【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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埋もれるほどの花びらを君に

再会の予感

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 逢瀬宿の浴室は、通常の宿屋の浴室よりも相当にい。タイル張りの洗い場は、大の大人が2人寝転がってもまだ余裕があるほどの広さであるし、石鹸泡で満たされた浴槽は明らかに2人での入浴を想定して作られている。通常の浴室として不必要な広さは、恐らくこの場所が別の用途も兼ね備えた空間であるからだ。座面に謎の大穴が空いた風呂椅子や、「潤滑剤」との文字が見え隠れする桃色のボトルが、その想像が真実であることを裏付けている。逢瀬宿初心者のレイバックが、それらの心躍る玩具の存在に気が付いていないことはゼータにとって幸いであった。
 長方形の浴室に向かい合って浸かり込んだ2人は、泡遊びに精を出していた。レイバックは自身の胸周りに多量の石鹸泡を集め愉悦顔であるし、ゼータは手のひらの上にもこもこの子羊を作り出していた。逢瀬外の一角で泡遊びに夢中になる2人組が、まさか一国の王と王妃であるなどと一体誰が想像するであろうか。

「さて、話の続きだ。不可能を可能にせねばならぬ事情ができた、というところからだったな」

 レイバックがそう語り出したのは、互いに思いつく限りの泡遊びを終えた頃だ。長く湯に浸かり込んだために、2人の肌には大粒の汗が滲んでいる。

「魔導大学における対魔族武器開発の件については一件落着だ。関係官吏の処罰は済み、魔導大学内全研究室の鑑査も滞りなく終えられた。反魔族的な研究を行っていたとされる研究室の論文や資材は、アポロ王の名の元で没収・滅却されたらしい」
「武器開発に関与した研究員は処罰されたのでしょうか」
「いや、研究員は処罰対象ではない。彼らはただ上から命のあった通りに研究開発をこなしていただけで、研究成果の使用目的は知らされていなかった。鑑査の折にあれこれ想像を働かせる者はいただろうが、真実を知ることは最早不可能だ。この件が大事に至ることはあるまいよ」
「それは良かった。今回の件で理不尽な処罰を受けた者はいないということですね」

 レイバックの密告が元となり、魔導大学内全研究室を対象に行われた未曾有の大鑑査。アポロ国王の勅命による強制鑑査により、研究室の備品は全て改められ、個人が執筆した論文はひとつ残らず回収されたのだとメレンは言った。その鑑査の終局はゼータも気に掛けていたことである。組織規模での不祥事が起こったとなれば、責任の押し付け合いは世の常だ。今回の事案で言えば、国家の下部組織である魔導大学の研究員が、対魔族武器開発の開発責任をすべて押し付けられるという可能性もあったのだ。しかしアポロはそれを許さなかった。早急な鑑査に綿密な聞き取り、関係官吏が画策を働く前に先導者を炙り出し、地方左遷という適正な処罰を行った。不条理な処罰を行ったのでなければ、今回の一件がアポロへの反意を招く理由には成り得ない。

「ただアポロ王は今回の一件を重篤と見ていてな。今でこそ魔族友好派と非友好派が均衡を保っている王宮内であるが、アムレット皇太子が次期国王として力を付ければ、当然彼に与する非友好派の官吏が力を持つことになる。このままの状態で数年後の政権交代を迎えれば、ロシャ王国とドラキス王国の友好関係は断ち切られるだろう。アポロ王はそれを恐れている」
「まぁ…そうなるでしょうね」
「それでアポロ王は、早いうちに大元を断つことにした。断つと言っても、まさか誰それの首を落とすなどと物騒な意味ではないぞ。アムレット皇太子の魔族嫌いを、綺麗さっぱり治してしまおうということだ。これが、アポロ王が俺を呼び出した一番の目的だ。アムレット皇太子の治療に、ぜひとも協力を頼むとのことだ」

 予想外の宣告にゼータは尻を滑らせ、鼻先まで湯に浸かり込んだ。石鹸香る湯が鼻腔に流れ込み、苦しさに何度も咳き込む。しかし今は鼻に流れ込んだ湯のことよりも、耳に流れ込んだ言葉の方が気に掛かるのだ。

「まさか…アポロ王は、アムレット皇太子をポトス城に送り込んでくるつもりですか?」

 咳き込み交じりのゼータの問いに、レイバックは平然と答えを返す。

「その通りだ。この件について俺は断るつもりはない。次期国王であるアムレット皇太子と懇意になることに不都合はないし、下手な魔族の集落を訪れるくらいなら王宮に足を運んでもらった方が確実だ。魔族にはいかんせん、好戦的な性格の者が多いからな。滞在先の集落で魔族同士の諍いに行き会ったのでは、治療も何もあったものではない」
「それはそうですが…。そんなに上手くいくでしょうか。アムレット皇太子は、父親が極端な魔族嫌いであるのだとクリスに聞きました。ドラキス王国との国境付近に位置する集落の生まれで、幼い頃からの教育の賜物で魔族嫌いになったのだとか…」
「その証言に間違いはない。しかしアポロ王はこうも言っていた。アムレット皇太子は今までの人生でまともに魔族と関わった経験がない、温室育ちのお坊ちゃんだ。温室の中で与えられた知識を鵜吞みにし、悪い意味で魔族に夢を抱いている。魔族は野蛮で凶悪、人類が団して打ち滅ぼすべき敵である、とな。考え方は偏っているが、しかし排他的な性格というわけではないようだ。一度温室から出してやれば、己の目で正しい世界を見ることができるだろうとアポロ王は言っていた」
「そうですか…」

 アムレットは自らの目で見たものを理由に魔族嫌いになったわけではない。温室という名の監獄に閉じ込められ、世の偏った常識を与えられ続けたアムレットも、ある意味では被害者なのだ。

「しかしここで一つ問題があって、『魔族嫌いを克服するため』などと馬鹿正直な理由でアムレット皇太子を国から出すわけにはいかない。反魔族派の官吏からすれば、アムレット皇太子は魔族嫌いでいてもらわねば困るんだ。強引な手段を用いてでも、ドラキス王国への遠征を阻止しようとするだろう」
「それは、そうなりますよねぇ」
「そこでアポロ王は、アムレット皇太子を穏便に国から出すために、婚前旅行という体を取りたいらしい。視察や交易のためではなく、単なる観光目的でドラキス王国を訪問する。護衛も付けぬ婚約者と2人きりの気ままな旅路だ」
「…ん?」
「その件についてはアムレット皇太子も婚約者も了承済み。あとはこちらの返事しだいだ。」

 レイバックは瞬きを止めて、伺うようにゼータの顔を見た。
 アムレット皇太子の婚約者、その人物の名は当然ゼータも知っている。かつて外交使節団の一員としてポトス城を訪れた麗しの姫。溢れんばかりの恋心を胸に秘め、レイバックに見初められようと遥々やって来た少女。いやあれから1年半もの時が経った今、彼女はもう少女ではない。現国王の息女として相応しい、美しく気品に溢れた女性へと成長しているはずだ。女性の名は、メアリ。

「私は構いませんよ。お待ちしています」
「…いいのか?」

 あっけらかんと返された答えに、レイバックは不安げな表情だ。湯と同じ温度になった手のひらが、ゼータのふくらはぎに触れる。逢瀬宿の浴槽は普通の宿屋のそれよりも広く、しかし2人の人物が広々と浸かるには手狭だ。向かい合って湯に浸かり込めば、脚部が絡まり合う絶妙な広さに作られているのだ。後の目(まぐ)合(わ)いを想定した、逢瀬宿ならではの計らいである。

「レイとメアリ姫を引き合わせることは、アポロ王にとっても不本意でしょう。縁談のまとまりかけた一人娘を、かつての想い人の元に送り込むということですよ。事態がそれだけ切迫しているということです。当人達がドラキス王国訪問を受け入れているというのなら、断る理由などありませんよ」

 言って、ゼータは顎の下まで湯に浸かり込んだ。当初水面を覆いつくしていた石鹸泡はほとんどが消え、今湯船にはぬるりとした白濁湯が残るばかりだ。目を閉じて湯の温かさを享受しながら、直に返されるであろう言葉を待つ。
 ややあって、穏やかな声音がゼータの耳に届いた。

「明朝、アポロ王に文を出そう。両名の訪問を快く受け入れる、と。アムレット皇太子とメアリ姫の滞在は3泊程度を予定しているらしい。時期の希望はあるか?」
「いつでも構わないですよ。この先数か月、これといった用事もありませんし」
「そうか。それならいつでも良いと返事を返すか。俺も前後にずらせない予定はないし…」

 レイバックはゼータと同じように、顎の下まで湯船に浸かりこんだ。水中にある肉体の体積が増せば、当然触れ合う肌の面積も増える。今ゼータの臀部はレイバックの両太腿に挟み込まれているし、ゼータの足先は鍛え上げられたレイバックの横腹に触れている。なるほどこうして湯船に浸かるうちに気分がのってしまうのかと、ゼータは逢瀬宿の計らいに感動を覚えるのだ。

「外交使節団の訪問時と同じように、種族祭に合わせて来てもらうのも手ですよね。街に下りるきっかけにはなりますよ」
「良い案だ。しかし今月末…は流石に日程調整が間に合わないな。幻獣族祭だから、見世物には丁度良いんだが」

 1年に12回、毎月月末に開催される種族祭は、ポトスの街に暮らす各種族の特色を生かした祭りが開催される。そして幻獣族祭は毎年恒例、サーカスのような催しが企画されるのだ。ポトスの街中に張られた巨大なテントの中を、四足獣が優雅に飛び回る。巨大な幻獣が時に炎を吐き、時に氷を散らし駆け回る様は見るに楽しく、種族祭の中でも人気のある祭りだ。魔族嫌い克服のための通過点としては申し分ないが、残念ながら幻獣族祭までは残り10日を切っている。文のやり取りにも時間が掛かるから、日程の調整は難しいだろう。

「来月末は?」
「竜族祭だな」
「…血生臭いですね」
「血生臭いな…」

 老若男女人間魔族が楽しめる幻獣族祭とは打って変わって、竜族祭は力自慢の者達による武道会だ。武器や魔法の使用は禁止され、己の肉体のみで相手を打ち負かし最強を決める。殴り合うのだから当然血は出るし、会場に響くのは歓声というよりは怒号や野次だ。魔族初心者に見せるには刺激が強すぎる。

「それなら再来月は?」
「確か、小人族祭だ」

 手先が器用な小人族祭は、毎年決まって小間物市だ。職人街を中心とした数本の通りに仮設の屋台が設置され、装飾品や雑貨が販売される。他にも軽食を売る屋台、くじ引きや射的のような遊びを提供する屋台、土産物を売る屋台といった様々な屋台が出展されるのだ。祭りの最後には花火も上がり、幻獣族祭と同様人気が高い種族祭の一つである。

「良いじゃないですか、小人族祭。小人族は見た目が人間と近いし、気性も穏やかです。魔族入門としては丁度良いのでは?」
「そうだな。土産物も買えるし、滞在理由を観光と銘打つのなら不足はあるまい」

 話が一段落し、レイバックは肩の荷が下りた表情だ。小人族祭が良い、との提案が受け入れられたゼータも満足げである。
 不意に、レイバックの左手がゼータの右足首を掴み上げた。唐突に足を引き上げられるものだから、ゼータは目の下まで湯に浸かり込む。盛大に湯を飲み、両手をばたつかせて湯から顔を出せば、目の前には驚愕の光景が広がっている。ゼータの右足を掴み上げたレイバックは、あろうことかその足先に唇を付けているのだ。

「話は終わりだ。次なる目的を果たしても良いか?」

 親指、人差し指、中指。足指に順に唇を付ける男の姿を見て、ゼータはここがどこであったかを思い出す。レイバックの手から足先を引き抜き、逃げるように湯船から上がる。

「身体を洗ったら先に上がります。酒と軽食を頼んだんですよ。もう届いていると思うから」
「何だ、まだ飲むのか」
「酒の飲めるところなら付き合う、って言いましたよね」

 ゼータは壁際に置かれた風呂椅子を引き寄せる。座面に奇妙な大穴の空いた風呂椅子だ。レイバックが穴の存在に気が付く前にと、大慌てで椅子に腰を下ろす。続いてタイル床から手桶を拾い上げたゼータは、浴槽の湯を掬い上げ髪に掛けた。何度かそうして髪を濡らし、手探りで探り当てたシャンプーを撫でつける。間違っても「潤滑剤」と書かれたどぎつい桃色のボトルに手を出してはいけない。腹を空かせた龍に餌を与えては、噛みつかれること間違いなしだ。
 湯船に浸かり込むレイバックはと言えば、随分と楽しそうにゼータの洗髪風景を眺めていた。濡れた手が、緩慢な動作で緋髪を掻き上げる。

「飲むなら飲むで好きにすれば良い。…が、俺が上がるまでに済ませておけよ」

 目を閉じたまま、ゼータは手探りで湯船の湯を掬い上げる。そして手元が狂った振りをして、不埒な男の顔面に満杯の湯をぶっかけるのだ。
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