【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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緋糸たぐる御伽姫

14.陽だまりの勉強会-1

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 命懸けの憂さ晴らしから一夜明け、早朝。ルナは客室の扉が開く音で目覚めた。枕から頭をもたげて扉の方を見やれば、すっかり馴染みとなった侍女の一人が、笑顔でベッドの側へと歩いてくる。両手のひらで抱えた盆の上には、ほかほかと温かなルナの分の朝食。

「ルナ様、おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」
「はい。お陰様でぐっすり―」

 そこまで言い掛けて、ルナは慌てて口を噤んだ。侍女の口から飛び出した「昨晩」の言葉で、数時間前の記憶が鮮やかと蘇ったからだ。月明かり照らす訓練場で、心ゆくまで殴り合った昨夜。ゼータからルナに姿を変えているとはいえ、顔面にできた多数の殴打痕は健在だ。ルナは侍女から顔を隠すようにして、まだ暖かな布団の中に潜り込む。

「ルナ様、どうされました?身体に不調がおありですか?」

 気遣わしげな声音がルナの耳に届く。ことり、と朝食の盆を机に置く音。今侍女はルナのすぐ傍に立っている。

「…ぐっすり眠れれば良かったんですけれど、実は昨晩はあまり寝られていないんです。興味深い書物に出会ってしまい、読了したのはつい明け方のことなんですよ。もう少し寝ていても構いませんか?」
「構いませんよ。今日は週に一度の王宮の公休日ですから、どうぞゆっくりお休みなさってください。ロシャ王国使節団員の皆様も、まだお休みの方がほとんどです」

 穏やかな侍女の声を、ルナは毛布に埋もれながら聞いた。
 今日は一週間に一度の王宮の公休日。日頃忙しく働く王宮の侍女官吏が心待ちにする日だ。客人の接待にあたる数名の侍女以外は、ポトスの街へ食事に下りたり、私宅で読書をしたりと思い思いのときを過ごす。ロシャ王国の使節団員も同日を休息日とされているため、皆王宮内の客室で自由な時間を過ごしているはずだ。今日はポトスの街から商人がやってくる日だとシモンが言っていたから、頃合いを見て白の街へと赴く者も多いだろう。ルナは口内の切り傷を舌先で一舐めし、極力眠たげな声を作る。

「でしたら今日は一日客室でのんびりします。身繕いも必要ありませんから、今日は夕方まで部屋に立ち入らないでもらえますか?昼食は扉の前に置いていただければ結構ですから」
「畏まりました。ご要望がございましたら、ルナ様の方からお声掛けくださいませ。4階端の侍女室に、誰かしらの侍女は滞在しておりますから」

 朝食の盆は廊下の配膳台にお戻しくださいませ。そう言い残し、侍女はルナの客室を後にした。扉の閉まる音を聞き、ルナはそっと布団から這い出す。寝癖のついた黒髪を指先で梳きながら、壁に掛けられた姿見を覗き込む。

「…これは酷い」

 呟くルナの顔面には、至るところに痛々しげな青痣ができていた。夜着のすそから除く腕足にも、擦り傷や切り傷が五万とある。レイバックに蹴り飛ばされた鳩尾みぞおちも、身動きをするたびにずきずきと痛む。魔力という不可思議な力を有する魔族は、人間よりも怪我の治りが早いと言われている。また余程酷い怪我でなければ、手当をしなくとも自力での治癒が可能だ。ルナの全身の怪我も、2日も経てばある程度見られる形には落ち着くだろう。
 しかし傷痕が生々しさを保つ今日ばかりは、不用意に人と顔を合わせるわけにはいかない。王宮に滞在する王妃候補が、夜間の間に顔面を腫れ上がらせていたと知れれば一大事だ。更に悪いことに、ルナの顔に傷をつけた相手は他の誰でもないレイバック。怪我の原因を問われても、安易に答えられるはずもない。しかし週に一度の公休日を、客室に籠って終わらせるのも癪だ。たった2週間限りの王宮滞在期間。聖ジルバード教会の図書室を心行くまで堪能するのは勿論のこと、時間が許せば城の街の天幕テントにも足を運びたい。

 ルナは長いこと、鏡を前に一人考え込んでいた。姿見の傍には朝食の載った机があり、ルナは無意識に皿上のパンを掴み上げる。王宮にやって来て5度目となる朝食だ。本日の朝食は2切れのバタートーストに、具だくさんのスープ、そしてサラダと果物だ。バター浸み込むパンをもぐもぐと咀嚼するルナは、やがて良いことを思いついたと表情を明らめる。怪我を負ったルナがポトス城内を出歩くのはまずいが、ゼータの姿ならば問題なのだ。幸いにも手荷物の中には、いざという時のための男物の衣服と靴が入っている。数百人にも及ぶ王宮在籍者の顔を一人残らず把握している者がいるとも思えないから、目立つ行いをしなければ部外者と疑われることもないだろう。
 
 ならば善は急げと朝食を掻っ込んだルナは、女物の夜着を脱ぎ捨て男性へと姿を変えるのである。

***

 聖ジルバード教会の大聖堂を改修して作られた図書室には、目が眩むほどの書物が収められている。数十に及ぶ背の高い本棚、梯子を使わなければ届かないようなうず高い場所まで積まれた古書、年月の分だけ降り積もった埃。古今東西の書物の中にはこの図書室でしか閲覧する事のできない貴重な物もあるのだが、陳列の分かりにくさと図書室に籠る黴臭さから訪れる者は多くはない。王宮に到着してから既に3度図書室を訪れているゼータであるが、今まで室内で人に出くわしたことはない。
 「男の姿で客室を抜け出す大作戦」は大成功を収め、ゼータは無事図書室へと辿り着いた。途中何度か人に出くわしはしたが、休日公務に勤しむそれらの人々がゼータの存在を訝しむことはない。元より、ゼータの顔面は文官寄りなのだ。ゼータは魔法書が収められている棚で足を止め、うきうきと本を選んだ。魔法書ならば魔法研究所の書庫にも収められてはいるが、アダルフィン旧王時代の古い魔法書などは王宮の図書室でなければ閲覧することができないのだ。

 ゼータが3冊目の魔法書を脇に抱えた時であった。背後に人の立つ気配がする。図書室に人がいるなど珍しいこともあるものだと振り返れば、そこには意外な人物―メアリが立っていた。

「すみません。歴史書の棚はどこでしょうか」
「歴史書ならもっと奥の棚ですよ」

 突然の出会いに驚きながらも、ゼータは平常を装ってメアリの問いに答える。ゼータにとってのメアリは昨日剣を交わしたばかりの相手。しかしメアリにとってのゼータは初対面の人物なのだ。初対面らしい振る舞いを、とゼータは心の中で自身に言い聞かせる。

「建国前の歴史書ならそこの通路を進んだ先です。建国後の物ならもっと奥で…」

 ゼータの指さす先には、本棚に押し潰されそうな狭い通路があった。図書室内の本棚には、側面に収まる書物の種別が書かれている。例えば料理書、裁縫書、文学書といった具合だ。しかし図書室内に案内板はなく、迷路のような図書室の中で目的の棚に辿り着くことは容易ではない。
 背丈を遥かに超える本棚に囲まれ、おろおろと立ち尽くすメアリを、ゼータはじっと見据えた。

「本棚まで案内しますよ。いつ頃の書が読みたいのですか?」

 ゼータがそう言うと、メアリは花が咲いたような笑顔になる。

「ありがとうございます。ドラキス王国の建国の歴史について書かれた書物を探しています」
「建国の歴史書なら、比較的閲覧者が多いからまとまって置かれていたはずです。こっちの方に」

 ゼータは本棚の間を進む。暇さえあれば図書室に通い詰めていたゼータは、大体の書物の陳列場所は把握しているのだ。人の顔と名前を覚えるのは苦手なゼータであるが、書物と魔法に関する記憶力には人一倍の自信を持っている。
 メアリを従えたゼータが辿り着いた先は、図書室の入口付近にある本棚であった。棚の側面に書かれた「歴史:建国」の文字を確認し、並べられた書物を指でなぞる。

「この辺りの本がわかりやすいと思いますよ。選びましょうか?」
「お願いします」

 ゼータは本棚から数冊の書物を選び、メアリに手渡した。一冊また一冊と積みあがる書物を、メアリは目を白黒させながら抱え込む。やがて積みあがる書物は小さな山を形成し、図書推薦者ゼータは満足げだ。この世に享楽は多くとも、書物の推薦に勝る喜びはない。

「私は昼時まで図書室内にいますから、分からない事があったらまた聞いてくださいね」

 図書室の中には、書物の紹介や室内の案内をする役職の官吏は置かれていない。王宮や白の街に滞在する者であれば書物の貸し出しは可能だが、その場合は備え付けられた台帳に記帳する決まりになっている。せめて書物を収めた場所を記す案内板くらい設置すれば良いのに。そう思いながらゼータが歩みを進み始めれば、申し訳なさそうな声が背中に当たる。

「…すみません。図書室内に座って本を読める場所はありますか?」
「ありますよ。向こうに机と椅子が…」

 ゼータは今にも崩れ落ちてきそうな本棚の向こう側を指さし、次いで両手で本を抱えたメアリを見た。

「…案内しますよ。付いて来てください」
「ありがとうございます」

 早急に、レイバックに案内板の設置を依頼しよう。ゼータは心に決めるのであった。

***

 図書室内で最も日当たりの良い場所に、古びた長机が3つ置かれていた。長机にはそれぞれ6脚ずつの椅子が備えられている。メアリはそのうちの一席に腰を掛けて、がたつく机に本の山を置いた。ゼータはメアリから少し離れた席に腰を下ろす。脇に抱えていた3冊の魔法書を机の上に載せ、一番分厚い書物を目次から丁寧に捲る。
 数ページ読み進めたところで、ゼータはメアリの様子を盗み見た。ゼータの選んだ歴史書の一冊を開き、書物の脇にはノートと鉛筆が置かれている。ドラキス王国建国の歴史ならば、2日前の教養講義の中で語られている。何か腑に落ちない点があったのかとメアリの様子を気に掛けながらも、ゼータは手の中の書物に視線を戻す。

 30ページほど書物を読み進めたところで、ゼータは再びメアリを見た。席に着いてからもう15分ほどの時間が経っているというのに、メアリの書物は先程から全く進んでいない。置かれたノートも白紙のままだ。分かりやすい書物を選んだつもりだったが、歴史初心者には難しかっただろうか。自らの選書に不安を覚え、ゼータはメアリに声を向ける。

「本、難しかったですか?」

 陽だまりに響くゼータの声に、メアリはついと顔を上げる。

「いえ、内容はとても分かりやすいです。ですが私は、恥ずかしながら魔法や魔族というものについて全く知がありません。だからと思うのですが、書物に書かれている文章が上手く頭に入って来ないんです」

 そう言って華奢な指先が開かれた書物の一部分を指さすものだから、ゼータは席を立ちメアリの傍へと寄った。指し示された文書を流し読む。

―当時ジルバード王国を治めていたアダルフィン旧王は純血の吸血族である。幾多の吸血行為により力を蓄え、戦乱の世を治め王と成った。即位当時は賢王と謡われたアダルフィン旧王であるが、治世が50年を超えた頃から徐々に暴虐の本性が明らかになる。人間及び戦闘を好まぬ多数の魔族を奴隷へと落とし、隣国への売買を通して国益を得た。アダルフィン旧王自身もジルバード王宮内に多くの奴隷を囲い―

「…この文章の、どの辺りが頭に入ってこないですか?」
「ええと…吸血族という種族は吸血により力を蓄えるとありますが、それは強い魔法を使えるようになるという意味ですか?純血と書かれておりますが、混血よりも純血の方が高貴とされるのでしょうか」
「力を蓄えるというのは、強い魔法を使えるようになるというイメージで良いと思いますよ。純血とか混血というのは、今のドラキス王国ではあまり気にする人もいませんけど…一昔前は混血である事に拘る人もいたと聞きます。吸血族や竜族など、高い戦闘力を有するとされる種族の中には、他種族の血が混じることを厭う者が一定数はいたみたいですよ」
「吸血族と竜族は、多種族に比べ生まれつき戦闘能力が高いということですか?」
「それもありますし、好戦的な性格の人が多いんですよね。逆に妖精族や精霊族、小人族には温厚な人が多いです。巨人族は、力は強いけど性格は温厚寄り。鬼族は普段は温厚だけど、敵と認めた者には容赦がないという印象でしょうか」

 話す内に、ゼータはメアリのつまづきの理由に思い至る。ドラキス王国に暮らす者であれば、魔族や魔法に関する知識は当たり前のように持っている。当然歴史書などの書物もそれらの知識を持っていることが前提で書かれているのだ。基礎知識がないまま本を読み進めても、内容を理解することは難しい。魔族や魔法についての基礎知識を書いた本が無いわけではないが、読む者のいないそれらの本を、迷路のような図書室内から探し出すのは大変だ。どうしたものかとゼータは思い悩む。悩むゼータの耳に、澄んだメアリの声が届く。

「あの、貴方は今日お仕事で図書室にいらしているのですか?」
「私用ですよ。本が好きなので最近よく通っているんです」
「王宮の官吏の方でいらっしゃいますか?」
「いえ、所属は魔法研究所というところです。王宮からは離れた山の中にある施設ですよ。研究成果報告のために王宮に通っているんですけれど、空き時間も多いからよく図書室に来るんです」
「そうなのですか…。あの、もしお時間があればで良いのですけれど、少し雑談にお付き合いいただけませんか」
「雑談、ですか?」
「私には歴史書を読み進めるための知識が足りていないのです。魔法のこと、魔族のこと、一般的な民の暮らし。ドラキス王国で常識とされている情報を、雑談交じりに教えていただけないでしょうか。勿論ご自身の読書に障りのない程度で良いのです。もしよろしければ、なのですが…」

 そう言ってメアリは顔を俯かせる。緩やかなウェーブを描く栗色の髪が、開いた本の上に落ちる。ゼータは今まで気にも掛けなかったが、今日のメアリは昨日よりも幼げな印象だ。顔に施された化粧は薄く、少女というに相応しい愛らしい素顔が覗く。

「構いませんよ。これといって読みたい本があった訳ではないんです。黙って部屋にいるくらいなら適当に本を捲ろうと思っていただけなので、満足するまで付き合いますよ」

 メアリと仲良くなれば、唐突な縁談話の目的を聞き出すことができるかもしれない。純粋な好意とは言い難い思惑がゼータにはあった。しかしゼータとレイバックの関係を知らないメアリが、好意の裏に隠された目的に気が付くはずもない。
 こうして一国の姫としがない研究員の奇妙な勉強会が始まった。
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