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5話

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草臥れたパジャマに右足はガッチリと石膏を嵌められ、慣れない松葉づえで正一郎は収録現場に入る。
舞台とはまた違うピリピリとした雰囲気に一気に飲み込まれそうになるがなんとかパイプ椅子に腰かけ、周りを見遣る。
広い収録スタジオには所狭しと院内のセットが組まれ、正面にはナースセンター、その隣には病室。医院長室。手術室等々。
「うわっ!宗像孝蔵だ……!音葉美空も!」
ぱっと見で解るお偉いさんと談笑するのは医院長役のベテラン役者と今回ヒロインを務める新人看護師役の人気女優だ。
キョロキョロとあまりにも正一郎が周りを見回すので隣に居た間宮がギュッと肩を捻った。
「ィッ?!」
「おのぼりさん丸出し。台本でも読んでちょっと落ち着きなさい」
そう渡されたタブレットで台本を開くがこの後の撮影シーンは出張で居ない筈の悪役医師を院内で見かける。というワンシーンのみでセリフも無い。
「おはようございます」
その声に正一郎は顔を上げた。
髪を整え黒縁の眼鏡とピシリとした白衣に身を包んだ三木と看護師服の一条が並んで入って来る。
「ッひ!」
隣から小さく上がる悲鳴と共にギューッと肩を握られて正一郎は痛みに声も上げられず悶えるのみ。
「オッス正一郎。……ってその顔どうした?」
「いや、まみ「私ブランプロダクションで鹿山正一郎を担当しております間宮かずねと申しますッ!」
「あ、ご丁寧にどうも……」
間宮の90度の角度でのお辞儀に名刺渡しに若干引きながら一条と三木はその名刺を受け取る。
「わたくしその……えっと……「三木さんと一条さんテストお願いしま~す」
もごもごと言葉を探す間宮をADの声が遮り、二人は会釈するとカメラ前へと向かっていく。
様子のおかしい間宮は正一郎の手に肩を乗せながらフニャフニャと屈みこんだ。
「やばいみっちー君顔ちっちゃい……おめめおっきぃ……なにあれ……お人形さん???はーみっきー君もイケメンが過ぎるッ……!!!一緒に現場来るとかホントみきみちが滾るわッ……!!!」
「ま、まみやさん???」
ボソボソと早口で正一郎にしか聞こえない独り言を呟く間宮の推しは一条みちるだった。と正一郎は思い出す。
この仕事が決まった時TVドラマに出演出来ること以上に一条みちると共演できる事に喜んでいたし、そもそも初めての飲みの席で一条みちる会いたさにこの仕事に就いたと熱弁された。
そして彼女が三木幸太と一条みちるを”そういう目”で見ているというのも。
「鹿山ぁ……」
「……なんスか」
「私その……変じゃ無かった……?」
「変でしたよ。すっごく」
「グフッ!」
崩れ落ちた間宮は「……もうちょっと手心ってもんは無いのかねキミ……」と小さく呟く。
いつもはあんなにキリッと姉御肌で怖……頼りになるのに、一条を、推しを前にしただけで彼女もこんな風になるのか、と驚いた。
「鹿山さんスタンバイお願いしま~す」
「はーい」
松葉杖をつき、パイプ椅子から正一郎は立ち上がる。
「緊張は?」
「少し」
おかげでだいぶ解れた、と返せば間宮が苦笑う。
コツ、コツと慣れない松葉杖で正一郎は一歩一歩カメラの前へと向かっていった。

シーンの撮影は滞りなく終了し、次の出番まで間が開いた正一郎は楽屋へと松葉杖をつきながら歩いていく。
途中すれ違った年配のスタッフに「大変だねぇ」と話しかけられ軽く談笑し、差し入れの焼き菓子を貰ったのでそれを手にまた楽屋に向かう。
袋に刻まれた正一郎でも知る有名菓子店の名前を見ながら楽屋のドアノブを捻り、さて中身は袋越しの形状からしてドーナツだろうか、とドアを開く。
「んんっ……」
耳に届いたのは鼻に掛かる吐息。衣擦れの音。
重なる影に気付いた正一郎が手にしていた焼き菓子が手の中から零れ落ち、床の上で跳ねる。
「は……おまえしつこ……ッ?!」
ソファに座った彼に覆い被さる様にくちづけていた一条を軽く押し返した三木と目が合った。
数秒の沈黙。次の瞬間、三木は一条を押しのけるとダンダンダン、と荒い足音を立てながら正一郎に近付いてくるので慌てて逃げ出そうとするが固められた足ではうまく動けず床を滑った松葉杖が宙を舞い、正一郎はその場に強かに尻を打った。
カランカラン、と松葉杖が床で跳ね、顔を上げた正一郎の襟元を三木が掴むと廊下から顔を出し、警戒するように周りを見回すと廊下に倒れ込んだ正一郎を部屋に引っ張り込む。
「お!おれ!隣の楽屋入るつもりが間違えて……ッ?!」
仁王立ちになった三木に必死に声を上げるが、何も言わず荒く息を上げる彼が怒っている事だけが解る。
「あの!何も見てません!!!誰にも言いません!!!」
188センチ㎝の長身から見下ろされ、背筋が凍る。バクバクと心臓が跳ね、慌てて一条の方を振り返るが彼はソファに腰掛け不満げに唇を尖らせている。
「みちる、俺ちゃんと鍵掛けたか聞いたよな?」
「掛けた。つもりだった」
「……知らん!」
乱暴に三木は部屋を出ていく。
正一郎が呆気に取られていると手が差し伸べられどうにか体を起こす。
先ほどまで二人がキスをしていたソファに辿り着き、なんとか腰を下ろすとその隣に一条が腰掛け、ついでに落ちた菓子も拾い上げてくれた。
本当にたまたまこの菓子に気を取られていて隣の大部屋の楽屋に入るつもりだったのにこの一条の楽屋に入ってしまった。
「あの……なんかスイマセン……」
「良いよ。全部こーたが悪いから」
「へ?」
うっかり覗いてしまったのは正一郎だし鍵を閉めていなかったのは一条。三木はどう考えても被害者だ。
「変な女とキスしてた」
「えっ?!……ってそれさっきの撮影の話じゃ……?」
正一郎が撮影を終えた次の撮影で、三木が演じた悪役医師がアリバイを作るために女医を誘惑するシーンでキスシーンが有った。
とはいえ女医を演じた女優は名の知れたベテラン女優で変な女呼ばわりされる謂れは無いだろう。それにそもそも演技だし仕事だ。
「それでも嫌」
だから消毒してたのに、とテーブルに手を伸ばしペットボトルを二つ取ると片方は正一郎に、そして一条はキャップを捻るとパキッと小さく音を立てた。
「けど、俺が見ちゃったから……」
「別に良いよ。むしろ見せたいし」
「……?」
何が言いたいのかさっぱりだ。まさか露出系のそういうプレイなのか?と一条を見遣るが彼の表情からは何も読み取れず、しかたなく菓子の袋を開くと焼きドーナツが顔を出した。
かぶりつくと甘い。

数カットの撮影はどうにか終了した。
半日ぶりに自由になった足で駅までたどり着き電車に乗ると正一郎は鞄に入れたままにしていたスマホを取り出す。
撮影したドラマの情報解禁はまだ出来ないのがもどかしく、”今日は朝から撮影でした。もう少ししたらいいお知らせがお届けできると思います。”と一言打ち込むと送信した。
二駅ほど進むとポツリポツリと反応が返って来る。
けれどちょうど似たようなことを呟いた一条や三木との反応の量の違いに少し溜息を零し、役者アカウントからもう一つのアカウントに切り替えた。
それは最初桜の侍のダブったグッズの交換用アカウントとして作ったものだったが、気づけば八夜真路の推しアカウントになって居た。
「あ……まろぴかさん今日箱根なんだ」
フォロワーも基本的に八夜真路推しばかりだが、まろぴかというアカウントはハチマロぬいといろんな所に出かけ、その風景とぬいの写真をよく上げている。
場所も様々で、一昨日は大阪、次の日博多。一日開けて北海道だとか。相互フォローだが東京在住と言う事だけしか知らない謎のアカウントである。
まさか推しと一緒に舞台に立っています。なんて呟ける訳も無く、迂闊なことを呟けば間宮から鉄拳が飛びかねないのですっかり放置アカウントと化していたが、まろぴかの呟きににいいねだけ飛ばし正一郎は最寄り駅に付いたことに気付き電車を降りた。
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