学園ミステリ~桐木純架

よなぷー

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01桐木純架君

変わった客事件04

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 一瞬聞き間違いかと思った。このゴールデンウィーク中、カフェラテ以外頼んだことのない光井さんが、初めて食べ物を注文したのだ。

「オムライス一つ、かしこまりました」

 俺はマスターに商品を要請した。

 そこで純架が動いた。自分の席を立つと移動して、光井さんの目前のソファに腰を下ろしたのだ。奈緒も後に続いた。

 純架は目を丸くしている光井さんを前に、両手を組み合わせてテーブルに載せた。

 その後、純架は光井さんと何やらしきりと話しこんでいた。光井さんの両目に往年の光が宿るが、純架は決して気圧けおされることなく前傾姿勢で言葉を並べる。

 俺はウェイターとして働きながら、話が聞きたくてもどかしかった。出来上がったオムライスを光井さんの元へ届けるとき、俺は話の断片でも聞けるかと期待したが、彼らは俺が近づくと黙ってしまった。そして俺が立ち去ると、またせきを切ったように喋り出す。おいおい、それはないんじゃない?

 やがてオムライスを食べきった光井さんは、勘定を済ませると店を立ち去っていった。純架と奈緒も自分の注文したものを飲み干し、やはり店を後にする。

 結局、俺は何の話も聞けなかった。



「お疲れ!」

 桜さんが俺の肩をはたく。俺は既に私服に着替え、帰路につくところだった。

「これで坊やともお別れか。名残惜しいな」

「坊や呼ばわり、結局変えてくれませんでしたね」

「馬鹿、あんたみたいなヒヨッコを名前で呼ぶもんかよ。……でもまあ、そうだな。うん、よくやったよ、朱雀」

 俺は胸が熱くなった。

「先輩、ありがとうございました」

 敏晴・春恵夫妻にも頭を下げる。

「今回は本当、お世話になりました。今度は客として来ますね」

「ああ、大歓迎だよ。達者でな」

「気をつけて帰るんだよ。給与は後で振り込むから楽しみに待ってるんだね」

「はい!」

 俺は人生の大海原を航海中にたまたま立ち寄った島『シャポー』に別れを告げた。



 明日からまた学校だ。俺は自室のベッドに飛び込み、今日の疲れに呻吟しんぎんした。眠気の大軍が押し寄せてきて、俺の思考を侵略していく。俺はやがて、深い眠りに――

 携帯の着信音が高々と鳴り響いた。俺は安眠を妨害されて中っ腹になってスマホを手にした。純架からだ。

「もしもし」

「やあ、楼路君。光井さんの話なんだけど」

 俺は瞬時に眠気が吹っ飛び、意識の輪郭が際立った。

「それだ。俺はそれを聞きたいんだ」

「じゃ今からそっちに行くよ」

「電話じゃ駄目なのか? かけ放題に加入してないなら、一度切ってこっちからかけ直すけど」

「僕が行ったほうが早い。光井さんとの会話を録音したICレコーダーがあるんだ」

「なるほど……」

 そうして5分後、俺の部屋には純架がいた。出したインスタントコーヒーを素直に飲む。

「多少雑音はあるがね。じゃ、聞きたまえ」

 ICレコーダーを再生する。俺は待ち切れず耳を傾けた。



 純架が切り出した。

「録音の許可、ありがとうございます」

「何だか分かりませんが、一体何の話をするおつもりですか?」

「すぐ分かります。あなたは光井欣也さんですね」

 一拍いっぱくの間。

「何故私の名前をご存知なのかな?」

「一昨日僕の友達のウェイターに名乗られたからです」

「ほう、友達だったんですか。そちらの娘さんも?」

 奈緒が可愛らしい声を出した。

「はい。私は飯田奈緒です。朱雀君の友達です」

 純架は声を低めた。

「僕は桐木純架。ジュリーと呼んでください」

 光井さんは賢明にも無視した。

「桐木君、話はそれだけですかな」

「これからですよ。光井さん、4月29日の奥様の七回忌、やっぱり朝早くに済ませたんですか?」

 光井さんが息を呑んだ。

「どうしてそのことを……」

「図書館で過去の新聞記事を調べました。6年前の4月29日、光井美優みつい・みゆさんがこの近くの十字路で車にき逃げされたのですよね。小さな記事ですが、はっきり載っていました」

 純架は冷徹に指摘する。

「6年前、と聞いて、僕は故人の七回忌を想像しました。その大切な日にあわせ、光井さんが亡き人をしのんだとの考えは、それほどおかしくもない。だから新聞を調査したんです。そして奥様の事件を知りました。事件が要因で、ゴールデンウィークの初日、4月29日からあなたの個性的な弔いは始まった――そう考えると辻褄つじつまは合う。それでもう一度うかがいますが、七回忌法要は早朝に?」

 光井さんはうなった。

「そうです。お坊さんに無理言って、4月29日の朝8時に済ませました」

「やはり……。その足でこの『シャポー』に来たわけですね、午前11時に」

「はい」

「その辺りが分からなかったのですが、今うかがって納得しました」

 衣擦れの音がする。純架が姿勢を正したのだろう。

「光井さん、あなたのこれまでの奇妙な行動がいまいちに落ちず、『シャポー』の臨時ウェイターの友人は苦しんでいます。ぜひ明確に教えていただけませんか? 洗いざらい全てを……」

 沈黙。店内の話し声や物音が通奏低音のように流れるばかりだ。

 やがて光井さんがためらいがちに口を開いた。

「……そこまでおっしゃるなら仕方ない。ありのままをお話しましょう。ゴールデンウィークも終わることですしね」

 しわぶきを一つ。

「……私は刑事の仕事一辺倒な人間でした。妻の美優はそんな私を30年余、影に日向に支えてくれました。それでも定年退職まで10年――今から16年前ですか――のあるとき、私が別居を言い出したときは辛かっただろうと察します。当時私は因縁深い数々の事件を抱え、ほとんど家に帰りませんでした。それに、私には家に仕事を持ち帰る癖があり、家族との時間もほとんど取らなかったのです。それがあまりに非効率的だったので、私は県警近くに自分の部屋を借り、妻のいる実家には盆と正月以外戻らなくなったのです。それでも美優は文句を言わず、ただただ私のわがままに尽くしてくれました」

 純架も奈緒もただ耳を澄ませるばかりだ。

「だから定年退職で全てから解放されたときは、筆舌に尽くしがたい喜びを覚えました。後は年金で悠々自適の生活が待っています。解決できなかった事件は後輩に任せ、仕事の虫だった自分はただの虫になりました。そのことは美優も喜びました。私は最後の後片付けをしながら、何より妻のために、今後の生活について相談しようと、この『シャポー』で語り合う機会を設けたのです。それが6年前の4月29日午前11時でした」

 光井さんの声が震えているのは、当時を思い出したからだろう。

「しかし美優は永遠に『シャポー』に現れませんでした。二人で久闊きゅうかつじょし、これから先をいかに過ごしていくか。まずゴールデンウィークについて打ち解け話し合う予定は、予定のままで終わりました。美優はこの店に辿り着く直前、すぐ近くの交差点でき逃げにったのです。頭を地面に強くぶつけて、即死だったようです」

 怒りと悲しみが同居する声音だった。

「しかし私は気づきませんでした。待ち合わせの11時を過ぎてもこの店に現れないので、私は美優に携帯をかけました。しかし美優の携帯は――後から聞いた話では、車に衝突した際に壊れたそうです――何度かけても一向に繋がりません。私はいぶかしみましたが、美優の携帯の電池でも切れたのかと、そのままこの店で待ち続けました。そう、明らかにおかしいと思って店を出た、午後2時まで」

 光井さんがため息をついた。

「今年は妻の七回忌です。私はあいつを弔うために、このゴールデンウィークの間、『シャポー』で時を過ごすことにしました。自分一人だけたらふく飯を食うわけにはいかないので、毎日カフェラテ一杯を注文し、それを美優に捧げたのです」

 純架は尋ねた。

「窓の外を見てたのは?」

 光井さんは微苦笑した。

「ひょっとしたら美優が現れるんじゃないか、って期待したんです。全ては悪い夢で、今に姿を見せて入店してくるんじゃないか、自分の目の前にひょっこり座ってくれるのではないか、と。愚かな話ですがね」

「大変お待たせしました、こちらオムライスになります」

 俺の声が吹き込まれていた。純架と光井さんは話を止めた。

「ごゆっくりどうぞ」

 俺の立ち去る靴音がする。

 光井さんが苦笑した。

「この店には迷惑をかけてしまいました。連日四人掛けの席をコーヒー一杯で占領してしまいましたからね。これからは毎日存分に注文させてもらうつもりです」

 皿とスプーンのぶつかる音が立った。

「ほう、これは美味い。……これを食べ終わったらあそこの花屋で花束を買って、事故現場に献花しに行くつもりですよ」

 奈緒は半泣きだった。

「ぜひそうしてあげてください。きっと天国の奥さんも喜びます」

 光井さんは茶目っ気たっぷりに言った。

「何故私がカフェラテばっかり頼んで、カフェオレを注文しなかったか分かりますか?」

 純架は笑った。

「エスプレッソだからですね」

「おや、さすがですね。君は何でもお見通しだ」

 奈緒が困惑する。

「え、何で何で? 確かにカフェラテはエスプレッソに牛乳を混ぜたものだけど、それがどうして理由なの?」

 純架が答えた。

「エスプレッソの語源は、イタリア語で『あなたのためだけに』の意味なんだよ、飯田さん」



 録音再生が終わり、純架はICレコーダーを止めた。胸に手を当てる。

「以上がこの事件の全貌だよ。楼路君」

 俺は光井さんが満足そうに店を後にする姿を夢想した。

「変に勘繰かんぐって酷いことをしたな。今度ちゃんと謝りに行こう。そのときは付き合ってくれるか、純架」

「もちろんだよ」

 こうしてゴールデンウィークは平穏無事にその役割を終えていくのだった。
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