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EP3 復讐の黄金比6 ぽっかりと空いた穴
例え何を犠牲にしようとも
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八潮との会話を終え、夏輝は刀を握り締めカフェへと戻る。
カフェは相変わらず閉店しており、瑞雪とトツカのみがそこにいる。……と、思いきや。
「夏輝君、お邪魔しておりますよ」
瑞雪と少し離れたテーブル席に思わぬ人物-秋雨が座っていた。
洒落た山高帽をテーブルの上に置き、外で買ってきたらしい新聞に目を通している。
夏輝と共に八潮が入ると、新聞をの上から顔をのぞかせる。
普段通りの和装ではあったが、器用に洋風のこのカフェの中で溶け込んでいた。
瑞雪を見れば、特に反応を示さない。
何か厄介ごとを持ち込みに来たわけではないようだった。そもそも現在進行形で泥沼のような事態に陥っているから当然と言えば当然なのだが。
「俺に何か用ですか?」
「そうですね。勿論、瑞雪君とトツカ君にもですが」
八潮はカウンターの中へといそいそと戻っていく。
秋雨は新聞を脇に置き、普段通りの何を考えているかわからない笑顔でちょいちょいと夏輝達を手招きした。
「とりあえず立っているのもなんですし、お座りなさい」
夏輝達がテーブルへ集まると、秋雨が促す。
促されるまま、夏輝はやや緊張した面持ちで席に着く。
次いで瑞雪、トツカも。
もっとも、二人は夏輝とは異なり特に緊張した様子は一切なかったが。
「我々は陽が落ち次第勅使河原総合病院へと攻め入ります。無論、そんなことは知っているとお思いでしょうが」
夏輝達が一言も発さないのをいいことに、しばしの沈黙の後秋雨はもったいぶって話を始めた。
店内には人間の呼吸音と、こぽこぽと八潮の手によって淹れられている真っ最中のコーヒーの音、そして耳に心地いいジャズだけが流れる。
「……」
普段の瑞雪なら、さっさと本題を話せだのなんだのと宣っていたはずだ。
しかし、今日はそんな気はないようで。
秋雨ではなく夏輝の様子をどちらかと言えば気にしているようだった。
「病院にはたくさんの一般市民がいます。勅使河原はそれを容赦なく人質にとり……いえ、人質であればいい方で、薬品を投与して魔物化して放つ可能性も高いでしょう」
はっきりと言い切る秋雨。
瑞雪の冷たい視線が秋雨を貫く。まるで真冬の軒先にぶら下がった鋭い氷柱のよう。
ありありとこの一か月やることをやっていたのかと露骨に責め立てていた。
「そんな顔をしないでください、瑞雪君」
「明確な理由があるならわかるが、この一か月全く動かず手をこまねいていた理由はなんです?会議の時には言いませんでしたが、今みたいな状況になる可能性は想定できていたかと」
この一か月、進展は確かになかった。
秋雨は確かに、イースターの事件の日に夏輝達に告げたのだ。今後の事は考えていると。
しかし、この日までウサギや魔物退治はすれど事態の進展につながるような行動は一切なかった。
双子もそうだし、遠呂が動いている様子もなし。
「ええ、そうですね。返す言葉もございません」
秋雨はいけしゃあしゃあとそうのたまった。
「……何故?わかっているのに何故動かなかったのです?」
「その必要があったからです」
きっぱりと、秋雨は言い切る。
瑞雪は顔を歪め、口を何度か開いては閉じる。言うべきか、言うまいか。迷っていた。
テーブルの上に三人分のコーヒーが運ばれてくる。
瑞雪は一つ大きく呼吸し、吐いて、コーヒーを一口啜りカップをテーブルに置く。
そして黙った。
言うだけ無駄だと、そう判断したのだ。
口論するべき時間は今ではないし、望む答えを秋雨は吐かないだろう。
それならこれからの事を話し合ったほうがよほど懸命だった。
秋雨はにこりと笑みを浮かべる。
瑞雪の額に青筋が立った。
「さて、続けます。勿論、人的被害が出ないよう最善を務めます。その為に広域鎮圧が得意な朝陽君をそちらに回します。しかし、それでもかなりの規模の被害が出ることは必至です。ラテア君を助けるために、大勢の一般人が死ぬ。夏輝君、それでも構いませんか?」
「構わないって、どういう……」
「躊躇せず、何があろうとラテア君を奪還する。その意思を貫くことを私は求めます。それが出来ないのであれば、ラテア君は諦めるべきです」
秋雨の瞳は出会った時のような冷たさをはらんでいた。
普段の好々爺らしさは鳴りを潜め、そこにあるのは軍人然とした面持ちだった。
「……それ、は」
夏輝は言葉を詰まらせる。
ラテアの為に、多くの罪なき人々の命を躊躇なく刈り取れるかと、そう言っているのだ。
それは意地の悪い質問だった。
ラテアが捕らえられること自体は予想外であったにせよ、一般人を巻き込み死なせる事態に陥ることはわかりきっていたはずだ。
だって、このひと月あえて傍観していたのだから。
けれど、瑞雪もまた何も言わなかった。
言う資格がないのもそうだし、今回このような事態に陥らなくともそう遠くない未来に同じことが起こる可能性があると考えたからだ。
温かな毛布で包み込むように、彼らの事は守ってやれないし、それを望むこともないだろう。
(ラテアに特別な何かがあるのなら……今回だけでは済まされない)
勅使河原以外のものー例えば祖父が、ラテアを狙う可能性も大いにあるのだろう。
なにせあの男、グレゴリーが祖父からラテアを隠した方がいいと、そう断言したのだから。
知的好奇心が何物にも勝るだけで、面倒な嘘はつかないタイプだと瑞雪は判断していた。
故に、妙にあの男の言葉には信ぴょう性があると感じられるのだ。
「俺は……」
目を伏せ、逡巡する夏輝。
すっかり汗塗れの手を何度も閉じたり開いたりし、唇を噛む。
目を閉じ、思い浮かべる。
それは、ラテアのいない日常だ。そして怯えて苦しむラテアの姿。
そんなものは見たくない。絶対に。絶対にだ。
(……たとえ何を犠牲にしても。知らない他人より、ラテアを助けたい)
苦しい。美咲の顔が思い浮かぶ。
勿論、誰にも死んでほしくはない。生きていて欲しい。平和に日常を生きて欲しい。
それらを天秤にかけること自体がとても罪深い事であると、夏輝は思う。
でも、かけざるを得ない。
「ラテアを、助けます。他の誰にゆだねるのでもなく、諦めるのでもなく、俺自身の手で」
食いしばった歯の隙間から、喉の奥から声を絞り出す。
それでも夏輝は答えを出したのだ。
「……わかりました。では、最善を尽くしましょう。私はそれを問いに来ました。たくさんの人が、死にますから。今回も、これからもずっと」
秋雨は今ではなく、どこか遠いところを見ているように思えた。
彼には、夏輝や瑞雪が見ているものとは異なるものが見えているのだろうか。
夏輝はそれが不思議で、瑞雪にとっては不愉快だった。
秋雨も、祖父も、今ではないいつかを見ている。そして瑞雪達を部品のように考えているように感じてならない。
そのまま秋雨はカフェから会計をして去っていく。と言っても、勝手にカウンターの上に金を置いて出ていっただけだが。
「瑞雪さん」
「なんだ?」
食器類を下げようと立ち上がった瑞雪に対し、夏輝が声をかける。
普段なら間違いなく夏輝がまっさきに動いただろうが、動かない。
今はそれほどまでに心が乱れているのだろう。
「……瑞雪さんが俺の立場だったら、どうしていましたか?」
小さくぽつりと、夏輝は呟いた。
「俺、か」
思い浮かべてみる。もしも夏輝と同じ立場だったら?
(俺には夏輝にとってのラテアみたいな存在はいないしな。疎んで、疎まれて、嫌いあってばかりで)
手放しに愛おしいと言えるような、冷え切った心を温めてくれるような存在はいない。
無償の愛とは無縁の人間だ。
「……わからない。俺にはお前たちのような関係性の相手はいない。だから、答えることができない。悪いな」
瑞雪のできる、精一杯の誠実な回答だった。
カフェは相変わらず閉店しており、瑞雪とトツカのみがそこにいる。……と、思いきや。
「夏輝君、お邪魔しておりますよ」
瑞雪と少し離れたテーブル席に思わぬ人物-秋雨が座っていた。
洒落た山高帽をテーブルの上に置き、外で買ってきたらしい新聞に目を通している。
夏輝と共に八潮が入ると、新聞をの上から顔をのぞかせる。
普段通りの和装ではあったが、器用に洋風のこのカフェの中で溶け込んでいた。
瑞雪を見れば、特に反応を示さない。
何か厄介ごとを持ち込みに来たわけではないようだった。そもそも現在進行形で泥沼のような事態に陥っているから当然と言えば当然なのだが。
「俺に何か用ですか?」
「そうですね。勿論、瑞雪君とトツカ君にもですが」
八潮はカウンターの中へといそいそと戻っていく。
秋雨は新聞を脇に置き、普段通りの何を考えているかわからない笑顔でちょいちょいと夏輝達を手招きした。
「とりあえず立っているのもなんですし、お座りなさい」
夏輝達がテーブルへ集まると、秋雨が促す。
促されるまま、夏輝はやや緊張した面持ちで席に着く。
次いで瑞雪、トツカも。
もっとも、二人は夏輝とは異なり特に緊張した様子は一切なかったが。
「我々は陽が落ち次第勅使河原総合病院へと攻め入ります。無論、そんなことは知っているとお思いでしょうが」
夏輝達が一言も発さないのをいいことに、しばしの沈黙の後秋雨はもったいぶって話を始めた。
店内には人間の呼吸音と、こぽこぽと八潮の手によって淹れられている真っ最中のコーヒーの音、そして耳に心地いいジャズだけが流れる。
「……」
普段の瑞雪なら、さっさと本題を話せだのなんだのと宣っていたはずだ。
しかし、今日はそんな気はないようで。
秋雨ではなく夏輝の様子をどちらかと言えば気にしているようだった。
「病院にはたくさんの一般市民がいます。勅使河原はそれを容赦なく人質にとり……いえ、人質であればいい方で、薬品を投与して魔物化して放つ可能性も高いでしょう」
はっきりと言い切る秋雨。
瑞雪の冷たい視線が秋雨を貫く。まるで真冬の軒先にぶら下がった鋭い氷柱のよう。
ありありとこの一か月やることをやっていたのかと露骨に責め立てていた。
「そんな顔をしないでください、瑞雪君」
「明確な理由があるならわかるが、この一か月全く動かず手をこまねいていた理由はなんです?会議の時には言いませんでしたが、今みたいな状況になる可能性は想定できていたかと」
この一か月、進展は確かになかった。
秋雨は確かに、イースターの事件の日に夏輝達に告げたのだ。今後の事は考えていると。
しかし、この日までウサギや魔物退治はすれど事態の進展につながるような行動は一切なかった。
双子もそうだし、遠呂が動いている様子もなし。
「ええ、そうですね。返す言葉もございません」
秋雨はいけしゃあしゃあとそうのたまった。
「……何故?わかっているのに何故動かなかったのです?」
「その必要があったからです」
きっぱりと、秋雨は言い切る。
瑞雪は顔を歪め、口を何度か開いては閉じる。言うべきか、言うまいか。迷っていた。
テーブルの上に三人分のコーヒーが運ばれてくる。
瑞雪は一つ大きく呼吸し、吐いて、コーヒーを一口啜りカップをテーブルに置く。
そして黙った。
言うだけ無駄だと、そう判断したのだ。
口論するべき時間は今ではないし、望む答えを秋雨は吐かないだろう。
それならこれからの事を話し合ったほうがよほど懸命だった。
秋雨はにこりと笑みを浮かべる。
瑞雪の額に青筋が立った。
「さて、続けます。勿論、人的被害が出ないよう最善を務めます。その為に広域鎮圧が得意な朝陽君をそちらに回します。しかし、それでもかなりの規模の被害が出ることは必至です。ラテア君を助けるために、大勢の一般人が死ぬ。夏輝君、それでも構いませんか?」
「構わないって、どういう……」
「躊躇せず、何があろうとラテア君を奪還する。その意思を貫くことを私は求めます。それが出来ないのであれば、ラテア君は諦めるべきです」
秋雨の瞳は出会った時のような冷たさをはらんでいた。
普段の好々爺らしさは鳴りを潜め、そこにあるのは軍人然とした面持ちだった。
「……それ、は」
夏輝は言葉を詰まらせる。
ラテアの為に、多くの罪なき人々の命を躊躇なく刈り取れるかと、そう言っているのだ。
それは意地の悪い質問だった。
ラテアが捕らえられること自体は予想外であったにせよ、一般人を巻き込み死なせる事態に陥ることはわかりきっていたはずだ。
だって、このひと月あえて傍観していたのだから。
けれど、瑞雪もまた何も言わなかった。
言う資格がないのもそうだし、今回このような事態に陥らなくともそう遠くない未来に同じことが起こる可能性があると考えたからだ。
温かな毛布で包み込むように、彼らの事は守ってやれないし、それを望むこともないだろう。
(ラテアに特別な何かがあるのなら……今回だけでは済まされない)
勅使河原以外のものー例えば祖父が、ラテアを狙う可能性も大いにあるのだろう。
なにせあの男、グレゴリーが祖父からラテアを隠した方がいいと、そう断言したのだから。
知的好奇心が何物にも勝るだけで、面倒な嘘はつかないタイプだと瑞雪は判断していた。
故に、妙にあの男の言葉には信ぴょう性があると感じられるのだ。
「俺は……」
目を伏せ、逡巡する夏輝。
すっかり汗塗れの手を何度も閉じたり開いたりし、唇を噛む。
目を閉じ、思い浮かべる。
それは、ラテアのいない日常だ。そして怯えて苦しむラテアの姿。
そんなものは見たくない。絶対に。絶対にだ。
(……たとえ何を犠牲にしても。知らない他人より、ラテアを助けたい)
苦しい。美咲の顔が思い浮かぶ。
勿論、誰にも死んでほしくはない。生きていて欲しい。平和に日常を生きて欲しい。
それらを天秤にかけること自体がとても罪深い事であると、夏輝は思う。
でも、かけざるを得ない。
「ラテアを、助けます。他の誰にゆだねるのでもなく、諦めるのでもなく、俺自身の手で」
食いしばった歯の隙間から、喉の奥から声を絞り出す。
それでも夏輝は答えを出したのだ。
「……わかりました。では、最善を尽くしましょう。私はそれを問いに来ました。たくさんの人が、死にますから。今回も、これからもずっと」
秋雨は今ではなく、どこか遠いところを見ているように思えた。
彼には、夏輝や瑞雪が見ているものとは異なるものが見えているのだろうか。
夏輝はそれが不思議で、瑞雪にとっては不愉快だった。
秋雨も、祖父も、今ではないいつかを見ている。そして瑞雪達を部品のように考えているように感じてならない。
そのまま秋雨はカフェから会計をして去っていく。と言っても、勝手にカウンターの上に金を置いて出ていっただけだが。
「瑞雪さん」
「なんだ?」
食器類を下げようと立ち上がった瑞雪に対し、夏輝が声をかける。
普段なら間違いなく夏輝がまっさきに動いただろうが、動かない。
今はそれほどまでに心が乱れているのだろう。
「……瑞雪さんが俺の立場だったら、どうしていましたか?」
小さくぽつりと、夏輝は呟いた。
「俺、か」
思い浮かべてみる。もしも夏輝と同じ立場だったら?
(俺には夏輝にとってのラテアみたいな存在はいないしな。疎んで、疎まれて、嫌いあってばかりで)
手放しに愛おしいと言えるような、冷え切った心を温めてくれるような存在はいない。
無償の愛とは無縁の人間だ。
「……わからない。俺にはお前たちのような関係性の相手はいない。だから、答えることができない。悪いな」
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