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31 広がる世界
しおりを挟む「体調は大丈夫か」
運転をしている豊が律に問い掛ける。
「うん」
律はぼんやりと窓の外を眺めながら返事をする。
病院からみるみる遠のいていき、馴染みのある景色も増えてきた。
これまでずっと同じ敷地内で行動をしていたため、いざ外の世界へ出ると内臓が浮遊する感覚を覚える。
「お父さん、我儘を言っていい?」
信号待ちのタイミングで律が口を開く。
「どうした?」
豊は前方を見たまま返事をする。
「ここから先は歩いて帰ってもいいかな?」
律の唐突なお願いに、豊は驚いた表情を見せる。
「構わないが、大丈夫か」
「大丈夫、先に帰って待っていて」
体調を心配している様子の豊に対し、律は努めて明るく振る舞う。
深い郷愁に駆られた律は、生まれ育った故郷の景色や空気を肌で感じたくなった。
確かにそこにいた過去を、今なら綺麗な感情として受け入れられると思えた。
車を停めてもらい座席から降りると、外の空気を深く吸う。ここから実家までは、高校時代に毎日のように歩いていた道のりだ。
「じゃあ、また後でね」
豊に少しの別れを告げると、律はゆっくりと歩み出した。
故郷というものは、不思議なものだとつくづく実感する。
優しさだけでなく、不安や泣きたい衝動にも駆られてしまう。一人でいると尚更だ。
過去に嫌な思い出があるのかもしれない。長期間離れていると、胸を張って帰郷できない自分が恥ずかしくもなる。一方で、心が緩み、心を許してしまう自分もいる。
誰かに甘えてしまいたい。もう頑張ることを辞めてしまいたい。
きっと全てはそれを許してくれるだろう。そしてその選択も決して間違いではない筈だ。
その思いに至れる者は、何かに向き合い努力を続けてきた者だけであり、誰にも批判は許されない。
だが、それでもまだ頑張ろうと思えるのであれば、それもまた各々の選んだ道なのであろう。
学生時代に行き慣れた、個人経営のひっそりとした定食屋を覗く律。高校の同級生と学校帰りによく寄っては、店のおばちゃんにデザートのサービスをしてもらっていた。
「懐かしいな」
故郷を離れて何年も経過している以上、当然景観には変化も見られた。
しかしそれでも当時の場所を訪れる度に記憶は甦る。
近くのテニスコートから聞こえてくる、部活動に励む子どもたちの声。道路を走る車の走行音や、スーパーからうっすらと漏れる音楽に至っても変わりはない。
空を見上げると幾何学模様の美しい雲が広がっており、時折吹くふんわりとした風は、町全体が律を歓迎してくれていると思わせてくれる。
「空が綺麗……」
毎日を重い気持ちで過ごしていた筈の子ども時代であったが、自分の中にも確かな思い入れがあったみたいだ。
道に咲く草花が、錆び付き年季の入った道路標識が、楽しそうにはしゃぎ飛び回るモンシロチョウが、律の思い出と何ら遜色なくそこにあった。
律が、見ようとしていなかっただけであった。
思い出は変わりなく寄り添い、そして現在も尚、同じ景色で傍にいてくれている。
世界がこんなにも美しいと、自分がこんなにも優しさに包まれていると、漸く気付くことができたのだ。
きっとこの世界は、自分が何を選択したとしても背中を押してくれるのだろう。そして、選んだ責任を一緒に背負ってくれる。
どんなに傲慢だろうが、高尚な考えだと皮肉を言われようが構わない。困窮している者、孤独に立たされている者、助けてくれる周囲がいない者。横を向けば、そのような人たちは身近にいるのだろう。
律に彼らを見つけ出すことはできない。でも、だからこそ手を伸ばしてほしい。ここだよと、声を出してほしい。今の自分になら、一緒に考えることができる。解決までの道のりが遠かろうが、今の居場所は作ってみせる。どうか、貴方の見た朝露を、美しい景色として残してほしい。
あの日、屋上で死を望んだ律は、マキに引き上げてもらった。
律の足取りが自然と早くなり、両親の待つ家へと向かった。
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