青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP1 狐と新緑5 始まりの終わり

グリーゾス2

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 「死んで、ねえよっ!それよりまだ、っがふ、倒れて、ねえぞっ!」

 ごぼごぼと口から赤黒い血を吐きながら瑞雪が叫ぶ。
 氷柱が竜の速度や威力を大分落としたのだろう、致命傷には至っていない。咄嗟の判断が功を奏していた。しかし、すぐには立ち上がれないようで血だまりの中で蹲っている。

(まずい、このままじゃ次の攻撃受けたら確実に瑞雪が死ぬっ!)

 猶予は幾許も残されていない。
 瑞雪自身も戦闘不能にほぼ等しいが、竜もまた今の一撃で痛手を負っていた。全身から血を噴き出し、動きが確実に鈍っていた。

「この……っ!流石に傷口ならっ!」
「がるるるるっ……!」

 肩、脚、脇腹、胸。瑞雪の生み出した氷柱は竜の全身を貫き、赤黒い肉や内臓、くすんだ色の骨が見え隠れしている。
 あそこならば、肉を直接抉ることにより、俺達であっても効果的なダメージを与えることが出来るはずだった。

「灯せ 炎の刃(エンチャント フランマ)」

 俺の爪と夏輝の短剣がごうっと燃える。少しでも威力を上げることを考えた結果の炎のエンチャント魔法だった。
 竜は俺たちのことをやっぱり全く脅威として認識していない。
 背を向けたまま、瑞雪にとどめを刺そうと抉れて骨の見えた隻腕を振り上げた。しかし、その腕が振り下ろされることはない。

「させるかよっ」

 竜の肩口の傷に力の限り噛みつき牙を突き立てる。それと同時に炎を纏った爪を上腕、脇腹の傷に食い込ませた。
 頭が重たくなり、ばちばちと視界が明滅する。三回目の共鳴現象は短いものだった。
 彼女ではない、快活で気の強そうな黒い竜の女が見える。
 吊り上がった目はそれでも、彼女を優しく見つめている。髪の色や目の色が一緒。角の形が一緒。様々な共通点がある。きっと、彼女の家族なのだろう。

「縺?◆縺?▲?√d繧√m縲√>縺溘>縲√?縺ェ縺帙▲?」

 まるで走馬灯のように、彼女の魂の灯が消えそうだというように、一瞬見えてすぐに意識は現実に引き戻される。
 竜が凄まじい苦悶の咆哮を上げる。夏輝が俺の作った一瞬の隙を見逃さず、瑞雪の前に躍り出たうえで右胸の傷に力いっぱい短剣を突き立てた。
 ナイフを力の限り左に向けて振り抜けば。心臓に刃が至れば死ぬ。
 しかし、竜の顔が憎悪の顔から痛みに苦しむ女の顔へと変わる。変わって、しまった。
 ああ、もしも夏輝が背後から襲ったなら何とかなったのかもしれない。でも、あいつは真正面から竜の顔を拝んでしまったのだ。

「っ……!」

 夏輝の動きが止まる。

「なつ、きっ!とどめを刺せっ!じゃなけりゃまた……っ!」

 動きの止まった夏輝を瑞雪が叱咤する。けれど夏輝は動かない、動けない。竜が苦悶の顔をしていたのは一瞬だった。

「ごめ、っがぁ……ッ!」

 俺がしがみついているにも関わらず、竜は隻腕を動かし夏輝の頭部を掴む。そのまま引きはがし、壁に向かって投げ飛ばす。
 頭部と背中を強かに打ち付けた夏輝はうめき声をあげ、僅かに身体を痙攣させる。
 脳震盪を起こしているのかもしれないし、あのぶつかり方では骨も何本かイカれたかもしれない。地面にロザリオの破片が無残に散らばっていた。
 まずい、まずいまずいまずい。竜に体制を立て直す隙を与えてはならないというのに!

「ちっ……」

 瑞雪が大きな舌打ちををし、震える手で弓を握りなおし詠唱を開始する。
 夏輝が失敗したなら、今度は俺が。せめて、瑞雪が魔法を詠唱する時間だけは稼がなければならない。短剣は未だ竜の右胸に深々と刺さったままだ。アレを使えば、なんとか。
 腕力強化の魔法を再度発動、重ね掛けする。魔法は決して万能ではない。無理なキャパシティ以上の強化に腕の筋肉がみしみしと悲鳴を上げた。
 でも、俺は止まらない。痛みなんぞ知るものか。ここで仕留めなければ誰かしら死ぬ!
 夏輝も瑞雪も満身創痍だ。なら、まだ動ける俺がやらなければ。腕を伸ばし、短剣の柄を握る。しかし、それがよくなかった。

「縺励?縺」縺励?縺励?縺励?縺」?」

 今まで俺が掴んで離さなかった、行動を妨げられていた片腕がフリーになってしまった。
 竜は耳をつんざくような絶叫を上げながら、俺の頭を掴み、地面へと叩きつける。

「ラテアっ!」

 何度も、何度も、何度も。
 夏輝の悲鳴が耳に届くが、どうしようもできない。まるで草臥れたぬいぐるみか何かのように、俺は執拗にコンクリートの地面に叩きつけられ続ける。
 口の中が鉄錆の味になり、ロザリオの破片が腕に食い込む。全身を激痛が襲う。このままではまずい、意識が遠のきそうになる。けれど、今竜を俺から引きはがせるやつはいない。いない……。

(やばい、意識が……飛ぶ)

 ここから俺が生き延びる方法。絶体絶命のピンチ。咄嗟に脳裏に浮かぶのは、先程の白昼夢。
 遠のく意識の中、一か八かの賭けしか俺には思いつかなかった。
 

「ねじ、曲げよ……竜、呪い(ウェド ドラゴン マディオ)」

 息も絶え絶えに、最後の力とマナを振り絞り魔法を詠唱する。生き延びるためには仕方ない。これしか思い浮かばない。
 竜の尊厳や誇りを踏みにじるのではないかと、俺は今まで躊躇していたことがある。
 今使った魔法は変化の魔法だった。スペックなどは当然真似ることができない、ただガワだけを変化させる戦闘には使えない魔法だ。
 だから今まで俺は夏輝たちの前で使ったことはなかったし、使う機会はあまりないだろうなあと思っていた。

「グリーゾス」

 竜の名を呼ぶ。今まで、俺が呼ぶべき名前ではないだろうと伏せて来た名前だった。たまたま知ってしまっただけの他人なのだから。
 そして俺が変化したのは先ほど白昼夢の中で見た女だ。あまりにも卑怯な手だと思ったし、効果があるのかもわからない。
 でも、彼女と共鳴現象を起こし過去を垣間見れたのは彼女の中にまだほんの少しでも過去の記憶や感情が残っているのではないかと、そう思うのだ。

「……ァ”」

 竜の眼が大きく見開かれ、焔色のどろりと濁った瞳にほんの少しだけ光が灯る。それは夢の中でしか見なかった、美しい夕焼け色だった。

「っが、げほ、トニ、トルスッ」
 
 苦し気な瑞雪の叫び。視界一杯に弾ける火花。
 ほんの一瞬竜の身体が強張り、俺の頭から手が放される。次の瞬間、竜の胸からバチバチと音を立てる蒼い雷の槍がにょきりと生えた。口からごぼごぼと、先ほどまでとは比べ物にならないくらいの大量の血が吐き出され、倒れる。
 肉の焼け焦げる臭い、沸騰した血の臭い。耐えがたい悪臭が鼻を襲う。
 間一髪、瑞雪が魔法の詠唱を完了し背中から雷の槍を竜に突き刺したのだ。

「ねぇ、さ……」

 小さく、すすり泣くような呟き。一瞬、ほんの少しだけ輝いた瞳が再び濁っていく。
 俺の顔や身体が真っ赤な血で染まる。むせ返るような鉄の匂いに吐き気がこみあげるが、寸前で堪える。竜の身体がぼろぼろと崩れ、舞い上がる土埃とともに消えていく。
 本来なら残るはずの死体が、実験のせいかはたまた別の要因か、全てマナの粒子となって消えてしまった。

「はぁ……は、ぁっ……くそが」

 血をだらだらと流しながら、それでも歯を食いしばって立つ瑞雪が悪態をつく。
 俺はと言えばもう指一本動かせない始末だった。俺を覆っていたマナが崩れ去り、変化の魔法が解け元のちっぽけな獣の姿へと戻る。
 耳と尾っぽの毛並みはもう血みどろで、こびりついて固まってしまっていた。
 直後バタバタと音がして、そちらに耳だけ向ける。

「ラテアっ!ラテア、ごめんね、ごめんね……俺のせいでこんなにボロボロに、俺が、あいつにとどめを刺さなかったから……!」

 ようやく回復し動けるようになったのか、夏輝が駆け寄って俺を抱きあげる。霞む視界の中で見たあいつの顔は酷く歪んでいて、今にも泣きそうだった。
 仕方ない、だってお前はこの間までただの子供だったんだぜ。涙がぽたぽたと頬を伝い落ち、俺の顔へ温い雫が零れた。
 何か言ってやりたいのに声も出ない。

「……」

 瑞雪が何か言いたげに、口を開いては閉じてを何度か繰り返してからやめる。吊り上がっていた目が元に戻り、目が伏せられ、大きくため息をつきスマホを取り出す。
 瑞雪はきっと、とどめを刺せなかったことで俺が死にかけたことに関して夏輝を叱ろうとしたのだろう。でも、あいつの顔を見て𠮟れなくなったのだ。

「ラテアぁ……俺のせいだ……美咲さんが死んだときに、死なせないって誓ったのに、俺、とどめを」

 もう、十二分に理解しただろう。とどめを刺せなかった代償にどうなるかを。
 今回はたまたま運がよかった。次はない。それをいやというほど今夏輝は実感しているようだった。
 まだたかだか十五の子供に酷な話だった。でも、この世界で生きていくと夏輝が決めた以上避けては通れない現実。

「すぐに迎えが来る。……言いたいことは色々あるが、全員生きてる。帰るぞ」

 俺に申し訳程度の治癒魔法を施しながら、瑞雪が言葉を発する。
 夏輝は嗚咽を漏らしながら首を縦に振った。ほっとしたからか、急激に眠くなる。
 意識を保てなくなり目を閉じる。

「ラテア、ラテアしっかりして……!」
「死にゃしねえよ。気が緩んで気絶しただけだ」

 遠くで夏輝が叫び、瑞雪が宥めている。苦い勝利だった。







「夏輝君たち倒したみたいだねえ。思ってたよりちゃんとやれるみたいで僕はびっくりしたよ」

 同時刻、廃墟街から幾許か離れた高層ビルの屋上。立ち入り禁止とされているその場所に二人の人影があった。
 一人は艶やかな黒髪にアマランサスの髪束がいくらか入った中性的な男、淫魔のロセ。
 片手に双眼鏡を持ちながら少し意外そうな顔をしていた。

「ヤバくなったらちょっと手助けでもと思ったが必要なかったみたいだな。まあぼろっぼろで見るも無残だけど。初陣にしては生き残れたし上出来なんじゃないか?」

 そんなロセの腰に腕を回しつつ、尻に手を伸ばし弄んでいるのは金髪に朱のメッシュを持つ吸血鬼、アレウだった。
 むっちりとした揉み心地の良い尻を独占しつつ、アレウは楽し気に眺めるロセを眺めていた。

「しかしキミ、本当に八潮さんには頭が上がらないよね。昔からの知り合いって言ってたけども、あんまりにも上がらないものだから僕としては非常に面白いよ」

 ロセはアレウと八潮の関係を全て知っているわけではない。ただ、旧くからの知り合いであるとは聞いていた。

「面白いって、ただちょっと頭があがらないだけだろ」
「いつもは俺様で面倒見のいいお兄ちゃんでしょう?それとはかけ離れているから、つい」

 普段は私、なんて気取った一人称をしていたが、素はこちらである。
 苦い顔をしたアレウに対し、軽く舌を出して悪戯っぽく微笑む。そんな顔を向けられれば、惚れた側であるアレウは何も言えなかった。
 ロセはロセであまり普段見ないアレウの姿が新鮮で、ついつい揶揄ってしまうのだ。
 行き場のない言葉を飲み込み、代わりに尻を揉み続ける。
 二人がここで夏輝たちを監視するような真似をしているのは、八潮に頼まれたからだ。もしも夏輝たちが死にそうになったら助けてほしいと、そう言われたのだ。

「八潮さん、案外過保護なところがあるよね」

 眼下の道路をサイレンを鳴らしながら救急車が走る。結界ごしに分かれた日常と非日常。
 先程の戦いを見やるアレウの視線はどこか鋭く、何かを恐れているようにすら思えた。天下の吸血鬼様が恐れるなんてあり得るのか?ロセは首を傾げる。
 決して、夏輝たちが死ぬことを恐れていたのではないだろう。アレウは自分ならともかく、その他に関してそこまで心配するようなヒトではない。
 冷たいわけではないが、ある程度のドライさは持ち合わせているはずだ。
 こんなアレウを見たのは久しぶりだった。百五十年ほど一緒にいて、アレウの怒髪天や弱いところは把握しているはずのロセだったが、新鮮な表情はいつ見ても飽きない。

(何か起こるのかな。大きなことが)

 あの三人の周りで、何かが。面白いことであればいい。そう思う。だって退屈というものをロセはあまり好き好んではいなかったから。
 そんな風に高みの見物を決め込んでいる二人だったが、この時のロセは知る由もなかった。ロセも、そしてアレウもそれに巻き込まれる事になんて。








 
 

 


 


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