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誘い
美術家への誘い
しおりを挟む高校二年生の夏休みが近づいてきた7月のある日のこと。学校にて。
蝉の鳴き声をBGMにしながら自分の席で昼寝をしていた。
「結ちゃんっ!」
蝉の鳴き声と同じくらいにうるさい。
優雅に机に伏せて居眠りしていたあたしの時間は、文香の声により終わったのだった。
今の時間は昼休み。ご飯も食べ終わり昼寝の時間を満喫していたのに……。
少し聞こえないフリをしようと思いまだ机に伏せていた。
その日は夜更かしをいつも以上にしてしまいとても眠たかったのだ。
だから何が何でも寝ていたかった。話なんてLINEですれば済む話じゃないか。
だが文香にとってはどうしても今伝えたい話だったようだ。
「結ちゃんっ起きているのは分かっているよ! すぐに済むからお~き~て~っ!」
まさかの寝たフリがお見通しだったようだ。一体どこで判断したのやら。
下手に寝たフリを続けるより、さっさと聞いて寝た方が賢明だろう。
そう思い欠伸をしながら机から体を起こした。
「あっやっと起きたね~おはよ~!」
お前の声で起こされたとも言うのになんて白々しい態度だ。
しかも今はお昼だ。おはようという時間帯ではない。
色々と小言を言いたかったが文香は目をきらきらと輝かせていたのでやめておいた。
悪気は一切ないのだろう。ただ聞いて欲しいだけのようだ。
あたしもそこまで心が狭いわけではない。
「んで? 一体どうしたのよ文香。そんなにテンション上げちゃって」
机に頬杖をつきながら欠伸をする。やっぱりまだ眠い。
文香は制服のスカートのポケットの中からスマホを取り出すと、ある写真を見せてきた。
「何これ、ポスター?」
写真にはポスターが映ってあった。背景が緑色に見えたから学校の掲示板に貼ってあるのだろう。
そして何これと言ったのには理由がある。写真がブレブレで文字が読めなかったのだ。
「写真が超ブレッブレでなんて書いてあるのか分からないなぁ」
むしろよくこんなにもブレブレな写真を撮れたものだ。もはや残像だ。
ある意味凄い文香の写真の腕に関心していると、文香があたしの腕を握った。
「読めないなら直接見に行くしかないよね~」
いつもはマイペースでゆっくりな文香。だがそれは通常のこと。
テンションが上がると行動力が上がりマイペースさも感じさせなくなる。
そう今まさにその状況なのだ。力はそんなに強くないから解くことは可能だ。
だがそれ以前に速くなるのだ。歩くスピードも走るスピードも。
「さてさてじゃあ見に行きますかっ! 結ちゃんっ」
拒否権、なんてものはない。文香に仕方なくついて行くしかなかったのだ。
文香はテンションが高い時のスピードは速いだけではない。
人にぶつからないようにかつスピードを落とさずに走ることができるのだ。
これは運動部員たちや体育教師たちも凄いと言っているお墨付きだ。
更に人だけでなく空中を泳いでいる金魚たちにも同じようにできる。
しかもこれが本人が全くの無自覚なのだ。
ぶつからずに避けたことを本人に褒めても全く見覚えにないのだ。
これがいわゆる潜在能力というやつなのだろうか。
そんなことを考えていたらもう図書室前の学校掲示板前にたどり着いていたた。
もう息切れが凄くて床に崩れ落ちる様に座り込んだ。
いつもこうだ。文香のこの速さについていくと疲れてすぐに座り込んでしまう。
腕を離そうとする前に文香の速さが異常だからついて行くしかないのだ。
教室から掲示板前がそこまで遠くなかったからまだしももっと距離の離れた場所だったら
床に倒れ込んでいたことだろう。
基本的に文香は振り回すことをしないのだがほんの時々、振り回される。
それ以外はほんとにいい奴だから別にいいのだけど。
だとしても本当にこれはきつい。
体力が全くないというわけではないのだが息切れで立ち上がれない。
運動部でも人によっては文香のこのスピードについて行って無事な人はいないだろう。
「結ちゃんっこれだよっこ~れ~! これを一緒に見に行きたいの~」
機嫌の良さそうな文香の声が聞こえるがまだあたしは立ち上がる気力はなかった。
そして顔を上げる気力もなかった。もう今は座り込んでいたかった。
「結と文香か。こんなところで何してるんだ? 結に関しては座り込んでいるし」
聞き覚えのある声がして顔をゆっくりと上げた。
大河くんがそこにいた。手には本を持っていた。図書室から借りたのだろう。
何か話したいけど想像以上に疲れていて何も頭が回らなかった。
自分の荒い呼吸の音がただ聞こえていているだけだった。
「あっ暁くんっやっほ~。今ね~美術館のポスター見に来たの。次回やる展覧会の内容が書いてあるのっ」
「「美術館?」」
大河君との声がハモった瞬間だった。
いや待て待て。内容を覚えていたのか。じゃあ口で説明したらいいじゃないか。
あんたの驚異的なスピードについて行った意味は何なの。
言いたいことはたくさんあったが大河君の前ということもあり言葉を選んで伝えることにした。
「美術館の展覧会のことを……あんたは言いたかったの……?」
この問いかけに文香は満面の笑みで頷いた。
「そして内容も覚えていたの……」
「いえすっ」
やかましいわ。もう本当に昼休みを返して。優雅な時間を返して。
引きつった笑いしか出来なかった。
「……結が死にかけてるように見えるけど大丈夫なのか」
大河君に心配されている。こんなところ見られたくないのに。
「あっ結ちゃんっごめんっ! やっぱり速かった?」
相変わらず自覚症状なしの文香。あたしの元に駆け寄ってきた。
もうここまで来ると何も言えなくなってくる。
「透水美術館 特別展覧会 湖原 翔展」
題名だけさっと読み上げるとズボンのポケットに入れてあったスマホでポスターを撮った。
「結のLINEに送っておくから。そして文香」
大河君があたし達の元まで来た。あたしは哲哉君と文香を見上げていた。
「お前は自覚がないだろうけどテンションが高い時のお前は速いんだ。正直、俺でも距離によっては死にかける。だから難しいかもしれないが気をつけろ。結は俺が保健室に連れて行く。文香は教室に戻っとけ。今は13時5分だ。あと5分後にチャイムが鳴るぞ」
大河君の言葉を聞き文香はやっと自分のやったことに気が付きあたしに抱き付いてきた。
「ごめんねっ! 結ちゃんっ私どうしても見て欲しくてだからつい……ほんとにごめんねっ!」
こんなに謝られると、別にもういいやって気持ちになる。
大河君が言ってくれたしこれからは前よりマシになるだろう。
「別に気にしてないよ。それよりも早く戻らなきゃ授業始まっちゃうよ」
文香はもう一度ごめんねと言うと教室の方へと走って行った。
速さはいつもの速さに戻っていた。同じ人物の速さとは思えない。
時間的にも人も少ないはずだし多分ぶつかることはないだろう。
ちなみにこの件があってから以降は文香が暴走することはなくなった。
本人も大河君に言われてからコントロールをしようと決め、色々と試したようだ。
するとそれが実を結び、その速さを自分でコントロールできるようになったのだ。
それから2年生、3年生の体育大会の走る競技に関しては文香自身が立候補をしなくても、クラスメイトが推薦するということになったのだ。
そして結果はみんなの期待通りで、文香は更に学校の有名人となったのだった。
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