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緋糸たぐる御伽姫
38.緋糸むすぶ御伽姫
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精霊族祭から一夜明け、王宮は精霊族祭の後片付けと、同時に起きた事件の後処理に追われていた。ドラキス王国とロシャ王国の今後の友好関係を鑑み、ルナ暗殺未遂事件については内々に処理されることとなった。王宮内で事情を知る者はレイバックとルナ、十二種族長の面々のみ。専属侍女であるカミラには最低限の事情を話さざるを得なかったが、聡い古株の侍女は必要以上に詳細を問いただすことはしなかった。
事件に携わった兵士らの身元の確認のために、現場となった山小屋には兵士兼任の十二種族長数名が向かった。彼らは小屋の中の凄惨たる有様を見て言葉を失うこととなる。山小屋の内部に広がる光景は、死体を見慣れた者であっても目を覆う有様であった。
結局三つの遺体を王宮まで運ぶことは躊躇われ、山小屋に火を付け遺体を火葬することとなった。ある者は燃え盛る炎を見ながら、過去に歴史書で見た記述を思い出す。
―アダルフィン旧王が斃れた後、ジルバード王宮の内部は凄惨たる有様であった。生き残る兵士、官吏は誰一人としておらず、しかし囚われの奴隷は皆一つの傷もなく―
その翌日の午後には、レイバックからの文を受けたアポロがドラキス王国の王宮へとやって来た。国王の移動だというのに供は最低限の二人、荷物も最小限だ。
レイバックとルナ、十二種族長が集まる議会の間に、供を連れたアポロが入室する。そして皆の前で深々と頭を下げた。
「私の家臣が酷い過ちを犯しました。マルコーの主として深くお詫び申し上げます」
「俺の家臣と共謀してのことだ。責任を全て押し付けるつもりはない」
「そう言ってもらえると心安い。しかし人間族長のダグは、過去にロシャ王国の王宮で雇用歴がある男でございます。覚えのある者に聞き出したところ、ダグの当時の上司がマルコーであったと」
「…成程な。旧知の仲というわけか。ほとんど面識のない人間同士が共謀するとは、奇妙だと思っていたんだ」
謝罪が済んだところで、レイバックはアポロに着座を促す。広い議会の間の後方部には、人数分の椅子と長机が用意されていた。しかしアポロは首を横に振る。長居はできぬゆえ、と言う。結局皆が起立のままで、レイバックとアポロの対話は進むこととなった。
「マルコーの罪に言い訳をするつもりはありませんが、気になる点が一つございます。彼は多少融通の利かぬ面を持ち合わせてはおりますが、私の言葉に逆らうことはしない男。なぜ命令に背いて強行を働いたのか…」
「命令? メアリ姫と俺の仲人を担うことが、マルコーに与えられた任務ではなかったのか?」
「もちろん当初はその予定でありました。メアリを王宮から送り出すときに、私は確かにマルコーを仲人に任命致しました。使える物は使って構わぬ、メアリとレイバック王の縁を繋げ。そう告げたのです。しかしその後、私の元に貴殿から文が届きました。既にルナという妃候補がいることを伝える文です」
「ああ、送っているな」
外交使節団の一員としてメアリがドラキス王国の王宮を訪れることは、レイバックの了承なしにアポロの独断で決められたことであった。そもそも使節団員の選抜については毎年ロシャ王国側に一任しており、ドラキス王国側で口を挟んだ試しはない。そして同様の文の中で伝えられたのが、メアリをレイバックの妃として迎えてほしいというアポロの要望だ。
突然の要望にレイバックはすぐに返事を返すことができず、結局アポロ宛の文が差し出されたのは、外交使節団がドラキス王国の王宮に到着した日の夜分であった。文の内容はアポロの要望に「否」を返すもの。近いうちにルナと言う女性を妃として迎え入れるため、メアリと妃とすることはできない。そう伝える文だ。その文に関して、レイバックはアポロからの返事を受け取っていない。
「私は貴殿への返事の文に、マルコーとメアリに宛てた文を添えました。メアリには結婚を諦めドラキス王国滞在中は視察と勉学に励む旨、そしてマルコーには仲人を解任する旨をしたためたのです。私の言葉に忠実なマルコーが、私からの文を無視して勝手な行動を起こしたというのは些か不可解で…」
「アポロ王、待ってくれ。その返事の文と言うのはいつ頃差し出した物だ?」
「貴殿からの文が届いたのが、使節団員が出発してから四日後のことでございます。失礼があってはならぬと思い、その日の内に返事の文を差し出しました」
「…貴方の文は俺の元に届いていない。もちろんメアリ姫にも、マルコーにも」
「私の文が届いていない?」
レイバックとアポロは顔を見合わせる。王宮に滞在する客人に宛てられた文、客人から差し出される文は、情報漏洩を防ぐ目的で郵便部の官吏の検閲が入る決まりになっている。客人が商人や王宮関係者の縁者程度であれば検閲は官吏止まりであるが、今回のように国賓宛の文となれば話は別だ。諜報目的の滞在である可能性も鑑みて、文には十二種族長並びに王であるレイバックの検閲が入る。しかしこの度レイバックはアポロからの文を受け取っておらず、メアリとマルコーに宛てられた文の検閲も行っていない。アポロが差し出した三通の文は、ドラキス王国の王宮に届いていないのだ。
なぜそんなことが起こったのだと皆が首を捻る中、声を上げた者はザトであった。
「そう言えば外交使節団が到着した週に、ドラキス王国の西方で荷馬車が魔獣に襲われるという事件がありました。多少ではありますがロシャ王国からの文を積んでおり、魔獣に荒らされ回収は困難との報告を受けています。死傷者はなく、大きな事件としては取り扱われておりません」
「…そこに我々の文が紛れていたのか。何とも運が悪いな。二度目の文の紛失が、まさか人命に関わるほどの事件に発展しようとは」
言ってレイバックは溜息を付く。およそ十年前に一度、アポロからレイバックに宛てた文が紛失するという事件があった。文の紛失により、アポロの旅路に妃が同行する旨がドラキス王国側に伝わらず、突然の妃来訪に王宮は騒然とすることとなった。その騒動は当時笑い話で済んだ。人数集めのために急遽晩餐会とダンスパーティーにお呼ばれした侍女官吏は皆嬉しそうであった。
しかし今回の事件は笑い話で済みそうもない。文の紛失によりマルコーが暴走し、結果ダグを含む4人の命が失われた。幸いなことにルナの怪我は掠り傷程度であったが、悪ければ50年続いた大国同士の友好関係が破棄される重大事件へと発展しただろう。
「王宮同士の文の往来については、運搬方法を見直さねばならんな」
「左様でございますな。魔獣の襲来による文の紛失については民からの苦情も多い。多少郵便料金を上乗せしても良いから、文の到達通知を届けてほしいという声は常々あるのです」
「同様の意見はドラキス王国内でもある。緊急性がないと先送りにしていた事案ではあるが、間接的とは言え死人を出してしまってはな。悠長なことは言っていられない。詳細を詰めて行く時間はあるか?」
「失礼ながらあまり長居は出来ません。事件は内々に処理するとのお言葉でしたので、官吏に話を通さず国を空けてきました。明朝には何食わぬ顔で公務に当たっておらねばなりません」
続く言葉を聞くに、アポロは今朝方レイバックからの文の到着を受けてすぐにロシャ王国の王宮を出発してきたのだという。国境を超えた付近にある集落で馬を降り、集落の者に話を通して騎獣を借り受けた。騎獣と呼ばれる魔獣は馬の倍ほどの速さで野山を駆け、頻繁の休憩を必要としない。心優しい集落の者が最も脚の速い騎獣を貸してくれたお陰で、アポロは半日ほどの行程でドラキス王国の王宮へと辿り着いた。しかし借り物の騎獣ゆえ、今日の内には持ち主に返さねばならず、そのためにはもう一時間とせずに王宮を発たねばならない。ロシャ王国内で騎獣の取り扱いが認められぬことが心苦しい、とアポロは言う。
「貴方がとんぼ返りとなればマルコーはどうする? 現在使節団員とは隔離しているが、明朝一緒の馬車で帰国させても良いか?」
「…いえ。お手数ですが別に馬車を手配していただきたい。客車も馬も最低限の物で構いませんので。見張りとして供を一人置いて行きます」
アポロの視線を受け、背後に控えていた供の一人が恭しく礼をした。一人供を置けば残される供は一人。一国の主が旅をするにはあまりにも手薄な警備だ。しかしアポロが供の頼りなさを気に掛ける様子はない。自由奔放ということで言えばレイバックの右に出る者はいないが、アポロの身軽さも中々のものである。
「マルコーの犯行の一因は、郵便体系の不備にあるとわかったところだ。送りの馬車に関しては国賓に相応しい物を用意させてもらおう。数日傷の様子を見た後の出発になるから、外交使節団の帰国よりは遅れると思っていてくれ」
「マルコーが傷を? まさか自損でございますか?」
「いや、俺が付けた傷だ。頑なに罪を認めぬから多少の尋問を行った。しばらく移動には難儀するだろうが、命に障るほどの傷ではない」
「左様でございますか…」
アポロの後ろで二人の供が身震いをする。この国では王自ら罪人の尋問を行うのか、と。
いくつかの論議の後、アポロと二人の供は議会の間を退出した。客室に軟禁状態であるマルコーに面会し、そのままの脚で王宮を発つという。何か途中でつまめる軽食を持って行くかと問うレイバックに、アポロは笑顔で否と返す。不本意ではあるがこれほど身軽な旅路は滅多にない。道中の集落で目に付いた物を買って食べるのが楽しみなのだと言う。王とは思えぬアポロの気安さが、レイバックは好きであった。
アポロと供の者が退出した議会の間は途端に騒がしくなる。ルナ暗殺未遂事件に係る後処理についてはこれにて終了。場は解散かと思われた。
「さて、この場を借りて皆に伝えることがある」
レイバックの声に、部屋の中は一瞬にして静まり返った。何事かと皆が視線を向ける中で、長らく事の傍観者であったルナがレイバックの傍らに寄った。横並びの二人の顔には、穏やかな笑みが浮かぶ。
「本日を持ってルナを正式に王妃として迎えることにした。今回の事件は俺がルナとの関係を曖昧にしたことにも原因がある。2週間前ルナを王宮に迎え入れた時に、王妃候補などではなく王妃として皆に紹介すれば穏便に事は済んだんだ。この国の結婚に、法の手続きなど必要ないのだから」
シルフィーがきゃあ、と嬉しそうな声を上げる。それ以外の者は驚きに沈黙を貫く中で、口を開く者はザトであった。
「王、それは非常に喜ばしいことでございます。しかしよろしいのですか?ルナ様とは週に一度逢瀬を重ねる程度の関係でありたいとのお言葉では…」
「そう思っていたのは事実だが…こうして昼夜生活を共にしてしまうとどうにも離れ難くてな。幸いにもカミラのお陰で、王妃の間は最低限部屋としての機能を取り戻している。家具を手配出でき次第ルナにはそちらに移ってもらう」
王の寝室である王の間と、王妃の寝室である王妃の間は、歓談の間と呼ばれる小部屋を挟んで横並びに繋がっている。ルナが王妃の間に居住すれば、公務時間以外はいつだって好きな時に顔を合わせることが可能なのだ。食事を一緒に取ることもできるし、寝所を共にすることもできる。
うきうきと小躍りでも始めそうなレイバックを前に、今や11人となった家臣は思う。それほどに好いているのならもっと早くに決断なされよ、と。まさかレイバックとルナが昨晩想いを通わせたばかりなどと、想像する者は誰一人としていない。
「さて、ルナ。改めて挨拶を頼む」
レイバックに促され、ルナは一歩前へと進み出る。主の結婚報告に浮足立っていた議会の間は、再びしんと静まり返った。
「皆様。改めましてルナと申します。早いもので私がその名を賜ってから1026年の時が経ちました。アダルフィン旧王を追うレイバック様の背を見送った時には、自分がこうして王宮に迎え入れられる様など微塵も想像しておりませんでした。レイバック様が国土を安寧に導くべく奔走する中、恥ずかしながら私は昼夜研究に明け暮れる日々。王妃としての嗜みなど何一つ身についてはおりません。それでもこうして縁を繋げたからには、王の傍らに立つ者として相応しくあろうと思います。皆様とは末長いお付き合いとなることでしょう。至らぬ所ばかりの王妃でありますが、どうぞよろしく」
言葉を終えたルナは立礼をするが、場は静まり返ったままだ。拍手も歓声も巻き起こらない。皆が眉を顰めルナの言葉の意味を考えている。
―私がその名を賜ってから1026年の時が経ちました
「幻の協力者ルナ」
呟く声があった。その言葉の意味が分からぬ者はこの場には存在しない。それは御伽話として語り継がれた史実。絵本の中にしか存在しなかった建国の立役者。太陽のような緋髪のレイバックと対にされた呼称。
シルフィーの叫び声を皮切りに、部屋の中は一気に賑やかになった。ザトは強面の顔を緩ませレイバックの背を力強く叩き、兵士兼任の十二種族長数人が肩を組んで歓声を上げている。シルフィーはルナの両手を取り、軽やかな足取りで跳ね回っていた。誰もが待ち望んだ瞬間であった。ルナが王妃となることに文句を言う者など、この場に曳いてはこの国にいるはずもない。ドラキス王国の平和の礎を築いた幻の協力者が、最も喜ばしい形で姿を現したのだ。
歓声はいつまでも続く。
事件に携わった兵士らの身元の確認のために、現場となった山小屋には兵士兼任の十二種族長数名が向かった。彼らは小屋の中の凄惨たる有様を見て言葉を失うこととなる。山小屋の内部に広がる光景は、死体を見慣れた者であっても目を覆う有様であった。
結局三つの遺体を王宮まで運ぶことは躊躇われ、山小屋に火を付け遺体を火葬することとなった。ある者は燃え盛る炎を見ながら、過去に歴史書で見た記述を思い出す。
―アダルフィン旧王が斃れた後、ジルバード王宮の内部は凄惨たる有様であった。生き残る兵士、官吏は誰一人としておらず、しかし囚われの奴隷は皆一つの傷もなく―
その翌日の午後には、レイバックからの文を受けたアポロがドラキス王国の王宮へとやって来た。国王の移動だというのに供は最低限の二人、荷物も最小限だ。
レイバックとルナ、十二種族長が集まる議会の間に、供を連れたアポロが入室する。そして皆の前で深々と頭を下げた。
「私の家臣が酷い過ちを犯しました。マルコーの主として深くお詫び申し上げます」
「俺の家臣と共謀してのことだ。責任を全て押し付けるつもりはない」
「そう言ってもらえると心安い。しかし人間族長のダグは、過去にロシャ王国の王宮で雇用歴がある男でございます。覚えのある者に聞き出したところ、ダグの当時の上司がマルコーであったと」
「…成程な。旧知の仲というわけか。ほとんど面識のない人間同士が共謀するとは、奇妙だと思っていたんだ」
謝罪が済んだところで、レイバックはアポロに着座を促す。広い議会の間の後方部には、人数分の椅子と長机が用意されていた。しかしアポロは首を横に振る。長居はできぬゆえ、と言う。結局皆が起立のままで、レイバックとアポロの対話は進むこととなった。
「マルコーの罪に言い訳をするつもりはありませんが、気になる点が一つございます。彼は多少融通の利かぬ面を持ち合わせてはおりますが、私の言葉に逆らうことはしない男。なぜ命令に背いて強行を働いたのか…」
「命令? メアリ姫と俺の仲人を担うことが、マルコーに与えられた任務ではなかったのか?」
「もちろん当初はその予定でありました。メアリを王宮から送り出すときに、私は確かにマルコーを仲人に任命致しました。使える物は使って構わぬ、メアリとレイバック王の縁を繋げ。そう告げたのです。しかしその後、私の元に貴殿から文が届きました。既にルナという妃候補がいることを伝える文です」
「ああ、送っているな」
外交使節団の一員としてメアリがドラキス王国の王宮を訪れることは、レイバックの了承なしにアポロの独断で決められたことであった。そもそも使節団員の選抜については毎年ロシャ王国側に一任しており、ドラキス王国側で口を挟んだ試しはない。そして同様の文の中で伝えられたのが、メアリをレイバックの妃として迎えてほしいというアポロの要望だ。
突然の要望にレイバックはすぐに返事を返すことができず、結局アポロ宛の文が差し出されたのは、外交使節団がドラキス王国の王宮に到着した日の夜分であった。文の内容はアポロの要望に「否」を返すもの。近いうちにルナと言う女性を妃として迎え入れるため、メアリと妃とすることはできない。そう伝える文だ。その文に関して、レイバックはアポロからの返事を受け取っていない。
「私は貴殿への返事の文に、マルコーとメアリに宛てた文を添えました。メアリには結婚を諦めドラキス王国滞在中は視察と勉学に励む旨、そしてマルコーには仲人を解任する旨をしたためたのです。私の言葉に忠実なマルコーが、私からの文を無視して勝手な行動を起こしたというのは些か不可解で…」
「アポロ王、待ってくれ。その返事の文と言うのはいつ頃差し出した物だ?」
「貴殿からの文が届いたのが、使節団員が出発してから四日後のことでございます。失礼があってはならぬと思い、その日の内に返事の文を差し出しました」
「…貴方の文は俺の元に届いていない。もちろんメアリ姫にも、マルコーにも」
「私の文が届いていない?」
レイバックとアポロは顔を見合わせる。王宮に滞在する客人に宛てられた文、客人から差し出される文は、情報漏洩を防ぐ目的で郵便部の官吏の検閲が入る決まりになっている。客人が商人や王宮関係者の縁者程度であれば検閲は官吏止まりであるが、今回のように国賓宛の文となれば話は別だ。諜報目的の滞在である可能性も鑑みて、文には十二種族長並びに王であるレイバックの検閲が入る。しかしこの度レイバックはアポロからの文を受け取っておらず、メアリとマルコーに宛てられた文の検閲も行っていない。アポロが差し出した三通の文は、ドラキス王国の王宮に届いていないのだ。
なぜそんなことが起こったのだと皆が首を捻る中、声を上げた者はザトであった。
「そう言えば外交使節団が到着した週に、ドラキス王国の西方で荷馬車が魔獣に襲われるという事件がありました。多少ではありますがロシャ王国からの文を積んでおり、魔獣に荒らされ回収は困難との報告を受けています。死傷者はなく、大きな事件としては取り扱われておりません」
「…そこに我々の文が紛れていたのか。何とも運が悪いな。二度目の文の紛失が、まさか人命に関わるほどの事件に発展しようとは」
言ってレイバックは溜息を付く。およそ十年前に一度、アポロからレイバックに宛てた文が紛失するという事件があった。文の紛失により、アポロの旅路に妃が同行する旨がドラキス王国側に伝わらず、突然の妃来訪に王宮は騒然とすることとなった。その騒動は当時笑い話で済んだ。人数集めのために急遽晩餐会とダンスパーティーにお呼ばれした侍女官吏は皆嬉しそうであった。
しかし今回の事件は笑い話で済みそうもない。文の紛失によりマルコーが暴走し、結果ダグを含む4人の命が失われた。幸いなことにルナの怪我は掠り傷程度であったが、悪ければ50年続いた大国同士の友好関係が破棄される重大事件へと発展しただろう。
「王宮同士の文の往来については、運搬方法を見直さねばならんな」
「左様でございますな。魔獣の襲来による文の紛失については民からの苦情も多い。多少郵便料金を上乗せしても良いから、文の到達通知を届けてほしいという声は常々あるのです」
「同様の意見はドラキス王国内でもある。緊急性がないと先送りにしていた事案ではあるが、間接的とは言え死人を出してしまってはな。悠長なことは言っていられない。詳細を詰めて行く時間はあるか?」
「失礼ながらあまり長居は出来ません。事件は内々に処理するとのお言葉でしたので、官吏に話を通さず国を空けてきました。明朝には何食わぬ顔で公務に当たっておらねばなりません」
続く言葉を聞くに、アポロは今朝方レイバックからの文の到着を受けてすぐにロシャ王国の王宮を出発してきたのだという。国境を超えた付近にある集落で馬を降り、集落の者に話を通して騎獣を借り受けた。騎獣と呼ばれる魔獣は馬の倍ほどの速さで野山を駆け、頻繁の休憩を必要としない。心優しい集落の者が最も脚の速い騎獣を貸してくれたお陰で、アポロは半日ほどの行程でドラキス王国の王宮へと辿り着いた。しかし借り物の騎獣ゆえ、今日の内には持ち主に返さねばならず、そのためにはもう一時間とせずに王宮を発たねばならない。ロシャ王国内で騎獣の取り扱いが認められぬことが心苦しい、とアポロは言う。
「貴方がとんぼ返りとなればマルコーはどうする? 現在使節団員とは隔離しているが、明朝一緒の馬車で帰国させても良いか?」
「…いえ。お手数ですが別に馬車を手配していただきたい。客車も馬も最低限の物で構いませんので。見張りとして供を一人置いて行きます」
アポロの視線を受け、背後に控えていた供の一人が恭しく礼をした。一人供を置けば残される供は一人。一国の主が旅をするにはあまりにも手薄な警備だ。しかしアポロが供の頼りなさを気に掛ける様子はない。自由奔放ということで言えばレイバックの右に出る者はいないが、アポロの身軽さも中々のものである。
「マルコーの犯行の一因は、郵便体系の不備にあるとわかったところだ。送りの馬車に関しては国賓に相応しい物を用意させてもらおう。数日傷の様子を見た後の出発になるから、外交使節団の帰国よりは遅れると思っていてくれ」
「マルコーが傷を? まさか自損でございますか?」
「いや、俺が付けた傷だ。頑なに罪を認めぬから多少の尋問を行った。しばらく移動には難儀するだろうが、命に障るほどの傷ではない」
「左様でございますか…」
アポロの後ろで二人の供が身震いをする。この国では王自ら罪人の尋問を行うのか、と。
いくつかの論議の後、アポロと二人の供は議会の間を退出した。客室に軟禁状態であるマルコーに面会し、そのままの脚で王宮を発つという。何か途中でつまめる軽食を持って行くかと問うレイバックに、アポロは笑顔で否と返す。不本意ではあるがこれほど身軽な旅路は滅多にない。道中の集落で目に付いた物を買って食べるのが楽しみなのだと言う。王とは思えぬアポロの気安さが、レイバックは好きであった。
アポロと供の者が退出した議会の間は途端に騒がしくなる。ルナ暗殺未遂事件に係る後処理についてはこれにて終了。場は解散かと思われた。
「さて、この場を借りて皆に伝えることがある」
レイバックの声に、部屋の中は一瞬にして静まり返った。何事かと皆が視線を向ける中で、長らく事の傍観者であったルナがレイバックの傍らに寄った。横並びの二人の顔には、穏やかな笑みが浮かぶ。
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「そう思っていたのは事実だが…こうして昼夜生活を共にしてしまうとどうにも離れ難くてな。幸いにもカミラのお陰で、王妃の間は最低限部屋としての機能を取り戻している。家具を手配出でき次第ルナにはそちらに移ってもらう」
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うきうきと小躍りでも始めそうなレイバックを前に、今や11人となった家臣は思う。それほどに好いているのならもっと早くに決断なされよ、と。まさかレイバックとルナが昨晩想いを通わせたばかりなどと、想像する者は誰一人としていない。
「さて、ルナ。改めて挨拶を頼む」
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言葉を終えたルナは立礼をするが、場は静まり返ったままだ。拍手も歓声も巻き起こらない。皆が眉を顰めルナの言葉の意味を考えている。
―私がその名を賜ってから1026年の時が経ちました
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呟く声があった。その言葉の意味が分からぬ者はこの場には存在しない。それは御伽話として語り継がれた史実。絵本の中にしか存在しなかった建国の立役者。太陽のような緋髪のレイバックと対にされた呼称。
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