学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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02夏休みの出来事

114の鍵事件02

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「どうだ結城、せっかく来たんだ。泳ぐ姿を見せてみろ。俺より速いバタフライ、久しぶりに見てみたいんだ。今回は海と違って荷物番に徹しなくてもいいんだからな」

 結城は英二のふくらはぎを淀みなく揉みしだいている。

「しかし、それでは英二様の護衛が……」

「何、楼路がいる。心配するな。これは命令だ、結城」

 結城は心の葛藤に五秒で蹴りをつけた。しなやかに立ち上がる。

「……承知しました。それではしばしお待ちください」

 結城が25メートルプールの順番待ちに並ぶ。高校一年とは思えぬほど張り出した胸、くびれた腰は、周囲の好奇の目をいてやまなかった。俺は眩しい思いで彼女を眺めた。

「しかし、英二と菅野さんっていつ頃知り合ったんだ?」

 英二は目を閉じたまま、逆に質問してきた。

「なぜそんなことを聞く?」

「いや、二人ともあんまり完璧な主従関係の上、阿吽あうんの呼吸だからさ。中学生からか?」

「幼稚園からだ」

「早っ。10年以上前からかよ」

 英二はこちらを不思議そうに見た。

「何を驚く必要がある? 菅野家は代々三宮家に仕えてきたんだ。結城の着任はむしろ適切な頃合いだ」

 結城が飛び込み台の上に乗った。いよいよか。俺と英二は身を起こすと、プールのそばに陣取った。

「だが楼路、俺たちは別にいつも二人でいるわけじゃない。例えば今年の春は、結城が各高校の状況を観察・検討・報告する義務を負い、俺の元を離れたりした」

「ああ、そういえばそうだったな。英二が遅れて転校してきたんだっけ」

「結城は少し離れていた一時期以外は、俺の影たるをもって任じてきた。光あるところに影あり。俺たちは二人で一人なんだ」

 俺はその言いぐさに少し苛立つ。

「少し勝手過ぎないか? まるで菅野さんが英二に付き従うのが当たり前、みたいじゃないか」

 英二は臆面おくめんもなくうなずいた。

「そうだ、当たり前だ。それで何か問題あるか?」

「お前な、良心とかないのかよ」

「おっ、泳ぐぞ」

 会話が断ち切られる。俺たちの視線の先で、結城が透明な水の中へ切り込むように飛び込んだ。ひょうのような足と鳥の翼のような両腕を振るい、猛然とバタフライで突き進む。派手な水飛沫の中、その肢体は機械のような正確さで水を後方へと逃がしていった。並のスイマーなら裸足で逃げ出すであろう、驚くべきスピードだ。

「凄い……!」

 俺は感嘆した。ちょっとこれは真似できない。結城の泳法は完璧で、その速度は一向落ちなかった。

 25メートルはあっという間だった。結城はゴールすると、荒い息をつきながら梯子を伝ってプールから上がった。しなやかな四肢が濡れて陽光にきらめいている。

「見事だったぞ、結城」

「凄いね、菅野さん」

 結城は頭を下げた。水滴がぽたぽたと地面に落ちる。

「お恥ずかしい」

 普段感情の起伏を見せない冷徹な結城。しかし彼女はこのとき、かすかに微笑んだ。



「ちょっと小銭取りに行ってくるね」

 プールが8分の休憩時間に入った頃、奈緒がそう言って更衣室へ歩いていった。『探偵部』はいったん集まって、遊び疲れた体を思い思いに休めている。自販機でアイスやカップラーメンを買う客が目立ち、係員が流水プールを潜行して危険物の有無をチェックしている。

「楼路さん、どこ行ってたのよ」

 愛が不満に頬を膨らませる。流水プールで楽しんでいた彼女は、すぐにいなくなった俺を捜していたらしい。

「ああ、ごめんごめん。休憩終わったら俺も流水の方に入るよ」

「約束だからね!」

 純架が横目でちらりとこちらを見たが、黙って視線を外した。「甘やかすな」と言いたげだった。俺は奴の兄馬鹿ぶりにくすりと笑う。

 英二はウォータースライダーの全景をつぶさに観察していた。

「俺もやってみるか。何事も経験だ」

 彼が挑戦したら、それこそ小学生にしか見えない気がするが……。英二は結城にアイスコーヒーを渡されると、礼も言わずストローに口つけた。

 それにしても。

「遅いな、飯田さん。何してるんだろ」

 休憩時間が終わり、利用客たちが次々プールに飛び込む。だが彼女は現れない。人々の流れを傍観して待つこと5分。俺の疑念に対する答えがようやく得られた。

「大変大変!」

 奈緒が更衣室から駆け足で戻ってきた。愛といい彼女といい、『プール場では走らない』との鉄則をいちいち破っている。

「何が大変なんだい、飯田さん?」

 純架が好奇心から尋ねた。奈緒は俺たちの側に走り寄ると、弾む息を鎮めながら開口一番、

「鍵が入れ替わってるの!」

 怒りとも悲鳴とも取れる語調で、そう叫んだ。



 今より二時間前、このプールに来たときに話はさかのぼる。

 女子更衣室に入った奈緒は、114番のロッカーを使い、水着への着替えを始めた。

「遅いよ、飯田さん」

 愛があっさり装着し終わり、鍵を収納したリストバンドを手首にはめる。奈緒は抗弁した。

「大人は色々面倒なのよ」

 適当なことを言いながらブラジャーを外す。愛が笑顔を咲かせた。

「わ、出るとこ出てるね! 触ってもいい?」

「駄目」

「ちぇっ、つまんないの」

 近くで黙々と着替えていた日向と結城が、続々とドアを閉めた。二人ともリストバンドを手首にはめる。

「まだかかりそうですか、奈緒さん?」

「もうちょっと……」

 結城が水泳帽の位置を調整した。

「私は先に行きます、飯田さん。英二様がお待ちかねですので」

 こうなると奈緒もあせる。こんな時間がかかるなら、下はあらかじめ穿いてくればよかった。

 それでも悪戦苦闘し、完全に水着姿になった。財布や鞄、衣服を開き戸の奥の小空間に押し込む。ドアを閉め、鍵を抜いた。扉がロックされたのを確認し、やっと終わったと一息つく。

「お待たせ」

 しかし、見てみれば他の三人は既に出口に向かっていた。置いてけぼりを食ったようだ。奈緒は鍵を回してリストバンドに収めると、手首をその輪に通そうとした。

 そのときだった。

「あいたっ!」

 突然硬くて強い衝撃を胸元に受け、奈緒は尻餅をついてしまった。リストバンドが床に落ちる。

「ご、ごめんなさいっ!」

 どうやら近くの利用客とぶつかってしまったらしい。痛む尻をさすりながら前方を見れば、黒いツインテールに燃え立つような茶色の瞳の少女が、慌てふためいて謝っていた。細く紡がれた眉、自己主張の強い鼻と唇が鮮やかだ。

「本当にごめんなさい、不注意でした! お怪我はしてませんか?」

 年の頃は14歳辺りだろうか。若いわりに話す言葉は大人びている。奈緒は笑顔で答えた。

「大丈夫、何ともないから。あなたこそどうなの?」

「私は無事です。これ……」

 少女がリストバンドを拾い上げる。奈緒は苦笑して受け取った。

「ありがとう。じゃ、私行くから。気をつけてね」

「はい、すみませんでした!」



「あのとき鍵が入れ替わったのよ!」

 奈緒は力説しつつ手首を差し出した。リストバンドに黒マジックで書かれた番号は、彼女のロッカー番号「114」を示している。日向が首を傾げた。

「合ってるじゃないですか」

 奈緒は彼女の顔に手首をぐっと近づける。いたって真面目だ。

「よく見て」

 俺と日向は目をらした。

「……ん? これは……」

 注意して見なければ分からないほどかすかだが、その番号「114」のうち「4」の字は不自然だった。それは明らかに「足されていた」。

「『1』の字か?」

 俺が指摘すると、奈緒は大きくうなずいた。

「そうよ。この『4』の字、『1』と書かれていたものに線を加えて『4』にしてあるの。この鍵、『114』じゃなくて、『111』なのよ!」

 奈緒は頭を抱えた。

「だから114番のロッカーを開けられなかったのよ。誰か見知らぬ客の一人が、前に111番を使った際、いたずらでマジックを足したのに違いないわ」

 純架に助けを求める。

「どうしたらいいと思う、桐木君?」

 純架は俺に対して「ひじって十回言って」と請願してきた。俺は仕方なく「肘」と十回繰り返した。

 純架は「それで?」と詰問してきた。

 俺が知るかよ。

「そうだね、とりあえずその鍵で111番のロッカーを探ろうよ。本当に開くのかどうか、それで分かるはずさ」

「もう試したわよ。簡単に開いたわ。この鍵は111番ロッカーのもので間違いないわ」

 奈緒は渋面じゅうめんで吐き捨てた。

「あのツインテールの子の着替えは入ったままだったわ。でも服だけ。スマホや財布とか、貴重品は入っていなかったわ」

 純架は腕を組んだ。途方に暮れた、といった表情だ。

「やれやれ、まだ帰ってないと見るべきか。それとも……」

 英二が提案した。それはごく普通で常識的なものだ。

「とりあえずプールの運営に頼んでアナウンスしてもらえ。鍵が入れ替わったから届け出て来い、ってな。まだプールにいるなら反応があるはずだ」

 純架は全く異論の余地なしとばかり、この言に太鼓判を押した。

「そうだね、そうするべきだね」

 奈緒は暗い前途に無念のため息をついた。憂鬱ゆううつそうに空を仰ぐ。

「何でこんな目に遭わなきゃならないの……」
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