【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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無垢と笑えよサイコパス

最後の一日

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 ゼータは読みかけの書物を膝にのせたまま、地下研究室の主が戻るのを待っていた。

 「対魔族武器専用地下治験場」その名称をクリスに突き付け、脱出交渉を行ったのはもう3日も前のことだ。そして「交渉決裂」の4文字を吐き掛けられて以降、ゼータはクリスとほとんど会話を交わしていない。ゼータがクリスを避けているのではない。クリスがゼータを避けているのだ。ゼータが何とか会話を取り付けようとすれば「ちょっと急いでいるから、話は後でね」と冷たい答えを返し地下研究室を出て行く。そしてそのまま戻らない。そんなことがもう3日も続いている。

 ゼータは壁に掛かる時計を眺め見た。矢印の形をした短針は正午を指そうとしている。間もなくクリスはゼータの分の昼食を持って、地下研究室へと戻って来る。今日こそは、例えクリスの足腰にしがみついてでも対話の機会を設けなければならない。なぜなら視察員の帰国日が明日に迫っているからだ。明日の午前10時、視察員を乗せた馬車は魔導大学を発つ。ゼータがその馬車に乗り遅れるわけにはいかない。
 いざとなれば子泣き爺のように背中に張り付いてやる。意気込むゼータの目の前で、地下研究室の扉が開いた。待ちに待ったクリスのご帰還である。

「ただいま」
「おかえりなさい」

 それきり会話は途絶えてしまう。対話をせねばという思いはあるが、会話の糸口を見つけることができない。ゼータの目に映るクリスは不機嫌という様子ではなく、かといってご機嫌という様子でもない。感情を悟らせない表情でゼータの目の前を通り過ぎ、作業机の上に紙袋を置く。

「クリス。今まで教養棟にいたんですか?」

 クリスの手が紙袋から2つの弁当箱を取り出したときに、ゼータはようやく口を開いた。クリスは弁当箱を作業机に上に並べ、振り返らずに言う。

「いや、行っていないよ」
「…そうなんですか?では午前中は何を?」
「外で人と会っていたよ。次回の治験が迫っているからね。何かと打ち合わせなきゃいけないことが多いんだ」
「そう…ですか」

 弱々しく呟くゼータをちらと見て、クリスは弁当箱を手に調理台へと向かった。水切りかごに立てかけていたヤカンに水を入れ、火にかける。調理台の引出しを開けて、簡易スープの素を2袋取り出す。昼食の弁当に添えるためだ。その簡易スープはクリスのお気に入りのようで、昼食時には頻繁に配膳される。「かぼちゃ、じゃが芋、とうもろこしの3種類の味があるんだよ。僕はかぼちゃが好き」仲違いを起こした今、そう笑うクリスの顔が遠く懐かしい。
 少し経って、ソファの上で膝を抱えるゼータの前に、弁当箱とスープカップが差し出される。今日のスープはクリスの好きなかぼちゃ味のようだ。橙色の水面からほっこりと温かな湯気が立ち昇る。ゼータが鼻先を動かしかぼちゃスープの湯気を吸いこむ間に、クリスもまたソファに腰を下ろした。一昨日、昨日は弁当を置きすぐに地下研究室を立ち去ったクリスであるが、今日の昼食はゼータと共にするつもりのようだ。ならばやはり今日の内に話し合いに決着を付けなければならないと、ゼータは必死に会話を探す。

「クリス。今日の講義内容は何だったんでしょう。事前に聞いています?」

 クリスは白米を掴み上げた箸を止める。

「新設される研究所について2国の希望を取りまとめているはずだよ。工学部の建築学科から建築に知のある研究員を招く予定だとルーメンさんが言っていた」
「へぇ…視察もいよいよ大詰めですね。昨日は?」
「昨日は…研究所建設候補地についての説明がなされたはずだ。ドラキス王国内で、研究所建設の候補地が3か所あると聞いている。各候補地に良し悪しがあるから、そのあたりの説明がなされたんじゃないかな」

 妙な物言いにおや、とゼータは首を傾げる。昨日クリスは丸一日地下研究室を空けていたのだから、当然講義に参加しているものだと思っていたのだ。しかし講義を聞いたのならば「説明がなされたはずだ」という言い方は奇妙である。

「あの、クリスは昨日の講義に参加したんですよね?」
「僕?していないよ。昨日は一日地上の研究室にこもっていた。治験直前って結構忙しいんだよね。被験者の体調管理書を作らないといけないし、治験に使用される魔導具の説明書には一通り目を通さないといけないんだ。書類と睨めっこしていたら一日が終わっちゃった」
「…じゃあ一昨日は?」
「午前中は講義に顔を出したよ。午後は買い出し」
「買い出し?」
「そう。研究室の備品在庫が残り少なくなっているからね。次回の治験前に揃えておこうと思って」
「備品在庫って、例えば何ですか」
「一番は応急手当用品だね。ほら、ゼータの傷の手当てで大分使っちゃったじゃない。治験の内容によっては被験者の身体に傷をつける場合があるんだよ。なんたってここは対魔族武器専用地下治験場だからね。いざ手当の折に、包帯が足りませんじゃ不味いでしょう?あとはお客様にお出しする紅茶とか茶菓子とか、そんな物かな」

 会話が成立していることに安堵しながらも、ゼータはクリスの言葉に言いようのない不安を覚えるのだ。なぜ最優先事項である視察員の接待を蔑ろにして買い物に赴かねばならない。相方であるゼータを地下室に閉じ込めているのだから、クリスが講義に参加する必要性は薄いのかもしれない。しかし魔導具の共同開発は国家の一大事業なのだから、研究所新設に関わる話し合いには極力参加すべきであるはずなのに。

「…買い出しって、一昨日じゃないといけなかったんですか?」
「駄目ってことはないけど。でも直前の買い物って不安じゃない?万が一店舗に在庫がなかったら出直さなきゃならないでしょ」

 不安げなゼータの問いに、クリスは事もなげに言葉を返す。クリスの言うことはもっともである。しかしどうにも妙な案配であるのだ。

「クリスは昨日と今日、教養棟に行っていない」
「そうだよ。そう言っているじゃない」
「一昨日、研究員の誰かと話をしましたか?」
「…どうだったかな。挨拶程度はしたかもね」

 クリスの答えは曖昧だ。ゼータの質問が要領を得ないのだから当然である。沈黙が続き、やがてクリスは大きな溜息をつく。

「まどろっこしいなぁ。気になることがあるならはっきり聞けば良いのに。レイさんと話をしたかって聞きたいんでしょ」
「そう…です」
「その件についてはきちんと話をするつもりでいるよ。今日の内に決着を付けなきゃいけないことは、僕だって分かっている」
「じゃあ…」
「話はする。でも先に昼食を済ませてくれる?お弁当、いつもより奮発したんだから残さず食べてよね」

 クリスはいまだ手つかずであるゼータの弁当箱を指さした。ゼータが弁当箱の中身を見下ろせば、ぎっしりと詰まるおかずは確かにいつもより豪華である。腹の虫がきゅるきゅると鳴る。クリスの言う通り、話し合いをするに先立ちまずは食事だ。腹が減っては戦はできぬ。日が変わったからといって、一度は決裂した交渉が穏便に済むとは思えない。泥沼に浸かることが目に見えているのだから、せめて十分に腹を満たしておかねばなるまい。
 ゼータは弁当箱に添えられている木箸を手に取り、まだ温かな卵焼きを口に入れた。甘辛い卵焼きを飲み下せば次は焼き魚。黙々と食事を続けるゼータを、クリスは満足そうに眺めていた。そしてゼータがかぼちゃの簡易スープに口を付けたことを確認し、自らも食事を再開した。
 静かな部屋に2人分の咀嚼音が響く。

 それから10分が過ぎ、食事を終えたクリスは席を立った。空の弁当箱とスープカップを調理台に置き、残飯入りの容器が並ぶ石台へと向かう。仕切り皿に手早く残飯を取り分け、配膳台を押し地下研究室を出て行こうとする。

「地下牢の皆に食事の給仕に行ってくる。30分もあれば戻るから。戻って来たら、腰を据えて話をしよう」
「わかりました。逃げないでくださいね」
「逃げないってば」

 朗らかな笑い声を残し、クリスは地下研究室を出て行った。残されたゼータは弁当箱の中の米粒を丁寧に箸で寄せ集め、口に運ぶ。続いてすっかり冷めてしまったかぼちゃのスープに口を付ける。口内に広がるかぼちゃの甘みは、簡易スープとは思えないほどに上品だ。クリスが頻繁に購入するのも頷ける。
 スープの最後の一口を飲み干したときに、かぼちゃの甘みとは違うほろ苦さが口内に残った。

***

 5人の魔族と2匹の魔獣へと昼食の配膳を終えたクリスは、軽くなった配膳台を押し地下研究室へと戻った。重たい扉を押し開けると、出て行ったときと同様、ソファの上にはゼータの姿がある。

「ただいま」

 出迎えの言葉はない。ゼータはソファの背もたれに身体を預け、瞳を閉じていた。書物をのせた腹部が規則的な上下を繰り返している。クリスの帰りを待つ間に眠ってしまったようだ。
 クリスは配膳台を元あった場所に戻し、すやすやと眠るゼータに歩み寄った。ゼータ、と耳元で名前を呼ぶ。目覚めない。手のひらでやや強めに肩を叩く。やはり目覚めない。ゼータが深い眠りに落ちていることを確認したクリスは、安らかな寝顔に語り掛ける。

「僕ね、レイさんと喧嘩しちゃった。レイさんもゼータと同意見で、3人で話し合いをしようって言うんだよ。でも応じられるわけがないでしょう。レイさんを交渉の席に交えたら、僕の要望なんて通りっこないもの」

 それはゼータの疑問に対する答えだ。一昨日クリスがレイバックと会話を交わしたかどうかを、ゼータはしつこいくらいに気に掛けていた。
 クリスはしばらくゼータの寝顔を眺めていたが、ふと思い立ったように手を伸ばした。規則的な上下を繰り返すゼータの胸元に触れる。胸部、肩、二の腕、みぞおちと衣服越しに身体を撫で、そして腰回りで動きを止める。だぼついたシャツのすそに手を差し入れて、ズボンの尻ポケットに差し込まれた物体をそっと抜き取る。それは長さが15㎝ほどの、細長い金属の棒であった。どこでどう削り上げたのかはわからないが、棒の先は鋭利に研磨されている。一体どこで手に入れた棒だろう、とクリスは研究室のあちこちを見回す。作業机の金具の一部をもぎ取った物か、それとも換気口や洗面台下といったクリスのチェックの甘い場所から見つけ出してきた物か。
 手に入れた経緯はどうであれ、鋭利に研磨された金属棒はゼータの敵意の証だ。刀や包丁に比べればいささか頼りない金属棒であるが、相手が丸腰であれば武器としての役割は十分に果たす。交渉が泥沼に陥れば、ゼータはこの武器を頼りにクリスを脅迫するつもりであったのだ。クリスの首筋の皮膚に金属棒の先端を食いこませ、こう伝える。
―命が惜しければ首輪を外し、私を解放してください

 クリスは鋭く光る金属棒を、指先でくるくると回す。

「僕を敵と見なすのなら、出された食事に手を付けるべきではなかったね」

 そう言うクリスの視線の先には空の弁当箱と、綺麗に飲み干されたスープカップがあった。安らかな夢路へと旅立ったゼータは、己が飲み干したかぼちゃスープに薬品が混ぜ込まれていたなどと知りもしない。

「僕の勝ち」

 クリスは笑う。何も知らぬものが見れば、天使の微笑みだと息を吐く美しさで。
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