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伯爵家編
私の知らない恋の行方
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ダブルデート、なんて。正直なところ、あまり上手くいくとは思っていなかったのだけれど。
「近頃は癇癪を起こす回数も減っている。リチャードのお陰だろう」
出会いから二週間が過ぎ、三週間目に差し掛かった頃。もはや恒例となったレンジャー家でのお茶会、その席で。「それから君も、」とユリウスは微かな笑みをメイベルへと向けた。
「ありがとう。君にはなんの利益もないだろうに、ここまで付き合ってくれて。本当に感謝している」
「そんなっ、わたくしは何も……、策を考えたのはレオナルドさまですし、リチャードさまと親しくなられたのはキャンディさまご自身によるものですわ」
「しかし君がいなくてはリチャードも誘いに乗ってこなかった。……そうだろう?レオナルド、」
「どうしてそこで僕に振るのかなぁ……」
春の日の昼下がり、黄金の午後。風は穏やかに流れ、梢の囀りが心地いい。ここも騒々しい都の一部分に過ぎないはずなのに不思議だ。
背の高い木々に囲まれたレンジャー家の庭園、屋敷にほど近い場所に位置するガゼボには、清々しい空気が満ちていた。
……にも関わらず、湿気た表情の男がひとり。
レオナルドは溜め息をつき、不承不承の体で「そりゃあそうだろう」と肯定の意を示す。
「知っての通り、僕とリチャードは犬猿の仲だ。で、そんな僕とユリウスは友だちで、キャンディ嬢はその妹。……ときたら、誘ったところで裏を勘ぐられておしまい。リチャードだってバカじゃないからね、こうはいかなかったはずさ」
「それはそれでリチャードさまを騙しているようで胸が痛むのですけど……」
そこまで言いかけてメイベルは「いえ、」と小さく首を振る。
「実際に騙しているのですから、リチャードさまには申し訳ないことをしました……」
いままでは自分のことばかり。せっかく出会えた同志──前世を知る仲間と、どうしたら仲良くなれるのか。そんなことばかりを考えていたけれど、でも立ち止まってみればそれがどれだけ自分本位なものだったかに気づかされる。
せっかく友だちになろうと言ってくれたのに。私はその優しさを裏切ったんだわ──自己嫌悪に、メイベルの顔は歪む。
──と、その前にいい匂いのするバスケットが置かれた。
「レオナルドさま?」
それがレンジャー家のメイドが持たせてくれたものだということにはすぐ気づいた。けれど、どうして今それが目の前に置かれたのか?
訝しむメイベルへ、難しい顔をしたレオナルドが口を開く。
「花は蕾のままでも咲き初めの状態でも盛りを迎えても、それはそれで美しいものだと僕は思う」
「はぁ……?」
「けど僕個人としてはキミのそんな顔は見たくない。勝手な望みだけどね」
「それは……、その、慰めてくださっている、ということですの?」
「まぁ、そうとも言うかもね」
先程まではふて腐れたような顔をしていたのに。なのに今は大人びた顔で柔らかな微笑を浮かべている、彼。
子どもみたいで憎めない人。……なのに時々すごく鋭いところがあるのは、メイベルも既に感じ取っていた。
「けど慰めというほどのことじゃないよ。この程度の駆け引き、人間なら誰しも行って当然のことだからね。リチャードだってわかってるさ。自分が招かれた本当の理由くらい、察しがついてなきゃおかしい」
「でも、」
「それよりもね、目の前の美しい白薔薇が萎れている方が問題だよ。キミは社交界の花なんだから胸を張っていなきゃもったいない」
──でも、どうして欲しいと思った言葉をこんなにも容易くくれるのだろう?
「……ありがとうございます。けれど、あなたは言葉を飾りすぎですわ。それに食べ物で機嫌を取ろうなんて、子ども扱いなさるつもりなのかしら?」
「え、ダメだった?」
「……ローストビーフでご機嫌になる大人なんて、お前くらいだろう」
「いいじゃないか、ローストビーフ。……ねぇ、キミもそう思うでしょ?」
レオナルドが捨てられた子犬みたいな目で、甘えたような声を出す。そのせいで、つい意地悪をしたくなった。
メイベルは「どうかしら」と嘯いて、しかしその心の中には彼への感謝の気持ちが溢れていた。
落ち込んでいることに気づいてくれて嬉しかった。キャンディと出会った夜会でも、今日のことも。気づいて、慰めて、笑いに変えてくれて──だからもう、本当は彼との勝負なんてどうでもよかった。落ちる落ちないでいえば、とっくに落とされていた。恋ではないけれど、親愛の情は募っていくばかりだった。
……なんて、絶対に教えてあげないけど!
「ところでキャンディさまとリチャードさまのことですけど……、キャンディさまは何か仰っておりますの?」
話題を変えると、紅茶を淹れながらユリウスは「いや」と簡潔に答えた。
「妹とは会話らしい会話を殆どしていないからな。何を考えているのかさっぱりだ」
「それは……なんと言ったらいいか……」
わりと結構真面目に大問題なんじゃないかしら?
メイベルは口許を引き攣らせたが、何せ人様の家庭のこと。滅多やたらに口出しすることも憚られ、言葉を濁すしかない。
しかし『おかしい』と思うのはメイベルだけらしい。明朗闊達でコミュニケーション能力に秀でたレオナルドですら、メイベルの隣で「まぁそんなものだよな」と頷いている始末。メイベルは言葉を失った。
「だが癇癪が減ったのは確かだ。今まで従僕に数えさせてきたから間違いない。例えばひと月前なら朝食の席で一度、家庭教師とメイド相手にそれぞれ二度ずつ、それから俺にも一度声を張り上げていたが、昨日は家庭教師に二度で済んだ」
「そう……ですか」
それはよかった。……よかったの、かしら?
色々突っ込みたい気もしたけれど、やめておくことにした。何にせよ、事態が好転しているのなら悪いことではないだろう。メイベルはそう自分に言い聞かせる。
「ではリチャードさまと親しくなられたのは確定事項として……、でも婚約だとかのお話はまだということでよいのでしょうか?」
「そこまで話が進んでいる様子はないな。父は乗り気のようだが」
「なるほど……」
親しくなったとはいえ、それはあくまで友人として。ならばリチャードの真意はわからないまま、ということか。
……まぁでも無理強いすることではなし。メイベルには今まで通り見守る以外の道はない。
本音を言えば気になるけれど。と、好奇心から目を逸らし、バスケットの中に手を伸ばす。
焼きたてのバンズにローストビーフを挟んでいると、視線を感じた。
「……レオナルドさま?」
「ん?どうかした?」
「それはこちらの台詞ですわ。言いたいことがあるならはっきり仰って」
少しきつい言い方だったかしら。ううん、でも、間違ったことは言っていないはず。誰だってあんな物言いたげな目で見つめられたら、気になるのが普通だもの────
メイベルの正直すぎる言葉に、レオナルドはちいさく笑った。「そんなに分かりやすかったかな」と。でも気がかりだったんだよ、本当に。
「キミが、落ち込んでいたらどうしようって。そんなことばかり考えていたものだからね」
「落ち込む……?」
私が、……何について?
思い当たるところがなくて、メイベルは小首を傾げる。
それでもなお、追及の眼差しはやまない。「本当に……?」そう問うてくるレオナルドの目は、初めて見る色をしていた。グレイハウンドを思わせる目が、驚くほど真剣だ。
メイベルは戸惑った。だって、……どうして?嘘なんかついていないのに、どうして疑われなくちゃならないの?どうして私が疚しいことをしたみたいな気分にならなくちゃいけないの?
感じた後ろめたさを振り切って、鋭い灰色の目を見つめ返す。
「本当に。わたくしは何も、落ち込んでなどおりませんから」
「……そう」
「それならいいんだけど」と。煮え切らない様子で、それでも一応納得はしたらしい。レオナルドは顎を引く。
取り残されたメイベルは、何だか落ち着かない気持ちで、サンドイッチをかじった。
「……なんなのよ、もう」
呟きは誰に聞き咎められることもなく宙に消えた。
「近頃は癇癪を起こす回数も減っている。リチャードのお陰だろう」
出会いから二週間が過ぎ、三週間目に差し掛かった頃。もはや恒例となったレンジャー家でのお茶会、その席で。「それから君も、」とユリウスは微かな笑みをメイベルへと向けた。
「ありがとう。君にはなんの利益もないだろうに、ここまで付き合ってくれて。本当に感謝している」
「そんなっ、わたくしは何も……、策を考えたのはレオナルドさまですし、リチャードさまと親しくなられたのはキャンディさまご自身によるものですわ」
「しかし君がいなくてはリチャードも誘いに乗ってこなかった。……そうだろう?レオナルド、」
「どうしてそこで僕に振るのかなぁ……」
春の日の昼下がり、黄金の午後。風は穏やかに流れ、梢の囀りが心地いい。ここも騒々しい都の一部分に過ぎないはずなのに不思議だ。
背の高い木々に囲まれたレンジャー家の庭園、屋敷にほど近い場所に位置するガゼボには、清々しい空気が満ちていた。
……にも関わらず、湿気た表情の男がひとり。
レオナルドは溜め息をつき、不承不承の体で「そりゃあそうだろう」と肯定の意を示す。
「知っての通り、僕とリチャードは犬猿の仲だ。で、そんな僕とユリウスは友だちで、キャンディ嬢はその妹。……ときたら、誘ったところで裏を勘ぐられておしまい。リチャードだってバカじゃないからね、こうはいかなかったはずさ」
「それはそれでリチャードさまを騙しているようで胸が痛むのですけど……」
そこまで言いかけてメイベルは「いえ、」と小さく首を振る。
「実際に騙しているのですから、リチャードさまには申し訳ないことをしました……」
いままでは自分のことばかり。せっかく出会えた同志──前世を知る仲間と、どうしたら仲良くなれるのか。そんなことばかりを考えていたけれど、でも立ち止まってみればそれがどれだけ自分本位なものだったかに気づかされる。
せっかく友だちになろうと言ってくれたのに。私はその優しさを裏切ったんだわ──自己嫌悪に、メイベルの顔は歪む。
──と、その前にいい匂いのするバスケットが置かれた。
「レオナルドさま?」
それがレンジャー家のメイドが持たせてくれたものだということにはすぐ気づいた。けれど、どうして今それが目の前に置かれたのか?
訝しむメイベルへ、難しい顔をしたレオナルドが口を開く。
「花は蕾のままでも咲き初めの状態でも盛りを迎えても、それはそれで美しいものだと僕は思う」
「はぁ……?」
「けど僕個人としてはキミのそんな顔は見たくない。勝手な望みだけどね」
「それは……、その、慰めてくださっている、ということですの?」
「まぁ、そうとも言うかもね」
先程まではふて腐れたような顔をしていたのに。なのに今は大人びた顔で柔らかな微笑を浮かべている、彼。
子どもみたいで憎めない人。……なのに時々すごく鋭いところがあるのは、メイベルも既に感じ取っていた。
「けど慰めというほどのことじゃないよ。この程度の駆け引き、人間なら誰しも行って当然のことだからね。リチャードだってわかってるさ。自分が招かれた本当の理由くらい、察しがついてなきゃおかしい」
「でも、」
「それよりもね、目の前の美しい白薔薇が萎れている方が問題だよ。キミは社交界の花なんだから胸を張っていなきゃもったいない」
──でも、どうして欲しいと思った言葉をこんなにも容易くくれるのだろう?
「……ありがとうございます。けれど、あなたは言葉を飾りすぎですわ。それに食べ物で機嫌を取ろうなんて、子ども扱いなさるつもりなのかしら?」
「え、ダメだった?」
「……ローストビーフでご機嫌になる大人なんて、お前くらいだろう」
「いいじゃないか、ローストビーフ。……ねぇ、キミもそう思うでしょ?」
レオナルドが捨てられた子犬みたいな目で、甘えたような声を出す。そのせいで、つい意地悪をしたくなった。
メイベルは「どうかしら」と嘯いて、しかしその心の中には彼への感謝の気持ちが溢れていた。
落ち込んでいることに気づいてくれて嬉しかった。キャンディと出会った夜会でも、今日のことも。気づいて、慰めて、笑いに変えてくれて──だからもう、本当は彼との勝負なんてどうでもよかった。落ちる落ちないでいえば、とっくに落とされていた。恋ではないけれど、親愛の情は募っていくばかりだった。
……なんて、絶対に教えてあげないけど!
「ところでキャンディさまとリチャードさまのことですけど……、キャンディさまは何か仰っておりますの?」
話題を変えると、紅茶を淹れながらユリウスは「いや」と簡潔に答えた。
「妹とは会話らしい会話を殆どしていないからな。何を考えているのかさっぱりだ」
「それは……なんと言ったらいいか……」
わりと結構真面目に大問題なんじゃないかしら?
メイベルは口許を引き攣らせたが、何せ人様の家庭のこと。滅多やたらに口出しすることも憚られ、言葉を濁すしかない。
しかし『おかしい』と思うのはメイベルだけらしい。明朗闊達でコミュニケーション能力に秀でたレオナルドですら、メイベルの隣で「まぁそんなものだよな」と頷いている始末。メイベルは言葉を失った。
「だが癇癪が減ったのは確かだ。今まで従僕に数えさせてきたから間違いない。例えばひと月前なら朝食の席で一度、家庭教師とメイド相手にそれぞれ二度ずつ、それから俺にも一度声を張り上げていたが、昨日は家庭教師に二度で済んだ」
「そう……ですか」
それはよかった。……よかったの、かしら?
色々突っ込みたい気もしたけれど、やめておくことにした。何にせよ、事態が好転しているのなら悪いことではないだろう。メイベルはそう自分に言い聞かせる。
「ではリチャードさまと親しくなられたのは確定事項として……、でも婚約だとかのお話はまだということでよいのでしょうか?」
「そこまで話が進んでいる様子はないな。父は乗り気のようだが」
「なるほど……」
親しくなったとはいえ、それはあくまで友人として。ならばリチャードの真意はわからないまま、ということか。
……まぁでも無理強いすることではなし。メイベルには今まで通り見守る以外の道はない。
本音を言えば気になるけれど。と、好奇心から目を逸らし、バスケットの中に手を伸ばす。
焼きたてのバンズにローストビーフを挟んでいると、視線を感じた。
「……レオナルドさま?」
「ん?どうかした?」
「それはこちらの台詞ですわ。言いたいことがあるならはっきり仰って」
少しきつい言い方だったかしら。ううん、でも、間違ったことは言っていないはず。誰だってあんな物言いたげな目で見つめられたら、気になるのが普通だもの────
メイベルの正直すぎる言葉に、レオナルドはちいさく笑った。「そんなに分かりやすかったかな」と。でも気がかりだったんだよ、本当に。
「キミが、落ち込んでいたらどうしようって。そんなことばかり考えていたものだからね」
「落ち込む……?」
私が、……何について?
思い当たるところがなくて、メイベルは小首を傾げる。
それでもなお、追及の眼差しはやまない。「本当に……?」そう問うてくるレオナルドの目は、初めて見る色をしていた。グレイハウンドを思わせる目が、驚くほど真剣だ。
メイベルは戸惑った。だって、……どうして?嘘なんかついていないのに、どうして疑われなくちゃならないの?どうして私が疚しいことをしたみたいな気分にならなくちゃいけないの?
感じた後ろめたさを振り切って、鋭い灰色の目を見つめ返す。
「本当に。わたくしは何も、落ち込んでなどおりませんから」
「……そう」
「それならいいんだけど」と。煮え切らない様子で、それでも一応納得はしたらしい。レオナルドは顎を引く。
取り残されたメイベルは、何だか落ち着かない気持ちで、サンドイッチをかじった。
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