18 / 318
緋糸たぐる御伽姫
18.共犯者
しおりを挟む
ダグは苛立っていた。今日だけではない。腹の底から湧き上がる靄のような感情が、ここ数日絶えずダグを悩ませている。
事の発端は2週間前だ。隣国の王アポロからの文により、レイバックとメアリの縁談話が持ち上がった。文の内容をレイバックから聞かされた時、ダグはいたく舞い上がったのだ。
ダグは今年で50歳になる人間の男だ。15年前に十二種族長の一人である人間族長に任命され、それ以来国家のためにと我が身を削って公務に打ち込んでいる。しかし十二種族長の中でダグの立場は弱い。人間であるということが原因ではない。ドラキス王国では人間も魔族も等しい地位が約束され、差別や偏見の類は存在しない。しかし数百年の時をレイバックの家臣として過ごす魔族の種族長と並べられれば、ダグの在任歴など瞬きほどの時間でしかない。
十二種族長の中でダグに次いで在任期間が短い小人族長の男でも、その期間は100年を超える。表向き種族長の立場は12人全員が平等となっている。しかしその在任期間が長ければ長いだけ、当然王に対する発言権も強くなる。現に悪魔族長であるザトはレイバックが即位の時より王宮に仕えており、国家のナンバー2として誰もが認めている。
レイバックとメアリの結婚は、ダグにとっては大きな転機だったのだ。人間であるメアリが王妃となれば、同じ人間であるダグの発言はレイバックにとって軽視し難いものになる。ダグが国家にとって重要な存在となる、又とない機会だったのだ。
しかしレイバックはルナを連れてきた。恋人であるルナを盾にしてメアリとの縁談を断ると言う。更にダグを苛つかせるのは、レイバックがルナを妃に据えるつもりがないと言い放ったことだ。妃にならぬ女を妃候補だとでっち上げるくらいならば、縁談を快く受けメアリを妃に迎え入れれば良いのだ。ロシャ王国との繋がりは強固になり、魔導具との共同開発も円満に進む。魔族の王であるレイバックにとって、人間であるメアリの寿命などほんの一時だ。ほんの一時偽りの愛を誓えば全てが手に入るというのに、レイバックは頑なにそれを拒む。
それでも妖精のように愛らしいメアリを目の前にすればレイバックの心も変わるだろうかと、ダグは僅かながらの期待を抱いたのだ。しかしこれもまるで駄目。レイバックはルナの客室には足しげく通っているというのに、メアリとはまともに話す場さえ設けようとしない。何もかもがダグの望む通りに進まないのだ。
ダグが足音荒く王宮の廊下を進んでいると、一角で見知った男と鉢合わせた。
「マルコー殿」
「おや。ダグ」
鉢合わせた男は、ロシャ王国外交使節団の付添人マルコーであった。マルコーとダグは旧知の仲だ。ダグは元々ロシャ王国の生まれで、若かりし頃はアポロの前任であるヨゼフ前国王の臣下として働いていたのだ。その頃、ダグの直接の上司であった男がマルコーだ。つまりダグにとってのマルコーは過去の上司なのである。その後ダグは5年の奉公を経て、規律厳しいロシャ王国での生活に疲れ、気ままな暮らしを求めて単身ドラキス王国に移住した。しかし結局は慣れた王宮の官吏として働くことを選び、地道な仕事ぶりが認められ35歳の時に人間族長へと就任したのだ。
ダグがマルコーと再会したのは、人間族長の地位に就いて間もなくの頃であった。その頃にはマルコーも現国王アポロの元で重責を担い、使節としてドラキス王国の王宮を訪れることが年に数度あったのだ。たまたま再開した2人は近況報告と銘打って食事を共にし、それ以来マルコーの訪問のたびに酒や食事を楽しむ仲となった。勿論互いに国家の重鎮であるのだから、安易に国政に関する情報を漏らすことはしない。それでも旧年の上司と部下の関係に等しく、ダグはマルコーを慕い、マルコーはダグを信頼していた。
「どこかへ行く予定だったか?」
「いえ。これと言って急ぎの用はないのですが…」
マルコーの問いに、ダグは口籠る。レイバックとメアリの縁談が上手く進まぬことにいらいらとして、王宮内を意味もなく歩き回っていたなどとは言い難い。急ぎの用はないとのダグの言葉に、マルコーは途端に笑みを浮かべる。
「では、どこかで茶でも飲まんか。丁度お前と話したいと思っていた所だ」
「よろしいですよ。でしたらぜひ、私の執務室にいらしてください。不在の札を掛けておけば人は入りませんから」
マルコーの話したい内容とは、恐らくはダグの憂いに等しい物だ。レイバックがメアリを蔑ろにすることへの憤り、もどかしさ。ルナという存在の厭わしさ。同じ思いを抱く者同士愚痴を零しあえば、多少気は晴れるのだろうか。2人は連れ立ってダグの執務室へと向かうのであった。
マルコーを執務室へと招き入れたダグは、けやき扉の外側に「不在」の札を掛けた。十二種族長の執務室に鍵は付いていないが、不在の札を掛けておけば余程のことがない限り人が立ち入る事はない。マルコーに応接用のソファを勧め、ダグは茶器を持って執務室を出た。十二種族長の執務室がある王宮の3階には2か所の給湯室がある。通常茶の給仕は侍女が行ってくれるのだが、好みの茶を淹れるために自ら給湯室に赴く十二種族長も少なくはない。
茶器に湯を注いだダグは、人目に付かぬようひっそりと執務室へと戻った。「不在」の札を再度確認し、部屋の扉をしっかりと閉める。その時マルコーはと言えば、ソファに座り執務室の内装を興味深げに眺め回していた。2人は長い付き合いではあるが、ダグがマルコーを執務室に招き入れるのは初めてのことなのだ。
「これと言った特徴もない部屋だな。金はあるのだろうから、凝った物を買えば良いのに」
そう言ってマルコーが撫でる応接用のテーブルは、ダグが前任の人間族長から引き継いだ物だ。就任時に買い替えた物も幾つかあるが、多くは前任者の私物をそのまま使っている。十二種族長の給金は確かに高額であるが、調度品に多額の金をつぎ込むほどの拘りがダグにはないのである。
マルコーの言葉にダグは笑い声を返すに留め、テーブルの上に2人分の茶を淹れた。
「それでマルコー殿。私に話と言うのは?」
「ああ。想像の通りメアリ姫のことだ」
「レイバック王との間で何か進展がありましたか」
「いや…訓練場での一件を聞き及んだか?」
「ルナ様とメアリ姫が剣技での試合をした、という話を小耳に挟みました。ルナ様が傷を負い、レイバック王が大層心配しておられたと」
「それだけか?」
「…はい」
マルコーは溜息をつく。カップに注ぎ入れられた茶が香ばしい香りを放つが、マルコーがカップに手を付けることはない。
「全く嫌になる。いつだって話題の中心はルナ様だ。私が何のために悪役を演じたと思っている。メアリ姫の剣技の素晴らしさを他に広め、レイバック様の傍らに立つ者として相応しいことを知らしめるためだろうが。そのためにレイバック様との試合の場を設けたというのに。ついでにルナ様に恥を見せてやろうなどと欲を掻いたのがいけなかったのか?しかし思惑をことごとく邪魔立てされて、私とて腹が立っているんだ。少しくらい鬱憤を晴らしても罰は当たるまい…」
垂れ流されるマルコーの文句を聞きながら、ダグは事の経緯を理解する。マルコーとしてはメアリの剣技を皆に広め、ついでにルナを貶める目的で剣技の試合を設定した。しかし思う通りには行かないもので、「メアリ姫との試合で怪我を負ったルナ様を、レイバック様は大層心配しておられる。何と仲睦まじいことでいらっしゃる」というマルコーにとって予想外の美談が広まってしまったのだ。現にダグが小耳に挟んだ訓練場での一件の噂に、メアリの剣技の素晴らしさは一言も含まれていない。
「レイバック王にも困ったものです。外交使節団という地位に紛れているとは言え、メアリ姫は立派な国賓。もう少しまともな接待を行わねば国家の恥にもなりかねません」
「全くだ。先の訓練場の一件にしても、レイバック様は外交使節団の接待に来たと仰りながらも、さも当然のようにルナ様の横に腰を下ろす。接待するというのならば、メアリ姫の横に座り雑談を交わせばよろしいのに」
「メアリ姫も気の毒でございますね。彼女はアポロ王の命を受けてドラキス王国にいらっしゃったのでしょう。17の御身で他国に嫁ぐ覚悟をなさったというのに、まさか当の結婚打診相手にああも冷淡な態度を取られるとは。胸中を想うと心が痛みます」
「正にそれよ。あれはドラキス王国に到着した翌日であった。メアリ姫はルナ様を前にして涙を流していらっしゃったのだ。自分はアポロ王の期待に沿うことができぬ、レイバック様に一つの想いも伝えずして帰国せねばならぬことが辛いと仰って」
「なんと…そのような出来事がありましたか」
「しかしだな…痛ましいとは思いながらも私にできる事などたかが知れておるのだ。あれこれと画策したところで、レイバック様にメアリ姫に寄り添おうという気持ちが欠片もないのだからどうしようもない。ルナ様という妃候補がいるのだから、他の女性に現を抜かす訳にはいかぬと考えているのか。それともメアリ姫には本当に微塵の興味もないのか…」
レイバックはルナを妃に据えるつもりはない。口を衝いて出掛けた言葉をダグは飲み込んだ。それは懇意にしているマルコーにも言ってはならぬ事だ。レイバックはルナを仮初の妃候補として扱うことについて、十二種族長に対し「口裏合わせを頼む」と言ったのだ。主が望むのならば、それに応えることが家臣の務めであり義務だ。うっかり口を滑らせばダグは人間族長の地位を剥奪、それが原因でロシャ王国との友好関係に亀裂でも入ろうものならば、ドラキス王国にいることすら危うくなる。数十年の時を掛けて築き上げた地位を失うなど御免だと、ダグは喉まで出掛けた言葉を茶で流し込む。
「…レイバック王が心変わりをなさらない限り、メアリ姫との縁を繋ぐことなど不可能でしょう。王の御心がルナ様の元にある限り、我々の画策など焼け石に水です」
自らに言い聞かせるがごとくダグは言う。マルコーとダグはかつての上司と部下の関係。そして今はメアリをレイバックの妃に据えるために協力関係を結んでいる。マルコーは主であるアポロの望みを叶えるために、そしてマルコーは自らの地位の向上のために。目指す場所は同じなのだ。
しかし協力関係を結んでいるとは言え、常日頃メアリに付き添うマルコーとは異なり、ダグにできる事は多くはない。ルナの傍仕えである侍女やシモンにそれとなく話を聞き、ルナに裏の顔が無いか探るほどの事しかできずにいるのだ。それも成果と呼べるような成果は無い。ルナについて聞く評判と言えば「裏表なく素直なお方」「王妃候補とは思えぬほどに腰が低い」などとダグが望む評価とはまるで正反対の物ばかり。果ては「レイバック様とルナ様の掛け合いは軽やかで聞いていて心が和みます」などと蜜月関係を聞かされる始末だ。ルナを貶めレイバックの妃候補から外させるほどの情報は何もない。その事がダグの苛立ちの原因の一部でもあった。
ダグの胸中を知ってか知らずか、マルコーは不意に口の横に手を添え、内緒話とばかりに声を潜める。
「なぁダグ。一つ頼まれてくれんか」
「何でしょう。焼け石に水とならぬ手立てがありますか」
「2日後、使節団員はポトスの街に下り街中を散策する予定になっている。そこにレイバック様が参加できぬものかと、お前の口から進言を行ってはくれぬか」
「…レイバック王に直接ですか」
「そうだ。ルナ様に罵詈を投げているのだから、私はレイバック様の信用を失っている。街歩きに同行を願いたいと言ったところで、裏があると断られて終いだ。しかし幸いにもお前と私の懇意の関係は、レイバック様を含む王宮の者には気付かれていない。十二種族長であるお前が直接進言をすれば、レイバック様とて耳を傾けるだろう」
「…ふむ」
「レイバック様を連れ出してさえもらえれば、後は私が上手くやる。メアリ姫とレイバック様を2人きりにして何とか仲を深めていただこう。進言の際に、極力メアリ姫の心に寄り添うようにとの口添えを頼む。レイバック様に無下に扱われ涙を流しているとうそぶいても良い。嘘ではないからな」
ダグは思案する。十二種族長は王に対して自由な言動の許される地位だ。悪魔族長のザトや妖精族長のシルフィー、兵士兼任の種族長は、レイバックと歓談をしている姿を王宮内で見かけることがある。しかしダグは人間族長の地位に就任してから、私用でレイバックと話をした経験はない。単身執務室に立ち入った経験すらないのだ。しかし、だからこその機でもある。今まで王への進言を行った経験のないダグが直接執務室にやってくれば、レイバックとて何事だと話に耳を傾けることだろう。マルコーとの協力関係に報いる絶好の機でもある。
「わかりました。レイバック王に直接申してみます。メアリ姫は涙を流されていた件については、進言の際に使わせていただきます。多少誇張致しますので、齟齬がないよう上手く誤魔化してください」
「ああ、構わんよ。いやはや持つべき者は気心の知れた友だ。宜しく頼むよ、ダグ」
「我々の目指すべき場所は同じです。2国の幸多き未来のために、何としてもレイバック王とメアリ姫の縁をお繋ぎ致しましょう」
ダグとマルコーは顔を見合わせて笑い、茶の注がれた茶器をどちらともなく掲げた。
事の発端は2週間前だ。隣国の王アポロからの文により、レイバックとメアリの縁談話が持ち上がった。文の内容をレイバックから聞かされた時、ダグはいたく舞い上がったのだ。
ダグは今年で50歳になる人間の男だ。15年前に十二種族長の一人である人間族長に任命され、それ以来国家のためにと我が身を削って公務に打ち込んでいる。しかし十二種族長の中でダグの立場は弱い。人間であるということが原因ではない。ドラキス王国では人間も魔族も等しい地位が約束され、差別や偏見の類は存在しない。しかし数百年の時をレイバックの家臣として過ごす魔族の種族長と並べられれば、ダグの在任歴など瞬きほどの時間でしかない。
十二種族長の中でダグに次いで在任期間が短い小人族長の男でも、その期間は100年を超える。表向き種族長の立場は12人全員が平等となっている。しかしその在任期間が長ければ長いだけ、当然王に対する発言権も強くなる。現に悪魔族長であるザトはレイバックが即位の時より王宮に仕えており、国家のナンバー2として誰もが認めている。
レイバックとメアリの結婚は、ダグにとっては大きな転機だったのだ。人間であるメアリが王妃となれば、同じ人間であるダグの発言はレイバックにとって軽視し難いものになる。ダグが国家にとって重要な存在となる、又とない機会だったのだ。
しかしレイバックはルナを連れてきた。恋人であるルナを盾にしてメアリとの縁談を断ると言う。更にダグを苛つかせるのは、レイバックがルナを妃に据えるつもりがないと言い放ったことだ。妃にならぬ女を妃候補だとでっち上げるくらいならば、縁談を快く受けメアリを妃に迎え入れれば良いのだ。ロシャ王国との繋がりは強固になり、魔導具との共同開発も円満に進む。魔族の王であるレイバックにとって、人間であるメアリの寿命などほんの一時だ。ほんの一時偽りの愛を誓えば全てが手に入るというのに、レイバックは頑なにそれを拒む。
それでも妖精のように愛らしいメアリを目の前にすればレイバックの心も変わるだろうかと、ダグは僅かながらの期待を抱いたのだ。しかしこれもまるで駄目。レイバックはルナの客室には足しげく通っているというのに、メアリとはまともに話す場さえ設けようとしない。何もかもがダグの望む通りに進まないのだ。
ダグが足音荒く王宮の廊下を進んでいると、一角で見知った男と鉢合わせた。
「マルコー殿」
「おや。ダグ」
鉢合わせた男は、ロシャ王国外交使節団の付添人マルコーであった。マルコーとダグは旧知の仲だ。ダグは元々ロシャ王国の生まれで、若かりし頃はアポロの前任であるヨゼフ前国王の臣下として働いていたのだ。その頃、ダグの直接の上司であった男がマルコーだ。つまりダグにとってのマルコーは過去の上司なのである。その後ダグは5年の奉公を経て、規律厳しいロシャ王国での生活に疲れ、気ままな暮らしを求めて単身ドラキス王国に移住した。しかし結局は慣れた王宮の官吏として働くことを選び、地道な仕事ぶりが認められ35歳の時に人間族長へと就任したのだ。
ダグがマルコーと再会したのは、人間族長の地位に就いて間もなくの頃であった。その頃にはマルコーも現国王アポロの元で重責を担い、使節としてドラキス王国の王宮を訪れることが年に数度あったのだ。たまたま再開した2人は近況報告と銘打って食事を共にし、それ以来マルコーの訪問のたびに酒や食事を楽しむ仲となった。勿論互いに国家の重鎮であるのだから、安易に国政に関する情報を漏らすことはしない。それでも旧年の上司と部下の関係に等しく、ダグはマルコーを慕い、マルコーはダグを信頼していた。
「どこかへ行く予定だったか?」
「いえ。これと言って急ぎの用はないのですが…」
マルコーの問いに、ダグは口籠る。レイバックとメアリの縁談が上手く進まぬことにいらいらとして、王宮内を意味もなく歩き回っていたなどとは言い難い。急ぎの用はないとのダグの言葉に、マルコーは途端に笑みを浮かべる。
「では、どこかで茶でも飲まんか。丁度お前と話したいと思っていた所だ」
「よろしいですよ。でしたらぜひ、私の執務室にいらしてください。不在の札を掛けておけば人は入りませんから」
マルコーの話したい内容とは、恐らくはダグの憂いに等しい物だ。レイバックがメアリを蔑ろにすることへの憤り、もどかしさ。ルナという存在の厭わしさ。同じ思いを抱く者同士愚痴を零しあえば、多少気は晴れるのだろうか。2人は連れ立ってダグの執務室へと向かうのであった。
マルコーを執務室へと招き入れたダグは、けやき扉の外側に「不在」の札を掛けた。十二種族長の執務室に鍵は付いていないが、不在の札を掛けておけば余程のことがない限り人が立ち入る事はない。マルコーに応接用のソファを勧め、ダグは茶器を持って執務室を出た。十二種族長の執務室がある王宮の3階には2か所の給湯室がある。通常茶の給仕は侍女が行ってくれるのだが、好みの茶を淹れるために自ら給湯室に赴く十二種族長も少なくはない。
茶器に湯を注いだダグは、人目に付かぬようひっそりと執務室へと戻った。「不在」の札を再度確認し、部屋の扉をしっかりと閉める。その時マルコーはと言えば、ソファに座り執務室の内装を興味深げに眺め回していた。2人は長い付き合いではあるが、ダグがマルコーを執務室に招き入れるのは初めてのことなのだ。
「これと言った特徴もない部屋だな。金はあるのだろうから、凝った物を買えば良いのに」
そう言ってマルコーが撫でる応接用のテーブルは、ダグが前任の人間族長から引き継いだ物だ。就任時に買い替えた物も幾つかあるが、多くは前任者の私物をそのまま使っている。十二種族長の給金は確かに高額であるが、調度品に多額の金をつぎ込むほどの拘りがダグにはないのである。
マルコーの言葉にダグは笑い声を返すに留め、テーブルの上に2人分の茶を淹れた。
「それでマルコー殿。私に話と言うのは?」
「ああ。想像の通りメアリ姫のことだ」
「レイバック王との間で何か進展がありましたか」
「いや…訓練場での一件を聞き及んだか?」
「ルナ様とメアリ姫が剣技での試合をした、という話を小耳に挟みました。ルナ様が傷を負い、レイバック王が大層心配しておられたと」
「それだけか?」
「…はい」
マルコーは溜息をつく。カップに注ぎ入れられた茶が香ばしい香りを放つが、マルコーがカップに手を付けることはない。
「全く嫌になる。いつだって話題の中心はルナ様だ。私が何のために悪役を演じたと思っている。メアリ姫の剣技の素晴らしさを他に広め、レイバック様の傍らに立つ者として相応しいことを知らしめるためだろうが。そのためにレイバック様との試合の場を設けたというのに。ついでにルナ様に恥を見せてやろうなどと欲を掻いたのがいけなかったのか?しかし思惑をことごとく邪魔立てされて、私とて腹が立っているんだ。少しくらい鬱憤を晴らしても罰は当たるまい…」
垂れ流されるマルコーの文句を聞きながら、ダグは事の経緯を理解する。マルコーとしてはメアリの剣技を皆に広め、ついでにルナを貶める目的で剣技の試合を設定した。しかし思う通りには行かないもので、「メアリ姫との試合で怪我を負ったルナ様を、レイバック様は大層心配しておられる。何と仲睦まじいことでいらっしゃる」というマルコーにとって予想外の美談が広まってしまったのだ。現にダグが小耳に挟んだ訓練場での一件の噂に、メアリの剣技の素晴らしさは一言も含まれていない。
「レイバック王にも困ったものです。外交使節団という地位に紛れているとは言え、メアリ姫は立派な国賓。もう少しまともな接待を行わねば国家の恥にもなりかねません」
「全くだ。先の訓練場の一件にしても、レイバック様は外交使節団の接待に来たと仰りながらも、さも当然のようにルナ様の横に腰を下ろす。接待するというのならば、メアリ姫の横に座り雑談を交わせばよろしいのに」
「メアリ姫も気の毒でございますね。彼女はアポロ王の命を受けてドラキス王国にいらっしゃったのでしょう。17の御身で他国に嫁ぐ覚悟をなさったというのに、まさか当の結婚打診相手にああも冷淡な態度を取られるとは。胸中を想うと心が痛みます」
「正にそれよ。あれはドラキス王国に到着した翌日であった。メアリ姫はルナ様を前にして涙を流していらっしゃったのだ。自分はアポロ王の期待に沿うことができぬ、レイバック様に一つの想いも伝えずして帰国せねばならぬことが辛いと仰って」
「なんと…そのような出来事がありましたか」
「しかしだな…痛ましいとは思いながらも私にできる事などたかが知れておるのだ。あれこれと画策したところで、レイバック様にメアリ姫に寄り添おうという気持ちが欠片もないのだからどうしようもない。ルナ様という妃候補がいるのだから、他の女性に現を抜かす訳にはいかぬと考えているのか。それともメアリ姫には本当に微塵の興味もないのか…」
レイバックはルナを妃に据えるつもりはない。口を衝いて出掛けた言葉をダグは飲み込んだ。それは懇意にしているマルコーにも言ってはならぬ事だ。レイバックはルナを仮初の妃候補として扱うことについて、十二種族長に対し「口裏合わせを頼む」と言ったのだ。主が望むのならば、それに応えることが家臣の務めであり義務だ。うっかり口を滑らせばダグは人間族長の地位を剥奪、それが原因でロシャ王国との友好関係に亀裂でも入ろうものならば、ドラキス王国にいることすら危うくなる。数十年の時を掛けて築き上げた地位を失うなど御免だと、ダグは喉まで出掛けた言葉を茶で流し込む。
「…レイバック王が心変わりをなさらない限り、メアリ姫との縁を繋ぐことなど不可能でしょう。王の御心がルナ様の元にある限り、我々の画策など焼け石に水です」
自らに言い聞かせるがごとくダグは言う。マルコーとダグはかつての上司と部下の関係。そして今はメアリをレイバックの妃に据えるために協力関係を結んでいる。マルコーは主であるアポロの望みを叶えるために、そしてマルコーは自らの地位の向上のために。目指す場所は同じなのだ。
しかし協力関係を結んでいるとは言え、常日頃メアリに付き添うマルコーとは異なり、ダグにできる事は多くはない。ルナの傍仕えである侍女やシモンにそれとなく話を聞き、ルナに裏の顔が無いか探るほどの事しかできずにいるのだ。それも成果と呼べるような成果は無い。ルナについて聞く評判と言えば「裏表なく素直なお方」「王妃候補とは思えぬほどに腰が低い」などとダグが望む評価とはまるで正反対の物ばかり。果ては「レイバック様とルナ様の掛け合いは軽やかで聞いていて心が和みます」などと蜜月関係を聞かされる始末だ。ルナを貶めレイバックの妃候補から外させるほどの情報は何もない。その事がダグの苛立ちの原因の一部でもあった。
ダグの胸中を知ってか知らずか、マルコーは不意に口の横に手を添え、内緒話とばかりに声を潜める。
「なぁダグ。一つ頼まれてくれんか」
「何でしょう。焼け石に水とならぬ手立てがありますか」
「2日後、使節団員はポトスの街に下り街中を散策する予定になっている。そこにレイバック様が参加できぬものかと、お前の口から進言を行ってはくれぬか」
「…レイバック王に直接ですか」
「そうだ。ルナ様に罵詈を投げているのだから、私はレイバック様の信用を失っている。街歩きに同行を願いたいと言ったところで、裏があると断られて終いだ。しかし幸いにもお前と私の懇意の関係は、レイバック様を含む王宮の者には気付かれていない。十二種族長であるお前が直接進言をすれば、レイバック様とて耳を傾けるだろう」
「…ふむ」
「レイバック様を連れ出してさえもらえれば、後は私が上手くやる。メアリ姫とレイバック様を2人きりにして何とか仲を深めていただこう。進言の際に、極力メアリ姫の心に寄り添うようにとの口添えを頼む。レイバック様に無下に扱われ涙を流しているとうそぶいても良い。嘘ではないからな」
ダグは思案する。十二種族長は王に対して自由な言動の許される地位だ。悪魔族長のザトや妖精族長のシルフィー、兵士兼任の種族長は、レイバックと歓談をしている姿を王宮内で見かけることがある。しかしダグは人間族長の地位に就任してから、私用でレイバックと話をした経験はない。単身執務室に立ち入った経験すらないのだ。しかし、だからこその機でもある。今まで王への進言を行った経験のないダグが直接執務室にやってくれば、レイバックとて何事だと話に耳を傾けることだろう。マルコーとの協力関係に報いる絶好の機でもある。
「わかりました。レイバック王に直接申してみます。メアリ姫は涙を流されていた件については、進言の際に使わせていただきます。多少誇張致しますので、齟齬がないよう上手く誤魔化してください」
「ああ、構わんよ。いやはや持つべき者は気心の知れた友だ。宜しく頼むよ、ダグ」
「我々の目指すべき場所は同じです。2国の幸多き未来のために、何としてもレイバック王とメアリ姫の縁をお繋ぎ致しましょう」
ダグとマルコーは顔を見合わせて笑い、茶の注がれた茶器をどちらともなく掲げた。
20
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説

前世が俺の友人で、いまだに俺のことが好きだって本当ですか
Bee
BL
半年前に別れた元恋人だった男の結婚式で、ユウジはそこではじめて二股をかけられていたことを知る。8年も一緒にいた相手に裏切られていたことを知り、ショックを受けたユウジは式場を飛び出してしまう。
無我夢中で車を走らせて、気がつくとユウジは見知らぬ場所にいることに気がつく。そこはまるで天国のようで、そばには7年前に死んだ友人の黒木が。黒木はユウジのことが好きだったと言い出して――
最初は主人公が別れた男の結婚式に参加しているところから始まります。
死んだ友人との再会と、その友人の生まれ変わりと思われる青年との出会いへと話が続きます。
生まれ変わり(?)21歳大学生×きれいめな48歳おっさんの話です。
※軽い性的表現あり
短編から長編に変更しています
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。

侯爵令息セドリックの憂鬱な日
めちゅう
BL
第二王子の婚約者候補侯爵令息セドリック・グランツはある日王子の婚約者が決定した事を聞いてしまう。しかし先に王子からお呼びがかかったのはもう一人の候補だった。候補落ちを確信し泣き腫らした次の日は憂鬱な気分で幕を開ける———
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初投稿で拙い文章ですが楽しんでいただけますと幸いです。


僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。
【完結】オーロラ魔法士と第3王子
N2O
BL
全16話
※2022.2.18 完結しました。ありがとうございました。
※2023.11.18 文章を整えました。
辺境伯爵家次男のリーシュ・ギデオン(16)が、突然第3王子のラファド・ミファエル(18)の専属魔法士に任命された。
「なんで、僕?」
一人狼第3王子×黒髪美人魔法士
設定はふんわりです。
小説を書くのは初めてなので、何卒ご容赦ください。
嫌な人が出てこない、ふわふわハッピーエンドを書きたくて始めました。
感想聞かせていただけると大変嬉しいです。
表紙絵
⇨ キラクニ 様 X(@kirakunibl)

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる