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エロゲーですがハルウリはご法度です

とある青年の告白

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 ──沈みがちな気持ちの僕の前に、六月のある日、ひだ飾りのあるグレーとグリーンのローブを着飾って、にこやかな彼女が現れた。
 ──僕は感じた。暗い心のどこやらに、こうした彼女のふるまいの明るい反射が届くのを。

 課題を進めようと大学の図書館を訪れた。そのはずなのに、気づけば『彼女』が好きだと話していた詩人の本を手に取っていた。ヴェルレーヌ──破滅的な人生を送った、フランスの詩人。僅かにあった幸福なひと時を切り取った、穏やかな詩が好きなのだと彼女は言っていた。

「『沈みがちな気持ちの僕の前に、にこやかな彼女の姿が現れた』……まさしくこの詩の通り、私は恋に落ちたの」

 彼女の軽やかな声が、耳元でよみがえる。気軽にしかもつつましく、凛としてしかもやさしく。──あぁけれど、オレはヴェルレーヌではないし、彼女もマッティルドではない。そんな当たり前のことに、どうしてか心は落ち着かない。石を詰められた狼のように胃の辺りが重く感じられた。
 どうしてしまったというのだろう。本を書棚に戻し、オレは天を仰ぐ。高い天井は窓から差し込む光で満たされている。白々としたそれはあまりに眩しくて、すぐに目を伏せた。
 大きな幸福も、大きな悲しみもない。そんな人生だった。みんな進学するというから大学生になり、声をかけられたからというだけで売春の手伝いをするようになった。彼らを友人と思ったことはないが、特別な理由もないから逆らうこともなかった。彼らの一人が高校生を引っかけ、その子に売春をさせるようになっても。逃げ出すことがないよう、その現場を監視する役割を押しつけられても。やりたいこともやりたくないこともなかったから、それでいいと思ってた。
 ……なのに出会ってしまった。

「人間なんてみぃんな死に向かって生きているのは変わりないわ。むしろどうせ死ぬのは一緒なんだから、それなら好きなこと思いっきりやって死ぬのが賢い生き方ってもんよ」

 そう言ってカラリと笑う『彼女』を、きれいだと思った。ただ純粋にみとれた。それは美術館で見た、特にモローやミレーの絵画を思い出させるものだった。
 それは憧憬であり、敗北であり、救済だった。彼女が彼女らしく生きていてくれるならそれでよかった。そうであってほしいと願った。叶わなかった憧れ、永遠に汚れることのない象徴でいてくれればそれがオレにとっての救いでもあった。
 だから忠告した。『もうこんなとこに来ちゃだめだよ』そう言った。言ってしまったから、彼女とはもう二度と会えない。会えなくてもいい。どこかで幸せになってくれれば──そう思ったのは真実なのに、彼女のいない夜を思うと憂鬱になった。
 たった三回しか会っていないのに。なのにこんなにも心に入り込んでしまった。そんな彼女が少し、恨めしい。

「あれ、柳村じゃねぇか。図書館なんて珍しいな」

 図書館を出ると、『友人』たちに見つかった。いつもいつも大勢でつるんで、群れないと生きていけない哀れなものたち。そういえば近くに喫煙所があったな、と気分が急降下していくのを感じながら思う。慣れたはずのタバコの臭いがいやに鼻についた。

「そーだ、お前に聞きたいことがあるんだった」

 それが勉学に関係することでないことくらい言われる前からわかっていた。

「オレさぁ、昨日見ちゃったんだよね。お前が女子高生とホテルの前にいるところ。うちのカノジョと同じ制服だったけど……どーいう関係?」

 憧れが黒く塗り潰されていく。そんな感覚があった。
 『カノジョ』を金稼ぎの道具にしている男は、にやにやと笑っていた。獲物を見つけた、飢えた獣の目。きっと想像の中で『彼女』を汚しているのだろう。「いいオンナだったなぁ」そんな言葉にも吐き気がする。

「……別に、偶然そこで会っただけだよ」

「偶然、ねぇ?あんなホテルしかないようなとこで?」

「…………」

 ここで上手い言い訳が思いつけばよかった。けれど鈍りきったオレの頭では捕食者をかわすセリフは思いつかず。せめてもの抵抗で唇を引き結んだものの、結局のところそんなものは自己満足でしかない。
 そんなオレに、「まぁいいや」と男は笑った。

「詳しいことは本人に聞くからさ」

 その言葉の意味するところはひとつだけ。ーー最悪の想像に、オレは呆然と男を見た。
 そんなオレに何を思ったか。

「お前も来るか?きっと楽しくなるぜ」

「いや、……オレはいいよ」

 何が『楽しく』だ。ちっとも楽しくなんかない。汚らわしい汚らわしい汚らわしい、この世を体現したかのような、醜いいきもの。あぁでもオレだってそのうちのひとりなんだ。彼女だけが特別だった。なのに特別だった彼女も、あの汚らわしいいきものたちに征服されてしまう。いやだ。すごく厭な感覚だ。
 それからどうやって別れたのか。気づけばオレはトイレのなか。這いつくばって、便器の中に吐いていた。吐いて、吐きつくして、胃液しか出ないのに、それでもまだ吐き気は収まらなかった。
 厭だ厭だ厭だ。それだけが頭を駆け巡る。でもオレに何ができるというのだろう?昔から何かをやり遂げたことなんてなかった。夢も目標も、最初からオレの中には存在していなかった。だからきっと、今回だってオレにできることは何もない。アイツらが彼女を汚している間も、オレはひとりで惨めに膝を抱えているだけ。そういう人生なんだ。下手に希望を持ってしまったから、幸福を知ってしまったからーーそのせいであの夜の美しい思い出は永遠に喪われるのだ。
 ーーだけど、それがオレの責任だというなら。オレのせいで彼女が傷つくというのなら。

「だめだ、そんなの……」

 オレはどうなってもいいから、せめて彼女だけは。思い出の中の美しさだけは守らなくては。
 よろよろと立ち上がり、顔を洗う。
 こんなことなら連絡先を聞いておけばよかった。未練を残さないように、なんてカッコつけたのがいけなかったのか。手がかりは彼女の制服と名前、ーー学校に行くしかない。





 既に授業は終わっていたらしい。彼女の学校に着くと、制服姿の生徒たちが続々門を出ていくのが見えた。
 そんな彼らにオレは「杜野ざくろを知らないか」と声をかけた。不審者と思われようがどうだってよかった。手当たり次第に声をかけ、何人に首を傾げられたことだろう。

「ざくろ?あなた、ざくろの友達なんですか?」

 一人の少年が怪訝そうに聞き返してきた。

「……そうだよ。彼女はもう帰った?連絡は取れる?」

「その前にいったい何の用ですか?ざくろにあなたみたいな友達がいるなんて聞いたことないですけど」

「大事な用事なんだ。彼女の身に危険が迫ってる。早く伝えないと、」

「そう言われても……」

 少年は怪しんでいたが、連れの少女の「杜野さんに電話してみたら?」という提案に頷いた。
 が、しかし。

「あれ?出ないな……」

 電話は問い合わせ音を響かせるばかり。その無機質な音に焦燥感は募り、思わず少年の肩を掴んだ。

「彼女の家は、学校にはもういないんだな?」

「ええ、恭介と帰っていくところを見ましたから……」

「恭介、」

 その名前には聞き覚えがある。彼女が大切そうに呼んでいた名前。ーーその男ならきっと彼女を助けるのに躊躇しないだろう。例え自分の身が危なかったとしても協力してもらえるはずだ。

「そいつでいいから、連絡をーー」

「これはいったい何の騒ぎかしら?」

 また登場人物が増えた。今度はお嬢様っぽい女子高生だ。いやに貫禄がある。眼差しに込められた力、その威圧感に一瞬気圧される。
 が、そんなことに構っていられない。時間はないんだ。彼女が誰であろうと、オレが助けなければならないのは一人だけ。

「杜野ざくろがオレの知り合いに狙われてる。襲われる可能性があるから、」

「……なるほど、了解したわ」

 彼女はひとつ頷くと、手を叩いた。

「車を用意するわ。詳しくはその中で聞かせてちょうだい」

 どういう仕組みになっているのか。手を叩くと同時に校門前に滑り込んでくる黒塗りの車。それに乗り込みながら、彼女は続ける。

「まずは杜野さんのおうちに行きましょう。その間に空木くんに連絡を。あなたはそのお知り合いとやらがいそうな場所を私に教えてちょうだい。しらみ潰しに探させるわ」

 にっこり笑った彼女からは女子高生らしからぬ頼もしさが伺えた。

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