番様と私

羽柴 玲

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竜神の花嫁  弐

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マシリの執務も終わり、沙羅は再度彼の私室へと戻ってきていた。

───私は何処で生活することに?

マシリは沙羅にかまうことなく、寝室へと向かいそこにあるものが準備されていることを確認すると、沙羅を呼ぶ。

「沙羅。こっちにおいで」

「え・・・でも・・・」

寝室へと呼ばれていることに戸惑いをかんじながら、沙羅が躊躇していれば、マシリが楽しそうに笑う。

「大丈夫。何もしないから。着替えとか必要だろう?」

マシリの言葉を全面的に信用したわけではないが、確かに着替えは必要だった。
着の身着のまま、出てきてしまった沙羅は明日の着替えすら無い状態であるからだ。

「あそこ。ベッドのとこにあるよ。君には着物が似合うんだけど、洋服で我慢してね」

そう言って、マシリはベッド脇の荷物を指さしたあと、寝室の扉の直ぐ側にある扉を指さし、説明を続ける。

「ここか、お風呂。お湯貯めてあるみたいだから、お先にどうぞ。一人でできるだろ?」

「ええ。それは、問題ないけれど・・・お風呂はここで入るの?」

聞きたいことは山ほどあるが、とりあえず目先の疑問をマシリへとぶつける。

「うん。そう。あとで私も入るから、お湯はそのままか、新たに貯めておいて。あとは・・・」

「私は何処で生活するの?」

マシリが少し考え込んだタイミングに、別の疑問をぶつける。

「ああ。ここだよ。俺の私室。寝るのはそこ」

そう言って、寝室にあるベッドを指さしている。

「・・・た、太子様はどこで・・・」

「一緒だね。まぁ、まだ何もしないよ。疲れただろ。ゆっくり暖まってくるといい」

マシリはそう言って、沙羅の頭を軽く撫でると、寝室へと沙羅を残し、寝室の扉を閉める。
さして広くない寝室に、キングサイズのベッド。一人残された沙羅は、それらが気になってしようがなかった。
しかし、何時までもつったっているわけにもいかず、荷物へとのろのろと向かい、お風呂の準備を始めた。


❧❧❦❧❧

お風呂から上がった沙羅は、用意されてい厚手で丈の長いワンピースタイプの夜着に身を包んでいた。
そして、ベッドサイドにある、小さなテーブルと椅子へと腰掛け、軽食を食べている。
これらは、現在入浴中のマシリが

「今日はこれで我慢して。君のだから全部食べても問題ないよ。明日以降の食事は・・・ちょっと考えておく」

そう言って置いていったものだ。

───美味しい・・・

最初は、少し多いかと思っていた、それらを沙羅は全てたいらげていた。
意識はしていなかったが、空腹だったようだ。
そして、それを見計らったかのように、マシリが風呂から上がり、ベッドへと腰掛ける。

「足りたか?」

最初何を聞かれたか、わからなかった沙羅だが、食事についてだといきあたり、小さく頷く。

「美味しかったです。ありがとうございます」

「なら、よかった。・・・で、明日からの食事だが、当分の間俺と共に私室で食べてもらう事になりそうだ」

「太子様もですか?」

マシリの言葉に沙羅が首をかしげれば、頷きを返された。

「ああ。母上にお伺いを立てたら、当分1.5人前の食事を私室に運ばせると言われた。
もしかしたら、普段よりも食事量が減るかもしれない。すまない」

「いえ。それは、多分大丈夫です。竜神の方々の食事量に比べれば、龍人は少ないので、問題ないかと」

それに、沙羅の食事量はけして多くはない。
竜神の食事量の半分もあれば、十分だと感じている。

「そうか。・・・明日以降の過ごし方だが・・・希望はあるか?」

「希望ですか?」

「ああ。全てを叶えてやることは出来ないが、できうる限り、希望には添うと約束しよう」

沙羅は少しだけ考え込む。己が何を望むのか。
考えてみるが、結局の所一つしかないように思われた。

「私は知識を得たいです。・・・本でもなんでも」

「・・・知識か」

沙羅の返答に今度は、マシリが考え込む番だった。
彼女の望みは知識。それを叶える方法は・・・

「条件は悪用しないことに場所が執務室の執務机の下であること。
これを飲めるなら、執務室にある太子として必要な本を読むことを許可しよう」

マシリは太子として必要な知識に関するものは全て、執務室へと詰め込んでいた。
理由は、私室ではゆっくりしたいから。と言うものである。
もう一つの条件については、少々外聞は悪い。
しかし、彼女の安全面を考えれば、最適と言えなくもない。
執務室の執務机はキャビネを内包していないため、下部は広々とした空間になっている。
そして、来室者に太子の足下を見せないことと、足下を守るために特殊な板が据え付けられている。
そこに沙羅の居場所を作ることで、ある程度外部からの攻撃も避けることができるだろう。
問題は、姫として育ったであろう、沙羅が許容できるかどうかだった。

「執務机の下は確かに広々としておりましたし・・・太子様の執務のお邪魔にはならないなら、そうさせて頂ければと」

「・・・言っておいてなんだが、ほんとにいいのか?」

「ええ。私はあまり抵抗はないと思います。太子様の足がとても臭う・・・とかなら、考え直しますが・・・」

「は?・・・あ、いや。良いならいい」

マシリは、少し疲れたような表情を見せ、苦笑する。

「そういえば・・・俺のことはマシリで良い。公でなければ、継承もいらん」

「はぁ。かまいませんが・・・」

「沙羅は変わり者だな」

「いえ。たい・・・」

マシリのギロリとした、鋭い視線を受け、沙羅は少しだけ逡巡し、言葉を紡ぐ。

「マシリも大概だと思います」

沙羅の言葉に、小さくと笑いを漏らしたマシリは「忘れていた」と、真剣な表情で彼女へと告げる。

「今沙羅に施している、隠匿と認識阻害だが、毎朝印だけを更新させてくれ」

「そう言えば、そんな事をおっしゃっていましたね。印の更新とは?」

「術式の核が、君へと直接刻んでいる印になる」

マシリはベッドから立ち上がると沙羅の前へと立つ。
赤き花の咲いた首筋と鎖骨へと妖しく指を這わせ沙羅の耳元へ唇を寄せ囁いている。

「ここへ唇を寄せ、毎朝花を咲かせる」

「ひゃっ」

沙羅は耳を押さえ、軽く身を引いている。
頬は赤く、定まらない視線は、動揺を現しているのだろう。

「沙羅がどうかはわからないが、俺は役得だな」

マシリは妖艶に微笑み、そう告げれば、沙羅は恨みがましく睨みつける。
しかし、その視線は直ぐに逸らされ、顔を俯けてしまった。
それを見つめるマシリの瞳には、普段には見えない欲が見え隠れしているようだ。

「あまり、煽るな・・・」

そうつぶやき、マシリは沙羅を抱き上げ、さっさと寝ろと言うようにベッドへとぽいっと投げ捨てる。
そして、沙羅を壁際へと追い込めば、掛布を掛けてやる。
自身も掛布へと潜り込み、目をつむりながら告げる。

「何もされたくなければ、さっさと寝ろ。朝はそれなりに早い」

そんなマシリの傍らで、沙羅はしばらく緊張に身を固くしていたが、暫くすれば不規則な呼吸が聞こえてくる。
それを確認したかのように、マシリが身を起こした。

「寝たか・・・」

そうつぶやき、そっと沙羅へと身を寄せその寝顔を見つめる。
思わず頬へと伸ばしそうになった手を慌てたように、引き寄せ吐息を着いた。

「可愛い寝顔をしやがって・・・」

少しだけ恨みがましくつぶやき、何事かを考えているようだ。

「これくらいは・・・いいことにするか」

そうつぶやき、身を横たえながら、沙羅へと手を伸ばし胸へと抱き込む。
自分と同じ香りでありながら、どこか甘い沙羅の匂い。柔らかな肢体。
それらを己自身で堪能しながら、瞳を閉じる。そうして、マシリは眠りへと落ちていった。


❧❧❦❧❧

「なっ?!」

目前に広がる肌色。寝起きの沙羅には最初、それが何であるか理解できなかった。
身動きが出来ないことに身動ぎし、それが更に近くなってはじめて理解した。
寝たことで若干寝間着がはだけた、マシリの胸元であることを。
そして、今現在に至るまで、沙羅がマシリに抱きしめられていることを。

「んー・・・」

沙羅が動くことで、マシリの寝ぼけたような声が聞こえた。彼女は、身を固くし成り行きを見守る。
しかし、抱き込む力が弱まることもマシリが離れていくこともなかった。
それに対し、沙羅は少し安堵の表情を見せる。

───今起きられたら、上手く対処するなんて無理・・・

小さく吐息をつき、目の前の肌色へと再度視線を這わす。
『厚すぎず薄すぎない胸板』
それが、沙羅が抱いた始めの感想だった。
鍛えているのか、程よくついた筋肉が見え隠れしている。

───あまり肉体派のイメージはなかったのだけど・・・

沙羅は無意識に動く手を挙げ、胸板へと指先を這わす。

───滑らかで吸いつくみたい・・・

指先で軽く押し、手のひらで撫でたところで・・・

「おはよう。沙羅。君は、今何してるか理解してる?」

頭上から聞こえる声に、己の行動を鑑みれば・・・

「ひゃわっ!!」
───なっ?!何をしているの!私は!!

弾かれたように、手を引っ込めた沙羅は顔を真っ赤にして、抱きしめられた状態であるのも忘れうつむく。
それは、頭をマシリの胸元へ預けたような姿勢なのだが、沙羅は気づいていない。

「くく・・・」

頭上から聞こえる、押し殺したような笑い声に、沙羅はますます赤くなる。
辛うじてマシリにも見える耳も赤く染まっていた。

「・・・ごめんなさい」

何に謝っているのか。己自身も分からぬままに、沙羅は謝罪の言葉を口にする。
その声は、か細く今にも消えそうだった。

「まぁ、煽られるのは、困ることは困るが・・・沙羅に触れられるのは存外悪くない」

マシリは、沙羅を抱きしめたまま、くるりと向きを変える。
丁度、マシリの身体の上に沙羅が乗っかっているような体制だ。

「なっ!おっおもっ」

「まぁ、それなりだが、重くはないだろ」

沙羅が思わず身体を起こそうとするが、マシリの腕に阻まれそれは叶わない。
マシリは己の身体に押し付けられた事によって、形を変えた沙羅の胸を視界に収め、感触を堪能する。

───着物だと分からなかったが・・・でかいな

そんな感想を抱きながら、これ以上はちょっとまずいかと、身を起こす。
抱きしめていた沙羅は、マシリのももの上に向かい合う形で座るような体制になる。

「あっあの・・・近くないですか・・・」

マシリとのあまりの近さに、沙羅の胸は早鐘のように早くなっている。それ故になのか、己の体制にまで思考が及んでいない。

「・・・まぁ、印の更新をするからな」

己の内に籠もる欲を沙羅へと隠しながら、マシリはそう告げる。
そうしてしまえば、沙羅があまり拒絶出来ないであろう事を承知の上で、告げている辺りずるいのかもしれない。

マシリは沙羅の腕を己の首にまわし、両手で沙羅の腰を抱き胸元へと唇を寄せる。
昨日咲かせた花へと軽く舌を這わせ、唇を薄く開き押し付ける。

「ん・・・」

沙羅の唇から漏れた吐息に、微かな甘さを感じたような気がしてマシリは、昨日よりも少しだけ強く肌を吸う。
己の暴走しそうになる欲を発散させるように、先程よりも少し濃くなった花へと舌を這わせ顔を上げた。
沙羅の頬は赤く染まり、目には戸惑いと共に別の感情が見え隠れしているように見える。
マシリは彼女の背へ薄く指を這わしながら、首元の花へと昇る。

「ひぁ・・・」

びくりと身を跳ねさせる沙羅へと欲を含む微笑みを向けている。

「次はこっち・・・」

首筋の赤い花を何度か指先で擦り、唇を寄せる。
口づけたまま、薄く開いた唇から赤い花を何度か舐めきつく吸い付く。

「んぅ」

軽い痛みの為なのか、それとも何かを感じているからなのか。
沙羅からは無識に吐息が漏れていた。
マシリは一度唇を離し、濃くなった花を満足そうに見つめ、沙羅の表情を確認する。
目をつむり頬を染めている彼女は、少しだけ煽情的で・・・
マシリは首筋に唇と舌を這わしながら、最後に花を大きく舐め上げる。

「沙羅・・・終わったよ?」

己の下半身に熱がともりつつあるのを自覚しながら、少し意地悪く沙羅へと告げる。
それを聞いた彼女は、ビクリと身を震わせ・・・何故かマシリの肩へと額を預けてしまう。
耳まで赤く染まり、羞恥からなのか軽く震える彼女をマシリは優しく抱きとめながら思う。

───反応は悪くないんだよな・・・自覚はなさそうだけど

何度か、背をぽんぽんと叩いてやれば、震えは次第におさまったようだ。
それを確認し、マシリは沙羅を股の上から下ろし、脇へと座らせてやる。
それから、沙羅の唇へと触れるだけの唇を落とし、ベッドから降りる。
沙羅が心あらずといったように頬を染め、マシリを見ている事を自覚しながら、寝間着を脱ぎ服を着替える。
そしうして、寝室のドアを開け、部屋を出る際に思い出したように沙羅へと声を掛けた。

「着替えてから、こっちにおいで。朝食の準備をしておくから」

マシリは扉を閉め、侍従を呼びたそうとしてやめた。

「なっ!なっ!!なぁーーーーっ?!」

寝室から沙羅の絶叫が聞こえて来たからだ。
寝室と私室は防音で、他所へは音が漏れないが、寝室と私室間は別だった。
沙羅の絶叫に小さく笑いながら、続いての絶叫がないことを暫く待ち、確認する。
続く絶叫がなかったのでマシリは、侍従を呼び出し朝食の準備頼んだ。


❧❧❦❧❧

───あれが・・・あれが、印の更新だなんて・・・

マシリの執務室で、彼の足下に座りながら今朝のことを、沙羅は思い出していた。
それは、少しだけ艶麗えんれいな何かを感じさせた。
嫌ではなかった。それでいて、流されている。沙羅にはそんな自覚はあった。

───これは、番だからなの?私の感情は?

本を開いてはいるものの、頁を繰られる様子はない。
思考は別のことが占めているからだろう。

───マシリは・・・番だからあんなことするのかな・・・?

その考えに、チクリと胸に痛みを感じ首をかしげる。
何故、胸が痛いのか。その理由を彼女ははかりかねているようだ。

───なんだろ?ちょっと・・・もやもや?するのかな?

今までに感じたことのない感情。そして、己の感情が揺さぶられる感覚。全てが、初めてで・・・そして嫌ではない。けれど、戸惑いも多く落ち着かない。
沙羅は、そんな・・・全ての感情を持て余していた。

───マシリに聞くのは、何か違う気がするし・・・他の人にはもっと違う気がする・・・


もんもんとしていれば、カサリという小さな音共に、開いていた頁に半透明な小鳥が現れる。
それは、本の上をとてとてと規則正しく歩いている。
暫くそれを確認していれば、本の中央に戻りストンと座った。
その拍子に、一枚のメモが現れ、小鳥は姿を消していた。

「太子様?何かされましたか?」

「ん?試作品の術式を気分転換に試してみただけだが・・・」

「はぁ・・・」

マシリと彼の侍従との会話を横目に、沙羅は現れたメモを手に取り目を通してみる。

༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻
昼は軽食になる。
ココに運ばれてくるんだが・・・
侍従を追い出すか?それともそこで食べるか?
༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻

そこには、マシリの文字でそう書かれていた。
沙羅はくるりと周りを見渡し、丁度良さそうな台座に目をとめる。
執務机よりも少し低いそれは、沙羅が手を伸ばせば上に置かれたものにも手が届くだろう。
そして、程よい高低差が、入口付近からは隠してくれそうだ。

───さて、どうやって伝えようかしら?

沙羅は少しだけ考え、マシリの足へと触れる。
それに応えるように、目線だけが沙羅を捕らえたことを確認し、台座を指さす。
そうすれば、マシリはゆっくりとまばたきし、肯定を伝えてきた。

「本日の昼食はこちらでとのことですが、どうされますか」

「軽食を頼んである。あーそうだな。この台座に準備してくれ。少々、執務机にはみ出してもかまわん」

マシリの言葉に、少々怪訝な表情をしながらも侍従は「承知しました」と返している。
そして、暫くすればお昼の時間となった。


昼食は思ったよりも豪華だった。
龍人の感覚からすれば、それは軽食という両ではない。
片手でつまめそうな、サンドウィッチやフルーツ。カップに入ったスープ。それらが、所狭しと台座へと並べられていた。

侍従は、己の食事が応接用の机へ並べられたのを確認し、そちらで食事をはじめていた。
マシリは、書類片手にパクパクと食べながら、サンドウィッチが乗せられている小さな皿の一つを膝へと乗せるように見せかけ、沙羅へと渡してやった。
受け取った皿を股へと乗せ、沙羅はパクリとサンドウィッチへと齧りつく。

───美味しい・・・なんだろう?鮮度の差なのかな?お野菜にほんのりとした甘みがあるのよね・・・お肉も味がしっかり染みてるというか・・・

食べ終わり、皿を返せば小さなカップが渡された。
ほんのり暖かなそれは、出汁の味がする、何故か懐かしいと感じるものだった。
最後にフルーツを二切れほど頂いて、お昼は終わった。


お昼も終わり、午後のお茶の時間に差し掛かる頃、侍従が席を外した。
どうやら、関係各所へと書簡を運ぶためらしい。
それを確認し、沙羅が少しだけ自由な時間が出来たなと思った時
それは聞こえてきた。

「主・・・主犯は、四十万しじま 庵司あんじ。証拠はそこに」

「ああ。下がって良いよ」

「御意」

───四十万庵司様?・・・確か、王族の直系でいらっしゃるのに、神力が弱すぎて、継承権を与えられなかった方?

四十万庵司。よわい二十三。龍人の王族直系でありながら、継承権を保持していない。
理由は色々と噂されているが、理由は二つ。
そして一番の理由は、神力の弱さである。
いくら術式の構成を深く理解しようとも、彼の神力では、どんな基礎的な術式すら発動しなかった。
二つ目の理由は、彼の生家である四十万家の問題だった。

「また、面倒なのが・・・なんで、逸臣は・・・───馬鹿だからか・・・」

マシリは、ため息と共に結論にいたる。
暫くマシリは物思いに耽っていたのか、ぶつぶつと呟く声は聞こえてくる。
そんな時間が流れていれば、侍従が執務室に帰ってきたようだ。

「どうかされたのですか?」

「・・・いや。今日はもう上がる。下がって良い」

マシリの不機嫌そうな声に侍従は、怪訝な顔をしながらも部屋をあとにする。
残されたのは、部屋の前にいる護衛騎士と部屋の中にいる沙羅だけだろう。

「大丈夫?」

沙羅の消えそうな声をマシリはちゃんと拾っていた。
椅子から立ち上がり、沙羅の傍へと座り込んだ。
あぐらをかき、ぽんぽんと沙羅をまねく。

「大丈夫じゃないからきて?」

少しだけ下げられた眉尻。目元は少しだけ疲れをにじませているようにも見えた。
沙羅が動けないでいれば、少しだけ焦れたように腕を引っ張り強制的に座らせる。
優しく腰を抱き、肩口へと顔を埋めれば、大きく吐息をついた。

「さっき・・・密偵から連絡が来た。やっぱり、君を貶めようとしているみたいだ。主犯は、庵司みたいだね」

「庵司様・・・確か、直系のお家の方ですよね」

「うん。国を作った龍人の子供たちの家計と言われている、四十万家の嫡男だね」

お互いの声は小さく、お互いにしか聞き取れないほどの大きさ。
マシリは、腰にまわした腕に力をこめ、吐き出すように続きを告げる。

「四十万家は血が濃すぎるんだ。近親の王族を娶ってばかりだからな。
だからなのか、ある時を境に神力は落ちづけていた。
それに、王族以外の血筋ともうけた子は、神力を保持しない者までいるらしい。
あそこは、少しだけ異質なんだろうな。
そして、庵司はその集大成と言うように、王族ともうけた子であるはずなのに神力が弱かった。
あいつの術式の構成に関する造詣ぞうけいは凄かった。
初歩的なものから最上級のものまで、余すことなく理解できていた。
ただ、そのどれも発動させることはかなわなかったが。
そこで初めて、周りはおかしいと感じて、庵司の神力を測った。
あれの神力の評価を知っているか?」

「いいえ。神力をが弱い方と言うくらいしか知りません」

「・・・無に近い微弱。これが、庵司の神力へ対する評価だ」

「無に近い微弱ですか?」

「ああ。限りなく無に近い程度の神力しか持ち合わせていない。と言うことらしい。
それが分かったときの庵司は、それはもう荒れたらしい。
俺が太子候補になる頃には落ち着いたらしいとは聞いた」

「でもどうして、今なのでしょうか・・・それに、庵司様が私を標的にする理由も・・・」

そごまで話して、はたとある事実に気づく。
今年は、龍人にとって少しばかり特別になるやもしれない年であると。

「もしかして・・・太子候補に成人するものがいるからですか?」

少しだけ震えた声で聞けば、マシリは腕の力を更に強めた。

「ああ。君が今年成人するだろう?他の候補は来年だからな。
・・・そうだな。ここからは、憶測が多分に含まれているが、聞くか?」

沙羅は肩口にあるマシリの頭へと手を伸ばし、指先で髪をもてあそぶ。

「ええ。聴かせて下さい」

「庵司は多分虎視眈々と時期を見計らっていたのだと思う。
己を虐げた者達への復讐とでも言うべきか・・・
そして、継承権をもつものが成人する今年を好機とみたのだろう。
丁度私という理由も出来たわけだしな。
まぁ、奴が裏で色々していることの証拠はそろった。何とかなるだろう」

話は終わりとばかりにマシリは、己の髪を弄ぶ沙羅の手を握り、顔を上げる。
そして、彼女の手首へと唇を寄せ、

ちゅっ

と、口づけを落とす。指先を絡め優しく握りしめる。
そして、唇を耳に寄せ囁く。

「ねぇ・・・キスしたい」

そう言って、耳へと口づけを落とす。

「んっ・・・───マシリは番だから、こういうことするの?」

「は?」

少し不安を含む沙羅の声に、マシリは意味をとりかねた。

「やっぱ・・・いい・・・」

「いや、ちょっとまて」

マシリは沙羅の言葉の意味を反芻する。
番だから・・・確かに、それはある。番だからこそ、我慢が出来ない欲求というものもある。

───だが、沙羅の言うのはそう言うことじゃ・・・あ

そこまで考えた所で、マシリはある一つの事柄に行き着く。
それは、確かに言葉にしていないもので、けれど多分きっと大事なことだ。
マシリは強く沙羅を抱きしめ、一つの術式を発動させていた。

転移パーレヤ

「え?」

執務机の下で、光の粒子が踊り、そして二人の姿はかききえていた。


❧❧❦❧❧

目前の真っ白な世界がはれれば、マシリの寝室だった。
もっと言えば、ベッドの上で抱きしめられていた。

「・・・ごめん。慌てて座標指定間違えた・・・」

マシリは、心底申し訳なさそうに伝えながらも、沙羅を抱きしめる手を緩めることはない。

「さっきの質問の答えさせて。でも、その前に聞いて欲しいこともあるんだ」

少しだけ・・・ほんの少しだけ不安そうなマシリの言葉に沙羅は、無意識に頷いていた。

「ありがとう・・・さて、何から話そうか」

そう言って考えるように口を閉ざしたマシリは、どう話すか・・・どこまで話すのか。

「君は気づいていないだろうけど、俺と君が出会ったのは八歳の時なんだ。
実は、最初小さな女神様かと思ったんだよね。母上に報告したら、笑われた記憶があるけど。
それから、念に数度くらいかな。一方的な接点があった。
君と話をしたのは、あの宴が初めてだったけど、思っていたより聡明で力ある子に育っててびっくりした。
番だと気づいたのは、宴の時。でも、それより前から俺は君に好意を抱いていた。
だから、さっきの質問の答えは、番だからってのも確かにある。
でも、俺自身の・・・好意からくるものでもあるよ。

というかね、番だからけっこう無茶して、君を護ってる。
それは、否定しない。たぶん、好意だけなら・・・太子としてここまで動けない。それに、君は龍人の太子候補というのも大きい。
同じように思っていていても、番だから動ける所が確かにあるから。
番はね、精通後から二次成長期以降でなければ、分からないんだ。
だからというわけではないけれど、君に好意を感じて何年かして番だと認識した。だからたぶん、心が・・・好意が先かなと思うよ。
この感情を君に伝えていなかったのは、俺の落ち度だね」

マシリは、それきり口を閉ざしてしまった。
沙羅の反応を待っているかのように、微動だにしなかった。

───嬉しい・・・そう思っている気がする。あの、淡い想いを忘れなくてもいいのかな・・・?

「『父様!今ね、とっても素敵な人がいたの』
多分、これがマシリに抱いた初めての感情で、父様と母様ははさまに、忘れるように言われた感情です。
私が初めての、マシリを見かけたのは多分、七歳の時です。でも、その頃には、私もマシリも太子候補でした。
多分、両親が忘れるように言ったのは、そう言うことだったんだと思います。
多分、この頃からです。太子候補としての教育も影響していたとは思いますが、私の心があまり動かなくなったのは」

───一目惚れ・・・たぶん、私はあの時マシリに恋をした・・・

「ふふ。どうも私は、番だからだけでは無いと言われて嬉しいみたいです」

沙羅は、そう言葉にして、マシリの頭を撫で、そして恐る恐るではあるが、彼の背へと腕をまわし、抱きしめ返す。
ピクリとマシリが、身を震わせたようにも思ったが、少しだけ身を離し間近で、沙羅の瞳を見つめている。沙羅もマシリの瞳を見つめ返す。
黒い瞳には、マシリの少し切なそうな顔が、濃い紫の瞳には、沙羅の少し恥ずかしそうな顔が映し出されていた。

そして、どちらともなく瞳を閉ざし、吸い寄せられるように口づけを交わす。

「沙羅、好きだ」

触れるだけの口づけを交わし、触れるか触れないかの距離でそう囁けば、沙羅の頬は上気する。
それに誘われるように、口づける。何度かの口づけ。そして、マシリは沙羅の唇を舐め、頤へと指を添え上向かせる。
小さく開いた唇へと、マシリはするりと舌を滑り込ませれば、ピクリと沙羅の背が跳ねた。

「んぅ・・・っ」

歯列を丁寧に舐め上げ、奥で縮こまっている沙羅の舌先を優しく舐める。

「ふ・・・ぁっ」

沙羅の小さな喘ぎを聞きながら、マシリは彼女の舌へと己の舌を絡ませはじめる。
それは、くちゅくちゅとした淫猥な水音をさせ、お互いの情欲を刺激する。
息苦しさから、顔を引こうとした沙羅に気づき、「息は鼻で」と小さく囁いて再度口づける。
腰を支えていたては、逃がすまいと頭を支え、先程よりも深い口づけをする。
舌を絡ませ、軽く吸い出してやれば、沙羅は甘い声を漏らす。
歯列を舐め、上顎にも舌を這わせれば、沙羅は背を震わせる。

「んぁ・・・ふ・・・」

くちゅくちゅと絶え間ない音を響かせ続ければ、沙羅は口内へとたまっていた唾液を嚥下する。
それは、既にどちらのものか分からぬほど、交じりあいどこか普段と違う。そんな思いがするものだった。

マシリは嚥下されるのを合図としたように、口づけをやめる。
二人の唇は濡れそぼり、沙羅の顎にはつぅっと唾液が垂れている。
そして、マシリと沙羅を繋ぐように、きらきらと銀糸が橋を作り離れがたい心を現しているようだった。
名残惜しそうに、マシリは唇を舐め、銀糸を切ると沙羅を抱きしめ、肩口へと額を預けた。

「はぁ・・・」

気怠げなどこか艶の帯びた吐息をつくとマシリは沙羅へと告げる。

「このまま、君を抱きたい」

「え・・・」

沙羅が戸惑いの声をあげれば、マシリは小さく笑う。

「本音を言えば、抱きたい。でも、やることがあるから。まずは、君の濡れ衣を晴らすこと。それを、長蔵に伝えること。そこまでしてからだな。既成事実をつくるのは」

「既成事実・・・」

「うん。番だからたぶん君を太子候補から外せるけど・・・あまり、番だってバレたくないかな。
まぁ、気づいている者も多いけどな・・・
俺の一番の弱みを晒したくないし、なるべく君を危険に晒したくはないからね。
君の弱みにつけこんで、手を着けた悪い男って事にするのが多分一番平和に済む。
鴉一族は、それなりに竜神へも影響力があるからね」

マシリはそう言って沙羅を離し、ベッドを降りる。

「シャワーでも浴びてくるよ。・・・部屋からは出ないでもらえると嬉しい」

沙羅の返事も待たず、マシリは浴室へと姿を消した。


❧❧❦❧❧

あれから、何をどうしたのか。沙羅にはわからない。
わかっていることは、マシリが奔走し、彼女の濡れ衣を晴らしたこと。
そして、庵司が罪人の塔へと永久的に幽閉されたこと。四十万一族が王籍から、除名されたこと。
逸臣が太子候補から外されたこと。それだけだった。

そして、何よりもわからないのは、父親である長蔵によって竜神のやしろへと連れて来られ、そしてマシリの私室へと押し込まれたことだった。
普段は何も言わないのに、今見に着けている着物を着るように言われたことも変だった。
華美ではないが、上質でそれでいて落ち着いた美しい着物だった。

───私の趣味も考慮しつつ、それでいて私自身では選ばないような着物よね・・・高そう・・・

そんなことを考えながら、現実逃避していれば私室の扉が開かれ、マシリが現れたのだった。



つづく
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