青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP2 卵に潜む悪夢1 本部からの呼び出し

嗚呼愛しき日常

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 竜との死闘から約三週間が経った。
 四月初め。何度かの春一番を経て気候はようやく落ち着きを見せ、温かな日差しが差すようになった。
 ベランダで日向ぼっこが気持ちいい気候、というやつだ。誰も見ていなきゃふさふさ自慢の毛並みの尻尾とふかふかの耳もお日様に当ててやるのだが、住んでいるアパートでは難しい。
 んで、この二週間俺が何をしていたかって?相棒の羊飼いである夏輝と任務をしたり、カフェに行ったり、買い物を手伝ったりしてた。
 決してだらだらしてただけじゃないってことは言っておくぜ。竜の一件以降、ヤバい相手が黒間市に出没するなんてことはなかった。
 いや、あってたまるか。あんな化け物が毎日のように来たらいくつ命があっても足りないっての。

「ココアお代わり」

 というわけで、今日も今日とてカフェで管をまいている。本日はお日柄もよく、見事な快晴である。
 テラス席から見える花壇は八潮が植えただろう様々な色をした鮮やかな花で埋め尽くされている。
 昼時のカフェは多くの地球人でごった返していた。いつも大体人がいるので八潮のカフェは大層繁盛しているようである。まあ、この街のフリーの羊飼いたちのたまり場になっているのもあるかもだけど。
 で、まあなんで俺がここにいるかって?夏輝がバイト中だからである。

「なぁ瑞雪、暇だよ暇」

 テーブル席の対面には珍しく瑞雪が座っている。さっきからノートパソコンの画面をじぃっと食い入るように見つめながら時折キーボードを叩いている。

「暇なら手伝いでもしたらいいだろうが」

 何度もしつこく話かけていると、深いため息をつき瑞雪がやっと画面から俺へと視線を移した。
 もともとそんなに瑞雪は姿勢がよくないほうだが、ことさら今日は姿勢が悪い。

「めっちゃ忙しいときは手伝ってる。っていうかお前今日姿勢変じゃないか?大丈夫かよ」

 俺の知らないところで任務でもこなしてきたのかもしれない。
 あの事件から結構な時間が経っているが、未だに瑞雪に新たな猟犬が支給されたという話は聞かない。
 ……まあ、あの自我を失った成れの果てのような猟犬を見ていていい気分はしない。しかし、瑞雪がそれによって俺と夏輝がいないところで前衛なしで戦うのは危険だと思う。

「……少し背中を打っただけだ」

 バツが悪そうに口を引き結ぶ瑞雪。
 用事がなければカフェに来ないタイプかと思いきや、案外こいつは竜の一件以降カフェに足を運ぶようになっていた。
 テーブルの上には俺のココアとハンバーグの他に、瑞雪が頼んだコーヒーとドリアが置かれている。

「っていうかさっさと食べないと冷めるぜ?さっきからお前何してるんだよ。仕事?」

 猫の手ならぬ狐の手も借りたそうなときはちゃぁんと配膳とか皿洗いくらいは手伝っている。胸を張ると瑞雪が氷のように冷たい視線を向けて来た。何故だ。
 俺の言葉に瑞雪はノートパソコンを閉じる。ドリアを食べるのに専念することに決めたようだった。

「仕事じゃない。大学で必要な手続きだ。というか夏輝ももう高校が始まるだろう。お前は夏輝がいない間どうするつもりだ?」

 ドリアをつつきながら聞いてくる瑞雪。

「そういえば学校が始まるんだっけ……それで最近ばたばた買い物とかしてたのか」

 確かに、日中ずっと夏輝がいなくなったらなんて考えていなかった。
 それでこの間八潮と夏輝にスマホの契約をするぞと言われたのか、と妙に納得する。かくやすすまほ、というもので中には夏輝と八潮、瑞雪の連絡先が入っている。
 特に機械音痴でもなんでもないので無難に使える。問題はないが……。

(地球人の子供は平日はずっと学校に行ってるんだもんな……。その間俺、何してよう。一人でアパートにいるのか?トロンだって夏輝のスマホに入ってるし……)

 あの安アパートの一室でぽつんと一人で朝から晩までいるのを想像する。……耐えられない。身体を動かしに散歩に行くくらいは行くだろうが、だからって。
 思えば実験体から解放されてから一人でいた時間のほうが少ない。いつも夏輝やトロンがずっと一緒にいた。入院中だって一緒にいてくれたし。
 口の中に少し冷めてしまったハンバーグをフォークで切り分けて放り込む。しかし、ハンバーグの美味しさよりもこれからどうするかで俺は頭を悩ませていた。

「昼間はここにいたら?八潮さんのこと手伝ってくれたら八潮さんもすごく助かると思うし。地球人と接するのが嫌なら裏方の仕事もあるからどうかな?」

 うんうん唸っていると、隣にひょっこりと夏輝が現れた。このカフェの制服らしいポロシャツに羽のマークがプリントされた緑のエプロンエプロン姿である。
 そしてケーキを二皿俺と瑞雪の前に置く。俺はフルーツたっぷりのタルト。艶々で実に美味しそうだった。瑞雪の方はチョコレートケーキである。多分甘さ控えめとかそういうのだろう。

「頼んでないんだが」
「八潮さんがサービスだそうです」

 本当は手で縁をもってぱくりといきたいところだが、流石に行儀が悪すぎるのでちゃんとフォークで食べることにする。
 一方の瑞雪は頼んでいないものが来たことに少し渋い顔をしていた。
 これも最近気づいたことなのだが、八潮は何かと瑞雪を気にかけているようだった。勿論、夏輝が一番であり、気にかけられているのは俺も同じなんだけどさ。
 夏輝のサービスです、という言葉に瑞雪は何か言いたげだったが結局口を噤んだ。

「チョコレートケーキ、苦手でしたか?」

 丁度通りがかった八潮が瑞雪に声をかける。

「いや……苦手ではない」

 俺の皿からはあっという間にタルトが消えてしまった。うん、旨かった。行儀悪くフォークを齧りながら瑞雪と八潮のやり取りを眺める。
 思うに。瑞雪がこのカフェに来るようになった一番の功労者は八潮なのではないかと思う。
 初めこそ八潮に対してもなかなかに辛辣な言葉を吐いていた瑞雪だったが、ここのところはすっかり鳴りを潜めている。
 ロセとアレウ……っていうか主にロセがいるとやっぱりカフェで喧嘩するけどな。
 と、そんな風に瑞雪を観察していると入口の扉に取り付けられた鈴がからんころんといい音色を響かせた。また新しい客らしい。

「あ、秋雨さん!?どうしてここに?」

 さして興味もなかったため入口の方には耳を向けただけだった俺だが、夏輝の戸惑いの声に思わず入口の方にバっと椅子から飛び上がりつつ頭を向ける。
 そこにいたのは当然秋雨だった。普段の和服ではなくトレンチコートに山高帽という出で立ち。カフェにいるおばさま方がひそひそと秋雨を見つつ話し始める。

「っげ……なんであいつがここに」

 喉の奥からうめき声に似た声が漏れる。瑞雪の顔も一気に不機嫌そうな顔へと変わっていく。ロセと対面したときといい勝負かもしれない。

「どうも皆さん。少し今お時間頂いてもよろしいですか?」

 帽子を取り、俺達の席の前で柔和な笑みを浮かべる。
 当然俺達に拒否権なんてないわけで、三人共に頷くしかない。

「ありがとうございます」

 さも当然のように席につく秋雨。中腰のまま固まっていた俺だったが、すごすごと結局席に着いた。

「夏輝、行ってきて構いませんよ」
「う、うん……」

 秋雨と言えば厄介ごと。どうせ碌でもないことだと覚悟を決める。夏輝も八潮に言われエプロンを脱いでこちらにやってくる。

「で、何の用ですか」

 俺と夏輝が戦々恐々としていると、あからさまに不機嫌そうに瑞雪が口を開いた。腕を組み睨むさまはとても上司と部下の関係であるとは思えない。
 慇懃無礼に先を促す瑞雪に対し、秋雨はニコニコとした笑顔を崩さない。全員着席したところで今度は夏輝が口を開いた。

「仕事ですか?また何か事件が?それとも調べていたことに進展が?」

 竜をおかしくした犯人探しもまだ終わってはいない。俺達に出来ることはやったが、解決自体は結局していないのだ。
 それを夏輝もわかっている。そのことをずっとあいつは気にしていたのだろう。

「そのことについてはええ、現状あなた方に私から報告するようなことはありません。新しい仕事でもありません。今日ここへ来たのは別の理由なのですよ」

 秋雨の言葉に夏輝の肩ががっくりと落ちる。俺は秋雨がどうしても苦手で、静かに気配を殺していた。
 早く話が終わってくれないかなあ。報告するようなことはないということは、進展がないということ。少なくとも、俺達の目に入ってくる表面上の夜間市は平和そのものだった。
 まあ、実際のところは知らないけどな。俺達に依頼された任務以外での犠牲者は、俺たちの耳には入ってこないから。夏輝の耳に届かないのは幸いだと、申し訳ないが俺は思っている。

「ならさっさと本題を話してください」
「まあまあ、そう急がずに。瑞雪君の悪いところですよ?」

 ぴしゃりと言い切る瑞雪。とりつく島のない瑞雪だったが、秋雨にとっては日常茶飯事なのだろう。特に気にした様子もない。
 八潮が運んできた緑茶に口をつけ、ずず……とゆっくりと啜る。

「君たち三人に御絡流の会の本部から招集がかかっています。外に車を待たせておりますので、今から向かいますよ」
「えっ俺バイトが」

 夏輝の戸惑うような声に秋雨の笑みが深くなる。

「八潮さんもわかって下さいますから大丈夫です」

 有無を言わせぬ圧。笑っているだけなのにどこか末恐ろしい。まあ、それより今俺が気になっているのは……。

(過去一すっげー顔してるんだけど……)

 秋雨の隣で今まで見た中で一番嫌そうな顔をしている瑞雪のことだった。眉間には深い皺、口はへの字。それだけでなく、全く、1ミリも動かない。石像になったみたいに固まっていた。
 とはいっても、どれだけいやでも拒否権が俺達にあるわけはなく。そのまま秋雨の用意した車で本部へてお連行されたのだった。



 

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