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埋もれるほどの花びらを君に
埋もれるほどの花びらを君に(終)
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提灯灯りに魅せられて、賑やかな祭りを楽しむうちに辺りはすっかり闇夜だ。レイバックはメアリと共に、集合地点とした石橋の袂へと向かう。ゼータとアムレットは仲良くやれただろうか。喧嘩をして、険悪な雰囲気になっているのではないか。不安を抱え赴いた石橋の袂に、目的の人物の姿はない。少し早く来過ぎてしまったかと周囲を見回すレイバックの耳に、耳に馴染む笑い声が届いた。声の主を探し橋の上から身を乗り出せば、石橋の袂から十数段の階段を下りた先にある河川敷に、2人の男女が座り込んでいる。腹を抱えて笑う黒髪の女性はゼータ、笑いを抑えるように肩を震わす男性はアムレットだ。レイバックはメアリを呼び寄せ、石段を下る。
「早いじゃないか。出店は周り終えたのか?」
レイバックの声に、ゼータとアムレットは同時に振り返った。
「ああ、レイ。もう花火の時間ですか?」
「いや、まだ少し早い」
「それならぎりぎりまで休ませてください。7体の化物と壮絶な戦いを繰り広げた後で、体力も気力も限界なんです」
「化物?どういうことだ」
「化物屋敷ですよ。入りませんでした?」
愉快な記憶を思い出したのか、ゼータはまた笑い声を漏らす。横にいるアムレットも随分と楽しげな表情だ。喧嘩を心配したのは束の間のこと。小人族祭を通し、2人はすっかり打ち解けた様子だ。
「入っていないが…そんなに楽しかったのか」
「5度挑戦しました。負けず嫌いのゼータが、人形を動かす魔法の謎を解き明かすなどと言うから」
レイバックの問いに答えたのはアムレットだ。話す声には愉快な色が混じる。確かに化物屋敷は小人族祭の名物であると、レイバックは頷きながら話を聞く。そしてふと違和感を覚えた。自然な声音で呼ばれた「ゼータ」の名。二手に別れる前、アムレットはゼータのことを「ゼータ様」と呼んでいたはずである。
「…何だ。少し見ない間に随分と打ち解けて…」
「待って待って。濡れ衣です。最後の2回はアムレットの誘いですよ。私はもう結構と言ったのに」
汚名を着せられては溜らぬと声を張り上げるゼータ。さも自然と飛び出した「アムレット」の呼び名に、レイバックは吃驚仰天だ。
「アムレットぉ?おい、流石に打ち解けすぎだろう」
「良好な関係を築けと言ったのは、レイじゃないですか」
「それは…そうだが」
この先長い付き合いになるんだから、良好な関係を築くに越したことはない。そう述べたのは確かにレイバックだ。しかしつい先刻まで互いに他人行儀であった2人が、まさか名を呼び捨てるほどの仲になろうとは。レイバックの表情には徐々に不満の色が滲む。
レイバックの表情の変化などいざ知らず、ご機嫌のゼータはメアリの顔を見上げた。
「2人はどこにいたんですか?」
「北通りです。珍しい食べ物を買い込んで、椅子に座ってお喋りをしていました」
「なら化物屋敷は行っていない?」
「行っていないです」
「それは勿体ない。化物屋敷は小人族祭の名物です。私と一緒に入りましょう。大丈夫、メアリに危険が及ばぬよう、私がしっかりと守りますから」
ゼータはすくと立ち上がり、騎士の佇まいでメアリの左手を取った。そのままメアリの手を引いて、場を立ち去ろうとする。待ちなさい、と声を荒げる者はアムレットだ。空いたメアリの右手を掴み、簒奪者ゼータと対峙する。
「メアリ様は怪談の類がお得意ではない。私の婚約者を泣かせるような誘いはご遠慮いただきたい」
「あの手の物は、同伴者が平然としていれば大丈夫なものなんですよ」
「そういうゼータは怯えきっていたではないですか」
「そりゃあ、アムレットは全然平然としていなかったですからね。私の事を突き飛ばした挙句、化物共の中に置き去りにした恨みは忘れませんよ」
睨み合うゼータとアムレット。右手をアムレットに、左手をゼータに囚われ、綱引きの綱状態となったメアリは目を白黒させている。待て待て、と今度はレイバックが声を上げる。
「ゼータは俺と入ればいいだろう」
「抱き潰されるのは御免です。レイはアムレットの腰にしがみついていてください」
「…お前はアムレット殿の腰にしがみついたのか?」
答えを求めるように、レイバックはアムレットを睨み付ける。たじろぐアムレットはメアリの手を放し、麗しの姫君を抱き留めたゼータは華麗に走り去っていく。
「では、お先に」
「おい待て、ゼータ!」
色違いのドレスのすそが翻る。双子のなりをしたゼータとメアリは、猫のような軽やかさで石段を駆け上がる。メアリの薄茶色の瞳がレイバックとアムレットを見て、そして悪戯に笑った。友に手を引かれ走ることが、楽しくて仕方無いと言うように。
アムレットは掴む物のなくなった右手を下ろし、2色のドレスが橋の向こうへと消えるのを眺めていた。街灯に照らされる橋の上は、大勢の人々で賑わっている。兎の面を付けた少女。水風船を飛ばし合う少年達。熱々のたこ焼きを頬張る青年。一つの綿菓子をつまみ合う恋人達。まるで夢のような場所だ、とアムレットは思う。人間と魔族が肩を並べ笑い合う場所があるなどと、言葉に聞いても信じられなかった。魔族と対等に言葉を交わす日など、ともに祭りを楽しむ日など、夢にも見たことはなかった。全てこの国が教えてくれたのだ。恋焦がれた祭りの眩さも、身の毛もよだつ化物屋敷の恐怖も、友と語らう楽しさも、全て。
「アムレット、何をぼさっとしている。2人を追うぞ!」
レイバックに名を呼ばれ、アムレットははっと我に返った。見ればレイバックはすでに石段を駆け上り、石橋の袂からアムレットを見下ろしている。手招きをする最中にも、妃2人の背を見失ってはならぬと頻繁に人混みを見やっている。小柄な2人が人混みに紛れれば、見つけ出すことは困難だ。行き先は把握しているものの、花火が始まれば屋台に並ぶ人の列は短くなる。もたもたしていれば、ゼータとメアリはあっという間に化物屋敷の中だ。メアリの可憐な唇から恐怖の悲鳴が飛び出すことになれば、アムレットはアポロに合わす顔がない。
「レイバック殿、先に行ってください。私は走るのが苦手です」
アムレットがそう言うや否や、レイバックは人混みに向かって駆けだした。風になびく緋髪は、人と人との隙間を風のように抜けていく。アムレットは宝物の詰まるかばんを抱きかかえ、去り行く友の背を追う。
***
朝日に照らされる中、ポトス城の正門前には1台の魔獣車が停まっていた。王宮の模様が刻み込まれた豪華な魔獣車だ。アムレットとメアリは、まもなくこの魔獣車に乗り込んで帰路につく。当初の予定では、彼らの出発は昼頃を予定していた。しかしアムレットたっての希望により、急遽早朝の出発へと予定が変更されたのだ。時間の許す限り、ドラキス王国の各集落を見て回りたいのだとアムレットは言った。レイバックは快くこれを了承した。魔族嫌い克服という当初の目的はすでに果たされた今、一つでも多くの魔族の集落に立ち寄ることが、次期国王であるアムレットにとって有益であることは間違いがない。
友の旅路を見送るために、レイバックとゼータは正門前に立っていた。見送りの者は他にいない。十二種族長とも面会を果たしたのだから、国賓に相応しい見送りをしようかとレイバックは提案した。しかしアムレットはこれを断った。最後の時は、4人の方が良いと言って。
「また来てくれ。いつでも待っている」
「お忍び旅行であれば私に文を送ってください。レイに宛てると大事になりかねませんから」
別れの言葉を述べるレイバックとゼータ。旅立つ2人は笑顔を向ける。穏やかに微笑むアムレットの顔は、来国当初の仏頂面からは想像も付かない。最後の一時を楽しむうちに、アムレットの右手が上着の懐をまさぐった。間もなくして真っ新な紙包みが、ゼータの目の前に差し出される。
「差し上げます。昨晩渡そうと思っていたのですが、すっかり忘れていました」
「これは?」
「祭りの戦利品です。私には不要の物ですから、どうぞ」
拳大の紙包みが、ゼータの手のひらに載せられる。一体中身は何なのだと、紙包みを眺め回すゼータの肩を、アムレットは抱き寄せた。突然の抱擁、囁き。
「感謝しています」
アムレットの胸元に顔を埋め、ゼータは目を丸くする。抱き合う身体はすぐに離れ、アムレットは少年のようにはにかんだ。突然の出来事にぽかんと口を開けるゼータをその場に残し、碧の視線はレイバックへと向かう。両腕を開き、抱擁を求める。レイバックはアムレットの顔を見、開かれた両腕を見、そして抱擁に応えた。抱きしめた背中を、力強く叩く。
「即位の祝いには駆けつける。大空から花びらの雨を降らせてやろうじゃないか」
「ええ、ぜひ。楽しみにしています」
激励の瞬間を目の当たりにし、ゼータとメアリはどちらともなく顔を見合わせた。私達も、しましょうか?ええ、しましょう。気恥ずかしげに肩を竦め、わずかばかりの抱擁を交わす。
「ゼータ様に、お勧めしたい書物がたくさんあるんです。ぜひ王宮までいらしてください」
「はい、必ず」
そうして友は、去って行く。
魔獣車の車輪音が聞こえなくなった頃、ゼータはアムレットから貰い受けた紙包みを開いた。真っ新な紙に包まれていた物は、花形の髪飾りだ。滑らかな布を何枚も重ね合わせた繊細な花弁。折り重なる花弁の中心には、淡い輝きを放つ白の玉飾りがいくつも縫い付けられている。素人目にもわかる、かなり手の込んだ一品だ。
「…出店で買った物だろうか」
絹布の花弁をつつき、レイバックが問う。
「いえ、多分射撃の景品です。ロシャ王国の貴族は教養として射的を嗜むらしいですよ。見事な射撃で観客の注目を集めていました」
「そうなのか。しかし髪飾りなら、メアリ姫にやればいいものを」
「んー…」
アムレットがこの髪飾りを選ぶ瞬間を、ゼータは見ていない。ゼータがアムレットの元へと駆け寄ったときには、彼はすでに景品をかばんの中に仕舞い入れていたのだ。しかし射的の屋台の「景品」の箱に、どのような品が入っていたかはゼータも記憶している。物珍しい物があるだろうかと、箱の中を覗き込んだからだ。箱の中に入っていた景品は、ほとんどが子ども向けの玩具。さらには成人客を意識した文具と宝飾品だ。宝飾品といっても見るからに高価な物はなく、職人街の工房で作られたと思われるブローチや首飾りが大半を占めていた。その景品の箱の片隅に、今ゼータが手にしている花の髪飾りがあったのだ。桃、白、青、黄、橙、緑。花弁の色も形も違うたくさんの花が、箱の中に咲き誇っていた。
つまりアムレットは、数ある選択肢の中からあえてこの色合いの髪飾りを選んだのだ。
ゼータは髪飾りを朝日に翳す。陽の光を浴びてきらきらと輝く絹の花弁は、燃えるような緋色だ。この国の王の髪と同じ色をした緋色の髪飾りは、メアリの薄茶色の髪には合いそうもない。
髪飾りを白紙にくるみ込み、鮮やかな思い出と共にポケットに仕舞う。馬車が走り去った道を見据え、新たにできた友の旅路の無事を願う。
幾百年魔族の侵入を拒み、強固な人間国家として名を馳せるロシャ王国。彼の国は今、革命の火蓋を切って落としたばかり。しかし革命の行く先は青く、澄んでいる。
新王即位に湧く澄み渡った青空に、緋色のドラゴンが嘶く日は遠くない。
「早いじゃないか。出店は周り終えたのか?」
レイバックの声に、ゼータとアムレットは同時に振り返った。
「ああ、レイ。もう花火の時間ですか?」
「いや、まだ少し早い」
「それならぎりぎりまで休ませてください。7体の化物と壮絶な戦いを繰り広げた後で、体力も気力も限界なんです」
「化物?どういうことだ」
「化物屋敷ですよ。入りませんでした?」
愉快な記憶を思い出したのか、ゼータはまた笑い声を漏らす。横にいるアムレットも随分と楽しげな表情だ。喧嘩を心配したのは束の間のこと。小人族祭を通し、2人はすっかり打ち解けた様子だ。
「入っていないが…そんなに楽しかったのか」
「5度挑戦しました。負けず嫌いのゼータが、人形を動かす魔法の謎を解き明かすなどと言うから」
レイバックの問いに答えたのはアムレットだ。話す声には愉快な色が混じる。確かに化物屋敷は小人族祭の名物であると、レイバックは頷きながら話を聞く。そしてふと違和感を覚えた。自然な声音で呼ばれた「ゼータ」の名。二手に別れる前、アムレットはゼータのことを「ゼータ様」と呼んでいたはずである。
「…何だ。少し見ない間に随分と打ち解けて…」
「待って待って。濡れ衣です。最後の2回はアムレットの誘いですよ。私はもう結構と言ったのに」
汚名を着せられては溜らぬと声を張り上げるゼータ。さも自然と飛び出した「アムレット」の呼び名に、レイバックは吃驚仰天だ。
「アムレットぉ?おい、流石に打ち解けすぎだろう」
「良好な関係を築けと言ったのは、レイじゃないですか」
「それは…そうだが」
この先長い付き合いになるんだから、良好な関係を築くに越したことはない。そう述べたのは確かにレイバックだ。しかしつい先刻まで互いに他人行儀であった2人が、まさか名を呼び捨てるほどの仲になろうとは。レイバックの表情には徐々に不満の色が滲む。
レイバックの表情の変化などいざ知らず、ご機嫌のゼータはメアリの顔を見上げた。
「2人はどこにいたんですか?」
「北通りです。珍しい食べ物を買い込んで、椅子に座ってお喋りをしていました」
「なら化物屋敷は行っていない?」
「行っていないです」
「それは勿体ない。化物屋敷は小人族祭の名物です。私と一緒に入りましょう。大丈夫、メアリに危険が及ばぬよう、私がしっかりと守りますから」
ゼータはすくと立ち上がり、騎士の佇まいでメアリの左手を取った。そのままメアリの手を引いて、場を立ち去ろうとする。待ちなさい、と声を荒げる者はアムレットだ。空いたメアリの右手を掴み、簒奪者ゼータと対峙する。
「メアリ様は怪談の類がお得意ではない。私の婚約者を泣かせるような誘いはご遠慮いただきたい」
「あの手の物は、同伴者が平然としていれば大丈夫なものなんですよ」
「そういうゼータは怯えきっていたではないですか」
「そりゃあ、アムレットは全然平然としていなかったですからね。私の事を突き飛ばした挙句、化物共の中に置き去りにした恨みは忘れませんよ」
睨み合うゼータとアムレット。右手をアムレットに、左手をゼータに囚われ、綱引きの綱状態となったメアリは目を白黒させている。待て待て、と今度はレイバックが声を上げる。
「ゼータは俺と入ればいいだろう」
「抱き潰されるのは御免です。レイはアムレットの腰にしがみついていてください」
「…お前はアムレット殿の腰にしがみついたのか?」
答えを求めるように、レイバックはアムレットを睨み付ける。たじろぐアムレットはメアリの手を放し、麗しの姫君を抱き留めたゼータは華麗に走り去っていく。
「では、お先に」
「おい待て、ゼータ!」
色違いのドレスのすそが翻る。双子のなりをしたゼータとメアリは、猫のような軽やかさで石段を駆け上がる。メアリの薄茶色の瞳がレイバックとアムレットを見て、そして悪戯に笑った。友に手を引かれ走ることが、楽しくて仕方無いと言うように。
アムレットは掴む物のなくなった右手を下ろし、2色のドレスが橋の向こうへと消えるのを眺めていた。街灯に照らされる橋の上は、大勢の人々で賑わっている。兎の面を付けた少女。水風船を飛ばし合う少年達。熱々のたこ焼きを頬張る青年。一つの綿菓子をつまみ合う恋人達。まるで夢のような場所だ、とアムレットは思う。人間と魔族が肩を並べ笑い合う場所があるなどと、言葉に聞いても信じられなかった。魔族と対等に言葉を交わす日など、ともに祭りを楽しむ日など、夢にも見たことはなかった。全てこの国が教えてくれたのだ。恋焦がれた祭りの眩さも、身の毛もよだつ化物屋敷の恐怖も、友と語らう楽しさも、全て。
「アムレット、何をぼさっとしている。2人を追うぞ!」
レイバックに名を呼ばれ、アムレットははっと我に返った。見ればレイバックはすでに石段を駆け上り、石橋の袂からアムレットを見下ろしている。手招きをする最中にも、妃2人の背を見失ってはならぬと頻繁に人混みを見やっている。小柄な2人が人混みに紛れれば、見つけ出すことは困難だ。行き先は把握しているものの、花火が始まれば屋台に並ぶ人の列は短くなる。もたもたしていれば、ゼータとメアリはあっという間に化物屋敷の中だ。メアリの可憐な唇から恐怖の悲鳴が飛び出すことになれば、アムレットはアポロに合わす顔がない。
「レイバック殿、先に行ってください。私は走るのが苦手です」
アムレットがそう言うや否や、レイバックは人混みに向かって駆けだした。風になびく緋髪は、人と人との隙間を風のように抜けていく。アムレットは宝物の詰まるかばんを抱きかかえ、去り行く友の背を追う。
***
朝日に照らされる中、ポトス城の正門前には1台の魔獣車が停まっていた。王宮の模様が刻み込まれた豪華な魔獣車だ。アムレットとメアリは、まもなくこの魔獣車に乗り込んで帰路につく。当初の予定では、彼らの出発は昼頃を予定していた。しかしアムレットたっての希望により、急遽早朝の出発へと予定が変更されたのだ。時間の許す限り、ドラキス王国の各集落を見て回りたいのだとアムレットは言った。レイバックは快くこれを了承した。魔族嫌い克服という当初の目的はすでに果たされた今、一つでも多くの魔族の集落に立ち寄ることが、次期国王であるアムレットにとって有益であることは間違いがない。
友の旅路を見送るために、レイバックとゼータは正門前に立っていた。見送りの者は他にいない。十二種族長とも面会を果たしたのだから、国賓に相応しい見送りをしようかとレイバックは提案した。しかしアムレットはこれを断った。最後の時は、4人の方が良いと言って。
「また来てくれ。いつでも待っている」
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別れの言葉を述べるレイバックとゼータ。旅立つ2人は笑顔を向ける。穏やかに微笑むアムレットの顔は、来国当初の仏頂面からは想像も付かない。最後の一時を楽しむうちに、アムレットの右手が上着の懐をまさぐった。間もなくして真っ新な紙包みが、ゼータの目の前に差し出される。
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「これは?」
「祭りの戦利品です。私には不要の物ですから、どうぞ」
拳大の紙包みが、ゼータの手のひらに載せられる。一体中身は何なのだと、紙包みを眺め回すゼータの肩を、アムレットは抱き寄せた。突然の抱擁、囁き。
「感謝しています」
アムレットの胸元に顔を埋め、ゼータは目を丸くする。抱き合う身体はすぐに離れ、アムレットは少年のようにはにかんだ。突然の出来事にぽかんと口を開けるゼータをその場に残し、碧の視線はレイバックへと向かう。両腕を開き、抱擁を求める。レイバックはアムレットの顔を見、開かれた両腕を見、そして抱擁に応えた。抱きしめた背中を、力強く叩く。
「即位の祝いには駆けつける。大空から花びらの雨を降らせてやろうじゃないか」
「ええ、ぜひ。楽しみにしています」
激励の瞬間を目の当たりにし、ゼータとメアリはどちらともなく顔を見合わせた。私達も、しましょうか?ええ、しましょう。気恥ずかしげに肩を竦め、わずかばかりの抱擁を交わす。
「ゼータ様に、お勧めしたい書物がたくさんあるんです。ぜひ王宮までいらしてください」
「はい、必ず」
そうして友は、去って行く。
魔獣車の車輪音が聞こえなくなった頃、ゼータはアムレットから貰い受けた紙包みを開いた。真っ新な紙に包まれていた物は、花形の髪飾りだ。滑らかな布を何枚も重ね合わせた繊細な花弁。折り重なる花弁の中心には、淡い輝きを放つ白の玉飾りがいくつも縫い付けられている。素人目にもわかる、かなり手の込んだ一品だ。
「…出店で買った物だろうか」
絹布の花弁をつつき、レイバックが問う。
「いえ、多分射撃の景品です。ロシャ王国の貴族は教養として射的を嗜むらしいですよ。見事な射撃で観客の注目を集めていました」
「そうなのか。しかし髪飾りなら、メアリ姫にやればいいものを」
「んー…」
アムレットがこの髪飾りを選ぶ瞬間を、ゼータは見ていない。ゼータがアムレットの元へと駆け寄ったときには、彼はすでに景品をかばんの中に仕舞い入れていたのだ。しかし射的の屋台の「景品」の箱に、どのような品が入っていたかはゼータも記憶している。物珍しい物があるだろうかと、箱の中を覗き込んだからだ。箱の中に入っていた景品は、ほとんどが子ども向けの玩具。さらには成人客を意識した文具と宝飾品だ。宝飾品といっても見るからに高価な物はなく、職人街の工房で作られたと思われるブローチや首飾りが大半を占めていた。その景品の箱の片隅に、今ゼータが手にしている花の髪飾りがあったのだ。桃、白、青、黄、橙、緑。花弁の色も形も違うたくさんの花が、箱の中に咲き誇っていた。
つまりアムレットは、数ある選択肢の中からあえてこの色合いの髪飾りを選んだのだ。
ゼータは髪飾りを朝日に翳す。陽の光を浴びてきらきらと輝く絹の花弁は、燃えるような緋色だ。この国の王の髪と同じ色をした緋色の髪飾りは、メアリの薄茶色の髪には合いそうもない。
髪飾りを白紙にくるみ込み、鮮やかな思い出と共にポケットに仕舞う。馬車が走り去った道を見据え、新たにできた友の旅路の無事を願う。
幾百年魔族の侵入を拒み、強固な人間国家として名を馳せるロシャ王国。彼の国は今、革命の火蓋を切って落としたばかり。しかし革命の行く先は青く、澄んでいる。
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