを流し込んでいるところである。白磁器のミルクカップから流し入れられるたっぷりのミルクが、コーヒーの水面に美しい螺旋模様を描く。
「文と言えば、黒の城からの文がいかにして王宮に届けられたのかを耳にしたか?」
レイバックがそう問うたのは、ゼータがコーヒーカップの縁に唇を付けたときのことである。横並びの師弟は揃って首を傾げ、ゼータはコーヒーカップを手にしたままふるふると首を振る。
「いえ、聞いていません。黒の城の官吏が届けてくれたんじゃないんですか?」
「それが違うんだ。あれは種族長会議前日の夜半のことであった。小型の飛行獣が、王宮の正門付近に着座しているとの報せが入ってな。念のため様子を見に行ったんだ。見れば確かに烏に似た飛行獣が、正門近くの地べたに蹲っている。暴れる様子もないから王宮に引き返そうとしたところ、衛兵の一人が飛行獣の右脚に括り付けられた文に気が付いてだな」
「まさか、飛行獣が黒の城からの文を運んで来たんですか?」
「その通り。文を外した後、飛行獣は何事もなかったかのように飛び去っていった。まるで夢のような話だろう」
「魔獣が文を運ぶだなんて、俄かには信じ難い話ですねぇ。御伽話のようです。バルトリア王国では、飛行獣が文を運ぶことは一般的なんですか?」
瞳輝かせるゼータが問いを向ける先は、バルトリア王国の知者メリオンだ。現在ドラキス王国で採用されている文の運搬方法はもっぱら馬車か騎獣によるもの。例え道の整備されたドラキス王国内部での文の運搬であっても、雨が降れば配達は遅れるし、山奥に位置する小集落宛の文となれば配達に数日を要する。魔獣の襲撃による文の紛失も避けられない。国家間の文の移動となれば尚更だ。現に即位式参列を伝える黒の城宛の文は、現在獣人族長が命を賭して配達の真っ最中。圧倒的な武力を誇る十二種族長の力を以てしても、バルトリア王国へと続く獣道を無傷で走り抜けられる保証はない。
しかし今回の事例のように、飛行獣に文の運搬が可能となれば状況は一変する。悪路や魔獣の出没状況を気に掛ける必要はなく、急ぎの文であれば数時間での配達が可能。危険の多い現在の配達制度に比べれば、正に夢のような話なのだ。期待に瞳煌めかせるゼータとレイバックを前に、メリオンは大袈裟に肩を竦めて見せる。
「とんでもない。魔獣が文を運ぶなどという珍事は、私も初めて耳に致しました。恐らく黒の城在住者に、たまたま飛行獣を慣らせる者が存在したのでしょう」
「羨望すら覚える特技だ。バルトリア王国との国交が開始された暁には、ぜひとも恩恵に与りたいものである。…失敬、雑談が過ぎたな。どうぞ講義を続けてくれ」
レイバックがそう促せば、メリオンは白磁器のコーヒーカップを受け皿に戻す。その手で講義資料を開くものかと思いきや、残り2項を残した資料は膝元の載せたまま開かれない。メリオンの行動が意味する物は、これから話される内容は資料には載せていない極秘事項だということ。ゼータもクリスも、レイバックまでもが自然と背筋を伸ばす。
10
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。


僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる