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ACT.2

2-1

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「ケイン! ケイン!」

 アイラは弟の名を呼びながら、村の中を足早に歩いていた。肩まで伸ばした黒髪が風になびく。今年で十六歳になるが、落ち着いた感じのする少女だった。
 太陽はすでに沈み始め、鮮やかな夕焼けの赤が世界を支配していた。一日の終わりを知らせるつかの間の残照だ。
 あれほど夜になる前に帰って来るように言ったのに。アイラはそうぼやきながら弟を捜し続けた。今、この村で夜に出歩くことは自ら危険を招き寄せるのと同義だ。

「おや、アイラ。どうしたんだ?」

 中年の農夫がアイラに話しかける。

「あ、リーグさん。ケイン見ませんでした?」
「ケインなら村の入り口で見かけたぞ」
「ありがとうございます」

 アイラはぺこりと頭を下げる。探していた弟の情報を得て、アイラは安心したように笑みを浮かべていた。そのまま走り去ろうとしたアイラを、リーグは慌てて呼び止める。

「あいつらが見回りをしているはずだから、お前も気をつけなさい」
「……はい」

 浮かべた笑みを引きつらせながら、アイラは答える。そしてすぐに走り出した。


        ☆


「お前ら、帰れ!」

 少年の声が村の入り口付近に響く。声の主は七歳くらいの少年――ケインだ。ケインは周りにいる男たちを睨みつけていた。
 男たちの方は煩わしそうにケインを見ている。痩身で背の高い中年。顔の下半分が髭で覆われた男。スキンヘッドの青年。筋骨逞しい大男の都合四人。
 皆、簡素な鎧と武器で武装している。

「アベルをいじめる奴らは帰れ!」
「またお前か。俺たちゃアベルなんて知らねーんだよ」

 痩身の男――ゼルが言った。

「そうそう。俺たちは忙しいんだ。ガキは帰って寝てな。でないと、お前も化け物に喰われちまうぞ」

 そう言って髭の男――テッドがケインの頭を軽く叩く。叩かれた少年はムッとした表情で睨み返した。テッドの方はあきれ顔だ。
 時間の無駄と思ったか、男たちは背を向けて村の奥へと歩き始めた。
 ケインは最初、彼らの後ろ姿を睨み付けていた。だが、すぐに石を拾って男たちに投げつける。

「!」

 石は見事にスキンヘッド――テンの後頭部に直撃した。振り向いたテンの額に更に一撃。当たり所が悪かったらしく、テンの額から血が流れ出した。

「いい加減にしろッ、このガキ!」

 男たちが少年のもとへとって返す。痩身の中年――ゼルが、再び石を投げようとしたケインの腕を掴んだ。そして半ば宙吊りのような形で、少年の自由を奪う。

「離せよ、バカヤロウ!」

 ケインはもがくが所詮は子供。男たちの中では一番細身のゼルにすら敵わない。いくらもがいても一向に腕が解放されることはなかった。肩口に痛みを感じるばかりだ。

「ガキだと思って黙ってりゃ、いい気になりやがって! オレたちゃ遊びでこんなシケた村まで来てンじゃねぇんだ。邪魔をするなら、ガキでも容赦しねぇぞッ」

 テンの恫喝にケインの体が一瞬震えた。

「う、うるさいっ。お前らなんか出ていけ!」

 自分を掴んでいるゼルを蹴ろうとしたが、足が地についていないためうまく蹴れない。諦めたケインはゼルに向かって唾を吐いた。

「汚ぇ! こいつ――」

 吐いた唾はゼルの鎧の胸の辺りに張り付いた。ゼルは振り回すようにしてケインを地面に降ろした。勢いに乗って少年は転がる。
 すぐに顔を上げたケインを、四人が取り囲んだ。大人たちに見下ろされる形になる。それでもケインは睨んでいるが、口元が微かに震えていた。
 その輪の中に細い人影が飛び込んできた。
 アイラだ。ケインを庇うように抱え込み、男たちをキッと見据える。

「大人がよってたかって、何をしているんですか!」

 彼女のあまりの剣幕に、男たちは拍子抜けした表情になった。互いに顔を見合わせる。さっきまでの怒気はしぼみ、変わりにしらけた雰囲気が場を支配していた。

「おいおい。そのガキが俺たちの邪魔をするからいけねぇんだぜ」テッドが口を開く。「いつも訳の分かんぇ言いがかりつけてよ。こっちはうんざりしてんだ」
「お前らがアベルを虐めようとするからいけないんだ!」

 姉の懐に潜り込んだまま、ケインは精一杯の威嚇をする。だが――

「あんた、まだそんなことを言ってるの?」

 アイラはケインの肩を掴むと、顔が正面に来るように動かした。アイラの咎めるような口調と相まって、更に言い募ろうとしたケインは俯いてしまう。

「だって……」
「ケイン」

 アイラの声は穏やかだったが、その分迫力があった。姉の顔を見られないままケインは黙ってしまう。

「さぁて、事情は飲み込めたかなァ?」

 テンの言葉にアイラは一瞬、ピクリと体を震わせた。声が体に粘り着くような嫌な口調だった。アイラは声の主に強ばった表情を向ける。

「何か言いなよォ、お嬢チャン」
「…………すみませんでした」絞り出すようなアイラの声。
「ああン?」
「弟がご迷惑をおかけしました」
「じゃあ、そのガキが悪いって認めるンだな、お嬢チャンは?」

 言いながら、テンはにやけた笑いを浮かべている。アイラの顔がますます強ばった。

「……はい」
「なら、この怪我の面倒は見てくれるよなァ。こちとら大怪我して、仕事に差し支えそうなんだよ」

 テンは額の傷をわざとらしく指さした。派手に出血はしているものの、怪我そのものは大したことはない。

「療術師に――」
「療術師ィ? こんなシケた村に療術師なんているのかよ?」
「隣の村になら……」
「隣の村って、ここから何日かかると思ってンだよ? まさか怪我人に隣村まで歩けって言うンじゃねーよな? だいいち療術師に任してはいお終いってのは、あんまりにも誠意がねぇンじゃねーの?」
「……どうすれば」アイラの声は固い。
「どうすればって、どーするよ?」

 テンは仲間の顔を見回した。二人のやりとりをにやにや笑いながら眺めていた三人は、互いに視線を交わす。

「そうだな……テンは重傷を負ったんだ。一晩中手厚い看護、ってのはどうだ?」

 大男――ビーゲイトが言った。いやらしい笑みを浮かべて、アイラを舐め回すように見つめる。
 視線に込められたおぞましい感覚に、アイラは身震いした。思わず俯いてしまう。

「そりゃいい」
「ちょうどいい具合に、夜の見回りは交代制だからな。うまくやりゃコエンの野郎に見つかることもねぇ」
「バーカ。重傷なのはオレだぜ。手前ェらに回すかよ」

 自分を無視して交わされる不届きな会話の内容に、アイラは唇を噛みしめた。

「姉ちゃん……」

 ケインは気遣わしげにアイラを見つめた。会話の内容は理解できなかったが、姉の表情から自分のせいでとんでもないことになったことを悟ったのだ。

「と、いうわけでェ。オレたちゃお嬢チャンの誠意を見たいンだけど?」
「…………わた――」
「ここら辺、静かでいい所だと思ってたのに、いきなり変な奴らに出くわしたわね」

 アイラが口を開いた途端、まったく別の方向から別の女性の声が聞こえた。
 その場にいる全員の視線が、声のした方向へと向けられる。視線の先には露出の多い服装の女性と、対照的に藍色を基調とした改造ローブに身を包んだ女。フード付きの古びたマントを羽織った男が立っていた。
 アートゥラにイェルラ。それにパーズだ。どうやら先程の声の主はアートゥラらしかった。呆れた表情をした彼女が、男たちを値踏みするように見回す。

「ナンだァ、お前ら」

 テンがアートゥラたちを見て凄む。

「それはこっちのセリフ。いい歳した大人が揃いもそろって、なにか弱い女の子虐めてんのよ。はっきり言って趣味悪すぎね、ハゲのお兄さん」
「手前ぇ!」

 アートゥラの方へ向かおうとしたテンを、ゼルが手を挙げて止めた。彼女の方を見て口を開く。

「あんたたちには関係ない。こっちの問題だ」

 アートゥラはわざとらしいため息をついた。

「もしかしなくても、アンタたちって莫迦でしょ? 村の入り口塞いどいて、入って来る人の邪魔になることぐらい分かんない? その時点で関係、大アリなのよ。
 おまけに女の子虐めて喜ぶ変態とあっちゃ、救いようがないわね」
「……こっちが下手に出たからって、いい気になるなよ」

 その言葉と共に、ゼルの痩身から剣呑な気配が生まれた。それに呼応するかのように周りの男たちも身構える。
 だが、アートゥラは自分に向けられた敵意をまったく気にしていないようだった。先程よりも大きいため息を、これみよがしに吐き出す。

「はぁ。どうしてこんな静かでいい所まで来て、莫迦に会わなきゃいけないんだろ」

 横を向き呟くふりをして、でもはっきりと男たちに聞こえるようにアートゥラは言う。彼女が浮かべている表情は、まるでこの状況を愉しんでいるようにみえる。

「ねぇ、パーズ。イェルラ。アンタたちもなんか言ってやってよ」
「……あなた自分で騒ぎを起こすなんて、護衛の自覚ある?」

 イェルラが咎めるように言う。パーズの方はアートゥラを呆れた様子で見ているのみだ。

「パーズ?」

 ビーゲイトの視線が、マントから覗く黒い籠手に覆われた左腕に注がれた。

「その左腕。まさか〝左利き〟のパーズか?」
「そうよ。このいかにも根暗なのが〝左利き〟のパーズよ」

 ビーゲイトの言葉にパーズが反応するよりも早く、アートゥラが言った。男たちは外から見てもはっきりと分かるくらい動揺する。

「賞金稼ぎがこの村になんの用だ? 他人ひとの仕事を横取りしに来たのか!」テッドが敵意むき出しの様子で言った。
「仕事? 横取り? なんの話だ?」

 パーズは心の底から不思議そうな顔と声で、髭面の男を見る。

「とぼけるなよ。手前ぇらのギルドは他人たにんのシマにも平気で踏み込んで来やがる。誰の差し金だ? まさか魔導院じきじきに化け物退治に出てきたのか?」
「化け物?」

 パーズとアートゥラは一斉にイェルラを見た。彼女は軽く首を横に振る。

「化け物なんて初耳ね」

 それ以上言葉もなく、お互いが状況を理解できないまま膠着状態に陥ってしまった。それでもアートゥラの挑発が効いたのか、場の緊張の度合いだかが膨らんでいく。
 アートゥラは一歩も引く気がなく、むしろ更に混乱させたそうな節すらある。イェルラは積極的に関わろうとしないが、引く気もないようだった。基本的について行くしかないパーズは、その気がなくとも動けない。男たちに至っては意地になっていた。
 アイラとケインは二つの勢力に挟まれ、どうしていいか分からなかった。
 そんな状況で最初に動いたのはパーズだった。何気ない首の動きだけだったが、緊張していた男たちは過敏に反応し、思わず身構えてしまう。
 パーズの視線の先――男たちの後ろから近づく人影があった。
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