青い月にサヨナラは言わない

Cerezo

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EP1 狐と新緑4 白と赤

蛇ににらまれた蛙

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「あの糞淫魔……」

 冬城瑞雪は酷くイライラしていた。それもこれも何もかもあのロセとか言う淫魔のせいである。
 あの後夏輝の制止を振り切って引き上げてきた瑞雪は竜の情報を集めるべく支部へとやってきていた。
 普段なら呼び出されない限り寄り付きたくない場所ではあったが、敵がわけのわからない狂った竜である以上瑞雪が調べられる場所と言えばここしか存在しなかった。
 入口を通り受付を顔パスで通り抜ける。流石に数年目ともなれば覚えられる。高層ビルはここ数十年で新しく建エデンれたもので、重要な施設は地下にある。聖堂もその一つだ。
 元々キリスト教がルーツだという御絡流の会はいたるところにカトリックの名残が残っていたらしいが、発足から数十年経った今は殆ど残っていない。
 そもそも構成員にカトリック教徒が殆どいない。いたとしてエデンに入り込み拉致するのは異教徒相手だとでも思っているのだろうか?神など信じちゃいない瑞雪にはわからなかった。

(そもそも何故竜なんぞがいたんだ。それも狂った竜なんて。ここで何かきな臭いことをしたとしか思えない)

 エデンの存在を知っている方が稀なのだ。
 竜なんてものになにか出来るほど御絡流の会の面々が優秀かは知らないが、後ろ暗いことをいくらでもやっていることくらい末端の瑞雪だって知っていた。
 元より自分の所属しているこの組織が真っ当でないことなんて百も承知だ。だからこそ、あまり関わらないようにと秋雨の依頼のみを受けて来た。
 しかし、今回は違う。あの正体不明の竜のことを知らなければ生き残れない。自分どころかあの子供二人も死んでしまうだろう。自分とて死にたいわけじゃない。殺されるのなんて御免だ。

(……あの情報屋がどの程度の力を持っているかなんて知らないが、気色悪いんだよ。身体で得るなんて)

 別に、瑞雪自身はエデン人差別主義者なわけではない。エデン人も地球人も糞は糞でしかない。ただ、性的なことにいい思い出がなくどうしても嫌悪感を拭いきれないのだ。
 関係者のみ入れる扉を潜り、エレベーターに乗り込む。地下5Fから3フロア分が資料室。うち最下層の1フロアは瑞雪の権限では入れない場所だった。

(最悪禁止エリアに入る必要があるか……)

 というより十中八九あるとしたらその場所だろう。昼過ぎから夕方のこの時間に来た理由は簡単だ。この時間帯、秋雨は支部にいないからだ。
 要するに、秋雨の部屋から禁止エリアに入るためのカードキーを手に入れてしまおうということ。
 ここまで大胆になれる理由は見つかったところで秋雨は瑞雪の首を飛ばそうなんてことは恐らく言い出さないからだった。
 かといって減給で済むわけもないが。面倒な仕事辺りを回されるのは間違いない。
 何より今は瑞雪が苦手な秋雨の部下の双子がいない。秋雨の元に来てからすぐに目を付けられ、瑞雪の事を目の敵にしている双子がいるのである。
 主に兄の方であるが、目を光らせて瑞雪がやらかすのを手ぐすね引いている彼らは今頃エデンの調査をしていることだろう。
 秋雨の執務室があるフロアに向かう。鍵が当然かかっているが、何を思ってかあの男は瑞雪に合いカギを渡していた。別に互いに信頼関係などないと思うのに。
 少なくとも瑞雪はあの男を信頼などしていなかった。まあ、瑞雪が誰を信頼しているかと言えば思い浮かばないのだが。
 誰もいないことを確認し、鍵をそっと開き執務室の中へと入り込み、再び鍵を閉める。地下にある執務室なので、部屋には当然窓はないし真っ暗だ。
 電灯のスイッチを入れ、部屋の中を確認する。誰もいない。いても困るが。

「さっさと終わらせるか……」

 あると思しき場所を片っ端から探す。綺麗に整理整頓された書類棚、デスクと調べる。警戒は十分にしているつもりだった。が。

「なんやなんや、悪いことしエデンっしゃりますなぁ瑞雪はん」
「っ……!」

 全く気配も何もなく、耳元に吐息とともに声が吹き込まれる。かかる生暖かい風に身体がびくりと竦み、思わず声が出そうになるのを唇を噛みしめて寸前で堪える。
 瑞雪はバっと慌てて後ろを振り返った。反射的に手が出て殴りそうになるが、腕を掴まれいともたやすく阻止される。

「ご機嫌麗しゅう。あんさんはいつも通り陰気なツラしとりますけどね」

 糸目に黒炭のような短髪。蛇を連想させるような、全身からうさん臭さを駄々洩れにしている似非京都弁の男がそこにはいた。

「遠呂……」
「さんづけしぃや。あんさんの上司やぞ?」

 遠呂 智治。秋雨の右腕と職員たちからは言われている支部のNO2。支部で最も強い羊飼いだった。その強さは猟犬など連れる必要もない圧倒的なもの。
 瑞雪自身が彼の戦闘を見たことは殆どなかったが、彼の弟子に散々耳にタコが出来るほど吹き込まれたため実力の程は聞き齧った程度にはあった。

「チッ。厳密には上司じゃないだろうが」

 鍵をかけていたのに何でいるんだ。ドアを確認すると鍵は閉まったまま。どうやって入ってきたかなどこの男の前では野暮なのだろう。
 秋雨が腹の底が知れない男だとすれば、こいつは腹の底どころか手の内すらわからない。不気味で、こうやって時折瑞雪に面倒くさく絡んでくるやつだった。

「腕を放せ、何の用だ」

 明らかにこの状況、自分が勝手に入り込んでいるのが悪い。しかし、ここで殊勝な態度をとったところでこいつをますます付け上がらせるだけだし、見逃してくれるわけもないだろう。

「何の用も何も、支部長の執務室に侵入者がいたら捕まえるに決まっとるやろ」
「……チッ」

 ぐぅの音も出ないとはまさにこのこと。正論すぎて反論の余地がない。

「まあ、瑞雪はんのことや。意味もなくとか、スパイのためにこの部屋に入り込んでるってことはないやろうし、話くらいは聞いてやってもええで?」

 そういって遠呂はにやにやと不気味に笑いながら瑞雪の腕をようやく離す。上から目線で腹立たしいが、こいつのほうが圧倒的に瑞雪より上なのだから逆らう術はない。
 こいつに目をつけられた以上、ここで鍵をしれっと取って禁止エリアで調べものなんて夢のまた夢。話したところでこれ以上悪い状況に陥ることはないだろう。

「どうせ俺が連続殺人を起こしてる化け物の討伐を命じられたことくらい知っているだろう。あれの情報集めだ」

 仕方なく、素直に言葉を口にする。

「ほうほう、なるほどなぁ」

 わざとらしく相槌をうつ遠呂に瑞雪は今すぐこの場から去りたくなる。
 そもそも、遠呂は初めて顔を合わせた時から気に入らなかったのだ。何故かって?それは……。

「瑞雪はん、最近カフェ”朱鷺”に入り浸っとるやろ?そこにロセっちゅう情報屋がおるやろ。そいつ使ったらええやんか。あれはうちもよく利用させてもらっとるけど、確かな実力があるで?身体の具合もええんや。細いのに肉付きがよくてなぁ、男の淫魔やけど女よりもええで。精液なり提供すれば割引もしてもらえるしな。どうせ瑞雪はんは童貞やろ?どうや?ここらで一つ筆おろししてもらうのも悪くないで?」

 こいつはとにかく男でも女でも構わずに関係を持つような好色家だった。

「ああ、瑞雪はんは抱かれる方が好みやったか。どうや?淫魔が嫌ならうちとワンナイトラブと洒落こむのは。そうしたらあんさんの欲しい情報を集めてやってもええで?」

 遠呂の手がいやらしく瑞雪の尻に伸びる。節操なし。淫魔以下。吐き気がする。
 
「断る」

 革靴の踵で思い切り遠呂の脚を踏み、手を叩き落とす。

「いっづ!暴力に訴えるなんて酷いわぁ」

 避けようと思えば避けられるくせに、遠呂はあえて避けない。それが余計にイライラして、瑞雪は隠すことなく舌打ちする。
 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。遠呂を睨むが、当然効果はない。ずっと、腹の内が読めないヘラヘラした笑顔のままだ。

「そんなんだからだーれも友達がおらんのやで?敵ばっかり作りよるし。ああ、あんさんが相手するのが嫌なら新人君二人を紹介してくれてもええんやで?秋雨はんがえらい可愛らしい子が入ったって聞いてなぁ。夏輝はんとラテアはんやっけ?二人はべらせるのもええなあ。あんさんよりよっぽど可愛げが」
「断る」

 先ほどよりも大きく、強く拒絶する。

「ガキに手を出そうとするな、この似非京都弁野郎が」
「ひどいわぁ、柔らかさがあってええやろ?」

 やはり気に入らない。相いれない。じんわりとした背を這うような不快感に顔をしかめる。

「どこがだ……。で、禁止エリアには入れないつもりか?」

 これ以上こいつとおない空気を吸っていたくない。瑞雪は苛つきを隠しもせず、腕を組み冷たい声音を浴びせかけた。

「まあ、そうやねえ。あんさんか新人くんたちのどちらかを抱かせてくれたら見逃してやってもよかったんやけど、何にも対価がないなら見逃せんなぁ」

 対価。実際、瑞雪を見逃すメリットが遠呂にないことは間違いない。瑞雪が納得のいく内容で、遠呂に示せる対価など一つも思い浮かばなかった。
 夏輝とラテアを差し出すなど論外も論外だ。

「下種が」

 吐き捨てたって、目の前の男は喜ぶだけ。それをわかっていても吐き捨てずにはいられなかった。

「なんやなんや。うちはあんさんより支部内での人気も人望もあるで?勿論実力もな。皆から慕われるいい上司だっていうのに酷い話やで。なぁ、嫌われ者の瑞雪はん?」

 嫌われ者。そりゃそうだ。瑞雪だって自身のことを理解している。強くいつもにこにこしていて人当りの良い遠呂と、不愛想で碌に役に立たない自分。

「他人に好かれようと思ったことなんてないし、嫌われて構わない。だからどうした?」

 価値も何もない自分が必要とされるわけはない。昔からそう。今更そのことに悲観したり僻んだりは別にしない。

「愛想がよかろうと価値がなきゃ変わらねえよ。言いたいことはそれだけか?」

 自分のことは自分で何もかもやる。自分を守れるのは自分だけ。
 他人から嫌われ、装備や猟犬も碌に支給されず爪はじきにされようと、それに屈するのも嫌だった。死ぬまで足搔いたほうがマシだった。でも。

(……あいつらをそれに巻き込むのはどうなんだ?命がかかっているのに)

 瑞雪自身はきっと、こんなことを続けていたらいつか惨たらしく独りで死ぬだろう。それでいいと納得もしている。独りで大丈夫。独りのほうが気楽だと、そう思っている。
 でも、夏輝とラテアは?夏輝は普通の子供だし、ラテアはエデンに帰りたがっているやっぱりただの子供だ。

「あんさんが無駄な意地を張って困るのは新人君たちやで?」

 子供は救われるべきだ。子供は守られるべきで、手を差し伸べるべきで。
 少なくとも、害する存在にだけはなりたくない。自分のくだらない意地に付き合わせてはならない。だって。

「そうだな。わかった。情報屋に依頼することにする。お前に抱かれるのも、ガキどもを差し出すのも絶対に御免だ。それなら情報屋に金を払って汚い情報でも得たほうが百倍マシだクソホモ野郎」

 小さくため息をつき、瑞雪はそのままさっさと部屋を出て去ろうとする。これ以上話しても不快になるだけだった。

「つれへんなぁ。寂しいわぁ。あと勿論女性もうちは大歓迎やで?」

 聞く耳を持たず、瑞雪はさっさと部屋から出ていく。何故こんなことに。あの二人だって遠呂の下につけていたらもっと安全に過ごすことができただろうに。
 悲観的になったって何も現実は変わらない。わかっていても少し考えてしまう。せめて自分でなければこんな無理難題を押し付けられやしなかったのではないかと。

(馬鹿らしい。やれることをさっさとやるしかねえんだよ……)

 じくりと何かが痛む。こういう時、決まってなんとなくどこからか視線を感じる。
 勝手な感傷で、どこまでも無意味で不必要なもの。視線を振り払うように瑞雪は緩く頭を横に振り、一歩を踏み出した。




「……なぁにが似非京都弁だ。合わせてやってんだよ」

 あの顔を見ているだけで反吐が出る。本人ではないと分かっていても不愉快極まりなかった。
 瑞雪の去った執務室。遠呂は吐き捨てるようにそう呟いた。
 
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