【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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無垢と笑えよサイコパス

暗転

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 クリスの声の調子は、研究室を出て行ったときと変わらない。ゼータは顔をもたげるが、その目線がクリスの顔面に届くことはない。声を出そうと腹に力をこめるも、喉を通るのは絶え絶えの荒い呼吸だけだ。クリスはゼータの傍らに座り込み、鉄杭の刺さった太腿にランタンの灯りをかざした。

「やっぱり当たっちゃったか。安心して、毒ではない。魔導具の一種だよ。魔喰蟲まくいちゅうと呼ばれる魔力を食う虫が鉄杭の中に仕込まれているんだ」

 魔喰蟲、ゼータは聞きなれぬ単語を繰り返そうと試みるも、やはり声は出ない。クリスはランタンを床に置き、ゼータの片腕を引いた。ぐったりと力のない身体を背に載せて、薄暗い廊下のさらに奥へと歩き出す。

「奥に地下研究室がある。鉄杭を抜いて傷の手当をしないといけない。あとは薬だ。魔喰蟲は専用の殺虫薬を使わないと殺せないんだ」

 ゼータはクリスの肩に顎をのせて、穏やかな声を聴いた。耳に流れ込んでくる声は怒っている様子でも焦っている様子でもない。ゼータの愚行を責める調子でもない。最大級の国家機密を垣間見られたことを、クリスはどう処理するつもりなのだろう。ゼータは鈍る頭で自身の行く先を考える。

 廊下の先には、クリスの言葉通り白い扉が佇んでいた。扉をくぐり灯りを灯せば、そこは地上の研究室と同じく生活感の溢れる部屋だ。書物の詰まった本棚が二つ、白木のダイニングテーブルと椅子、クッションを載せたソファ、皿やコップの並ぶガラス棚、簡素な調理台、そして書類と文具の散らばる作業用の机。およそ平穏と映る研究室の内部であるが、一角に異質の空間が広がっている。研究室の出入り口から一番離れたところ、部屋の最奥に当たる場所に石台が備えられているのだ。ずっしりと重みのある石台は人の腰丈ほどの高さで、表面は磨き上げられて光沢がある。それだけならばさほど異質とは言えない光景であるが、不思議なことに石台の四隅には鎖が束ねられているのだ。鎖の片端は石台の脚に括られており、もう一方の端には革のベルトが付いている。まるで石台に寝かせた人の手足を固定するための鎖のようだ。

「い…いやだ」

 クリスの背の上で、ゼータは必死に頭を振る。クリスの足は着々と石台へと近づいている。そこにゼータを寝かせるつもりなのだ。弱ったゼータを石台に載せて、鎖で手足を繋ぎ、それからどうする。微かに血跡の残る石台の上で何をするというのだ。石台の下には工具の詰まった木箱が押し込められている。カナヅチもキリもノコギリも何だってある。木箱の横にあるのは、赤十字の模様が付いた白いアルミケースだ。きっとその中には注射器や薬品が入れられている。
 ―万が一研究内容を知られたら、ゼータ研究員はその時を持って―
 ゼータの脳内にクリスの言葉が反響する。殺されるかもしれない。恐怖を覚えたゼータは必死に手足をばたつかせるが、次の瞬間には石台の上に投げ出されていた。ここに来て初めてゼータはクリスの表情を真正面から見据えた。端正な顔には怒りも悲しみも浮かばない。探るような視線がゼータを見下ろすだけだ。それが一層恐怖を煽った。どうにかして石台から下りようとするゼータの襟首を、クリスの手が掴む。

「ちょっと、何でそんなに暴れるわけ?薬を打たなきゃならないって言ったでしょ」
「だって…ここ、実験台…」
「まさか僕が実験台の上で、ゼータの脚を切り落とすとでも思っている?そんなことはしないよ。誤解を招いているようだけど、檻の中の彼らはここに来た当初から左脚がなかったんだ。罪人なんだよ。ロシャ王国では脱獄を図った罪人は、2度と同じことを繰り返さないよう左脚を切り落とすという慣例になっている。人間魔族問わずね」
「…そう…」
「本当なら柔らかなベッドの上で優しく手当てをしてあげたいところだけどさ。シーツに血が付くと洗濯が大変なんだよ。自業自得の怪我なんだから、多少の居心地の悪さは我慢してよ」

 クリスの言動は真実だ。ゼータの手足を切り落とし、拷問にかけようなどという意思は感じられない。ゼータは抵抗を止め、されるがまま石台にうつ伏せになる。クリスの手が深々と突き刺さる鉄杭に触れる。

「麻酔薬なんて贅沢な物はないから、このまま引き抜くよ。先端が返し針になっているから抜くときは肉が抉られる。相当痛いけど我慢して」

 クリスは石台によじ登り、うつ伏すゼータの腰回りに跨った。痛みに暴れるゼータが石台から転がり落ちぬようにとの配慮だ。左手で膝裏に添え、右手で鉄杭を握りしめる。「抜くよ」との合図とともに傷口に激痛が走り、ゼータの口からは悲鳴が零れ落ちる。肉を抉られる痛みに全身から汗が噴き出し、握り締めた拳は無意識に硬い石台を叩く。
 深く肉に食い込んだ鉄杭は、数秒を掛けてようやく引き抜かれた。血に濡れた鉄杭を床に投げ捨てたクリスは、額の汗をぬぐい息を吐く。

「終わったよ。出血が多いから先に傷の手当だ」

 石台から下りたクリスは、台の下に置かれていた白いアルミケースを引き出した。赤い赤十字の模様は、それに応急手当の道具が入れられているという証。クリスは台座に載せたアルミケースの蓋を開け、中から消毒液と綿布、包帯、小ぶりのはさみを取り出す。

「魔喰蟲は人の身体に入ると、体内の魔力を喰って急激に成長するんだ。成長すれば喰う魔力の量が増えるから、人は5分足らずで魔力切れの状態に陥る。ただ魔法を使い過ぎたときの魔力切れとは違って、身体には一定の防御機能が働くんだ。昏睡状態に陥らないようにと、他の機能を犠牲にして魔力を作ろうとする。でも作るそばから魔喰蟲に魔力を喰われるから回復には至らない。防御機能も長くは働かないから、早急に殺虫薬を注射する必要がある。薬がなければ一時間と持たないよ」

 確かに檻の前に倒れ伏して以降、ゼータは虚脱感に加え眩暈に耳鳴り、動機に息切れと不調のオンパレードだ。今魔喰蟲はゼータの体内で魔力を食い荒らしていて、身体の防御機能が限界に達したときが最後だ。クリスの言う「一時間と持たない」が「一時間と持たず死ぬ」と同義であることは、不調に思考を奪われるゼータにも容易に想像がついた。
 慣れた手つきで太腿の手当てを終わらせたクリスは、再びアルミケースの中を漁った。次いで取り出したのは袋入りの注射器だ。注射器の内部にはすでに透明の薬品が入れられていて、針管には蓋が被せられている。袋から出した注射器を石台の上に置いて、クリスは石台の外に投げ出されたゼータの腕を取った。シャツの袖を捲り上げ、先に用意していたアルコール綿で皮膚の一部を入念に拭く。クリスの眼差しは真剣そのもので、注射器を取る右手は微かに震えを帯びていた。

「先に言っておくけど僕、注射をするのは初めての経験だからね。殺虫薬を渡されたときに注射の仕方は説明されたけど、まさか実践の機会があるなんて想像もしなかった。多少痛みや出血があっても文句は言わないでよね」

 ゼータは石台に頬をつけたまま、注射器を構えるクリスの顔を見た。身体は鉛のように重たくて、返事をすることも億劫だ。何度か深呼吸をした後に、クリスはゼータの腕に注射針を刺す。透明な薬液が針管を通り、身体の中に入り込んでくる。全ての薬液が無事ゼータの体内に送り込まれたことを確認して、クリスは針管を静かに引き抜いた。針管に再び蓋が被せ、肺にため込んでいた息を一気に吐き出す。

「よし終わり。たぶん上手くいったよ。殺虫薬が効き始めると、魔力の回復が始まり眠気を誘発する。危険な眠気ではないから安心して。夜には目が覚めると思う」

 クリスの言葉を聞きながら、ゼータは地下研究室の内部に時計を探した。あちこちと目線を動かして、ようやく見つけた時計の針は丁度正午を指したところだ。外出の門限は18時と伝えられているが、それまでに客室に戻れるだろうか。戻れなければレイバックが心配する。脚の怪我のこと、そしてクリスの地下研究室で見た物のことを、何と説明すれば良いのだろ。

 考えるうちに抗いがたい強烈な眠気に襲われて、ゼータの視界は暗転した。
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