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 俺は便利になった、としか思わなかったけどなあ。感じ方は人それぞれか。

「そんな僕のアパートの部屋に、ある日突然黒地に赤文字の魔方陣が現れたんだ。その円盤の中央から出てきたのは、一人の美少女。それが魔族の女、リングだった。ビックリするほど整った顔は、容姿端麗ようしたんれいというだけじゃ足りないほどの素晴らしさで、僕は一瞬で気に入ってしまった。一目惚れという奴だ」

 京はパンの残りを口に中にいれ、音を立てて噛み砕いた。ごくりと飲み込み一息つく。

「……リングはまず名乗った後、僕に依頼してきたんだ。魔族が神族との戦いを始めたから、自分たち――魔族側について、超人類の力を貸してほしい、と。スカウトってわけさ」

 声が湿しめっている。口元を手で押さえた。

「僕はリングに条件を提示した。魔族側につくから、その代償として僕の彼女になってくれ、と。こちらは命を懸けるのだから、それぐらいは許されるだろうと思った。リングは受諾した。それからしばらく人間界で過ごし、食事やデートに行ったりして、両想いになるまで時間はかからなかった。あの頃が僕の人生の絶頂期だったといえるほど、僕は幸せで、リングもまた嬉しそうだった……」

 京は涙を落とした。

「だが魔界に着いた途端、僕はリングと引き離され、凍氷魔人ブラングウェンのサポートをすることになった。僕は魔界の帝王に対し、リングを決して傷つけたり危険な目に遭わせたりしないよう確約を求めた。それは受理された。だが結局ブラングウェンによれば、リングは戦死したらしい。……リング……」

 京のすすり泣きが聞こえてくる。彼もまた、大事な人を失ったのだ。その気持ちは俺にも痛いほど分かる。

「もう何をやる気も失せた。神族はリングの仇だし、魔族は裏切り者だし、これ以上どちらと戦う気も起こらない。……もう、どうでもいい。どちらが勝とうが負けようが、リングはもう戻ってこないのだから……」

 俺は憤然ふんぜんとして京の胸倉を掴んだ。軽く頬を張る。涙にまみれた彼の顔が、呆けたようにこちらを見つめた。俺は美青年を正面から睨みつける。

「あのなあ、京。こっちは両親を殺されて弟に裏切られたんだ。それがどれだけ悔しかったか分かるか? おめえだけが不幸だと思うな。……おめえも男なら、立ち上がって歩む方向を見定めろ。そうしてその道をゆけ。神族に加わってくれるならそれも良し。もし魔族に再度加勢するっていうなら、俺がリターンマッチを受けて立ってやる」

 顔を寄せて締めくくった。

「分かったか?」

 俺の勢いを受け止めきれず、京はただまじまじと俺を凝視するばかりだ。俺が解放してやると、しばらくして苦笑いを弾けさせた。

「君は凄いな、研磨君」

 笑いつつ目尻を指でぬぐう。どうやら泣き止んだようだ。ミズタが会話に割り込んできた。

「何にしてもあたしたちは一端中央の首都に戻るべきだわ。ブラングウェンを倒して、北方方面はもう大丈夫だろうし。京は魔族側についていた罪を裁いてもらうためにも、その体中の傷を治してもらうためにも、ハンシャ女王に謁見えっけんすべきよ。どうかしら」

 まあ、そうだろうな。俺はうなずいて賛意を示した。マリも京も賛成する。ミズタは立ち上がった。

「じゃあ行きましょう。吹雪も収まってるし、早いほうがいいわ」

 こうして俺たちは食事を終えると、女王の都へと出発した。



 二日飛行し、久しぶりのみやこに辿り着く。街は健在のようで安心した。しかし泥土魔人や凍氷魔人を倒したにもかかわらず、そこはせわしく飛びかう神族たちで騒然としていた。何が起きたんだろう? 俺たちは城の方からやって来た神族の女をつかまえ、事情を聞いた。

「実は魔族の帝王が、東の方面からじきじきに乗り込んできたんです!」

 俺たちは度肝どぎもを抜かれた。魔族の長が、この神界に――?

「何しろその存在は圧倒的で、まとう魔力だけで地殻変動や異常気象を起こしているとか……。神界ナンバー2のレンズ様が軍勢を指揮していますが、帝王の命を絶つどころか、その取り巻きである超人類の少年や火炎魔人アシュレに対してさえ苦戦しているそうです」

 超人類の少年。火炎魔人アシュレ。俺は久しく耳にしていなかったそれらの名前に、忘れていた憎しみが業火のように再燃するのを感じた。親父とお袋の仇。俺の大事な人たちを殺してのうのうと生きている怪物ども。

「糞ったれが……!」

 俺は怒りを抑えきれず、東の方へ飛び出そうとする。だがその足首を、ミズタとマリが掴んで離さない。

「馬鹿! まずは女王様にまみえるのよ!」

「鏡さん、気持ちは分かりますが、落ち着いてください!」

 ちくしょう。俺は二人の気持ちに負けて、渋々しぶしぶ矛先ほこさきを収めた。神族の女をねぎらう。

「情報ありがとよ。……分かったよ、もう大丈夫だ。離せよ、二人とも」

「本当でしょうね」

「大丈夫、一人で行ったりはしねえよ」

 足首が解放された。俺はやれやれとばかりに長く息を吐くと、ぶっきらぼうにうながした。

「ハンシャ女王の元へ行くんだろ? 早くしようぜ」

 そうして浮遊城の方へ飛翔していった。



 城の中枢、黒曜石の間では、ハンシャが鎧兜を装着して鋼の槍をたずさえていた。レンズは神族の女の情報通り、東の戦場で戦っているらしく不在だ。俺たちの登場に愁眉しゅうびを開く。

「よくぞ戻ってきてくださいました。研磨、ミズタ、マリ。そちらの男性は――魔族側についていた超人類の方ですか?」

「はい。すみませんでした」

 京は恐縮しているようだった。俺たちは既に防寒着を脱ぎ捨て、軽装で謁見している。美青年は体中包帯だらけだった。ハンシャが手招きする。

「こちらへ来てください。怪我を治して差し上げます」

 京はハンシャのそばに近づいた。女王が彼の負傷箇所を手で撫でていくと、たちどころに傷が塞がっていった。京は彼女に疑問をぶつけた。

「魔族側についていた僕が怖くはないんですか?」

 確かに。もしもこれがブラングウェンとの巧妙で精緻せいちな計画だったとするなら、今は手刀でハンシャの首を削ぎ落とす最大の好機だ。だが女王は恐れることなく怪我を治していく。

「もちろん、怖いことは怖いです。でもそれを乗り越えなければ、こちらも真心まごころで接しなければ、真の紐帯ちゅうたいは築けませんから」

 立派な言葉だった。俺は女王のふところの広さに内心舌を巻く。俺はとてもああは出来ない。長年生きてきたハンシャの本領を垣間かいま見た気がした。

「さあ、これで治癒はおしまいです。では次に、わたくしたちの味方をしていただけるのか教えてください。ええと……」

 俺は口を添えた。

「矢田野京。それがそいつの名前だ」

「では京。我々と共闘していただけますか? この戦争は、超人類の存在こそが鍵となるのですから……」

 京はしかし、安易に首を縦には振らなかった。その目は静かな光を宿している。

「考えさせてください。正直、今はどちらの陣営にもつきたくありません。魔女リングを失った今、僕は戦う理由を見い出せないんです。もちろん僕は神族側にとっては重罪人です。だから牢屋にでも入れておいてください。僕はそこで、自分自身と見つめ合いたいと思います」
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