【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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無垢と笑えよサイコパス

再会の…

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 思いもよらぬ人物の再来に、ゼータは地面に伏したまま完全に沈黙していた。目を見開き口は半開き。匍匐前進を思わせる態勢も相まって、何とも間抜けな状態だ。レイバックの顔にはゼータほどの動揺はない。しかし目の前に立つクリスから視線を外せずにいるところを見るに、それなりに驚いてはいる様子だ。
 たっぷりと30秒は経った。ゼータは未だ沈黙のまま、レイバックもその場を動かない。終わりの見えない静寂に不安を覚えたクリスは、助けてとばかりにビットを見やる。

「ねえ、ビット。大丈夫かな。ここまで来て切り殺されるのはちょっと…」
「大丈夫でしょ。ほらレイさん丸腰だし。あ、でも万が一レイさんが向かってきたら、僕のことは気にせずに1人でやられてください」
「少しは助けようとしてよ」
「嫌です。王宮に行きたいと言ったのはクリスさんですからね」

 本人を前に失礼な言動を繰り返す2人を眺めながら、レイバックは地面に伏したままのゼータを助け起こした。胸や腹についた土埃を払い、ついでに頬と唇についた砂粒を指で落としてやる。下唇の内側に指を指し込んでも、放心状態のゼータから不満は出ない。
 甲斐甲斐しくゼータの世話をするレイバックを見て、クリスはすぐに殴り倒されることはないと悟ったようだ。改めて、一国の王と王妃に向き直る。

「どうも、お久しぶりです」
「生きていたんだな」
「まあ…運良くと言いますか。運悪くとも言いますか」

 クリスは苦笑する。生きていた、現状を把握するに相応しい言葉を耳にして、ゼータはようやく意識を取り戻した。慣れない疾駆により額には汗の粒が浮かび、口から零れる呼吸は荒い。見開かれた黒の瞳は、激しい動揺に揺れていた。

「生きていた?なんで?だってナイフで胸を刺されて…」

 ゼータの問いにクリスは答えない。答えあぐねているのだ。代わりに口を開いた者は、何とも居たたまれない様子のレイバックだ。

「胸の刺し傷は致命傷ではなかった」
「殺すつもりはなかったということですか?」
「まさか。殺すつもりがないのなら、首や胸など狙わないさ。あのときは本当に殺すつもりだったんだ。だが手持ちの武器が戦闘用ではなかったのと、たまたま左手のひらに傷を負っていた。不運が重なり、ナイフが心臓に届かなかったんだ」

 レイバックは左手のひらをゼータに向ける。今その場所に傷はない。しかしロシャ王国からの帰国の途中、レイバックの手のひらには確かに小さな刺し傷があった。傷の理由を尋ねるゼータに、レイバックは「手持ちのペンをへし折った」などと意味不明な答えを返したのだ。クリスにとってみれば、その小さな傷が幸いしたということか。

「でも…待って。レイは一度地下研究室に戻っていますよね。証拠隠滅をすると言って。そのときに生死を確認しなかったんですか?」
「肌に触れての確認はしていない。だが死んでいない、とは気付いていた。頬は血の気を失っていなかったし、胸が微かに上下していたから」
「止めを刺さなかったんですか?殺すつもりで刺したのに?何で?」

 レイバックは言いにくそうに視線を泳がせた。

「まぁ…なんだ。クリスは悪人ではないだろう。妃を監禁されたのは事実だが、それだって始まりはゼータの迂闊な好奇心だ。こちら側にも非がある以上、俺の私怨で一人の人間を始末してしまうのはいかがなものかと思って…」
「…はぁ」
「だからといって甲斐甲斐しく手当てをする気分にもなれなかったし、運を天に任せたというか…」
「待って。地下室には火を付けたんですよね?」
「付けたさ。だから、火が燃え広がる前に意識が戻って逃げ出せばそれでよし。逃げ出せなければそれで終いだ。致命傷ではないとはいえ胸の傷は深かったから、本当に生きているとは思わなかったが」

 皆の視線がクリスへと集まった。生死を天に丸投げされ、そして幸運にも生き延びた男は苦笑いだ。

「あの時は本当に死んだかと思いました。衣服のすそに火が移って、熱さで目が覚めたんです。出血が多くて眩暈はするし、手と胸の傷は痛むしで散々だったんですけれど、どうにか地下通路を通って外に逃げ出しました。地上へと続く階段はすでに火の海でしたから」
「地下通路?」
「地下牢の一角に避難用の地下通路があったんです。例えば建物の火災や崩落などで、通常の出入り口が使用できなくなったときのための緊急用の出口なんですけれど、実は通路の一本が首都リモラの外部へと繋がっているんですよ。魔族との交易が完全に禁止されていた時代には、その通路を使って魔族と密会していたんです。過去の遺物ですけれど、今回はその遺物のお陰で助かりました」

 魔族立ち入り禁止のロシャ王国であるが、魔導大学の研究員はウェイトメリアという集落に限り魔族との落合が認められている。これは魔導人形製作時におけるデューの証言だ。現在でこそ例外的な魔族立ち入りが認められているロシャ王国であるが、以前はそうではなかったのだ。ロシャ王国とドラキス王国の間で友好関係が構築されたのは、今からほんの数十年前のこと。アポロ国王の前国王とレイバックとの間で、領土不可侵や農畜産物の交易、年に一度の外交使節団の派遣などの事項が取り決められた。友好関係の構築以前はと言えば、両国の関係はどちらかと言えば険悪であった。ロシャ王国側が、一方的に魔族を毛嫌いしていたためだ。完全なる魔族敵対国家の内側にいたのでは、例え最先端の研究を行う魔導大学の研究員とはいえども、研究に際し公に魔族の力を借りることは難しい。だからこそ検問所を通らずに首都リモラの外に出るために、魔導大学の内部には非常口と称した秘密の地下通路が建設されたのだ。数十年も前に建設された遺物が、この度クリスの命を繋いだ。聞けば聞くほど、クリスの身はたくさんの幸運に守られたのだ。

「脱出後は、首都リモラの外部にある小さな集落で匿ってもらいました。火傷と刺し傷の理由は適当にごまかしましたけどね。長期療養の末に傷も良くなったので、この度謝罪も兼ねてドラキス王国にやってきたんです。その…すみませんでした。身勝手な要望を押し付けるために無茶をして」

 クリスはそこまで言うと、レイバックとゼータに向けて深々と頭を下げた。一国の王と王妃相手に無体を働いた過去は消せやしない。しかし生死の縁を彷徨った男から誠心誠意の謝罪を受けて、「許す」以外の言葉をどうして口にできようか。レイバックは破顔し、クリスに歩み寄る。親愛の握手を求めるためだ。しかし空中に浮かぶ双方の手のひらは、悲しいかな触れ合うことはない。ゼータが、レイバックの歩みを止めるべくその背に抱き着いたからだ。
 つんのめるようにして歩みを止めたレイバックは、ゼータからの突然の抱擁に驚きを隠せない。しかし満更でもないという様子だ。愛しい妃の抱擁に抱擁を返すべく、身を捩ったレイバックは―

「いだだだだだ!」

 容赦のない魔法攻撃を受け、悲鳴とともに地面に崩れ落ちた。

「殺していないのなら、初めからそう言ってくださいよ」

 頭上から降り注ぐ冷ややかな声に、レイバックは身を固くした。電流に似た魔法攻撃の直撃を食らい、頭頂から爪先に至るまでがびりびりと痺れている。ここが戦場であれば完全なる敗北。頭上から命を絶つ一撃を振り下ろされても不思議ではない。まさか殺されるはずなどない。そう理解しながらも生存本能が警鐘を鳴らすのは、降り注ぐゼータの声色が氷点下の温感であるからだ。最早殺意を向けられているに等しい。

「だから、本当に生きているとは思わなかったんだよ!下手に期待を持たせるのも悪いだろ!?」
「確実に殺したというのと、僅かでも生きている可能性があるというのは、あまりにも意味合いが違いますよねぇ?」
「そ…それはそうだが…」

 下男のごとく地に付す王と、その王の頭上に魔王のごとく冷淡な言葉を浴びせる王妃。目の前で繰り広げられる恐ろしい攻防に、2人の衛兵はがたがたと身を震わせていた。

「僕、ひょっとして結構歓迎されている?」
「…みたいですね」

 一触即発の攻防の傍ら、ビットとクリスだけが呑気なものである。
 不意に、魔王ゼータの視線がクリスへと向いた。皆が固唾を飲んで見守る中、ゼータは早足でクリスとの距離を詰める。そうして半ば体当たりをするような形で、クリスの胸の中に飛び込んだ。

 攻撃される、クリスは咄嗟に目を閉じた。ビットは弾かれたように2人から距離を取る。魔法攻撃の巻き添えを食らってはならぬと、獣の本能が彼をそうさせのだ。クリスは両手を顔の前に掲げ、きたるべき攻撃に備えた。しかし覚悟した衝撃はいつまで経っても訪れない。

「…あの、ゼータ?」

 クリスは恐る恐る目を開ける。顎の下に、寝癖の残る黒の頭髪がある。顔は見えない。しかし背に回された両腕は温かく、胸元に頬を摺り寄せる仕草は穏やかだ。悪魔ゼータに攻撃の意志はない。だとすればこの抱擁の意図は。真っ先にその疑問の答えに辿り着いた者は、大地の上で身動きの叶わぬレイバックであった。

「クリス!振り払え!」
「無茶おっしゃいますね!?」

 攻撃のための接触は許せても、再開の抱擁は許せない。今すぐ俺の妃から距離を取れとの要望に、クリスは悲痛な叫びを返した。今のゼータは、最強と謡われる神獣の王を一瞬でのした男。身を守る手段を持たぬクリスが、邪険に扱えるはずもない。
 地べたに這いつくばったまま獣のような唸り声をあげるレイバックと、クリスの胸元に顔を埋めたままのゼータ。自らの身の潔白を証明すべく両手を顔の横に掲げるクリスと、緊張の面持ちで現場を見守るビット。そして傍観を決め込む2人の衛兵。一方的な抱擁の時間が数十秒に及んだときに、クリスははたと気付く。もしかして抱擁に抱擁を返すまで、解放してはもらえないのか。困惑のままにレイバックを見れば、神獣と名高き王の背後には緋色の龍の幻が見える。猛る龍の幻はこう告げるのだ。
 抱きしめ返せばどうなるか、わかっているんだろうな。

 板挟み状態のクリスに助け舟を出したのは、事の成り行きを見守っていたビットであった。ひっそりとレイバックの背後へと歩み寄っていたビットは、獣の俊敏さを存分に発揮しレイバックの背中へと飛びのった。

「レイさん、お背中失礼します」

 そう言うが早いが、ビットは両手のひらでレイバックの両眼を覆い隠す。あろうことか王の背中に馬乗りになる若者の姿に、傍観を決め込んでいた2人の衛兵は短い悲鳴を上げた。

「クリスさん、今です!」
「ビット!」

 ビットの行動の意味を、レイバックは即座に理解した。頭を振ってビットの両手を振り払おうと試みるが、魔法攻撃の効果は未だ根強く残る。四肢が思うように動かないのだ。鍛えられた体躯を持つレイバックであるが、頭の動きだけで成人男性を振り払うことは不可能である。
 ややあって、ビットは何事もなかったかのようにレイバックの背から下りた。そしてそのまま、倒れ込むようにして地面に伏せる。全身全霊の土下座だ。レイバックは目の前で頭を垂れるビットを見、それから少し離れた場所に立つゼータとクリスを眺めやる。一時前までぴったりと身体を寄せ合っていた2人は、適切な距離を保ち立っていた。

「クリス…お前…」
「僕は何もしていないです」

 穏やかな笑みでそう告げられてしまえば、レイバックに返す言葉はない。
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