補ケツ勇者

kurobusi

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第一章 眩き紋章

第三話 白い全身鎧に引き摺られ

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   ◇


──ドン!ドン!

厚い木の板を荒く叩く音と、ベッドまで伝わるその振動で目が覚める。

「……えぇ?」

見覚えの無い梁や吊木が剝き出しの天井が目に入り少し混乱するが、すぐに頭が昨日は宿を借りたことを思い出す。……昨晩はベッドに入ってすぐに寝入ったらしい。深く寝入ったようで頭の中は寝癖が付いた外側とは対照的にすっきりしている。

窓から差し込む光から察するに日はもうすっかり空の真上の方まで昇っているようだ。

「………あ!はい!すいません。ちょっと待ってくださいねすぐ出ます!」

きっとドアを叩いているのは昨日のご主人だろう。厚意に甘えて部屋を借りたこともあって早めにお暇しようと思っていたのに、旅の疲れが出たのか昼前程まで寝てしまった。やらかした。

肌着姿で部屋を駆け回り、分厚いズボンを床に置いた背負い鞄から引っ張り出し、壁の出っ張りに引っ掛けたあちこちほつれた古い麻の上着をひったくるようにして急いで身に着ける。

お代はいいと言われていたけど、やはり受け取ってもらおう。……今、手持ちはどの位残っていたかな。昨晩貰った分と合わせて銀貨が何枚位だろう…。
そんなことを考えていると、再び扉が外側からの衝撃で震え始める。

「今!今出ます!」

最後に、よいしょ、と声を上げて背負い鞄を腰で持ち上げ、ドアを自分の方へ引っ張り開ける。

そこには、随分焦った様子の禿げ頭の男が立っていた。

だが、昨日宿を借してくれた酒場の主人ではない。胸元に銀色の──形状は荒い呼吸の所為で波打つ布に飲まれてよく分からないが飾りがある、黒くゆったりしたローブに身を包み、手と顔しか肌は出ていない。そのわずかに露出した肌からは玉のような汗が浮き出ている。

「──やっと出てきてくださった!ローム!この方で間違いないな!?」

「お、おう。そうだけどよ」

ロームと呼ばれた強面の男が困惑した様子で返事をする。昨日のご主人だ。そんな名前だったんだ……。

「あの、僕に何かご用件が──」

「勇者様!失敬します!」

「おおっ!?」

丸っこい体形からは予想できない素早さで黒いローブの男は部屋の出入り口と僕の背中の間に入り込む。

そして、何故か僕のズボンを思いっきりずらしにかかった。
失敬で許される行動の範疇じゃない。

反射的に前を抑えたが、あえなく尻は丸出しになったことが皮膚に直接空気が触れる感覚で分かる。

「なにするんですか!?なにしてるんですか!?」

「ぐぅお、眩い…!?だが…これは…きっとそうだ!ついに!この国にも現れたのだ!」

「ほ、本当になにしてるんですか?」

自分の背中越しでもなんだかとても興奮しているのが分かる。息が荒い。
自分のズボンをいきなりずり下ろした人が後ろで鼻息荒くしてるのすごく恐い。

「おいおいおい神父様よ!事情を説明してからだろせめて!」

「……む……お……おお…そ、そうであったな。うむ…」

どうやら僕の後ろにいる男は服装からなんとなく予想はついたが、神父様であったらしい。
行動が神に仕えるものとしてはちょっと逸脱してると思うけど。

「勇者様。ご無礼をお許しください」

「え?いや、…は、はい」

背負った鞄を揺らしながらズボンを直していると、ささっと僕の前に回り込んだ神父様が右手を胸に当てて頭を下げる。

いや待てよ。

「……勇者?ですか?僕が」

「ええ!間違いございません!」

下がっていた神父様の頭が勢いよく上がり、一緒にちょっと汗の雫が飛んでくる。……布巾を貸してあげた方がいいだろうか。清潔なやつあったっけ…。

「教会に受け継がれてきた勇者の歴史書、それに記録された紋章の一つに貴方様の紋章がほぼ一致します!」

「…マジかよ。いや、兄さん、マジで勇者だったの?」

宿屋のご主人が目を丸くしてこちらを見ている。だが、驚いているのは一人だけではない。

「…本当に勇者なんですか?僕が?」

「いや、兄さん昨日自分で言ってただろ」

「あっいやそうなんですけど……」

自分が昨日、見知らぬ人の助力も得て出した“自分は勇者ではない”という結論。その根拠に対する答えがまだ出ていない。

「でも、僕が勇者だとして……伝承によると一緒に魔王が出てくるはずなんですよね?」

「だから昨日、魔王について色んな人に聞いて回ったんです」

「でも、全然でしたよ?そんな話はちっとも聞けませんでした」

「それは俺も気になってた。そんなことがありゃあここにその話がちらっとだけでも入ってくるはずだ」

宿屋のご主人が、眉間を人差し指と親指でつまむように抑えながら話に加わる。昨日も見たけど、どうもあの眉間を抑えるのは理解しがたいことに巻き込まれてしまった時にする癖のようなものらしい。

「だから昨日は、まぁ…そうだな。この兄さんは疲れてるんだとそう思った」

顔に反して言い回しが柔らかい。本当に色々と気遣ってくれてるなぁ…。

「けどよ神父様。今日あんたが飛び込んできた。『ここに勇者を名乗る者がいると聞いた』ってな…。こりゃあどういうこった?」

「あ、そうですよね。なんで僕の居場所が分かったんですか?」

「いや、兄さん。あんまそこは問題じゃねぇな」

ご主人が眉間から指を離し、こちらへ顔を向ける。

「デカい荷物持ったおのぼりさんが訳の分からんこと聞いて回ってたんだろ?印象に残るしどこかしらで居場所の話位聞ける」

「あっそうですね……」

改めて昨日の自分を振り返ると大分不審者だな……。顔が今更火照るのを感じる。急に恥ずかしくなってきた。

「問題は、“なんで魔王がいないのに勇者を探している”ってとこだ。何があったんだよ神父様」

「…程なくして教会本部から公表があるだろう。今は一応秘匿事項なのだ。──勇者様!ご同行を願います!」

「えっどこにで──」

神父様は自分の返事を最後まで聞かずに、背後の手すりから身を乗り出して一階の広間に向かって顔を突き出し、叫ぶ。「おい!お連れしろ!」

一階に繋がる両脇の階段から、床を揺らす足音が、金属が軽くぶつかり合うガチャガチャという音が幾重にも重なり合って聞こえてくる。
驚きながら周囲を見渡し、音の正体を探ると答えは向こうから両脇の階段を駆け上がってきた。白い全身鎧を身に着けた集団──右側からは二人、左側からは三人──左側からやってきた先頭の人物はそれに加えて、赤い外套に金の刺繡をいれたものを羽織っている。

見たことがある。教会専属の騎士団の人だ。昨日会った。魔王について話を聞いた時にあった人もいるかもしれない。
そんなことを思い出しているとあっという間に白い鎧の集団に囲まれる。

「イムズ!ネザル!前に出てご案内しろ!」赤い外套の騎士様が叫ぶ。

「勇者殿。失礼!」「失礼致しますッ!」

集団の中でも一回り体の大きい、腕の太さが僕の胴くらいあるんじゃないかという人物が両脇から一名ずつ出てくる。…よく階段の板抜けなかったな。

その二人はそのとんでもなく太い両腕で、それぞれ僕の右腕と左腕を抱えるようにがっちりと掴む。掴み上げられた自分の腕がピクリとも動かせないことから圧倒的な力の差があることと、“絶対に逃がさない”という意思を否応にも理解させられる。

「よし!戻るぞ!」

「えっどこにで──」

赤い外套の騎士様は自分の返事を最後まで聞かずに、踵を返す。

僕はただ、両脇の屈強な二人の手によって半ば引き摺られるようにして連れていかれるしかなかった。


  ◇


酒場から弾き出されるように飛び出し、自分は───というか僕を引っ張る二人は───砂利と土の道を駆ける。

二人の歩幅は大きく、そして速い。彼ら──先程の低い声からして恐らく彼らで合っているだろう。ともかく彼らが一歩踏み出す度にこちらは二歩踏み出さないと間に合わない。それなのに足の回転も速い。そんな二人に挟まれて歩を進めようと必死になっていると、勢いのつき過ぎた回し車から出られなくなった鼠のような気分になってくる。
なんなら、大きく重い荷物を背負ってるのに偶に身体が宙に浮き、必死に回している足が空を切る。僕を抱える二人の腕力や脚力が凄いということなのだが、そんなに急いでどこに向かっているんだろうか。体格の大きい二人に挟まれて周りがよく見えないし、何より身体を必死に動かしているせいで景色を細かく確認する余裕がまるで無い。

「勇者殿。こちらです!──ただいま戻った!門を開けてくれ!」

兜のせいでくぐもった声と、重い鉄を引きずるような、ガラガラ、ギギィという音が前の方から聞こえてくる。あの隊長らしき赤い外套の騎士様が僕と、誰かに呼び掛けている?

同時に、ようやく脚がまともに地へついていることに気付く。両腕はまだがっちり掴まれたままだけど……。
突然引き回されて脚だけでは飽き足らず目まで回りそうになっていたけれど、どうやらここが目的地らしい。

両端の二人が駆けるのを止め、速度を落としてくれたおかげで漸く周りを確認する余裕が出てきた。
どうやらさっきの大きな鉄の塊が擦れる音は外門を開けた音らしい。歩を進めるとそれらしい黒っぽい影が視界の両端にちらちらと映りながら視界の後ろへ流れていく。

大地をゆっくり踏みしめることが許された脚からは、地面が先程までの街のじゃらじゃらした砂利と粘っこい土の道から硬い石畳に変わったことが感触で伝わってくる。
その石畳の両脇には人の手が行き渡った植え込みに芝生。ここは庭だ。それもかなり広い。うちの村にある一番大きい畑位の大きさがあるかもしれない。なんて贅沢な土地の使い方なんだ。

だが、それよりも目立つのは、眼前に広がる立派な、大きなお屋敷。白い煉瓦を基調とした青いような緑っぽいような屋根をつけたそのお屋敷の窓の数を見ると多分三階建て。この大きな庭を目一杯使って横渡るようにどっしりと構えている。

「よし、ここで待て…その間に勇者様へ諸々をお伝えするように!」

革靴の底が硬い物に当たる小気味よい音を石畳の上で鳴らしながら神父様はお屋敷の玄関へ歩いてゆく──そして、ノックを四回。すぐさま扉は勢いよく開き、神父様は中にいた、足元の履物が何とか見える程度にまで裾の長い給仕服を身に纏う少し年をとった女性の使用人らしき人物に引き摺り込まれるように中へ入っていった。

背後からまた重そうな鉄を引き摺る音が聞こえる。両脇の圧がすごくて振り返れないが恐らく外門が閉まっているんだろう。きっと鉄の棒を何本も組み合わせたような、見様によっては檻の扉にも見えてくるような奴だ。この庭に似合う門を考えると何となく分かる。

「あの、ここは……」

なんだかすごい所に連れてこられたことは分かる。だが、ここは一体何なのかはっきりさせたい。その一心で色々知っていそうな、赤い外套の騎士様に話しかける。

「……強引なやり方になってしまったことをお詫び申し上げます」赤い外套の騎士様が振り返り、こちらに詫びる。

「こちらはモアレ家当主様のお住まい。ニーグラ・アレクラ・ジ・モアレ公爵の邸宅の一つでございます」

「……え」

モアレ家。この国を統治する一族の名前。その当主、一国の支配者の家?

「当主様は勇者殿が持つ“浄化”の力。それを強く、早急にお求めになっているのです」

「じょ、じょうか?…浄化ですか?」

説明を受けているはずなのに分からないことの方が増えていく。どうすればいいんだ?
浄化?協会が武器だの道具だのの呪いを解いたりするあれのことなんだろうか?そんなことやったこともできたこともない。
なんなら今日は尻の呪いを解いてもらおうと教会を訪ねる予定だったのに。

「ええ。紋章を持つ勇者殿にはその力が備わっているはず。……まだ何とか急は要さないとはいえ、今も────司祭殿?」

騎士様の言葉は、厚く硬い木の板が擦れるギギィという音と、慌ただしい革靴の音に遮られる。

「話は通った!是非勇者様とお会いしたいとのことだ。アカバネ、勇者様を先導してくれ!」

「承知致しました……ネザル。ボウル。ご苦労。先に行って件の部屋で待っていてくれ。万が一の時の為に護衛がいる」

「はっ!」「はい!」

両脇の二人がピンと背筋を張り、右手を胸に当ててアカバネと呼ばれた騎士様に軽く頭を下げ、すぐさま玄関の方へ向き直り足早に駆ける……やっと放して貰えた。
揺れ動く船の上に慣れた船乗りが久々に陸へ登ったような奇妙な感覚を覚え、少しふらつくように数歩前に出る。ああ、身体が自由に動かせることの有難さがしみじみと心に沁みる。

「続きは歩きながら……勇者殿。ご同行を」

前にフラフラと歩きだした僕を支えるように、アカバネと呼ばれた騎士様が僕の両肩をがしりと掴む。
距離が詰まったおかげで兜の切れ目、視界を確保するための細長い隙間から黒い瞳をした眼が覗く。

その眼は真剣そのものだ。理由はまだよく分からない──けどこの人達は心の底から僕を必要としている。神父様の剣幕からも分かることだけどそのことがよく伝わる。僕を真っ直ぐ見据えてそんな眼をしている。

「わ、分かりました……よく分からないけど、僕にできることがあるんですね?」

それなら、自分にできることをやろう。生まれてきた時に持っていた筈の役割をもう果たせない、中途半端な自分に役割を与えてくれるなら、できる限りの最善を尽くそう。

「……心より感謝申し上げます」

白い篭手を付けた手が両肩からゆっくりと離れる。とりあえずどこかへ逃げ出すことは無いと信用してもらえたんだろうか。

「では、此方へ」

赤い外套を翻し、再び奥へと消えていった神父様を追うように騎士様は歩き出し、玄関から中に入る。

「……お邪魔します」

それに続いて、僕は開かれた扉に向かって泥だらけの靴を動かした。


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