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 よっしゃ、これなら俺の『境界認識』で捉えられる。俺は手刀を作り、ここぞとばかりに背びれに飛び掛かった。

「おめえには恨みはねえが、死んでもらうぜ、サメ!」

「いけません、研磨!」

 マリが俺に背中から抱きつき、こっちの動きを慌てて制する。何しやがる……と思っていたら。

 湖中から頭部を飛び出させた巨大ザメが、その両目から怪光線を放った。一方が俺の右太ももに命中し、熱い風穴を開ける。

「いってえ!」

「痛っ……!」

 俺だけでなく、マリまでもが激痛を言語化した。どうやら俺の太ももを貫通した怪光線は、背後のマリまでも炸裂したらしい。もしマリに引き止められていなかったら、俺はサメの攻撃で額に通気口を作られていた。まさに間一髪だ。

 巨大ザメは水飛沫みずしぶきを上げて再び水中に没した。

「だ、大丈夫か、マリ」

 俺は苦痛をこらえて振り返る。マリは右足の肌が綺麗にえぐれていた。すねとふくらはぎが流血に染まっていく。それでも気丈に返してきた。

「へ、平気です。鏡さんこそ……。それよりサメは?」

 俺は湖面に目をすがめる。サメの気配は深くに潜ってしまっていた。

「逃げられたみたいだ。しかし、巨大ザメにあんな能力があるなんて聞いてねえぞ」

「私も今さっき思い出したくらいです。バクー湖の巨大ザメは、獲物を仕留める光線を目から発する、と。その前兆が見られたので、私は研磨さんを押さえ込みましたが……大事に至らなくて良かったです」

 あの眼光なら船さえ真っ二つにしかねないな。俺は戦慄と苦痛で身震いした。

 それはともかく、あの巨大ザメをもう一度呼び戻さねば。奴の舌を持ち帰らなければ、ここまで来た甲斐かいもないというものだ。だがミズタにこれ以上の出血をお願いするわけにも行かない。さて、どうするか……

 いや、答えは簡単じゃないか。

「マリ、ミズタと一緒に光線の射程外に逃れてろ。巨大ザメをもう一度おびき寄せて、今度こそ仕留めてやる」

 ミズタが紫色の唇を動かした。

「どうやって? 何か策でもあるの? やっぱりあたしが、もう一度血を……」

「その必要はねえ」

 俺は手刀を作ると、自分の太ももを切りつけた。激痛と共に大量の血が噴き出す。ミズタとマリが一斉に俺の名を呼んだ。

「研磨!」

「鏡さん!」

 大丈夫だ。痛くない痛くない……!

 俺は歯軋りしつつ降下し、負傷にうずく太ももを湖水に浸した。チャンスは一度きりだ。今度こそ蹴りをつける。俺は『境界認識』を最大まで拡大させ、サメの位置を捕捉ほそくした。真下20メートル。15メートル。10メートル……

 俺は二条の光線が放たれるのを知覚した。素早く身をひるがえし、それらを空振りさせる。そして一気に湖中へ躍り込んだ。目の前で大口を開けて迫り来る巨大ザメに、指を突きの形にして繰り出す。それはサメの上顎を突き破って貫通し、俺の肩口まで深々と突き刺さった。もちろんサメは絶命している。もし少しでも遅れれば、俺は右腕を肩からまるごと食われていただろう。それにしてもこの突きは手刀の変形だったが、土壇場どたんばで良くぞ上手くいったものだ。俺の更なる進化だった。

 俺は仕留めた獲物を抱え、水面に浮上する。遠く見守っていたミズタとマリが歓声に沸いた。

「やるじゃない、研磨……」

「鏡さん、素晴らしいです!」

 俺は近寄ってくる彼女らに頼んだ。

「マリ、サメの舌を切り取ってくれ。こいつは想像以上の重さで持ち上げられないんだ」

「お安い御用です」

 マリの助力で無事解毒剤を手に入れた俺たちは、全員負傷した体を引きずるように、女王の城目指して飛んで帰っていった。事態は一刻の猶予ゆうよも許されない。



「ハンシャ様!」

 治療院のベッドに寝かされているのはハンシャ女王、隣に座っていたのはナンバー2のレンズ。俺たち3人が雪崩れ込んだとき、女王は苦しそうに呼吸していた。レンズが水を含ませた手拭いを女王の額にかけている。

「おお、お前ら! 首尾は?」

「上手くいきました。これがバクー湖の巨大ザメの舌をせんじた薬です」

「でかした!」

 レンズが杯で水をすくい上げ、女王の上半身を抱きかかえる。耳元で大声を出した。

「女王様、研磨たちがやってくれました。猛毒『ハーフ』に効くかどうか分かりませんが……お飲みください!」

 ハンシャは前後不覚、意識混濁こんだくのありさまだった。それでも口を開け、薬を含み、レンズの献身的な手伝いでどうにか水を飲み下す。またベッドに横たえられた。

 全員が解毒剤の劇的な効果を期待し、女王の顔を覗き込む。それは最大の形で報われた。ハンシャの頬に血が上り、呼吸がしずまってきて、薄っすらとまぶたを持ち上げたのだ。

「レンズ……研磨にミズタ、マリ……。わたくしは一体……」

 意識が戻り、一転快方に向かい始める彼女。どうやら矢に撃たれた前後のことを忘れているようだが、俺はそんなものは無視してミズタとマリを引っ張り寄せた。

「悪いけど女王、話は後だ。この二人と俺を治療してくれ。正直立っているのもやっとなぐらいなんだ」

 レンズが困惑してどうするべきか迷う風だったが、ハンシャはこの依頼をすぐさま引き受けた。今度は自力で上体を起こす。

「3人とも怪我をされているようですね。構いませんよ。今治して差し上げます」

 マリがミズタの包帯を取り、その痛々しい手首を露わにさせた。ミズタが謙虚けんきょな態度で進み出る。

「恐れ入ります……」

「ふらふらじゃないですか、ミズタ。後で滋養じようのつくものをお食べなさい」

 女王が撫でると、あっという間に傷口が塞がった。順番にマリと俺も手当てを受ける。その頃にはハンシャもだいぶ回復してきており、むしろ大量の血を失った俺たちより元気になった。

 俺たちがどうにか一命を取り留めると、レンズがハンシャにゆっくりと経緯を説明する。女王は俺たちからサメ相手の奮闘を聞かされると、熱心にうなずいた。

「それで怪我していたのですね。ありがとう、研磨、ミズタ、マリ。貴方たちには感謝してもしきれません」

 俺は少しはにかんだ。そこで自身の空きっ腹が悲しげに音を立てる。一同が笑った。

「三人とも、今日は食事とお風呂を済ませ、疲れた体を休めてください。研磨、ミズタ、マリ。明日からよろしくお願いします」



 俺たちは治療院を後にした。マリが「私とミズタの自宅で休みましょう」と提案してきたので、腹と背中がくっつきそうな俺は一も二もなく賛成した。

 二人の住居は城から少し離れた斜め下に浮いている。平屋建ての素朴な家だった。それにしても、城といい闘技場といい治療院といい、どうやって浮いてんだ、これ。

 俺が質問すると、隣を飛ぶミズタが答えた。

「研磨も見たでしょ、お城の中枢に浮かんでいた巨大な黒曜石。あれは神界のシンボルであり、神様との接点であり、重力からあたしたちの家を解放してくれた魔法の宝石なの。神族の中心がハンシャ女王なら、神界の中心はあの黒曜石と言えるわね」

 マリが岩の島に建てられた自宅に着地する。俺とミズタも同様にした。
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