125 / 318
十字架、銀弾、濡羽のはおり
紳士たる者-2
しおりを挟む
テーブル周りの酒瓶も残り少なくなったとき、ザトが「茶を淹れてくる」と呟き席を立った。酒好きのザトであるが、飲み会の最期には1杯の玉露を欠かさない。ザトが茶を淹れる宣言をしたということは、この度の飲み会も終わりが近いということだ。ザトの離脱により賑やかだった室内は途端に静寂となり、居心地の悪さを感じたゼータはもぞもぞと尻を動かす。葡萄酒の入ったグラスを両手に抱え、テーブルを挟み真向かいに座るメリオンの様子を伺い見れば、彼は皿に残る揚げ物やチーズをせっせと口に運んでいた。「締めは玉露」というザトのルールは、メリオンも知るところのようだ。
見世物のような速さで料理を平らげるメリオンを、ゼータは無言で眺めていた。老齢のザトは例え飲みの席であっても、満腹を超えて飲食を続けることはない。ここが2人きりの飲みの席であれば、残り物の酒やつまみを胃袋に押し込むのはゼータの役目であったはずだ。しかし幸いなことにも「締めは玉露」に加え「暴飲暴食は若者の特権」というザトのルールは、メリオンの脳裏にもしっかりと刻み込まれているようである。気だるそうな表情で残飯処理を続けるメリオンを目の前にし、ゼータはひっそりと微笑みを零す。言動も態度も悉く不遜な男であるが、目上の者を敬う気持ちは持ち合わせているようだ。水溜まり程度湧いた親近感を頼りに、ゼータはメリオンに問いを向ける。
「メリオン、聞きたいことがあるんですけれど」
「何だ」
「ポトスの街に住まう吸血族は、日頃どのようにして吸血の欲求を満たしているんですか?人の血液に代わる便利な飲み物があったりはします?」
「無い。吸血の欲求は吸血でしか満たせない」
「では、どうやって?」
「簡単なことだ。互いに合意の上で吸血行為を行っている。ポトスの街に住まう者の中には、自ら進んで吸血族に血液を提供する者達がいる。提供者、と関係者の内では呼ばれている」
メリオンの指先が菓子鉢の縁を押す。山盛りの焼き菓子がゼータの目の前に滑り込んでくる。これを片付けるのはお前の仕事だ、とでも言うようだ。
「提供者は、一人の吸血族につき一人だけ?」
「まちまちだな。吸血の欲求の強さは人により異なる。数か月に一度の吸血で欲求が満たされる者もいれば、十数人の提供者を囲い頻繁な吸血を行う者もいる。俺は後者だ」
「提供者は、吸血族自らが探さないといけないんですか?」
「俺が副業として仲介を請け負っている。ポトスの街中に小さな事務所を構えていてな。血を吸いたい吸血族と、血を吸われたい提供者を引き合わせている。金にはならんが、国家の安寧のために無くてはならん仕事だ。提供者の存在無くしては、ポトスの街は王国屈指の淫靡街と成り果てるぞ」
王国屈指の淫靡街。不穏な単語はさておき、王国の安寧を守るメリオンの副業にゼータは感心の表情だ。メリオンのみならず、十二種族長の中には主となる公務の他に副業を抱えている者が多い。例えば妖精族長のシルフィーはポトスの街中に雑貨店を所有しているし、竜族長のツキノワは十二種族長の任と兵士の任を兼任している。かく言うゼータも王妃の任と研究員の任を兼任しているのだから、メリオンが副業を抱えていると知っても驚きはしない。
「そんな仕組みがあったんですねぇ。でも積極的に提供者になりたい人って、そんなに多くはいないでしょう?血を吸われるって、想像すれば結構怖いですし」
「そんなことはない。人間魔族問わず、提供者になりたいと望む者は多い。順番待ちの列が中々捌けず、この俺自ら国内の吸血族に頭を下げて回っているところだ。もう1人2人提供者を増やしてはくれまいか、とな」
「そうなんですか?提供者の側にも、血液を提供する利があるということですか?」
「そうだ」
「どんな?」
徐々に明らかになる吸血行為の真実に、ゼータはわくわくを隠せない。メリオンは唐揚げをつまむ手を止め、ゼータの瞳をじっと見据える。灰の瞳と黒の瞳が、絡み合う。
「吸ってやろうか」
そうメリオンが提案したのは、無言のまま見つめ合い十数秒の時が経過した頃だ。
「…いいんですか?」
「百聞は一見に如かず。一度血を吸われてみれば、利はすぐにわかる」
「今ここで、ということですよね」
「そうだ。警戒せずとも吸血行為自体に危険はない。かつてポトスの街で強引な吸血行為が問題視されたのは、吸血行為に強姦行為が付き纏ったからだ。魔力の吸引により興奮した吸血族が、被吸引者の身体までもを奪おうとした。健全に血だけを吸って済ませてくれれば、俺が提供者の仕組みを作る必要は無かっただろうな」
危険がないのなら、ゼータの探求心は疼く。拙いながらも魔力を奪う技を使う者として、奪われる側の感覚というのは非常に気になるものなのだ。長考の後に、ゼータは湧き上がる探求心に敗北する。
「じゃあ、少しだけ。お願いします」
「そうか。ではこちらへ来い。服の襟を広く開けるんだ。皮膚に牙を突き立てるのだから、多少の出血は避けられんぞ」
ゼータは言われるがままに席を立ち、メリオンの傍へと歩み寄った。同時にメリオンも席を立ち、2人は静かな部屋で向かい合う。さらにゼータはシャツの釦(ぼたん)を上から二つ外し、襟ぐりを広く開ける。首筋にひやりと冷たい空気が当たる。
メリオンの手のひらがゼータの肩に触れた。見上げれば、そこにはメリオンの端正な顔がある。弧を描く口元には鋭い4本の犬歯が覗く。
「では、遠慮なく頂戴しよう」
メリオンの口元が、ゼータの肩先へと下りてくる。肩を掴む手のひらに力が籠り、ゼータは思わず身体を震わせる。危険はないとわかっていても、やはり噛まれるというのは恐ろしい。メリオンの犬歯が皮膚に触れる直前に、ゼータはあの、と声を上げる。
「噛まれたときに痛みはありますか」
「噛むのだから多少は。だがすぐに感じなくなる」
首筋に吐息が当たる。尖った犬歯が首筋に触れる。しかし悔しくも、メリオンの犬歯がゼータの首筋に突き立てられることはない。部屋の扉が開くと同時に、大気を震わせるような怒号が響き渡ったからだ。
「お前ら、何をやっている!」
危機孕むザトの叫び声に、飛び上がるほどに驚いた者はゼータだけではない。メリオンまでもが大きく肩を上下させ、飛び退くようにしてゼータから距離を取った。2人が同時に部屋の扉側を見やれば、悪鬼羅刹のごとし表情を浮かべたザトがいる。ただでさえ王宮一強面と評判のザトだ。鬼気迫る表情は殊更恐ろしい。
「メリオン、お前はそれ以上動くなよ。ゼータ、どういうつもりだ」
ザトの怒りの矛先は、まさかの自分。ゼータは心臓が縮み上がる思いだ。様々な言い訳が頭の中を駆け巡るが、結局本当のことを言う他にない。今のゼータには、ザトの怒りの理由がまるでわからぬのだ。場の状況を理解しないまま言い訳を重ねれば、結局は己の首を絞めるだけ。
「魔力を吸われるって、どんな感覚なのかと思って…」
「吸血族による吸血行為がどのような効果をもたらすのか、よく理解しての行いか?」
「いえ…吸われる側にも利があるとしか聞いていません」
ゼータの説明を聞き、ザトはぐるりと首の向きを変えた。怒気満つる双眸の向かう先は、呑気な表情を浮かべたメリオンだ。「動くな」との忠告をまるで無視したメリオンは、ソファに座り指先に袋菓子を弄んでいる。一口大の乾燥果実が、宙高く投げ上げられては手のひらに落ちる。
「あの、メリオン。どうなるんですか?吸血族に魔力を吸われると…」
「気持ち良くなる」
即座に返された答えに、ゼータははぁ、と間抜けな呟きを返した。人であれば誰しもが、痛いより気持ち良い方が好きに決まっている。ゼータだって、時折カミラが施してくれる肩回りの按摩が大好きだ。しかしザトの怒りを見る限り、メリオンの言う「気持ち良い」とはゼータの考える「気持ち良い」とは少し違うようだ。
「魔力を奪う行為には性的快楽が付きまとうと言っただろう。付け加えるのなら、魔力を奪われた側も強い性的快楽を感じることができる。俺は同種に噛まれた経験は無いが、絶頂に等しい強烈な快楽を感じるらしい」
特に悪びれた様子もなく、淡々と事実が告げられる。ゼータはぶるりと身震いをし、ザトの背後に身を隠す。乱れた襟元を直し、シャツの釦を手早く留める。ゼータの動揺など気に掛けることなく、メリオンの語りは続く。
「吸血族と提供者は、まず間違いなく肉体関係を結んでいる。提供者の仕組みを公にしない理由がここにある。性的快楽を感じたいがために提供者となり、その上肉体関係まで結んでいるとなれば、大概の者は後ろめたさを感じるものだ。俺は十数人の提供者を抱えているが、吸血の後には必ず性行為に及ぶ。相手の性別、種族問わずな。吸血の後しばらくの間は、絶頂に等しい快楽が持続する。敏感になった身体にさらに刺激を与えてやれば、どうなるかは想像が付くだろう?清楚可憐のなりをした女が、獣のように乱れる様を見るのは楽しくて仕方ない。ああ、想像すれば勃ってきたな」
ゼータがメリオンの股間に視線を落とすよりも先に、ザトが震える拳を振り上げた。
ザトが不埒な男に怒りの鉄拳を食らわした後、間もなくして場は解散となった。木箱の中にはまだ3本の葡萄酒が残っているが、これについては皆の了承の元次回持ち越し。笊でも笊なりに酒は回る。身震いするほど高価な酒は、まともに味のわかる時に飲もうということで話が付いたのだ。しかし例え3本の葡萄酒を除いても、この飲み会で空けられた葡萄酒の瓶は21本に及ぶ。それに加えゼータの持ち込んだ発泡酒の瓶が1本と、途中メリオンが運び込んだ焼酎の瓶が2本。合計で丁度24本の瓶が空けられたことになる。流石の笊達もほろ酔い気分だ。
粗方の片付けを終え飲み会の会場をお暇する直前に、ザトの右手がゼータの肩を掴む。ゼータは半ば仰け反るようにして歩みを止める。
「ゼータ。何と誘われても、メリオンの私室には立ち入るなよ。お前は変なところで詰めが甘いんだ」
「あんな事があった後に部屋に立ち入るほど、甘くはないですよ…」
苦笑いを浮かべるゼータの後ろでは、メリオンが不機嫌と鼻を鳴らしている。
揃ってザトの私室を後にしたゼータとメリオンは、長い廊下を無言で歩いた。日付の変更を目前にした今、王宮の5階に位置する廊下に人影はない。天井に埋め込まれた橙灯りが、静まり返った空間を煌々と照らす。午前0時を迎えたときに、各人の私室内を除く全ての照明は落とされる。今2人が歩く廊下も、夜の名に相応しい暗闇に包まれることとなるのだ。願わくは廊下の照明が落とされる前に、王妃の間へと帰り着きたい。ゼータの脚は急く。兎の歩みを止められたのは、メリオンの私室前を通りすがった時のこと。私室の扉を押し開けたメリオンは、さも当たり前というように口を開く。
「さて、寝るにはまだ時間が早い。たらふく食って喉も乾いたろう。茶を淹れてやる。寄っていけ」
「もう真夜中ですし、水分も足りています。おやすみなさい」
「決して私室には立ち入るな」とのザトの忠告に加え、今のゼータの心内はメリオンに対する不信感でいっぱいだ。言葉巧みに血液を吸い取った後、快感に悶えるゼータ相手に何をするつもりであったのか。警戒を疎かにしたゼータの側にももちろん非はある。魔力を吸う側が快楽を感じるのだから、吸われる側にも同様の感覚があろうとは、少し考えれば想像はついたはずだ。自らの安易な行動を悔やみながらも、それ以上にこのメリオンという男はどこか不穏だ。心根を隠すことを不得手とするゼータにとって、息を吐くがごとく嘘を付く人物は何よりも恐ろしい。
颯爽とその場を立ち去ろうとするゼータに向けて、メリオンの両腕が伸びた。一方の手のひらはゼータの二の腕を鷲掴みにし、もう一方の手のひらは有ろうことか口元を覆う。不味い、と思ったときには時すでに遅く、ゼータは強引に部屋の中へと引き摺り込まれる。灯りも灯されぬままの、メリオンの私室の中に。扉の締まる音がする。
「ちょ、ちょっと待って。メリオン!」
必死の叫びや虚しく、メリオンが行動を止めることはない。流れるような足払いを食らったゼータは無残と床に転がり、無防備な腹の上にはメリオンが馬乗りになる。不味い不味い不味い。頭蓋の内側には煩いほどの警鐘が鳴り、全身の毛穴からは脂汗が滲み出る。メリオンの手のひらがゼータの頭部を固定する。露わになった首筋を、もう一方の指先がついと撫でる。今からここを噛む。無言の宣言。4本の牙が首元へと下りてくる。
ゼータは咄嗟に両手のひらを突き出した。魔法を込めた手のひらが、メリオンの胸元に触れる。急所に触れる手のひらに、メリオンははたと動きを止める。
「…やるじゃないか」
メリオンはくつくつと笑いを零し、両手を顔の横に掲げた。今回は俺の負け。薄気味悪い笑みを携えたまま、ゆっくりとゼータの腹から下りる。無事危機を脱したゼータは弾かれたように身を起こし、メリオンから距離を取った。魔法の発動を目前にした右手のひらは、不埒な男の胸元に向けたまま。左手で壁を探り、そこにあるはずの扉の取っ手を探す。発情した獣の縄張りに立ち入るのは、100年に一度で十分だ。
ゼータの左手が無事扉の取っ手に掛かったとき、唐突にメリオンは語り出す。
「お前は俺の存在を不快と感じるだろう。口を開けば淫猥な言動を繰り返す、紳士の風上にも置けぬ男だと」
「そうですね。心の底からそう思います」
「しかし一説によれば、吸血族とサキュバスは遺伝子的に近しい種族であるという。両種族は他者から魔力を奪うことを愉しみとし、その行いを善とするために相手に強烈な快楽を与うる。何を言いたいかわかるか?俺とお前は本質的には同質なんだ。大国の王妃などとお綺麗な地位に就いたところで、お前の身体に流れるサキュバスの血は変わらない。俺と同じ、いや俺以上に淫靡で爛れた本性の持ち主なんだよ、お前は」
暗闇の中では、メリオンがどのような表情を浮かべているかはわからない。しかし高らかと語る声は愉悦に満ち、明らかにゼータを挑発しているのだとわかる。
「おっと、勘違いしないでくれ。俺はお前が嫌いではない。愛しいと感じるくらいだ。祖国にいた頃、俺は何人ものサキュバスと性的な関係を築いていた。ドラキス王国にやって来てから数え切れないほどの提供者と身体を重ねたが、サキュバスとの行為に勝る快感はない。サキュバスを抱くためだけに、バルトリア王国に帰りたいとさえ思う」
「ではどうぞ。明日にでも荷物を纏めてお帰りください。レイには私から事情を説明しておきましょう」
「残念ながらそれはできない。俺は彼の国ではお尋ね者だ。国土を踏めば即刻首を刎ねられる」
「そうですか。淫猥物断罪の日には、ドラキス王国王妃の名で祝辞を送らせていただきますよ」
そう吐き捨てると、ゼータは扉の外へと転び出た。恐怖に震える肩を抱き、脚を縺れさせながら廊下を駆ける。背を向けることに不安はあるが、不埒な男から一刻も早く距離を取りたかった。ゼータ様、駆ける背中へ声が飛ぶ。
「その気になれば、いつでも私の部屋にお出でください。貴方様の来訪を心よりお待ち申し上げておりますよ」
メリオンが言葉を終えた瞬間に、時計の針は午前0時を指す。一瞬にして灯りは絶え、長い廊下は暗闇に包まれる。6階へと続く階段を一人駆け上がりながら、ゼータは数時間前の己の頭頂の鉄槌を下す。
―私は、仲良くなりたいと思ってメリオンを酒の席に招待したんですから
人様の本性を知らずに仲良くなりたいなどと、貞操が惜しければ2度と言うべきではない。
見世物のような速さで料理を平らげるメリオンを、ゼータは無言で眺めていた。老齢のザトは例え飲みの席であっても、満腹を超えて飲食を続けることはない。ここが2人きりの飲みの席であれば、残り物の酒やつまみを胃袋に押し込むのはゼータの役目であったはずだ。しかし幸いなことにも「締めは玉露」に加え「暴飲暴食は若者の特権」というザトのルールは、メリオンの脳裏にもしっかりと刻み込まれているようである。気だるそうな表情で残飯処理を続けるメリオンを目の前にし、ゼータはひっそりと微笑みを零す。言動も態度も悉く不遜な男であるが、目上の者を敬う気持ちは持ち合わせているようだ。水溜まり程度湧いた親近感を頼りに、ゼータはメリオンに問いを向ける。
「メリオン、聞きたいことがあるんですけれど」
「何だ」
「ポトスの街に住まう吸血族は、日頃どのようにして吸血の欲求を満たしているんですか?人の血液に代わる便利な飲み物があったりはします?」
「無い。吸血の欲求は吸血でしか満たせない」
「では、どうやって?」
「簡単なことだ。互いに合意の上で吸血行為を行っている。ポトスの街に住まう者の中には、自ら進んで吸血族に血液を提供する者達がいる。提供者、と関係者の内では呼ばれている」
メリオンの指先が菓子鉢の縁を押す。山盛りの焼き菓子がゼータの目の前に滑り込んでくる。これを片付けるのはお前の仕事だ、とでも言うようだ。
「提供者は、一人の吸血族につき一人だけ?」
「まちまちだな。吸血の欲求の強さは人により異なる。数か月に一度の吸血で欲求が満たされる者もいれば、十数人の提供者を囲い頻繁な吸血を行う者もいる。俺は後者だ」
「提供者は、吸血族自らが探さないといけないんですか?」
「俺が副業として仲介を請け負っている。ポトスの街中に小さな事務所を構えていてな。血を吸いたい吸血族と、血を吸われたい提供者を引き合わせている。金にはならんが、国家の安寧のために無くてはならん仕事だ。提供者の存在無くしては、ポトスの街は王国屈指の淫靡街と成り果てるぞ」
王国屈指の淫靡街。不穏な単語はさておき、王国の安寧を守るメリオンの副業にゼータは感心の表情だ。メリオンのみならず、十二種族長の中には主となる公務の他に副業を抱えている者が多い。例えば妖精族長のシルフィーはポトスの街中に雑貨店を所有しているし、竜族長のツキノワは十二種族長の任と兵士の任を兼任している。かく言うゼータも王妃の任と研究員の任を兼任しているのだから、メリオンが副業を抱えていると知っても驚きはしない。
「そんな仕組みがあったんですねぇ。でも積極的に提供者になりたい人って、そんなに多くはいないでしょう?血を吸われるって、想像すれば結構怖いですし」
「そんなことはない。人間魔族問わず、提供者になりたいと望む者は多い。順番待ちの列が中々捌けず、この俺自ら国内の吸血族に頭を下げて回っているところだ。もう1人2人提供者を増やしてはくれまいか、とな」
「そうなんですか?提供者の側にも、血液を提供する利があるということですか?」
「そうだ」
「どんな?」
徐々に明らかになる吸血行為の真実に、ゼータはわくわくを隠せない。メリオンは唐揚げをつまむ手を止め、ゼータの瞳をじっと見据える。灰の瞳と黒の瞳が、絡み合う。
「吸ってやろうか」
そうメリオンが提案したのは、無言のまま見つめ合い十数秒の時が経過した頃だ。
「…いいんですか?」
「百聞は一見に如かず。一度血を吸われてみれば、利はすぐにわかる」
「今ここで、ということですよね」
「そうだ。警戒せずとも吸血行為自体に危険はない。かつてポトスの街で強引な吸血行為が問題視されたのは、吸血行為に強姦行為が付き纏ったからだ。魔力の吸引により興奮した吸血族が、被吸引者の身体までもを奪おうとした。健全に血だけを吸って済ませてくれれば、俺が提供者の仕組みを作る必要は無かっただろうな」
危険がないのなら、ゼータの探求心は疼く。拙いながらも魔力を奪う技を使う者として、奪われる側の感覚というのは非常に気になるものなのだ。長考の後に、ゼータは湧き上がる探求心に敗北する。
「じゃあ、少しだけ。お願いします」
「そうか。ではこちらへ来い。服の襟を広く開けるんだ。皮膚に牙を突き立てるのだから、多少の出血は避けられんぞ」
ゼータは言われるがままに席を立ち、メリオンの傍へと歩み寄った。同時にメリオンも席を立ち、2人は静かな部屋で向かい合う。さらにゼータはシャツの釦(ぼたん)を上から二つ外し、襟ぐりを広く開ける。首筋にひやりと冷たい空気が当たる。
メリオンの手のひらがゼータの肩に触れた。見上げれば、そこにはメリオンの端正な顔がある。弧を描く口元には鋭い4本の犬歯が覗く。
「では、遠慮なく頂戴しよう」
メリオンの口元が、ゼータの肩先へと下りてくる。肩を掴む手のひらに力が籠り、ゼータは思わず身体を震わせる。危険はないとわかっていても、やはり噛まれるというのは恐ろしい。メリオンの犬歯が皮膚に触れる直前に、ゼータはあの、と声を上げる。
「噛まれたときに痛みはありますか」
「噛むのだから多少は。だがすぐに感じなくなる」
首筋に吐息が当たる。尖った犬歯が首筋に触れる。しかし悔しくも、メリオンの犬歯がゼータの首筋に突き立てられることはない。部屋の扉が開くと同時に、大気を震わせるような怒号が響き渡ったからだ。
「お前ら、何をやっている!」
危機孕むザトの叫び声に、飛び上がるほどに驚いた者はゼータだけではない。メリオンまでもが大きく肩を上下させ、飛び退くようにしてゼータから距離を取った。2人が同時に部屋の扉側を見やれば、悪鬼羅刹のごとし表情を浮かべたザトがいる。ただでさえ王宮一強面と評判のザトだ。鬼気迫る表情は殊更恐ろしい。
「メリオン、お前はそれ以上動くなよ。ゼータ、どういうつもりだ」
ザトの怒りの矛先は、まさかの自分。ゼータは心臓が縮み上がる思いだ。様々な言い訳が頭の中を駆け巡るが、結局本当のことを言う他にない。今のゼータには、ザトの怒りの理由がまるでわからぬのだ。場の状況を理解しないまま言い訳を重ねれば、結局は己の首を絞めるだけ。
「魔力を吸われるって、どんな感覚なのかと思って…」
「吸血族による吸血行為がどのような効果をもたらすのか、よく理解しての行いか?」
「いえ…吸われる側にも利があるとしか聞いていません」
ゼータの説明を聞き、ザトはぐるりと首の向きを変えた。怒気満つる双眸の向かう先は、呑気な表情を浮かべたメリオンだ。「動くな」との忠告をまるで無視したメリオンは、ソファに座り指先に袋菓子を弄んでいる。一口大の乾燥果実が、宙高く投げ上げられては手のひらに落ちる。
「あの、メリオン。どうなるんですか?吸血族に魔力を吸われると…」
「気持ち良くなる」
即座に返された答えに、ゼータははぁ、と間抜けな呟きを返した。人であれば誰しもが、痛いより気持ち良い方が好きに決まっている。ゼータだって、時折カミラが施してくれる肩回りの按摩が大好きだ。しかしザトの怒りを見る限り、メリオンの言う「気持ち良い」とはゼータの考える「気持ち良い」とは少し違うようだ。
「魔力を奪う行為には性的快楽が付きまとうと言っただろう。付け加えるのなら、魔力を奪われた側も強い性的快楽を感じることができる。俺は同種に噛まれた経験は無いが、絶頂に等しい強烈な快楽を感じるらしい」
特に悪びれた様子もなく、淡々と事実が告げられる。ゼータはぶるりと身震いをし、ザトの背後に身を隠す。乱れた襟元を直し、シャツの釦を手早く留める。ゼータの動揺など気に掛けることなく、メリオンの語りは続く。
「吸血族と提供者は、まず間違いなく肉体関係を結んでいる。提供者の仕組みを公にしない理由がここにある。性的快楽を感じたいがために提供者となり、その上肉体関係まで結んでいるとなれば、大概の者は後ろめたさを感じるものだ。俺は十数人の提供者を抱えているが、吸血の後には必ず性行為に及ぶ。相手の性別、種族問わずな。吸血の後しばらくの間は、絶頂に等しい快楽が持続する。敏感になった身体にさらに刺激を与えてやれば、どうなるかは想像が付くだろう?清楚可憐のなりをした女が、獣のように乱れる様を見るのは楽しくて仕方ない。ああ、想像すれば勃ってきたな」
ゼータがメリオンの股間に視線を落とすよりも先に、ザトが震える拳を振り上げた。
ザトが不埒な男に怒りの鉄拳を食らわした後、間もなくして場は解散となった。木箱の中にはまだ3本の葡萄酒が残っているが、これについては皆の了承の元次回持ち越し。笊でも笊なりに酒は回る。身震いするほど高価な酒は、まともに味のわかる時に飲もうということで話が付いたのだ。しかし例え3本の葡萄酒を除いても、この飲み会で空けられた葡萄酒の瓶は21本に及ぶ。それに加えゼータの持ち込んだ発泡酒の瓶が1本と、途中メリオンが運び込んだ焼酎の瓶が2本。合計で丁度24本の瓶が空けられたことになる。流石の笊達もほろ酔い気分だ。
粗方の片付けを終え飲み会の会場をお暇する直前に、ザトの右手がゼータの肩を掴む。ゼータは半ば仰け反るようにして歩みを止める。
「ゼータ。何と誘われても、メリオンの私室には立ち入るなよ。お前は変なところで詰めが甘いんだ」
「あんな事があった後に部屋に立ち入るほど、甘くはないですよ…」
苦笑いを浮かべるゼータの後ろでは、メリオンが不機嫌と鼻を鳴らしている。
揃ってザトの私室を後にしたゼータとメリオンは、長い廊下を無言で歩いた。日付の変更を目前にした今、王宮の5階に位置する廊下に人影はない。天井に埋め込まれた橙灯りが、静まり返った空間を煌々と照らす。午前0時を迎えたときに、各人の私室内を除く全ての照明は落とされる。今2人が歩く廊下も、夜の名に相応しい暗闇に包まれることとなるのだ。願わくは廊下の照明が落とされる前に、王妃の間へと帰り着きたい。ゼータの脚は急く。兎の歩みを止められたのは、メリオンの私室前を通りすがった時のこと。私室の扉を押し開けたメリオンは、さも当たり前というように口を開く。
「さて、寝るにはまだ時間が早い。たらふく食って喉も乾いたろう。茶を淹れてやる。寄っていけ」
「もう真夜中ですし、水分も足りています。おやすみなさい」
「決して私室には立ち入るな」とのザトの忠告に加え、今のゼータの心内はメリオンに対する不信感でいっぱいだ。言葉巧みに血液を吸い取った後、快感に悶えるゼータ相手に何をするつもりであったのか。警戒を疎かにしたゼータの側にももちろん非はある。魔力を吸う側が快楽を感じるのだから、吸われる側にも同様の感覚があろうとは、少し考えれば想像はついたはずだ。自らの安易な行動を悔やみながらも、それ以上にこのメリオンという男はどこか不穏だ。心根を隠すことを不得手とするゼータにとって、息を吐くがごとく嘘を付く人物は何よりも恐ろしい。
颯爽とその場を立ち去ろうとするゼータに向けて、メリオンの両腕が伸びた。一方の手のひらはゼータの二の腕を鷲掴みにし、もう一方の手のひらは有ろうことか口元を覆う。不味い、と思ったときには時すでに遅く、ゼータは強引に部屋の中へと引き摺り込まれる。灯りも灯されぬままの、メリオンの私室の中に。扉の締まる音がする。
「ちょ、ちょっと待って。メリオン!」
必死の叫びや虚しく、メリオンが行動を止めることはない。流れるような足払いを食らったゼータは無残と床に転がり、無防備な腹の上にはメリオンが馬乗りになる。不味い不味い不味い。頭蓋の内側には煩いほどの警鐘が鳴り、全身の毛穴からは脂汗が滲み出る。メリオンの手のひらがゼータの頭部を固定する。露わになった首筋を、もう一方の指先がついと撫でる。今からここを噛む。無言の宣言。4本の牙が首元へと下りてくる。
ゼータは咄嗟に両手のひらを突き出した。魔法を込めた手のひらが、メリオンの胸元に触れる。急所に触れる手のひらに、メリオンははたと動きを止める。
「…やるじゃないか」
メリオンはくつくつと笑いを零し、両手を顔の横に掲げた。今回は俺の負け。薄気味悪い笑みを携えたまま、ゆっくりとゼータの腹から下りる。無事危機を脱したゼータは弾かれたように身を起こし、メリオンから距離を取った。魔法の発動を目前にした右手のひらは、不埒な男の胸元に向けたまま。左手で壁を探り、そこにあるはずの扉の取っ手を探す。発情した獣の縄張りに立ち入るのは、100年に一度で十分だ。
ゼータの左手が無事扉の取っ手に掛かったとき、唐突にメリオンは語り出す。
「お前は俺の存在を不快と感じるだろう。口を開けば淫猥な言動を繰り返す、紳士の風上にも置けぬ男だと」
「そうですね。心の底からそう思います」
「しかし一説によれば、吸血族とサキュバスは遺伝子的に近しい種族であるという。両種族は他者から魔力を奪うことを愉しみとし、その行いを善とするために相手に強烈な快楽を与うる。何を言いたいかわかるか?俺とお前は本質的には同質なんだ。大国の王妃などとお綺麗な地位に就いたところで、お前の身体に流れるサキュバスの血は変わらない。俺と同じ、いや俺以上に淫靡で爛れた本性の持ち主なんだよ、お前は」
暗闇の中では、メリオンがどのような表情を浮かべているかはわからない。しかし高らかと語る声は愉悦に満ち、明らかにゼータを挑発しているのだとわかる。
「おっと、勘違いしないでくれ。俺はお前が嫌いではない。愛しいと感じるくらいだ。祖国にいた頃、俺は何人ものサキュバスと性的な関係を築いていた。ドラキス王国にやって来てから数え切れないほどの提供者と身体を重ねたが、サキュバスとの行為に勝る快感はない。サキュバスを抱くためだけに、バルトリア王国に帰りたいとさえ思う」
「ではどうぞ。明日にでも荷物を纏めてお帰りください。レイには私から事情を説明しておきましょう」
「残念ながらそれはできない。俺は彼の国ではお尋ね者だ。国土を踏めば即刻首を刎ねられる」
「そうですか。淫猥物断罪の日には、ドラキス王国王妃の名で祝辞を送らせていただきますよ」
そう吐き捨てると、ゼータは扉の外へと転び出た。恐怖に震える肩を抱き、脚を縺れさせながら廊下を駆ける。背を向けることに不安はあるが、不埒な男から一刻も早く距離を取りたかった。ゼータ様、駆ける背中へ声が飛ぶ。
「その気になれば、いつでも私の部屋にお出でください。貴方様の来訪を心よりお待ち申し上げておりますよ」
メリオンが言葉を終えた瞬間に、時計の針は午前0時を指す。一瞬にして灯りは絶え、長い廊下は暗闇に包まれる。6階へと続く階段を一人駆け上がりながら、ゼータは数時間前の己の頭頂の鉄槌を下す。
―私は、仲良くなりたいと思ってメリオンを酒の席に招待したんですから
人様の本性を知らずに仲良くなりたいなどと、貞操が惜しければ2度と言うべきではない。
10
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。


侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。

僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。

【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる