【BL】齢1200の龍王と精を吸わないオタ淫魔

三崎こはく

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緋糸たぐる御伽姫

5.喜劇の幕開け

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 太陽の光が差し込む部屋で、レイバックは熱心にルナの寝顔を見つめていた。熱視線に関わらず、ソファの上で優雅に眠りこけるルナは身じろぎ一つしない。
 時計の秒針が何度目かとなる天頂を指したとき、レイバックは満足したとばかりにルナの手をつついた。

「ルナ、起きろ」

 女性の姿となったゼータが「ルナ」という偽名を名乗ることは、レイバックの提案だ。ドラキス王国の中心都市であるポトスの街では、女子にはよくルナという名が付けられる。最も有り触れた名前ということだ。
 名を呼ばれたルナはもぞもぞと身体を動かし、黒の瞳を僅かに開けた。

「…おはようございます」
「おはよう。ソファで居眠りとは呑気だな。よく眠れたか?」
「夢見は最悪でした。魔獣園の檻に入れられているんです。次から次へと見物人がやって来て、私の事を物珍し気に見るんですよ」
「それは気の毒だ。檻の鍵を探してやろう」

 レイバックは愉快げな笑い声を立てた。
 柔らかなソファから身体を起こしたルナは、さほど広くはない部屋の中を見渡した。2脚のソファと背丈の低い応接テーブル、瑞々しい花の生けられた花瓶、木製のコートハンガー、全身を映すことのできる姿見。応接室のような作りの部屋だ。しげしげと部屋の中を見渡し無言を貫くルナに、レイバックは不安の面持ちだ。

「…どうした?何か気になる事があったか?」
「いえ…眠りこける前の記憶を辿っていた所です」
「何だ。随分熟睡していたんだな。外交使節団の到着式が終わって、王宮内に戻って来たんだろう。俺は明日以降の日程の打ち合わせに参加するから、応接室で待つようルナに言ったんだ」
「ああ、そうでした。打ち合わせは終わったんですか?」
「いや、俺は先に抜けて来た。特に意見する事もないからな。本来、外国使節団の接待は官吏の仕事なんだ。例年俺は関与していない。今回はメアリ姫がいるから最低限の接待は免れんが」

 ルナが耳を澄ませば、確かに隣室の会議室からはまだ人の話し声が聞こえていた。ここは王宮の一階、小さな会議室に隣接する応接室だ。王宮外から人を招いての会議が行われる際には、客人を待たすためにこの応接室が使われる。豪華な調度品は客人をもてなすための仕様だ。

「メアリ姫に、私のことを何か聞かれましたか?」
「何も。気になっている様子ではあったな。メアリ姫は、打ち合わせの最中ずっと上の空であった」
「そりゃそうでしょうよ。メアリ姫は、結婚の顔合わせのつもりでレイの元に来たんでしょう?それなのに結婚相手が既に妃を思しき女性を連れているって、最悪でしょう。上の空にもなりますよ」

 メアリは国王アポロの命を受けて遥々ドラキス王国へと赴いた。蝶よ花よと育てられた温室育ちの姫が、突如としてろくな供もなく他国へと送り出されたのだ。レイバックとの結婚を、メアリが了承しているという確証もない。父の命で知らぬ土地に渋々赴いてみれば、結婚相手にと言われた人物は既に知らぬ女性を連れていた。考えうる限り最悪の展開である。

「そうだな…悪い初体面であったとは思う。しかし強引で早急な顔合わせを取り付けてきたのはアポロ王だ。断りの文句を考える暇も無かったからな。こちらも多少強引な手を使ったとて、文句は言われまい」
「アポロ王に、縁談を断る旨の文は送ったんですか?」
「昨日夜に発送しているから、2日後にはアポロ王の手元に届く。アポロ王がどう出るかはわからんが、妃候補となるルナがいる限り強引な手段は取りようがない」
「なら後はメアリ姫に、貴女とは結婚できないと伝えて終いですか?」
「伝えない」

 レイバックの答えに一切の迷いはない。なぜ、とルナは思う。結婚を申し込まれたのなら、本人に直接断りを入れるのが礼儀であろうに。戸惑いを露わにするルナとは対照的に、レイバックは至って冷静だ。

「今回の縁談は、俺とアポロ王の間で内密にされた話だ。メアリ姫との縁談は、正式な手順を踏んで持ち込まれたものではない。即ちこの縁談は、アポロ王としても公に持ち出せる話ではないんだ。たった一人しかいない王家の血を継ぐ娘を、あろう事か魔族の王の元に嫁がせようとするのだから、公にできる話ではないというのも当然だ」
「それは…そうですね」
「アポロ王としては、俺がメアリ姫に惚れ込んだという体裁が欲しいんだ。見分を広めるために外国使節団として他国に送り込んだ娘が、その国の王に見初められた。民にも家臣にも十分な説明が付くだろう。アポロ王は自身の不監督を責められることなく、2国の繋がりは過去に類なく強固なものとなる。そういう筋書きなのさ。だから俺はメアリ姫に余計な事を言う必要はない。縁談を断る意は既にアポロ王への文にしたためてあるし、メアリ姫にも伝わったはずだ。それで十分なんだ。後は国賓として最低限の接待を済ませ、何事もなくメアリ姫を国に送り返せばよい。魔族の王に嫁がされそうになったと、メアリ姫の名に傷が付くこともない」

 ソファに腰かけ、すらすらと言葉を述べるレイバック。ルナはぽかんと口を開けた。
 テーブルの上に置かれた紅茶のカップを、レイバックはさも自然と手に取る。それは待合室に案内された当初に侍女が入れてくれた、ルナの分の紅茶だ。一口も口を付ける事なく冷めきってしまった紅茶に、レイバックは躊躇いなく口を付ける。数度こくこくと喉を鳴らし、それからはたと声を上げる。

「何を見ている?」
「いえ…よく考えているんだなと思って。何だか王様みたいです」

 レイバックは、ルナの言葉の意味がわからぬというように首を傾げた。王様なのは知っているだろう、とでも言いたげだ。

「レイとはただの茶飲み友達だったじゃないですか。こうして王様をしている姿は初めて見ます。国同士の付き合いを考えて、少ない情報から人の気持ちを汲み取って、賢王という噂は本当なんですね」
「カフェで茶を飲むことが、俺の仕事だと思っていただろう」
「正直そう思っていました」

 レイバックとゼータは古くからの友人ではあるが、仕事上の接点はない。ゼータの所属する魔法研究所は国家直属の機関であるため、ゼータが王宮を訪れる機会が全くない訳ではない。しかしただの研究員でしかないゼータが、一国の王であるレイバックと話をする機会などないのだ。レイバックとゼータの関係を知る者は王宮にはいない。

「さて本題に入ろうか。明日以降の外交使節団の予定だな。明日は一日休息日だ。ロシャ王国の首都からドラキス王国の王宮までは丸一日の道程だ。長旅で疲れている者も多いだろうから、ポトス城内で好きに過ごしてもらう事になっている。俺も通常通りの執務に当たるから、ルナも気ままに過ごしてもらって構わない」
「魔法研究所に行っていても良いという事ですか?」
「急用がないのであれば城内にいてくれ。何かと打ち合わせる事はあるだろうし」
「では一日図書室に籠ります。何かあったら来てください」
「了解した。行動が単純で助かるな」
「人を動物みたいに言わないでくださいよ」

 ルナは唇を尖らせるが、レイバックはさも愉快と笑い声を立てる。
 ルナ―ゼータは魔法好きかつ無類の本好きだ。魔法研究所にあるゼータの研究室にはいくつもの本棚が置かれているし、併設する生活寮の私室にも、分厚い書物の詰まった本棚が置かれている。週に一度のレイバックとの茶会の折に魔法書を持参し、貴重な歓談の時をただひたすらに魔法書の賛辞で終わらせた事も幾度となくあるのだ。一度魔法について語り始めたゼータの口を止める事は不可能で、レイバックは小一時間「そうか」「それは凄いな」の二言を繰り返して過ごすのである。

「休息日が明けて2日間は、使節団員にはまとまって動いてもらう事にしている。初日…明後日の午前中はドラキス王国の教養講義だ。使節団員は皆、ドラキス王国に立ち入った経験のない者ばかり。簡単な歴史の講義と、地理や特産品の紹介を行うと言っていたな。もし良ければ参加しないか?」
「…私がですか?ロシャ王国の外交使節団に一人混じって?」
「そうだ。王妃教育の一環という事でどうだと、講義担当の官吏から声が掛かっている」
「王妃教育ねぇ…」

 ルナは溜息を零す。いくら王妃教育を受けさせられても、ルナが実際に王妃となる日など来ない。2週間の時が経てば、王妃候補の存在は王宮から消える。ルナはゼータとして、魔法研究所の研究員としての生活に戻るのだから、最早誰もルナの存在に辿り着くことはできなくなる。そうなった時に官吏や侍女の落胆やいかにだ。彼らはルナが、真にレイバックの王妃候補であると信じているのだから。
 しかし尻拭いは全てレイバックの仕事だ。ルナはただ2週間、妃候補に相応しい行動を取っていれば良い。

「王妃教育と言われれば断るのもおかしいですし、参加しますよ。場所は?」
「場所は横の会議室だ。9時に来てくれ。担当官吏には話を通しておく。教養講義は午前中で終わる予定で、午後は使節団員が持参した魔導具をお披露目してもらう。場所は同じ会議室。時刻は13時から。参加の有無は聞く必要がないな」
「魔導具…」

 途端に笑顔となり、口を開こうとするルナ。満面の笑顔の前に、レイバックの手のひらが差し出された。魔導具に対する熱い思いを語るのは、話が全て済んでからにしてくれたまえ。長年の友の性分を、レイバックはよく理解しているのである。

「明々後日の午前中は王宮内の案内、午後はポトス城内の散策だ。城内を一通り見た後は、兵士の訓練場を視察する予定になっている。丸一日皆がまとまって動くこととなるが、こちらも参加するか?」
「王妃教育と言われれば参加はしますけど…。何で兵士の訓練場?兵役に就いている使節団員でもいるんですか?」
「いや。訓練場の視察は毎年恒例の行事なんだ。ほら、王宮軍の兵士は巨人族や獣人族が多いだろう。見た目が人間とは大分違うから、魔族を目にした事のないロシャ王国の者にとっては面白いんだとさ。王宮の官吏や侍女は、人間寄りの見た目の者が多いからな」
「なるほど」

 一口に魔族と言っても、その外見は種族によって大きく異なる。例えば悪魔族や吸血族、妖精族には、どちらかと言うと人間寄りの見た目の者が多い。鬼族や竜族も、牙、角、鱗など身体の一部が特徴的である以外は、基本的に人間寄りの見た目であることが多い。対して巨人族は大きい者だと3mに近い巨体であるし、獣人族の一部には人から獣へと姿を変える者もいる。王宮軍の兵士には、そうした人間とはかけ離れた容姿的特徴を持つ者が多数在籍するのだ。見世物と言えば言い方は悪いが、魔族を目にした経験のないロシャ王国の民にとってはさぞ面白い光景であろう。

 ひとまずの予定が決まったと、レイバックは笑顔で紅茶を飲み干した。ルナのために入れられたはずの紅茶は、ルナが一口も口にする事なくレイバックの腹へと収まってしまった。

 にわかに扉の向こうが騒がしくなった。隣室の会議室で行われた打ち合わせが終わり、使節団員が廊下へと出たようだ。空になったカップをテーブルに置き、レイバックは席を立つ。

「終わったようだな。俺はこの後、使節団員と昼食を共にする事になっている。同席するか?」
「申しわけありませんが欠席します。身支度をするからと日が昇る前に起こされたので、眠たいんです。頭が回らずボロを出しても困りますし、客室で一人食べますよ」
「ああ、無理強いはしない。寸劇はまだ始まったばかりだからな。途中で息切れされても困る」

 舞台はまだ幕が上がったばかり、喜劇となるか悲劇となるかはまだわからない。

「2週間よろしく頼むよ。俺の妃殿」

 悪餓鬼のように笑うレイバックは、靴音と共に扉の向こう側へと消えた。
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