ハガツメ!

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81神との戦い5

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「そんな……、まさか……」

 俺はシモーヌの体を揺する。もはや生命の息吹はどこかへ消し飛び、人間だったものが残されたのみだ。

「う、嘘だと言ってくれよ……! うわああっ! シモーヌーっ!」

 今までずっと一緒に旅してきて、俺を大好きだと言ってくれた、かけがえのない少女。その人生は、こんなところで中途半端に断たれてしまったのだ。

 ばらばらだった赤い宝石が浮き上がり、俺の斜め上で結集する。それはたくましい赤い狂戦士の形に復元された。両腕を組み、俺を見下ろす。

『我をここまで追い詰めるとは、さすがに神界へ来るだけのことはある。だが残念だったな。この神界こそが我の本体。その内側にある限り、この体が滅びることはないのだ。それこそ、欠片一つ残さず我を消滅させたりでもしない限りはな』

 ムタージが「化け物め……」とつぶやいた。俺は再び腕の中の死体にすがりつく。涙があふれて止まらなかった。

「シモーヌ……シモーヌ……! 一緒に料理屋を開こうって、約束したじゃねえか……! 目を覚ましてくれよ……また俺を抱き締めてくれよ……!」

 だがもちろん、シモーヌはぴくりとも動かず、その体は急速に冷たくなっていく。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ……! 俺は目をきつくつむり、落涙するに任せた。

「シモーヌ……!」

 ムタージが俺の肩に手を置く。いたわりの波動が感じられた。

「少年よ……、お嬢さんはもう……」

 ヘルゲス神の狂ったような笑い声が降り注いでくる。

『くくく、あーはっはっはっ! 回復役がいなくなれば、もう傷は治せまい。さあ、死んでもらおうか、人間どもよ……!』

 俺は奥歯をきしませた。ゆっくりとシモーヌの亡き骸を横たえる。怒りにわななきながら立ち上がった。

「許せねえ……!」

『何?』

「許せねえ! てめえだけは絶対に許さねえっ! ヘルゲス!」

 俺はきっと顔を上げる。右手の人差し指が熱く燃えるようだ。それは不思議なことに、ほのかな光をまとい始めた。

 ムタージが驚愕の声を上げる。

「こ、これは……?」

 しかしヘルゲス神は感応しなかった。しょせんは下卑げび雑魚ざこのたわいもない変化だと受け止めている。

『ふん、何の真似か知らないが……、勝負はもうついた! くたばれ!』

 ヘルゲスがにたりと笑い、意気揚々と斜め下へ急降下してきた。俺の頭部に対して『削除』の腕を振るう。こちらがかわそうと思ってもできない間合いだった。

 だが。

『何ぃっ!』

 ヘルゲスの動きが、空中でピタリと止まった。いや、そんな簡単なものではなかった。

『う、動けぬ! 馬鹿な!』

 ムタージが先ほどよりさらに喫驚する。信じられない、といわんばかりだ。

「金縛り……? 少年が神を……? これが少年の……、いや、『鋼の爪』――銀の指輪が持つ真の力だというのか?」

 俺の脳裏に生前の父『弓矢のガラン』がよぎって消えた。周囲の塵芥じんかいが吹き上がり、らせん状に頭の上へと舞い上がっていく。

「消滅しろ……」

 俺は左手で無形の弓を握り、右手で不可視の矢とつるを引くように構えた。ますます輝く右手を限界まで引く。莫大な力が人差し指に集中していった。破裂しそうなほどに……

 そして。

「食らえ、ヘルゲス!」

 次の瞬間、轟音とともに光り輝く矢が解き放たれ、ヘルゲスの開いた口から中へと射込まれた。

『ぐはぁっ!』

 大鐘を乱打するような重低音が走り、神の全身にヒビが入る。するとそこから白い炎が噴出し、紅色の体を溶かし始めた。

『や、焼ける……! 我が体が、我が体がぁっ!』

 空中に釘付けとなって燃え盛る神。それを前に、俺の右拳のあらゆる箇所から鮮血が噴き出した。激痛が走る。

「くっ……」

 一本の光の矢を撃っただけで、俺は極度の疲労に襲われていた。その場に両膝をついてへたり込む。目を閉じて眠るように死んでいるシモーヌへ、俺は声をかけた。

「シモーヌ……かたきは討ったぞ」

『ぎゃあああああっ!』

 ヘルゲス神はまだ燃焼していた。ムタージが俺を手招きする。

「少年よ、お嬢さんの亡き骸とともにこちらへ来い! 治すことはできんが、その場所にとどまっていてはヘルゲスの炎に巻き込まれるぞ」

「あ、ああ。分かってるよ」

 俺は焼け落ちる神を迂回うかいするように、シモーヌの体を肩に担いで歩き出した。老人は子供のように目を輝かせる。

「それにしても今の一撃は凄かったぞ、少年。信じられないほどの力を感じた」

「分かんねえよ。ただ、あの型を使えばヘルゲスを倒せるって、そう直感して動いただけさ。何であんな真似ができたか、俺にもさっぱりだ。多分二度とできねえ」

 ヘルゲスの燃え盛る音が背後から聞こえてくる。悲鳴はいつの間にか途切れていた。ムタージはパイプに火をけ、紫煙しえんをくゆらせる。

「ふふ、神に勝つとはな。ケストラは『伝説の武具』――魔道具は、愛で動作するとかぬかしていたが……。どうやらお嬢さんを失った少年の憎悪が、愛と表裏一体に神秘の力を引き出したのだろう。失うこともまた愛、か」

「さあな。理屈は分かんねえよ」

「むっ、見よ少年! 天使たちが落ちてくる!」

 言葉どおり、天使室に続いてその住人たちが、意識を失ったように落下してきた。いずれも糸の切れた操り人形のように、神界の地面――雲の上に激突した。苦しんだりうめいたり痙攣したりする天使は一人もおらず、みんなすでに命をなくしているのだと分かった。

「俺がヘルゲスを倒したからか……」

「ああ。今度こそ、間違いなく、な……」

 そのときだった。ムタージが顔を強張らせ、目を丸くしたのだ。

「そんな、まさか……!」

 驚愕する老人の視線が自分の背後に向かっている。何だ? 俺は振り向いた。と同時に、灼熱が腹部に生じる。

「うぐっ!」

 見れば自分のどてっ腹に、ヘルゲス神――完璧に元通りになっている――の4本の指が突き刺さっていた。神が引き抜くと、耐え難い痛みとともに血液があふれて流れ落ちる。俺は焼きごてを押されたような激痛に、シモーヌの死体ごと尻餅をついた。
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