【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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緋糸たぐる御伽姫

17.1026年前-2

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 カミラが目覚めた時、辺りは静寂に包まれていた。カミラは自らの身体に手を当て、怪我がないことに安堵した。ふと横を見れば、共に王座に入ってきた奴隷達が皆力をなくして倒れこんでいた。カミラは慌てて娘達の口元に手を当てる。息をしている。眠っているだけのようだ。
 カミラは口元を覆っていた麻布を取り去った。数日前に官吏の服に酒を零し、激しく折檻を受けたときの傷がまだ癒えていない。アダルフィンの御前に座る今日、醜い傷跡を隠すために顔の下部を布で覆っていたのだ。気を失う直前に嗅いだ花の香りを思い出す。あの漂う泡玉が、皆を眠らせたのだろうか。

「ひっ…」

 何となく部屋を見渡し、カミラは戦慄した。辺りは一面血の海であった。扉の付近にいた兵士は、ある者は身体の一部がなくなり、ある者は何か巨大な物体に押し潰されたようにして無残に事切れていた。不自然に首を捻じ切られている者もいた。
 カミラは口元を押さえ嘔吐した。涙が溢れた。これは魔法だ。だがこんな理不尽な魔法を自分は知らない。誰がこんな事を。不安に押し潰されそうになりながら、カミラはアンを探した。
 アンがいない。王座にはアダルフィンの姿もない。

 カミラは扉を開け、廊下に出た。数名の官吏が、水を絞った後の雑巾のように捻じれて死んでいた。カミラは王宮内を駆け回ったが、すやすやと眠る奴隷達の他に生きている者はいなかった。

 ふと話し声を聞き、カミラは足を止めた。そこは王宮の裏門の近く、上階への階段がある場所だった。カミラは息を潜め声の元を覗き見る。
 階段の下に2人の青年がいた。1人は緋色の髪の青年で、腰から長剣をぶら下げている。もう1人は黒髪の青年でこちらは丸腰だった。2人の見た目の年はカミラと同じ頃のように見える。

「正午までには来ると言ったのに。あと少し遅かったらアダルフィンの慰み者にされるところでしたよ」
「悪かったって。竜体になるのは久しぶりだったから、調子を取り戻すのに時間がかかったんだ」

 黒髪の青年が、緋髪の青年に文句を言っている。カミラは2人の会話に耳を澄ます。

「アダルフィンは逃げたのか?」
「裏門から逃げましたよ。予定通りでしょう」
「ああ」
「逃げてから大分立ちますけど、追えますか?」
「竜体になれば鼻が利く。問題ない」

 竜体、聞いた事のない単語にカミラは困惑する。会話からわかることと言えば、アダルフィンは王宮から逃げ出したのだという事。そしてそれが彼らの思惑通りであるという事だ。
 ふと、黒髪の青年が身に着けている衣服がカミラの目に留まった。死んだ兵士のものを奪ったのだろう。金ボタンのついた新緑色の上着を肩に掛けており、上半身は見る事ができない。しかし下半身には白いスカートを身に着けている。青年の容姿には不釣り合いな純白のスカート。血に濡れ元の紋様はほとんどわからないが、あれはアンが身に着けていたドレスだ。
 カミラは青年の顔を凝視する。艶やかな黒の前髪には、カミラがアンのためにと選んだ真珠の髪飾りが光っていた。

「俺はアダルフィンを追う。来るか?」
「仕事が残っていますので。上層階に官吏が何人か逃げたので、始末してきます」
「逃げ出していないか?」
「昨日全ての窓に魔法で鍵を掛けておきましたから。ご心配なく」
「頼もしいな。では後はよろしく頼む」

 緋髪の青年は速足で裏門から出ていった。黒髪の青年はしばらく緋髪の青年の背中を目で追っていたが、やがて階段を上り上層階へと消えていった。
 カミラは黒髪の青年の背中が見えなくなった事を確認し、裏門から外へ出た。わずかしか時間は経っていないはずなのに、見晴らしの良い景色の中に緋髪の青年の姿は見えない。代わりに青空には一匹の緋色の竜が巨大な翼を広げ、獲物を探すように旋回していた。

 眠っていた奴隷達が目覚め始めたのと同じ頃、城下町に住まう者が王宮へとやって来た。彼らは揃って言う。緋髪の青年が町の大広間の処刑台にアダルフィンの首を掲げたのだと。王が数万の民をいたずらに処刑したその場所に。城下町の者達は王宮の内部が凄惨たる有様であることに慄然りつぜんとしながらも、囚われていた奴隷が無事であることを喜んだ。

 カミラはアンと過ごした王宮の一室にいた。狭く薄汚れた部屋の隅には、淡い輝きを放つ真珠の髪飾りが投げ捨てられたように落ちていた。カミラはその髪飾りを拾い、胸に抱きしめ声をあげて泣いた。

 暴虐の王の時代が終わった。

***

 老女は懐から小さな絹の包みを取り出し、震える手でそれを差し出した。ルナは包みを受け取り、静かに開く。柔らかな絹布には、古びて茶色に変色した真珠の髪飾りが、宝物のように包み込まれていた。

「これは…」

 ルナはその髪飾りに見覚えがあった。遥か昔、たった数日を共に過ごしただけの少女が自分の髪に飾り付けてくれたものだ。魔法で眠らせた後、生死の確認すらせず置き去りにした麦藁色の髪の少女。

「…カミラ?」

 ルナが名を呼ぶと、老女ははっと顔を上げた。麦藁色のまなこからぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。

「ええ、カミラでございます。たった3日でしたが、ジルバード王宮で共に過ごしました」
「生きていたのですか」
「生きていましたとも。当時の心労が祟り、見た目は老婆のように老いてしまいましたが、いつの日か貴女にお会いすることを夢に見ながらずっと生き長らえておりました」

 カミラは涙を零しながら、年老いた両手を握りしめ言葉を紡ぐ。

「毎日が地獄だったのです。いつ殺されるともわからず、恐怖に怯えて暮らしていました。アダルフィンにも見放され、明日には死ぬのだろうと思っていました。しかし貴女は私を救い上げてくださった。今でも鮮明に覚えています。私と仲間を甚振(いたぶ)り凌辱した官吏と兵士共が、見るも無残に事切れている様を。何とも痛快で、心が救われる思いでした。ルナ様、貴女の裁きに私の命と魂は救われたのです」

 雪崩れるようなカミラの告白に、ルナは言葉を返せずにいた。沈黙となる場で、レイバックが優しく間を繋ぐ。

「ゼータ、カミラは全て知っている。アンと名乗る娘が俺の協力者だったことも。その本来の姿が男性であるという事も」
「誰にも言わなかったのですか?1026年もの間ずっと」
「言っておりません。そうすることがお二人の意志だと思ったからです」
「そうですか…」
「せめて少しでも恩返しをと、レイバック様が即位の後は身を粉にして王宮に仕えておりました。しかしもう一人の恩人には最早会うことは叶わぬと諦めていたのです。アンの顔は覚えていても、一度横顔を見たきりのゼータ様の顔は覚えておりませんでしたから」

 1026年前。ゼータは王宮の上階部へと身を隠した官吏らを始末し、人が来る前にジルバード王宮を離れた。そうする事がレイバックとの約束だったからだ。「アダルフィンとその部下の殲滅には協力する。しかしその後の治世には一切の力を貸さない」国家の統治になどまるで興味のないゼータはそう言い、レイバックはそれを了承した。
 そうしてレイバックの協力者は史実史から姿を消し、御伽話のような絵本と赤黒の紋様だけが後に残された。幻の協力者ルナ、太陽の王と対にされた呼び名と共に。

「直接会って話がしたいなどと、迷惑な申し出であることは重々承知しておりました。ルナ様の正体を知る者はレイバック様を除き私の他におりません。しかし先日王宮内を歩くルナ様の姿をこの目に見て、溢れ出す想いを抑えることができなくなったのです。魂の恩人に一言御礼を申し上げたいと。願わくは当時の想いを僅かでも語り合えたらと」
「迷惑な申し出だなんてそんな…当時色々と教えてもらったのは私の方ですし。あの、顔を上げてもらえませんか?人にぬかづかれることには慣れていなくて…」

 ゼータがそう伝えても、カミラは頑なに顔を上げない。ゼータは戸惑い、助けを求めレイバックを見る。するとレイバックは、待っていましたとばかりに声を上げるのだ。

「カミラをルナ専属の侍女にする。必要な時以外は、他の侍女の入室は断っていい。客室内に限りゼータの姿で過ごしても構わんぞ」
「え、本当ですか」
「今後、生活に関する要望は全てカミラに伝えてくれ。カミラはザトに次ぐ古株で、侍女でありながら王宮内での発言権は強いからな。大抵の要望は叶えてくれる」

 ルナにとってこれ以上魅力的な提案はない。いつ侍女が立ち入るかわからない客室では、気が休まる瞬間がなかったのだ。レイバックに対する発言にも気を遣わねばならなかったし、女性の身体に不釣り合いな発言をしてしまわないかと常に不安が付き纏っていた。カミラが専属侍女としてルナの傍に付いてくれるのならば、諸々の不安は全て解消されることになる。

「…ただし、仮初の妃候補であるということは漏らさぬように。真実を知る者は少ない方が良い。あくまで正当な妃候補として振舞ってくれ」

 カミラの耳には届かぬようにと、レイバックは小声で囁いた。わかりました、とルナも囁く。
 カミラが立ち上がる。涙に濡れた麦藁色の瞳が、ルナを見つめる。

「私をルナ様のお傍に置いてくださいますか?」
「勿論です。よろしくお願いします、カミラ」

 ルナとカミラはどちらともなく手を伸ばし、抱擁を交わす。
 共に過ごしたときを懐かしむように。1026年の時を埋めるように。


***おまけ***
魔族の寿命は数千年。老いのスピードは人それぞれ。大怪我をしたり、強いストレス下に置かれると肉体が疲弊して老いが進む。
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