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無垢と笑えよサイコパス
むくれ顔
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ゼータが昼食を取るために食堂へとやって来たのは、正午を大きく回ってからであった。「腹を空かせた学生が殺到する」とのセージの言葉通り、100席以上の座席が設けられた巨大食堂は人でごった返している。ほとんどは私服を着用した学生であるが、中には白衣を着た研究員の姿もちらほらと見える。胸に延齢草の模様を刻んだ白衣は、狭き門を通り抜けた選りすぐりの研究員である証。その白衣を着たいがために、魔導大学の学生達は日々この教養棟で勉学に励むのだ。
ゼータは食堂の入り口付近に伸びる人の列に並んだ。列の先には様々な料理が並べられたカウンターがある。料理の種類は一皿料理から小鉢まで様々だ。列なす人々は腕に抱え込んだお盆の上に、好みの料理を次々とのせていく。カウンターの終点には勘定台が設けられており、盆に載せた料理の代金をまとめて支払う仕組みとなっているのだ。
ゼータは前に立つ学生の挙動を伺いながら、慣れない動作で料理を盆に載せた。「本日のお勧め」と書かれた一皿料理だ。米とサラダと揚げ物料理が、大きな陶磁器の皿に載っている。サラダの端には果物の一切れまで載っているのだから、値段の割にお得な一皿だ。
勘定台での支払いは不要、と事前にクリスに伝えられているゼータは、勘定台に立つ調理員に名と身分を告げてカウンターを後にした。ほぼ満席に近い食堂内で果たして座る席があるだろうかと周囲を見渡せば、窓際の席に見知った色がある。黒や茶ばかりの髪色の中で、一人だけ異質と輝く緋髪の主はレイバックだ。周りの学生達がちらちらと視線を送る中、レイバックは身振り手振りでゼータを呼び寄せる。盆を抱えたゼータは人混みを掻き分け、彼の元を目指す。
「こんな時間まで何をしていたんだ?折角席を取っておいたのに」
不機嫌に告げるレイバックの横には、確かに一人分の席が確保されていた。レイバックの正面には相方である40歳ほどの女性が座っているのであるが、彼女の横にも空き席がある。ゼータとクリスと昼食を共にすべく、わざわざ席を確保してくれていたのだ。この人混みの中で席を守り抜くのは大変だっただろうとゼータは素直に頭を下げる。
「すみません。クリスに北部図書館に案内してもらっていたんです」
「図書館?それでこんなに遅くなったのか。セージが早めの昼食をと言っていたのに」
「すみませんってば。想像よりも広い図書館だったから浮かれてしまって」
「今まで図書室で本を読んでいたのか?」
「いえ。借りた書物を置きに客室に戻っていたんです。クリスが自分の名前で貸出を受けても良いと言うから」
「…それで、そのクリスはどこに?」
「図書館を出た後に別れました。昼休みは研究室に戻らないといけないんですって。昼食も研究室付近の食堂で取ってくると言っていました」
繰り返される質問に逐一答えを返しながらも、ゼータはレイバックの隣の席に腰かける。食事を取るべくフォークを手に取れば、レイバックの正面に座る女性と目が合った。
「あ、初めまして。ゼータと言います」
「こんにちは。レイさんの相方のイースよ。よろしく」
にこにこと笑うイースの目の前には、すっかり冷めて湯気の立ち昇らなくなったコーヒーが置かれていた。レイバックの前に置かれたコーヒーカップはすでに空。2人が食事を終えてもなお、この場所に長く滞在していたことが伺える。
「イースさん、すみません。長くお待たせしてしまって」
「イースで良いわよ。気にしないで。講義室に戻っても喋る以外にすることはないんだから」
「ありがとうございます。時間も時間ですからすぐに食べますので」
ゼータはフォークで皿の上の揚げ物料理を突き刺し、口に運ぶ。穏やかな笑みを浮かべたイースはしばらくゼータの食事風景を眺めていたが、やがて目の前に座るレイバックに向け口を開く。
「レイさんはクリスと面識があるの?さっき呼び捨てにしていたわよね」
「ああ。クリスは以前、外交使節団としてドラキス王国を訪れていたんだ。俺は王宮で官吏として働いているから、そのときに面識を得た」
「やっぱね。そうじゃないかとは思ったのよ。魔導大学在籍者が他国に赴く機会なんてそう多くはないから。どう?クリス。中々優秀な研究者でしょう。男前も相まって魔導大学内では人気者なのよ」
「そう…だな。確かに恐ろしいほどに男前だ。度胸もあるし、気配りもできる」
クリスを褒めるレイバックの顔は、段々とむくれ顔になっていく。しかし会話に集中するイースが、レイバックの表情を気に掛ける様子はない。「度胸がある」とは、クリスがルナを精霊族祭に誘い出したことを指しているのだろうか。そう考えながら、ゼータは寄せ集めた野菜をフォークで一刺しにする。
「イース、クリスは独身だよな?」
「独身よ。魔導大学内の研究員寮に入っているから、間違いないわ。単身者しか入れないのよ」
「では恋人はいるだろうか?」
「恋人…今はいないんじゃないかしら。クリスは目立つ容姿だから、女性と一緒にいればすぐに噂になるのよ。私はクリスと個人的な付き合いがある仲ではないけれど、ここ1年くらい彼の色恋話の噂を聞いたことはないわよ」
そのときイースの隣の空き席に一人の学生が座った。クリスのために確保されていた一席であるが、当のクリスは今頃別の食堂で昼食を取っている頃である。盆の上にたくさんの小鉢を載せた学生の視線は、斜め前に座るレイバックの頭部に止まる。染髪かそれとも地毛か、学生は長らく鮮やかな緋髪を眺めていたが、やがて何ともなしに食事を開始した。ドラキス王国からやって来た魔族の視察員が滞在している、との事実に思い至ったのだろう。
「ではクリスに好きな人がいるなどという噂は耳にするか?」
「私は聞いたことがないけれど…。レイさん、どうしたの。随分クリスのことを気に掛けるのね。ひょっとして恋人の座を狙っているのかしら?私、応援するわよぉ。国も種族も超えた恋なんて素敵じゃない」
「断じて違う。俺はもう結婚している」
瞳を輝かせるイースを前に、レイバックは慌てて首を横に振った。左手の薬指に嵌まる銀の指輪をイースの目の前に掲げる。イースの隣に座る学生が米を食みながら、レイバックの左手にちらと視線を送った。ロシャ王国では滅多に見ることのできない魔族を前に、無関心を装いながらも内心は興味津々という様子である。
「やっぱりそれは結婚指輪なのね。魔族も結婚するときには宝飾品を交換するの?」
「元々魔族に結婚の文化はないんだ。ドラキス王国には婚姻に関する法もない。しかしロシャ王国からやってきた人間に影響されて、見様見真似で結婚式を挙げる魔族は徐々に増えている。宝飾品交換も結婚式の演出の一環として根付きつつはあるな。俺も流行に倣い、結婚式に宝飾品交換を取り入れさせてもらった」
「婚姻に関する法がないの?とても不思議。隣り合っているとはいえ、国が違えば文化も歴史も違うものね。ゼータさんの着けている指輪も結婚指輪?」
突如として話題を振られ、ゼータは口内にある肉の塊を飲み込んだ。イースの視線は今、皿に添えられたゼータの左手薬指にある。レイバックの指輪と同じデザインであると気が付かれては大変と、ゼータはさり気なく指輪を皿の陰に隠す。
「結婚指輪ですよ。レイと同じく流行に乗りました。他の宝飾品も考えましたけど、やっぱり指輪が良いですよね。失くす心配もないし」
「そうよねぇ。私も何度耳飾りの片方を失くしたことか。2人はいつ頃結婚したの?最近かしら?」
「そうですね。結婚式を挙げたのが半年くらい前です」
「俺も同じ頃だな」
「あら、仲良しさんね」
時折会話に口を挟みながらも、ゼータはせっせと料理を口に詰め込んだ。立ち入った当初は人と肩がぶつかり合うほどの混み具合であった食堂内は、時間が経つにつれて落ち着きを取り戻しつつある。食事を終え、茶を片手に歓談に興じる学生の姿も目立つ。時計の針が12時45分を回ったとき、イースは空のコーヒーカップを手に席を立った。
「私、先に講義室に戻るわね。午後一で視察員の皆様相手に講義をしなければならないから、発声の練習をしておくわ」
「イースが講義をするのか。内容は?」
「ロシャ王国の地理特産品の紹介よ。私の講義の後は別の研究員がロシャ王国の歴史について語るわ。お腹いっぱいだから眠くなると思うけど、頑張って堪えてね。私の講義で居眠りしていたらペンを投げるからね。得意技なの。レイさんの緋色の髪は良い的になりそうだわ」
「勘弁してくれ…」
物騒な宣告に身震いをするレイバックと、その横で果物にかじり付くゼータ。2人に向けてにこやかに手を振り、イースは食堂を後にした。
***
「ご馳走様でした」
イースが立ち去って間もなく、果物の咀嚼を終えたゼータは空皿に向かって一礼をした。腹は程良く八分目、お値段の割に満足度の高い一品であった。テーブルの端に置かれていた紙ナプキンで口元を拭うゼータの耳に、遠慮がちなレイバックの声が届く。
「ゼータ、相方を交換しないか?」
「交換?イースとクリスを?何で?」
「クリスとは精霊族祭に一緒に行った仲だろう。話し方や話題の選び方で、ルナとゼータが同一人物と気が付かれる可能性は十分にあるぞ」
「それはまぁ…そうですね」
「その点相方がイースであれば言動に気を遣う必要はない。クリスはとっくに俺の正体に気が付いているのだから、俺がクリスの相方になることに問題もない」
「でも急に相方交換を申し出るって逆に怪しくないですか?私はさっきクリスとよろしくと握手をしたばかりですし、レイもイースと良好な関係を築いているでしょう。問題があるわけではないのにわざわざ相方を変えるというのは、余計な疑いを生みかねないですよ」
「それは…そうだが」
「それにレイが相方ではクリスが気の毒です。レイほどの立場の人相手となっては、どんなに図太い神経の持ち主であっても委縮してしまいますよ。クリスはマルコーの尋問の現場も知っていますしね」
真っ当な意見にレイバックはぐぅの音も出ない。イースはレイバックの正体を知らない。ゆえに2人は友人同士のような気安い関係を築きつつある。しかしレイバックが一国の王であると知るクリス相手では、例え気を遣うなと説得をしたところで対等な関係を築くことは難しいだろう。クリスはルナ暗殺未遂事件の一部始終を見聞きしており、レイバックが当時の人間族長であったダグを剣で討ち取ったこと、そしてマルコーを相手に手痛い尋問を行ったことを知っている。悪人相手とはいえ、人に剣を振るうことに容赦がないレイバックが相手となっては、自称図太い神経であるクリスであっても委縮せずに応対することなど不可能だ。
「ゼータの意見はもっともだ。しかしゼータとルナが同一人物であると気が付かれたらどうする」
「気が付かれないと思いますけどねぇ。精霊族祭と言ってももう1年も前の出来事ですし。名も性も違えばどんなに話し方が似ていたって、普通は他人の空似と判断しますよ。それに万が一同一人物と気が付かれることがあっても、クリス相手なら問題ない気がするんですよね。レイの正体を他に言わないでくれという要望にも快く応じてくれましたし、私に悪意がないことが伝われば大事にはしないと思いますよ」
「大事にはならないかもしれんが、クリスはルナに…」
言いかけて、レイバックは口を噤んだ。その先に続く言葉に確証がなかったからだ。しかし不愉快な想像は脳裏を巡り、レイバックは段々とむくれ顔になっていく。対照的に、腹が満たされたゼータはご機嫌だ。
「それに私、クリスのことは結構好きなんですよ。本好きみたいですし気が合いそうです」
「す、好き?」
「研究熱心なところも好感が持てますよねぇ。2週間の視察期間が終わった後も、ご縁が続くと良いんですけれど」
「ご、ご縁!?」
わなわなと拳を震わせ始めるレイバックなど気にも留めず、ゼータは盆を手に席を立つ。時刻はもうじき13時になろうとしている。午後の講義が始まる時間だ。
「ほら、レイもコーヒーカップを片付けて。遅刻したらイースのペンに狙い撃ちにされますよ」
わがままの通らない幼子のごとく頬を膨らませるレイバック。つつけば破裂しそうな両頬を一瞥し、ゼータは空の食器を片付けるべく返却台へと向かった。
ゼータは食堂の入り口付近に伸びる人の列に並んだ。列の先には様々な料理が並べられたカウンターがある。料理の種類は一皿料理から小鉢まで様々だ。列なす人々は腕に抱え込んだお盆の上に、好みの料理を次々とのせていく。カウンターの終点には勘定台が設けられており、盆に載せた料理の代金をまとめて支払う仕組みとなっているのだ。
ゼータは前に立つ学生の挙動を伺いながら、慣れない動作で料理を盆に載せた。「本日のお勧め」と書かれた一皿料理だ。米とサラダと揚げ物料理が、大きな陶磁器の皿に載っている。サラダの端には果物の一切れまで載っているのだから、値段の割にお得な一皿だ。
勘定台での支払いは不要、と事前にクリスに伝えられているゼータは、勘定台に立つ調理員に名と身分を告げてカウンターを後にした。ほぼ満席に近い食堂内で果たして座る席があるだろうかと周囲を見渡せば、窓際の席に見知った色がある。黒や茶ばかりの髪色の中で、一人だけ異質と輝く緋髪の主はレイバックだ。周りの学生達がちらちらと視線を送る中、レイバックは身振り手振りでゼータを呼び寄せる。盆を抱えたゼータは人混みを掻き分け、彼の元を目指す。
「こんな時間まで何をしていたんだ?折角席を取っておいたのに」
不機嫌に告げるレイバックの横には、確かに一人分の席が確保されていた。レイバックの正面には相方である40歳ほどの女性が座っているのであるが、彼女の横にも空き席がある。ゼータとクリスと昼食を共にすべく、わざわざ席を確保してくれていたのだ。この人混みの中で席を守り抜くのは大変だっただろうとゼータは素直に頭を下げる。
「すみません。クリスに北部図書館に案内してもらっていたんです」
「図書館?それでこんなに遅くなったのか。セージが早めの昼食をと言っていたのに」
「すみませんってば。想像よりも広い図書館だったから浮かれてしまって」
「今まで図書室で本を読んでいたのか?」
「いえ。借りた書物を置きに客室に戻っていたんです。クリスが自分の名前で貸出を受けても良いと言うから」
「…それで、そのクリスはどこに?」
「図書館を出た後に別れました。昼休みは研究室に戻らないといけないんですって。昼食も研究室付近の食堂で取ってくると言っていました」
繰り返される質問に逐一答えを返しながらも、ゼータはレイバックの隣の席に腰かける。食事を取るべくフォークを手に取れば、レイバックの正面に座る女性と目が合った。
「あ、初めまして。ゼータと言います」
「こんにちは。レイさんの相方のイースよ。よろしく」
にこにこと笑うイースの目の前には、すっかり冷めて湯気の立ち昇らなくなったコーヒーが置かれていた。レイバックの前に置かれたコーヒーカップはすでに空。2人が食事を終えてもなお、この場所に長く滞在していたことが伺える。
「イースさん、すみません。長くお待たせしてしまって」
「イースで良いわよ。気にしないで。講義室に戻っても喋る以外にすることはないんだから」
「ありがとうございます。時間も時間ですからすぐに食べますので」
ゼータはフォークで皿の上の揚げ物料理を突き刺し、口に運ぶ。穏やかな笑みを浮かべたイースはしばらくゼータの食事風景を眺めていたが、やがて目の前に座るレイバックに向け口を開く。
「レイさんはクリスと面識があるの?さっき呼び捨てにしていたわよね」
「ああ。クリスは以前、外交使節団としてドラキス王国を訪れていたんだ。俺は王宮で官吏として働いているから、そのときに面識を得た」
「やっぱね。そうじゃないかとは思ったのよ。魔導大学在籍者が他国に赴く機会なんてそう多くはないから。どう?クリス。中々優秀な研究者でしょう。男前も相まって魔導大学内では人気者なのよ」
「そう…だな。確かに恐ろしいほどに男前だ。度胸もあるし、気配りもできる」
クリスを褒めるレイバックの顔は、段々とむくれ顔になっていく。しかし会話に集中するイースが、レイバックの表情を気に掛ける様子はない。「度胸がある」とは、クリスがルナを精霊族祭に誘い出したことを指しているのだろうか。そう考えながら、ゼータは寄せ集めた野菜をフォークで一刺しにする。
「イース、クリスは独身だよな?」
「独身よ。魔導大学内の研究員寮に入っているから、間違いないわ。単身者しか入れないのよ」
「では恋人はいるだろうか?」
「恋人…今はいないんじゃないかしら。クリスは目立つ容姿だから、女性と一緒にいればすぐに噂になるのよ。私はクリスと個人的な付き合いがある仲ではないけれど、ここ1年くらい彼の色恋話の噂を聞いたことはないわよ」
そのときイースの隣の空き席に一人の学生が座った。クリスのために確保されていた一席であるが、当のクリスは今頃別の食堂で昼食を取っている頃である。盆の上にたくさんの小鉢を載せた学生の視線は、斜め前に座るレイバックの頭部に止まる。染髪かそれとも地毛か、学生は長らく鮮やかな緋髪を眺めていたが、やがて何ともなしに食事を開始した。ドラキス王国からやって来た魔族の視察員が滞在している、との事実に思い至ったのだろう。
「ではクリスに好きな人がいるなどという噂は耳にするか?」
「私は聞いたことがないけれど…。レイさん、どうしたの。随分クリスのことを気に掛けるのね。ひょっとして恋人の座を狙っているのかしら?私、応援するわよぉ。国も種族も超えた恋なんて素敵じゃない」
「断じて違う。俺はもう結婚している」
瞳を輝かせるイースを前に、レイバックは慌てて首を横に振った。左手の薬指に嵌まる銀の指輪をイースの目の前に掲げる。イースの隣に座る学生が米を食みながら、レイバックの左手にちらと視線を送った。ロシャ王国では滅多に見ることのできない魔族を前に、無関心を装いながらも内心は興味津々という様子である。
「やっぱりそれは結婚指輪なのね。魔族も結婚するときには宝飾品を交換するの?」
「元々魔族に結婚の文化はないんだ。ドラキス王国には婚姻に関する法もない。しかしロシャ王国からやってきた人間に影響されて、見様見真似で結婚式を挙げる魔族は徐々に増えている。宝飾品交換も結婚式の演出の一環として根付きつつはあるな。俺も流行に倣い、結婚式に宝飾品交換を取り入れさせてもらった」
「婚姻に関する法がないの?とても不思議。隣り合っているとはいえ、国が違えば文化も歴史も違うものね。ゼータさんの着けている指輪も結婚指輪?」
突如として話題を振られ、ゼータは口内にある肉の塊を飲み込んだ。イースの視線は今、皿に添えられたゼータの左手薬指にある。レイバックの指輪と同じデザインであると気が付かれては大変と、ゼータはさり気なく指輪を皿の陰に隠す。
「結婚指輪ですよ。レイと同じく流行に乗りました。他の宝飾品も考えましたけど、やっぱり指輪が良いですよね。失くす心配もないし」
「そうよねぇ。私も何度耳飾りの片方を失くしたことか。2人はいつ頃結婚したの?最近かしら?」
「そうですね。結婚式を挙げたのが半年くらい前です」
「俺も同じ頃だな」
「あら、仲良しさんね」
時折会話に口を挟みながらも、ゼータはせっせと料理を口に詰め込んだ。立ち入った当初は人と肩がぶつかり合うほどの混み具合であった食堂内は、時間が経つにつれて落ち着きを取り戻しつつある。食事を終え、茶を片手に歓談に興じる学生の姿も目立つ。時計の針が12時45分を回ったとき、イースは空のコーヒーカップを手に席を立った。
「私、先に講義室に戻るわね。午後一で視察員の皆様相手に講義をしなければならないから、発声の練習をしておくわ」
「イースが講義をするのか。内容は?」
「ロシャ王国の地理特産品の紹介よ。私の講義の後は別の研究員がロシャ王国の歴史について語るわ。お腹いっぱいだから眠くなると思うけど、頑張って堪えてね。私の講義で居眠りしていたらペンを投げるからね。得意技なの。レイさんの緋色の髪は良い的になりそうだわ」
「勘弁してくれ…」
物騒な宣告に身震いをするレイバックと、その横で果物にかじり付くゼータ。2人に向けてにこやかに手を振り、イースは食堂を後にした。
***
「ご馳走様でした」
イースが立ち去って間もなく、果物の咀嚼を終えたゼータは空皿に向かって一礼をした。腹は程良く八分目、お値段の割に満足度の高い一品であった。テーブルの端に置かれていた紙ナプキンで口元を拭うゼータの耳に、遠慮がちなレイバックの声が届く。
「ゼータ、相方を交換しないか?」
「交換?イースとクリスを?何で?」
「クリスとは精霊族祭に一緒に行った仲だろう。話し方や話題の選び方で、ルナとゼータが同一人物と気が付かれる可能性は十分にあるぞ」
「それはまぁ…そうですね」
「その点相方がイースであれば言動に気を遣う必要はない。クリスはとっくに俺の正体に気が付いているのだから、俺がクリスの相方になることに問題もない」
「でも急に相方交換を申し出るって逆に怪しくないですか?私はさっきクリスとよろしくと握手をしたばかりですし、レイもイースと良好な関係を築いているでしょう。問題があるわけではないのにわざわざ相方を変えるというのは、余計な疑いを生みかねないですよ」
「それは…そうだが」
「それにレイが相方ではクリスが気の毒です。レイほどの立場の人相手となっては、どんなに図太い神経の持ち主であっても委縮してしまいますよ。クリスはマルコーの尋問の現場も知っていますしね」
真っ当な意見にレイバックはぐぅの音も出ない。イースはレイバックの正体を知らない。ゆえに2人は友人同士のような気安い関係を築きつつある。しかしレイバックが一国の王であると知るクリス相手では、例え気を遣うなと説得をしたところで対等な関係を築くことは難しいだろう。クリスはルナ暗殺未遂事件の一部始終を見聞きしており、レイバックが当時の人間族長であったダグを剣で討ち取ったこと、そしてマルコーを相手に手痛い尋問を行ったことを知っている。悪人相手とはいえ、人に剣を振るうことに容赦がないレイバックが相手となっては、自称図太い神経であるクリスであっても委縮せずに応対することなど不可能だ。
「ゼータの意見はもっともだ。しかしゼータとルナが同一人物であると気が付かれたらどうする」
「気が付かれないと思いますけどねぇ。精霊族祭と言ってももう1年も前の出来事ですし。名も性も違えばどんなに話し方が似ていたって、普通は他人の空似と判断しますよ。それに万が一同一人物と気が付かれることがあっても、クリス相手なら問題ない気がするんですよね。レイの正体を他に言わないでくれという要望にも快く応じてくれましたし、私に悪意がないことが伝われば大事にはしないと思いますよ」
「大事にはならないかもしれんが、クリスはルナに…」
言いかけて、レイバックは口を噤んだ。その先に続く言葉に確証がなかったからだ。しかし不愉快な想像は脳裏を巡り、レイバックは段々とむくれ顔になっていく。対照的に、腹が満たされたゼータはご機嫌だ。
「それに私、クリスのことは結構好きなんですよ。本好きみたいですし気が合いそうです」
「す、好き?」
「研究熱心なところも好感が持てますよねぇ。2週間の視察期間が終わった後も、ご縁が続くと良いんですけれど」
「ご、ご縁!?」
わなわなと拳を震わせ始めるレイバックなど気にも留めず、ゼータは盆を手に席を立つ。時刻はもうじき13時になろうとしている。午後の講義が始まる時間だ。
「ほら、レイもコーヒーカップを片付けて。遅刻したらイースのペンに狙い撃ちにされますよ」
わがままの通らない幼子のごとく頬を膨らませるレイバック。つつけば破裂しそうな両頬を一瞥し、ゼータは空の食器を片付けるべく返却台へと向かった。
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