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第4章〜芸州編(其の伍)〜

第48話

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 元和げんな5年(1619年)4月

 あれから半年が経つ。野分台風被害の酷かった神田の縄張りは、山村の領民と復興整備していき、ようやく廃城跡の生活から元の暮らしへ戻りつつあった。無論、以前の姿とは程遠いものの、本百姓は仮に建てた小屋へ住み、分け与えた田畠を耕しながら秋の収穫を楽しみにしている。つまり、人々は再び生きる希望を取り戻していたのだ。

 俺は村方三役の計らいで広大な大豆畑を手に入れ、国宗家の「離れ」と仮小屋を往復する忙しくも充実した日々を過ごしている。その仮小屋には十蔵、それに身寄りのない源と和が住んでいた。

「味噌をこの村の名産品にしようと思ってるんだ」
「ほー、味噌ですか」
「十蔵、若の作った味噌は殿さまからお墨付きを頂いてるんでな」
「そうでした。では私も大豆を育てながら暮らしていきますかねー」
「太平の世だ。それもよかろう」

 我らは敗軍とは言え武家であった。だがもう戦は起こらない。何かを生産して生きていくしかない。俺は此処ここで村の警護や道場で剣術を教え、さらに「味噌」を作って生活の糧としたい。

──そんな夢を描いていたが、もろくも崩れ去る大事件が起ころうとしてるなんて知る由も無かった……。

***

 広島城の本丸・二の丸・三の丸及び石垣等を国宗家の職人らが修繕し終えて、福島正則は江戸の上屋敷へ戻った。そこへ幕臣、阿部正次が将軍秀忠公の使者として突然訪れた。

大夫正則殿。上様のお許しも得ず、勝手に城普請しては困りますな」
「あん? 普請ではござらん。野分の被害を受け、雨漏りの修繕をしたに過ぎん」
「修繕と称した普請であろう。まあ、いずれにせよ無断でしたことは武家諸法度に反しますぞ」
「なにを言うとんじゃい! 本田正純殿を通じて許可を得ておるわ」
「では奉書(将軍の下した文書)を拝見させて貰おうか」
「……なっ、そんなもんない。あ、正純殿が持っとるんかな?」
「大夫殿。時代は変わりつつございます。本田殿にかつての権勢などございません。……相談する相手を間違えたようですな」

 福島正則は時勢を見誤っていた。老中に列する正純は後ろ盾であった家康と正信(正純の父)の没後、主導権を握った秀忠と側近土井利勝らにうとまれ、その影響力は弱まっていたのだ。
 だが、他意はなかったと結論づけられた正則は、修繕した箇所を破却する条件で許された。一方で秀忠は正純に対して、より露骨な政治的排除を行なっていく。

「クソ、面白くないわ!」
「だから言わんこっちゃない。詰めが甘いんですよ! 政争の御先棒おさきぼうを担いだようなもんです!」
「あー、知らん、知らん。四郎兵衛よ、儂は破却などせんぞ! 馬鹿馬鹿しい!」
「何を仰います!? 幕命に逆らうのですか!?」
「ふん! 石ころ1つ動かすのに将軍さまの許しがいるのか!? 何が武家諸法度じゃい!!」
「大夫さまは福島家をお潰しになるおつもりか!!」

 正則は四郎兵衛の嘆願もあって、渋々本丸のほんの1部を取り壊した。だが二の丸、三の丸に手をかける気はない。
 また、幕府から求められた嫡男忠勝の江戸参勤(人質)も遅らせるなど、幕命を蔑ろにしていた。
 流石に怒った秀忠は重臣を招集させ、ついに決断を下す。
「馬鹿な男よ。ま、これで潰すことができよう」
「上様、見せしめに持ってこいですな」

 6月2日
 正則は安芸・備後50万石を没収され、信濃国川中島四郡中の高井郡4万5000石(高井野藩)に減転封の命令を受けることになる。
 そして幕命により中国、四国の大名が城明け渡しに備え出陣し、広島城、三原城を取り囲む事態となった。

 
 
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