【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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緋糸たぐる御伽姫

45.Happy Wedding(本編完結)

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「披露宴会場の準備が整いました。どうぞお入りください」

 控室に再び侍女がやって来たのは、丁度ルベルトが一冊の本を読み終えた頃であった。タキはうたた寝から覚め、エリスは立ち上がり衣服のすそを正す。直前までエリスが覗いていた窓の外には、控室に入室したときのような人混みはなかった。しかし正門方向からは絶えず人の流れがあり、聖ジルバード教会方面へと向かって歩いてゆく。天幕の立ち並ぶ白の街を目指しているのだ。婚姻の儀を見ずとも、王妃の誕生に関わる記念の品物を買い求める人々は多い。天幕は今日だけではなく、明日の明朝から夕刻まで引き続き開かれると事前に告知がされていた。
 控室を出た3人は侍女の先導で王宮の南端にある賓客の間へと向かった。けやきの扉をくぐればそこはまた豪華絢爛の空間である。細微な装飾の施された壁は白、見上げるほどの高さがある天井も壁と同じ白色で、7つの揃いのシャンデリアがぶら下がっている。床は磨き上げられた大理石だ。広々とした空間の最奥には台座があり、その上には王と王妃のための高砂席が設けられている。高砂席を半円状に囲うようにして並べられた円形のテーブルは15に及び、緋色の卓布の上にはすでに大皿の料理が並べられていた。テーブルに椅子はない。立食形式の食事であれば堅苦しいマナーを気にせずに済みそうだと、庶民3人はひっそりと安堵の息を零したのであった。

 披露宴会場内にはすでに十数名の客人の姿があった。食事をするテーブルは事前に決められているようで、大きなテーブルの淵に一人立ち尽くす客人の姿も目立つ。タキらが案内されたテーブルは高砂席のすぐ脇にあるテーブルで、高砂席を見上げれば王と王妃の表情までがよく見える位置だ。案内の侍女が立ち去った後に、タキはテーブルに置かれた自らの名札をつまみ上げる。

「ルベルト。ここって親族席じゃないのか?」
「親族席?そんなの決まっているんですか?」
「俺は人間の友人の結婚式に何度か参列した経験がある。新郎のすぐ横にある席は新郎の親族席、新婦のすぐ横にある席は新婦の親族席という配置が多いんだ。ここは新婦側の席だから、王妃の親族席ということになるんだが…」
「関係ないと思いますよ。ほら、魔族って血縁関係に無頓着な種族だから。結婚するって言っても親兄弟にいちいち報告なんてしないんですよ。最近は人間に影響されて結婚式をする人達も増えていますけど、参加者は友人ばかりという人が多いと聞きますよ」
「…そうなのか」
「僕だって両親とは数百年単位で会っていないですよ。あ、そんなことないか。20年位前に里帰りしたときに会いました。でもちらっと顔を見ただけで話はしなかったなぁ」

 そんなものか、とタキは思う。確かに毎日カフェで顔を合わせていても、ルベルトとエリスから家族の話を聞いたことはない。タキの方は「最近娘が反抗期だ」だの「母親が魔獣園のキメラ間にはまり込んで頻繁に通っている」だのと家族情報を提供しているに関わらずだ。魔族が人間でいうところの「家族の情」に薄い種族であることはタキとて理解している。しかしこうした人生の節目に家族が立ち会わぬというのも、人間の身からすると寂しいことのように思えてしまうのだ。

 多少緊張のほぐれた3人が雑談をする間に、賓客の間にはぞくぞくと人が入ってきた。様々な風貌の者がいる。見たことのない民族衣装を身に着けた者、背に大きな羽を生やした者、人の上体に獣の四肢を生やした者、彼らはドラキス王国内の各集落から招待された首長らだ。他にも王宮関係者と思しき揃いの服を着た者が十数名、2つのテーブルを囲っていた。


 披露宴開宴予定時刻である15時になると、賓客の間の扉は閉じられた。揃いの服を着た男達が酒瓶を手に各テーブルを回り、乾杯の酒を注ぐ。男達が壁際に下がると同時に部屋の照明が落ち、先程閉じられたばかりのけやきの扉に光が当てられた。両脇に控えた2人の男性が扉を引き開ける。円形の光の中に横並びに立つ者はレイバックとルナであった。バルコニーで見たのと同様、黒の燕尾服と純白のウェディングドレスをまとった2人は、一礼の後に賓客の間に入場する。大理石の床に敷かれた紅の絨毯を歩き、真っ直ぐに高砂席へと向かう。沸き起こる拍手が2人を出迎えた。

 レイバックとルナが高砂席に着くと、司会の挨拶と乾杯の音頭で披露宴が始まった。元から静かとは言い難かった賓客の間内部は一気に騒がしくなる。大皿から料理を取り分け食べる者がおり、乾杯の酒を一息に飲み干し次の一杯を所望する者がおり、隣に立つ客人を相手に談笑を始める者がいる。乾杯直後にテーブルを離れ挨拶周りに向かう首長らの姿も目立った。同じ国土に住むとはいえ、普段は遠く離れた集落に住む者同士。顔を合わせる機会など滅多にないのだ。
 高砂席に座るレイバックとルナの元にも絶えず客人が訪れていた。酒の入ったグラスを手にした首長の一人がレイバックの元を訪れ、一言二言と言葉を交わす。そして隣に座るルナと握手をして自分のテーブルへと戻って行くのだ。タキはレイバックと話がしたいと長いこと高砂席の様子を伺っていたが、本日の主役に寄る人が絶えることはない。仕方なくタキはルベルトに勧められた大皿の料理をつつくことにした。

「ねぇちょっと。何で僕達ここに呼ばれたわけ?」
「明らかに場違いですよね。高砂席の傍だから目立ちますし…」
「ゼータさんは?人を呼びつけておいて自分はどこにいるの、あの人」

 タキの耳にそんなひそひそ声が聞こえてきた。声の元はタキらと同じテーブルを囲う10人の団体である。見るからに高価とわかる衣装をまとった他の客人とは異なり、彼らの装いはタキらと同じく庶民だ。男性は黒の燕尾服、女性は膝丈のドレス。大粒の宝石も身に着けていなければ、燕尾服の布地に細かな刺繍が施されていることもない。
 タキは持っていたフォークと取り皿をテーブルに置いた。庶民の装いである団体の会話からは、絶えず「ゼータ」という単語が聞こえてくる。その人物がタキの知る店の常連ゼータであるならば、彼らはゼータの所属する魔法研究所の研究員ということになる。

「もしかして魔法研究所の方でしょうか?」
「そうですよ。えっと、どこかでお会いしたことが?」

 タキの問いに答えた者は、柔らかそうな灰色の髪の青年であった。尖った耳にいくつものピアスがぶら下がっている。

「いえ、お会いするのは初めてです。私ポトスの街でカフェを営んでいるタキと申します。魔法研究所にお勤めのゼータさんが、よくカフェにいらっしゃるのです」
「ああ。ということはタキさんもゼータさんに呼ばれてこの披露宴に?」
「いえ、私はルイ…レイバック王に呼ばれて参りました。レイバック王はゼータさんと一緒に私のカフェを訪れてくださいまして…。いや、私も王様だと知ったのはつい最近のことなんですけれど」
「ゼータさんが?レイバック王と?」

 灰色の髪の青年は、傍に立つ研究員らと顔を見合わせた。料理やグラスを手にした研究員からは次々と声が上がる。

「つまり俺達はレイバック王の友人であるゼータの付き添いとして、この場に呼ばれたってことか?」
「ゼータさん。この場違いな場所で一人じゃ寂しいと思ったんですね」
「その割に本人はいないけどね。レイバック王の友人ということは、挨拶でもするのかな?」
「ゼータさんの挨拶とか不安しかないでしょ。あの人祝辞とか無理だって。わけのわからん魔法語りが始まって場が白けるのが目に見えている」
「待って待って。もしかしてここ数か月ゼータさんが王宮に住まいを移していたのって、結婚式の準備のためじゃないですか?友人代表として色々企画を任されていたんですよ。今日も裏方で走り回っているんじゃないですか。タキさん、ゼータさんに何か聞いていませんか?」

 灰色の髪の青年に詰め寄られ、タキは思わず仰け反った。

「いや、申しわけないが私は何も聞いていません。実は私がレイバック王に結婚式の招待状を受け取って以降、2人は一度もカフェを訪れていないのです。レイバック王は結婚式の準備で忙しいのだろうと納得していました。しかしゼータさんも来ないというのは少し不思議に思っていたのですが…」

 タキの後ろでは、取り皿に料理を盛ったルベルトとエリスが会話に聞き耳を立てていた。3人のカフェの店員と10人の研究員は皆一様に頷く。2つの証言を擦り合わせることで一応の推理はできた。
 まずゼータは、レイバックの友人ということで結婚式の企画準備と裏方を任された。仕事内容は不明だが国家規模の催しであるだけに準備は多忙を極め、早朝夜間問わず仕事に当たるためにゼータは一時的に王宮に住まいを移した。住まいを移したに関わらず週に4回魔法研究所通いを続けていたことに関してはひとまず横に置いておく。そしていざ来賓の正体となった折に、企画準備に携わるゼータは気づく。このままでは自分は広い宴会場で一人ぼっちになってしまう。そこで魔法研究所の研究員にお声が掛かったというわけだ。そして「ただで美味しい王宮料理がたらふく食べられますから」との甘い誘いに乗った研究員総勢10人が、ゼータの思惑通りこの場所を訪れることとなる。タキとルベルト、エリスはレイバックの友人兼、ゼータのお供という役割だ。

「謎が解けましたね。すっきりしました。タキさん、情報提供ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。…失礼。お名前をまだ聞いていませんでした」

 タキの言葉に、灰色の髪の青年はああ、と声を上げた。

「すみません。自己紹介がまだでした。僕はビットと言います。ゼータさんとは夜通しキメラの生態について語り合う仲です」

 ビットは手のひらを差し出し握手を求め、タキはそれに応えた。披露宴の会場が庶民にとって居心地の悪い場所であることに変わりはないが、ひとまずはこの場での出会いに感謝だ。一つのテーブルを囲う研究員10名とカフェの店員3人は、次々と乾杯のグラスを打ち鳴らすのであった。

***

 披露宴が開始してから一時間ほどが経過した時に、高砂席を訪れる客人が途絶えた。今がチャンスとばかりに目の前の料理をつつき始めるレイバックとルナ。彼らの食事が一段落したらレイバックの元を訪れようと高砂席の様子を伺うタキの耳に、主役2人の呑気な会話が聴こえてくる。

「思ったほど来賓は多くないですよね。腱鞘けんしょう炎になるほど招待状を書かされたのに」
「そうだな。首長方の参列は87名であるとの報告を受けている」
「87名?そんなに少ないんですか?」
「少ないというが相当な出席率だぞ。ドラキス王国内の集落は大小合わせて150程度だ。中には人口が数十名程度の小さな集落も多く、首長が安易に集落を空けられない場合も多い。深い森の中に位置し人の移動が困難な集落もいくつかある。実際に結婚式への参列が可能な首長は90名程度との事前予想であったからな」
「へぇ。そう考えれば相当な出席率ですね。でも残りの招待状はどこへ?全部で400通位ありましたよね」
「色々だ。十二種族長への登用歴がある者、王宮の官吏を退職後別組織での地位を築いている者、王宮と付き合いのある商店や飲食店の店主。ああ、国内各研究所の責任者にも送っているな。この辺りは結婚式への招待というよりは結婚報告を目的として招待状を送っている。『俺とゆっくり話がしたければ後日王宮を訪れてくれ』と一筆を添えてあるんだ。今日来られてもまともに話せんからな」
「ということは、結婚式が終われば一段落というわけにはいかないんですね。しばらくは忙しいかな」
「忙しいだろうなぁ。すでに何件かは面会の予約が入っているとカミラが言っていた」
「…念のため聞きますけれど、面会には私もご一緒しますよね?」
「当たり前だろ。正真正銘の王妃だぞ」
「ですよねぇ」

 はて、なんだか聞きなれた雰囲気の会話であるとタキは首を傾げた。ちらと高砂席に視線を送れば、豪華な椅子に腰かけるレイバックの顔はカフェにいる時のように穏やかである。その顔を見てタキは気付く。高砂席でされるレイバックとルナの会話は、カフェでされるレイバックとゼータの会話によく似ているのだ。レイバックの話し方しかり、ルナの話し方しかり、会話の軽やかさしかりだ。もしかしてルナはゼータの血縁者なのだろうかとタキは高砂席に座る黒髪の女性に目を凝らす。しかししっかりと化粧の施された顔からゼータの片鱗を伺うことはできなかった。
口の中の料理を飲み下したルナの顔が、15に及ぶ会場内のテーブルを追う。

「9つは首長のテーブルで、3つがそれ以外の来賓ですよね。十二種族長で一つ、個人的な客人で一つ、あとの一つのテーブルは?王宮関係者ですか?」
「そうだ。王宮内各部署から選抜した精鋭陣である」
「精鋭?何をするんですか」
「仲人だ。会話の橋渡し役とも言う。来賓のほとんどが僻地へきちの集落から単身会場を訪れた者だろう。人との会話に長けた者なら良いが、そうでない者にとっては退屈極まりない場になりかねん。そういった独り者を見つけて会話の相手をし、近くにいる別の来賓との会話を取り付けるのが精鋭陣の役割だ。この披露宴が後に良き物であったと評価されるか、退屈な物であったと評価されるかは、彼らの手腕に掛かっていると言っても過言ではない」

 レイバックの説明を聞いてタキは会場内に視線を巡らせる。会場のあちこちに王宮内の官吏と思しき人の姿が見える。丁度タキの視線の先で、一人の来賓が精鋭の手腕により別の来賓と引き合わされたところであった。来賓同士の会話がつつがなく行われることを確認し、精鋭はひっそりとその場を離れる。そしてまた別の独り者を探しに行く。まるで会場内に放たれた狩人のような動きである。

「私の知らぬところで色々な配慮がなされているんですねぇ。…あ、すみません。一度抜けます」
「ん。便所か?」
「違いますよ…。お色直しです」
「ああ、結局何色のドレスにしたんだ?緋色?」
「内緒」

 笑うルナは席を立ち、白いドレスの後ろ姿は高砂席の脇にある小さな扉に消えた。レイバックが一人となった今が絶好の機である。タキは料理に舌鼓を打っていたルベルトとエリスの腕を引き、高砂席へと向かう。

「ルイさん! いや…レイバック王。その、この度はご結婚おめでとうございます」
「何だ、タキさん。堅苦しいな。いつもの調子で良いのに」
「いえまさか、そういうわけにもいきません」

慌てて首を横に振るタキの背後から、ルベルトとエリスが顔を出した。

「ルイさん。結婚おめでとうございます。綺麗なお妃様ですね」
「ルイさん…今日のたてがみも素敵です…。結婚おめでとうございます」
たてがみ? ルベルト、俺の髪は鶏冠とさかからたてがみに昇格したのか」
「はい。その…王様の頭髪に向かって鶏冠とさかはまずかったと反省をしているところです」
「別に良いのに」

 あっけらかんと言い放つレイバックにルベルトは安堵の表情だ。王様侮辱罪で首を切られることはなさそうである。
 その後しばらくタキら3人は雑談のため高砂席に滞在した。主役を独占してはまずいかと恐れおののきながら会話に興じるタキであるが、見渡す限り会場内に高砂席の様子を伺う者はいない。ひとまずの挨拶は済ませ皆食事と歓談の時間なのである。先にルナとの会話でレイバックが述べた通り、長々と会話をしたい来賓は後日個人的に王宮を訪れるのだ。
 2か月ご無沙汰であっただけにレイバックとタキらの会話も弾む。

「やはり結婚式の準備は忙しかったですか。2か月カフェに来られていない」
「忙しかったな。結婚式の準備はもちろんだが、公務に無駄な時間を取られることが多くてな。官吏が皆浮足立っているものだから、書類にいらぬミスが多いんだ。結婚式関連の決裁だけでも相当あったから、自由になる時間が全くと言ってよいほどなかった。式後しばらくは忙しいから頻繁には通えないが、時々顔を出させてもらうよ。タキさんのカフェは俺の憩いの場だからな」
「そう言ってもらえると嬉しいです。ああ、そういえばゼータさんは? 彼もしばらくカフェに来ておりません」
「あー…ゼータか。彼も中々多忙でな…」
「多忙ということはやはり結婚式準備のお手伝いをされていましたか。今日彼は裏方に?」
「ん、んー…」

 歯切れの悪いレイバックを問いただすべく、タキが再び口を開いたその時であった。扉を開く大きな音が会場内に響き渡った。皆の視線は自然と音のした方を向く。そこはおよそ一時間前にレイバックとルナが入場した賓客の間の入り口だ。左右開きの扉は大きく開かれ、中央に一人の男が立っている。整えた黒の髪に白の燕尾服。男は扉の前で会場内をぐるりと見回し、颯爽と歩を進め始めた。向かう先はタキらのいる高砂席である。
 突然の謎の男の入場に、会場内の者は料理をつまむ手を止め男の挙動を見守った。何か事件でも起こったのだろうか、と囁く者もいる。男は静まり返る会場を横切り、高砂席の全面に設置された階段から壇上に登った。そして高砂席に座るレイバックに相対する形で歩みを止める。男の顔はレイバックもタキもルベルトもエリスも、そしてビット含む魔法研究所の面々もよく知る物であった。

「ゼータ。お前、何をしている。その恰好は…」

 呟いた者は、突然の出来事に呆けたレイバックであった。レイバックにゼータの登場が知らされていないということは、これは演出なのか事故なのか。成り行きを見守るタキら3人にゼータの視線が向いた。黒の瞳は愉快と笑う。
 沈黙に見守られながらゼータは再び歩み出した。高砂席の周囲をぐるりと回り、呆けるレイバックの隣に立つ。そして黒の燕尾服をまとうレイバックの腕に自身の腕を絡ませ、静寂の会場内に向き直った。寄り添う黒と白の燕尾服の男2人を、皆が不思議と見つめる。

「…サキュバス?」

 沈黙に終止符を打った者は、ゼータの顔を凝視していたビットであった。小さな呟きは思いの他大きく会場内に響く。ゼータはビットを見て、笑む。その通り。
 獣のような慟哭どうこくが会場内に響く。慟哭の主は、あまりの衝撃に両手を天に向かって突き上げたタキであった。つられるように会場内には歓声と拍手が巻き起こり、王とは思えぬ間抜け面を晒していたレイバックは慌てて表情を引き締めた。ドラキス王国内各集落の首長が、王宮の侍女官吏が、十二種族長が、魔法研究所の研究員が、そしてポトスの街に佇むカフェの店員が、会場内の皆が王の隣に立つサキュバスの王妃に祝福を捧げた。

 ゼータが正体を明かした後、披露宴は大いに盛り上がった。一番の盛り上がりを見せたのは、もちろんルナの傍にあった親族席のテーブルである。堂々の登場を遂げたゼータはタキとビットの手により高砂席から引きずり降ろされ、研究員から祝福という名のささやかなげんこつを食らっていた。

「ゼータ。お前先に言えよ。『王妃になったからぜひ結婚式に参列してくれ』と一言言えば済んだ話じゃないか」
「正直に話したって信じてもらえないのが目に見えているじゃないですか…」
「ゼータさん。場違いな空間に投げ込まれた私達の心境を察してください。緊張のあまり料理が全然喉を通らなかったんですよ。お酒も進まない」
「その割に大皿は空っぽですが。空きグラスも多いし」

 あちらこちらと小突き回されるゼータから少し離れたところでは、ビットとルベルトが肩を組んで跳ね回っていた。さらに別の場所では感激に浴びるほどの酒を飲んだタキが、いい加減にしろとエリスに尻を叩かれている。
もう一人の主役であるレイバックはと言えば、高砂席の上で十二種族長らに包囲されていた。ザトを筆頭とした屈強な面々に詰め寄られている。

「王、なぜ重要な事実を隠しておられたのです」
「いや、その…ゼータとの間で情報開示の折り合いが付かなくてだな…」
「ゼータ? 性別だけではなく名まで違うのですが。いかがされるおつもりです。民には王妃ルナで既に告示がされておりますぞ。今更名を訂正しては、王は結婚式後数日で妃を挿げ替える尻軽物だと民に誤解を与えかねません」
「ああ、その点についてはゼータと話が付いている。民の前では王妃ルナで通すつもりだ。幸い王妃が民の前に立つ機会などそう多くはないし、うちは他国との付き合いも薄いだろう。ゼータには今まで通りゼータとして魔法研究所勤務を続けてもらって、必要な時だけルナを演じてもらうつもりである」
「…左様ですか。王と王妃がそれで良いと仰るのならば、我々に口出しの権利などありませんが…」
「王、王。ゼータ様との出会いはいつどこで? 求婚はどちらから?」

 真剣な眼差しで議論を重ねるレイバックとザト。レイバックの膝元には水色のシフォンドレスをまとったシルフィーが縋り付いていた。質問に答えよと主の脚をゆするシルフィーは、父親に縋る娘のようであり、心沸かす恋話を求める乙女のようでもある。ザトの後ろに立つ十二種族長の面々は、日頃王妃の間に出入りする謎の官吏の正体が明らかになり納得の表情であった。

 楽しい時はあっという間に過ぎ、3時間に及ぶ宴はお開きの時間を迎える。司会の締めの挨拶もなあなあに、本来高砂席にいるはずのゼータは酩酊状態のタキに肩車をされたままで、大盛況の披露宴は幕を閉じたのであった。

***

「…流石に疲れたな」
「疲れましたね…」

 王妃の間に入るなり、ゼータは部屋の中央に置かれたソファに身を投げ出した。続けて部屋に立ち入ったレイバックは壁際に並べられた椅子の一脚に深々と腰かける。披露宴会場から直接私室まで戻ってきたために2人は未だ燕尾服のままだ。

「疲れたが良い結婚披露宴であったと上々の評判だ。事件事故は起こらずこれといった苦情も寄せられていない。去り際に何名かの首長に声を掛けられたが皆上機嫌であった」
「あれ、首長方の見送りには行かなくて良いんですか?来客時はいつも見送りに出ていますよね」
「見送りは明日だ。首長方は皆ポトス城で一泊する予定になっている」
「87人分もの客室がありましたっけ」
「王宮内にはない。白の街の東門側の住宅が何軒も空き家になっているから、そこを客室として使用することになっているんだ。人一人が生活できるだけの設備は備えられているから、一晩の滞在に不自由はない」
「へぇ…」

 ゼータは懐かしい記憶を辿る。外交使節団のポトス城内散策に同行した時の記憶だ。白の街の東部は国内での大規模な紛争や魔獣討伐がある場合に、徴兵された兵士が一時的に住まう場所であるとのシモンの説明であった。同時に思い出されるのは、いざこざの後処理に追われ別れの挨拶すら叶わなかった外交使節団の者達の顔だ。別れを惜しむほどの思い出があるわけではない。しかしせめてルナを精霊族祭に誘い出してくれたクリスには「ありがとう」と一言伝えたかった。生活が落ち着いたら結婚報告を兼ねて文でも書いてみようか、とゼータは考える。
 ゼータの懐古などいざ知らず、レイバックはご機嫌と言葉を続ける。

「白の街は夜通しお祭り騒ぎだ。白昼記念品を売っていた天幕が、夜間には飲食物の提供をする。酒とつまみが主だな。王宮内の粗方の片付けを終えた侍女官吏は、白の街で2次会ということだ。各所で護衛に当たっていた兵士らも合流するから賑やかになるぞ。見に行くか?」
「結構です。今日は日が昇る前から身支度に当たっていたんですよ。温かいお風呂に入って寝ます」
「そうだな。そうすると良い。俺は一息ついたら少し顔を出してくる。2次会には首長方も参加するだろうから。堅苦しい場では聞けなかった話が聞けるやもしれん」

 白の街だけではない。ポトスの街中でも今夜は夜通し宴が開催される。歓楽街と呼ばれる通りに椅子とテーブルが並べられ、通りに面する飲食店が酒や食事を提供するのだ。店先で売られる酒を片手に偶然巡り合った人々が語らい、一つの料理をつつき、王妃の誕生を心より祝する。国家の誕生より千余年の間に行われたいかなる催しとも違う、今夜限りの特別な宴だ。

「本当に特別な日なんですね、今日は」
「そうだな。白の街で夜通し宴が開催されるなど、ポトス城建築以後初めてのことだ。何、特別で構わないんだ。今日は何をしても許される。こんな日は2度と来ないんだ」
「…来ないですか?」
「来ないだろ。ああ、王が変われば当然同様の機会はあるだろうがな。俺の在位中は2度とない」
「ないですか…」
「なんだ。楽しかったのか? 希望があればまた開催しても良い。100年…いや50年に一度程度民への顔見世を兼ねて何らかの催事を開催するというのは十分可能だ。結婚式と名を付けるわけにはかんが…。そういえば人間の間で結婚の節目を祝う風習があったな。詳細は忘れたが宝石の名にちなむ呼び名だ。人間に倣って結婚の節目を祝うというのはどうだ?」

 そういう意味ではなかったのだが、思いながらもゼータは口を噤む。いつの間にかレイバックは椅子から立ち上がり、ゼータの寝そべるソファの背もたれに肘を載せていた。揚々と輝く緋色の瞳が、ゼータの顔面を見下ろしている。

「そうだ。金婚式だ。結婚50年の節目は金婚式という。平均寿命が70歳の人間にとっては中々迎えることのできない節目だが、俺達にかかれば楽勝だ。やるか? 金婚式。着たいというのなら、その時にまたウェディングドレスを着れば良い」
「ウェディングドレスを着るかどうかはさて置き、50年に一度くらいなら…んむ」

 唐突に降りてきたレイバックの唇がゼータのそれと重なった。優しく触れた唇はちゅ、と音を立ててすぐに離れる。ゼータの鼻先には満面の笑みのレイバックがいる。

「記念すべき初キスだ」
「キスなら婚姻の儀でしたじゃないですか」
「あれはルナだろ。ゼータとは今した」

 そう言ってレイバックは幸せそうに笑うのだ。ゼータはソファに寝そべったまま、レイバックの首筋に両腕を回す。一度のキスに満足し離れて行こうとする唇を、腕に力を込めて引き寄せる。

「もう一度」

 ねだるように囁く唇に、レイバックは引き寄せられるようにしてもう一度唇を重ねた。
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