学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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03白鷺トロフィーの行方

能面の男事件03

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「なあ、楽しいか?」

 ある朝、英二が結城に問いかけた。車に揺られて登校している途中のことだ。

「といいますと?」

「俺なんかのために尽くして、さ。お前は幸せなのか?」

 いきなりの質問だった。その割には真剣味が漂う。これは軽はずみな答えではいけないと、結城は真摯しんしに向き合った。よく考えて唇を動かす。

「はい、幸せですし楽しいです。英二様の幸福は私の幸福です。英二様と巡り会って、私は後悔したことがありません」

 英二は結城の目を見つめ、不意にらした。

「そうか。じゃあいいんだ」

 ぶっきらぼうにそう言った。結城はその態度にくすりと笑う。

 全てが順風満帆。結城は人生の絶頂にあったといっても過言ではなかった――



 だがそれはある日、唐突に終わりを告げる。結城の祖母・久美が他界したのだ。

「お婆ちゃん……!」

 顔に白い布がかけられたむくろを、すすり泣く女たちが囲んでいる。大腸癌だったらしい。結城は信じられぬ思いで、かつて祖母だった肉体にすがりついた。涙は溢れ、容易に止まらなかった。

 そのとき、結城の肩に手が置かれた。振り向くと、三宮家の当主、三宮つよしが無念そうな顔で佇立ちょりつしていた。

「手は尽くした。安らかな死に顔だった。今回は気の毒なことになったな」

「当主様……!」

 結城は目元を拭いながら号泣した。

 その後、祖母は手厚く葬られ、列席者はここでも涙した。だが不幸はこれだけでは済まなかった。

 更に一年後、今度はまだ若い母・幸恵が亡くなったのだ。

 三宮邸のホールにある大階段を転げ落ち、頭部挫傷で急逝したという。不幸せの完全なる不意打ちに、結城は愕然と膝を折った。慟哭どうこくは遺体との対面でも、その後の葬儀でも、止めようがなかった。この頃になると身長差がついていた英二は、背伸びして結城の背中を叩いて慰めた。

 菅野家の男性は代々短命である。結城の父も祖父も若くして亡くなっていた。結城は天涯孤独となったのだ。

 沈んだ気持ちを抱きながら、それでも結城は英二のメイドを貫いた。菅野家は三宮家に服従する伝統なのだ。それを自分の代でおろそかにすることはできなかった。

 やがて二人は別れることになる。英二は都内の難関私立高校にトップで合格し、そこに通い始めた。ただ空気が悪く、英二も当主・剛も不満だった。一方結城は様々な高校を転々とし、英二の通う高校としてふさわしいかどうか、「下見」に励んだのである。

 そうして英二は、結城の推薦した渋山台高校に転校してきた。主従は再び合わさり、仲良く高校生活を始めたのだった……



 結城は憎悪の露見を覆い隠そうとはしなかった。

「熊谷様はまず部下を使い、私に接触してきました。運転席の漆原さんです。彼は私に、祖母・菅野久美が大腸癌にもかかわらず、三宮家からろくな手当てを受けさせてもらえなかったことを、豊富な資料と共に教えてくださったのです」

 英二は軽く目を見開いた。かつてない強張った表情だ。

「何だと。どういうことだ」

「漆原さんは私に真実を告げました。当主様は祖母に、三宮家御用達の一流病院施設を受診させず、もう用は済んだとばかり、田舎の小さな総合病院を強要したのです。また、祖母の癌を治せる特効薬を、日本で認可が下りておらず高額になることから、用意してくださいませんでした。そして私と母のメイド作業に差し障りが出ないよう、祖母が亡くなったことをぎりぎりまで秘匿ひとくさえしたのです。三宮家は祖母に対し、あれだけ全力で尽くしてきた彼女に対し、まるで家畜を扱うかのようなむごい仕打ちを与えたのです」

 俺は口を利けなかった。英二は両目を炯々けいけいと光らせている。

「父上がそんなことをしたというのか」

 結城は首肯した。はっきり確信した態度である。

「否定なさいますか? でも事実です。漆原さんの資料に虚偽や捏造ねつぞうは見い出せませんでしたし、その後の私の調査でもおかしな点はありませんでしたから」

 俺はこの緊迫した状況に、いちじるしい喉の渇きを覚えた。結城が再び言葉を紡ぎ出す。

「そして母。母は屋敷の大階段で転落死しましたが、それは事故ではありませんでした」

 狂おしいほどの憎しみが端々に感じられる。吐き出したのはこれ以上ない侮蔑だった。

「こともあろうに当主・剛が、嫌がる母に無理矢理キスしようとした挙句、誤って落としてしまったのです」

 英二はさすがにたまりかねて口を開いた。語調に怒りがこもっている。

「そんな馬鹿な。ふざけるな! そんな証拠がどこにある? 父上がセクハラなどするわけがない……」

 結城は笑おうとして失敗したか、頬を奇妙に歪めた。

「そうでしょう、私もそう思いました。まさか自分の仕えている当主様が、殺人を犯したなんて――それもその相手が私の母だなんて――、信じる以前に考えられませんでしたから。しかし同じメイド仲間の杉浦すぎうらさんが抵抗する母の声を聞いていたこと。転落死した母を発見した最初の人物が当主であること。母が階段に激突したのが顔からではなく後頭部からだったこと――」

 銃を握り直し、大きく息を吸い込む。熱いマグマを唇より漏らした。

「結局警察は事故死で片付けましたが、漆原さんは以上の疑問点を挙げて私におっしゃいました。『これを事故死と思うのは君の判断によるけど、あまりにも酷過ぎないかい? もし興味があったら熊谷様にお会いしたらいい。三宮家が菅野家の服従を絶対視し、その家族を使い捨ての道具のように考えていることが、賃金や保険などの雇用状況からも明らかになるはずだ』」

 結城はちらりと俺を見て、すぐ目線を元に戻した。

「私は全ての書類を持ち帰り、改めて検討しました。誰かに見られでもしないかと、内心冷や冷やしながら。そして三宮剛の実像を突き止めたこれらの文書に、間違いはないと確信したのです。私はそれからも悩みに悩み、睡眠時間を削ってまで頭を整理しました。そうして三宮英二や三宮剛へ馬鹿みたいに仕える自分自身に、嫌悪感を抱くまでになったのです」

 自分の灼熱の意志を再確認するように深呼吸する。

「私は熊谷様にお会いすることにしました。三宮英二の命を狙った敵ではありますが、私は祖母と母の死の真相で正常な判断を狂わされていました。いや、今思えばそれこそが正しい事実認識だったのですが。ともかく私は三日後に熊谷様と会見しました。様々な資料から三宮家の菅野家に対する冷遇を一から教示された私は、烈火のごとく怒り狂い、承諾することにしたのです。今日この日、三宮英二を亡きものにする計画に参加することを。そうですね、漆原さん」

 漆原がハンドルを抱えながら応じた。

「ああ、その通りだ」

 英二は身動きせぬまま鼻で笑う。

「急に口調をがらりと変えたな、おっさん」

「黙れ、ガキ」

 俺は変わり果てた結城に胸が締め付けられる思いだった。車内の空気が薄く感じる。

「菅野さん、そんな……」

「朱雀さん、残念です。あなたを今回の復讐劇に巻き込むつもりはありませんでした。しかし、この車に乗ってしまったのなら仕方ありません。三宮英二と共に、死んでいただきます」

 英二は今の結城の告白にも冷静沈着だ。

「……話は分かった。結城の祖母と母の件、それが本当なら、父上に代わって頭を下げる。済まない」

 瞬間、結城がヒステリックに裏声でまくし立てた。

「済まないでは済みませんよ、残念ですが! それで死んだ二人が生き返るなら構いませんがね!」

 彼女は叫び終わると、そうした自分を恥じたらしい。体勢を整えて、今度は抑揚のついた声を出した。

「……今更遅きに失したというものです。それにその謝罪はあなたがしたところで意味がありません。本来するべき当主の剛は、絶対認めず頭を下げないでしょうしね」

 日はまだ中天高く昇っている。周囲の紅葉は照り映えて、車内の修羅場に頓着せず、ただただ輝いていた。

「結城、それでここはどの辺りだ? 俺を殺すと言うが、どこで殺すつもりだ?」

 それは俺も知りたかった。もう四方にひと気はないし、拳銃の引き金を引けば英二の命を絶つことができる。だが結城は一向その行為に及ばない。もちろんそれはありがたいことだったが。

「熊谷様の別邸です」

 リムジンは森林と相容れない、ごく一般的な現代建築の前で停車した。高い塀の奥に黒い屋根が覗いている。周りは静まり返り、清流の音色が遠く細く聴こえるのみだ。

 熊谷も拳銃を取り出す。俺の胸元に狙いをつけて、低く短く「降りろ」と命じた。俺は突如間近に迫った「死」に全身がすくんだ。以前にボウガンで命を狙われたり、また銃弾をふくらはぎに受けたりしたことがあるものの、もちろんそれで修羅場に慣れるわけもない。弾丸の激烈な痛みを想起すると、胸につけられた銃口は確実な最期を意識させた。

「わ、分かったよ」

 心臓が早鐘を打つのを感じながら、それでも英二を見習って粛々しゅくしゅくと言われた通りにする。俺たちは全員車から降り、灰色の門構えの扉部分に移動した。3メートルほどあるその頂上付近で、監視カメラが冷たい視線をこちらに放っている。

 漆原は勝手知ったるようで、横に据えつけられたインタホンを押した。

「漆原です。三宮英二を確保しました」

 十秒後、扉が金切り声を上げて左右に押し開かれる。中にいる人物が操作したのだろう。

 英二が鼻を鳴らした。

「ご大層な造りだな。もっとも俺の三宮邸もよそのことは言えないが」
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