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緋糸たぐる御伽姫
31.精霊族祭-1
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ルナは客室の鏡を前に感嘆の息を吐いた。
時は週に一度の公休日、年に一度の精霊族祭を目前にした夕刻。カミラ含む数人の侍女の手によりダンスパーティーに相応しい様相に仕立て上げられたルナは、日頃の質素な姿とは別人である。
ルナの身体を包むドレスは燃えるような緋色だ。余計な装飾は一切なく、滑らかな絹の生地を縫い合わせただけのシンプルなドレス。ダンスの最中にすそを踏まぬようにと、ふわりと広がるドレスのすそは膝下丈。気温の下がる夜間の祭りのため、上肢の露出は少ないデザインのドレスだ。艶やかな黒髪を後頭部に結い上げ、暗闇にも映える化粧を施したルナの姿は美しい。ドレスと同じ濃い紅を引いた唇が、凛とした顔立ちを引き立てている。可憐を取柄とするメアリと並べば、互いに互いの良さを引き立てさぞかし絵になることであろう。
すっかり妃候補に相応しい姿に仕上がったルナを前に、カミラは満足げな表情だ。しかしとある一点を臨んだ瞬間にその表情は曇る。
「ルナ様。やはり首飾りは別の物に致しませんか?革紐の首飾りはドレスには合いません」
「そうしたいのは山々なんですけれど、外すなとの命令なんですよ。王様命令だから逆らえません」
「王様? その首飾りはレイバック様からの贈り物ですか。ならば致し方ありませんね。…なるほど。レイバック様は焼きもちを焼いていらっしゃる。クリス王子に対する威嚇の首飾りというところでしょうか。可愛いところがあるではありませんか」
「…そういうわけでもないと思うんですけれど」
部屋の扉が開き、見知った人物が顔を覗かせる。いつもは無造作に跳ね回っている緋髪を、今夜ばかりは品よく整えたレイバックだ。紅色の糸で刺繍を施した紺色の燕尾服を着用している。王様と言われれば見えないこともない。
「レイ、どうしました? 何か用?」
「…用はない。どんな様子かと見に来ただけだ」
「あ、そう。どうですか?」
ルナは緋色のドレスのすそを翻し、くるりと一回転する。慣れぬダンスで転ばぬようにと、平靴を履いたルナの動きは軽やかだ。
「似合っているな」
「そうでしょう。エスコートしていただけないのが残念です」
そう言ってルナが笑うものだから、レイバックの顔にも自然と笑顔が浮かぶ。外すなと命じたガラス玉の首飾り、レイバックの髪色と同じ緋色のドレス。満足げに笑うレイバックの脇腹を、カミラの肘が突いた。
「ドレスのお色は決してレイバック様の髪色に合わせたわけではございませんよ。ルナ様の黒髪には緋色がよく合うのです。紺色や深緑色も悪くはありませんが、薄暗闇で映えると言えば緋色でしょう。クリス様の金色の髪と並べば、さぞかし絵になることでしょうね」
「…カミラ。何か怒っているか?」
「怒っていますとも。恋人であるルナ様を放って別の女性と精霊族祭に行くなどと、本来ならば許されざる行為です。幸いルナ様にお誘いを掛けて下さる素敵な男性がいたから良いものを。これでルナ様が一人寂しく王宮で留守番となれば、私自ら制裁を下すところでございます」
「勘弁してくれ…」
カミラの言葉が真実であるだけに、レイバックは強い言葉を返せない。溜息交じりに肩を落とすレイバックの後ろで、再び部屋の扉が開いた。
「ルナ様、お迎えに上がりました。あれ、レイバック様。どうされました?」
レイバックに続き、ルナの私室にやって来た者はクリスであった。後ろ手で扉を閉め、堂々と立つ姿は正に御伽話の王子様だ。場の誰よりも身丈のあるすらりとした体躯、整った顔立ちに美しい金の髪、シンプルな黒の燕尾服が驚くほどよく似合う。クリスの登場に、先程まで不機嫌を露わにしていたカミラは一気に満面の笑みとなった。
「クリス様、お待ち申しておりました。ルナ様の身支度は済んでおりますよ。正門前に馬車も到着していると連絡を受けておりますから、馬車留まりが混み合う前に会場に向かうのが宜しい」
「そうします。カミラさん、何から何までありがとうございます」
「いいえ、この程度。王子と姫君の一晩限りの逢瀬でございますからね。存分にお楽しみください」
カミラの誇張に、傍らに立つルナが「姫君…?」と呟いた。ルナの疑問の声に返すことなく、カミラはクリスに顔を寄せる。
「ですがどうぞお忘れなきよう。ルナ様は紛うことなきレイバック様の妃候補でございます。今夜限りはクリス様の男前に免じて傍らに立つことをお許し致しますが、決して不埒な行動を起こしてはなりません。ポトスの街には逢瀬街などと言ういかがわしい通りもございますが、祭りの勢いに任せて雪崩れ込もうなどとそんな不埒な真似は…」
「カミラ、カミラ。ちょっと落ち着いてください。日が変わるまでには帰りますから」
興奮気味のカミラの肩を、ゼータは懸命に叩く。しかしカミラの顔面はクリスから離れることを知らない。
「精霊族祭のフィナーレは23時半、勇ましい音楽と共に夜空には大輪の花火が打ち上がります。午前0時の鐘と共に音楽と花火は止み、それにて祭りは終了。その頃には馬車留まりは酷く混み合います。花火を途中で切り上げて早々に王宮に帰ることをお勧めしますよ。クリス様が花火を見ながらの告白を目論んでおられるのであれば少々酷な助言ですが、愛を伝えるには3秒あれば十分です」
「あの…神経が図太いとはよく言われますが、流石の僕も大国の妃候補に愛を伝えるほど命知らずではありません」
「冗談でございますよ」
ご機嫌のカミラは高らかに笑う。カミラの背に張り付いたルナと、少し離れた所に立ち竦むレイバックは共に険しい表情である。乗りに乗った古株の侍女の言動に太刀打ちできる者など、この国には存在しないのだ。
カミラに促され、ルナとクリスは並んで客室を後にした。レイバックもメアリを迎えに向かうようで、同時に客室を出る。「じゃあまた、祭りの会場で」そう挨拶を交わしてレイバックとルナは別れた。
時は週に一度の公休日、年に一度の精霊族祭を目前にした夕刻。カミラ含む数人の侍女の手によりダンスパーティーに相応しい様相に仕立て上げられたルナは、日頃の質素な姿とは別人である。
ルナの身体を包むドレスは燃えるような緋色だ。余計な装飾は一切なく、滑らかな絹の生地を縫い合わせただけのシンプルなドレス。ダンスの最中にすそを踏まぬようにと、ふわりと広がるドレスのすそは膝下丈。気温の下がる夜間の祭りのため、上肢の露出は少ないデザインのドレスだ。艶やかな黒髪を後頭部に結い上げ、暗闇にも映える化粧を施したルナの姿は美しい。ドレスと同じ濃い紅を引いた唇が、凛とした顔立ちを引き立てている。可憐を取柄とするメアリと並べば、互いに互いの良さを引き立てさぞかし絵になることであろう。
すっかり妃候補に相応しい姿に仕上がったルナを前に、カミラは満足げな表情だ。しかしとある一点を臨んだ瞬間にその表情は曇る。
「ルナ様。やはり首飾りは別の物に致しませんか?革紐の首飾りはドレスには合いません」
「そうしたいのは山々なんですけれど、外すなとの命令なんですよ。王様命令だから逆らえません」
「王様? その首飾りはレイバック様からの贈り物ですか。ならば致し方ありませんね。…なるほど。レイバック様は焼きもちを焼いていらっしゃる。クリス王子に対する威嚇の首飾りというところでしょうか。可愛いところがあるではありませんか」
「…そういうわけでもないと思うんですけれど」
部屋の扉が開き、見知った人物が顔を覗かせる。いつもは無造作に跳ね回っている緋髪を、今夜ばかりは品よく整えたレイバックだ。紅色の糸で刺繍を施した紺色の燕尾服を着用している。王様と言われれば見えないこともない。
「レイ、どうしました? 何か用?」
「…用はない。どんな様子かと見に来ただけだ」
「あ、そう。どうですか?」
ルナは緋色のドレスのすそを翻し、くるりと一回転する。慣れぬダンスで転ばぬようにと、平靴を履いたルナの動きは軽やかだ。
「似合っているな」
「そうでしょう。エスコートしていただけないのが残念です」
そう言ってルナが笑うものだから、レイバックの顔にも自然と笑顔が浮かぶ。外すなと命じたガラス玉の首飾り、レイバックの髪色と同じ緋色のドレス。満足げに笑うレイバックの脇腹を、カミラの肘が突いた。
「ドレスのお色は決してレイバック様の髪色に合わせたわけではございませんよ。ルナ様の黒髪には緋色がよく合うのです。紺色や深緑色も悪くはありませんが、薄暗闇で映えると言えば緋色でしょう。クリス様の金色の髪と並べば、さぞかし絵になることでしょうね」
「…カミラ。何か怒っているか?」
「怒っていますとも。恋人であるルナ様を放って別の女性と精霊族祭に行くなどと、本来ならば許されざる行為です。幸いルナ様にお誘いを掛けて下さる素敵な男性がいたから良いものを。これでルナ様が一人寂しく王宮で留守番となれば、私自ら制裁を下すところでございます」
「勘弁してくれ…」
カミラの言葉が真実であるだけに、レイバックは強い言葉を返せない。溜息交じりに肩を落とすレイバックの後ろで、再び部屋の扉が開いた。
「ルナ様、お迎えに上がりました。あれ、レイバック様。どうされました?」
レイバックに続き、ルナの私室にやって来た者はクリスであった。後ろ手で扉を閉め、堂々と立つ姿は正に御伽話の王子様だ。場の誰よりも身丈のあるすらりとした体躯、整った顔立ちに美しい金の髪、シンプルな黒の燕尾服が驚くほどよく似合う。クリスの登場に、先程まで不機嫌を露わにしていたカミラは一気に満面の笑みとなった。
「クリス様、お待ち申しておりました。ルナ様の身支度は済んでおりますよ。正門前に馬車も到着していると連絡を受けておりますから、馬車留まりが混み合う前に会場に向かうのが宜しい」
「そうします。カミラさん、何から何までありがとうございます」
「いいえ、この程度。王子と姫君の一晩限りの逢瀬でございますからね。存分にお楽しみください」
カミラの誇張に、傍らに立つルナが「姫君…?」と呟いた。ルナの疑問の声に返すことなく、カミラはクリスに顔を寄せる。
「ですがどうぞお忘れなきよう。ルナ様は紛うことなきレイバック様の妃候補でございます。今夜限りはクリス様の男前に免じて傍らに立つことをお許し致しますが、決して不埒な行動を起こしてはなりません。ポトスの街には逢瀬街などと言ういかがわしい通りもございますが、祭りの勢いに任せて雪崩れ込もうなどとそんな不埒な真似は…」
「カミラ、カミラ。ちょっと落ち着いてください。日が変わるまでには帰りますから」
興奮気味のカミラの肩を、ゼータは懸命に叩く。しかしカミラの顔面はクリスから離れることを知らない。
「精霊族祭のフィナーレは23時半、勇ましい音楽と共に夜空には大輪の花火が打ち上がります。午前0時の鐘と共に音楽と花火は止み、それにて祭りは終了。その頃には馬車留まりは酷く混み合います。花火を途中で切り上げて早々に王宮に帰ることをお勧めしますよ。クリス様が花火を見ながらの告白を目論んでおられるのであれば少々酷な助言ですが、愛を伝えるには3秒あれば十分です」
「あの…神経が図太いとはよく言われますが、流石の僕も大国の妃候補に愛を伝えるほど命知らずではありません」
「冗談でございますよ」
ご機嫌のカミラは高らかに笑う。カミラの背に張り付いたルナと、少し離れた所に立ち竦むレイバックは共に険しい表情である。乗りに乗った古株の侍女の言動に太刀打ちできる者など、この国には存在しないのだ。
カミラに促され、ルナとクリスは並んで客室を後にした。レイバックもメアリを迎えに向かうようで、同時に客室を出る。「じゃあまた、祭りの会場で」そう挨拶を交わしてレイバックとルナは別れた。
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