【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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埋もれるほどの花びらを君に

逢瀬宿

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 歓楽街の本通りへと戻った2人は、人波にのりゆっくりと歩き始めた。21時を回った今、歓楽街は最も人通りが増える時間だ。適度な酒と食事を嗜み帰路に着く妻帯者がいれば、店先にたむろし行き先を談ずる若者集団がいる。相席で意気投合し2次会へと向かう男女がいれば、明らかな軟派目的で繁華街を闊歩する2人組がいる。古風なデザインで統一された街灯と、各々の居酒屋が店頭に掲げる提灯。暗闇に包まれたポトスの街に、ただ一つ残された煌びやかな歓楽街。そこを歩く無数の人々。もしも翼竜の背にのり夜空に舞い上がることができたなら、その者が見る光景はどれ程美しいであろうか。まるで天の川が大地に落ちたような、幻想的な風景を見ることができるはずだ。

 喧騒に耳を澄ませ、長い事無言で歩を進めていたレイバックとゼータであるが、歓楽街の端が見えてきた頃にどちらともなく歩みを止めた。

「肝心の話が途中ですよね。どうします?」

 タキの紹介で訪れた居酒屋は、非常に充実した一時を提供してくれた。しかし店主アキラと話が弾んでしまったために、当初の目的が未達成のままなのだ。魔導大学における対魔族武器開発の結末。首謀者官吏の末路についての報告は済んだが、本題とも言うべき話題は冒頭部すら語られていない。

「どうしようか。別の居酒屋に入るにしても、腹は満たされているし…」
「王宮に戻って仕切り直します?」
「遥々歓楽街まで下りてきたんだ。久々の逢瀬をもう少し楽しまないか?」
「逢瀬って言ってもねぇ…。毎日のように顔を合わせていますから、ありがたみも薄いんですよね。それにこの時間はどの居酒屋も混み合いますよ。空席を探すだけで一苦労です」

 そうだなぁ、と呟き、レイバックは歩みを再開した。ゼータもその背に続く。流れゆく人波に身を任せ、歓楽街の端まであと数歩の距離となったときだ。先を歩くレイバックが突如として歩みを止めた。

「行ってみたい場所がある。付き合わないか」
「お酒が飲める場所ならいいですよ」
「飲める飲める。行こうか」

 突然気持ちが悪いほどの上機嫌となったレイバックは、ゼータの指先に自らの指先を絡める。世に言う恋人繋ぎだ。レイバックは普段手を繋ぐことは好まない。片手を塞がれていたのでは、いざ有事の際咄嗟に刀を抜けないからだ。気ままな街歩きの折にも、レイバックは護身用として刃渡り20㎝程度の短刀を所持している。服装によって隠し場所は異なるが、上着の裏地に括りつけている場合が多い。そして不意に暴漢等に出くわした場合にはその短刀を持って対処にあたるのであるが、その際片手を塞がれていたのでは初動が遅れる可能性がある。咄嗟に刀を抜けば、横にいるゼータを切りつけてしまう可能性もあるのだ。だからこそ例え気ままな街歩きであっても、レイバックとゼータは最低限の距離を保って歩くことが常だ。手は繋がず肩は組まず、腰を抱き合うこともない。王国一平和とされるポトスの街中であっても、立場が立場である以上護身を怠るわけには行かないのだ。
 しかし今のレイバックは、どうにもいつもと様子が違う。絡めた指先を離す気はなさそうであるし、行き先を告げ歩みを進める様も珍しい。

***

 手を引き手を引かれ、立ち入った場所は歓楽街の西側にある通りだ。路地を隔てただけの場所なのに、歓楽街の喧騒には程遠い。道の両脇に建物は多いが、通りを歩く者は驚くほど少ないのだ。歓楽街の側からふらりとやって来た男女2人組が、通りの一角にある建物の中へと吸い込まれるようにして消えて行く。まるで初めからその建物に立ち入ることを決めていたかのように、彼らの歩みに淀みはない。

「ここは…」

 通りの端で、ゼータは足を止めた。紅屋根に白壁の建物が多いポトスの街中とは、一線を画する通りだ。通りの左右に立ち並ぶ建物はどれも3階建てほどの高さであるが、その色合いも風貌も様々だ。毒々しい桃色の壁の建物もあれば、王宮を模した豪華な造りの建物もある。いずれの建物にも共通しているのは、出入り口に看板の類を掲げていないことだ。通りを歩く不特定多数の人々が立ち入るのだから、それぞれの建物が何らかの商売を営んでいることに違いはない。しかしそれらの建物は飲食店と言うには賑やかさに欠けるし、雑貨店や土産物店と言うには店名がはっきりしない。何も知らぬ者がこの通りに立ち入れば、思わず足を止めてしまうような不可思議な雰囲気の通りである。

「ここにしよう」

 レイバックはゼータの手を引き、通りの一角にある建物へと向かう。外見上目立った特徴のない建物だ。3階建ての建物で、乳白色の壁に真四角の小さな窓が並んでいる。他の建物と同様出入り口に看板や掛札はなく、曇りガラスの玄関口から内部の様子を伺うことはできない。建物の外壁に取り付けられた5つの壁掛けランタンが、その建物が人の立ち入って良い場所であることを示していた。
 曇りガラスの扉を押し開けた先は、人気のない空間だ。壁も床も乳白色で統一されたその空間には、鉢植えの観葉植物がずらりと並んでいる。しかし草木特有の青臭さは感じないから、恐らくは造り物の鉢植えなのだ。鉢植えの傍には2人掛けのソファがあり、皺のない紺色のクッションが一つのっている。床に置かれた家具と言えばそれだけで、後は壁に掛けられたいくつかの絵画。それと玄関口からは離れた場所に受付場と思しき小空間があるだけだ。受付場に今、人の姿はない。
 ゼータは緊張の表情を浮かべ、レイバックの手指を握り込む。

「レイ。つかぬことを伺いますが、ここがどこで何の目的で立ち入る場所かわかっています?」
「無論。一般に逢瀬宿と呼ばれる場所だ。歓楽街で偶然出会った人々が一夜限りの逢瀬を重ねる場所。また愛し合う恋人達が日常を離れ、自宅では躊躇される背徳的な夜伽を楽しむ場所でもある」
「…お見事です」
「噂に聞いて、一度来てみたかったんだ」

 逢瀬宿とは、ポトスの街に住む者なら存在程度は知っている場所だ。そこは愛し合う恋人同士が逢瀬を重ねる場所、そして隣接する歓楽街で出会った2人が一晩限りの遊戯を愉しむ場所でもある。宿、と名が付いてはいるが本来は宿泊を目的とした場所ではなく、遊戯のための数時間単位の滞在が主となる。もちろん相応の金を払えば通常の宿としての利用も可能である。逢瀬宿の立ち並ぶ通りは通称「逢瀬街」と呼ばれ、歓楽街に並びポトスの街の夜を象徴する通りだ。

 立ち竦むゼータを観葉植物の脇に残し、レイバックは人気のない受付場へと向かった。記帳台の上にある呼び鈴を鳴らせば、受付場の奥にある小さな扉から一人の女性が現れる。色白で髪の長い女性だ。年はわからない。空き部屋はあるか、値段の相場は。少年のように無邪気な笑顔で女性と語らうレイバックを眺め、ゼータはひっそりと溜息を零すのだ。
 来てみたかった場所だと言うのなら、文句は言うまい。

 受付を済ませ、立ち入った部屋は宿屋の一室に等しい内装であった。部屋の中心には人が4人寝転がれるほどの巨大なベッドがあり、ベッドの脇には荷物台や鉢植えの観葉植物、起立式の照明等細々とした備品が並んでいる。少し離れた場所には柔らかな布地のソファに、飲食用のローテーブル。申し訳程度の小窓には茶のカーテンが引かれており、屋外の様子を伺うことはできない。

「思っていたより広い部屋だな」

 少年のように緋色の瞳を輝かせるレイバックは、浴室へと続くガラス張りの扉を開けた。広々とした浴室に歓声を上げ、脱衣所の引出しを片端から開ける。石鹸、髭剃り、タオルにバスローブ。特別珍しい物などないはずなのに、次々飛び出す日用品を前に、宝物を発見したかのごとくはしゃぎようだ。

「見ろ。入浴剤がたくさんある。折角だし風呂に入っていくか?」
「はぁ…」

 すっかり若返ってしまった一国の主を横目に見ながら、ゼータは是とも非ともつかぬ相槌を打つ。確かに逢瀬宿では酒も飲めるし、簡単な食事を取ることもできる。他人に立ち入られる心配はないし、内緒話をするには持ってこいの場所だ。しかし逢瀬宿に人を連れ込む場合には、事前に許可をとることが常識である。例え恋人同士の間柄であってもだ。一言忠告すべきかと思案するも、幼気な少年を前にしては心苦しい。

 文句を言いたい気持ちを抑え、ゼータは部屋の中に進み入った。脱いだ上着をソファの上に放り、一番目立つ位置にある物置の引出しを開ける。予想の通り、その場所には「メニュー表」と書かれた黒い革張りの冊子が入っていた。表紙を捲れば最初のページは飲料と食事の一覧表だ。続いて貸出備品の一覧表、滞在時間ごとの利用料金と宿泊費の参考費。逢瀬宿は施設ごとに部屋の内装や、提供するサービスの内容が大きく異なる。王宮の客室さながらの設備を備えた客室もあれば、飲食店に負けず劣らずの美食を提供する宿もある。歓楽街の一角には逢瀬宿のサービスを事細かに把握する仲介所があり、個人の要望と欲望を満たすにぴったりの御宿を紹介してくれるのだ。
ゼータは引出しの中に入っていた注文用紙に、酒とつまみの品名を書いた。物置台の傍の壁には拳大の穴が開いており、穴の下部にこう書かれている。
―注文用紙はこちらへ
 試しに手のひらを差し入れてみれば穴の内部は空洞で、かなり深いところまで繋がっている。恐らくその穴は宿の厨房や備品庫に繋がっているのだろうと想像を働かせ、ゼータは折り畳んだ注文用紙を小さな穴に投げ入れた。レイバックがゼータの元へとやって来たのは、丁度その時であった。

「ゼータ、来い。風呂の時間だ」

 ご機嫌声に振り返れば、すでに上半身裸となったレイバックが立っていた。6つに割れた腹筋が目に眩しい。耳を澄ませば、浴室からは湯張りの流水音が聞こえてくる。

「まだ湯張り途中でしょう。満杯になってからで良いじゃないですか」
「泡風呂の入浴剤を入れたんだ。湯張りの勢いでどんどん泡立つから、見ていて面白い。どうせすることもないんだし、風呂場にいた方が有意義だ」
「することはないって…例の話は?」
「話は風呂の中でする」

 そうしてご機嫌のレイバックに手を引かれ、脱衣所へと連れ込まれてしまう。大きく開かれたガラス張りの扉から浴室内部を覗き見れば、確かに浴槽の内部は洗濯桶を思わせる有様であった。きめの細かい石鹸泡が、蛇口から流れ落ちる湯によって面白いように体積を増す。浴槽の脇に落ちた手桶に石鹸泡が掬い取られているところを見るに、レイバックはすでにもこもこ泡で一遊びを終えたようだ。

「泡風呂には夢がある。王宮の風呂で実現できれば良いのだが、湯船が広いから多量の入浴剤が必要だ。掃除にも手間がかかるだろうから、カミラの許しが出るとも思えない。たまに逢瀬宿に来て楽しむ他にないか…」

 彼の王は泡風呂を随分とお気に召した様子だ。独り言を呟きながら下半身衣類の脱衣を進める様子は、いっそ微笑ましくもある。あちこちに泡をのせた緋髪を眺めながら、ゼータも脱衣を開始する。酒を入れた状態での入浴は避けたいところであるが、人様の楽しみに水を差すような真似はしたくない。レイバックの脳内では「ゼータとともに」泡風呂に浸かることはすでに決定事項なのだ。
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