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十字架、銀弾、濡羽のはおり
人間族長-4
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人間族長任命伺は滞りなく11の印を集め、その日のうちには最終決裁者であるレイバックの元へと回された。もちろんクリスの第2の推薦者であるレイバックが押印を渋るはずもなく、その翌日に任命の儀が執り行われることがつつがなく決定されたのである。
任命の儀の当日、自国は正午を回ったところ。ゼータからの伝達により王宮に参上したクリスは、ばたばたと忙しない廊下を一人歩いていた。身にまとうは普段ゼータが着ているのと同じ、王宮の官吏服。その上に十二種族長の正装である羽織を身に着けている。膝丈ほどの長さの羽織は全体が単一の浅黄色で、左胸の位置には王宮の模様が、そして袖周りとすそ部分には緋色の糸で繊細な刺繍が施されている。前任者の羽織をそのまま拝借したために、長身のクリスが着れば袖がいくらか短い。この羽織については後日新しい物ができるからと、クリスは事前にゼータから言伝を受けている。「頻繁に着る物じゃないのなら、お下がりでも良いよ」そう伝えるクリスに、ゼータは水浴び直後の犬のような勢いで首を横に振った。
クリスが待合室に指定された部屋へと入室すると、中にはすでにレイバックが控えていた。黒色の燕尾服をまとい、しかし緋色の髪は跳ね散らかしたままのレイバックは、クリスを見ると「よ」と手を上げる。
「レイバック国王殿、ご無沙汰しております」
「なんだ、堅苦しいな。レイと呼んでくれたっていいのに」
「いえいえ、そうもいかないでしょう…」
「なぜ?この間ポトスの街のカフェでビットと出くわしたが、初っ端からレイさん呼びだったぞ」
「ビットの人懐こさは、最早才能ですから」
2人は顔を見合わせて、くつくつと笑う。壁際に用意された2つの椅子の一方に、クリスは腰かける。緋髪の男と金髪の男が並ぶ様は、目に鮮やかだ。
「面倒な仕事を押し付けて悪かったな。引受け手がおらず困り果てていたんだ」
「そうなんですか。結構面倒な仕事なんですか?」
「誰でもできる仕事でないのは確かだが、人に嫌煙されるほど激務ということはない。人間族長に関しては、ダグの一件があるだろう。後任も1年と経たずに辞めていしまい、一部官吏の間で曰く付きなどと言われている」
「曰くつき…」
クリスが思い出すは昨日の夕食時、事の次第をビットに伝えたときのこと。ゼータの要請で王宮に勤務することになったと言えば、ビットは声を大にして笑うのだ。「嘘でしょ、クリスさんも王宮に行っちゃうの?3階の角部屋、やっぱりあそこは曰くつき物件ですね。後で僕がお祓をしておきますよ」3階の角部屋とは、生活棟にある元ゼータの部屋のことだ。現在はクリスが譲り受けて使用している。しかしクリスが人間族長として王宮に移住してしまえば、その部屋はまた空室となってしまうのだ。ビットの言う「曰く付き」の言葉を否定することは難しく、さらにクリスはその「曰く付き」という物に縁があるらしい。しかし過去王妃簒奪を目論んだクリス自体が特大の「曰く付き物件」なのだから、今更多少の曰く程度気になるはずもない。
「引っ越しは急いだほうが良いですよね。荷物を運搬するための馬車は、王宮で借りられますか?」
「馬車は借りられるが…引っ越しを急ぐ必要はない。住まいも仕事も一度に変われば、心労が増えるだろう。1か月も経てば仕事の要領もわかるだろうから、引っ越しはその頃にのんびりと行えば良いさ」
そうですか、クリスが呟くと同時に、部屋の扉が開いた。扉の取っ手に手を掛けたまま、人の好い笑みを浮かべる者は年若の女性官吏だ。
「レイバック国王殿、クリス様。会場の準備が整いましたので、どうぞお入りください」
女性官吏の先導により2人はいくらか廊下を歩く。辿り着いた場所は王宮1階の南端に位置する賓客の間だ。左右開きの重厚な扉を目前にし、クリスはこくりと喉を鳴らす。
「レイバック国王殿、ここは確か王宮一豪華と噂の部屋では…?」
クリス外交使節団として王宮を訪問した当時、王宮内散策の一部として賓客の間に立ち入っている。賓客の間は王宮内部で最も多くの人を収容することができる部屋で、他国の賓客が訪れた際には晩餐会やダンスパーティーが開催されるのだと説明係の官吏は語った。高天井にはシャンデリア、床は磨き上げられた大理石、壁には細微な装飾、豪華絢爛の部屋の内装がクリスの脳裏にありありと思い出される。
「その通り。ここは日頃滅多なことでは開けられぬ部屋だ。十二種族長任命の儀は、いつもこの賓客の間で行われる。それだけの威厳を持ち合わせる地位ということだ」
「二つ返事で依頼を受けたこと、今初めて後悔しています」
「そう気に病むな。任命の儀などただの見世物だ。誰も俺達の一挙一動など気にしていない。堂々とした態度で2,3口を開けば、儀式自体は3分と経たずに終わる」
クリスが2度深呼吸を終えたところで、賓客の間の扉が左右に開いた。レイバックは迷うことなく扉をくぐり、クリスはその背に続く。背筋を伸ばし、人生で2度目となる賓客の間の内部へと足を踏み入れる。
王宮一と称されるに等しい広さを備えた賓客の間の内部には、大理石の床を埋め尽くすほどの人が集まっていた。多くは揃いの官吏服を纏う官吏で、出入口付近には侍女の集団が身を置いている。白黒の侍女服をまとった侍女の一人が、クリスの顔を見て「きゃあ」と黄色い悲鳴を上げる。レイバックとクリスは人混みを横断し、部屋の最奥に位置する台座を目指す。台座の中央には黒の記帳台が置かれ、記帳台の背後には老齢の司祭が立っている。2人の足が記帳台の前部へと辿り着いたとき、司祭は良く通る声で語り出す。
「時は1026年の時を遡る。当時この地に安寧はまく、暴虐の限りを尽くす愚王が土地を治めていた。名をアダルフィン王という。彼は自らの欲望を満たすため愚かにも奴隷制を採用し―」
司祭が語るは、王宮内で執り行われる儀式定番の前口上だ。クリスは初めて耳にする口上であるが、参集した侍女官吏の多くは聞き飽きたとばかりに身体を揺らしている。弛緩する室内の空気がぴんと張り詰めたのは、口上を終えた司祭がこう問うたときだ。
「汝、国王レイバックに忠誠を誓い、その命令に服従することを誓うか」
その質問の答えは、事前に教えられている。
「誓います」
クリスの声は、静かな議会の間に響き渡る。
「汝、国家を愛し、その守護者たることを誓うか」
「誓います」
「汝、嘘偽りを述べることなく、いかなるときも善の味方となることを誓うか」
「誓います」
3つの誓いの言葉を得て、司祭は満足げな笑みを浮かべる。そして徐に両手を頭頂に掲げた。誘われるように高天井を見上げれば、そこにはなぜか羊皮紙と羽ペンがある。どこからともなく現れた羊皮紙と羽ペンが、陽の光を浴びながらふわふわと舞い降りてくるのだ。天井付近に黒子が控えているのかと思いきや、目につく場所に小窓や梁の類はない。ではどうやって羊皮紙と羽ペンの演出を?考えるクリスはすぐその答えに行き当たる。ここは人魔混在のドラキス王国。儀式の演出に魔法が使われたって可笑しくはないのだ。
クリスの予想は正しく、やはり演出は魔法であった。舞い降りた羊皮紙と羽ペンは地面に落ちることなく、クリスの目の前に揺れて漂う。「誓いの署名を」司祭に促されクリスは漂う羽ペンに指先を触れる。同様に漂う羊皮紙の署名欄に、自らの名を刻む。
署名を終えると同時に、羽ペンと羊皮紙には変化が起こる。羽ペンは見る間に形状を溶かし、小さな緋色のリボンへと姿を変える。羊皮紙は空中でくるくると筒状に丸まり、緋色のリボンが筒の中央をしっかりと結ぶ。人の手が触れないはずなのに、見事な蝶々結びだ。
「貴殿の覚悟、確かに受け取った」
レイバックは言い放ち、羊皮紙に向かって手を伸ばす。宙に浮かぶ筒をひしと掴めば、その瞬間羊皮紙は淡い光の粒となり消えた。任命の儀はこれにて終了。司祭の言葉を聞き、レイバックは即座に身を翻す。颯爽と出口を目指すレイバックの背を、クリスは必死で追う。本当に3分と経たずに終わってしまった。生まれ始めた騒めきを背に、2人は議会の間を後にした。
***
任命の儀を終えたレイバックとクリスは、今度は賓客の間から遠く離れた応接室へと案内された。紅を基調とした応接室の内部には、庶民クリスの金銭感覚からは想像も付かない豪華な調度品が立ち並ぶ。出入り口付近に置かれたドラゴンの置物に身体を触れぬようにと、クリスは巨躯を窄めて歩く。応接用のテーブルにはすでに2人分の紅茶と水菓子がのせられていて、レイバックはソファに腰かけるや否や水菓子を口に運んだ。任命の儀前の朗らかな様子とは一変し、ドラキス王国の国王殿はいささか不機嫌な様子である。不機嫌の理由には思い至らぬまま、クリスはそろそろと口を開く。
「レイさん。任命の儀って、何か魔法的な拘束力はあります?」
「ない。演出のことで言えば、あれは司祭の趣味だ。消えた羊皮紙ならここにある」
レイバックは水菓子用のフォークを口に咥えたまま、上着の内側を弄った。間もなくして取り出された物は、先ほど光の粒となって消えたはずの羊皮紙の筒だ。レイバックの手は緋色の紐を解き、机の上に羊皮紙を広げる。仰々しく書かれた筆文字の口上に、末尾にはクリスの署名。ただそれだけの紙だ。これといって奇妙な点は見受けられない。
「あの不可思議な演出は、任命の儀の定番なんですか?」
「そうだ。それっぽく見えるだろう。ただ紙に名前を書くよりは、誓いを守らねばならない気分になる」
「まぁ…そうですね」
「あの司祭は、その手の演出が得意なんだ。金を払えば結婚式に呼ぶこともできる。空から羽を降らしたり、新郎新婦の歩く道を光らしたり、凝った演出をしてくれるそうだ。ドラキス王国には婚姻に関する法がないからな。口約束の婚姻でもそれらしい演出を添えることで、永遠の愛の誓いを守らねばならぬ気持ちになるらしい。王宮からの呼び出しには即座に応えてくれるが、結婚式に呼ぶとなれば数か月は待たねばならんと聞いている」
「人気者なんですね」
「…俺は常々、小恥ずかしい演出は止めてくれと言っているんだ。正直、今日の儀式に俺は要らないだろう?クリスが羊皮紙に名前を書いて、それで終わりで良いじゃないか。任命の儀が執り行われる度にそう訴えているが、担当部署の官吏に主張を認めてもらえない。俺が前に立つからこそ儀式が厳粛さを保つのだと言われて…」
レイバックは水菓子をつつきながら、ぼそぼそと呟く。なるほど不機嫌の理由はここであったかと、クリスは納得の表情だ。
クリスがレイバックの対面席に腰を下ろし、水菓子を一口口に運んだときだ。応接室の扉が開き、猪突の勢いで一人の男が入室する。
「レイ、レイ、ちょっとレイ。任命の儀にいたあの司祭、私達の結婚式のときにも呼んでいますよね?ほら民衆の前で婚姻の儀を執り行ったときに」
そう捲し立てる者は、星空のごとく瞳を輝かせたゼータだ。クリスと同じ官吏服をまとったゼータは、矢のごとき素早さでレイバックの隣席に尻を滑り込ませる。
「何だ、ゼータも会場にいたのか?姿を見つけられなかったな」
「私の文官顔を舐めないでくださいよ。一度官吏に紛れてしまえば、カミラの慧眼(けいがん)を以てしても私を探し出すことは困難です。まぁまぁ私の顔面の話はどうでもいいんですよ。あの司祭、面白い魔法を使いますね、何族ですか?」
「精霊族に属する者だと聞いている」
「精霊族かぁ…。妖精族と精霊族は使う魔法が多様すぎて、あまり把握していないんですよね。物を浮かすだけなら私でも出来ますけれど、紙を丸めたり紐を結んだりはちょっと厳しいかな。やっぱり精霊族は繊細な魔法が得意なんですね。最後に羊皮紙が粒になって消えたじゃないですか。あの羊皮紙は今どこに…あ、あった」
ゼータの視線が、テーブルの中央に置かれた羊皮紙へと留まる。宝物を持ち上げるがごとく仕草で羊皮紙に触れるゼータの瞳は、より一層の輝きを放っている。彼の王妃の魔法好きは健在、レイバックとクリスは顔を見合わせ苦笑いを浮かべる。
「では俺は先にお暇しよう。この後のことは教育係の者に聞いてくれ。じきここにやって来るはずだ」
レイバックは水菓子を口に押し込み、席を立つ。羊皮紙を丸め、気持ちばかりリボンで結び、懐に仕舞いこむ。緋色の瞳はゼータへと向かう。
「ゼータはクリスの推薦者だからな。顔合わせには同席するように。仕事の話になったら適当に退席して良い」
「ああ、それで私が呼ばれたんですか。クリスの教育係って誰ですか?」
「メリオンだ」
「え」
メリオンの名が出た途端、ゼータは身体を強張らせる。レイバックは怪訝な表情だ。
「どうした、何か問題があったか?」
「いえいえ、問題はありません。珍しいなと思って。メリオンは、決められた公務以外の仕事はあまり引き受けないじゃないですか」
「何かと多忙な人物だからな。確かに珍しい」
「教育係の件は、レイが依頼したんですか?」
「いや、メリオンからの申し出だ。新人間族長の教育係を買って出るとな。断る理由もないだろう。メリオンは仕事ができるし、官吏からの信頼も厚い。公務外の細々とした知識も豊富だから、教育係としては適任だ。この先も教育係の依頼を引き受けてくれるなら、俺としては願ったり叶ったりだ」
「…そうですね」
じゃあまた後程、そう言い残しレイバックは応接室を後にした。静粛な部屋に残されるはクリスと、口をへの字にひん曲げたゼータ。入室直後の浮かれた様子と比べれば、別人のような変貌ぶりだ。一体何がゼータの機嫌を損ねたのだろうと、クリスは伺うように口を開く。
「ゼータ。その教育係の人、僕会ったことあるよね?」
「ありますよ。魔導具のお披露目に同席していましたから」
「…何か話したかなぁ」
「どうでしょう。話したとしても記憶には残っていないと思いますよ。容姿に特徴のある人ではありませんし」
答える口調は滑らかながらも、ゼータの言葉の端々には不機嫌が滲む。不機嫌の理由を尋ねるか、否か。悩めるクリスが問いを口にするよりも早く、遠慮がちなゼータが口を開く。
「クリス、お願いがあるんですけれど…」
「何?」
「私とメリオンを2人きりにしないで欲しいんですよ。お手洗いに行くときは声を掛けてもらえます?場所がわからないから付き添って欲しいとか、適当に理由を付けて…」
「別にいいけど。メリオンさんと喧嘩でもした?」
「喧嘩というか…ちょっと苦手なんです。あの人」
それ以上は何も言わず、ゼータは黙り込んだ。結局苦手の理由はわからないまま。クリスが紅茶のカップに口を付けたとき、部屋の扉は再び開く。
任命の儀の当日、自国は正午を回ったところ。ゼータからの伝達により王宮に参上したクリスは、ばたばたと忙しない廊下を一人歩いていた。身にまとうは普段ゼータが着ているのと同じ、王宮の官吏服。その上に十二種族長の正装である羽織を身に着けている。膝丈ほどの長さの羽織は全体が単一の浅黄色で、左胸の位置には王宮の模様が、そして袖周りとすそ部分には緋色の糸で繊細な刺繍が施されている。前任者の羽織をそのまま拝借したために、長身のクリスが着れば袖がいくらか短い。この羽織については後日新しい物ができるからと、クリスは事前にゼータから言伝を受けている。「頻繁に着る物じゃないのなら、お下がりでも良いよ」そう伝えるクリスに、ゼータは水浴び直後の犬のような勢いで首を横に振った。
クリスが待合室に指定された部屋へと入室すると、中にはすでにレイバックが控えていた。黒色の燕尾服をまとい、しかし緋色の髪は跳ね散らかしたままのレイバックは、クリスを見ると「よ」と手を上げる。
「レイバック国王殿、ご無沙汰しております」
「なんだ、堅苦しいな。レイと呼んでくれたっていいのに」
「いえいえ、そうもいかないでしょう…」
「なぜ?この間ポトスの街のカフェでビットと出くわしたが、初っ端からレイさん呼びだったぞ」
「ビットの人懐こさは、最早才能ですから」
2人は顔を見合わせて、くつくつと笑う。壁際に用意された2つの椅子の一方に、クリスは腰かける。緋髪の男と金髪の男が並ぶ様は、目に鮮やかだ。
「面倒な仕事を押し付けて悪かったな。引受け手がおらず困り果てていたんだ」
「そうなんですか。結構面倒な仕事なんですか?」
「誰でもできる仕事でないのは確かだが、人に嫌煙されるほど激務ということはない。人間族長に関しては、ダグの一件があるだろう。後任も1年と経たずに辞めていしまい、一部官吏の間で曰く付きなどと言われている」
「曰くつき…」
クリスが思い出すは昨日の夕食時、事の次第をビットに伝えたときのこと。ゼータの要請で王宮に勤務することになったと言えば、ビットは声を大にして笑うのだ。「嘘でしょ、クリスさんも王宮に行っちゃうの?3階の角部屋、やっぱりあそこは曰くつき物件ですね。後で僕がお祓をしておきますよ」3階の角部屋とは、生活棟にある元ゼータの部屋のことだ。現在はクリスが譲り受けて使用している。しかしクリスが人間族長として王宮に移住してしまえば、その部屋はまた空室となってしまうのだ。ビットの言う「曰く付き」の言葉を否定することは難しく、さらにクリスはその「曰く付き」という物に縁があるらしい。しかし過去王妃簒奪を目論んだクリス自体が特大の「曰く付き物件」なのだから、今更多少の曰く程度気になるはずもない。
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「馬車は借りられるが…引っ越しを急ぐ必要はない。住まいも仕事も一度に変われば、心労が増えるだろう。1か月も経てば仕事の要領もわかるだろうから、引っ越しはその頃にのんびりと行えば良いさ」
そうですか、クリスが呟くと同時に、部屋の扉が開いた。扉の取っ手に手を掛けたまま、人の好い笑みを浮かべる者は年若の女性官吏だ。
「レイバック国王殿、クリス様。会場の準備が整いましたので、どうぞお入りください」
女性官吏の先導により2人はいくらか廊下を歩く。辿り着いた場所は王宮1階の南端に位置する賓客の間だ。左右開きの重厚な扉を目前にし、クリスはこくりと喉を鳴らす。
「レイバック国王殿、ここは確か王宮一豪華と噂の部屋では…?」
クリス外交使節団として王宮を訪問した当時、王宮内散策の一部として賓客の間に立ち入っている。賓客の間は王宮内部で最も多くの人を収容することができる部屋で、他国の賓客が訪れた際には晩餐会やダンスパーティーが開催されるのだと説明係の官吏は語った。高天井にはシャンデリア、床は磨き上げられた大理石、壁には細微な装飾、豪華絢爛の部屋の内装がクリスの脳裏にありありと思い出される。
「その通り。ここは日頃滅多なことでは開けられぬ部屋だ。十二種族長任命の儀は、いつもこの賓客の間で行われる。それだけの威厳を持ち合わせる地位ということだ」
「二つ返事で依頼を受けたこと、今初めて後悔しています」
「そう気に病むな。任命の儀などただの見世物だ。誰も俺達の一挙一動など気にしていない。堂々とした態度で2,3口を開けば、儀式自体は3分と経たずに終わる」
クリスが2度深呼吸を終えたところで、賓客の間の扉が左右に開いた。レイバックは迷うことなく扉をくぐり、クリスはその背に続く。背筋を伸ばし、人生で2度目となる賓客の間の内部へと足を踏み入れる。
王宮一と称されるに等しい広さを備えた賓客の間の内部には、大理石の床を埋め尽くすほどの人が集まっていた。多くは揃いの官吏服を纏う官吏で、出入口付近には侍女の集団が身を置いている。白黒の侍女服をまとった侍女の一人が、クリスの顔を見て「きゃあ」と黄色い悲鳴を上げる。レイバックとクリスは人混みを横断し、部屋の最奥に位置する台座を目指す。台座の中央には黒の記帳台が置かれ、記帳台の背後には老齢の司祭が立っている。2人の足が記帳台の前部へと辿り着いたとき、司祭は良く通る声で語り出す。
「時は1026年の時を遡る。当時この地に安寧はまく、暴虐の限りを尽くす愚王が土地を治めていた。名をアダルフィン王という。彼は自らの欲望を満たすため愚かにも奴隷制を採用し―」
司祭が語るは、王宮内で執り行われる儀式定番の前口上だ。クリスは初めて耳にする口上であるが、参集した侍女官吏の多くは聞き飽きたとばかりに身体を揺らしている。弛緩する室内の空気がぴんと張り詰めたのは、口上を終えた司祭がこう問うたときだ。
「汝、国王レイバックに忠誠を誓い、その命令に服従することを誓うか」
その質問の答えは、事前に教えられている。
「誓います」
クリスの声は、静かな議会の間に響き渡る。
「汝、国家を愛し、その守護者たることを誓うか」
「誓います」
「汝、嘘偽りを述べることなく、いかなるときも善の味方となることを誓うか」
「誓います」
3つの誓いの言葉を得て、司祭は満足げな笑みを浮かべる。そして徐に両手を頭頂に掲げた。誘われるように高天井を見上げれば、そこにはなぜか羊皮紙と羽ペンがある。どこからともなく現れた羊皮紙と羽ペンが、陽の光を浴びながらふわふわと舞い降りてくるのだ。天井付近に黒子が控えているのかと思いきや、目につく場所に小窓や梁の類はない。ではどうやって羊皮紙と羽ペンの演出を?考えるクリスはすぐその答えに行き当たる。ここは人魔混在のドラキス王国。儀式の演出に魔法が使われたって可笑しくはないのだ。
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署名を終えると同時に、羽ペンと羊皮紙には変化が起こる。羽ペンは見る間に形状を溶かし、小さな緋色のリボンへと姿を変える。羊皮紙は空中でくるくると筒状に丸まり、緋色のリボンが筒の中央をしっかりと結ぶ。人の手が触れないはずなのに、見事な蝶々結びだ。
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「レイさん。任命の儀って、何か魔法的な拘束力はあります?」
「ない。演出のことで言えば、あれは司祭の趣味だ。消えた羊皮紙ならここにある」
レイバックは水菓子用のフォークを口に咥えたまま、上着の内側を弄った。間もなくして取り出された物は、先ほど光の粒となって消えたはずの羊皮紙の筒だ。レイバックの手は緋色の紐を解き、机の上に羊皮紙を広げる。仰々しく書かれた筆文字の口上に、末尾にはクリスの署名。ただそれだけの紙だ。これといって奇妙な点は見受けられない。
「あの不可思議な演出は、任命の儀の定番なんですか?」
「そうだ。それっぽく見えるだろう。ただ紙に名前を書くよりは、誓いを守らねばならない気分になる」
「まぁ…そうですね」
「あの司祭は、その手の演出が得意なんだ。金を払えば結婚式に呼ぶこともできる。空から羽を降らしたり、新郎新婦の歩く道を光らしたり、凝った演出をしてくれるそうだ。ドラキス王国には婚姻に関する法がないからな。口約束の婚姻でもそれらしい演出を添えることで、永遠の愛の誓いを守らねばならぬ気持ちになるらしい。王宮からの呼び出しには即座に応えてくれるが、結婚式に呼ぶとなれば数か月は待たねばならんと聞いている」
「人気者なんですね」
「…俺は常々、小恥ずかしい演出は止めてくれと言っているんだ。正直、今日の儀式に俺は要らないだろう?クリスが羊皮紙に名前を書いて、それで終わりで良いじゃないか。任命の儀が執り行われる度にそう訴えているが、担当部署の官吏に主張を認めてもらえない。俺が前に立つからこそ儀式が厳粛さを保つのだと言われて…」
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「レイ、レイ、ちょっとレイ。任命の儀にいたあの司祭、私達の結婚式のときにも呼んでいますよね?ほら民衆の前で婚姻の儀を執り行ったときに」
そう捲し立てる者は、星空のごとく瞳を輝かせたゼータだ。クリスと同じ官吏服をまとったゼータは、矢のごとき素早さでレイバックの隣席に尻を滑り込ませる。
「何だ、ゼータも会場にいたのか?姿を見つけられなかったな」
「私の文官顔を舐めないでくださいよ。一度官吏に紛れてしまえば、カミラの慧眼(けいがん)を以てしても私を探し出すことは困難です。まぁまぁ私の顔面の話はどうでもいいんですよ。あの司祭、面白い魔法を使いますね、何族ですか?」
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「…そうですね」
じゃあまた後程、そう言い残しレイバックは応接室を後にした。静粛な部屋に残されるはクリスと、口をへの字にひん曲げたゼータ。入室直後の浮かれた様子と比べれば、別人のような変貌ぶりだ。一体何がゼータの機嫌を損ねたのだろうと、クリスは伺うように口を開く。
「ゼータ。その教育係の人、僕会ったことあるよね?」
「ありますよ。魔導具のお披露目に同席していましたから」
「…何か話したかなぁ」
「どうでしょう。話したとしても記憶には残っていないと思いますよ。容姿に特徴のある人ではありませんし」
答える口調は滑らかながらも、ゼータの言葉の端々には不機嫌が滲む。不機嫌の理由を尋ねるか、否か。悩めるクリスが問いを口にするよりも早く、遠慮がちなゼータが口を開く。
「クリス、お願いがあるんですけれど…」
「何?」
「私とメリオンを2人きりにしないで欲しいんですよ。お手洗いに行くときは声を掛けてもらえます?場所がわからないから付き添って欲しいとか、適当に理由を付けて…」
「別にいいけど。メリオンさんと喧嘩でもした?」
「喧嘩というか…ちょっと苦手なんです。あの人」
それ以上は何も言わず、ゼータは黙り込んだ。結局苦手の理由はわからないまま。クリスが紅茶のカップに口を付けたとき、部屋の扉は再び開く。
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エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
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侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
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初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。
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僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。
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【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
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