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緋糸たぐる御伽姫
4.御伽姫
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ルナの偽名を名乗るゼータは、客人という立場で王宮の客室に滞在することになった。そして慣れぬ客室で息つく暇もなく、到着の翌日には外交使節団の到着式に参加することとなったのだ。妃候補として扱われるのだから、当然のように衣装は豪華なドレス。人生の大半を男性の姿で過ごすゼータが女性の正装に対する知を持ち合わせているはずもなく、髪形から靴に至るまで全て侍女にお任せだ。しかし全ての選択をプロに任せたからこそ、出来栄えは「自称まずまず」というところである。
レイバックとルナが連れ立って向かった王宮の正門前には、既に多くの人がたむろしていた。さほど広くはないポトス城正門の外側に、煌びやかなドレスや燕尾服をまとった人々が集まる様子は正に圧巻。正確な人数は分からないが、百を優に超える人が集まっている。
「大所帯とは聞いていましたけど、これは想像以上です」
「これでも相当人数は絞ったんだ。参列希望者があまりに多くてな。全員参加を許すと、馬車の停まる場所がなくなってしまうほどだった」
「参列者の選抜はくじ引きですか?それとも抽選?」
「さぁ。ザトに一任したから俺は知らん。気になるのなら直接聞いてくると良い。外交使節団の到着まではまだ時間がある」
レイバックの指さす先には、城壁に背を預けるザトの姿がある。辺りにたむろする官吏と思われる男性陣とは異なり、ザトは燕尾服を着用していない。襟のある白いシャツの上に着用するのは、すその長い抹茶色の上着だ。袖口や前身頃には緋色の糸で細かな刺繍がされており、胸元には王宮の紋章が付けられている。隣にいる黒髪の青年も同じ作りの上着をまとっているところを見るに、それが十二種族長の礼服に当たるようだ。そうかと思いきや、近くにいる妖精族長のシルフィーと、別の十二種族長の女性は鮮やかなドレスをまとっていたりもする。礼服と言っても厳格な物ではないらしい。
話題と時間があるのならば、国家のナンバー2であるザトとの接触を試みてみようか。一歩足を踏み出したルナであるが、深い皺の刻まれたザトの眉間を見て思い留まった。とてもじゃないが、昨日5分程度顔を合わせただけのルナが気安い口を聞けるような顔には見えないのだ。あれがザトの平常時の顔をいう可能性もあるが、社交の得意ではないルナが突撃を噛ますにはいささか難易度が高すぎる。
「…止めておきます。あまり機嫌が良いように見えませんし」
「そうか?ザトの仏頂面はいつものことだ。強面だが気さくな良い奴だぞ。一緒に行くか?」
「いえいえ。お気になさらず。接触は後日試みます。人目の中の突撃は、小心者には難易度が高い」
「そうか…」
レイバックは残念そうである。
時間に余裕を持って正門前に赴いたため、外交使節団の到着予定時刻まではまだ時間がある。待つ以外にすることのないルナとレイバックは、ひたすら歓談に興じた。正門前の広場の片隅に立っているにも関わらず、絶えず侍女や官吏らの視線を受ける。昨日ルナが十二種族長と相対した後に、王宮内部にはルナの存在が広く告知されている。もちろん表向きルナの立場は「レイバックの妃候補」、建国以来初めてとなる妃候補の滞在に、王宮に存する者は皆興味津々なのだ。人目に慣れたレイバックは平然とした様子であるが、観衆慣れしないルナは極力皆の視線に触れぬようにと、レイバックの陰に隠れ声を潜めるのである。
「官吏と侍女の着るドレスと燕尾服は自前ですか?王宮の貸し出し?」
「自前だな。王宮に勤める官吏は、雇用当初に官吏服と正装を併せて購入することが習わしになっている。侍女は侍女服とドレスだな。正装は必ず必要というわけではないが、王宮に勤める以上急遽正装を着用せねばならん機会がないとは言い切れない。ドレスや燕尾服は一点物だからな。値も張るし突然買えるような代物ではないから、皆初めに揃えてしまうんだ」
「急遽正装を着用する機会なんてあるんですか?」
「滅多にはないが…。直近だと10年ほど前、アポロ王が王妃殿と連れ立って王宮を訪れた際に、急遽大規模な晩餐会が開催された事があった。王宮の一階にある賓客の間という巨大な広間で催したんだが、あの時は在中する官吏も侍女も手当たり次第に参加させた。本来ならば国内から各集落の首長を招かねばならんところだが、晩餐会の開催が突然すぎて招集が間に合わなかったんだ」
「なぜそんな唐突に晩餐会を?」
「文のやり取りが上手くいかなかったんだ。王妃が同行する旨をしたためた文がうちに届いていなかった。国家間の文の往来は紛失が付き物だが、王宮間の文が届かないというのは初めての事態でな。アポロ王の来訪はその時で4度目だったから慣れたものだと高を括っていたら、まさかの王妃殿の同行だ。焦った焦った」
「へぇ…そんな事もあるんですね」
「滅多にあるわけじゃない。そもそもうちが友好関係を結んでいる国はロシャ王国だけだし、正直官吏や侍女が王宮で正装を着用する機会は皆無に等しい。それでも一着持っていれば街の祭りで着られるし、最近だと魔族同士の結婚式も増えているだろう。何かと便利らしいぞ」
成程とルナは頷く。確かにルナ―ゼータもいざという時の燕尾服を1着所有している。頻繁に着る機会があるわけではないが、持たずにいるには不安な代物なのだ。今までに着用した経験は2度、魔法研究所に勤める研究員の結婚式に参列した時のみだ。
「衣服関係でもう一つ話をしよう。王宮の官吏は官吏服を、侍女は侍女服を着用しているだろう。あれは、実は200年ほど前に導入された物なんだ。それまでは、公務中に着る規定の衣服は存在しなかった。なぜ導入されたと思う?」
「…揃っていると格好が良いから?」
「残念。理由は魔族に物ぐさな奴が多いからだ。私服を許すと、突拍子もない格好で公務に当たる奴がいる。例えば文官なのに鎧を着たり、全身に毛皮を纏っていたり。裸足や上裸程度なら可愛いもんだ。暑い日には局部だけ隠して椅子に座り込んでいる官吏もいた。悪い事にその格好がある部署で流行ってしまって、流石にまずいと判断して官吏服を導入したんだ」
「笑い話ですか?」
「今話せば笑い話だが、当時はかなり切迫した状況であった。部屋の扉を開けたら、うまい具合に局部だけを隠した十数名の官吏が一斉にこちらを見るんだ。思わず剣の柄に手を掛けたぞ、俺は。内々に済むならまだ良いが、王宮には商人や一般の民も訪れるからな。国家の中枢である王宮の官吏が、ほぼ全裸で仕事に当たっているなどという噂を流されたらたまったもんじゃない」
ルナは頼りない布切れで局部を隠した十数名の官吏が、一斉に自身の元へと向かってくる異様の光景を想像する。確かに恐怖だ。恐怖に慣れぬ者であれば、理性が瓦解し泣き叫ぶ事態である。
「初めに導入したのは官吏服だけであったが、その後侍女の要望を受けて侍女服も導入したんだ。デザインは侍女頭に一任したが、これが中々評判が良くてな。侍女服を着たいがために公募に応募してくる女性も多い。…とまぁこれが官吏服と侍女服の導入された理由だ。着用は義務ではないが、そういった経緯で日々着用する者がほとんどだ」
「成程。愉快な情報をありがとうございます。今度魔法研究所の飲み会で皆に話してみますね」
レイバックとルナの会話が一区切りした時に、燕尾服を着た老齢の官吏が叫んだ。「間もなく外交使節団が到着されます」広場に集まる者は皆、一斉に森の中の小道を眺めやる。ポトスの街へと続く道の向こうには、確かに客車を引いた白馬の姿が見えた。ドラキス王国内で白馬は飼育されていない。高貴を表す純白の馬は、隣国ロシャ王国の王族の間で好まれる。つまり今道を駆けてくる馬車は、ロシャ王国を発ち遥々この場所へとやって来たのだ。
「整列」
ザトの声が広場に響き、たむろしていた者達は颯爽と動く。開け放たれた門を背に十二種族長が横並びに立ち、その後ろに官吏と侍女が整然と立ち並ぶ。その間僅かに15秒、訓練された兵士のように一糸乱れぬ動きであった。整列から弾き出されたルナは狼狽える。到着式に参列せよとの命は受けたが、どこに立てば良いのかまでは指示されていないのだ。子羊のように彷徨うルナの手を、レイバックが引いた。
「何をしている。ルナはこっちだ」
「え?一番後ろじゃなくて?」
「なぜそうなる。妃の立ち位置は王の横だろうが」
「妃じゃありませんけど」
「候補だろう。堂々としていろ」
「いやいや…目立ちますって」
「目立ってくれた方が良いんだって」
ささやかな抵抗虚しく、ルナはレイバックの真横に立つ羽目となった。整然と並ぶ百数十名の人々を背にし、致し方なしとルナは腹をくくる。間もなく小道を駆けてきた白馬の馬車が、正門前の広場で停車した。馬車は全部で3台、白を基調とした客車は見るからに高貴で、ポトスの街で頻繁に見掛ける安価な客車とは大層な違いだ。
先頭の客車の扉が開き、年配の男が降りてくる。恰幅の良い白髪交じりの男だ。次いで男の手を借りて1人の少女が降りて来る。ウェーブのかかった栗色の髪を背中まで垂らす、愛らしい顔つきの少女だ。髪と同じ栗色の瞳はつぶら、白い肌に紅の唇、まるで精巧に作られた人形のような容姿である。名を聞かずとも分かる。彼女がアポロ王の愛娘、メアリだ。
先頭の客車に乗っていた者は年配の男とメアリのみであった。後方に止まった2台の客車からは続々と人が降りてくる。年齢も性別も服装も千差万別である6人の人間、こちらが本来の外交使節団の者達のようだ。客車を降りた使節団員は馬車の前に一列に並び、1歩前に進み出た年配の男が恭しく一礼をする。
「盛大な出迎えに感謝致します。私は今回旅路の引率を仰せ付かったマルコーと申します。アポロ王の使節として何度か王宮を訪れた経験もございます。どうぞ御贔屓に」
「長旅御苦労。国王のレイバックだ。マルコー殿とは何度か顔を合わせた事があるな」
「ええ、ええ。前使節の折には晩餐を共にさせていただきました」
ルナの横より一歩前に進み出たレイバックは、マルコーと固い握手を交わす。数秒の触れ合いの後に2つの手のひらは離れ、レイバックは一列に並ぶ使節団員に視線を移した。
「マルコー殿。早速だが使節団員の紹介を頼めるか。今回は皇族より参加があると聞き、皆が貴殿らの到着を心待ちにしていたんだ」
「左様でございましたか。では早速。メアリ姫、どうぞ前へ」
名を呼ばれた少女は、背筋を伸ばしマルコーの横へと進み出た。華奢な指先が桃色のドレスの裾をつまむ。彼女が幾度となくそうして腰を折ってきた事がわかる、洗練されたカーテシーだ。
「皆様、初めまして。メアリと申します。現国王アポロの長子にて先月17歳を迎えたばかりにございます。恥ずかしながら、私は生まれてこの方ロシャ王国を出た経験がございません。行く行くはロシャ王国の民を導く者として、隣国であるドラキス王国に一度ほどは赴きたいと、父に無理を頼み急遽旅路に同行させていただきました。魔法のこと、魔獣のこと、そして魔族である皆様の暮らし、私は何一つ知りません。この旅は私の成長の旅であり、この王宮で過ごす2週間は、私の未来を変える最初の最後の機会です。どうぞ一国の姫とは思わずに、私に接してくださいませ。最後になりますが、ドラキス王国とロシャ王国の友好が末長く続きますことを」
幼さの残る外見とは裏腹に、しっかりとした口調でメアリは挨拶を終えた。割れんばかりの拍手が起こる。流れるような挨拶の中で一文がルナの頭に残る。
―この王宮で過ごす2週間は、私の未来を変える最初の最後の機会です
メアリに見惚れる官吏と侍女は、その一文を気に留めた様子はなかった。しかしそれは確かにメアリとレイバックの縁談を指している。レイバックがメアリを妃として迎えれば、彼女の未来は大きく変わることとなる。
挨拶を終えたメアリは後ろに下がり、続いて隣に立つ金髪の青年が一歩前へと進み出た。見た目の年齢はレイバックとルナと同じ頃、整った顔立ちの青年だ。
「クリスと申します。ロシャ王国の首都リモラにある魔導大学に在籍しています。専攻は―」
クリスと名乗る青年が挨拶を述べる中、ルナは自身を見つめる2対の瞳に気が付いた。視線の主はマルコーとメアリ。見開かれた2対の瞳は、一心にルナを見つめている。凝視の理由は安易に想像がつく。レイバックの傍らに立つルナの存在に戸惑いを感じているのだ。王の傍に立つ女性が、一介の官吏や侍女であるはずがない。王であるレイバックの真横に立つ者がいるのならば、それは妃か妃に近しい立場の人物であるはずだ。
探るような視線を受けて、居心地の悪さを感じたルナはひっそりと俯く。クリスと名乗った青年が挨拶を終え、沸き起こる拍手がどこか遠くに聞こえる。
―この王宮で過ごす2週間は、私の未来を変える最初の最後の機会です
メアリの言葉は、ルナの脳裏にこびりついて離れない。
レイバックとルナが連れ立って向かった王宮の正門前には、既に多くの人がたむろしていた。さほど広くはないポトス城正門の外側に、煌びやかなドレスや燕尾服をまとった人々が集まる様子は正に圧巻。正確な人数は分からないが、百を優に超える人が集まっている。
「大所帯とは聞いていましたけど、これは想像以上です」
「これでも相当人数は絞ったんだ。参列希望者があまりに多くてな。全員参加を許すと、馬車の停まる場所がなくなってしまうほどだった」
「参列者の選抜はくじ引きですか?それとも抽選?」
「さぁ。ザトに一任したから俺は知らん。気になるのなら直接聞いてくると良い。外交使節団の到着まではまだ時間がある」
レイバックの指さす先には、城壁に背を預けるザトの姿がある。辺りにたむろする官吏と思われる男性陣とは異なり、ザトは燕尾服を着用していない。襟のある白いシャツの上に着用するのは、すその長い抹茶色の上着だ。袖口や前身頃には緋色の糸で細かな刺繍がされており、胸元には王宮の紋章が付けられている。隣にいる黒髪の青年も同じ作りの上着をまとっているところを見るに、それが十二種族長の礼服に当たるようだ。そうかと思いきや、近くにいる妖精族長のシルフィーと、別の十二種族長の女性は鮮やかなドレスをまとっていたりもする。礼服と言っても厳格な物ではないらしい。
話題と時間があるのならば、国家のナンバー2であるザトとの接触を試みてみようか。一歩足を踏み出したルナであるが、深い皺の刻まれたザトの眉間を見て思い留まった。とてもじゃないが、昨日5分程度顔を合わせただけのルナが気安い口を聞けるような顔には見えないのだ。あれがザトの平常時の顔をいう可能性もあるが、社交の得意ではないルナが突撃を噛ますにはいささか難易度が高すぎる。
「…止めておきます。あまり機嫌が良いように見えませんし」
「そうか?ザトの仏頂面はいつものことだ。強面だが気さくな良い奴だぞ。一緒に行くか?」
「いえいえ。お気になさらず。接触は後日試みます。人目の中の突撃は、小心者には難易度が高い」
「そうか…」
レイバックは残念そうである。
時間に余裕を持って正門前に赴いたため、外交使節団の到着予定時刻まではまだ時間がある。待つ以外にすることのないルナとレイバックは、ひたすら歓談に興じた。正門前の広場の片隅に立っているにも関わらず、絶えず侍女や官吏らの視線を受ける。昨日ルナが十二種族長と相対した後に、王宮内部にはルナの存在が広く告知されている。もちろん表向きルナの立場は「レイバックの妃候補」、建国以来初めてとなる妃候補の滞在に、王宮に存する者は皆興味津々なのだ。人目に慣れたレイバックは平然とした様子であるが、観衆慣れしないルナは極力皆の視線に触れぬようにと、レイバックの陰に隠れ声を潜めるのである。
「官吏と侍女の着るドレスと燕尾服は自前ですか?王宮の貸し出し?」
「自前だな。王宮に勤める官吏は、雇用当初に官吏服と正装を併せて購入することが習わしになっている。侍女は侍女服とドレスだな。正装は必ず必要というわけではないが、王宮に勤める以上急遽正装を着用せねばならん機会がないとは言い切れない。ドレスや燕尾服は一点物だからな。値も張るし突然買えるような代物ではないから、皆初めに揃えてしまうんだ」
「急遽正装を着用する機会なんてあるんですか?」
「滅多にはないが…。直近だと10年ほど前、アポロ王が王妃殿と連れ立って王宮を訪れた際に、急遽大規模な晩餐会が開催された事があった。王宮の一階にある賓客の間という巨大な広間で催したんだが、あの時は在中する官吏も侍女も手当たり次第に参加させた。本来ならば国内から各集落の首長を招かねばならんところだが、晩餐会の開催が突然すぎて招集が間に合わなかったんだ」
「なぜそんな唐突に晩餐会を?」
「文のやり取りが上手くいかなかったんだ。王妃が同行する旨をしたためた文がうちに届いていなかった。国家間の文の往来は紛失が付き物だが、王宮間の文が届かないというのは初めての事態でな。アポロ王の来訪はその時で4度目だったから慣れたものだと高を括っていたら、まさかの王妃殿の同行だ。焦った焦った」
「へぇ…そんな事もあるんですね」
「滅多にあるわけじゃない。そもそもうちが友好関係を結んでいる国はロシャ王国だけだし、正直官吏や侍女が王宮で正装を着用する機会は皆無に等しい。それでも一着持っていれば街の祭りで着られるし、最近だと魔族同士の結婚式も増えているだろう。何かと便利らしいぞ」
成程とルナは頷く。確かにルナ―ゼータもいざという時の燕尾服を1着所有している。頻繁に着る機会があるわけではないが、持たずにいるには不安な代物なのだ。今までに着用した経験は2度、魔法研究所に勤める研究員の結婚式に参列した時のみだ。
「衣服関係でもう一つ話をしよう。王宮の官吏は官吏服を、侍女は侍女服を着用しているだろう。あれは、実は200年ほど前に導入された物なんだ。それまでは、公務中に着る規定の衣服は存在しなかった。なぜ導入されたと思う?」
「…揃っていると格好が良いから?」
「残念。理由は魔族に物ぐさな奴が多いからだ。私服を許すと、突拍子もない格好で公務に当たる奴がいる。例えば文官なのに鎧を着たり、全身に毛皮を纏っていたり。裸足や上裸程度なら可愛いもんだ。暑い日には局部だけ隠して椅子に座り込んでいる官吏もいた。悪い事にその格好がある部署で流行ってしまって、流石にまずいと判断して官吏服を導入したんだ」
「笑い話ですか?」
「今話せば笑い話だが、当時はかなり切迫した状況であった。部屋の扉を開けたら、うまい具合に局部だけを隠した十数名の官吏が一斉にこちらを見るんだ。思わず剣の柄に手を掛けたぞ、俺は。内々に済むならまだ良いが、王宮には商人や一般の民も訪れるからな。国家の中枢である王宮の官吏が、ほぼ全裸で仕事に当たっているなどという噂を流されたらたまったもんじゃない」
ルナは頼りない布切れで局部を隠した十数名の官吏が、一斉に自身の元へと向かってくる異様の光景を想像する。確かに恐怖だ。恐怖に慣れぬ者であれば、理性が瓦解し泣き叫ぶ事態である。
「初めに導入したのは官吏服だけであったが、その後侍女の要望を受けて侍女服も導入したんだ。デザインは侍女頭に一任したが、これが中々評判が良くてな。侍女服を着たいがために公募に応募してくる女性も多い。…とまぁこれが官吏服と侍女服の導入された理由だ。着用は義務ではないが、そういった経緯で日々着用する者がほとんどだ」
「成程。愉快な情報をありがとうございます。今度魔法研究所の飲み会で皆に話してみますね」
レイバックとルナの会話が一区切りした時に、燕尾服を着た老齢の官吏が叫んだ。「間もなく外交使節団が到着されます」広場に集まる者は皆、一斉に森の中の小道を眺めやる。ポトスの街へと続く道の向こうには、確かに客車を引いた白馬の姿が見えた。ドラキス王国内で白馬は飼育されていない。高貴を表す純白の馬は、隣国ロシャ王国の王族の間で好まれる。つまり今道を駆けてくる馬車は、ロシャ王国を発ち遥々この場所へとやって来たのだ。
「整列」
ザトの声が広場に響き、たむろしていた者達は颯爽と動く。開け放たれた門を背に十二種族長が横並びに立ち、その後ろに官吏と侍女が整然と立ち並ぶ。その間僅かに15秒、訓練された兵士のように一糸乱れぬ動きであった。整列から弾き出されたルナは狼狽える。到着式に参列せよとの命は受けたが、どこに立てば良いのかまでは指示されていないのだ。子羊のように彷徨うルナの手を、レイバックが引いた。
「何をしている。ルナはこっちだ」
「え?一番後ろじゃなくて?」
「なぜそうなる。妃の立ち位置は王の横だろうが」
「妃じゃありませんけど」
「候補だろう。堂々としていろ」
「いやいや…目立ちますって」
「目立ってくれた方が良いんだって」
ささやかな抵抗虚しく、ルナはレイバックの真横に立つ羽目となった。整然と並ぶ百数十名の人々を背にし、致し方なしとルナは腹をくくる。間もなく小道を駆けてきた白馬の馬車が、正門前の広場で停車した。馬車は全部で3台、白を基調とした客車は見るからに高貴で、ポトスの街で頻繁に見掛ける安価な客車とは大層な違いだ。
先頭の客車の扉が開き、年配の男が降りてくる。恰幅の良い白髪交じりの男だ。次いで男の手を借りて1人の少女が降りて来る。ウェーブのかかった栗色の髪を背中まで垂らす、愛らしい顔つきの少女だ。髪と同じ栗色の瞳はつぶら、白い肌に紅の唇、まるで精巧に作られた人形のような容姿である。名を聞かずとも分かる。彼女がアポロ王の愛娘、メアリだ。
先頭の客車に乗っていた者は年配の男とメアリのみであった。後方に止まった2台の客車からは続々と人が降りてくる。年齢も性別も服装も千差万別である6人の人間、こちらが本来の外交使節団の者達のようだ。客車を降りた使節団員は馬車の前に一列に並び、1歩前に進み出た年配の男が恭しく一礼をする。
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「長旅御苦労。国王のレイバックだ。マルコー殿とは何度か顔を合わせた事があるな」
「ええ、ええ。前使節の折には晩餐を共にさせていただきました」
ルナの横より一歩前に進み出たレイバックは、マルコーと固い握手を交わす。数秒の触れ合いの後に2つの手のひらは離れ、レイバックは一列に並ぶ使節団員に視線を移した。
「マルコー殿。早速だが使節団員の紹介を頼めるか。今回は皇族より参加があると聞き、皆が貴殿らの到着を心待ちにしていたんだ」
「左様でございましたか。では早速。メアリ姫、どうぞ前へ」
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「皆様、初めまして。メアリと申します。現国王アポロの長子にて先月17歳を迎えたばかりにございます。恥ずかしながら、私は生まれてこの方ロシャ王国を出た経験がございません。行く行くはロシャ王国の民を導く者として、隣国であるドラキス王国に一度ほどは赴きたいと、父に無理を頼み急遽旅路に同行させていただきました。魔法のこと、魔獣のこと、そして魔族である皆様の暮らし、私は何一つ知りません。この旅は私の成長の旅であり、この王宮で過ごす2週間は、私の未来を変える最初の最後の機会です。どうぞ一国の姫とは思わずに、私に接してくださいませ。最後になりますが、ドラキス王国とロシャ王国の友好が末長く続きますことを」
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―この王宮で過ごす2週間は、私の未来を変える最初の最後の機会です
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挨拶を終えたメアリは後ろに下がり、続いて隣に立つ金髪の青年が一歩前へと進み出た。見た目の年齢はレイバックとルナと同じ頃、整った顔立ちの青年だ。
「クリスと申します。ロシャ王国の首都リモラにある魔導大学に在籍しています。専攻は―」
クリスと名乗る青年が挨拶を述べる中、ルナは自身を見つめる2対の瞳に気が付いた。視線の主はマルコーとメアリ。見開かれた2対の瞳は、一心にルナを見つめている。凝視の理由は安易に想像がつく。レイバックの傍らに立つルナの存在に戸惑いを感じているのだ。王の傍に立つ女性が、一介の官吏や侍女であるはずがない。王であるレイバックの真横に立つ者がいるのならば、それは妃か妃に近しい立場の人物であるはずだ。
探るような視線を受けて、居心地の悪さを感じたルナはひっそりと俯く。クリスと名乗った青年が挨拶を終え、沸き起こる拍手がどこか遠くに聞こえる。
―この王宮で過ごす2週間は、私の未来を変える最初の最後の機会です
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