青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP1 狐と新緑4 白と赤

時は戻らない

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「っ縺」縺√≠縺ゅ≠縺√=縺ゅ≠窶昴=窶昴≠窶昴=窶」

 耳をつんざくような竜の咆哮。酷い頭痛に全身の力が入らないが、その叫びで一気に現実に引き戻される。
 よろよろと何とか起き上がるのと同時に、夏輝が竜に向かって短剣を振り下ろす。
 竜の動きは普段よりずっと緩慢で、いつもならば尾で反撃させることなくいなしていただろうに腕で受け止める羽目になっていた。

「美咲さんっ!美咲さん、大丈夫ですか!?返事、返事してくださいっ!」

 視線を足元へとずらす。竜の足元は真っ赤に染まっており、倒れ伏す美咲の背中が見えていた。美咲だけではない。
 怪我をしているのは間違いない。生きているかもわからない。もっと近づかなければ確認もとれやしない。
 他の人々は逃げおおせた後か、死んでいるかのどちらかだった。

「早く手当てしなきゃ、病院に連れて行かなきゃ死んじゃう……!はやく、はやくはやく……!そこをどけ、どけってば!じゃなきゃ美咲さんが死んじゃうんだよっ!」

 技巧もなにもない、身体能力だけで短剣を我武者羅に降り回す。
 しかし、やっと視界が安定し、俺が動けるようになったのと同時に竜も動けるようになってしまった。あの夢を1度ならず2度までも見た今、偶然だとは思わない。
 何故?わからない。わからないが目の前にこいつがいる現実は変わらない。

「夏輝っ、冷静になれ!」
 
 取り乱す夏輝を現実に引き戻すため、肺いっぱい空気を吸ってから、叫ぶ。

「でも、美咲さんが!早く助けなきゃ死んじゃうよ!」

 死んでしまう。そればかりを繰り返す夏輝。無理もない。身近な人間が死んでいるかもしれないのだ。冷静でいられるほうがおかしい。
 俺も爪を竜の鱗塗れの皮膚に突き立て、炎で燃やす。なんであっても美咲から竜を遠ざけることには賛成だ。

「縺倥c縺セ縺?縲√§繧?∪縺?縺倥c縺セ縺?縺倥c縺セ縺??√@縺ュ?√?縺、縺倥°縺?シ」

 燃やされ、風の刃に切り裂かれ、少しずつはダメージが入っているのだろうか?腕や足には無数の切り傷が刻まれ、軽いものの皮膚が焼け爛れ始める。

「っがふ」
「っくそぉっ!」

 しかし、相手もただやられるわけじゃない。寧ろ攻撃が届き傷つけば傷つくほど相手の動きは鋭く、速いものになっていく。
 竜の腕が俺と夏輝の頭を鷲掴みにし、地面へと叩きつけられる。

「っげほ、ぐぅ……くそ、ったれ」

  そのまま足が俺の背中を踏みつける。風より炎のほうがうざったかったらしい。肺が押しつぶされ、息が出来ない。

「ラテアっ!」

 足に夏輝がナイフを突き刺す。しかし、竜は微動だにしない。押しつぶしてくる力が段々と強くなり、ぎしぎしと全身の骨が軋み肺から空気と血がごぼごぼと漏れる。
 暴れようとするが、体勢的にもあまりにも不毛だった。全身が痙攣し始め、くらくらと視界が明滅し始める。本格的にヤバい。このままじゃ死ぬ。
 ああ、次の瞬間にも死ぬ。全身の骨を砕かれてみっともなく惨たらしく死ぬ。そう死を覚悟した瞬間だった。

「貫け 全てを破壊する 神の雷 (ピアスド デスティ トニータルデイ)」 

 視界全体が真っ青に染まり、バチバチと言う苛烈な破裂音が空間一杯に響き渡る。刹那、ふっと背中が軽くなる。

「ラテア、こっち!」
「っぐ、あ、ああ……」

 夏輝が俺を抱きかかえ、竜から離れるように飛びのく。足がぐにゃぐにゃとタコになったみたいにうまく立てず、土がむき出しになってしまった地面へと無様に倒れた。
 瓦礫が頬に当たり、擦り切れ、細かな痛みを発生させた。
 竜の方を見れば、右肩から先が抉り取られていた。どす黒い血がとめどなく噴き出し、竜が後ろへとさらに後ずさる。

「っは、はぁ……くそが。これでも片腕だけ、か」

 聞き覚えのある声にそちらを向けば、瑞雪が肩で息をしながら会場の入り口に弓を構え立っていた。
 周囲のイオの状況から見ても、瑞雪の攻撃魔法によって俺たちはどうやら窮地を救われたらしかった。竜は怒り狂った叫びをあげながら、建物の壁を器用に伝い上りながら撤退する。
 追いかけたいが、既に俺も夏輝も満身創痍だった。俺は少なくとも何本も骨がイカれていた。なんならさっきから呼吸音がおかしい。
 肺に骨が多分突き刺さっているのだろう。自覚すると体中が痛み始め、思わず呻く。いや、俺のことはどうでもいいんだ。それよりも。

「美咲さ、げほっ、がぐ!」

 竜が去り、夏輝は美咲の元へと駆け寄ろうとするがそのまま地べたへとつんのめる。
 俺も、身体中の力が抜けてそのまま動けずにいた。
 夏輝の声で瑞雪が美咲の存在に気付いたようで、足早で駆け寄る。びちゃびちゃと血だまりを靴底が踏みしめる音が不快でたまらない。

「瑞雪さん、美咲さんを助けてくださ、お願い、します、おねがいします」

 美咲はぴくりとも動かない。ただ、瓦礫や泥に塗れたウェディングドレスだったものをさらしている。
 彼女の前に瑞雪が回る。軽く目を見開き、そして眉間に深い皺を刻んだ。それだけですぐにわかる。美咲は既にこと切れているのだろう。

「早く、早く救急車を呼んでください……!この間みたいにっ!勅使河原さんの病院ならきっと、すぐに駆け付けてくれますよねっ!他の人だって、みんな、死んで」

 危機が去ったからだろうか、先程まで殆ど感じていなかったはずの血の生臭い匂いを急激に感じ始め、思わず鼻を抑える。
 これよりもひどい匂いなんていくらでも嗅いだことがあるはずなのに、今はどうしてか酷く耐えがたかった。

「……」

 瑞雪は自身の着ていたコートを脱ぎ、彼女の上に被せる。

「亡くなっている」

 暫しの沈黙の後、重い口を開いた。

「嘘だ……嘘、ですよね。そんな簡単に、人が死ぬなんて」

 信じられないのだろう。声を震わせながら夏輝は無理やりに立ち上がり、一歩、一歩と美咲の方へと歩みを進めようとする。

「来るな。見ないほうがいい」
「でもっ!」

 瑞雪の声には苦渋が滲んでいた。そもそもあの堅物で神経質な男が悪趣味な嘘を吐くはずがなかった。こんな、最も嫌う類の嘘など。

「でも、まだ……さっきまで、話して、幸せそうでっ」

 ぐすぐすと鼻声になりながら、夏輝は必死に、否定したいがために叫ぶ。瑞雪が見るなというのだから、きっと死体は酷い状態なのだろう。

「それにっ、美咲さんにはお腹の中に赤ちゃんがいて……っ!そうだ、赤ちゃん……赤ちゃんだけでも助けないといけないんですっ!」

 鼻を啜り、涙を流す。頬を伝い落ちる雫が地面の上の血だまりと混ざる。
 人間は、弱く脆い生き物だ。簡単に死んでしまうのだ。夏輝が思っていたよりもきっとずっと簡単に。
 なんとかよろよろと起き上がり、土埃で汚れてしまったスマホの電源を切る。トロンには見せたくないから。
 そして俺は引き留めようと夏輝の腕をつかむ。

「やめよう、夏輝」
「でもっ!でも、でも、赤ちゃんがっ!」

 冷静になれば、夏輝にだってわかっているはずだ。赤ん坊はまだ腹に宿して3か月過ぎたくらいだったはずだ。例え無傷であったとしても、外で生きていける月齢ではない。
 引き留める傍ら、先程見た夢がぐるぐると頭の中で渦巻いていた。

(だとしたら……竜が今日、結婚式場近くに現れたのは……俺のせい?)

 再び見た竜の夢。やっぱり夢が今日ここに竜が現れたことに関係しているのかもしれない。かも、というかそれしか心当たりがなかった。
 なんにせよ、竜が俺を追いかけてきたことが真実だとすれば、美咲が今日死んだのは間違いなく俺の責任だった。
 瑞雪と俺の制止を振り切り、夏輝は倒れ込むように美咲の死体の傍へと蹲る。夏輝の手は見たことがないくらいぶるぶると震えていて、脂汗に塗れていた。
 そっと、瑞雪のコートに手をかけ、捲る。

「っぅ”……そん、な、みさき、さ」

 夏輝もろとも俺の視界にも入る。
 彼女の前面は無慈悲に抉り取られ、骨の断面や赤黒い肉、ピンク色の内臓を晒していた。
 美しかったはずの花嫁衣装はぐっしょりと赤黒い血を吸い込み、禍々しく悍ましい衣装へと変化してしまっている。
 顔面も抉られていたため、彼女だったと顔で判別することは最早できそうになかった。潰れかけ、明後日の方向を向いた眼球と夏輝の眼が、合う。

 「ぉ”え……あ、ああ”ぁ”……」

 夏輝の慟哭。

「やめろ、夏輝っ!これ以上見るなっ!」
「見てもいいことなんて一つもない。責任感だけで見ようと思っているならやめておけ」

 俺と瑞雪は夏輝を止めようとするが、すさまじい力で振りほどかれる。夏輝は涙や鼻水を垂れ流しながら視界を彼女の下腹部へと移す。つられて俺も視線をそちらへと向ける。

「っ……ぁ”」

 下腹部は鳩尾から下腹部にかけて大きく潰れていた。胃や腸も潰れ、外側の肉トミックスされていた。足で踏みぬかれたのだろう、大きな穴が開いていた。子宮も例外ではない。そして、彼女の腹の前にある血だまりの中に小さな肉の塊が沈んでいた。
 凡そ5,6センチといったところだろうか。目を凝らし、見る必要もない。彼女の子供だったものだ。

「おえ”、っげほ、がほっ……そ、なっがふ、なんで、っ……ぅ”、死んだ……っ!」

 嘆き、嗚咽を漏らしながらとうとう耐え切れなくなったのか、夏輝は胃の中のものを逆流し始めた。
 びちゃびちゃと地面に胃の内容物をそっくりそのまま吐く。さっきまで楽しく談笑し、食べていたものを。救えなかった。巻き込んでしまった。
 例え地球人であっても、こんな惨たらしい死に方をしていいわけはなかった。
 ほかにも多くの地球人が死んだ。結婚式場は最早原形をとどめてはいない、ただの地獄でしかない。

「俺が、巻き込んで殺した……っ!」

 慟哭。痛々しい、魂からの叫びだった。夏輝のせいじゃない。そう言いたいのに口が動かない。俺も瑞雪も彼にかけられる言葉を持たなかった。



 
 




 
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