踏切少女は、線香花火を灯す

住倉霜秋

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踏切と少女と線香花火

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世の中には、世間の流れからはぐれてしまった人間が存在する。

そうした人間は大抵の場合、夜が好きな夜行性になることが多い。

そして、夜行性の人間は夜歩きをするという習性をもっている。



夜に外を出ると、面白い出会いをすることがある。

夜は人を開放的にさせるからだ。

夏もまた人を開放的にさせる。

だから、夏の夜は、実に摩訶不思議なことが起こる。



例えば、大学四年生の引きこもりの彼は、前期の重大な単位を落としたのにも関わらず、他人事のように感じていた。

もとは少しサボり癖がある程の健全な大学生だったのだが、大学三年の秋に、一番仲のいい友人が、飛び込み自殺をしたところから、生活が回らなくなってきてしまったのだ。



彼も引きこもりらしく、夜歩きが趣味の人間だった。

最初は、コンビニと一人暮らしのアパートを往復するだけだったが、だんだんとその行動範囲は広くなっていった。

六畳一間の部屋に引きこもっていると、希死念慮が強くなっていき、どうしようもなく死にたくなってくるのだ。



そこで彼は、毎日夜歩きの目的地を決めることにした。

出来るだけ自分がクタクタになるほどの距離の場所を決めて、歩くことにしたのだ。

こうして、彼の規則的で不健康な生活が始まった。



ある日は、廃校になった中学の正門を目指し、ある時は市民プールに忍び込んで飛び込んでみたり、夜明けまでに神社の鳥居をいくつくぐれるか挑戦してみたり、その目的地は実に様々なものだった。



そんな彼に、転機が訪れたのは、ある夜、廃線の小さな駅を目的地に決めた日のことだった。

その日もいつも通り、太陽が沈んだ時間に起き、水とたばこと酒を持って、すぐに家を出る。

外は夜なのにセミとカエルの鳴き声で騒々しく、湿気を多分に含んだ空気は熱気を纏って体にへばりついてくる。

気だるい体に酒を入れて、神経を鈍らせて、目的地を目指す。



廃線に入って、線路の上を歩いていく。

草が茂っていて、道が狭くなっている場所もあるが酒瓶で道を切り開いて行く。

そうやって進んでいくと、踏切だった場所にでて視界が開ける。



男は次の瞬間、驚きで声を失い、その場で固まってしまう。



廃線のレールの上に人が倒れていた。



倒れていたのは少女で、黒の制服を着た、長く黒い髪が放射状に広がり、闇夜の暗さに溶け込んでおり、白く細い陶器のような腕が、漆黒の空間に浮かび上がっていた。



「深夜に不審者が一人、私を襲いに来たのですか?」



少女は寝そべっているのに、どこか見下ろされているように錯覚するほど、迫力があった。

男は最初、動揺によって固まっていたが、次の瞬間には、その少女の人形のように整った美しさに見とれてしまっていた。

そのため、少女に罵倒されたことに少し遅れて気が付いた。



「真夏の真夜中にセーラー服の女が寝てるほうが不審だ」



「私はただ自殺の予行練習をしていただけです」



「今の言動に不審じゃないところが見当たらないぞ」



「学校で教えてくれないから、こうして自習してるんです」



「勤勉なことで、素晴らしい」



確かに少女は首筋と大腿のところに、線路を引いた状態で寝そべっている。

確かに電車がそこを通ったとしたら、首と胴体と足の三つの部位に綺麗にちぎれるだろう。



「どうして自殺練習なんてしているんだ?」



「あなたは生きている理由があるんですか?」



「死ぬ理由もないからな。なんとか生きてるよ」



「そうですか。私には死ぬ理由があります」



「まだ若いだろう。どうしてそんな思いつめることがあるんだ」



「悩みや苦しみは相対的なものです。人を見透かそうとしないでください」



不愉快ですと言って少女は立ち上がる。

少女は立ち上がると睨むように男のほうに視線を向けた。



立ってみると、先ほどの気迫のようなものはやはり持っているが、想像よりも小柄で、見上げる様に男のことを睨みつけていた。



「すまなかった。不快な気持ちにさせるつもりはなかったんだ。実は最近、友人が飛び込み自殺をして思うところがあったんだ」



「それは残念でしたね」と少女は関心のなさそうな相槌を打った。



「実はこれがあんまり残念なことじゃないんだ。むしろ、めでたいことなのかもしれない」



少女はなにも言わず、無表情のまま男を見つめている。男はそれを話を続けろという意味で受け取った。



「これは死にたがりの男の願いが成就しただけの話なんだ。本人にとって、めでたいことなんだから、友人である俺も祝ってやらないといけないだ。だけど、今まで仲の良かった奴が日常から抜け落ちて、今までどうやって生きてきたかわからなくなった」



「つまり」と少女は憐れみと無関心が入り混じったような表情で言う。



「あなたは寂しいんですね」



男は虚を突かれたような感覚になって、少し恥ずかしそうに笑う。



「それは違うと言いたいけど、ただ認めたく無いだけで、本当のところはそうなんだと思う」



少女は何も言わなかったが、どこか寂しそうな顔をしていた。

初対面の少女になぜこんなことを言ってしまったのだろうと恥ずかしくなり、手癖で男は煙草に火を点けた。吐いた煙は、蒸し暑い夏の空気に溶ける様に消えて行った。



「それ、一本ください」と少女は男のほうを指さして言った。



「煙草を吸うのか?」



「吸ったことがないから、吸いたいんです」



制服を着た少女からそのようなことを言われるとは思わなかった。

しかし、死にたがりな少女に健康問題を説いたところで、有難迷惑だろうと感じたので、少女に煙草を一本差し出した。

煙草を咥えた少女の口元に、ライターを近づけ火を点けた。



「火が付いたら、最初の一口目は吐き出したほうがいい。フィルターの味がしておいしくないだろうから」



少女は一口煙を吸い込んでから、咽ていた。

けほっけほと咳をして、涙目になっていて、先ほどまでの強気な態度との差で男は笑ってしまった。



「なんですかこれ、こんなものの何がいいんですか」



男はなんだか懐かしくなった。

長瀬に初めて煙草を貰った時、彼自身も同じような台詞を言ったことを思い出した。



「最初は小さく煙を吸って、飲み込むほうがいい」と男は最初に長瀬が教えてくれたことをそのまま言った。

その後も、何度もむせ返る少女を見て、なんだか懐かしくなり、好きにさせることにした。



「非行少女に煙草はよく似合う」



「誰が非行少女ですか、夜歩きする不審者さんのほうが、よっぽど煙草がお似合いですよ」



「それは嬉しいな」と男は笑うと、少女は皮肉が効かなかったことがを悔しそうに不機嫌そうになった。

そうしていると、普通の年頃の少女のように見えてくる、手には火のついた煙草を持っているが。



「不審者さんはどうして、こんな夜に線路の上を歩いていたんですか」



「俺の一日は朝と昼がなくて、夜だけしかないんだ。だから、必然的に外に出るなら、夜になるんだ。毎日目的地を決めて、こうして歩いているんだ」



「もしかして、」と少女はあきれ果てたように言う。「あなたは引きこもりさんなんですか?」



「そういうことになるんだけど、君も不登校なんじゃないか?」



「引きこもりさんは学生なんですか?」



「大学生だ」



「大学生ってもっとキラキラしてるんじゃないんですか……」



「鉛のように、鈍く光ってる」



ショックを受けている少女が面白くて、また男は笑ってしまった。



「だから、俺たちは不登校で不審者という点に置いて共通項があるわけだ」



「なら自習している私のほうが勤勉で偉いですね」



「内容が自殺練習じゃなければな」



「引きこもりさんは今日はどこへ向かうんですか?」



「この先にある廃駅まで行こうと思う」



「気に入りました」と言って、少女はついてくることにしたらしい。

断ってもどうせついてくるんだろうと男は諦めた。



田舎の単線に不審者が二人、廃駅を目指して歩いた。



「明日も歩くんですか?」



「わからない。けど、きっと歩くと思う。」



「他にやることもなさそうですしね」



余計なお世話だと言ってやりたかったが、実際のところそうなので男は黙った。



「提案があるんですけど、」と少女はいかにも名案を思いついたという表情をして、

「明日も一緒に歩きませんか?」



「深夜に制服姿の女の子と歩いていたら、通報されるかもしれないから、あまり気は乗らないな」



「もし断るようなことがあるなら、私が通報します。深夜に、不審な男が出歩いていて煙草を吸えを脅迫されたと」



「それは恐ろしい話だ。極悪非道な不審者が世の中にはいるんだな」



どうやら、男に拒否権はない様だった。

しかしながら、男にとっても悪い提案ではなかった。ただでさえ、人との繋がりが希薄になっていたため、こうした時間も必要なのかもと考えたのだ。



考えているうちに駅に到着した。

目的地の廃駅は建物が朽ちてしまっており、おどろおどろしい雰囲気を漂わせていた。



「やっぱりあんまりいいところではないですね」



少女は文字の消えかけた駅の木製看板を見上げて言った。



「それでは、また明日あの踏切でお待ちしています」



こうして、制服少女との不思議な関係が始まった。



次の日は、小さな街の公園を目的地にすることにした。

夜に同じ廃線に行くと、同じように少女は仰向けになって線路に寝そべっていた。



「まさか本当に来るとは思いませんでした」



「俺も行くつもりはなかった」



次の日、男が昨日と同じ時間にそこに行くと、少女は昨日と同じように踏切に寝そべっていた。



やはり、遠くから見るとそこら一帯が異質な雰囲気を纏っているように思えた。黒の髪はまるで、月明りを吸い取ってしまうように黒くまっすぐ、地面に広がっていた。

少女は男の存在に気が付くと、むくりと起き上がった。



「今日はこれをしましょう」と言って少女は背中からカラフルな花火を取り出した。



男は一瞬何を言っているのか理解が追いつかなかった。

まさか、自殺練習をする少女から手持ち花火が出てくるなんて、なんだかおかしくくって笑ってしまった。



「なんで笑うんですか」



「いや、どうして不審者と花火をやろうと思ったのかなって」



「昨日の煙草のお礼です」



「律儀だな」



「真面目なんですよ」と脹れたような表情で言った。



きっと本当に根が真面目なのだろう。

ならば、なぜそんな子が自殺の練習なんてしているのかという疑問が出てきた。

なんとなく複雑な理由があるような気がするなと男は感じた。



「なら今日はこの先の公園を目指そう」



「いいですね」



男が先を行って、少女はその後をついていくように歩き始めた。



「不審者さんは、亡くなったお友達は後悔してると思いますか?」



「どうだろうな」と唐突な質問に男は空返事をした。



「なら、あなたは後悔してますか?」



「俺は後悔してる」男は煙草に火を点けた。

「ちゃんとお別れぐらいしたかった」



「なるほど、なんだか前向きですね」



「前向きというより、仕方が無いような気がするんだ。人がいつ死ぬかなんて分からないし、本人が言ってくれない限り知る余地なんてなかったと思ってる」



「そう、かもしれませんね」と少女は俯きがちに言った。



それから少女が質問をやめて、静かに地面を見ながら男の後ろを歩いた。

男にはそれがなにか思い詰めているように見えたが、男自身も長瀬のことを考えていた。



長瀬は本当に後悔をしていないのか、あいつは最後に何を考えていたのだろうかと。

長瀬が死んでから半年ほど過ぎたが、できるだけ考えないように生きてきた。



「さ、ここで花火をしよう」



「この公園結構好きです」



二人は端にある砂場に腰を下ろして、花火を開けた。

少女が花火を選んでいる間に、男はライターを取り出して、適当に花火を拾って火を点けた。



「あ、ずるい」少女は私もやりますと言って、黄色と青の縞模様の花火を取って、男の花火に先を近づけた。

花火は最初にシュッと勢いよく火花を出して、そのあとは様々な色に光を放った。



「こうしていると、あなたが不審者であることを忘れてしまいそうです」



「是非、忘れてほしいところだ」



「花火ってすごく綺麗で夏っぽいですよね」



「夏の結晶だ」



「私、あなたの強さが羨ましいです」



「強くなんてない」



男が消えかけた自分の花火を見ていると、隣からすすり泣くような声が聞こえた。

少女のほうを見ると、花火の先を見たまま、頬に涙が伝っていた。

まるで本人も気が付いていないかったように、泣いているというよりは涙が零れてしまったといった風だった。

少女自身も少し遅れて気が付いたように、慌てて涙を拭いていた。



「なあ、君があの場所で自殺練習をしていた理由を教えてくれないか?」



男は消えた花火を持ったまま、少女を見てそう言った。

数秒の沈黙があって、少女は口を開いた。



「それを教えるなら、この場所は相応しくないです」



「どこか相応しい場所があるのか?」



「明日の目的地は私に決めていいですか」



「かまわない」




少女は消えた花火を地面に置き、花火を取り出して、男のほうに向けた。

男はライターでそれに火を点けた。



「この花火、よくみたら線香花火が入っていないですね」と少女は飛び散る火花を見ながら言った。

「しっかり見てくればよかったな」



「またやればいい」



「不本意ですが、またやりましょう」と少女は小さく笑った。



その横顔があんまりにも綺麗で男は見とれてしまった。

やはり夏の夜は不思議な魔法があるのかもしれない。




次の日も少女は廃線の踏切で横になっていた。

昨日と違う点があるとすれば、少女の傍らに花束が置かれていたことだ。

それを見て、いよいよ死体みたいだなと男は思った。



「その花束は仏花か?」



「こうしていると自分が死んだみたいです」



「俺もそう思っていた」



少女は起き上がり、服を叩き砂を落として、何も言わずに歩き始めた。

どうやらついて来いということらしいので、男はその後ろをついてくる。

少女の手には花束が抱えられており、確かな足取りで風を切るように歩いていく。



「どんなところに行くんだ?」



「私が一人では行けないところです」



「そこはいつもの自殺練習に関係あるのか?」



「それは行けばわかります」



二人はそれ以上会話をせず、蒸し暑い夏の夜道を歩いた。

そうして、数十分歩いて目的地に到着する。



「この場所で何があったんだ?」



「私の大切な人がここで死んだんです」



その場所は踏切だった。

しかし、男と少女と出会った廃線ではなく、在来線の踏切だった。



少女は木の柵のそばにしゃがみ込み、花束を置いて手を合わせていた。

男もその隣に膝をついて、手を合わせて合掌をした。



「君も、親しい人を亡くしていたんだな」



「ずっと後悔しているんです。あの人は私にとってかけがえのない人でしたから、今はどうやって生きて行けばわからなくなったんです」



「その感覚はわかるような気がする」



男は長瀬のことを考えていた。

この踏切は長瀬が飛び込んだ駅から近かった。

長瀬は最期にどんな表情をしていたのだろうか、後悔していたのだろうか。



「こうして花束を置きに来るのも初めてのことです」



「俺はまだあいつのところに行けてないよ」



強いなと男は言った。



「強くなんてないです」と少女は立ち上がり、踏切のほうを見た。



「私はあの人に許してもらえてないんです」



「なにかその人に対して、後悔があるのか」



「後悔ならあります」



そうかと言って男は踏切の中に入っていった。

自殺をした人間に対して、後悔は消えるのだろうか、残されたものは何か悪いことをしたのだろうか、生きていくということは、結構しんどいことなのかもしれないと男は感じた。



「あいつが生きてきた理由が、電車を少し遅らせるためなんて、悲しすぎるじゃないか」



「そうですね」少女も踏切の中に入って行った。

「煙草をいただけますか?」



「いいのか」と男はその行為がこの場にふさわしくないような気がした。



「線香の代わりです。煙は高く上がりますから」



「名案だ」



少女は男から煙草を受け取り、火を点けて煙を空に向けて吐いた。

男も火を点けて同様に空に向かって煙を吐いた。

しかし、男が祈ったのは少女の親しい人ではなく、友人の長瀬に対してだった。



「供養の仕方も不良少女だな」



「あの人と私は、いつもこんなことばかりしてましたから」



「俺達も同じだ」と少女と男は笑った。

その笑い声は夏の夜空の下、踏切に響いた。



「もしさ、俺が死んだとしたら、仲が良かった奴らには笑っててほしいと思うんだ。長瀬もきっとそうやって願っていると思うのは、傲慢なのかな」



「そうかもしれません」



少女は煙を吐いて、フィルターだけになった煙草を地面に落として、踵で火種を消した。そして、吸殻を拾い上げて、踏切を出て、花束の手前に吸殻を置いた。

線香に見立てているらしい。



「俺も長瀬のもとに行かないとな」



「お兄さんは、死にたいと思うことはないんですか」



男も吸殻を花束の前に置いて、少し考えて答える。



「あるよ。もうずっと考えてる。だけど、情けないことに怖くて仕方ないんだ」



「いえ、情けなくなんてありません。死ぬことは勇気が必要ですから」



男は少女の言葉を考えていた。

人が自死するのに必要なのは、勇気なのか。

そんなものを勇気というのだろうか、勇気があれば人は死ねるのか。



「俺が思うに、自殺に必要なのは厭世と錯乱だ」と男は言った。

「何もかも嫌になって狂うとできるんだと思う」




「そうなのかもしれません。ですが、やはり本人たちしかわからないことですね」



「なんだか暗くなったな、今日はここまでにしよう」



そうですねと少女が言って、その日は解散することになった。




その日、男は長瀬との夢を見た。



二人で酒を片手に、橋の上で蒸し暑い夏の夜に、木製のベンチに座って、語り明かしていたことを時の夢だ。



「なあ、もし仮に俺が死んだらお前はどう思うよ?」と長瀬は男に問いかけた。



「もっと行けたんじゃないかって思うかな」



「もっと行けた?」



「そう、なんだかわからないけど、もっと楽しいことが出来たんじゃないかって、そう思う気がする」



「なるほどな、悲しんじゃくれないのか?」と長瀬は笑いながら言う、どうやら酔っているらしい。



「悲しいとは思う、けど生きていくのもしんどいしな」



「頼むから、線香や花なんて添えないでくれよ。なんだか、気持ちが悪くてあの世で寒気がしそうだ」



「ありったけの花を持って行ってやるよ」



夜の橋の上、二人の笑い声が響いた。

男はなんだか懐かしいような感覚に包まれた。



カーテンから漏れる日差しで、昼頃に起きた。

男は長瀬が好きだった煙草を買いに行くことにした。



その日の夜は、廃線の踏切に行く前に、長瀬が死んだ駅に花束と煙草を置いてから、少女との場所に向かった。

その途中で、昨日少女の親しい人が無くなったという踏切に寄ってみようと思った。

なんとなく、もう一度見てみたいと思ったのだ。



そこには少女がいた。

いつもと違う場所になぜ彼女がいるのか、まさか彼女も自分と同じ思考をしていたのかと、男は驚いた。



少女はいつもの黒いセーラー服を着て、自分が昨日置いた花束の前に立ち、見下ろすように立っていた。

その顔に表情はなく、その目は何も見ていないように虚ろな目をしていた。




「考えることは同じか」



「…………」



男が話しかけても少女は反応しない。

なにか考え事をしているのだろうかと、男は顔を覗き込むと、少女は驚いたように反射的に、体を跳ね除けた。



「どうしたんだ、そんなに驚いて?」



少女はなにか幽霊でも見たかのように、目を大きく見開いて、混乱しているような表情をした。

そして、ゆっくりと口を開いた。



「あなた達は、私が見えているんですか?」



男は何を言っているのか理解出来なかった。

冗談なのかそういう遊びなのかと考えたが、なにか違和感のようなものを男は感じ取った。



「あなた達ってどういうことだ?」と男は少女に問いかける。



「まさか、見えてないの?」



男は後ろを振り返る。しかし、そこには誰もおらず、小さな街灯が照らす踏切しかなかった。



「君が言うと、冗談に聞こえないから怖いな」と男は背中を撫でるような、ぞくぞくする悪寒を笑って誤魔化した。



「あなた、もしかしてこの花束を置いてくださった方ですか?」



「さっきから何を言っているんだ、その花束だって、君が置いたんじゃないか」



「私が?」



「そうだ、大事な人がこの踏切で亡くなったって話したじゃないか」



「なるほど」と少女は言って、再び花束を見て、なにかを納得した風に微笑んだ。



「そういう類の冗談は好きじゃない」と男は怒気を込めて言った。



「あなた、ここに来る前にどこか寄ったりしませんでしたか?」と少女は男を真っ直ぐに見つめて問いかける。

「例えば、誰かが亡くなった場所とか」



男はぞくりとした。

なぜ少女が長瀬が死んだ場所に行ったことを知っているのか、少女が廃線の踏切で眠っていた際に、感じた生気を感じさせない雰囲気に悪寒が走った。



「前に話していた、長瀬が死んだ駅に行ってきた」



「なるほど、それで」と少女は言って、男のほうを見た。



「今、あなたの隣にそのご友人さんがいらっしゃいますよ」



「悪い冗談だな、勘弁してくれ」



「いえ、います」と少女は毅然とした態度で答えた。



「もしそれが本当なら、なんて言っている?」



すると少女は、僕の少し後ろを眺め、なにか小声で何かを聞いた。

その後、小さく笑った。



「煙草を吸いたがってますよ」



「まさか、」と一瞬信じられないと感じたが、もし長瀬が生きていたら、そういう風なことを言う気がして、笑ってしまった。

「なあ、幽霊に煙草を吸ってもらうにはどうすればいいんだ?」



「代わりに私が吸いますよ」



「結局、それになるんだな」



すると、少女はキョトンとして、不思議そうな顔をした。



「私は煙草なんて、吸ったことありませんよ?」



「そうだな、今も他人のために吸っているからな」



そうですよと言って、少女は煙草を受け取った。

白く細い手で、煙草を握るとまるで、手の一部になったように、自然に馴染んで様になる。



「今、あなたは頭で混乱していると思いますが、こういうこともあるんですよ」と少女は火を点ける。



「夏の夜ですから」



「なら、もし君が今、長瀬と会話できるとしたら、俺が言ったことを伝えてほしい」



少女は頷く。



「長瀬、俺も生きていくのが結構しんどい。もういっそ死んじまいたいって思ってる。また、お前と楽しいことばっかりやってたいって思ってる。どうして、最期に俺に教えてくれなかったんだ。別れぐらいしたかった」



少女は、再び男の後ろのほうを見て、小さく相槌を打っている。



「長瀬さんは、『最期をお前に伝えてたら、きっと覚悟が揺らいでいたと思う。俺はそうするしかなかったんだ。だから、俺のことを許してほしい』と仰ってます」



「なら、俺も同じだよ。もう死にたくて、仕方ない」



「『やめてくれ、後追い自殺みたいで気持ちわりい』と仰ってます」



男は笑ってしまった、きっと長瀬が喋っているとしたら、本当にそういうことを言うだろうなと思ったからだ。



「ありがとう、ほんとに長瀬と話しているみたいだ」



「いえ、本当にご友人が話しているのですが」と少女は言うが、男はもはやどちらでもいいと思った。

「あと、『ウィンストンはタールが低くて吸った気がしない』だそうです」



「それもよくお前が言っていたな」と男は笑う。



「『これ吸ったら行くわ』と言ってます」



「そうか、そういうところも相変わらずだな」



煙草を吸っても少女は咽なかった。

中指と人差し指で煙草を長く持って、目を細めてゆっくりと煙を吐く。

長瀬が煙草を吸うときの癖だ。



それからは、少女が煙草を吸い終えるまで、二人は何も言わなかった。

まるで、長瀬が生きていた頃、夜にこうした時間を過ごしていたことを思い出して、懐かしくなった。



男が煙草を消すと少女も消す。



「よかったんですか、もっと話さなくて」



「案外、男同士はこんなもんなのかもしれない」



「そういうものなんですか」



「なら、君がもしここで亡くなった人に会えたら、どんなことを言う?」



「あなたのせいじゃないと伝えてほしいです」



「伝えてほしい?」と男は聞き返す。

「今度は俺が幽霊に会うのか?」



「いえ、きっとすぐにわかると思いますよ」



「どういうことだ?」



「それと、」と言って左腕を差し出す「これを見たと言ってくださいね」



男は差し出された左腕を見て驚く。

そこには、白い肌に10センチほどの縫い傷があった。

まだ新しい様で、傷口が赤黒い場所や紫色になっている場所があった。



「どうしたんだ。昨日はそんな傷なかったじゃないか」



男は初めて少女を廃線の踏切で見たときのことを思い出していた。

美しく白い陶器のような腕、手を思い出していた。



「これのせいで私の左手はまともに動かなくなりました、けどあなたのせいではない」と少女は言う。



「さっきから、なにを言っているんだ」



「時間です。ご友人さんは最期に笑っていましたよ」



少女は踏切のほうに歩いていき、男はそれを目で追うが、次の瞬間には少女の姿が消えてしまった。

男は何度も瞬きをして、今自分の目の前で異常なことが起こっていると感じている。

辺りを見渡しても人影のようなものもなく、ただ踏切に一人男がいるだけだ。



「なにが起きたんだ」



男はなんだか狐に化かされたように感じて、その日は帰路についた。

頭がパンクして、もしかしたらこれは夢なのかもしれないと考えた。

なんだか信じられないことが起きて、どっと疲れた。

家に着くと気絶するようにベットに倒れこんだ。



次の日は、廃線の踏切に向かった。

少女は当然のように寝転がっていた。

男は横になる少女の左腕を見てみたが、やはり美しく白い腕で、昨日みた傷は全くなかった。



「今日は来たんですね」



「おかしいな、昨日も会ったじゃないか」



「何を言っているんですか、あなたは昨日ここに来なかった」



「昨日は別の踏切であったじゃないか」



「何を言っているんです」



少女は立ち上がり、手を伸ばす。

煙草をよこせという意味のようだ。



「残念、今日はこれだ」と言って、男は少女の手にあるものを渡す。



「線香花火ですか?」



「そうだ、今日思い出して買って来た」



「夏の夜にはピッタリだろ」



「場所がふさわしくないかもしれません」



「いい所を知っている」



「なら、そこへ行きましょう」



男と少女は目的地へ向かって歩き出した。



「ひとつ聞きたいことがある」



「なんですか?」



「君は幽霊じゃないよな」



「どうしたんですか、急に?」



「いや、昨日急に目の前から消えたから、恐ろしくなって」



「昨日?」と少女は何か会話が噛み合っていないと感じている顔をした。

男も何か、2人の認識に違いがあるように感じた。



「昨日、君と踏切で会ったじゃないか」



「あの花束を置いた踏切のことですか?」



「そうだ、死んだ友人が隣にいるって言ってたじゃないか」



「私、昨日はその場所にいませんでしたよ」



なにを言っているんですかと怪訝そうな顔で少女は男を見る。

男は少女が冗談を言っていると思った。



「なら、昨日の傷も嘘だったのか」



「傷?」



「昨日、左腕の傷を見せて『これを忘れるな』って言っていたことも嘘だったのか」



「左腕,,,」と少女は呟き、何かを考え込むように黙り込んだ。



「なら、俺は本当に幽霊に会ったのかもしれないな」



男は自嘲気味に笑うが、その言葉に少女は何かに気がついた。

そうしていると、2人は踏切に着く。



「今日はここで線香花火をしようと思ってな」



「名案です。お墓には線香が必要ですからね」



「昨日、ここで君は花束を見下ろしていた。そして、少し話した後、踏切のほうに行って、神隠しのように消えてしまったが、あれはどういう仕組みだったんだ?」



少女は踏切を向いて、歩き始める。

そして、レールを見下ろし、どこか寂しそうな顔をして、振り返る。



「昨日、あなたが会ったのは私の姉です」



少女は柵に囲まれた、線路内のレールを遠くのほうを見つめた。

男は状況が飲み込めない。



「姉?」



「そうです。ここの踏切で死んだのは私の姉です」



少女は男の目をまっすぐに見る。



「あなたは死んだ私の姉の幽霊に会いました。」



「ほんとに幽霊に会ったって言うのか?」



「突拍子と無いことを言ってすいません」と言って、少女は頭を下げる。

そして、少女は語り始める。



「姉は、ピアノの天才だったんです。小さな頃から、コンテストに出れば必ず賞を取ってきて、将来は音楽の道に進むと昔から言っていました。そんな姉が私は誇らしかったですし、尊敬していました。」



「待ってくれ、本当に君のお姉さんは亡くなっているのか?」



「はい、姉は先月この踏切で自殺しました」



男は少女が立っているレールを見つめる。



「ちょうどいつも私が配線の踏切で寝転び、電車に轢かれたそうです」



「なぜ、そんなことをしたんだ」



「それを説明するためには、私の両親の話をしなければなりません。あまり気分の良くなるような話でもないのですが、それでもいいですか?」



「続けてくれ」



「私の両親はどちらも芸術家で、神経質な人なんです。特に父は、最近スランプに陥って、仕事を打ち切られることが続きました。そして、酒に溺れて、時々発作のように暴れるようになったんです。そして、その標的は、才能のあった姉ではなく、平凡で鈍臭い私に向きました。」



少女は段々と震え混じりになってきて、その言葉には湿り気が含まれていた。



「無理に話さなくてもいい。辛いなら尚更だ」



「いえ、姉に会った、あなたに話したいんです」



「そうか、なら聞くよ」



ありがとうございますと言って少女は続ける。



「父が私に暴力を振るう時、姉は私を庇ってくれていました。将来ある姉を傷つけるなんてことは、流石にあの男でも出来なかったみたいです。しかしある日の夜、父の酒の量がいつもよりも多く、意識が朦朧としている時にそれは起きました」



少女は拳を握りしめて、瞳に溢れそうなほどの涙を貯めていた。



「父は私と姉を見間違え、姉のことを瓶で殴りました」



「もしかしてその時、左腕を殴られてのか?」



男は昨日の踏切で、少女の姉の幽霊が見せた傷のことを思い出した。



「そうです。先程、あなたが傷の話をしていたのは、きっとその傷についてのことだったのでしょう」



「なら、昨日会ったのは本当に君の……」



「そうなんでしょうね。最初に殴られた時、姉は左腕を骨折し、その後で、再び殴られたことで、折れた骨が小指と薬指の神経を傷つけてしまったんです」



少女は自分の左腕を擦り、すすり泣く。



「そうして、姉は夢を潰されたんです」



「それで、君はあの踏切で自殺の練習をしていたのか?」



「少し違います。私は姉が最後に何を考えていたのかを知りたかったんです」



そういうと少女は踏切に寝転がり、夜空を見上げた。



「こうしていると、姉さんが近くにいるかがするんです」



男はそこで昨日の幽霊に頼まれたことを思い出す。



「そういえば、『あなたのせいじゃない』って言ってた。もしかして、君に対してじゃないか?」



「姉さんはきっとそう言う気がします」



少女の泣き声が、夏の夜の踏切に響く。



「ねぇ、不審者さんどうやったら、身近な人の死を乗り越えられるんですかね,,,」



男はその問いを長瀬が死んでからの半年間ずっと考えていた。



「こうして、祈るしかないのかもしれない」



「祈る?」



「ああ、俺たちの声がどうか届いてますようにって。届くかも分からない手紙を、ポストに投函し続けるみたいに。」



「それで前を向いて生きていけますか」



「きっと時間が経てば、忘れていくさ。だけど、たまに会いたくなるはずだ。だからその時は、振り返って、泣けばいい。どうか、この涙があの世に流れ着いていますようにと。それで、泣き尽くしたらまた前に進み出せばいい」



「それ、なんだか素敵ですね」



「たまにこうして、会いに来ればいいさ」



「そういえば、今はお盆でしたね」



「線香花火するか」



少女は涙を拭いて、立ち上がる。

男は踏切の橋に落ちている白い何かに気がつく。



「それ、」と指さした先には、小さな白い吸殻があった。

「昨日、君のお姉さんはそこでタバコを吸っていた。その白いフィルターはきっとその時のものだ」



少女はその白いフィルターだけになった吸殻に近づき、拾い上げる。

そして、花束が置かれている場所に行き、砂をかき集めて、その吸殻を丁寧に埋める。



そして、少女に線香花火を渡し、男も隣にしゃがみこんで、火をつける。



「私たちの想いは届くのでしょうか……」



「届くと願うしかない」



「花火綺麗ですね」



「そうだな」



夏の夜に不審者が2人。

小さな火種はパチパチと燃えていた。

線香花火の煙は高く空に登っていった。

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