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十字架、銀弾、濡羽のはおり
悪魔の宴-5
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時計の針が22時を回った頃。宴の参加者である4人の間には沈黙が目立ち始めた。ザトは夢見心地でうとうとと微睡み、ゼータはい草の敷物の上でまったり寛ぎ状態。メリオンとクリスは豆菓子をつまみに、気ままなお酒談議に花を咲かせている。壁際に寄せられた空の酒瓶は二十数本にも及び、宴はそろそろお開きかと思われた。その時。
「ゲームでもします?」
そう提案するは、お酒談議を一区切りにしたクリスだ。メリオンをザトは揃って首を捻るが、ゼータは即座にクリスの言葉の意味を理解した。魔導大学定番の飲み会ゲーム。ゼータは以前魔法研究所内で催されたクリスの歓迎会において、そのゲームを体験した。隣席の者に愛を伝えるその名も「愛してるゲーム」王子クリスの唇から囁かれる愛の言葉は、悶絶必須の一撃であった。懐かしい記憶である。
「ゲーム、とは何だ」
微睡みから覚めたザトが問う。興味深い単語を耳にして、いくらか酔いが冷めた様子ではあるが、山猿を思わせる赤ら顔は健在だ。
「魔導大学発祥の宴会遊戯ですよ。簡単な手遊びとか、言葉遊びみたいなものです」
「俺は手遊びの類は得意ではない。言葉遊びも然りだ。俺は観客に回るから、ゲームとやらは3人で楽しんでくれ」
「参加者が多い方がゲームは盛り上がるんです。退屈でしたら途中で抜けて構いませんから、まずはザトさんも参加してみてください。王様ゲーム、なんてどうですか?」
王様ゲーム、クリス以外の3人が3様に繰り返す。王という馴染みの深い言葉に、ゼータとメリオンは興味津々。一度は不参加を表明したザトの表情も緩む。
クリスはちゃぶ台上にある未使用の木箸を数本、手元に引き寄せた。続いて夜着のポケットからペンを取り出し、木箸の先端にペン先を走らせる。1本また1本と木箸に文字を書き入れ、やがて4本の文字入り木箸がちゃぶ台の中央に並べられる。木箸の先端に書き入れられた文字は「1」「2」「3」そして「王」
「この4本の木箸でくじ引きをします。王の木箸を引いた人が王様、数字の木箸を引いた人は家臣です。王様はゲーム内において一度だけ、家臣に命令を下すことができます。命令の内容などんなものでも構いません。例えば一枚服を脱げとか、一杯酒を飲めとか、そんな命令が定番ですね。皆でくじ引きをして、王様が命令を下し、家臣が命令を遂行する。ここまでが一纏まりで、これを何度も繰り返します」
クリスの説明を言葉のままで捉えるのならば、王様ゲームとは王の木箸を引いた者が絶対的な権力を手にする物恐ろしいゲームである。数字の箸を引いた者は家臣に下り、王の命令に絶対服従。日頃王たる人物の権力に触れているだけに、皆の表情には緊張が滲む。恐ろしい、これは何と恐ろしいゲームだ。静寂の中、クリスは淡々と説明を続ける。
「ただし命令を個人名ですることはできません。個人名の代わりに1から3までの数字を使ってください。例えば1番の人が酒を一杯飲む、というような言い方ですね。つまり誰が命令を実行するのかは、命令を終えるその時までわからないということです。これが王様ゲームの醍醐味といっても過言ではありません」
クリスが説明を終えたとき、ゼータとザトの視線は自然と同方向へと向いた。そこに坐するはポトス城屈指の淫猥物メリオン。彼が王となり横暴に権力を振り翳せば、楽しい宴の席は凄惨と化す。3人の哀れな家臣が王の御前に跪き、全裸で足指を舐らされる光景が目に浮かぶようだ。ゼータとザトの恐怖は口に出さずとも伝わったようで、クリスは慌てた様子で再度口を開く。
「念のため付け加えますけれど、王様の命令は常識の範囲内でお願いします。全裸になれとか足を舐めろとか、周囲を不快にさせるような命令は禁止ですよ」
「おいクリス、なぜその忠告を俺に向ける」
「メリオンさんが家臣に足指を舐らせる光景が、瞼の裏に浮かんだからです」
不満げに鼻を鳴らすメリオンを見やり、ゼータとザトはそっと息を吐く。事前に規則として説明を受ければ、流石のメリオンも人様に足指を舐らせる真似はすまい。
「では早速ゲームを始めましょうか」
クリスの宣言により、異例の面子による王様ゲームは滞りなく開始された。4本の木箸が色付きのグラスに差し込まれ、クリスの右手がからからとグラスを振る。4本の木箸はグラスの中を入り乱れ、どれが王の箸であるかは見当もつかない。どうぞとグラスを差し出され、ゼータは4本の木箸から1本を抜き取る。ザト、メリオンと順に木箸を引き、最後の1本をクリスが抜き取る。「王様だーれだ?」クリスの問いかけが、静寂の場に大きく響く。
「ん。俺だ」
記念すべき初代国王となった者は、ドラキス王国のナンバー2と名高いザト。しかし初代国王は即位の喜びに声を上げることもなく、赤ら顔を顰めてううむと唸る。
「命令…命令か。中々難しいな」
「ザトさん。困ったときはさっき僕が言った定番の命令で構いませんよ。酒が回れば回るだけ、このゲームは面白くなりますからね。家臣に酒を勧めるのも、立派な王様のお仕事です」
「そうか?では3番の家臣、手持ちのグラスを空にしろ」
クリスの助言により、初代国王の命令は無事決定された。3人の家臣は手持ちの木箸を眺め下ろし、3番の箸を持つメリオンがグラスの酒を一気に飲み干す。命令は完了。初代国王の治世はこれにて終了である。
続いて行われた2回戦、王の箸を引き当てた者はゼータだ。王座獲得にしばし沸くゼータであるが、時が経つにつれ次第に表情を曇らせる。ザト同様、家臣に下すべき命令が思い浮かばないのだ。右へ左へと頭を捻り、やがて2代目国王は苦渋に満ちた声音で命令を下す。
「1番の家臣…でんぐり返しをしてください」
小上がりの隅で、家臣クリスが華麗な一回転。輝く金髪が弧を描く様子を眺めながら、各々は気付く。このゲームの勝者は王の木箸を引き当てた者ではない。王の木箸を引き当て、さらには皆を楽しませる気の利いた命令を下す者。彼の者こそが王様ゲームの真の勝者である。定番の命令に逃げたザトは真の勝者とは程遠く、「前転せよ」などというゼータの命令も場を盛り上げるものとは言い難い。だからと言って皆を楽しませるために度を過ぎた命令を行えば、「王様の命令は常識の範囲内で」というクリスの忠告に反する羽目になる。節度を守り、かつぎりぎりの境界で場を盛り上げる命令を下すこと。それこそが王様ゲームの真髄である。深い、呟きを零す者はザトかゼータか、はたまたメリオンか。
かつてない静寂が場を支配する中、3度目となるくじ引きが着々と進行する。ザトが引き、メリオンが引き、ゼータが引き、最後に残った1本をクリスが引く。王様だーれだ。クリスの掛け声と共に皆が同時に木箸の先端を見て、次なる王様は誰だと互いに視線を交わす。穏やかな微笑と共に天高く右手を掲げるは、この場における唯一の王様ゲーム経験者クリスだ。
「僕が王様です。では3番の人。1番の人のグラスが空く度に、ご主人様どうぞと言って酒を注いでください。この命令は今から10分間有効です」
3代目国王の勅命を聞き、3人の家臣ははっと表情を引き締めた。なるほど、時間制限も可能なのか。家臣同士を絡ませることも有りなのか。各々が気付きの表情を見せる中、ザトが顔の前で1番の箸を振る。
「さて、俺が酒を注がれる側だが…」
ザトの視線はゼータとメリオンを交互に見やる。クリスが王の箸を引き、ザトが1番の箸を引いた。つまり酒の給仕者となる3番の箸を引き当てた者は、ゼータかメリオンのどちらかである。ちゃぶ台の上に木箸を投げ出し、羅刹の表情で手近な酒瓶を手に取る者はメリオン。
「3番は俺だ。…ご主人様、どうぞ」
威圧感に満ちた声が場に響く。続いてザトが掲げる空のグラスに、薄黄色の果実酒がなみなみと注がれる。羅刹と化したメリオンの口元からはぎりぎりと歯軋りの音が聞こえるが、酒の給仕を受けるザトの表情は悦と緩む。日頃不遜の態度を貫くメリオンからの、まさかの「ご主人様」呼び。これは堪らんと悦に浸るザトは、満杯の酒を一息に飲み干す。
それから先のザトはといえば、まるで砂漠から帰還したばかりの旅人のごとし。「ご主人様どうぞ」と酒を注がれるや否や満杯の酒を飲み干し、次なる給仕を受ける。クリスが箸を戻し入れたグラスを各人に差し出す間にも、王の箸を引き当てたゼータが「2番の家臣、最近やらかした恥ずかしい話を披露してください」と命令ずる間にも、2番の箸を引き当てたクリスが「人間族長就任当時、寝不足が祟り廊下の壁に激突した。額を抑え痛みに悶える様を数人の侍女に目撃された」と話す間にも、次から次へと満杯のグラスを空ける。その度に律義に「ご主人様どうぞ」と給仕を繰り返していたメリオンは、給仕の回数が7度目を数えたところでついに声を荒げるのだ。
「おいザト、いい加減にしろ!何度注がせるつもりだ?」
「そう吠えるな。王のご命令とあらば仕方あるまい」
「命令を遂行するなら一度の給仕で十分だろうが。酒吞童子のごとく次から次へとグラスを空けおって」
「当たり前だろう。メリオンが俺をご主人様と呼ぶ機会など、この先の人生で2度とない。冥土の土産にするんだ。ほら、グラスが空いているぞ。さっさと酒を注げ」
そう言われてしまえば、メリオンは眉を吊り上げながらも大人しく酒を注ぐ他にない。結局クリスの定めた刻限までにザトは15度グラスを空け、小上がりの隅には3本の空瓶が追加された。「流石に飲みすぎた」などとグラス一杯の冷水を煽りながらも、ザトの表情は満足感に満ちる。一方のメリオンはといえばちゃぶ台の上に頬杖を付き、こめかみに深い皺を寄せている。
不機嫌全開のメリオンが初めて王の箸を引き当てたのは、酒を注ぐ任を解任された直後のことであった。「俺が王だ」とメリオンが名乗り出るや否や、3人の家臣は自らの木箸を懐に隠す。万が一にでも、国王メリオンに箸に書かれた数字を知られるわけにはいかない。全裸で足指を舐らされることはなくとも、鬱憤を溜め込んだメリオンの命令が穏便であるはずはないのだ。
「家臣共、そう怯えた顔をするな。事前に忠告を受けているのだから、まさか跪いて足指を舐れなどとは言うまいよ。そうだな…2番の家臣。直近の性行為にについて詳細を述べよ。行為の時期、場所、相手の名、関係、行為をするに至った詳細な過程等々。状況報告の最後には行為の感想を添えること」
「嘘ぉ…」
悲痛の面持ちで木箸を取り落とす者はクリス。「2」と数字の書き入れられた箸は、ちゃぶ台の角に当たりい草の敷物へと転がり落ちてゆく。難を逃れたゼータとザトは懐から取り出した木をグラスに戻し入れ、哀れな家臣クリスに向かい黙礼をする。「まさかの暴露系」と深い溜息を零しながらも、クリスは王の命令に応えるべく口を開く。
「直近の性行為は3年前です。場所はロシャ王国の首都リモラにある、遊屋と呼ばれる場所。遊屋とは客人向けに性商品を提供する店で、リモラ駅南方にある繁華街には多くの遊屋が軒を連ねているんです。僕は当時所属していた研究室の飲み会で繁華街へと赴き、宴の終了後有志にてその遊屋へと足を運びました。特段興味もなかったんですけれど、魔導大学の研究員を名乗るならば一度は訪れるべき場所であると言われて…」
「…そうなんですか?」
「今思えば、僕を説得するための虚言だったんだろうけどさ。でも当時の僕はかなり酔っていたし、先輩方に両腕を抱えられたら逃げられっこないじゃない。…それで言葉巧みに遊屋へと誘い込まれ、遊女を名乗る店の店員と一晩限りの関係を持ちました。名前は、確かリンと名乗っていたと思います。遊女は客人に本名を明かしませんから、恐らく偽名ですけれど」
「行為の感想は?遊女の性技術とは、凡人とは一線を画するものなのでしょうか」
「僕がお相手を願い出た遊女の性技術は、一般人と相違なかったよ。でも遊女の中には、一般人を遥かに超える技術を会得する者もいるらしいよ。そういう人にお相手を願い出るには、まず一つの遊屋に通いつめなきゃならないんだ。常連になって初めて、人気の遊女との遊戯が許される」
「一般人との比較が可能ということは、クリスは遊女意外とも性交経験が?」
「そりゃ花の学生生活を送ってきたわけだし、僕だって人並みの性交経験は…ちょっと。何で王様でもないゼータが嬉々として質問を重ねるわけ?メリオンさんならまだしも」
恨みがましい視線を受けて、ゼータは身を竦ませる。そう、今までクリスに質問を重ねていたのは、王であるメリオンではなく一家臣のゼータ。質問者のメリオンはといえばクリスの性事情に然したる興味はないようで、相槌もそこそこに飲酒に没頭している。ザトも同様だ。哀れな家臣クリスにいらぬ恥を掻かせてしまったと、ゼータは素直に頭を下げる。
「すみません。ロシャ王国の性事情に、湧き上がる興味を抑えられませんでした」
「別に良いけどさ。私的な質問は2人きりのときにしてよね」
家臣2人の平和な諍いを経て、国王メリオンの治世は終了である。
***
王様ゲームが開始されてから2時間が経ち、小上がり上は死屍累々。メリオンとクリスはザト国王の脱衣指令を数発食らい、共に下着一枚という有様だ。さらに2人の家臣を全裸直前まで引ん剥いた張本人はといえば、頭髪を左右の耳の後ろで少女のように結わえている。白髪に強面という爺風貌のザトが、幼子の髪形を真似る様は奇怪の一言だ。ゼータは容姿こそゲーム開始時と変わらないが、ほんの数分前まで語尾に「にゃん」付けでの会話を強要されていた。「ザト。そのお酒、一口私にくださいにゃん」王妃たる者の物言いがこれでは、威厳も何もあったものではない。
「もうじき日も変わりますし、あと3回でお終いにしませんか?」
疲労困憊といった様子のクリスがそう提案すれば、残る3人は一様に頷いた。紺色の下着一枚で胡坐を掻くメリオンも、少女の髪形のザトも、語尾から「にゃん」が抜け切らぬゼータも。精魂尽き果てた表情が並んでいる。
クリスの提案により開始された王様ゲームは、ここに至るまで三十数回と繰り返された。性格も出生も異なる4人が寄り集まれば、下される命令も千差万別。ザト国王の命令は比較的穏便、「酒を1杯飲め」「衣服を1枚脱げ」など集中砲火を食らえば厳しい内容ではあるが、遂行を躊躇する内容ではない。それぞれの命令に「ただし残る衣服が1枚の者は命令遂行を免除」などと逃げ道を与えるのだから、ザト国王が善良な王であることに間違いはないのだ。
善王ザトに対し、暴王と名付けられるはメリオンだ。メリオン国王はひたすらに、家臣に過去の性行為やら性癖やらの暴露を強要する。哀れな家臣クリスは「性行為中に言われて最高に興奮した言葉」だの、「機会があれば挑戦したいアブノーマルな行為」だのを赤裸々に告白する羽目となり、ゼータは「寝所以外で性行為を行った場所」を羅列させられた。「…ソファとベランダ」正直に答えるゼータの横で、ザトが口いっぱいの酒を吐き散らかした。
王様ゲーム経験者であるクリスは、一風変わった命令で皆を楽しませた。ゼータの語尾の「にゃん」を付けたのも、ザトに究極の変顔を披露させたのも、メリオンに市井で流行る歌曲を歌わせたのも、クリス国王の功績である。ゼータはくじ運に恵まれず王の箸を引き当てる機会は稀であったが、ザトとクリスに尻相撲をさせ場を沸かせた。
クリスの提案による王様ゲームが、過去類を見ない盛り上がりを見せたことは事実。しかしゲームが盛り上がれば同時に恥も積み重なる。クリスの右手がグラスを揺らす様子を眺めながら、他の3人はぐったりと肩を落としている。
「泣いても笑っても最後の3回ですよ。はい、ゼータ。どうぞ」
クリスが差し出したグラスの中から、ゼータは1本の木箸を引き抜いた。他に見られぬようにとこっそり覗き見た箸の先端には、久方振りに見る「王」の文字。最後の最後でツキが回ってきたと、ゼータは口元を緩める。
「私が王です」
ゼータがそう伝えれば、メリオンとザトは木箸の先端を手のひらに握り込んだ。グラスに残る最後の木箸を指先で引き抜き、クリスも同様に自らの番号を秘し隠す。皆の思いは同様。残り3度となった王様ゲーム、願わくはこれ以上恥を晒すことがありませんように。無表情を貫く3人の家臣を順に眺めながら、ゼータは考える。ゲームの大終盤にて幸運にも手にした王の箸。気の利いた命令で、最後の一時を大いに盛り上げたいものである。
「では…1番の家臣。3番の家臣の頬にキスをしてください」
事も無げにそう命ずれば、3人の家臣は同時に自らの木箸を覗き見た。「わぁ」と楽しげな声を上げる者はクリス、「おい」と不機嫌な声を上げる者はメリオン。
「お前…この俺が散々気を遣い、接触系の命令を控えていたというのに」
「あ、そうだったんですか?でもほら、ゲームも大終盤ですし。頬にキスくらいなら許されるでしょう」
そうですよね、とゼータが視線を向ける先はクリスだ。「そうだね。頬にキスは結構定番かな」などと述べながら、クリスは3番の箸をグラスへと戻し入れる。夜叉を思わせる表情で、メリオンは自らの木橋をちゃぶ台上に叩き付ける。そこに書かれた数字は1番だ。恨み言を吐き連ねながら、メリオンはクリスの膝元へとにじり寄った。小上がりの一角で、2人の男が向かい合う。ゼータとザトは緊張に息を潜める。静かな時が過ぎる。
俯き深い呼吸を繰り返していたメリオンは、やがて弾かれたように顔を上げた。傍にあるクリスの頭部を力任せに引き寄せて、無防備な左頬に唇を触れる。ちゅ、と軽い吸い音。ゼータとザトははっと息を呑む。
命令の達成を確信するや否や、メリオンはクリスの肩口を突き飛ばした。甘い接吻から一変しての激しい拒絶。い草の敷物に倒れ込んだクリスは、不満げに声を荒げる。
「ちょっと…メリオンさん。何で突き飛ばすんですか?」
「にやけ面が気に障ったからだ」
「仕方ないじゃないですか。メリオンさんから口付けを頂ける機会なんて、この先の人生で2度とはありません。冥土の土産にします」
「それは光栄だ。明日にでも死ね」
家臣2人のやり取りを眺めながら、ゼータは思うのだ。王子に等しい尊顔を持つクリスに、ポトス城の紳士と名高いメリオン。性格や経歴に多少の難はあれど、2人が王国屈指の男前であることに違いはない。さらに今の2人は共に下着一枚という霰もない姿なのだ。全裸に近しい男2人が、目の前で甘い接吻を交わす。ポトスの街中で披露の機会を設ければ閲覧料を徴収できるであろうし、王宮の一部侍女の前で披露すれば歓喜の悲鳴が上がることであろう。隣に佇むザトも「銀貨一枚」などと呟きを零しているから、どうやら同様の感想を抱いたようである。
ちゃぶ台の端々に散らばった木箸を、ゼータはグラスの中へと集め入れる。王となった者が、次のくじ引きの持ち手を務める。これは三十数回に及ぶゲームのうちに自然と定められた規律だ。からからと数度木箸をかき混ぜ、ゼータはザトに向けてグラスを差し出す。ザトが引き、クリスが引き、メリオンが引き、最後に残った1本をゼータが引き抜く。しかしゼータが木箸の先端を臨むより先に、背筋を震わせるような低い声が響き渡った。
「俺だ」
言葉と共にゼータの膝元に放られるは「王」の箸。顔を上げれば、魔王のごとく仁王立ちするメリオンがいる。腕組み顎を上げ、3人の家臣を見下ろす様は暴王或いは独裁者のそれだ。
「1番の家臣と2番の家臣。口付けをせよ。生半可な口付けでは許さんぞ。目を閉じ、ひしと抱き合い、互いに互いの唇を貪り尽くせ」
「メリオン。ちょ、ちょっと待ってください」
高らかと下される命令に、まず狼狽えたのはゼータだ。ゼータの手の中にある木箸を覗き込み、続いてクリスが悲鳴を上げる。
「メリオンさん、それは無理ですって。僕、レイさんに殺されちゃう」
無理無理と訴えるクリスの指先からは1番の箸が、激しく狼狽えるゼータの指先からは2番の箸が転がり落ちる。敷物上で重なり合う2本の箸を眺め下ろし、メリオンはにやりと口の端を上げる。
「まさか王の命令に従えぬと戯言を抜かすか?前王の言葉を借りるならば、ゲームも大終盤。口付け程度の命令ならば許されるのであろう。腹を据え、即座に命令を遂行せよ」
メリオンが王となった回数は、ここに至るまでおよそ10回。ゲーム開始当初こそ命令の過激さが心配されたメリオンであるが、下される命令はいずれも暴露系ばかり。家臣同士の身体が触れ合う類の命令は、一度たりともなかったのだ。淫猥物と名高い男であるが、彼なりにゲームを穏便に進めるべく気を遣っていたのである。しかしゼータの命令によりクリスの頬へ接吻を強いられた今、メリオンの胸中に慈悲の心はない。敷物に坐す3人の家臣を見下ろす灰色の瞳は、下劣な色に満ちている。
「行動が遅いぞ愚劣共。行き過ぎた命令だと謀反を起こすか?しかし俺の気遣いを虚仮にしたのは貴様らだ。この命令は無効だと痴れ事を抜かすのならば、足元に平伏して謝罪せよ。全裸にて、涙鼻水垂れ流して俺の足指を舐れば、この度の命令は免除してやろう」
無慈悲と告げられてしまえば、クリスとゼータは黙って向き合うほかにない。2人は共に選択を誤ったのだ。ゼータの過ちは接触行為御法度の王様ゲームに「口付け」を持ち込んだこと。クリスの過ちは、ゼータが口にした「口付け命令」を容認したこと。頬への口付けは許されるが、唇同士の接触は不可。今更そう述べたところで、猛虎の怒りに油を注ぐ結果になることは目に見えている。
クリスとゼータが死人の面持ちで向き合う中、ザトはくるりと場に背を向ける。忠実なレイバックの家臣であるザトは、これから行われる一挙一動を視界に入れないつもりなのだ。ザトが傍観を決め込むのなら、暴王メリオンの勅命を止める術はない。哀れな家臣2人は思考を放棄し、絶望に満ちた表情で手と手を取り合う―
小上がりの隅には2体の屍が転がっていた。1体の屍は、両手のひらで顔面を覆い隠し頭長から湯気立ち昇らせるゼータ。もう1体の屍は、漆喰の壁に額を打ち付け「レイさんにばれた日が僕の命日」と呟くクリスである。2体の屍を生み出したメリオンはといえば、一時前とは打って変わって穏やかな表情だ。家臣2人の熱い口付けをしかと見届け、私怨は綺麗さっぱり晴らされたようである。晴れた日の早朝のごとく清々しい表情を浮かべたメリオンは、小上がりのあちこちに散らばった木箸を拾い集める。4本の木箸を差し込んだグラスを雅やかと振り、中身の見えぬグラスはザトの目の前へと差し出される。次のくじ引きが正真正銘最後の1回。長く続いた王様ゲームもいよいよ終幕だ。
差し出されたグラスから1本の木箸を抜き取ったザトは、唐突に立ち上がった。印籠のように高々と翳されるは、今宵幾度となく目にした「王」の箸。
「王の名において命ずる。今宵この場所で起きたことを、決して他言してはならぬ。命令を破りし者は死を以てして償え」
下される命令は威厳に満ちている。忘れてはならないことであるが、ザトは王宮内においてドラキス王国ナンバー2の地位に就く人物だ。言うなれば彼は真に国家の重鎮。本職が研究員のゼータやクリスとは、違う次元に生きる人物なのだ。
国王ザトの眼下には、3人の家臣が坐す。屍状態から復帰し、正座にて佇むクリスとゼータ。そして胡坐を掻きながらもぴんと背筋を伸ばしたメリオン。3人の家臣は抗いがたい威厳を前に、ただ静かに「はい」と頷いた。
恥辱に塗れた宴がお開きを迎える頃。脚に文を括り付けた一匹の魔獣が、翼を広げポトス城の王宮に向かっていた。
「ゲームでもします?」
そう提案するは、お酒談議を一区切りにしたクリスだ。メリオンをザトは揃って首を捻るが、ゼータは即座にクリスの言葉の意味を理解した。魔導大学定番の飲み会ゲーム。ゼータは以前魔法研究所内で催されたクリスの歓迎会において、そのゲームを体験した。隣席の者に愛を伝えるその名も「愛してるゲーム」王子クリスの唇から囁かれる愛の言葉は、悶絶必須の一撃であった。懐かしい記憶である。
「ゲーム、とは何だ」
微睡みから覚めたザトが問う。興味深い単語を耳にして、いくらか酔いが冷めた様子ではあるが、山猿を思わせる赤ら顔は健在だ。
「魔導大学発祥の宴会遊戯ですよ。簡単な手遊びとか、言葉遊びみたいなものです」
「俺は手遊びの類は得意ではない。言葉遊びも然りだ。俺は観客に回るから、ゲームとやらは3人で楽しんでくれ」
「参加者が多い方がゲームは盛り上がるんです。退屈でしたら途中で抜けて構いませんから、まずはザトさんも参加してみてください。王様ゲーム、なんてどうですか?」
王様ゲーム、クリス以外の3人が3様に繰り返す。王という馴染みの深い言葉に、ゼータとメリオンは興味津々。一度は不参加を表明したザトの表情も緩む。
クリスはちゃぶ台上にある未使用の木箸を数本、手元に引き寄せた。続いて夜着のポケットからペンを取り出し、木箸の先端にペン先を走らせる。1本また1本と木箸に文字を書き入れ、やがて4本の文字入り木箸がちゃぶ台の中央に並べられる。木箸の先端に書き入れられた文字は「1」「2」「3」そして「王」
「この4本の木箸でくじ引きをします。王の木箸を引いた人が王様、数字の木箸を引いた人は家臣です。王様はゲーム内において一度だけ、家臣に命令を下すことができます。命令の内容などんなものでも構いません。例えば一枚服を脱げとか、一杯酒を飲めとか、そんな命令が定番ですね。皆でくじ引きをして、王様が命令を下し、家臣が命令を遂行する。ここまでが一纏まりで、これを何度も繰り返します」
クリスの説明を言葉のままで捉えるのならば、王様ゲームとは王の木箸を引いた者が絶対的な権力を手にする物恐ろしいゲームである。数字の箸を引いた者は家臣に下り、王の命令に絶対服従。日頃王たる人物の権力に触れているだけに、皆の表情には緊張が滲む。恐ろしい、これは何と恐ろしいゲームだ。静寂の中、クリスは淡々と説明を続ける。
「ただし命令を個人名ですることはできません。個人名の代わりに1から3までの数字を使ってください。例えば1番の人が酒を一杯飲む、というような言い方ですね。つまり誰が命令を実行するのかは、命令を終えるその時までわからないということです。これが王様ゲームの醍醐味といっても過言ではありません」
クリスが説明を終えたとき、ゼータとザトの視線は自然と同方向へと向いた。そこに坐するはポトス城屈指の淫猥物メリオン。彼が王となり横暴に権力を振り翳せば、楽しい宴の席は凄惨と化す。3人の哀れな家臣が王の御前に跪き、全裸で足指を舐らされる光景が目に浮かぶようだ。ゼータとザトの恐怖は口に出さずとも伝わったようで、クリスは慌てた様子で再度口を開く。
「念のため付け加えますけれど、王様の命令は常識の範囲内でお願いします。全裸になれとか足を舐めろとか、周囲を不快にさせるような命令は禁止ですよ」
「おいクリス、なぜその忠告を俺に向ける」
「メリオンさんが家臣に足指を舐らせる光景が、瞼の裏に浮かんだからです」
不満げに鼻を鳴らすメリオンを見やり、ゼータとザトはそっと息を吐く。事前に規則として説明を受ければ、流石のメリオンも人様に足指を舐らせる真似はすまい。
「では早速ゲームを始めましょうか」
クリスの宣言により、異例の面子による王様ゲームは滞りなく開始された。4本の木箸が色付きのグラスに差し込まれ、クリスの右手がからからとグラスを振る。4本の木箸はグラスの中を入り乱れ、どれが王の箸であるかは見当もつかない。どうぞとグラスを差し出され、ゼータは4本の木箸から1本を抜き取る。ザト、メリオンと順に木箸を引き、最後の1本をクリスが抜き取る。「王様だーれだ?」クリスの問いかけが、静寂の場に大きく響く。
「ん。俺だ」
記念すべき初代国王となった者は、ドラキス王国のナンバー2と名高いザト。しかし初代国王は即位の喜びに声を上げることもなく、赤ら顔を顰めてううむと唸る。
「命令…命令か。中々難しいな」
「ザトさん。困ったときはさっき僕が言った定番の命令で構いませんよ。酒が回れば回るだけ、このゲームは面白くなりますからね。家臣に酒を勧めるのも、立派な王様のお仕事です」
「そうか?では3番の家臣、手持ちのグラスを空にしろ」
クリスの助言により、初代国王の命令は無事決定された。3人の家臣は手持ちの木箸を眺め下ろし、3番の箸を持つメリオンがグラスの酒を一気に飲み干す。命令は完了。初代国王の治世はこれにて終了である。
続いて行われた2回戦、王の箸を引き当てた者はゼータだ。王座獲得にしばし沸くゼータであるが、時が経つにつれ次第に表情を曇らせる。ザト同様、家臣に下すべき命令が思い浮かばないのだ。右へ左へと頭を捻り、やがて2代目国王は苦渋に満ちた声音で命令を下す。
「1番の家臣…でんぐり返しをしてください」
小上がりの隅で、家臣クリスが華麗な一回転。輝く金髪が弧を描く様子を眺めながら、各々は気付く。このゲームの勝者は王の木箸を引き当てた者ではない。王の木箸を引き当て、さらには皆を楽しませる気の利いた命令を下す者。彼の者こそが王様ゲームの真の勝者である。定番の命令に逃げたザトは真の勝者とは程遠く、「前転せよ」などというゼータの命令も場を盛り上げるものとは言い難い。だからと言って皆を楽しませるために度を過ぎた命令を行えば、「王様の命令は常識の範囲内で」というクリスの忠告に反する羽目になる。節度を守り、かつぎりぎりの境界で場を盛り上げる命令を下すこと。それこそが王様ゲームの真髄である。深い、呟きを零す者はザトかゼータか、はたまたメリオンか。
かつてない静寂が場を支配する中、3度目となるくじ引きが着々と進行する。ザトが引き、メリオンが引き、ゼータが引き、最後に残った1本をクリスが引く。王様だーれだ。クリスの掛け声と共に皆が同時に木箸の先端を見て、次なる王様は誰だと互いに視線を交わす。穏やかな微笑と共に天高く右手を掲げるは、この場における唯一の王様ゲーム経験者クリスだ。
「僕が王様です。では3番の人。1番の人のグラスが空く度に、ご主人様どうぞと言って酒を注いでください。この命令は今から10分間有効です」
3代目国王の勅命を聞き、3人の家臣ははっと表情を引き締めた。なるほど、時間制限も可能なのか。家臣同士を絡ませることも有りなのか。各々が気付きの表情を見せる中、ザトが顔の前で1番の箸を振る。
「さて、俺が酒を注がれる側だが…」
ザトの視線はゼータとメリオンを交互に見やる。クリスが王の箸を引き、ザトが1番の箸を引いた。つまり酒の給仕者となる3番の箸を引き当てた者は、ゼータかメリオンのどちらかである。ちゃぶ台の上に木箸を投げ出し、羅刹の表情で手近な酒瓶を手に取る者はメリオン。
「3番は俺だ。…ご主人様、どうぞ」
威圧感に満ちた声が場に響く。続いてザトが掲げる空のグラスに、薄黄色の果実酒がなみなみと注がれる。羅刹と化したメリオンの口元からはぎりぎりと歯軋りの音が聞こえるが、酒の給仕を受けるザトの表情は悦と緩む。日頃不遜の態度を貫くメリオンからの、まさかの「ご主人様」呼び。これは堪らんと悦に浸るザトは、満杯の酒を一息に飲み干す。
それから先のザトはといえば、まるで砂漠から帰還したばかりの旅人のごとし。「ご主人様どうぞ」と酒を注がれるや否や満杯の酒を飲み干し、次なる給仕を受ける。クリスが箸を戻し入れたグラスを各人に差し出す間にも、王の箸を引き当てたゼータが「2番の家臣、最近やらかした恥ずかしい話を披露してください」と命令ずる間にも、2番の箸を引き当てたクリスが「人間族長就任当時、寝不足が祟り廊下の壁に激突した。額を抑え痛みに悶える様を数人の侍女に目撃された」と話す間にも、次から次へと満杯のグラスを空ける。その度に律義に「ご主人様どうぞ」と給仕を繰り返していたメリオンは、給仕の回数が7度目を数えたところでついに声を荒げるのだ。
「おいザト、いい加減にしろ!何度注がせるつもりだ?」
「そう吠えるな。王のご命令とあらば仕方あるまい」
「命令を遂行するなら一度の給仕で十分だろうが。酒吞童子のごとく次から次へとグラスを空けおって」
「当たり前だろう。メリオンが俺をご主人様と呼ぶ機会など、この先の人生で2度とない。冥土の土産にするんだ。ほら、グラスが空いているぞ。さっさと酒を注げ」
そう言われてしまえば、メリオンは眉を吊り上げながらも大人しく酒を注ぐ他にない。結局クリスの定めた刻限までにザトは15度グラスを空け、小上がりの隅には3本の空瓶が追加された。「流石に飲みすぎた」などとグラス一杯の冷水を煽りながらも、ザトの表情は満足感に満ちる。一方のメリオンはといえばちゃぶ台の上に頬杖を付き、こめかみに深い皺を寄せている。
不機嫌全開のメリオンが初めて王の箸を引き当てたのは、酒を注ぐ任を解任された直後のことであった。「俺が王だ」とメリオンが名乗り出るや否や、3人の家臣は自らの木箸を懐に隠す。万が一にでも、国王メリオンに箸に書かれた数字を知られるわけにはいかない。全裸で足指を舐らされることはなくとも、鬱憤を溜め込んだメリオンの命令が穏便であるはずはないのだ。
「家臣共、そう怯えた顔をするな。事前に忠告を受けているのだから、まさか跪いて足指を舐れなどとは言うまいよ。そうだな…2番の家臣。直近の性行為にについて詳細を述べよ。行為の時期、場所、相手の名、関係、行為をするに至った詳細な過程等々。状況報告の最後には行為の感想を添えること」
「嘘ぉ…」
悲痛の面持ちで木箸を取り落とす者はクリス。「2」と数字の書き入れられた箸は、ちゃぶ台の角に当たりい草の敷物へと転がり落ちてゆく。難を逃れたゼータとザトは懐から取り出した木をグラスに戻し入れ、哀れな家臣クリスに向かい黙礼をする。「まさかの暴露系」と深い溜息を零しながらも、クリスは王の命令に応えるべく口を開く。
「直近の性行為は3年前です。場所はロシャ王国の首都リモラにある、遊屋と呼ばれる場所。遊屋とは客人向けに性商品を提供する店で、リモラ駅南方にある繁華街には多くの遊屋が軒を連ねているんです。僕は当時所属していた研究室の飲み会で繁華街へと赴き、宴の終了後有志にてその遊屋へと足を運びました。特段興味もなかったんですけれど、魔導大学の研究員を名乗るならば一度は訪れるべき場所であると言われて…」
「…そうなんですか?」
「今思えば、僕を説得するための虚言だったんだろうけどさ。でも当時の僕はかなり酔っていたし、先輩方に両腕を抱えられたら逃げられっこないじゃない。…それで言葉巧みに遊屋へと誘い込まれ、遊女を名乗る店の店員と一晩限りの関係を持ちました。名前は、確かリンと名乗っていたと思います。遊女は客人に本名を明かしませんから、恐らく偽名ですけれど」
「行為の感想は?遊女の性技術とは、凡人とは一線を画するものなのでしょうか」
「僕がお相手を願い出た遊女の性技術は、一般人と相違なかったよ。でも遊女の中には、一般人を遥かに超える技術を会得する者もいるらしいよ。そういう人にお相手を願い出るには、まず一つの遊屋に通いつめなきゃならないんだ。常連になって初めて、人気の遊女との遊戯が許される」
「一般人との比較が可能ということは、クリスは遊女意外とも性交経験が?」
「そりゃ花の学生生活を送ってきたわけだし、僕だって人並みの性交経験は…ちょっと。何で王様でもないゼータが嬉々として質問を重ねるわけ?メリオンさんならまだしも」
恨みがましい視線を受けて、ゼータは身を竦ませる。そう、今までクリスに質問を重ねていたのは、王であるメリオンではなく一家臣のゼータ。質問者のメリオンはといえばクリスの性事情に然したる興味はないようで、相槌もそこそこに飲酒に没頭している。ザトも同様だ。哀れな家臣クリスにいらぬ恥を掻かせてしまったと、ゼータは素直に頭を下げる。
「すみません。ロシャ王国の性事情に、湧き上がる興味を抑えられませんでした」
「別に良いけどさ。私的な質問は2人きりのときにしてよね」
家臣2人の平和な諍いを経て、国王メリオンの治世は終了である。
***
王様ゲームが開始されてから2時間が経ち、小上がり上は死屍累々。メリオンとクリスはザト国王の脱衣指令を数発食らい、共に下着一枚という有様だ。さらに2人の家臣を全裸直前まで引ん剥いた張本人はといえば、頭髪を左右の耳の後ろで少女のように結わえている。白髪に強面という爺風貌のザトが、幼子の髪形を真似る様は奇怪の一言だ。ゼータは容姿こそゲーム開始時と変わらないが、ほんの数分前まで語尾に「にゃん」付けでの会話を強要されていた。「ザト。そのお酒、一口私にくださいにゃん」王妃たる者の物言いがこれでは、威厳も何もあったものではない。
「もうじき日も変わりますし、あと3回でお終いにしませんか?」
疲労困憊といった様子のクリスがそう提案すれば、残る3人は一様に頷いた。紺色の下着一枚で胡坐を掻くメリオンも、少女の髪形のザトも、語尾から「にゃん」が抜け切らぬゼータも。精魂尽き果てた表情が並んでいる。
クリスの提案により開始された王様ゲームは、ここに至るまで三十数回と繰り返された。性格も出生も異なる4人が寄り集まれば、下される命令も千差万別。ザト国王の命令は比較的穏便、「酒を1杯飲め」「衣服を1枚脱げ」など集中砲火を食らえば厳しい内容ではあるが、遂行を躊躇する内容ではない。それぞれの命令に「ただし残る衣服が1枚の者は命令遂行を免除」などと逃げ道を与えるのだから、ザト国王が善良な王であることに間違いはないのだ。
善王ザトに対し、暴王と名付けられるはメリオンだ。メリオン国王はひたすらに、家臣に過去の性行為やら性癖やらの暴露を強要する。哀れな家臣クリスは「性行為中に言われて最高に興奮した言葉」だの、「機会があれば挑戦したいアブノーマルな行為」だのを赤裸々に告白する羽目となり、ゼータは「寝所以外で性行為を行った場所」を羅列させられた。「…ソファとベランダ」正直に答えるゼータの横で、ザトが口いっぱいの酒を吐き散らかした。
王様ゲーム経験者であるクリスは、一風変わった命令で皆を楽しませた。ゼータの語尾の「にゃん」を付けたのも、ザトに究極の変顔を披露させたのも、メリオンに市井で流行る歌曲を歌わせたのも、クリス国王の功績である。ゼータはくじ運に恵まれず王の箸を引き当てる機会は稀であったが、ザトとクリスに尻相撲をさせ場を沸かせた。
クリスの提案による王様ゲームが、過去類を見ない盛り上がりを見せたことは事実。しかしゲームが盛り上がれば同時に恥も積み重なる。クリスの右手がグラスを揺らす様子を眺めながら、他の3人はぐったりと肩を落としている。
「泣いても笑っても最後の3回ですよ。はい、ゼータ。どうぞ」
クリスが差し出したグラスの中から、ゼータは1本の木箸を引き抜いた。他に見られぬようにとこっそり覗き見た箸の先端には、久方振りに見る「王」の文字。最後の最後でツキが回ってきたと、ゼータは口元を緩める。
「私が王です」
ゼータがそう伝えれば、メリオンとザトは木箸の先端を手のひらに握り込んだ。グラスに残る最後の木箸を指先で引き抜き、クリスも同様に自らの番号を秘し隠す。皆の思いは同様。残り3度となった王様ゲーム、願わくはこれ以上恥を晒すことがありませんように。無表情を貫く3人の家臣を順に眺めながら、ゼータは考える。ゲームの大終盤にて幸運にも手にした王の箸。気の利いた命令で、最後の一時を大いに盛り上げたいものである。
「では…1番の家臣。3番の家臣の頬にキスをしてください」
事も無げにそう命ずれば、3人の家臣は同時に自らの木箸を覗き見た。「わぁ」と楽しげな声を上げる者はクリス、「おい」と不機嫌な声を上げる者はメリオン。
「お前…この俺が散々気を遣い、接触系の命令を控えていたというのに」
「あ、そうだったんですか?でもほら、ゲームも大終盤ですし。頬にキスくらいなら許されるでしょう」
そうですよね、とゼータが視線を向ける先はクリスだ。「そうだね。頬にキスは結構定番かな」などと述べながら、クリスは3番の箸をグラスへと戻し入れる。夜叉を思わせる表情で、メリオンは自らの木橋をちゃぶ台上に叩き付ける。そこに書かれた数字は1番だ。恨み言を吐き連ねながら、メリオンはクリスの膝元へとにじり寄った。小上がりの一角で、2人の男が向かい合う。ゼータとザトは緊張に息を潜める。静かな時が過ぎる。
俯き深い呼吸を繰り返していたメリオンは、やがて弾かれたように顔を上げた。傍にあるクリスの頭部を力任せに引き寄せて、無防備な左頬に唇を触れる。ちゅ、と軽い吸い音。ゼータとザトははっと息を呑む。
命令の達成を確信するや否や、メリオンはクリスの肩口を突き飛ばした。甘い接吻から一変しての激しい拒絶。い草の敷物に倒れ込んだクリスは、不満げに声を荒げる。
「ちょっと…メリオンさん。何で突き飛ばすんですか?」
「にやけ面が気に障ったからだ」
「仕方ないじゃないですか。メリオンさんから口付けを頂ける機会なんて、この先の人生で2度とはありません。冥土の土産にします」
「それは光栄だ。明日にでも死ね」
家臣2人のやり取りを眺めながら、ゼータは思うのだ。王子に等しい尊顔を持つクリスに、ポトス城の紳士と名高いメリオン。性格や経歴に多少の難はあれど、2人が王国屈指の男前であることに違いはない。さらに今の2人は共に下着一枚という霰もない姿なのだ。全裸に近しい男2人が、目の前で甘い接吻を交わす。ポトスの街中で披露の機会を設ければ閲覧料を徴収できるであろうし、王宮の一部侍女の前で披露すれば歓喜の悲鳴が上がることであろう。隣に佇むザトも「銀貨一枚」などと呟きを零しているから、どうやら同様の感想を抱いたようである。
ちゃぶ台の端々に散らばった木箸を、ゼータはグラスの中へと集め入れる。王となった者が、次のくじ引きの持ち手を務める。これは三十数回に及ぶゲームのうちに自然と定められた規律だ。からからと数度木箸をかき混ぜ、ゼータはザトに向けてグラスを差し出す。ザトが引き、クリスが引き、メリオンが引き、最後に残った1本をゼータが引き抜く。しかしゼータが木箸の先端を臨むより先に、背筋を震わせるような低い声が響き渡った。
「俺だ」
言葉と共にゼータの膝元に放られるは「王」の箸。顔を上げれば、魔王のごとく仁王立ちするメリオンがいる。腕組み顎を上げ、3人の家臣を見下ろす様は暴王或いは独裁者のそれだ。
「1番の家臣と2番の家臣。口付けをせよ。生半可な口付けでは許さんぞ。目を閉じ、ひしと抱き合い、互いに互いの唇を貪り尽くせ」
「メリオン。ちょ、ちょっと待ってください」
高らかと下される命令に、まず狼狽えたのはゼータだ。ゼータの手の中にある木箸を覗き込み、続いてクリスが悲鳴を上げる。
「メリオンさん、それは無理ですって。僕、レイさんに殺されちゃう」
無理無理と訴えるクリスの指先からは1番の箸が、激しく狼狽えるゼータの指先からは2番の箸が転がり落ちる。敷物上で重なり合う2本の箸を眺め下ろし、メリオンはにやりと口の端を上げる。
「まさか王の命令に従えぬと戯言を抜かすか?前王の言葉を借りるならば、ゲームも大終盤。口付け程度の命令ならば許されるのであろう。腹を据え、即座に命令を遂行せよ」
メリオンが王となった回数は、ここに至るまでおよそ10回。ゲーム開始当初こそ命令の過激さが心配されたメリオンであるが、下される命令はいずれも暴露系ばかり。家臣同士の身体が触れ合う類の命令は、一度たりともなかったのだ。淫猥物と名高い男であるが、彼なりにゲームを穏便に進めるべく気を遣っていたのである。しかしゼータの命令によりクリスの頬へ接吻を強いられた今、メリオンの胸中に慈悲の心はない。敷物に坐す3人の家臣を見下ろす灰色の瞳は、下劣な色に満ちている。
「行動が遅いぞ愚劣共。行き過ぎた命令だと謀反を起こすか?しかし俺の気遣いを虚仮にしたのは貴様らだ。この命令は無効だと痴れ事を抜かすのならば、足元に平伏して謝罪せよ。全裸にて、涙鼻水垂れ流して俺の足指を舐れば、この度の命令は免除してやろう」
無慈悲と告げられてしまえば、クリスとゼータは黙って向き合うほかにない。2人は共に選択を誤ったのだ。ゼータの過ちは接触行為御法度の王様ゲームに「口付け」を持ち込んだこと。クリスの過ちは、ゼータが口にした「口付け命令」を容認したこと。頬への口付けは許されるが、唇同士の接触は不可。今更そう述べたところで、猛虎の怒りに油を注ぐ結果になることは目に見えている。
クリスとゼータが死人の面持ちで向き合う中、ザトはくるりと場に背を向ける。忠実なレイバックの家臣であるザトは、これから行われる一挙一動を視界に入れないつもりなのだ。ザトが傍観を決め込むのなら、暴王メリオンの勅命を止める術はない。哀れな家臣2人は思考を放棄し、絶望に満ちた表情で手と手を取り合う―
小上がりの隅には2体の屍が転がっていた。1体の屍は、両手のひらで顔面を覆い隠し頭長から湯気立ち昇らせるゼータ。もう1体の屍は、漆喰の壁に額を打ち付け「レイさんにばれた日が僕の命日」と呟くクリスである。2体の屍を生み出したメリオンはといえば、一時前とは打って変わって穏やかな表情だ。家臣2人の熱い口付けをしかと見届け、私怨は綺麗さっぱり晴らされたようである。晴れた日の早朝のごとく清々しい表情を浮かべたメリオンは、小上がりのあちこちに散らばった木箸を拾い集める。4本の木箸を差し込んだグラスを雅やかと振り、中身の見えぬグラスはザトの目の前へと差し出される。次のくじ引きが正真正銘最後の1回。長く続いた王様ゲームもいよいよ終幕だ。
差し出されたグラスから1本の木箸を抜き取ったザトは、唐突に立ち上がった。印籠のように高々と翳されるは、今宵幾度となく目にした「王」の箸。
「王の名において命ずる。今宵この場所で起きたことを、決して他言してはならぬ。命令を破りし者は死を以てして償え」
下される命令は威厳に満ちている。忘れてはならないことであるが、ザトは王宮内においてドラキス王国ナンバー2の地位に就く人物だ。言うなれば彼は真に国家の重鎮。本職が研究員のゼータやクリスとは、違う次元に生きる人物なのだ。
国王ザトの眼下には、3人の家臣が坐す。屍状態から復帰し、正座にて佇むクリスとゼータ。そして胡坐を掻きながらもぴんと背筋を伸ばしたメリオン。3人の家臣は抗いがたい威厳を前に、ただ静かに「はい」と頷いた。
恥辱に塗れた宴がお開きを迎える頃。脚に文を括り付けた一匹の魔獣が、翼を広げポトス城の王宮に向かっていた。
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