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無垢と笑えよサイコパス
喧嘩
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魔導人形の制作から一夜明けた朝、今日も外はよく晴れていた。魔導大学滞在4日目となる本日の予定は、敷地の西側にある農場の見学だ。魔導大学の敷地面積は国内及び近隣諸国の内で最大とされる。その理由は、大学の敷地内に広大な農場と牧草地を有しているためだ。魔導大学と名の付く研究機関であるが、各学部の研究室で行われる研究は何も魔導具に関わるものばかりではない。薬学部では魔導具とは関係のない一般の薬品の研究開発が行われているし、工学部では橋や建物の建築技術の研究が行われている。同様に農学部ではロシャ王国内の農地で使用される農機具の改良や、作物種子の品種改良等が行われているのだ。そのための農地が魔導大学の敷地西側に設けられており、その面積は大学の敷地面積の1/3以上にも及ぶ。
午前9時、教養棟の玄関口に集合した一行は徒歩でメインストリートを南に下った。まだ肌寒さの残る時間ではあるが、歩くうちに程良く身体は温まる。いつもの通り相方と肩を並べて歩く者が多い中で、ただ一人ゼータはクリスの傍を離れていた。レイバックの真横に張り付き、イースと3人で会話に興じている。
「レイ、その服はリモラ駅で買った物ですか?」
「そうだ。イースに選んでもらったんだか、どうだ。似合うか」
「良いんじゃないですか。上下黒で揃えるなんてポトスの街では中々できませんよ。隠密を疑われます」
「あら、ポトスの街では黒の服は一般的ではないの?」
「あまり着ないな。魔族は派手な色合いの衣服を好むんだ。上下どちらかが黒ということはあっても、上下とも黒の衣服という人物はまず見ない」
語るレイバックは、黒の半袖シャツに黒のズボンのいう格好だ。靴はドラキス王国から持ち込んだ革靴のままだが、緋色の頭部にはこれまた黒の帽子がのっている。襟足や前髪が帽子からはみ出してはいるものの、魔導大学散策時のように道行く人々の注目を集めることはない。
安穏と会話する3人の後ろでは、相方を失ったクリスが、デューとフランシスカに並んで歩いていた。澄んだ青空に似合わずクリスの表情は陰鬱だ。魔導人形を奪い去った昨晩の出来事が災いし、クリスは先ほどゼータに氷の眼差しを向けられたばかりなのだ。僕の判断じゃないのに、呟くクリスにデューが肩を寄せる。
「クリスさん、元気出してくださいよ。時が経てばゼータさんの機嫌も直りますって。それまでは俺とフランシスカさんと仲良くお喋りしましょう」
「他人事みたいに言うけどさぁ…。別に魔導人形の回収に行くのは僕じゃなくても良かったんだよね。デューと教授が2人で赴いて、直接ゼータを説得してくれれば良かったでしょ。何で汚れ仕事を僕に押し付けたわけ?」
「うちの教授、頭は良いけどえらく口下手なんですよ。研究成果報告会や予算配分委員会にはいつも古株の研究員がくっついていくんです。説得能力と説明能力が皆無ですからね、あの人」
「それは昨日話していて薄々感じたことだけど…。それにしてもせめて同行を願い出れば良かったなぁ。そうすれば僕だけがゼータに嫌われるなんて事態にはならなかったのに」
深々と溜息をつくクリスに向けて、前方よりゼータの視線が向けられる。この恨み晴らさでおくべきか。怨念の籠る眼差しを受けて、クリスはより一層肩を落とすのであった。
一行はメインストリートをひたすら南に下り、博物館の南側で行く道を右手に折れた。少し歩けば建物ばかりであった景色は一変し、見渡す限りに広大な農場が広がる。錆びた屋根をのせた倉庫がぽつりぽつりと佇み、作業服を着た研究員が青々とした田畑の畦道を歩く。研究棟が立ち並ぶ東側、田畑と牧草地が主となる西側。両極端の景色を区切るように、田畑の東側には背の高い樹木が植えられていた。新緑の葉を茂らせた樹木は魔導大学内にあるどの樹木よりも背が高く、ドラキス王国では見ることのない不思議な形状をしている。木枝が天に向かって長く引き伸ばされた形、とでも言うのだろうか。そうした見慣れない形状の樹木が、魔導大学の敷地を東西に分けるようにして何十本も佇んでいた。
「あれはポプラ並木。魔導大学の観光名所の一つよ。花が終わった後に綿毛付きの種子を飛ばすのだけれど、その量が尋常じゃないのよ。風向きによっては農地が真っ白になってしまうくらい」
ポプラ並木を指さしながら、説明を行う者はイースだ。一行は茂る並木を横目に見ながら、固く踏み均された農道を進む。観光名所であるというポプラ並木を眺めながら歩く者が多い中で、イースの横を歩くレイバックは熱心に田畑を眺めていた。視察の一環として頻繁にドラキス王国内の農地に赴くレイバックは、目の前にある田畑の特徴に気が付いたのだ。
「イース。畑に植わっている作物は何だ?」
「じゃが芋ね。一つ先の畑はとうもろこしよ。その先は玉ねぎ、人参、カボチャ…。もう一区画西側に行けば、葡萄や苺の畑もあるわよ。収穫の時期じゃないから実りはないけれどね」
「ドラキス王国でも育成される作物ばかりだな。植え付けは人手か?」
「いいえ、半自動移植機という植え付け専用の機械よ。馬に引かせる機械で、土壌に種子と肥料を撒いてくれるの。播種の後は後部に取り付けられた車輪が土をかけてくれるから、人は馬に跨っているだけで良いのよ。水やりも散水機という機械を使っているわ。機械は全て倉庫に閉まってあるから、希望があれば後でお披露目するわよ」
「それはありがたい。ぜひ拝見して帰りたいところだ」
ドラキス王国の農作業は人の手が主だ。畑を耕す際には馬や魔獣に鍬を引かせることもあるが、播種や散水はもっぱら人の手だ。魔法を使えば多少作業負担は軽減されるが、それでも労力のいる作業であることに変わりはない。人の手で種を撒くのだからどんなに綺麗に植えようとしても多少のうねりは生じてしまうし、雑な散水で畑の一部が生育不良に陥るという事態は多々起こり得る。無秩序な作付けと疎らな生育、それがドラキス王国内の田畑の現状だ。
一方目の前にある魔導大学内の畑は、まるで兵士の整列のように整然としている。発育不良の株もほとんどない。ドラキス王国内の無秩序な畑に見慣れていると、奇妙とも映る光景だ。ここまで見事な生育は作付けと散水に機械を使っているためだけではない、畑に見入るレイバックは気付く。
「ひょっとして種子の改良を行っているのか」
「その通り。魔導大学の農学部では作物種子の改良を行っているの。発芽率が良くなるようにね。魔導大学内の田畑に植えられるのはどれも実験段階の種子ばかり。でもすでに実験を終えて世に出されている物も多いわ。ロシャ王国内の農地に撒かれる種子の大半が、何かしらの改良を加えられているわよ」
「発芽率の向上の他にはどのような改良がある」
「例えば甘みの強い大根、害虫に強い小麦、多少の水不足でも良く育つカボチャ、収穫までの期間が従来の半分で済む林檎…。種子改良は私の専門じゃないから、あまり詳しいことは知らないんだけどね」
「イースの専門は?」
「正式な自己紹介をするのなら、魔導大学農学部農業工学科農業機械専攻博士課程7年目のイースです。どうよろしく…というところかしら。今はより広い範囲に水を撒ける散水機の研究開発に携わっているわ」
「…その呪文のような自己紹介は定番なのか」
イースとレイバックの会話を何となしに聞きながら、一行は田畑に囲まれた農道を歩く。そのうちに、行く先には赤い屋根を載せた厩舎が見えてきた。魔獣学部所有の真新しい厩舎とは違う、木製の壁は薄汚れ、屋根の塗装もあちこちが剥がれている。見るからに使い古された厩舎だ。
イースが厩舎の扉を押し開けると、錆びた蝶番が重苦しい音を立てた。外見こそ古びているものの厩舎の内部は比較的綺麗だ。広い通路の両脇には胸の高さほどの鉄柵が設置されており、鉄柵の上部からは白や茶の馬が顔を覗かせている。檻の内部には枯草が引かれ、餌箱にはペレット状の飼料が入れられている。水箱には澄んだ水がなみなみと注がれていた。窓が開け放たれているためか、厩舎独特の獣臭さは気にならない。
「ここは農耕馬の厩舎よ。この子達が農機具を引いて畑を耕したり種を撒いたりするの」
「馬だけ?農耕に魔獣は使わないんですか?」
イースの説明を聞き、不思議そうに尋ねたのはビットだ。
ドラキス王国では農耕に使われるのはほとんどが訓練された魔獣だ。馬よりも遥かに力があるし、何よりも魔獣は快適な飼育環境を必要としない。夜になれば窪地や草むらで勝手に身体を休めるし、腹が空けば森で獲物を獲って食べる。農繫期が終われば森に逃がせば良いのだから、厩舎を作り長期的に飼育する必要もない。農地を抱える集落では必ずと言ってよいほど「魔獣慣らし」を生業とする魔族がいて、森で捕らえた魔獣を人の手で扱えるようにと調教するのだ。ドラキス王国の農地では魔獣は必要不可欠な存在なのである。
馬よりも農耕向きである魔獣をなぜ使わない。ビットの疑問にはやはりイースが答える。
「魔法を使えない人間にとって魔獣は何よりも恐るべき生物よ。首都リモラの近辺に大型の魔獣が出没したとなれば、例え一体でも王宮軍が討伐に出る一大事なの。それに運よく魔獣を捕らえることができたとしても、人間は魔獣を慣らせない。だから便利であることはわかっていても農耕に魔獣を使えないのよ」
「人間は魔獣を慣らせないんだ…。僕、考えたこともなかったです」
「人間に飼育できるのは小型の魔獣程度ね。魔獣学部の放牧地にいたでしょう。あの子たちも逃げられないからあそこにいるだけで決して人間に懐いているわけではないし」
言ってイースは溜息をつく。確かに「魔獣慣らし」を生業とする者は、魔族の中でも魔獣との意思疎通に長けた種族であると言われている。例えば竜族はトカゲや蛇の形態をした魔獣を容易く御すことができるし、精霊族の中にはユニコーンと意思疎通を図れる者もいる。巨人族や獣人族の中には、1人で人の背丈よりも大きな魔獣を捕獲できる者もいるのだ。集落が魔獣に襲われたと報告を受けて王宮軍が討伐に赴くことは当然ある。しかしそれは極力負傷者を出したくないとの首長の判断によるもので、多少の負傷を覚悟であれば集落内部の戦力で十分太刀打ちが可能な場合が多いのだ。魔族にとれば魔獣は必ずしも恐れるべき存在ではない。しかしいざ説明を受けてみれば、魔法を使えず魔族に比べて遥かに脆い身体を持つ人間が、魔獣という存在を恐れる事実にも納得だ。
厩舎の見学を終えた一行は農道まで戻り、それからしばらくは畦道をのんびりと歩いた。歩くうちに田畑には農耕馬が姿を現して、収穫を終えた枯草色の田畑を耕し始める。鍬を携えた農機具はドラキス王国の農地でも使用されているが、魔導大学のそれはドラキス王国の物よりも遥かに小型だ。農機具の素材も軽量化が図られており、1頭の馬での牽引が十分に可能である。枯れた作物の葉が鍬の上下によって土壌にすきこまれてゆく様子を、5人の研究員と5人の視察員は随分と長いこと眺めていた。
***
田畑と厩舎、そして農機具の視察を終えた一行は魔導大学の正門付近にある「カフェぽぷら」に向かった。そこは魔導大学敷地内でも比較的リモラ駅に近い場所で、大学散策時にゼータとクリスが牛乳を飲んだ中央ローン付近でもある。白や灰色の建物が多い魔導大学の景色の中で、茶を基調とした外見をしており、カフェ内部も落ち着いた雰囲気の空間であった。軽食を提供するカフェには土産物店が併設しており、数人の観光客が菓子や珍味を手に談笑していた。一行はこのカフェぽぷらで、遅めの昼食を取る予定となっている。
農場を歩くうちにゼータの機嫌はいくらか回復していた。しかしまだ襲撃者クリスと会話を楽しむ気にはなれないようで、昼食の席はレイバックの隣を選ぶ。ルーメンとカシワギ、ビットとメレンが当然のように2人掛けの席に腰かける様子を横目に見ながら、クリスはデューとフランシスカとの相席を余儀なくされるのだ。「僕のせいじゃないのに」不機嫌のあまりゼータに食って掛かろうとするクリスを、フランシスカがやんわりと宥めている。
「ゼータ、クリスと喧嘩でもしたのか?」
レイバックはここに来てようやく、ゼータとクリスの不仲に気が付いたようだ。つんと澄まし顔で椅子に座るゼータに、声を潜めて問い掛ける。同じテーブルを囲うイースも不安げな面持ちだ。
「そうですね。喧嘩です」
「昨日はあんなに仲が良かったじゃないか。夜のうちに何かあったのか?」
「別にたいしたことじゃないですよ。ちょっとした意見の行き違い」
「たいしたことではないと言うが、朝からクリスと会話をしていないだろう。不仲のままでは周りにいらぬ心配を掛けるぞ。視察にも影響が及ぶ。仲直りはできないのか?」
「…」
「とりあえず喧嘩の理由を話してみろ。ゼータの口から伝えにくいことがあるなら、俺が代わりに言いに行くから」
一見すればゼータを気遣う様子のレイバックであるが、その表情はどこか楽しげだ。イースの強引な誘いによりゼータと引き離された一昨日。肩を並べたゼータとクリスが、魔導人形の制作をする姿をとくと見せつけられた昨日。ようやく新婚旅行らしく、ゼータと行動を共にでき嬉しいのである。「喧嘩をしたのなら仲直りをすべき」と無難な説得を試みながらも、「もう2,3日不仲のままでも良いんじゃないか」という本音が表情から滲み出ている。
そんなレイバックの本音はいざ知らず、ゼータは無表情のまま昨晩の襲撃事件の経緯を語った。デューの在籍する研究室の教授判断により、ゼータの等身大魔導人形が世に存在してはならぬ代物に成り果てたこと。満足な別れの時間すら与えられず、クリスの手により回収されたこと。ゼータの愛児とも言うべき魔導人形が、無慈悲に処分されてしまうかもしれないという不安を抱いていること。レイバックはふんふんと頷きながらゼータの語りを聞いていたが、次第に表情を曇らせた。
「話を聞く限りクリスに非はないんじゃないか?デューの研究室の教授が判断したことだろう」
「それは理解していますけど…。でも等身大魔導人形が未開発であることは、クリスも知っていたわけじゃないですか。せめて作っている最中に伝えて欲しかったんですよ。未開発段階である等身大魔導人形を、他国の研究員である私が先に作ってしまうのは不味いって。言ってもらえれば違う物を作ったのに」
「んん…まぁそうだな」
「視察員は皆魔導人形をお土産に持ち帰れるのに、私は手ぶらな挙句、苦労して作った魔導人形はお蔵入りです。世に出てはいけないという理由で燃やされてしまうかもしれません。こんな悲しい事実があるでしょうか」
「ほら、魔導人形なら俺の物をやるから。ドラゴンの置物、可愛いだろう。だから元気出せ。クリスとは…確執があるなら無理に仲直りしろとは言わんが、あまり周りに不仲を露わにするなよ」
「…はい」
ゼータが渋々頷いたところで、テーブルには先に注文した3人分の料理が運ばれてきた。レイバックはむくれ顔のゼータと、別席でしょげ返るクリスを交互に見ながら、目の前の料理を口に運ぶのであった。
***
その日の夜、ゼータは一人教養棟の廊下を歩いていた。滞在2日目にクリスの名で借りた書物を、北部図書館に返却してきたところである。まだ全ての書物を読み終えてはいないが、図書館独特の空気を吸いたいがために、読み終えた書物はその都度返却に向かっているのだ。北部図書館と教養棟は1階の渡り廊下で繋がっており、外に出ずとも図書の返却は可能。最も書棚のある区域に立ち入るためには図書館の職員に身分証を提示せねばならず、ゼータにできることと言えば職員に書物を手渡すことと、古びた紙の匂いを嗅ぎながら図書館の風景を眺め見ることに限られるのであるが。
客室階へと続く階段を上るゼータの耳に、遠くから名を呼ぶ声が届く。見れば階段下の廊下にクリスが立っていた。廊下の向こうには、視察員にあてがわれた講義室がある。恐らくクリスはゼータを探し教養棟内を彷徨っていたのだ。
小走りで近づいてくるクリスに、ゼータはふいと背を向けた。呼びかけに応じずその場を立ち去ろうとする。例の襲撃事件から丸一日が経つが、ゼータはこのときまでクリスと一言たりとも会話を交わしていない。世間一般に、食べ物の恨みは深いと言われる。しかし3度の飯より「魔」のつく物が好きなゼータにとっては、魔導人形を奪われた恨みは深海よりも深いのだ。
「ちょっとゼータ。そんな態度で良いわけ?朗報を持って来たんだけど」
朗報、の言葉にゼータの脚は止まる。振り向けば、階段の数段下にクリスが立っていた。美麗な顔面は不機嫌に歪む。温厚と称されるクリスであるが、呼び掛けを無視されれば腹が立つのは当然だ。
「…朗報って何ですか」
クリスの人差し指が、真っすぐ下に向けられる。「話を聞きたければ階段を下りてこい」無言の指示を理解したゼータは、やはり無言のままで上りかけた階段を下りる。
「明日の予定は?」
「明日は…特に何も。食事時以外は客室で書物を捲る予定です」
明日は週に一度の魔導大学の公休日だ。研究員や学生はその日ばかりは勉学に打ち込まず、リモラ駅に買い物に出かけたり、仲の良い友人と食事をしたりと思い思いの時を過ごすのだ。視察員も同日に休日を当てられており、魔導大学の内部であれば好きに過ごして良いと事前に言われている。ただし教養棟の外に出る場合は相方と一緒でなければならない、とも。相方クリスと喧嘩中のゼータは、当然外出の予定などなく、一日北部図書館で借り受けた書物を読み耽るつもりでいたのだ。
「暇人ゼータに外出のお誘いだよ。もし良ければ僕の研究室に来ない?」
「クリスの研究室?何で?」
「魔導人形の制作許可が下りたんだ。さっき夕食がてら、デューの研究室の教授と再度話をしてきてさ。完成した魔導人形について他言せず、決して人目には触れさせないという条件付きなら、制作の続きを行っても良いって」
朗報も朗報。ゼータは目を見開いて、クリスの両眼を見つめた。およそ一日ぶりにまともに視線を交わした。クリスの表情が緩むのがわかる。
「魔導人形を…作れる…」
「そう。デューの研究室で等身大魔導人形を作り上げて、正式に世に発表した後ということで良いのなら、魔法研究所にゼータの魔導人形を送り届けても良いってさ。まだ数年は先になるけどね。メモ書き程度だけど教授の署名を貰って来たから、決定が覆ることはないよ」
「魔導人形を…貰える…」
「滞在期間中の公休日は明日一日限りだから、制作期限は明日の夕方までだ。幸運なことに僕、今事情があって個別の研究棟を宛がわれているんだよね。人目はまいし、工具や彩色道具は一通り揃っているから好きにやって」
ゼータの全身が小刻みに震える。無慈悲な別れを果たし、もう2度と相見える機会はないと諦めていた愛しき魔導人形。それがクリスの恩情により再び相対の機会を与えられ、さらにはゼータの元に届けられるという書状まで認められたのだ。一時前までの冷徹な表情はどこへやら。顔を上気させ歓喜に打ち震えるゼータの姿にクリスは頬を緩めるが、いやまだ笑ってはならぬと咳払いを一つする。
「ただし、先に一言謝ってよ。昨日強引に魔導人形を回収したことについては僕も悪いと思っている。だけど僕、昨日別れ際にちゃんと謝ったからね。昼間の冷淡な態度は多めに見るけど、さっき呼び掛けを無視されたのは傷ついたよ。謝って」
「土…土下座」
「そこまでは求めないってば。普通に謝ってくれれば良いよ」
ゼータはクリスの真正面で姿勢を正し、深々と腰を折った。
「ごめんなさい」
「いいよ」
真摯な謝罪を受けて、クリスはようやく表情にいつもの柔和な笑みを戻した。つられてゼータも笑う。仲直りの後とはどこか心がむず痒い。
「仲直りだね。じゃあ明日は9時に教養棟の玄関口に迎えに来るから、待っていて」
「わかりました。研究室は遠いですか?」
「ちょっとね。明日は今日より気温が下がるみたいだから、上着をはおって来た方がいいよ」
おやすみ。クリスは軽い足取りで階段を下り、やがてその背は見えなくなった。
午前9時、教養棟の玄関口に集合した一行は徒歩でメインストリートを南に下った。まだ肌寒さの残る時間ではあるが、歩くうちに程良く身体は温まる。いつもの通り相方と肩を並べて歩く者が多い中で、ただ一人ゼータはクリスの傍を離れていた。レイバックの真横に張り付き、イースと3人で会話に興じている。
「レイ、その服はリモラ駅で買った物ですか?」
「そうだ。イースに選んでもらったんだか、どうだ。似合うか」
「良いんじゃないですか。上下黒で揃えるなんてポトスの街では中々できませんよ。隠密を疑われます」
「あら、ポトスの街では黒の服は一般的ではないの?」
「あまり着ないな。魔族は派手な色合いの衣服を好むんだ。上下どちらかが黒ということはあっても、上下とも黒の衣服という人物はまず見ない」
語るレイバックは、黒の半袖シャツに黒のズボンのいう格好だ。靴はドラキス王国から持ち込んだ革靴のままだが、緋色の頭部にはこれまた黒の帽子がのっている。襟足や前髪が帽子からはみ出してはいるものの、魔導大学散策時のように道行く人々の注目を集めることはない。
安穏と会話する3人の後ろでは、相方を失ったクリスが、デューとフランシスカに並んで歩いていた。澄んだ青空に似合わずクリスの表情は陰鬱だ。魔導人形を奪い去った昨晩の出来事が災いし、クリスは先ほどゼータに氷の眼差しを向けられたばかりなのだ。僕の判断じゃないのに、呟くクリスにデューが肩を寄せる。
「クリスさん、元気出してくださいよ。時が経てばゼータさんの機嫌も直りますって。それまでは俺とフランシスカさんと仲良くお喋りしましょう」
「他人事みたいに言うけどさぁ…。別に魔導人形の回収に行くのは僕じゃなくても良かったんだよね。デューと教授が2人で赴いて、直接ゼータを説得してくれれば良かったでしょ。何で汚れ仕事を僕に押し付けたわけ?」
「うちの教授、頭は良いけどえらく口下手なんですよ。研究成果報告会や予算配分委員会にはいつも古株の研究員がくっついていくんです。説得能力と説明能力が皆無ですからね、あの人」
「それは昨日話していて薄々感じたことだけど…。それにしてもせめて同行を願い出れば良かったなぁ。そうすれば僕だけがゼータに嫌われるなんて事態にはならなかったのに」
深々と溜息をつくクリスに向けて、前方よりゼータの視線が向けられる。この恨み晴らさでおくべきか。怨念の籠る眼差しを受けて、クリスはより一層肩を落とすのであった。
一行はメインストリートをひたすら南に下り、博物館の南側で行く道を右手に折れた。少し歩けば建物ばかりであった景色は一変し、見渡す限りに広大な農場が広がる。錆びた屋根をのせた倉庫がぽつりぽつりと佇み、作業服を着た研究員が青々とした田畑の畦道を歩く。研究棟が立ち並ぶ東側、田畑と牧草地が主となる西側。両極端の景色を区切るように、田畑の東側には背の高い樹木が植えられていた。新緑の葉を茂らせた樹木は魔導大学内にあるどの樹木よりも背が高く、ドラキス王国では見ることのない不思議な形状をしている。木枝が天に向かって長く引き伸ばされた形、とでも言うのだろうか。そうした見慣れない形状の樹木が、魔導大学の敷地を東西に分けるようにして何十本も佇んでいた。
「あれはポプラ並木。魔導大学の観光名所の一つよ。花が終わった後に綿毛付きの種子を飛ばすのだけれど、その量が尋常じゃないのよ。風向きによっては農地が真っ白になってしまうくらい」
ポプラ並木を指さしながら、説明を行う者はイースだ。一行は茂る並木を横目に見ながら、固く踏み均された農道を進む。観光名所であるというポプラ並木を眺めながら歩く者が多い中で、イースの横を歩くレイバックは熱心に田畑を眺めていた。視察の一環として頻繁にドラキス王国内の農地に赴くレイバックは、目の前にある田畑の特徴に気が付いたのだ。
「イース。畑に植わっている作物は何だ?」
「じゃが芋ね。一つ先の畑はとうもろこしよ。その先は玉ねぎ、人参、カボチャ…。もう一区画西側に行けば、葡萄や苺の畑もあるわよ。収穫の時期じゃないから実りはないけれどね」
「ドラキス王国でも育成される作物ばかりだな。植え付けは人手か?」
「いいえ、半自動移植機という植え付け専用の機械よ。馬に引かせる機械で、土壌に種子と肥料を撒いてくれるの。播種の後は後部に取り付けられた車輪が土をかけてくれるから、人は馬に跨っているだけで良いのよ。水やりも散水機という機械を使っているわ。機械は全て倉庫に閉まってあるから、希望があれば後でお披露目するわよ」
「それはありがたい。ぜひ拝見して帰りたいところだ」
ドラキス王国の農作業は人の手が主だ。畑を耕す際には馬や魔獣に鍬を引かせることもあるが、播種や散水はもっぱら人の手だ。魔法を使えば多少作業負担は軽減されるが、それでも労力のいる作業であることに変わりはない。人の手で種を撒くのだからどんなに綺麗に植えようとしても多少のうねりは生じてしまうし、雑な散水で畑の一部が生育不良に陥るという事態は多々起こり得る。無秩序な作付けと疎らな生育、それがドラキス王国内の田畑の現状だ。
一方目の前にある魔導大学内の畑は、まるで兵士の整列のように整然としている。発育不良の株もほとんどない。ドラキス王国内の無秩序な畑に見慣れていると、奇妙とも映る光景だ。ここまで見事な生育は作付けと散水に機械を使っているためだけではない、畑に見入るレイバックは気付く。
「ひょっとして種子の改良を行っているのか」
「その通り。魔導大学の農学部では作物種子の改良を行っているの。発芽率が良くなるようにね。魔導大学内の田畑に植えられるのはどれも実験段階の種子ばかり。でもすでに実験を終えて世に出されている物も多いわ。ロシャ王国内の農地に撒かれる種子の大半が、何かしらの改良を加えられているわよ」
「発芽率の向上の他にはどのような改良がある」
「例えば甘みの強い大根、害虫に強い小麦、多少の水不足でも良く育つカボチャ、収穫までの期間が従来の半分で済む林檎…。種子改良は私の専門じゃないから、あまり詳しいことは知らないんだけどね」
「イースの専門は?」
「正式な自己紹介をするのなら、魔導大学農学部農業工学科農業機械専攻博士課程7年目のイースです。どうよろしく…というところかしら。今はより広い範囲に水を撒ける散水機の研究開発に携わっているわ」
「…その呪文のような自己紹介は定番なのか」
イースとレイバックの会話を何となしに聞きながら、一行は田畑に囲まれた農道を歩く。そのうちに、行く先には赤い屋根を載せた厩舎が見えてきた。魔獣学部所有の真新しい厩舎とは違う、木製の壁は薄汚れ、屋根の塗装もあちこちが剥がれている。見るからに使い古された厩舎だ。
イースが厩舎の扉を押し開けると、錆びた蝶番が重苦しい音を立てた。外見こそ古びているものの厩舎の内部は比較的綺麗だ。広い通路の両脇には胸の高さほどの鉄柵が設置されており、鉄柵の上部からは白や茶の馬が顔を覗かせている。檻の内部には枯草が引かれ、餌箱にはペレット状の飼料が入れられている。水箱には澄んだ水がなみなみと注がれていた。窓が開け放たれているためか、厩舎独特の獣臭さは気にならない。
「ここは農耕馬の厩舎よ。この子達が農機具を引いて畑を耕したり種を撒いたりするの」
「馬だけ?農耕に魔獣は使わないんですか?」
イースの説明を聞き、不思議そうに尋ねたのはビットだ。
ドラキス王国では農耕に使われるのはほとんどが訓練された魔獣だ。馬よりも遥かに力があるし、何よりも魔獣は快適な飼育環境を必要としない。夜になれば窪地や草むらで勝手に身体を休めるし、腹が空けば森で獲物を獲って食べる。農繫期が終われば森に逃がせば良いのだから、厩舎を作り長期的に飼育する必要もない。農地を抱える集落では必ずと言ってよいほど「魔獣慣らし」を生業とする魔族がいて、森で捕らえた魔獣を人の手で扱えるようにと調教するのだ。ドラキス王国の農地では魔獣は必要不可欠な存在なのである。
馬よりも農耕向きである魔獣をなぜ使わない。ビットの疑問にはやはりイースが答える。
「魔法を使えない人間にとって魔獣は何よりも恐るべき生物よ。首都リモラの近辺に大型の魔獣が出没したとなれば、例え一体でも王宮軍が討伐に出る一大事なの。それに運よく魔獣を捕らえることができたとしても、人間は魔獣を慣らせない。だから便利であることはわかっていても農耕に魔獣を使えないのよ」
「人間は魔獣を慣らせないんだ…。僕、考えたこともなかったです」
「人間に飼育できるのは小型の魔獣程度ね。魔獣学部の放牧地にいたでしょう。あの子たちも逃げられないからあそこにいるだけで決して人間に懐いているわけではないし」
言ってイースは溜息をつく。確かに「魔獣慣らし」を生業とする者は、魔族の中でも魔獣との意思疎通に長けた種族であると言われている。例えば竜族はトカゲや蛇の形態をした魔獣を容易く御すことができるし、精霊族の中にはユニコーンと意思疎通を図れる者もいる。巨人族や獣人族の中には、1人で人の背丈よりも大きな魔獣を捕獲できる者もいるのだ。集落が魔獣に襲われたと報告を受けて王宮軍が討伐に赴くことは当然ある。しかしそれは極力負傷者を出したくないとの首長の判断によるもので、多少の負傷を覚悟であれば集落内部の戦力で十分太刀打ちが可能な場合が多いのだ。魔族にとれば魔獣は必ずしも恐れるべき存在ではない。しかしいざ説明を受けてみれば、魔法を使えず魔族に比べて遥かに脆い身体を持つ人間が、魔獣という存在を恐れる事実にも納得だ。
厩舎の見学を終えた一行は農道まで戻り、それからしばらくは畦道をのんびりと歩いた。歩くうちに田畑には農耕馬が姿を現して、収穫を終えた枯草色の田畑を耕し始める。鍬を携えた農機具はドラキス王国の農地でも使用されているが、魔導大学のそれはドラキス王国の物よりも遥かに小型だ。農機具の素材も軽量化が図られており、1頭の馬での牽引が十分に可能である。枯れた作物の葉が鍬の上下によって土壌にすきこまれてゆく様子を、5人の研究員と5人の視察員は随分と長いこと眺めていた。
***
田畑と厩舎、そして農機具の視察を終えた一行は魔導大学の正門付近にある「カフェぽぷら」に向かった。そこは魔導大学敷地内でも比較的リモラ駅に近い場所で、大学散策時にゼータとクリスが牛乳を飲んだ中央ローン付近でもある。白や灰色の建物が多い魔導大学の景色の中で、茶を基調とした外見をしており、カフェ内部も落ち着いた雰囲気の空間であった。軽食を提供するカフェには土産物店が併設しており、数人の観光客が菓子や珍味を手に談笑していた。一行はこのカフェぽぷらで、遅めの昼食を取る予定となっている。
農場を歩くうちにゼータの機嫌はいくらか回復していた。しかしまだ襲撃者クリスと会話を楽しむ気にはなれないようで、昼食の席はレイバックの隣を選ぶ。ルーメンとカシワギ、ビットとメレンが当然のように2人掛けの席に腰かける様子を横目に見ながら、クリスはデューとフランシスカとの相席を余儀なくされるのだ。「僕のせいじゃないのに」不機嫌のあまりゼータに食って掛かろうとするクリスを、フランシスカがやんわりと宥めている。
「ゼータ、クリスと喧嘩でもしたのか?」
レイバックはここに来てようやく、ゼータとクリスの不仲に気が付いたようだ。つんと澄まし顔で椅子に座るゼータに、声を潜めて問い掛ける。同じテーブルを囲うイースも不安げな面持ちだ。
「そうですね。喧嘩です」
「昨日はあんなに仲が良かったじゃないか。夜のうちに何かあったのか?」
「別にたいしたことじゃないですよ。ちょっとした意見の行き違い」
「たいしたことではないと言うが、朝からクリスと会話をしていないだろう。不仲のままでは周りにいらぬ心配を掛けるぞ。視察にも影響が及ぶ。仲直りはできないのか?」
「…」
「とりあえず喧嘩の理由を話してみろ。ゼータの口から伝えにくいことがあるなら、俺が代わりに言いに行くから」
一見すればゼータを気遣う様子のレイバックであるが、その表情はどこか楽しげだ。イースの強引な誘いによりゼータと引き離された一昨日。肩を並べたゼータとクリスが、魔導人形の制作をする姿をとくと見せつけられた昨日。ようやく新婚旅行らしく、ゼータと行動を共にでき嬉しいのである。「喧嘩をしたのなら仲直りをすべき」と無難な説得を試みながらも、「もう2,3日不仲のままでも良いんじゃないか」という本音が表情から滲み出ている。
そんなレイバックの本音はいざ知らず、ゼータは無表情のまま昨晩の襲撃事件の経緯を語った。デューの在籍する研究室の教授判断により、ゼータの等身大魔導人形が世に存在してはならぬ代物に成り果てたこと。満足な別れの時間すら与えられず、クリスの手により回収されたこと。ゼータの愛児とも言うべき魔導人形が、無慈悲に処分されてしまうかもしれないという不安を抱いていること。レイバックはふんふんと頷きながらゼータの語りを聞いていたが、次第に表情を曇らせた。
「話を聞く限りクリスに非はないんじゃないか?デューの研究室の教授が判断したことだろう」
「それは理解していますけど…。でも等身大魔導人形が未開発であることは、クリスも知っていたわけじゃないですか。せめて作っている最中に伝えて欲しかったんですよ。未開発段階である等身大魔導人形を、他国の研究員である私が先に作ってしまうのは不味いって。言ってもらえれば違う物を作ったのに」
「んん…まぁそうだな」
「視察員は皆魔導人形をお土産に持ち帰れるのに、私は手ぶらな挙句、苦労して作った魔導人形はお蔵入りです。世に出てはいけないという理由で燃やされてしまうかもしれません。こんな悲しい事実があるでしょうか」
「ほら、魔導人形なら俺の物をやるから。ドラゴンの置物、可愛いだろう。だから元気出せ。クリスとは…確執があるなら無理に仲直りしろとは言わんが、あまり周りに不仲を露わにするなよ」
「…はい」
ゼータが渋々頷いたところで、テーブルには先に注文した3人分の料理が運ばれてきた。レイバックはむくれ顔のゼータと、別席でしょげ返るクリスを交互に見ながら、目の前の料理を口に運ぶのであった。
***
その日の夜、ゼータは一人教養棟の廊下を歩いていた。滞在2日目にクリスの名で借りた書物を、北部図書館に返却してきたところである。まだ全ての書物を読み終えてはいないが、図書館独特の空気を吸いたいがために、読み終えた書物はその都度返却に向かっているのだ。北部図書館と教養棟は1階の渡り廊下で繋がっており、外に出ずとも図書の返却は可能。最も書棚のある区域に立ち入るためには図書館の職員に身分証を提示せねばならず、ゼータにできることと言えば職員に書物を手渡すことと、古びた紙の匂いを嗅ぎながら図書館の風景を眺め見ることに限られるのであるが。
客室階へと続く階段を上るゼータの耳に、遠くから名を呼ぶ声が届く。見れば階段下の廊下にクリスが立っていた。廊下の向こうには、視察員にあてがわれた講義室がある。恐らくクリスはゼータを探し教養棟内を彷徨っていたのだ。
小走りで近づいてくるクリスに、ゼータはふいと背を向けた。呼びかけに応じずその場を立ち去ろうとする。例の襲撃事件から丸一日が経つが、ゼータはこのときまでクリスと一言たりとも会話を交わしていない。世間一般に、食べ物の恨みは深いと言われる。しかし3度の飯より「魔」のつく物が好きなゼータにとっては、魔導人形を奪われた恨みは深海よりも深いのだ。
「ちょっとゼータ。そんな態度で良いわけ?朗報を持って来たんだけど」
朗報、の言葉にゼータの脚は止まる。振り向けば、階段の数段下にクリスが立っていた。美麗な顔面は不機嫌に歪む。温厚と称されるクリスであるが、呼び掛けを無視されれば腹が立つのは当然だ。
「…朗報って何ですか」
クリスの人差し指が、真っすぐ下に向けられる。「話を聞きたければ階段を下りてこい」無言の指示を理解したゼータは、やはり無言のままで上りかけた階段を下りる。
「明日の予定は?」
「明日は…特に何も。食事時以外は客室で書物を捲る予定です」
明日は週に一度の魔導大学の公休日だ。研究員や学生はその日ばかりは勉学に打ち込まず、リモラ駅に買い物に出かけたり、仲の良い友人と食事をしたりと思い思いの時を過ごすのだ。視察員も同日に休日を当てられており、魔導大学の内部であれば好きに過ごして良いと事前に言われている。ただし教養棟の外に出る場合は相方と一緒でなければならない、とも。相方クリスと喧嘩中のゼータは、当然外出の予定などなく、一日北部図書館で借り受けた書物を読み耽るつもりでいたのだ。
「暇人ゼータに外出のお誘いだよ。もし良ければ僕の研究室に来ない?」
「クリスの研究室?何で?」
「魔導人形の制作許可が下りたんだ。さっき夕食がてら、デューの研究室の教授と再度話をしてきてさ。完成した魔導人形について他言せず、決して人目には触れさせないという条件付きなら、制作の続きを行っても良いって」
朗報も朗報。ゼータは目を見開いて、クリスの両眼を見つめた。およそ一日ぶりにまともに視線を交わした。クリスの表情が緩むのがわかる。
「魔導人形を…作れる…」
「そう。デューの研究室で等身大魔導人形を作り上げて、正式に世に発表した後ということで良いのなら、魔法研究所にゼータの魔導人形を送り届けても良いってさ。まだ数年は先になるけどね。メモ書き程度だけど教授の署名を貰って来たから、決定が覆ることはないよ」
「魔導人形を…貰える…」
「滞在期間中の公休日は明日一日限りだから、制作期限は明日の夕方までだ。幸運なことに僕、今事情があって個別の研究棟を宛がわれているんだよね。人目はまいし、工具や彩色道具は一通り揃っているから好きにやって」
ゼータの全身が小刻みに震える。無慈悲な別れを果たし、もう2度と相見える機会はないと諦めていた愛しき魔導人形。それがクリスの恩情により再び相対の機会を与えられ、さらにはゼータの元に届けられるという書状まで認められたのだ。一時前までの冷徹な表情はどこへやら。顔を上気させ歓喜に打ち震えるゼータの姿にクリスは頬を緩めるが、いやまだ笑ってはならぬと咳払いを一つする。
「ただし、先に一言謝ってよ。昨日強引に魔導人形を回収したことについては僕も悪いと思っている。だけど僕、昨日別れ際にちゃんと謝ったからね。昼間の冷淡な態度は多めに見るけど、さっき呼び掛けを無視されたのは傷ついたよ。謝って」
「土…土下座」
「そこまでは求めないってば。普通に謝ってくれれば良いよ」
ゼータはクリスの真正面で姿勢を正し、深々と腰を折った。
「ごめんなさい」
「いいよ」
真摯な謝罪を受けて、クリスはようやく表情にいつもの柔和な笑みを戻した。つられてゼータも笑う。仲直りの後とはどこか心がむず痒い。
「仲直りだね。じゃあ明日は9時に教養棟の玄関口に迎えに来るから、待っていて」
「わかりました。研究室は遠いですか?」
「ちょっとね。明日は今日より気温が下がるみたいだから、上着をはおって来た方がいいよ」
おやすみ。クリスは軽い足取りで階段を下り、やがてその背は見えなくなった。
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