【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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緋糸たぐる御伽姫

26.その頃彼は-2

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 ビットと別れたゼータは研究室の掃除を済ませ、すぐに生活棟の私室へと向かった。人が一人暮らせるだけの小さな私室は正真正銘のゼータの城だ。ベッドと本棚とタンスが二つ、食事を取るためのちゃぶ台と小さな食器棚、それに簡易の調理台。広く景色を見渡せる大きな窓と、備え付けのシャワールームに続く扉もある。研究室と同様にリオンが掃除を行ってくれていたのか、床にもタンスにも埃は積もっていない。職人街に下りるならばリオンに何かしら礼の品を買ってこようかと、ゼータは想いを巡らせる。

 リオンのおかげで大層な掃除をせずに済んだゼータは、午前中を私室で書物を捲って過ごし、昼時には研究棟の炊事室に向かった。広い炊事室にはシチューの良い香りが漂っている。魔法研究所では毎日誰かしら手の空いた者が、皆の分の昼食を準備する慣例になっているのだ。手の空いた者、と言っても日々炊事を担当する者は大方顔ぶれが決まっている。平日の昼食担当は専らリオンだ。30代中盤ほどの容姿のリオンは魔法研究所ではゼータに次ぐ古株の女性で、「あねさん」と呼ばれ皆に慕われている。リオンのおかげで日々研究員の食は満たされ、研究棟内と生活棟内は清潔に保たれているのだ。
 時計の針が正午を迎えた頃には炊事室に研究員が集まり、シチューを取り分けての賑やかな昼食となった。ゼータはカミラに持たされたサンドイッチをかじりつつも、リオン手製のシチューもたっぷりと頂いた。

「ゼータ、王宮に左遷されたって本当なの?」
「されていないですよ…。何で皆私を研究所から追放しようとするんですか」
「あれ、私はゼータさんが王宮の官吏に召し上げられたとの噂を聞きましたよ。今までの研究成果が評価されたとかで」
「俺が聞いたのは聖ジルバード教会の図書室管理人に任命されたとの噂だ。本好きが高じて」
「…誰ですか?そんな根も葉もない噂を流すのは」
「俺はビットに聞いた」
「私もビットに聞きました」

 やはりお前の仕業か。ゼータの睨みの先では、ビットが不自然に大きな笑い声を立ててシチューを頬張っていた。

「それで、実際は何してんの?2週間も王宮に籠りっ放しでさ」
「追加予算と人員の申請です。ポトスの街の南部にある研究所が最近取り壊しになったじゃないですか。そこの充てるはずの予算が余っているはずだから、うちに回してもらえないかなと思って」
「へぇ。そりゃ重大任務だね。交渉は上手くいきそうなの?」
「良い方向に話は進んでいますよ。王宮滞在中の2週間任されている仕事があって、その成果報酬として追加予算が提示されていますから確実ではないですけどね」
「成果報酬かぁ。上手くいけばどの位貰えるの?まさか余った予算全部貰えるってこともないでしょ?」
「…金額交渉はこれからです。別の研究所に回すくらいなら、足元の魔法研究所を贔屓ひいきしてくれとは言っていますけどね。王宮からの面倒な要望にも都度応えているんだし」

 ドラキス王国内に国家直属の研究所はいくつかあるが、ゼータの所属する魔法研究所が王宮とは一番縁深い。馬車で20分という立地の良さが縁深さの理由だ。不可解な魔法を使う魔獣が現れたとの情報を聞けば、王宮軍に同行し調査を行うのは魔法研究所の研究員の仕事だし、とある地域の魔獣の個体数調査を行ってほしいとの依頼を請け負う事もある。ゼータの専門分野である魔獣の分布調査が、ポトスの街の防衛に大いに貢献しているとの話もレイバックから聞き受けた事がある。

「そりゃ交渉が上手くいけば、ゼータに足を向けて寝られないな。ゼータ様と呼んで生活棟の屋上に奉るか」
「何で恩人を雨ざらし?せめて雨風凌げるキメラ棟の屋上にしてください」

 軽口に軽口を返しながらも、「王様の職権乱用により予算GETは確実です」とは言えないゼータである。ゼータとレイバックの関係も、ゼータがサキュバスであるという事実も、魔法研究所内部に知る者はいないのだ。仮初の妃候補依頼について正直に話せるはずもない。

 同僚との会話もそれなりに昼食を終えたゼータは、ビットのお使いをこなすべく研究所を出発した。ポケットの中にはお金と共に渡された買い出し用のメモ紙、しかしそこに書かれている物品はリーちゃん用の錠前だけではない。実験用器具の部品やキメラのおやつ、果てはビットが飲むための紅茶まで、10を超す物品の名称が羅列している。「人を小間使いにするな」と憤りながらも、「次にゼータさんが忙しい時には僕が買い出しを引き受けますから」とのビットの言葉を信じ、渋々面倒な買い出しを引き受けたゼータであった。

***

 徒歩で山道を下り、ポトスの街の中心部にある職人街に辿り着いた頃には、朝から降り続いていた雨も止んでいた。ゼータは傘を畳み、ビットに指定された目的の工房を探す。職人街の西端付近に目的の工房を見つけ木製の引き戸に手を掛ければ、小ぢんまりとした工房内には思わぬ先客がいた。レイバックとメアリだ。2人仲良く工房内の商品を物色している。使節団員の街歩きの行程に職人街が含まれていたのだ。ポトスの街では有数の観光地なのだから当たり前かと、ゼータは引き戸に掛けた手のひらを下ろす。衣服に付いていたフードを目深に被り、工房と工房の隙間に身を隠す。

 ゼータが隙間から顔を覗かせ職人街の様子を伺うと、通りのあちこちに使節団員の姿が見えた。マルコーもいれば、クリスもいる。皆手や肩に幾つもの紙の袋を下げているから、もう大分買い物を楽しんだ後のようだ。
 しばらくするとレイバックとメアリが工房から出てきた。次はどこに行こうか。通りの向かいにある工房に入ってみたいです。和やかな話し声がゼータの耳に届く。街歩きを通してレイバックとメアリは随分と打ち解けたようだ。ゼータは横並びの背中をしばらく眺め、それから今しがた2人が出て来たばかりの工房の扉を開けた。小さな工房内には数え切れないほどの商品が並んでいる。ガラス細工の置物やアクセサリー、革細工の小物、絡繰り玩具。ゼータは工房の壁一面に掛けられた錠前を前に、ビットに渡されたメモ紙を開いた。数十に及ぶ大きさの錠前の中から、リーちゃんの檻に合う大きさの物を選ばなければならない。錠前を裏返しそこに書かれた数字を一つ一つ確認するゼータの耳に、2人の店員の話し声が届く。

「さっきのお兄さん、ちゃんと女の子に首飾りを渡せるかしら」
「お前の世話好きはどうにかならんのか。人様の恋路に首を突っ込むなよ」
「だって見ていてもどかしかったんだもの。あんたも見ていたでしょ?あの女の子、商品を見ながらもちらちらとお兄さんの方を伺うのよ。お兄さんだって女の子の事を気にしている風だったし。恋人までもう1歩というところかしら。あの首飾りが上手く縁を繋いでくれると良いんだけど」
「精霊族祭が近いからな。大方祭での告白を目論んでいるんだろう」
「あら、素敵。上手くいくと良いわね。お似合いの2人だもの」

 ゼータがようやく見つけた程良い大きさの錠前を勘定台に乗せると、世話焼きだという女性店員はにっこりと人の良い笑みを浮かべた。
 それからメモ紙を頼りに、ゼータは職人街のあちこちの工房を駆け巡った。看板を掛けぬ工房も多い中、100mに及ぶ職人街で目的の品を探し出すことは容易ではない。ようやく品物を全て買い集め、ついでに近くにある市場でリオンに渡す焼き菓子を購入し終えた時には、辺りはすっかり夕焼け模様であった。両手いっぱいの荷物を抱えたゼータは夕焼けを臨みながら、ポトスの街中からは少し離れた場所にある馬車留まりを目指す。安価の馬車に乗るならば、馬車留まりで手配を願い出るのが最も効率的なのだ。

 ゼータは馬車留まりに向かう途中の石橋の上で、はたと足を止めた。橋の手すりに2人の男女の後ろ姿が並んでいる。見慣れた緋色の髪の男と、栗色の髪の少女。少女の肩には不釣り合いに大きい上着が掛けられている。寒さを凌ぐために男が貸した物だと容易に想像ができた。橋の上は美しい夕陽を一目見ようとする観光客でごった返し、ゼータの知る使節団員の姿もあった。しかし肩を寄せ合い談笑する男と少女の背中は、賑やかな風景からは切り取られた空間だ。
 ゼータはフードを目深にかぶり、2人の後ろを通り過ぎる。夕焼け空に目を奪われた橋の上の人々は、不自然に顔を隠したゼータの様子を気に掛けることはない。ゼータは腕いっぱいの荷物を抱え、振り返ることなくその場を後にした。
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