【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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無垢と笑えよサイコパス

首輪を外せ

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 帰国から一夜が明けた。身支度と朝食を済ませたゼータは、レイバックとともに兵士の訓練場へと向かった。目的は外でもない、首元に張り付いたままの魔封じの首輪を外すためだ。
 昨晩自室である王妃の間に戻ったゼータは、首輪を外すためにあれこれと道具を持ち出した。ハサミにペンチ、金づちにノコギリ。しかしどのような道具を用いたところで、素材不明の首輪を外すことは叶わない。辛うじて付けた傷らしい傷と言えば、首輪の表面塗装をヤスリでいくらか削り取ったくらいのものだ。首輪を前に小一時間四苦八苦を重ねたゼータは、最終的にこう判断を下す。解除はデューゴに依頼する他にない、と。

 高い塀に囲まれたポトス城の南方には、王宮軍が日々鍛錬を行うための訓練場がある。訓練場とは言っても最先端の設備が備わった訓練室などがあるわけではなく、均された土の広場が広がっているだけだ。王宮から訓練場へ向かうためには、ポトス城の東側に位置する白の街を抜け、小さな東門を出るのが近道だ。東門を出た後は林の中の小道をいくらか歩けば、間もなくぽっかりと拓けた訓練場が見えてくる。
 レイバックとゼータが訓練場に辿り着いたとき、兵士は丁度訓練のための準備運動を行っているところであった。ジョギングをする者がおり、手足を曲げ伸ばす者がおり、軽やかな跳躍運動を行う者がいる。土の地面に座り込んで、訓練用の槍を磨く新米兵士の姿もあった。王と王妃の来訪にまず先に気が付いた者は、輪の中心で屈伸運動を行っていた団長のデューゴだ

「レイバック王、ゼータ様、おはようございます」
「おはよう、デューゴ」
「おはようございます」

 きりりと立礼をするデューゴに、レイバックとゼータは挨拶を返す。王宮軍の団長であるデューゴは、身の丈が3mもあろうかという純血の巨人族だ。天に届くような巨体と黒々とした顎髭が物騒な印象を与えるが、白銀の兜に隠された瞳はリスのように円らだ。見た目は厳ついが、面倒見がよく穏やかな気性の男である。

「レイバック王、本日はご鍛練ですか?視察から戻られたばかりと聞き及んでおります。2週間剣を握らずにいれば、さぞかし身体も鈍っておられましょう」

 そう言うと、デューゴは近くの兵士に声を掛けた。倉庫に仕舞われたままの、レイバックの剣を持ってこさせるつもりなのだ。頷き、駆けだそうとする年若の兵士をレイバックは呼び止める。

「鍛錬には後日改めて出直すよ。仕事が溜まっているんだ」
「左様ですか。では本日はどのような御用で?」

 訓練以外で訓練場を訪れる用事があるのかと、デューゴは円らな瞳を瞬かせた。あの、と小さな声を上げ、デューゴの前に躍り出た者はゼータだ。

「用があるのは私です。この首輪を取って欲しいんですよ」

 デューゴと、デューゴの周りにたむろしていた数人の兵士の視線が、一斉にゼータへと向いた。正確にはゼータの首元に嵌まる銀の首輪に、だ。デューゴは腰を屈め、ゼータの首元をまじまじと覗き込む。

「なんの首輪です?」
「玩具の首輪ですよ。リモラ駅で買った物なんですけれど、外し方を書いた説明書を失くしてしまったんです」
「ははぁ…壊しても構わんのですか」
「構いません」

 デューゴの指先が首輪の表面に触れる。丸太のような腕から突き出た5本の指は、1本1本が子どもの腕ほどの太さがある。この手指に掛かれば細身の首輪の破壊など容易いように思われた、が。

「…申し訳ありません、ゼータ様。私では力不足でございます」

 首輪から指を離し、デューゴは頭を下げた。王国一を誇る力自慢のまさかの脱落宣言に、ゼータは驚きに目を見張る。

「力不足?壊せないということですか?」
「失礼。力不足というのは腕力が足りないという意味ではございません。首輪を壊すだけなら可能でしょうが、ゼータ様の御身の保証が出来ません。力任せに握りつぶすことになりますから」

 首輪と皮膚の間の隙間は、ゼータの指先が辛うじて入る程度しかない。麺棒のようなデューゴの指先を差し入れられるはずもなく、首輪を壊すとなれば確かに力任せに握りつぶす他ないのだ。巨人族の膂力に掛かれば細身の指輪を砕くことなど容易いであろう。だが首輪に張り付いた首輪を押し砕くということは、同時にゼータの首の骨も砕かれる危険性があるということだ。手首や足首の骨であれば、例え折れても治癒は可能。しかし首の骨ともなればそうはいかない。首輪の大破とともに、ゼータの命は露と消える。

「腕力が駄目なら魔法はどうだ?魔法隊の中には、岩をも砕く強靭な魔法を使う兵士がいるだろう」

 レイバックの言葉を受けて、デューゴの視線が一人の兵士へと向いた。兵士と言うにはいささか線の細い壮年の男性だ。身にまとう防具は胴体を覆う胸当てと、左右の上腕に取り付けられた小型の籠手だけ。素材も重量のある鉄製ではなく革製だ。二の腕に巻かれた青地の腕章は、彼が魔法隊に所属する兵士であることを示している。魔法隊とはその名と通り魔法に優れた兵士が所属する隊列で、その他は剣隊、体術隊、防御隊、補助隊と名が付けられている。そしてそれぞれの隊列には、決まった色の腕章が割り当てられているのだ。
 今しがたデューゴの視線を受けた壮年の男性兵士は、地面に座り込んだまま居心地が悪いとばかりに身を竦めた。日頃から鍛錬と称して訓練場を訪れるレイバックであるが、行う鍛錬の内容はもっぱら剣技と体術だ。魔法に疎いレイバックが魔法隊の兵士と魔法談議に花咲かせられるはずもなく、魔法隊の面々は王相手の会話に慣れていないのである。さらに今、王の隣には王妃がいる。壮年の男性兵士は目線を泳がせながら、か細い声を絞り出す。

「確かに私の魔法は固い岩をも砕きます。しかし私ども魔法隊の使う魔法は、あくまで敵を打ち倒すためのもの。小さな物を壊す繊細な魔法は会得しておりません。止む負えない事情があれば手錠程度は壊しますが、それでも魔法を打たれた側に多少の怪我は付き物で…」
「多少の怪我なら構いません。やってください」

 そう言ってゼータが詰め寄るものだから、男性兵士は千切れんばかりの勢いで首を横に振った。

「いえいえいえ!王妃の御尊顔に傷を残すことになっては、王に申し訳が立ちません。それに手首であれば多少の怪我でも、首に負ったとなれば致命傷に成り得ます。王妃の首元となれば緊張を禁じ得ず、手元が狂ってしまう可能性も…」

 一言で言うなれば「勘弁してくれ」ということだ。これ以上委縮した男性兵士に喋らせるのは気の毒だと思ったのか、デューゴが言葉を引き継いだ。

「御期待に添えず申し訳ありません。魔法に頼るのであれば、我々よりも王宮内の官吏を当たるのがよろしい。特に魔法管理部には、ほれ。異例の魔法好きが揃っておりましょう」

 デューゴの提案に、レイバックとゼータは顔を見合わせた。腕力に物を言わせるのなら、デューゴを頼るのが最善であることに間違いはない。しかし腕相撲一つで優劣が決まる腕力とは異なり、魔法は驚くほど多様性に富んでいる。王宮軍の兵士のように岩をも打ち砕く者もいれば、指先一つで玉ねぎをさいの目状に切り刻む者もいる。王宮在住者を隈なく当たれば、安全かつ確実に首輪を壊すことができる者に行き当たる可能性は十分にあった。

「…そうだな。魔法に長けた官吏を当たってみるか」
「侍女の中にも魔法が得意な者は多いですよ。各人の得手不得手はカミラが把握していますから、帰り際に声を掛けてみましょう。この時間なら洗濯室にいるはずです」

 そうして新たな目的を得たレイバックとゼータは、兵士らに礼を言って訓練場を後にした。「数日以内には訪れるから、俺の剣を研いでおいてくれ」レイバックの言葉に、デューゴは笑顔で「御意」と返すのであった。

***

 それからおよそ2時間の時を掛けて、レイバックとゼータは王宮中を巡り巡った。強大な魔法は使えずとも、官吏や侍女の中には細々とした独自の魔法を会得している者も多い。それらの魔法の中に必ずや首輪の破壊に有用なものがあると踏んでいた2人であるが、予想に反して事は難航する。首輪を壊して欲しいと声を掛けた官吏が侍女が、皆口を揃えて言うことはこうだ。
―首輪を壊すだけなら可能、しかし王妃の身の安全が保障できない

 途中で昼休憩を挟みさらに一時間王宮内を練り歩いたものの、結局首輪を外すことは叶わなかった。疲れ果て王妃の間へと舞い戻った2人は、ソファに腰かけ無言の有様だ。目の前のテーブルの上には、カミラが給仕してくれた紅茶が湯気を立てている。しかしどちらとも手を付けようとはしない。

「どうしたものかな…」

 煤一つない淡色の天井を仰ぎ、レイバックが呟いた。亡霊のような形相のゼータが隣で唸る。首輪の効力による倦怠感と眠気に加え、半日近く王宮内を駆け回ったのだ。疲労はすでに限界である。

「首輪一つにここまで苦戦させられるとは…今回ばかりは王妃の地位が災いしました」

 今日一日で「王妃の御尊顔に傷を」という言葉を何度耳にしたことか。日頃から研究員として魔法研究所に通い、官吏のような装いで王宮内を練り歩くゼータである。王妃らしからず官吏侍女と気安い関係を築いていることに違いはないが、だからと言って王妃の地位が消えてなくなるわけではないのだ。王妃の顔に傷を付けるどころか命を脅かす危険性があるとなれば、誰だって積極的に手を貸したいとは思わない。例え王と王妃直々の頼み事であってもだ。
 レイバックを供に付けるべきではなかったか、とゼータは今さらになって思うのだ。官吏同然の装いをしたゼータ個人の頼み事であれば、引き受けてくれる人物はいたかもしれない。ルナの姿になった機会など結婚式以降数えるほどしかない。ゼータが王妃の地位に就く者であるなどという事実は、つい数時間前まで人々の頭の中から抜け落ちていたはずなのだ。しかしレイバックが一緒となれば、ゼータが王妃であるという事実は否が応でも思い出す。さらに王の目の前で王妃の身体に傷を付けることになるやもしれぬとなれば、皆が否と言うのも当然だ。
 完全なる選択誤りと、ゼータは肩を落とす。今更単身王宮内を練り歩いたところで、王妃の地位を思い起こした侍女官吏が頼みを引き受けてくれるとも思えない。

「なぁ、少し本気を出してみても良いか」

 耳元で聞こえた声に、ゼータは首を捻る。真横に座るレイバックが、至極真面目な表情でゼータを見つめていた。

「本気でやっても駄目だったじゃないですか」

 今朝方兵士の訓練場に向かうより前に、ゼータはレイバックに対し首輪の破壊を依頼しているのだ。やる気十分に腕まくりをしたレイバックは渾身の力で首輪を引き千切ろうと試みたが、か細い首輪はびくともしなかった。数分に渡り奮闘を続けたレイバックであるが、額に一筋の汗が伝い落ちたときに遂に白旗を上げたのである。
 レイバックは真面目な表情のまま、言葉を続ける。

「人に力ではな。ドラゴンの力を使っても良いかと聞いている」
「いやいや…駄目でしょう。首どころか身体中の骨が粉々です」
「ドラゴンの姿で首輪を押し潰そうという意味ではない。少し力を借りるだけだ。初めは人の姿でいて、首輪に力を加えながらできるだけゆっくりと変身していく。人の形態に近いうちなら力の微調整は可能だ」

 ゼータの目の前に、手のひらが掲げられた。剣を握るための厚く固い手のひらだ。その手のひらが突如として膨張する。人の手指はまるで木々が育つようにして引き伸ばされ、滑らかな皮膚には緋色の鱗が浮く。ぱきぱきと小枝を折るような小気味の良い音が、2人きりの室内に響く。
 しかし変化を始めた手指は完全な竜となることはなく、時間を巻き戻すようにして人の手指へと戻った。レイバックの正体を知らぬ者がこの場にいれば「幻を見た」と言うのかもしれない。そう感じさせる程に自然で、慣熟を感じさせる変化であった。すっかり人の物となってしまったレイバックの指先を凝視しながら、ゼータは問う。

「勝算はどれくらい?」
「五分五分だな。首輪の素材が分からないから、どれ程度の力を込めれば良いのかが全く分からない。硬質であればまだ良いが、形状変化が可能な物質であれば厄介だ。首輪が変形して気道が圧迫されれば、窒息死する可能性もある」
「怖いこと言わないでくださいよ…」
「でもやってみる価値はあるだろう。他の誰に頼むより、解除に至る可能性は高いと思うがな」

 ゼータは目を閉じ、思案する。官吏侍女では首輪の破壊は叶わない。破壊自体は可能であっても、王妃の身の安全が保障されないと口々に言う。王の御前で王妃の命を危険に晒すことなど、家臣にせよという方が初めから無茶なのだ。ならばゼータが首輪の破壊を頼む人物は初めから一人しかいない。巨人族であるデューゴを遥かに凌ぐ強靭な前腕、鉄鎧をも押し潰す鋼の手のひら。ドラゴンの力を以てすれば、細身の指輪など繊細なガラス細工のごとしだ。しかしそれは同時に、ゼータの全身の骨がガラス細工のように砕かれる可能性があることを示している。無残に圧死した自身の姿を想像しながらも、ゼータはよし、と腹を括る。

「ドラゴンに潰されるなら本望です。やってください」
「よくぞ言った」

 力強く頷き、レイバックは席を立った。ゼータもそれに続く。王妃の間の一角、陽光浴びる窓際に2人は向かい合って立つ。ややあってレイバックの両手のひらがゼータに向かって伸ばされた。温もり感じる手のひらが首元を包む。

「怖ければ目を閉じていると良い」
「閉じませんよ。愛しい男の顔を見ながら死ぬのも悪くない、なんて考えていたところです」
「そうか。光栄だな」

 レイバックは声を立てて笑う。今から王妃の命を危険に晒す者の顔とは思えない、穏やかな様子だ。緋の虹彩が陽の光を浴びてきらきらと煌めく。世に二つとない極上の宝石のようだ、とゼータは思うのだ。

「いくぞ」

 掛け声とともに、レイバックの両眼は見開かれた。両手に力がこもる。首輪を覆う手のひらが小刻みに震える。しかし首輪は僅かな軋みすら立てようとはしない。
 徐々にレイバックの顔面に変化が起きた。滑らかな頬に緋色の鱗が浮かび上がる。結膜は金色に染まり、猫の瞳を思わせるがごとく瞳孔が縦に長く伸びる。噛み締められた歯列は肉食獣に等しく、鋭利な牙へと変化を遂げる。目の前の男が獣へと変化する様を、ゼータは一心に見つめていた。小枝を折るような小気味の良い音とともに、首元を包む手指が膨張する。捲り上げられた衣服の袖は皮膚と溶け合い、緋色の鱗の内側に飲み込まれるようにして消えていく。かつてレイバックは自身の変身を「裏返る」と表現した。人の表皮は衣服とともに格納され、内側にある竜の表皮が表に出てくるのだと。ゼータがレイバックの変身風景を見るのはこれが初めての経験ではない。かつては物珍しさが先走り然して意識もしなかったが、よくよく見れば確かに「裏返る」という表現が的確であるように思われた。

 今や天井に届くほどの高さとなってしまった金の双眸を見上げ、ゼータはいよいよ死を覚悟した。これは本当に、無残に握り潰されるかもしれない。頬に痛みが走る。見れば、鋭利な鍵爪が皮膚の表面を薄く切り裂いていた。鮮血が頬を伝う。
 さらば友よ。ゼータが目を閉じ現世に別れを告げた、その時であった。木箸を折るような不吉な音が耳に届く。それはゼータの首の骨が惨たらしく砕かれた音ではなく―

「レイ、止めて」

 ゼータが制止を掛けるよりも早く、レイバックは時間を巻き戻すようにして人の姿を取り戻した。小さな破壊音は、半竜の耳にも届いていたようだ。
 レイバックの手指は一度ゼータの首元を離れ、首輪の状態を確認すべく銀色の塗装を撫でる。首輪の一部に亀裂が生じていることを確認し、亀裂の左右に指先を掛けて力の限り押し開く。人の腕力ではびくともしなかった魔封じの首輪は、一度亀裂が生じてしまえば驚くほどに脆かった。程なくして真っ二つに引き千切られた首輪の残骸が、音を立てて床に落ちた。

「取れた」

 呟き、ゼータは床の上にへたり込んだ。唇が震え、握りしめていた手のひらは熱を失っている。「ドラゴンに潰されるのなら本望」と強がってはみても、目の前にある死は震えるほどに恐ろしかった。

「人生で初めて走馬灯を見ました」
「それは貴重な経験だ。良かったな、生きていて」

 レイバックの手が真っ二つになった首輪の欠片を拾い上げた。いまだ立ち上がれずにいるゼータに向けて、半円状の欠片が差し出される。受け取った欠片をまじまじと眺めてみれば、やはり首輪の素材は金属の類ではなかった。銀色の塗装の内側は炭のような物質だ。首輪の断面を爪先で削ると、小さな黒い欠片がぽろぽろと削れて落ちる。どのような物質であるかはとんと見当が付かない。

「さて、俺は仕事に戻ることにする」

 仕事は済んだと、レイバックはゼータの頬を撫でた。指先に掬い取った血の一滴を、まるで蜂蜜でも舐めるかのようにして口に含む。王妃の顔に付いた一筋の傷を見ても表情一つ変えやしない。彼の王はこの世界においてただ一人、ゼータの顔に傷を残すことが許された人物なのだ。

「今日一日休みの予定では?」
「そのつもりだったんだがな。例の件でアポロ王に一筆をしたためておこうかと思って」
「アポロ王に?でも対魔族武器開発はアポロ王の指示ではないはずですよ。反魔族派官吏の独断ではないかとクリスは言っていました」
「だから尚更だ。今ロシャ王国は国政の転換期だ。今までの中立の立場から一転し、魔族に友好的な国政運営へと舵を切ろうとしている。国家の指針であるアポロ王がドラキス王国との関係を重視する中で、一官吏の独断により対魔族武器開発が行われているという現状は非常に不味い。真実を知るに至った詳細は伏せる必要があるが、王国内に反意有り、と告げ口をするくらい構わないだろう」
「良いんですか。対魔族武器については目を瞑る、とクリスに言いましたよね。」
「それはクリスが、大人しく妃を返した場合の話だ。交渉は決裂したのだから、俺が約束を守る義理はない」
「…それもそうですね」

 傷の手当てはしておけよ。そう言い残してレイバックは王妃の間を出て行った。音を立てて閉じた扉は、間髪入れずに開かれる。レイバックと入れ替わりに、王妃の間へと入室する者はカミラだ。右手に掲げた盆の上には2人分の焼き菓子がのっている。玩具の首輪の解除に難航し、疲れ果てた2人を労うために厨房から貰って来てくれたようだ。「レイバック様、一口食べて行かれませんか」「仕事を済ませてからゆっくり頂くよ」扉が閉まる寸前に、そんなやり取りが交わされる。
 折角流行の菓子を貰って来たのにと少々不満げなカミラは、床に座り込んだままのゼータへと目を止めた。その頬についた一筋の傷を見るや否や、カミラの頬は朱に染まる。

「ゼータ様!頬の傷はいかがなされたのです!」

 部屋に響く金切り声に、ゼータは稲妻にでも打たれたかのように身体を跳ねさせるのだ。

「えっと、今レイと喧嘩して…」
「喧嘩?またでございますか。今回は何が原因で?」

 菓子盆をテーブルの端に置いたカミラは、侍女服のポケットからハンカチを取り出した。真っ新なタオル地のハンカチが、ゼータの頬へと押し当てられる。傷口につきりと痛みが走る。

「原因は…えっと、何だったかな。些細なことです」

 ゼータとレイバックが喧嘩と称し、頻繁に拳を交えている事をカミラは知っている。喧嘩の理由は大概がどちらかの不機嫌だ。思うように仕事が捌けぬ、長雨続きで身体が鈍っている、欲しい書物が売り切れであった。そんな些細な理由を付けては相手を呼び出し、夜間の訓練場で殴り合うのは最早恒例だ。初めのうちは「愛し合う者同士が互いに拳を振り上げるなど」と唇を震わせていたカミラであるが、最近は喧嘩後の傷の手当てにも慣れたものだ。「好戦的な種族、とは貴方様方のためにある言葉でございます」とは、つい1か月ほど前に耳にしたカミラの苦言である。

「全く。世界広しといえども、王妃の顔に傷を付けて平然としている痴れ者はレイバック様の他におりません」
「そうですね。そう思います」

 でも今回ばかりは、その痴れ者に救われたのだ。
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