【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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緋糸たぐる御伽姫

29.茶会

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 ドラキス王国の現国王レイバックには行きつけの場所がある。それはポトスの街の大通りから少し外れた小路に位置する小さなカフェだ。古びた木造建築のカフェは、石造りの建物の多いポトスの街中には馴染まず独特の雰囲気を放っている。しかし給仕される茶や菓子の味が良いのは然る事ながら、人間である男性店主の人柄も良く、独特の店内の雰囲気に魅了され足繁く通う客人は多い。レイバックもその内の一人だ。

 その日もレイバックは当たり前のようにくだんのカフェに足を運んだ。外国使節団の滞在中何かと彼らに付き合うことが多く、公休日を2日後に控えた今日もすべき仕事が片付いていない。しかしカフェを訪れる予定を欠かすことはできない。先週こそ外交使節団の研修に当たり訪れることが叶わなかったが、カフェが開店してから5年の内に、レイバックが週に1度のカフェ通いを欠かした事は片手で数えるほどしかないのだ。
 カフェの入り口となる木製の扉を押し開けたレイバックは、エルフの店員に挨拶を述べすぐに建物を出る。入り口とは別の場所に設けられたガラス戸をくぐれば、そこは木を組み上げたテラス席だ。ひさしがく、燦々さんさんと日光の当たるテラス席に人の姿はない。いや、一人だけいた。テラスの隅、レイバックの固定席には先客がいる。

「…ゼータ。王宮を抜け出してきたのか?」
「あれ、レイ。こんにちは」

 レイバックの固定席に一足早く腰を下ろしていた人物は、同じくカフェの常連であるゼータであった。紅茶と菓子をテーブルの上に並べ、優雅に椅子に腰かけるゼータの手には分厚い書物がある。2週間前にレイバックが仮初の妃候補の依頼を出した時と同じように、彼の意識の中心は今手の中の書物にある。

「ゼータ。黙って抜け出してきた訳じゃないだろうな。カミラには外出を伝えたか?」
「伝えましたよ。先日魔法研究所に行ったとき、忘れ物をしてしまったんです。忘れ物を回収して、帰りにここに寄りました。茶を飲んだら帰りますよ」
「…なら良いが」

 レイバックはゼータの対面の席に腰を下ろした。エルフの店員に挨拶をしてきたから、もうじき彼女がレイバックの分の茶を運んできてくれる。週に1度決まってカフェを訪れるレイバックとゼータの好みを、カフェの店員はしっかりと把握しているのだ。
 レイバックが茶を待つ間にも、ゼータは熱心に書物を読み漁っていた。慣れぬ者であれば1ページで根を上げそうな細かい文字の詰まった書物。しかし文字を辿るゼータの瞳は穏やかだ。一昨日の夜、メアリと精霊族祭を共にする旨を伝えた時の苛立った様子とは程遠い。

「随分とご機嫌だな。良いことでもあったか?」
「んー…そうですね。精霊族祭に行くことになりました」
「一人でか?」
「まさか。クリスに誘われたんですよ」
「クリス?使節団員のか」
「そう。昨日の夜に誘われて、特にご一緒する人もいなかったんで即OKを返しました」
「精霊族祭に誘われるほどの関わりがあったか?」
「ポトス城内散策の時に結構話しましたよ。あと実は、夕食後に客室階の談話室で何度か会っているんです。彼は魔導大学在籍でしょう。魔法に興味があるみたいで、結構話が弾むんですよ」
「…2人きりで話をしているのか?」
「初めは他の使節団員もいたんですよ。でも私の魔法語りに耐えられず途中退席となりました。残った猛者もさはクリスだけです」
「そうか…」

 レイバックと話しながらも、ゼータの視線は書物に落ちたままだ。手探りでカップを探し当て、温くなった紅茶を口に運ぶ最中にもゼータの視線がレイバックへと向けられる事はない。

「という事情ですから、レイも気兼ねせずに楽しんで来てくださいね。一人寂しく王宮で留守番という事もなくなりましたから」
「ゼータ…当て付けではないよな?」
「…はい?」

 カフェを訪れて初めて、ゼータの黒色の瞳がレイバックに向く。訳の分からぬ問いに、ご機嫌の表情は一瞬で曇る。

「怒っているのかと聞いているんだ。俺が…メアリ姫との結婚を避けたいという身勝手な理由で仮初の妃候補の依頼を出したのに、今になって彼女との距離を詰めようとしているから」
「ああ、距離を詰めるつもりはあったんですね。単なる接待ではなく。それは良いことです」
「…何?」

 レイバックの表情もゼータと同様に曇る。なぜメアリとの距離を詰める事がゼータに取っての良いことなのだ、とでも言いたげだ。ゼータは手の中の書物を閉じる。

「最近ね、このままじゃ駄目だろうなって思っていたんですよ。王宮の侍女も官吏も皆近い将来に王妃の誕生を信じています。カミラだってせっせと王妃の間の掃除をしてくれていて、結婚式のお衣装はどうしましょうかなんて聞かれる事もあるんですよ。皆が楽しみにしているんです。千年余り不在であった王妃の誕生を。そりゃ十二種族長は事情を知っているかもしれませんけど、たかだか12人ですよ」
「…そうだな」
「外交使節団が帰国して、妃候補の役目を終えたルナが忽然と姿を消したら皆悲しむだろうなって。レイがどんな言い訳を考えていたのかは知りませんけど、皆に理解を得るのは結構難儀したと思いますよ。それだけ期待されていましたから。でもレイがメアリ姫を妃として迎え入れるというのなら、そんな心配は杞憂に終わる訳です。私とレイの旧知の仲を知っているカミラは少し悲しむかもしれませんけど、きっと直に忘れます。2週間王宮にいただけの偽物の妃候補の事なんて。だって本物のお姫様が、お妃様になるんですからね」

 一息に言葉を吐きだし、ゼータはくつくつと笑った。レイバックに向けられた黒の眼が愉快げに細められる。

「皆の期待を裏切らないでくださいよ。王様」

 挑発と思われるほどに高らかと告げられた言葉に、レイバックの眉は吊り上がる。しかしレイバックが声を荒げるよりも早く、ゼータの後ろにぬぅと立つ人影があった。

「ルイさん、ゼータさん。久し振りだな」
「あ、タキさん。お久し振りです」

 一触即発の場に乱入した大柄の男は、タキというこのカフェの店主だ。口元にまばらの髭を生やした人間の男。物騒な印象を与えるが朗らかで気の良い男である。
 タキはレイバックの前に氷の入った冷茶を置いた。ミントの浮いた涼しげな冷茶。今日は暑いから、とタキは言う。

「先週は珍しく2人とも来なかったな。忙しかったのか?」
「そうですね。仕事が立て込んでいました」
「俺も、仕事で外せない用事があったんだ」
「そうかそうか。ゼータさんは魔法研究所勤務だったか。ルイさんはどこで働いているんだ?」
「俺は…王宮で働いている…かな」
「王宮?ひょっとして王宮軍の兵士か?ルイさん官吏って柄ではないもんな。考えるより先に身体が動きそうなタイプだ」
「そう見えるか?タキさん、俺のことをよく分かっているじゃないか」

 レイバックとタキは顔を見合わせ声を上げて笑う。タキがレイバックの事を「ルイ」と呼ぶのは、ポトスの街にルイという名の男性が多いためだ。ゼータが「レイ」と呼ぶのを聞き間違えて、出会いの日から今日までの5年間勘違いを続けたままだ。王様と言う身分を隠してカフェ通いを続けるレイバックも、タキの勘違いを正すつもりは更々ない。
 タキは店の常連である「ルイさん」がドラキス王国の国王であると知れば、白目を剥いて卒倒することだろう。紅茶を啜るゼータの心の内を読んだかのようにタキは言う。

「ルイさん。王宮勤めなら王様と会った事があるかい?」
「まぁ…顔を見る程度には」
「そうかぁ。俺は生まれてこの方王様の姿を見たことがないんだ。確か緋色の髪をしているんだろ。ああ、ルイさんも緋色の髪だな。王様の髪もルイさんと同じくらい鮮やかな緋か?」
「…そうだな。こんな色だ」
「死ぬ前に一度はお目にかかってみたいもんだ。千年の統治を誇るドラゴンの王。いっそ王様が妃でも迎えてくれたら、お披露目で顔を見る機会もあるだろうになぁ」

 民が王の姿を見る機会は滅多にない。王宮が建てられて間もない頃は、民は王宮の広場に足を運び王の告示を耳にする機会があった。しかし国土が平穏となってからは年にその一度の催しも途絶え、王と言えば「太陽のような緋色の髪を持つドラゴンの王」としてその名が語られる程度のものとなった。数千年の時を生きる魔族であれば一生に内に何度かお目にかかる機会はあるだろうが、タキは人間だ。妃の誕生か、大規模な戦か。それほどの大事でなければ彼が王の姿をお目に掛かる機会などないだろう。自身の運営するカフェでの望まぬ謁見を除けば、であるが。
 タキの言葉にレイバックが苦笑いを浮かべたその時、厨房からタキを呼ぶ声が聞こえた。タキは大声でそれに応える。どうやら歓談の時間は終わりのようだ。

「注文が入ったな。じゃあまた来週、待っているぞ」

 レイバックとゼータは各々タキに短い返事を返し、恰幅の良い背中が厨房に入っていくのを見送った。さて、とゼータはカップの紅茶を一気に飲み干す。

「私はそろそろ帰りますね。カミラと約束もありますし」
「約束?何のだ」
「精霊族祭に着ていくドレスを選ぶんですよ。レイがメアリ姫とご一緒すると知ったときは大分ご立腹でしたけどね。私がクリスに誘われたと言ったら途端にご機嫌になりましたよ。あの王子様顔の方ですよね。って」
「王子様顔…」
「ドレスに興味もありませんからカミラに任せても良いんですけど。レースとフリルが大好きなんですよ、彼女。完全にカミラ任せにしてしまうのは不安です」

 ゼータはカミラには絶大の信頼を寄せている。しかし衣服の趣味だけは別だ。シンプルで飾りの少ない衣装を好むゼータに対し、カミラはお姫様と呼ぶに相応しい可憐な衣装を好む。質が悪いのは、そのレースとフリル塗れのドレスを自分で着るのではなく、ルナに着せようとすることだ。「嫌と言わず一度来てみてくださいませ。絶対に似合いますから」そう言うカミラの瞳は爛々らんらんと輝いている。

 ゼータが読んでいた本を鞄に仕舞い帰り支度をしていると、レイバックが無言で席を立った。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、ゼータの横を通り過ぎる。帰るのならば一言そう告げてくれれば良いのに。そう考えるゼータの首元に、背後からレイバックの両手が伸びる。

「何、なんですか。びっくりした」
「いいから。動くなよ」

 レイバックの両手はゼータの首の後ろでもぞもぞと動いている。鎖骨にはひやりとした感触。ややあってレイバックの両手は首元を離れ、何が起きたとばかりにゼータは自身の首元を擦った。

「首飾り?どうしたんですか、これ」
「街歩きの時に職人街で買ったんだ。…正確には買わされた、か。やる」
「はぁ…」

 ゼータは鎖骨にあたる冷ややかな感触の元を、指先でつまみ上げた。それはガラス玉だ。白い花の埋め込まれた雫型のガラス玉。綺麗ではあるが、どう見ても女性向けのデザインだ。

「…これ、男が付けていたら可笑しくないですか?」
「知らん。精霊族祭が終わるまで、風呂以外で外すなよ」
「2日半近くありますけど」
「やかましい。王様命令だ」

 不機嫌を掲げたまま、レイバックはテラス席を後にした。残されたゼータは、滑らかなガラス玉を指の先でゆるりと撫でる。
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